残酷な描写あり
146.崩落の王都で
ムーア王国の王都が陥落して二日が経った。
王城に数ある応接間の一室で、“王権派”の纏め役を努めるドウェイン・ハッセ大公が忙しなく書類を処理していた。
その顔には明らかに疲れが見えており、目の下には不眠で作業をしている跡が出来ている。最近増え始めた小皺がより一層濃くなり、書類を処理する手の動きもどこかぎこちない。
ハッセ大公の心労が大きいことは、誰の目にも明らかだった。
「失礼します」
そんな中、応接間にマッシュバーン侯爵がやって来た。
「おお、マッシュバーン侯爵、よく来てくれた」
マッシュバーン侯爵の姿を見たハッセ大公は、ずっと動かせていた書類処理の手を止めてマッシュバーン侯爵を明るく出迎えようとした。
しかしどれだけ取り繕っても、その疲労の気配を隠すことは出来なかった。当然、マッシュバーン侯爵もそれに気づいた。
「……ハッセ大公、あまりご無理をなされてはいけませんぞ」
「……心配させてしまったか。私も演技が下手になったものだな……」
「ハッセ大公……」
ハッセ大公はそう言って苦笑いを浮かべるが、ハッセ大公の心労が分かっているマッシュバーン侯爵はそれに対して何も言葉を返せなかった。
「まあ、今は私の事はどうでもよい。……王都が陥落してもう二日が経つ。貴殿達の尽力のお陰で、王都の混乱もかなり収まってきた。それと同時に、次の準備も完了しつつある。……マッシュバーン侯爵にはその旨を、サピエル法国の方々に伝えてきて欲しいのだ」
「と、いうことは!?」
「ああそうだ。あとは我々の新しい王をお迎えするだけだ!」
ハッセ大公の力の籠った言葉に、マッシュバーン侯爵は胸の奥から何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「分かりました! しっかりと伝えて参ります!!」
マッシュバーン侯爵はそう言うと駆け足で応接室を飛び出して、サピエル法国軍が待機している王都の外に向かって走って行った。
その様を見送ったハッセ大公は椅子の背もたれに体重を預けると、溜まりに溜まった疲れを吐き出すように大きく息を吐いた。
そんなことをしても疲れが取れるわけではないが、少しは気持ちが軽くなったような幻覚は味わえた。
一息ついて椅子から立ち上がると、ハッセ大公は窓の外を見た。窓の外には王城を中心に囲う城下町が広がっており、城下町を忙しく動き回る貴族軍の兵士達の姿を小さく確認することが出来る。
そしてあちこちにいる兵士達に気を付けながらも、普段通りに近い生活を送っている城下町に暮らす民衆の姿も見て取れた。
「……王都の混乱も収まり、今のところ国王陛下の崩御を民達に悟られてはいない。当初の目論見は崩れてしまったが、まだ取り返すことは出来る!」
ハッセ大公は自らに言い聞かせるように呟くと、再び椅子に座り直し、残された書類の処理を再開し始めた。
「その為にも、今は私の手で王都の問題を解決し、主導権を掌握しなければならぬ……!」
突然の強襲に混乱していた王都も、現在はハッセ大公の命令の下に動いた“王権派”貴族達のおかげで落ち着きを取り戻していた。
“王権派”の貴族達はムーア王国を裏切ったと言っても、その目的はムーア王国の政権を自分達に都合の良い物にしたいだけで、ムーア王国を滅ぼす気などは元々無い。
ムーア44世が崩御し、新国王となるルーカス・ムーアも現在は王都から逃れている。国王という指導者がおらず、陥落してしまった今の王都を放置してしまえば、後々に大きな傷跡を残しかねない。
それは“王権派”貴族達にとっても避けたい事態であった。
だからハッセ大公達は必死になって、王都の混乱を落ち着かせていたのだ。
「できれば、クランツ公爵とウルマン伯爵がルーカス様の情報を持ち帰ってくれればいいのだがな……」
ムーア44世を傀儡にするはずだったのが目の前で崩御し、新しい国王となるはずのルーカスは“新権派”貴族がいるプアボム公国方面へと亡命してしまった。
現在クランツ公爵とウルマン伯爵がルーカスを追いかけてはいるが、追いついたとしてもルーカスの確保は難しいだろうとハッセ大公は考えていた。
