残酷な描写あり
番外編1-1 師弟の絆
屋敷を襲撃した奴を捕らえた後、我は自室に戻っていた。
我の自室はセレスティアと同様に屋敷の地下にある。地下にある為に自室には外から明かりを取り入れる窓は存在せず、自室の中を照らすのは片手で数えれる数の照明だけだ。
そこそこ広い自室のはずだが、床や机には魔術書や研究道具があちこちに置いてあるので少々狭く感じる。その所為か偶に様子を見に来るアインに自室を勝手に片付けられたりする。しかし我からすれば、多少散らかっている方が研究に身が入るのだ。
我は何度もそうアインに伝えたのだが、アインは頑なに整理整頓をしたがるので、その内に我も諦めて勝手にやらせるようにした。今では我の研究の邪魔にならない様に、且つ我の研究の傾向に合わせて研究に関連した物を見やすい位置や取りやすい位置に整理してくれるようになった。
我は一度そんなアインに、頑なに整理整頓したがる理由を聞いたことがある。するとアインは、「ミューダ様、私がしなければ代わりにニーナが押しかけてきますよ? 掃除に異常なまでの情熱を燃やすニーナが横で忙しなく片付けをしていれば研究の邪魔になるでしょう?」と言った。
確かに掃除中のアインは一言も言葉を発せずに黙々と静かにこなしてくれるので、研究の邪魔になった事は今まで一度もない。一方これがニーナなら、大きな独り言をつぶやきながら騒がしく掃除をして我の気を紛らわせて邪魔になるのは間違いない。
この時から我はアインの使用人としての優秀さを改めて痛感し、アインを深く信頼するようになった。
背凭れの広い椅子に体重を預けながら、我は分厚い本を読んでいた。手元を明るく照らす光の残光を頼りに、ふと部屋を見回した。さっきも言ったが、自室の中はあちこちに物が置かれている。
(……この様子だと、明日にでもアインが掃除に来るだろうな)
何度も同じことを繰り返していると、いつの間にか我は部屋の散らかり具合からアインが掃除に来るタイミングが何となく読める様になってた。
我は座ったまま扉に向かって魔術を発動して、カチャリと自室の扉の鍵を開けておく。普段は勝手に人が入ってこない様に鍵を閉めておくのだが、それではアインが入れないのでこうして事前に鍵を開けておくのが今や習慣になっていた。
下準備を済ませた我は、再び手元の本に視線を落として続きを読み始めた。
静寂に時々響くペラペラとページを捲る心地良い音だけが、自室に存在する唯一の音だった。
今読んでいる分厚い本は、以前セレスティアが貿易都市に行った時に買ってきてくれた本だ。内容は貿易都市の教本で、貿易都市建設の経緯と歴史、現在の組織体系の構築過程や貿易都市の条例が書かれている。書かれている内容は我の研究に関係ないものばかりだったが、これはこれで新しい知識が手に入るので面白かった。
我がそうして本を夢中で捲っていると、自室の扉が静かに開く音がした。そして人が入って来て、静かに扉を閉める気配を感じた。
いつものアインの入り方だった。だから我はいつものように視線を向けたり挨拶をしたりもすることなく、自分のしたいことに没頭したままでいることにした。
「……師匠」
その瞬間、我の心臓が珍しく跳ねた。
聞こえた声はアインのものではなかった。そして我の事をその呼び方で呼ぶ人物は、この屋敷にたった一人しかいない。
扉の方に振り向くと、そこには我の予測を肯定する様に、ユノが扉を背にして立っていた。
「……ユノ、何の用だ?」
我の警戒度が上がる。ユノは事あるごとに愛だの何だのと言って我に襲い掛かってくる。今は“隷属の楔”のお陰で我の一声でユノの動きをすぐに封じることが出来るが、油断は禁物だ。
ユノの実力を知らない我ではない。少しでも捕まれば非常に厄介な相手だし、何よりここは我の自室で暴れられては困る。ここには研究に必要な色々な物や機材があるのだ。壊されたら堪ったものではない! 何としても襲い掛かられるよりも先に、ユノの動きを封じなければ!
