残酷な描写あり
113.侵入者3
「――ッ!!??」
リチェが抱いていた違和感が、恐怖となって一気に氷解した。
屋敷から出てきた子供が探していたのは、他ならぬリチェ達だったこと。そして今、どういう手段を使ったか不明だが、暗闇に隠れていたはずのリチェ達を見つけたということを。
そしてそれは、一つの事実をリチェに突き付けた。リチェ達の動きはターゲット達に既にバレていたのだ。
となれば、リチェ達に目線を向けている子供が一体何のために屋敷から出て来たのか、その本当の目的をようやく確信した。
リチェのその確信を証明するかのように、子供が今度はリチェ達に聞こえる声量で話しかけてきた。
「ねぇ、そこに隠れてる人達、……全部で11人かな? いるのは分かってるから出てきなさい」
流石にこれにはリチェとその部下達も動揺を隠せなかった。リチェ達の存在に気付いただけでなく、その数さえも正確に見抜かれていたのだから。
リチェの部下たちが、焦りを顔に表しながらリチェを見る。みんなリチェの判断を待っているのだ。
だが、焦っているのはリチェも同様で、どうするのが正しい行動なのか判断に迷っていて、そんな顔で頼られても困るというのが正直な気持ちだった。……しかしリチェがここで文句を言っても事態が好転するわけもなく、必死に頭を回転させて打開策を考えるしかなかった。
(落ち着いて考えるんだ! まず、僕達の存在は既にバレている。どんな手段を使ったか分からないがこれは確定だ。……流石に正体まではバレていないと思いたいけど、相手の力量が不明だからバレている可能性はあるかもしれない……。どちらにしても、取れる選択肢は二つだろう。
一つは、今すぐ全速力でこの森から脱出すること。存在がバレている以上、この場に留まり任務を続行することは実質不可能だ。……しかしあの子供は、完全に暗闇に紛れていた僕達をあっさり見つけ出したんだ。簡単に逃げれるとは限らない。そもそもの話、土地勘の無い森の中から無事に全員脱出することも難しい。
もう一つは、あの子供の言う通り素直ここから出て行き、何とか言いくるめて僕達が危害の無いただの平民だと思わせることだ。それに成功すれば、森の脱出方法を聞き出して無事に逃げることもできるし、もしかしたらターゲットの情報も少しは手に入るかもしれない……)
リチェは二つの可能性を真剣に検討して、無事に脱出できる可能性の高い二つ目の選択肢を選ぶことにした。
「……あの子供と交渉する、全員僕の後に続くんだ。僕が合図するまで絶対に何もしゃべらず、何もするな。上手く口裏を合わせるんだ。いいな?」
小声で部下達に指示を出したリチェは、真っ先に暗闇からゆっくりと姿を出した。
「全員両手を挙げてこっちに来なさい」
「………」
子供の言う通りにリチェ達は両手を挙げ、子供の方へゆっくりと歩いて近づいた。
近づくにつれ、子供の特徴がハッキリ見えてきた。
聞こえてきた声色と遠目から確認した容姿からリチェが予想していた通り、子供は女の子の兎人だった。髪と耳は雪のような白色で、目は宝石のような美しい赤、身長はリチェよりも頭一つ分くらい小さく、年齢はおそらく12歳前後のようだった。
「そこで止まりなさい」
リチェ達は少女から数メートル離れた場所で止められた。この数メートルは何かあっても、咄嗟に動ける余裕を十分作れるほどの距離だった。リチェは上からの態度で命令しているこの少女が指定したこの距離は、自分達を相当警戒している証拠だと思った。
「さて、質問に答えなさい。あなた達はここで何をしているのかしら?」
(最初の質問だ。この質問の返答次第で自分達の印象が決まる……)
極度の緊張感で背中を流れる嫌な汗を感じながら、リチェは質問に答えた。
「ここは……、『淵緑の魔女』様のお屋敷ですか……?」
「……私は、何をしているのかと聞いたはずだったけど?」
的外れどころか質問を質問で返された少女は、明らかに苛立った態度を見せる。更に少女は小さなその体格に似合わない多くの魔力を放出してリチェ達を威嚇した。
それに対してリチェは、慌てた様子で言葉を見繕って謝った。
「あっ、す、すみませんッ! ぼ、僕達はただ、肝試しをしていただけです!」
「……肝試し?」
リチェの口から出た単語が余程予想外だったのか、少女はキョトンとした気の抜けた顔をして、同時に威嚇の為に放出した魔力を引っ込めた。
