残酷な描写あり
147.神の片鱗
ムーア王国の王都を陥落させたサピエル法国軍は、王都の西門の正面、つまり貿易都市に続く街道側の場所に移動して陣を張っていた。
その陣地の中央に、多くの兵士に警備された一際豪華な装飾が施された白い天幕が張ってある。
その天幕は他の天幕よりも数倍の大きさがあり、常識的に見ても通常の軍隊が使用する天幕とは一線を画す佇まいをしている。
だがしかし、その天幕を悪い言い方で表現すれば、『無駄』の一言である。
軍事行動する上で最も大切なのは、『効率』と『機動力』だ。この天幕は巨大であり、その設営や撤収に掛かる時間、運搬する手間を考えれば、軍事行動する上で最も必要のない物だと言わざるを得ないだろう。
しかし、それでもあえてサピエル法国軍がこのような巨大な天幕を使用しているのには理由がある。
それはこの天幕を使用する人間が、それに見合う程の地位と権力、そして“絶対的な力”を有しているからに他ならない。
「失礼します」
巨大な天幕の入り口を捲り上げ、一人の女性が中に入って来る。出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる、そんな艶麗でグラマーな体型をした美しい熟女だ。
彼女の名は『ラーシュ』。サピエル法国で教皇の次に権力を持つ大司教であり、サピエル7世を守護する4人の教皇親衛隊の一人でもある女性だ。
「祈祷中に申し訳ありません」
そんな彼女が畏まった態度で、天幕の中に設置された縮小サイズの祭壇で祈祷を捧げていた人物に頭を下げる。
「よい。気にするな」
その人物は祈祷を邪魔されたことを気にした様子もなくそう言うと、祈祷を途中で切り上げて天幕に入って来たラーシュに身体を向けて出迎えた。
その人物は純白で綺麗な装飾の施されたローブで身を包み、ローブと同色の白い髪をした若い男だった。
身長は小さくも大きくもない平均的で、体系も同様に細くもなく太くもない平均的な体系をしている。
……しかし、その男が纏っている魔力は、平均的という言葉からあまりにも遠くかけ離れてた出鱈目なものであった。
魔術師としても強者の部類に入るラーシュでさえ、天幕に入ってから男から僅かに漏れているその魔力に気圧されて簡単に動けなくなっているほどである。
「どうしたのじゃ、ラーシュ? ワシに何か話があって来たのであろう? だったらそんな入り口に立っておらんでもっと近くに来たらどうだ?」
そんなラーシュの状況を知ってか知らずか、男は軽い口調でラーシュに近くに来るように言った。
「――は、はい!」
その声に我に返ったように、ラーシュは歩みを進めると男の前で跪いた。
天幕の入り口でも気圧されるほどだったのに、男に近寄ったことで男から漏れ出る魔力をもろに浴び、ラーシュは思わず身体を震わせた。
「それで、何があったのだ?」
「は、はい。先程マッシュバーン侯爵が、王都の混乱を無事に収めた事と、次の出撃の準備が完了した事を伝えに来ましたので、その報告を」
「ほう? 王都の混乱をもう収めたというのか? ……ふむ、もう少し掛かると思っておったが、これはハッセ大公の統率力の高さと手腕を誉めるべきじゃろうな」
男の予想に反して早く成果を上げたハッセ大公の統率力と手腕を、男は素直に褒めるように言葉を口にする。
そしてこの予想に反したハッセ大公の成果は、男にとっては都合の良いのもであった。
「まあ、早めに動けるようになってくれたのは、ワシらにとっても都合が良い。調度、ワシもこの新しい肉体に慣れてきたところだからな」
男は拳を何度も握り、体の感触を確かめる様にそう言った。
「では?」
「うむ、作戦を予定通り進行させるとしよう!」
男の力強い言葉にラーシュは大きく目を見開き、瞳に歓喜を輝かせた。
「いよいよですわね!」
「ああ! ラーシュ、全軍に伝えるのじゃ。進軍再開は明日の明朝。『サピエル神の神託に変更無し! 神命に従え!』とな!」
「ははっ! 全ては“教皇様”の御心のままに!!」
◆ ◆
夜が更ける頃、明日の出撃準備を済ませたラーシュは自分の天幕に戻り寝床で横になっていた。
「ふぅーーっ」
与えられた仕事を終え、一日の疲れを肺から吐き出すようにラーシュは長く細い息を吐く。
普段から大司教として様々な仕事に追われる彼女にとって、全てをやり遂げた一日の終わりであるこの瞬間は至福の時であった。
「……」
ラーシュは息を吐き終えると、静かに天幕を見上げた。そこには真っ白で綺麗な布の天井があった。
サピエル7世の天幕とは違って大きくないが、大司教であるラーシュの天幕はサピエル7世の天幕と同様の素材が使用されている。