少しの動きも見逃さない様に、我はユノを凝視して集中する。
「………」
しかし不思議なことに、ユノは一向に動く素振りをみせず俯き加減でどこかやる気を感じられなかった。
……よく見れば、ユノは眉を顰めた表情をしており、顔色も良くなかった。
何かおかしいと感じた我は、とりあえず警戒を解いてユノに問いかけてみることにした。
「一体どうしたのだユノ? 具合が悪そうではないか」
「……」
我の問いかけにユノは俯いて答えない。そして俯いたまま、我の方にゆっくりと近づいてくる。
やっぱり何かするつもりなのかと思って再び警戒したものの、やはり今のユノはどこかいつもの勢いと気迫を感じない。
そんないつもと違うユノの態度にどう行動すべきか悩んでいると、我の傍までやって来たユノは我の胸に飛び込んで抱き付いてきた。
「ユノ、何を――」
その時我は初めて、ユノが震えていたことに気が付いた。普通じゃないユノの状態に、抱き付いたことを叱ろうとした言葉がスッと引っ込んだ。
「すみません師匠、どうかしばらく、このままで……」
そう弱々しく縛り出すように発したユノの震える声を聞いて、我はユノを突き放すことが出来なかった。
ユノは泣くでもなく、弱音を吐くわけでもなく、何をするわけでもなく、ただ我の胸の中で震えていた。寒さに震える体を温める様に。
しばらく時間が流れた後、ユノの震えは治まった。しかしユノは未だに我から離れようとはしない。……そういえば、以前もこんなことがあった気がする。あれは何時のことだっただろうか?
我が昔の記憶を掘り起こしていると、落ち着いたユノが口を開いた。
「……突然すみませんでした師匠、落ち着いてきました」
「構わぬ。それより、一体どうしたというのだ?」
「……昔を、思い出したんです。遠い昔、私がまだ子供で、魔術の何たるかも知らなかった時のことを……」
小さくユノはそう呟いた。その言葉を聞いて、我の記憶が蘇ってきた。
「……そうか、確か以前にもこんなことがあったな。あれはそう、ユノを拾って間もない頃だったか?」
「はい、そうです。思い出してくれたんですね」
ユノは少し嬉しそうな声を出した。
「ああ、思い出したとも。拾って間もないユノは毎日のように怯えて震え、今みたいに我の胸の中で泣いていたな」
「あの時から師匠は、何かあれば私を優しくあやしてくれました。私の苦しみを理解してくれて、いつも真剣に向き合ってくれたそんな師匠の優しさに、私は惚れたんですよ?」
我の目を真っ直ぐ見つめながら、ユノは照れたように顔を赤めらせそう言った。普段から愛だの何だの言って暴れているのと同一人物とはとても思えない、実にしおらしい態度だった。
普段からこうだったら、誰も迷惑しないのだがな……。
「……それで、どうしてまた昔の事など思い出したのだ?」
そう、ここが肝心な部分だ。拾って数年でユノは心もしっかり成長して、それ以来泣くこともこんな態度を取ることも無くなったはずだった。
それが今何故、昔の事を思い出して昔のように戻ってしまったのか?何か原因があるはずだ。
原因を探ろうとする我の問いに、ユノは口を重々しく開いてこう言った。
「……数刻前、森に侵入した者達の魂の色が、師匠と出会う前に私の村を襲った奴らと、同じ色をしてました……。そして、リチェに攻撃されたことが切っ掛けで……」
「その時の事を思い出してしまったと?」
ユノはコクリと頷いて肯定する。
「そうか……」
我はユノの頭を優しく撫でた。
「それは辛かったな……」
撫でられたユノは、再び我の胸に顔を深く埋めた。
そのまましばらく、我はユノがいつもの元気を取り戻すまで頭を撫で続けてやった。
我の自室はセレスティアと同様に屋敷の地下にある。地下にある為に自室には外から明かりを取り入れる窓は存在せず、自室の中を照らすのは片手で数えれる数の照明だけだ。