リチェはチャンスとばかりに、早口で自分達の状況を説明し始める。
「は、はい! 僕達はここから近くの村に最近越してきたばかりで、村に伝わる『淵緑の魔女』という伝承を聞いて、この目で見てみようと思ってこの森に入りました。……しかし、森の中は自分達が予想した以上に複雑で、すぐに迷ってしまったのです……」
リチェの言葉に続くように、部下達は無言で激しく頷いてみせる。
「……それで?」
「はい、僕達はしばらく森を彷徨った末に偶然見つけた道を辿って、ついさっきここに辿り着いたのです。……ただここに来て、『淵緑の魔女は恐ろしい存在で、決して近づいてはいけない』と聞かされた伝承を思い出して、この後どうすればいいか皆でそこで話し合っていたのです」
リチェは振り向いて、目線で先程まで潜んでいた暗闇の場所を差し示した。
「ふ~ん……」
リチェの主張を聞いた少女は、腕を組んでその内容を吟味し始める。
リチェの主張は森に入る前に近くの村で調査したことを基にして、それらしい理由を付けただけの即席物だった。しかし、『淵緑の魔女』の伝承は村で聞いた内容をそのまま使ったし、その村には数日前に数十人が実際に引っ越してきていたのだ。つまりその情報も取り入れていたリチェの主張は、嘘であるのに然も真実の様なかなり信憑性が高いものに仕上がっていた。
これを見破ることはかなり難しい。実際、しばらく吟味していた少女も騙されてリチェの主張を受け入れた。
「……あなた達の状況は理解したわ。大変だったわね。あなたの言う通り、ここがあなた達の言う『淵緑の魔女』のお屋敷よ」
「おお、やはりそうでしたか! (よし、何とか誤魔化せそうだ!)」
少女の労うような反応から、リチェは確かな手応えを感じて少しホッとした。そしてここがチャンスとばかりに、畳みかける。
「もしや、あなた様が淵緑の魔女様ですか?」
「いいえ、私はただの同居人に過ぎないわ。私が出てきたのは、『屋敷の外に誰かいるから見て来て』って、あなた達の言う淵緑の魔女に頼まれただけよ」
「そうだったのですね。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。(成る程、やはり最初から僕達の存在は気付かれていたか)」
リチェは下手に出ながらも友好的な態度で接することで、巧みに少女から必要な情報聞き出していた。
友好的な態度は相手の警戒を解くのに有効だし、更に下手に出ることで相手に優越感を与えて口を軽くさせることもできる。そして話題を振る時は必ず相手が答える側になるように誘導する。
これらは普段からリチェ達『特殊工作部隊』が情報収集する際に用いる常套手段だ。この会話技術でリチェ達はいくつもの情報収集任務や工作活動を、これまで一度も失敗せずに成功させてきた。
リチェは少女とのやり取りで感じた手応えから、今回もその例に漏れないことを確信し始めていた。
(しかし、油断は禁物。なにせ相手は今までで一番得体の知れない存在だ。何がどう転ぶか分からない)
リチェは改めて気を引き締め直す。そして次の一手を切り出した。
「魔女様の森に無断で入った事は謝ります! 図々しいお願いなのは重々承知していますが、どうか僕達を森の外に帰してはくれないでしょうか?」
少女に頭を下げて謝るリチェ。そのリチェの動きに合わせて後ろにいた部下達も頭を下げる。
(……これで向こうがこちらの願いを聞いてくれれば御の字だ。これ以上の調査は正直危険すぎるし、ここで一旦引くのが得策だ。
幸いこの少女から少しは情報を聞き出せたから、収穫が無かったわけじゃない。今後どうするかは手に入れた情報を元に考えればいいんだ。とにかく今は、無事にここから帰れるように努力しないと)
リチェ達が頭を下げている間も、少女は腕を組んで首を傾げながら「う~ん」と可愛らしく唸って思考していた。
リチェの顔を緊張の汗が滴り落ちる。少女の答え次第では荒事も辞さないと覚悟しており、忍ばせた武器を瞬時に取り出せるように手に神経を集中させる。
そして、ついに結論を出した少女が口を開いた。
「分かったわ。帰してあげてもいいわよ」
少女の言葉にリチェはホッと胸を撫で下ろした。
「ただし、その決定を下す権利は私にはないわ。淵緑の魔女に会わせてあげるから、後はあなたが自分で直接説明して交渉することね」
(これは、またとない絶好の機会だ!)