というのも、クランツ公爵とウルマン伯爵の戦力は騎馬兵がたった200人だ。それに対してルーカスが率いているのは王国軍第一騎士団で、その兵力は約5万人である。例え二人が追い付いたところで、ルーカスを確保するのは不可能だ。
クランツ公爵とウルマン伯爵の二人が出来ることと言えば、ルーカスが現在何処にいるかの正確な情報を持ち帰って来ることぐらいだろう。
その情報があれば、ハッセ大公達もルーカスの確保に向けて十分な作戦を練ることが出来るはずである。
「……だが、彼等が戻って来るのを気長に待つ時間的余裕は我々にはない。我々にとって時間は敵だからな」
ルーカスの所在に関する情報は必要ではあるが、この後の計画に必須という訳ではない。要はルーカスの確保に万全を期すために、ルーカスに関する情報は少しでも多く集めたいだけなのだ。
しかしそれに拘っているわけにはいかない。
既に王都を攻略して二日が経っており、そろそろ王都陥落の情報は他国にも伝わっている頃である。
これ以上時間を浪費してしまうことは、ルーカスやプアボム公国やブロキュオン帝国に反撃の準備を整える時間を与えてしまうだけである。そうなればせっかく電撃戦を仕掛けた優位性を失ってしまう。
それはハッセ大公達“王権派”にとっても、サピエル法国にとっても避けたい事態だ。
今、王都の混乱は収まり、遅れて出撃してきた各領主軍の兵力も集まり次の出撃の準備はほぼ完了した。
我ながらここまで迅速に処理を進められたことに、ハッセ大公は内心では満足していた。
しかし同時に、ある疑問がハッセ大公の頭から離れなかった。
「……しかし、気になるのはサピエル法国の動きだな。ここまで意表を突いた完璧な電撃戦を仕掛けたというのに、何故王都を陥落させてからすぐに次の行動に移らない?」
サピエル法国軍は王都を陥落させてすぐに、「我々は次の進軍の準備を整える。“王権派”の方々は王都の混乱を収めるのに専念されよ」とハッセ大公達に言うと、王都の外に陣地を張ってそれから一歩も動きを見せていなかった。
ハッセ大公はそんなサピエル法国の行動の意図が読めずにいたのである。
「時間は彼等にとっても敵だ。王都攻めの時に抵抗はあったものの、すぐに降伏宣言が出されたことで被害はほぼ無かったはずだ。彼等の戦力なら私達の力がなくても十分なはずなのに、一体“何を”準備していたと言うのだ?
それに――」
ハッセ大公は再び立ち上がると窓の外を見る。
視線の先には堅牢な城壁に無残に空いた大きな穴が見えた。
それは王都を攻める際にサピエル法国の魔術師が放った、見たこともない強力な魔術が破壊した跡であった。
「あのような“化け物”がいるなんて、聞いていないぞ……! 何故私達に隠していたのだ!?」
“王権派”とサピエル法国の繋がりは昔からあった。今までにもお互いの国の情報を交換したりと、取引をしたりして友好的な関係性を構築していたのである。
しかし、サピエル法国が電撃戦をすぐに仕掛けれる程の戦争の準備をしていたことも、城壁をいともたやすく破壊できる化け物級の魔術師の存在も、“王権派”の誰一人として知らされていなかった。
「もし知っていたら、もっと簡単に計画を進めることが出来たはずだ……!」
サピエル法国との戦力差を知っていたなら、ムーア44世を“王権派”側に引き込むこともできたかもしれない。
そんな可能性があったかもしれない未来の事を考え、ハッセ大公は拳を力強く握りしめて悔しさを吐き出すように声を荒げたが、ふと我に帰ったようにまた椅子に座って机に向かい直した。
「……何を言っているのだ私は……。そもそも、そのような秘密を国外の者に打ち明ける訳がないではないか!」
常識的に考えて、戦争の準備も化け物級の魔術師の存在も国家機密に関わるような情報である。そのような情報を如何に親しいとはいえ、ただの友好的な関係しかない者に話すバカなどいるわけがなかった。
「そんなことを考えて潰えた可能性を嘆く暇があるなら、今ある可能性に全力を注ぐべきであろうが!」
自らを叱咤するようにそう強く言葉を吐き出した後、ハッセ大公は邪念を払うように黙々と書類を処理していくのだった。