その天井を見上げ、ラーシュはサピエル7世の天幕を訪れた時の事を思い出す。
「……まさか、魔力を開放しなくてもあれほどの威圧感を出せるなんて……」
思い出すのは、サピエル7世の前で跪いた時に受けた出鱈目な魔力による威圧感だ。
あの時、サピエル7世は至って平静、自然体だった。それにも関わらず、僅かに漏れ出ている魔力だけでラーシュは威圧されてしまった。
勿論、サピエル7世はラーシュを威圧するつもりなど無かった。それはサピエル7世の右腕としてずっと仕えてきたラーシュも理解している。
ただ単に、サピエル7世の内包する魔力量が桁外れに多く、その全ての魔力を未だ完全に制御しきれていないだけであった。
「……まるで、全身が地面に押し付けられるような、あの感覚……」
威圧感を受けた時の感覚を思い出すと、ラーシュは無意識のうちに身体を震わせていた。
全身に上から均等に凄まじい重さが掛かり、息苦しさと共に地面に押しつぶされそうになる。身体を動かそうにも指一本を動かすことも難しい、圧倒的な力の差がそこにはあった。
強者と弱者、あの時のラーシュはまさに蛇に睨まれた蛙のような感覚を味わっていた。
「教皇様が遥か天空から私を見下しているようなあの感覚――」
震える体を押さえるように肩に手を回す。そして――
「――素晴らしいっ!!」
――歓喜。
それは心の底より飛び出た、喜びの言葉であった。
「あれこそ、あの御方こそ、まさに“神”と呼べる存在ッ! あの御方の傍に居られる事、あの御方の圧倒的な力をいつでも近くで感じることが出来る事、ああ、私は何と幸福なのでしょうか!!」
恍惚の表情を浮かべて、ラーシュは寝床の上で激しく悶える。
天幕の外にいる誰かが気付くかもしれない程に激しいものだったが、ラーシュは事前に天幕全体に『消音魔術』を掛けていたのでそんなことを気にしてはいなかった。
そして一通り満足するまで行為に浸ったラーシュは、寝床から起き上がると改めて寝間着へと着替えて、再び寝床に横になった。
「……ふぅー、いけないわね。明日は大事な日、早めに休んでおかないといけないわ」
落ち着きを取り戻したラーシュは、身体の力を抜いてゆっくりと瞳を閉じる。
「いよいよ世界は変わる。教皇様の威光が世界を照らす。明日はその記念すべき初めの一日になるわ。ふふ、ふふふふふッ!!」
こうしてラーシュの妖しい笑い声と共に夜は更け、日付が変わる。
運命の一日目はこうして幕を開けるのであった。
その陣地の中央に、多くの兵士に警備された一際豪華な装飾が施された白い天幕が張ってある。
その天幕は他の天幕よりも数倍の大きさがあり、常識的に見ても通常の軍隊が使用する天幕とは一線を画す佇まいをしている。
だがしかし、その天幕を悪い言い方で表現すれば、『無駄』の一言である。
軍事行動する上で最も大切なのは、『効率』と『機動力』だ。この天幕は巨大であり、その設営や撤収に掛かる時間、運搬する手間を考えれば、軍事行動する上で最も必要のない物だと言わざるを得ないだろう。
しかし、それでもあえてサピエル法国軍がこのような巨大な天幕を使用しているのには理由がある。
それはこの天幕を使用する人間が、それに見合う程の地位と権力、そして“絶対的な力”を有しているからに他ならない。
「失礼します」
巨大な天幕の入り口を捲り上げ、一人の女性が中に入って来る。出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる、そんな艶麗でグラマーな体型をした美しい熟女だ。
彼女の名は『ラーシュ』。サピエル法国で教皇の次に権力を持つ大司教であり、サピエル7世を守護する4人の教皇親衛隊の一人でもある女性だ。
「祈祷中に申し訳ありません」
そんな彼女が畏まった態度で、天幕の中に設置された縮小サイズの祭壇で祈祷を捧げていた人物に頭を下げる。
「よい。気にするな」
その人物は祈祷を邪魔されたことを気にした様子もなくそう言うと、祈祷を途中で切り上げて天幕に入って来たラーシュに身体を向けて出迎えた。
その人物は純白で綺麗な装飾の施されたローブで身を包み、ローブと同色の白い髪をした若い男だった。
身長は小さくも大きくもない平均的で、体系も同様に細くもなく太くもない平均的な体系をしている。
……しかし、その男が纏っている魔力は、平均的という言葉からあまりにも遠くかけ離れてた出鱈目なものであった。
魔術師としても強者の部類に入るラーシュでさえ、天幕に入ってから男から僅かに漏れているその魔力に気圧されて簡単に動けなくなっているほどである。
「どうしたのじゃ、ラーシュ? ワシに何か話があって来たのであろう? だったらそんな入り口に立っておらんでもっと近くに来たらどうだ?」