ターゲットに会わせてくれるという少女からの思いもかけない提案に、リチェは自分の幸運を喜んだ。勿論、答えは決まっている。
「あ、ありがとうございます!」
リチェは内心では自分の幸運を喜んでいたが、思考の面では至って冷静だった。
これは無事に帰れるチャンスではあるが、同時に敵陣に無防備で飛び込む様な危険な賭けでもある。目の前の少女こそ説得に成功はしたが、それはまだ前哨戦でこれからが本番である。なにせ相手は力量が不明な相手だ。リチェの常識や予想が通じない可能性も十分に考えられた。
自分にその事を言い聞かせ、リチェは改めて気持ちを落ち着かせた。
「では、よろしくお願いします」
「ええ任せなさい。……でもその前に、後ろのあなた達は要らないわ」
ドサドサドサ――
「――えっ?」
それは一瞬の出来事だった。
言葉を言い終わると同時に少女がリチェ達の方に手を向け、リチェ達の反応を上回る速さで魔法陣を作り魔術を発動した。ここまではリチェも理解できた。しかしそれがどんな魔術なのか分からない。なにせ普通の魔術と違い、魔法陣からは何も出てこなかったからだ。
そして魔術の発動とほぼ同時に、リチェの背後で何かが倒れる音がした。リチェは恐る恐る振り返ってみると、そこには先程まで元気に立っていたはずの10人の部下達全員が、その場に崩れ落ちる様に倒れている姿があった。
「なっ――!?」
背後で倒れた部下達は既に全員死んでいた。外傷は見当たらず綺麗な状態だ。しかし生気は全く感じられず、少しも残っていなかった。
リチェは今の状況を正確に分析できていた。分析できてはいたが状況はリチェの理解の範疇を超えており、リチェの思考は混乱の渦に放り込まれていた。
「どうして? と言いたそうね。答えは簡単、私は最初からあなたをこれっぽちも信用していないからよ。悪意があると分かっている相手を信用するわけないでしょう?」
「な、何を――」
「もしかしてバレてないと思ってた? 上手く言いくるめて情報を引き出せているとでも思ってた? 残念だけど、私には通用しないわ。
私は最初からここであなた達を始末するつもりだったのよ。これから始末する相手になら情報を流しても問題ないでしょう? だって、どうせ伝えることができなくなるんだから!」
クスクスと笑って楽しそうにネタバラシを始めた少女にリチェは戦慄した。
(森に侵入したことが最初からバレていた。でも正体まではバレてないから誤魔化せば何とかなる? ――甘かった! 相手はそんな低次元の物差しで測れる存在じゃなかった! ターゲットだった淵緑の魔女だけに注意を払いすぎてその他を甘く見積もり過ぎた!
何故脅威が淵緑の魔女だけだと思った!? 馬鹿かッ! ターゲットが計り知れない未知の脅威なら、そこに一緒にいる人物達も同程度の脅威だと考えるは当然だろうが!!)