王城に数ある応接間の一室で、“王権派”の纏め役を努めるドウェイン・ハッセ大公が忙しなく書類を処理していた。
その顔には明らかに疲れが見えており、目の下には不眠で作業をしている跡が出来ている。最近増え始めた小皺がより一層濃くなり、書類を処理する手の動きもどこかぎこちない。
ハッセ大公の心労が大きいことは、誰の目にも明らかだった。
「失礼します」
そんな中、応接間にマッシュバーン侯爵がやって来た。
「おお、マッシュバーン侯爵、よく来てくれた」
マッシュバーン侯爵の姿を見たハッセ大公は、ずっと動かせていた書類処理の手を止めてマッシュバーン侯爵を明るく出迎えようとした。
しかしどれだけ取り繕っても、その疲労の気配を隠すことは出来なかった。当然、マッシュバーン侯爵もそれに気づいた。
「……ハッセ大公、あまりご無理をなされてはいけませんぞ」
「……心配させてしまったか。私も演技が下手になったものだな……」
「ハッセ大公……」
ハッセ大公はそう言って苦笑いを浮かべるが、ハッセ大公の心労が分かっているマッシュバーン侯爵はそれに対して何も言葉を返せなかった。
「まあ、今は私の事はどうでもよい。……王都が陥落してもう二日が経つ。貴殿達の尽力のお陰で、王都の混乱もかなり収まってきた。それと同時に、次の準備も完了しつつある。……マッシュバーン侯爵にはその旨を、サピエル法国の方々に伝えてきて欲しいのだ」
「と、いうことは!?」
「ああそうだ。あとは我々の新しい王をお迎えするだけだ!」
ハッセ大公の力の籠った言葉に、マッシュバーン侯爵は胸の奥から何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「分かりました! しっかりと伝えて参ります!!」
マッシュバーン侯爵はそう言うと駆け足で応接室を飛び出して、サピエル法国軍が待機している王都の外に向かって走って行った。
その様を見送ったハッセ大公は椅子の背もたれに体重を預けると、溜まりに溜まった疲れを吐き出すように大きく息を吐いた。
そんなことをしても疲れが取れるわけではないが、少しは気持ちが軽くなったような幻覚は味わえた。
一息ついて椅子から立ち上がると、ハッセ大公は窓の外を見た。窓の外には王城を中心に囲う城下町が広がっており、城下町を忙しく動き回る貴族軍の兵士達の姿を小さく確認することが出来る。
そしてあちこちにいる兵士達に気を付けながらも、普段通りに近い生活を送っている城下町に暮らす民衆の姿も見て取れた。
「……王都の混乱も収まり、今のところ国王陛下の崩御を民達に悟られてはいない。当初の目論見は崩れてしまったが、まだ取り返すことは出来る!」
ハッセ大公は自らに言い聞かせるように呟くと、再び椅子に座り直し、残された書類の処理を再開し始めた。
「その為にも、今は私の手で王都の問題を解決し、主導権を掌握しなければならぬ……!」
突然の強襲に混乱していた王都も、現在はハッセ大公の命令の下に動いた“王権派”貴族達のおかげで落ち着きを取り戻していた。
“王権派”の貴族達はムーア王国を裏切ったと言っても、その目的はムーア王国の政権を自分達に都合の良い物にしたいだけで、ムーア王国を滅ぼす気などは元々無い。
ムーア44世が崩御し、新国王となるルーカス・ムーアも現在は王都から逃れている。国王という指導者がおらず、陥落してしまった今の王都を放置してしまえば、後々に大きな傷跡を残しかねない。
それは“王権派”貴族達にとっても避けたい事態であった。
だからハッセ大公達は必死になって、王都の混乱を落ち着かせていたのだ。
「できれば、クランツ公爵とウルマン伯爵がルーカス様の情報を持ち帰ってくれればいいのだがな……」
ムーア44世を傀儡にするはずだったのが目の前で崩御し、新しい国王となるはずのルーカスは“新権派”貴族がいるプアボム公国方面へと亡命してしまった。
現在クランツ公爵とウルマン伯爵がルーカスを追いかけてはいるが、追いついたとしてもルーカスの確保は難しいだろうとハッセ大公は考えていた。