そんなラーシュの状況を知ってか知らずか、男は軽い口調でラーシュに近くに来るように言った。
「――は、はい!」
その声に我に返ったように、ラーシュは歩みを進めると男の前で跪いた。
天幕の入り口でも気圧されるほどだったのに、男に近寄ったことで男から漏れ出る魔力をもろに浴び、ラーシュは思わず身体を震わせた。
「それで、何があったのだ?」
「は、はい。先程マッシュバーン侯爵が、王都の混乱を無事に収めた事と、次の出撃の準備が完了した事を伝えに来ましたので、その報告を」
「ほう? 王都の混乱をもう収めたというのか? ……ふむ、もう少し掛かると思っておったが、これはハッセ大公の統率力の高さと手腕を誉めるべきじゃろうな」
男の予想に反して早く成果を上げたハッセ大公の統率力と手腕を、男は素直に褒めるように言葉を口にする。
そしてこの予想に反したハッセ大公の成果は、男にとっては都合の良いのもであった。
「まあ、早めに動けるようになってくれたのは、ワシらにとっても都合が良い。調度、ワシもこの新しい肉体に慣れてきたところだからな」
男は拳を何度も握り、体の感触を確かめる様にそう言った。
「では?」
「うむ、作戦を予定通り進行させるとしよう!」
男の力強い言葉にラーシュは大きく目を見開き、瞳に歓喜を輝かせた。
「いよいよですわね!」
「ああ! ラーシュ、全軍に伝えるのじゃ。進軍再開は明日の明朝。『サピエル神の神託に変更無し! 神命に従え!』とな!」
「ははっ! 全ては“教皇様”の御心のままに!!」
◆ ◆
夜が更ける頃、明日の出撃準備を済ませたラーシュは自分の天幕に戻り寝床で横になっていた。
「ふぅーーっ」
与えられた仕事を終え、一日の疲れを肺から吐き出すようにラーシュは長く細い息を吐く。
普段から大司教として様々な仕事に追われる彼女にとって、全てをやり遂げた一日の終わりであるこの瞬間は至福の時であった。
「……」
ラーシュは息を吐き終えると、静かに天幕を見上げた。そこには真っ白で綺麗な布の天井があった。
サピエル7世の天幕とは違って大きくないが、大司教であるラーシュの天幕はサピエル7世の天幕と同様の素材が使用されている。
その天井を見上げ、ラーシュはサピエル7世の天幕を訪れた時の事を思い出す。
「……まさか、魔力を開放しなくてもあれほどの威圧感を出せるなんて……」
思い出すのは、サピエル7世の前で跪いた時に受けた出鱈目な魔力による威圧感だ。
あの時、サピエル7世は至って平静、自然体だった。それにも関わらず、僅かに漏れ出ている魔力だけでラーシュは威圧されてしまった。
勿論、サピエル7世はラーシュを威圧するつもりなど無かった。それはサピエル7世の右腕としてずっと仕えてきたラーシュも理解している。
ただ単に、サピエル7世の内包する魔力量が桁外れに多く、その全ての魔力を未だ完全に制御しきれていないだけであった。
「……まるで、全身が地面に押し付けられるような、あの感覚……」
威圧感を受けた時の感覚を思い出すと、ラーシュは無意識のうちに身体を震わせていた。
全身に上から均等に凄まじい重さが掛かり、息苦しさと共に地面に押しつぶされそうになる。身体を動かそうにも指一本を動かすことも難しい、圧倒的な力の差がそこにはあった。
強者と弱者、あの時のラーシュはまさに蛇に睨まれた蛙のような感覚を味わっていた。
「教皇様が遥か天空から私を見下しているようなあの感覚――」
震える体を押さえるように肩に手を回す。そして――
「――素晴らしいっ!!」
――歓喜。
それは心の底より飛び出た、喜びの言葉であった。
「あれこそ、あの御方こそ、まさに“神”と呼べる存在ッ! あの御方の傍に居られる事、あの御方の圧倒的な力をいつでも近くで感じることが出来る事、ああ、私は何と幸福なのでしょうか!!」
恍惚の表情を浮かべて、ラーシュは寝床の上で激しく悶える。
天幕の外にいる誰かが気付くかもしれない程に激しいものだったが、ラーシュは事前に天幕全体に『消音魔術』を掛けていたのでそんなことを気にしてはいなかった。
そして一通り満足するまで行為に浸ったラーシュは、寝床から起き上がると改めて寝間着へと着替えて、再び寝床に横になった。
「……ふぅー、いけないわね。明日は大事な日、早めに休んでおかないといけないわ」
落ち着きを取り戻したラーシュは、身体の力を抜いてゆっくりと瞳を閉じる。
「いよいよ世界は変わる。教皇様の威光が世界を照らす。明日はその記念すべき初めの一日になるわ。ふふ、ふふふふふッ!!」
こうしてラーシュの妖しい笑い声と共に夜は更け、日付が変わる。
運命の一日目はこうして幕を開けるのであった。