リチェの後悔は遅すぎた。既に部下達は全滅し、気付けばリチェは死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされていた。殺生権は少女の方にあり、リチェはそれに抗うしか選択肢が残されていなかった。
「さて、本当なら邪魔者はすべて排除するところだけど、『情報源は確保しろ』って言われてるから大人しく私に従ってもらうわよ?」
そう言って、少女は先程と同じように片手をリチェの方に向けて構える。
「くっ!?」
リチェは慌てて行動を開始した。あの魔術がどんな魔術か分からないが、打たれればリチェに成す術がないのは確実だったからだ。リチェは忍ばせた武器を手に取り、魔術を放たれる前に少女との距離を詰めて攻撃を仕掛ける。
リチェは工作部隊を率いているが戦闘が苦手なわけでない。むしろ戦闘能力に関してはサピエル法国内でもかなり高い部類に入る。
リチェは常人離れした強靭な脚力を持っており、その脚力から生み出されるスピードはサピエル法国内でもトップクラスだ。そしてリチェが所持している武器は、極限まで刀身を細く尖らせたレイピアの様な短剣だ。その組合わせを駆使して相手との距離を一瞬で縮めて急所を一突きする、“一撃必殺戦法”こそリチェの得意とする戦法だ。
リチェと少女との距離は既にリチェの射程範囲内であり、少女が先程と同じ魔術を使うなら先に一撃を加えれるのはリチェの方だ。
リチェはその僅かな望みに賭けた。そしてその予想通りに少女が魔術を放つよりも前に、リチェの短剣が少女の心臓の位置を正確に捉えた。リチェの神速の一撃が、少女の魔術発動に勝った瞬間だった。
カキーン――
硬い金属同士がぶつかったような音がした。そしてリチェが見たものは、僅かな望みと共に折れて飛び散った短剣の破片だった。
「――ふ、ふふ、この身体じゃなかったら危ないところだったわ……」
そう言って少女はリチェの短剣が直撃した胸元に目を落として冷や汗を流す。白い衣装には穴が開いていたものの、その下の素肌は傷一つ無く綺麗なままだった。
少女の心臓を貫こうとした短剣は粉々に砕けており、リチェは短剣から伝わってきた、まるで強固な岩石にでもぶつかったようなあり得ない感覚と目に映る現実に理解が追い付かず、一言も発せぬ放心状態に陥っていた。
「私が元の肉体のままだったらあなたが勝っていたでしょうね。それじゃあ、さようなら」
少女の魔術が発動する。
「……なん、で……」
リチェの意識はそれを最後に途切れた。
リチェが抱いていた違和感が、恐怖となって一気に氷解した。
屋敷から出てきた子供が探していたのは、他ならぬリチェ達だったこと。そして今、どういう手段を使ったか不明だが、暗闇に隠れていたはずのリチェ達を見つけたということを。
そしてそれは、一つの事実をリチェに突き付けた。リチェ達の動きはターゲット達に既にバレていたのだ。
となれば、リチェ達に目線を向けている子供が一体何のために屋敷から出て来たのか、その本当の目的をようやく確信した。
リチェのその確信を証明するかのように、子供が今度はリチェ達に聞こえる声量で話しかけてきた。
「ねぇ、そこに隠れてる人達、……全部で11人かな? いるのは分かってるから出てきなさい」
流石にこれにはリチェとその部下達も動揺を隠せなかった。リチェ達の存在に気付いただけでなく、その数さえも正確に見抜かれていたのだから。
リチェの部下たちが、焦りを顔に表しながらリチェを見る。みんなリチェの判断を待っているのだ。
だが、焦っているのはリチェも同様で、どうするのが正しい行動なのか判断に迷っていて、そんな顔で頼られても困るというのが正直な気持ちだった。……しかしリチェがここで文句を言っても事態が好転するわけもなく、必死に頭を回転させて打開策を考えるしかなかった。
(落ち着いて考えるんだ! まず、僕達の存在は既にバレている。どんな手段を使ったか分からないがこれは確定だ。……流石に正体まではバレていないと思いたいけど、相手の力量が不明だからバレている可能性はあるかもしれない……。どちらにしても、取れる選択肢は二つだろう。