そこそこ広い自室のはずだが、床や机には魔術書や研究道具があちこちに置いてあるので少々狭く感じる。その所為か偶に様子を見に来るアインに自室を勝手に片付けられたりする。しかし我からすれば、多少散らかっている方が研究に身が入るのだ。
我は何度もそうアインに伝えたのだが、アインは頑なに整理整頓をしたがるので、その内に我も諦めて勝手にやらせるようにした。今では我の研究の邪魔にならない様に、且つ我の研究の傾向に合わせて研究に関連した物を見やすい位置や取りやすい位置に整理してくれるようになった。
我は一度そんなアインに、頑なに整理整頓したがる理由を聞いたことがある。するとアインは、「ミューダ様、私がしなければ代わりにニーナが押しかけてきますよ? 掃除に異常なまでの情熱を燃やすニーナが横で忙しなく片付けをしていれば研究の邪魔になるでしょう?」と言った。
確かに掃除中のアインは一言も言葉を発せずに黙々と静かにこなしてくれるので、研究の邪魔になった事は今まで一度もない。一方これがニーナなら、大きな独り言をつぶやきながら騒がしく掃除をして我の気を紛らわせて邪魔になるのは間違いない。
この時から我はアインの使用人としての優秀さを改めて痛感し、アインを深く信頼するようになった。
背凭れの広い椅子に体重を預けながら、我は分厚い本を読んでいた。手元を明るく照らす光の残光を頼りに、ふと部屋を見回した。さっきも言ったが、自室の中はあちこちに物が置かれている。
(……この様子だと、明日にでもアインが掃除に来るだろうな)
何度も同じことを繰り返していると、いつの間にか我は部屋の散らかり具合からアインが掃除に来るタイミングが何となく読める様になってた。
我は座ったまま扉に向かって魔術を発動して、カチャリと自室の扉の鍵を開けておく。普段は勝手に人が入ってこない様に鍵を閉めておくのだが、それではアインが入れないのでこうして事前に鍵を開けておくのが今や習慣になっていた。
下準備を済ませた我は、再び手元の本に視線を落として続きを読み始めた。
静寂に時々響くペラペラとページを捲る心地良い音だけが、自室に存在する唯一の音だった。
今読んでいる分厚い本は、以前セレスティアが貿易都市に行った時に買ってきてくれた本だ。内容は貿易都市の教本で、貿易都市建設の経緯と歴史、現在の組織体系の構築過程や貿易都市の条例が書かれている。書かれている内容は我の研究に関係ないものばかりだったが、これはこれで新しい知識が手に入るので面白かった。
我がそうして本を夢中で捲っていると、自室の扉が静かに開く音がした。そして人が入って来て、静かに扉を閉める気配を感じた。
いつものアインの入り方だった。だから我はいつものように視線を向けたり挨拶をしたりもすることなく、自分のしたいことに没頭したままでいることにした。
「……師匠」
その瞬間、我の心臓が珍しく跳ねた。
聞こえた声はアインのものではなかった。そして我の事をその呼び方で呼ぶ人物は、この屋敷にたった一人しかいない。
扉の方に振り向くと、そこには我の予測を肯定する様に、ユノが扉を背にして立っていた。
「……ユノ、何の用だ?」
我の警戒度が上がる。ユノは事あるごとに愛だの何だのと言って我に襲い掛かってくる。今は“隷属の楔”のお陰で我の一声でユノの動きをすぐに封じることが出来るが、油断は禁物だ。
ユノの実力を知らない我ではない。少しでも捕まれば非常に厄介な相手だし、何よりここは我の自室で暴れられては困る。ここには研究に必要な色々な物や機材があるのだ。壊されたら堪ったものではない! 何としても襲い掛かられるよりも先に、ユノの動きを封じなければ!