というのも、クランツ公爵とウルマン伯爵の戦力は騎馬兵がたった200人だ。それに対してルーカスが率いているのは王国軍第一騎士団で、その兵力は約5万人である。例え二人が追い付いたところで、ルーカスを確保するのは不可能だ。
クランツ公爵とウルマン伯爵の二人が出来ることと言えば、ルーカスが現在何処にいるかの正確な情報を持ち帰って来ることぐらいだろう。
その情報があれば、ハッセ大公達もルーカスの確保に向けて十分な作戦を練ることが出来るはずである。
「……だが、彼等が戻って来るのを気長に待つ時間的余裕は我々にはない。我々にとって時間は敵だからな」
ルーカスの所在に関する情報は必要ではあるが、この後の計画に必須という訳ではない。要はルーカスの確保に万全を期すために、ルーカスに関する情報は少しでも多く集めたいだけなのだ。
しかしそれに拘っているわけにはいかない。
既に王都を攻略して二日が経っており、そろそろ王都陥落の情報は他国にも伝わっている頃である。
これ以上時間を浪費してしまうことは、ルーカスやプアボム公国やブロキュオン帝国に反撃の準備を整える時間を与えてしまうだけである。そうなればせっかく電撃戦を仕掛けた優位性を失ってしまう。
それはハッセ大公達“王権派”にとっても、サピエル法国にとっても避けたい事態だ。
今、王都の混乱は収まり、遅れて出撃してきた各領主軍の兵力も集まり次の出撃の準備はほぼ完了した。
我ながらここまで迅速に処理を進められたことに、ハッセ大公は内心では満足していた。
しかし同時に、ある疑問がハッセ大公の頭から離れなかった。
「……しかし、気になるのはサピエル法国の動きだな。ここまで意表を突いた完璧な電撃戦を仕掛けたというのに、何故王都を陥落させてからすぐに次の行動に移らない?」
サピエル法国軍は王都を陥落させてすぐに、「我々は次の進軍の準備を整える。“王権派”の方々は王都の混乱を収めるのに専念されよ」とハッセ大公達に言うと、王都の外に陣地を張ってそれから一歩も動きを見せていなかった。
ハッセ大公はそんなサピエル法国の行動の意図が読めずにいたのである。
「時間は彼等にとっても敵だ。王都攻めの時に抵抗はあったものの、すぐに降伏宣言が出されたことで被害はほぼ無かったはずだ。彼等の戦力なら私達の力がなくても十分なはずなのに、一体“何を”準備していたと言うのだ?
それに――」
ハッセ大公は再び立ち上がると窓の外を見る。
視線の先には堅牢な城壁に無残に空いた大きな穴が見えた。
それは王都を攻める際にサピエル法国の魔術師が放った、見たこともない強力な魔術が破壊した跡であった。
「あのような“化け物”がいるなんて、聞いていないぞ……! 何故私達に隠していたのだ!?」
“王権派”とサピエル法国の繋がりは昔からあった。今までにもお互いの国の情報を交換したりと、取引をしたりして友好的な関係性を構築していたのである。
しかし、サピエル法国が電撃戦をすぐに仕掛けれる程の戦争の準備をしていたことも、城壁をいともたやすく破壊できる化け物級の魔術師の存在も、“王権派”の誰一人として知らされていなかった。
「もし知っていたら、もっと簡単に計画を進めることが出来たはずだ……!」
サピエル法国との戦力差を知っていたなら、ムーア44世を“王権派”側に引き込むこともできたかもしれない。
そんな可能性があったかもしれない未来の事を考え、ハッセ大公は拳を力強く握りしめて悔しさを吐き出すように声を荒げたが、ふと我に帰ったようにまた椅子に座って机に向かい直した。
「……何を言っているのだ私は……。そもそも、そのような秘密を国外の者に打ち明ける訳がないではないか!」
常識的に考えて、戦争の準備も化け物級の魔術師の存在も国家機密に関わるような情報である。そのような情報を如何に親しいとはいえ、ただの友好的な関係しかない者に話すバカなどいるわけがなかった。
「そんなことを考えて潰えた可能性を嘆く暇があるなら、今ある可能性に全力を注ぐべきであろうが!」
自らを叱咤するようにそう強く言葉を吐き出した後、ハッセ大公は邪念を払うように黙々と書類を処理していくのだった。