一つは、今すぐ全速力でこの森から脱出すること。存在がバレている以上、この場に留まり任務を続行することは実質不可能だ。……しかしあの子供は、完全に暗闇に紛れていた僕達をあっさり見つけ出したんだ。簡単に逃げれるとは限らない。そもそもの話、土地勘の無い森の中から無事に全員脱出することも難しい。
もう一つは、あの子供の言う通り素直ここから出て行き、何とか言いくるめて僕達が危害の無いただの平民だと思わせることだ。それに成功すれば、森の脱出方法を聞き出して無事に逃げることもできるし、もしかしたらターゲットの情報も少しは手に入るかもしれない……)
リチェは二つの可能性を真剣に検討して、無事に脱出できる可能性の高い二つ目の選択肢を選ぶことにした。
「……あの子供と交渉する、全員僕の後に続くんだ。僕が合図するまで絶対に何もしゃべらず、何もするな。上手く口裏を合わせるんだ。いいな?」
小声で部下達に指示を出したリチェは、真っ先に暗闇からゆっくりと姿を出した。
「全員両手を挙げてこっちに来なさい」
「………」
子供の言う通りにリチェ達は両手を挙げ、子供の方へゆっくりと歩いて近づいた。
近づくにつれ、子供の特徴がハッキリ見えてきた。
聞こえてきた声色と遠目から確認した容姿からリチェが予想していた通り、子供は女の子の兎人だった。髪と耳は雪のような白色で、目は宝石のような美しい赤、身長はリチェよりも頭一つ分くらい小さく、年齢はおそらく12歳前後のようだった。
「そこで止まりなさい」
リチェ達は少女から数メートル離れた場所で止められた。この数メートルは何かあっても、咄嗟に動ける余裕を十分作れるほどの距離だった。リチェは上からの態度で命令しているこの少女が指定したこの距離は、自分達を相当警戒している証拠だと思った。
「さて、質問に答えなさい。あなた達はここで何をしているのかしら?」
(最初の質問だ。この質問の返答次第で自分達の印象が決まる……)
極度の緊張感で背中を流れる嫌な汗を感じながら、リチェは質問に答えた。
「ここは……、『淵緑の魔女』様のお屋敷ですか……?」
「……私は、何をしているのかと聞いたはずだったけど?」
的外れどころか質問を質問で返された少女は、明らかに苛立った態度を見せる。更に少女は小さなその体格に似合わない多くの魔力を放出してリチェ達を威嚇した。
それに対してリチェは、慌てた様子で言葉を見繕って謝った。
「あっ、す、すみませんッ! ぼ、僕達はただ、肝試しをしていただけです!」
「……肝試し?」
リチェの口から出た単語が余程予想外だったのか、少女はキョトンとした気の抜けた顔をして、同時に威嚇の為に放出した魔力を引っ込めた。
リチェはチャンスとばかりに、早口で自分達の状況を説明し始める。
「は、はい! 僕達はここから近くの村に最近越してきたばかりで、村に伝わる『淵緑の魔女』という伝承を聞いて、この目で見てみようと思ってこの森に入りました。……しかし、森の中は自分達が予想した以上に複雑で、すぐに迷ってしまったのです……」
リチェの言葉に続くように、部下達は無言で激しく頷いてみせる。
「……それで?」
「はい、僕達はしばらく森を彷徨った末に偶然見つけた道を辿って、ついさっきここに辿り着いたのです。……ただここに来て、『淵緑の魔女は恐ろしい存在で、決して近づいてはいけない』と聞かされた伝承を思い出して、この後どうすればいいか皆でそこで話し合っていたのです」
リチェは振り向いて、目線で先程まで潜んでいた暗闇の場所を差し示した。
「ふ~ん……」
リチェの主張を聞いた少女は、腕を組んでその内容を吟味し始める。
リチェの主張は森に入る前に近くの村で調査したことを基にして、それらしい理由を付けただけの即席物だった。しかし、『淵緑の魔女』の伝承は村で聞いた内容をそのまま使ったし、その村には数日前に数十人が実際に引っ越してきていたのだ。つまりその情報も取り入れていたリチェの主張は、嘘であるのに然も真実の様なかなり信憑性が高いものに仕上がっていた。
これを見破ることはかなり難しい。実際、しばらく吟味していた少女も騙されてリチェの主張を受け入れた。