少しの動きも見逃さない様に、我はユノを凝視して集中する。
「………」
しかし不思議なことに、ユノは一向に動く素振りをみせず俯き加減でどこかやる気を感じられなかった。
……よく見れば、ユノは眉を顰めた表情をしており、顔色も良くなかった。
何かおかしいと感じた我は、とりあえず警戒を解いてユノに問いかけてみることにした。
「一体どうしたのだユノ? 具合が悪そうではないか」
「……」
我の問いかけにユノは俯いて答えない。そして俯いたまま、我の方にゆっくりと近づいてくる。
やっぱり何かするつもりなのかと思って再び警戒したものの、やはり今のユノはどこかいつもの勢いと気迫を感じない。
そんないつもと違うユノの態度にどう行動すべきか悩んでいると、我の傍までやって来たユノは我の胸に飛び込んで抱き付いてきた。
「ユノ、何を――」
その時我は初めて、ユノが震えていたことに気が付いた。普通じゃないユノの状態に、抱き付いたことを叱ろうとした言葉がスッと引っ込んだ。
「すみません師匠、どうかしばらく、このままで……」
そう弱々しく縛り出すように発したユノの震える声を聞いて、我はユノを突き放すことが出来なかった。
ユノは泣くでもなく、弱音を吐くわけでもなく、何をするわけでもなく、ただ我の胸の中で震えていた。寒さに震える体を温める様に。
しばらく時間が流れた後、ユノの震えは治まった。しかしユノは未だに我から離れようとはしない。……そういえば、以前もこんなことがあった気がする。あれは何時のことだっただろうか?
我が昔の記憶を掘り起こしていると、落ち着いたユノが口を開いた。
「……突然すみませんでした師匠、落ち着いてきました」
「構わぬ。それより、一体どうしたというのだ?」
「……昔を、思い出したんです。遠い昔、私がまだ子供で、魔術の何たるかも知らなかった時のことを……」
小さくユノはそう呟いた。その言葉を聞いて、我の記憶が蘇ってきた。
「……そうか、確か以前にもこんなことがあったな。あれはそう、ユノを拾って間もない頃だったか?」
「はい、そうです。思い出してくれたんですね」
ユノは少し嬉しそうな声を出した。
「ああ、思い出したとも。拾って間もないユノは毎日のように怯えて震え、今みたいに我の胸の中で泣いていたな」
「あの時から師匠は、何かあれば私を優しくあやしてくれました。私の苦しみを理解してくれて、いつも真剣に向き合ってくれたそんな師匠の優しさに、私は惚れたんですよ?」
我の目を真っ直ぐ見つめながら、ユノは照れたように顔を赤めらせそう言った。普段から愛だの何だの言って暴れているのと同一人物とはとても思えない、実にしおらしい態度だった。
普段からこうだったら、誰も迷惑しないのだがな……。
「……それで、どうしてまた昔の事など思い出したのだ?」
そう、ここが肝心な部分だ。拾って数年でユノは心もしっかり成長して、それ以来泣くこともこんな態度を取ることも無くなったはずだった。
それが今何故、昔の事を思い出して昔のように戻ってしまったのか?何か原因があるはずだ。
原因を探ろうとする我の問いに、ユノは口を重々しく開いてこう言った。
「……数刻前、森に侵入した者達の魂の色が、師匠と出会う前に私の村を襲った奴らと、同じ色をしてました……。そして、リチェに攻撃されたことが切っ掛けで……」
「その時の事を思い出してしまったと?」
ユノはコクリと頷いて肯定する。
「そうか……」
我はユノの頭を優しく撫でた。
「それは辛かったな……」
撫でられたユノは、再び我の胸に顔を深く埋めた。
そのまましばらく、我はユノがいつもの元気を取り戻すまで頭を撫で続けてやった。