「……あなた達の状況は理解したわ。大変だったわね。あなたの言う通り、ここがあなた達の言う『淵緑の魔女』のお屋敷よ」
「おお、やはりそうでしたか! (よし、何とか誤魔化せそうだ!)」
少女の労うような反応から、リチェは確かな手応えを感じて少しホッとした。そしてここがチャンスとばかりに、畳みかける。
「もしや、あなた様が淵緑の魔女様ですか?」
「いいえ、私はただの同居人に過ぎないわ。私が出てきたのは、『屋敷の外に誰かいるから見て来て』って、あなた達の言う淵緑の魔女に頼まれただけよ」
「そうだったのですね。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。(成る程、やはり最初から僕達の存在は気付かれていたか)」
リチェは下手に出ながらも友好的な態度で接することで、巧みに少女から必要な情報聞き出していた。
友好的な態度は相手の警戒を解くのに有効だし、更に下手に出ることで相手に優越感を与えて口を軽くさせることもできる。そして話題を振る時は必ず相手が答える側になるように誘導する。
これらは普段からリチェ達『特殊工作部隊』が情報収集する際に用いる常套手段だ。この会話技術でリチェ達はいくつもの情報収集任務や工作活動を、これまで一度も失敗せずに成功させてきた。
リチェは少女とのやり取りで感じた手応えから、今回もその例に漏れないことを確信し始めていた。
(しかし、油断は禁物。なにせ相手は今までで一番得体の知れない存在だ。何がどう転ぶか分からない)
リチェは改めて気を引き締め直す。そして次の一手を切り出した。
「魔女様の森に無断で入った事は謝ります! 図々しいお願いなのは重々承知していますが、どうか僕達を森の外に帰してはくれないでしょうか?」
少女に頭を下げて謝るリチェ。そのリチェの動きに合わせて後ろにいた部下達も頭を下げる。
(……これで向こうがこちらの願いを聞いてくれれば御の字だ。これ以上の調査は正直危険すぎるし、ここで一旦引くのが得策だ。
幸いこの少女から少しは情報を聞き出せたから、収穫が無かったわけじゃない。今後どうするかは手に入れた情報を元に考えればいいんだ。とにかく今は、無事にここから帰れるように努力しないと)
リチェ達が頭を下げている間も、少女は腕を組んで首を傾げながら「う~ん」と可愛らしく唸って思考していた。
リチェの顔を緊張の汗が滴り落ちる。少女の答え次第では荒事も辞さないと覚悟しており、忍ばせた武器を瞬時に取り出せるように手に神経を集中させる。
そして、ついに結論を出した少女が口を開いた。
「分かったわ。帰してあげてもいいわよ」
少女の言葉にリチェはホッと胸を撫で下ろした。
「ただし、その決定を下す権利は私にはないわ。淵緑の魔女に会わせてあげるから、後はあなたが自分で直接説明して交渉することね」
(これは、またとない絶好の機会だ!)
ターゲットに会わせてくれるという少女からの思いもかけない提案に、リチェは自分の幸運を喜んだ。勿論、答えは決まっている。
「あ、ありがとうございます!」
リチェは内心では自分の幸運を喜んでいたが、思考の面では至って冷静だった。
これは無事に帰れるチャンスではあるが、同時に敵陣に無防備で飛び込む様な危険な賭けでもある。目の前の少女こそ説得に成功はしたが、それはまだ前哨戦でこれからが本番である。なにせ相手は力量が不明な相手だ。リチェの常識や予想が通じない可能性も十分に考えられた。
自分にその事を言い聞かせ、リチェは改めて気持ちを落ち着かせた。
「では、よろしくお願いします」
「ええ任せなさい。……でもその前に、後ろのあなた達は要らないわ」
ドサドサドサ――
「――えっ?」
それは一瞬の出来事だった。
言葉を言い終わると同時に少女がリチェ達の方に手を向け、リチェ達の反応を上回る速さで魔法陣を作り魔術を発動した。ここまではリチェも理解できた。しかしそれがどんな魔術なのか分からない。なにせ普通の魔術と違い、魔法陣からは何も出てこなかったからだ。
そして魔術の発動とほぼ同時に、リチェの背後で何かが倒れる音がした。リチェは恐る恐る振り返ってみると、そこには先程まで元気に立っていたはずの10人の部下達全員が、その場に崩れ落ちる様に倒れている姿があった。
「なっ――!?」
背後で倒れた部下達は既に全員死んでいた。外傷は見当たらず綺麗な状態だ。しかし生気は全く感じられず、少しも残っていなかった。
リチェは今の状況を正確に分析できていた。分析できてはいたが状況はリチェの理解の範疇を超えており、リチェの思考は混乱の渦に放り込まれていた。
「どうして? と言いたそうね。答えは簡単、私は最初からあなたをこれっぽちも信用していないからよ。悪意があると分かっている相手を信用するわけないでしょう?」
「な、何を――」
「もしかしてバレてないと思ってた? 上手く言いくるめて情報を引き出せているとでも思ってた? 残念だけど、私には通用しないわ。
私は最初からここであなた達を始末するつもりだったのよ。これから始末する相手になら情報を流しても問題ないでしょう? だって、どうせ伝えることができなくなるんだから!」
クスクスと笑って楽しそうにネタバラシを始めた少女にリチェは戦慄した。
(森に侵入したことが最初からバレていた。でも正体まではバレてないから誤魔化せば何とかなる? ――甘かった! 相手はそんな低次元の物差しで測れる存在じゃなかった! ターゲットだった淵緑の魔女だけに注意を払いすぎてその他を甘く見積もり過ぎた!
何故脅威が淵緑の魔女だけだと思った!? 馬鹿かッ! ターゲットが計り知れない未知の脅威なら、そこに一緒にいる人物達も同程度の脅威だと考えるは当然だろうが!!)
リチェの後悔は遅すぎた。既に部下達は全滅し、気付けばリチェは死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされていた。殺生権は少女の方にあり、リチェはそれに抗うしか選択肢が残されていなかった。
「さて、本当なら邪魔者はすべて排除するところだけど、『情報源は確保しろ』って言われてるから大人しく私に従ってもらうわよ?」
そう言って、少女は先程と同じように片手をリチェの方に向けて構える。
「くっ!?」
リチェは慌てて行動を開始した。あの魔術がどんな魔術か分からないが、打たれればリチェに成す術がないのは確実だったからだ。リチェは忍ばせた武器を手に取り、魔術を放たれる前に少女との距離を詰めて攻撃を仕掛ける。
リチェは工作部隊を率いているが戦闘が苦手なわけでない。むしろ戦闘能力に関してはサピエル法国内でもかなり高い部類に入る。
リチェは常人離れした強靭な脚力を持っており、その脚力から生み出されるスピードはサピエル法国内でもトップクラスだ。そしてリチェが所持している武器は、極限まで刀身を細く尖らせたレイピアの様な短剣だ。その組合わせを駆使して相手との距離を一瞬で縮めて急所を一突きする、“一撃必殺戦法”こそリチェの得意とする戦法だ。
リチェと少女との距離は既にリチェの射程範囲内であり、少女が先程と同じ魔術を使うなら先に一撃を加えれるのはリチェの方だ。
リチェはその僅かな望みに賭けた。そしてその予想通りに少女が魔術を放つよりも前に、リチェの短剣が少女の心臓の位置を正確に捉えた。リチェの神速の一撃が、少女の魔術発動に勝った瞬間だった。
カキーン――
硬い金属同士がぶつかったような音がした。そしてリチェが見たものは、僅かな望みと共に折れて飛び散った短剣の破片だった。
「――ふ、ふふ、この身体じゃなかったら危ないところだったわ……」
そう言って少女はリチェの短剣が直撃した胸元に目を落として冷や汗を流す。白い衣装には穴が開いていたものの、その下の素肌は傷一つ無く綺麗なままだった。
少女の心臓を貫こうとした短剣は粉々に砕けており、リチェは短剣から伝わってきた、まるで強固な岩石にでもぶつかったようなあり得ない感覚と目に映る現実に理解が追い付かず、一言も発せぬ放心状態に陥っていた。
「私が元の肉体のままだったらあなたが勝っていたでしょうね。それじゃあ、さようなら」
少女の魔術が発動する。
「……なん、で……」
リチェの意識はそれを最後に途切れた。