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作者: 山のタル
残酷な描写あり
148.開戦の狼煙1
 ムーア王国王都から北2キロメートル地点、プアボム公国へと通じる最も大きな街道上。この場所は平坦な平野が地平線まで続き地盤が安定していて王都から近いこともあり、街道の状態が他の場所よりも比較的に綺麗に整備されていて歩きやすい所である。
 その街道に今、街道を塞ぐように2つの軍勢が陣取って睨み合いを続けていた。
 
「セリオ殿! 我々はいつになったら動くのですか!」
 
 王都側、サピエル法国軍の陣地の司令部の天幕から、怒号にも聞こえる声が木霊した。
 地形図を広げたテーブルを強く叩いてそう叫んでいるのは、王権派に所属している貴族の一人である“グレン・ノウエル伯爵”だ。
 全身が風船のように恰幅のいい男で、それが鎧を全身に着ているものだから、見た目がまるで大きな鉄球のようになっている。
 
「ノウエル伯爵、何度も説明したように私達の任務は時間稼ぎだ。教皇様の作戦が成功するまでのな。敵は現在私達の正面に展開しているが、まだ動く気配はない。おそらくまだしっかりと準備が整っていないのだろう」
「ならばこそ、その準備が整うのを我々が待つ必要はありますまい! 時間稼ぎは何も防御だけではありません! 眼前に迫る敵を壊滅させれば、その時間を稼ぐ必要も無くなると言うものです!」
 
 ノウエル伯爵の言い分は正しい。
 セリオの言うように教皇の作戦成功まで時間を稼ぐのが目的なら、それを邪魔しようとしている眼前に迫る敵を壊滅させれば、過程は違えど同様の結果を得られることになるだろう。
 だが、堅物のセリオが当初の命令を無視するその提案に同意することはなかった。
 
「ノウエル伯爵、貴殿達“王権派”がルーカス王子……いや、今は王だったな。ルーカス王を早く手中に収めたい気持ちは分かる。だが、今貴殿達はあくまでも私達サピエル法国軍の指揮下にある。そしてこの場の司令官は教皇様から勅命を受けているこの私だ。私の命令に従えないと言うなら、私達サピエル法国もそれ相応の対処を取らせてもらいますが……よろしいのですか?」
「うぐぐ……!?」
 
 これはノウエル伯爵に対する脅しだ。
 勝手な行動をするなら、サピエル法国がノウエル伯爵達“王権派”の思惑に手を貸さないと暗に言っているのだ。
 サピエル法国の強力な戦力の支援が無ければ、制圧した王都を守ることもルーカスを捕獲することも、王権派だけの戦力では困難極まりない。
 いくら欲と自尊心の塊であるノウエル伯爵でもその辺りの計算は出来る。
 
「……分かりました。失礼します」
 
 ノウエル伯爵は悔しさ交じりに一言そう言葉を残して、ドカドカと天幕を後にした。
 
「……あれでよろしかったのですかセリオ様?」
 
 セリオの後ろで立ち、先程までの二人のやり取りを静観していた男がセリオにそう尋ねた。
 
「あれは物欲と自尊心が人間の形を形成したような男だ。あんな低俗な俗物に神に仕える私が遠慮する必要はない。そうだろうダン?」
「セリオ様、私が危惧しているのはそのようなことではありません。多分ですが、ノウエル伯爵は勝手に行動し始めますよ? そうならない様にもっと強く釘を刺しておくべきではなかったのですか?」
「そうだろうな。きっと低俗な俗物らしく欲望のままに行動を起こすだろう」
「でしたら――」
 
 セリオが手を挙げてダンの言葉を遮る。
 
「そうなったらそうなったで、あいつの使い道などいくらでもある。……ダン、ノウエル伯爵の軍勢を見張っておけ。私が対処するまで手を出すなよ?」
「はぁ……了解しました」
 
 ダンはセリオの考えをいまいち理解できていないようだったが、とりあえず上官のセリオの命令に従って、ノウエル伯爵の軍勢を見張りに天幕を出て行った。
 
「……そう、あんな俗物な奴でも使い道などいくらでもある。神の意思に反抗する者にはそれ相応の罰を、そしてその罪をもって精々私達の役に立ってもらおうか」
 
 セリオは不敵な笑みを浮かべる。
 その思惑を知る者は、この時点では誰一人としていなかった。
 
 
 
 その日の夜、月明りの無い暗闇に紛れて動く集団があった。
 集団の正体はノウエル伯爵率いる夜襲部隊だ。
 月明りが雲で遮断されたのを見たノウエル伯爵は、夜襲のチャンスと考え直ぐさま行動を起こしたのである。
 
 夜襲部隊は万が一にも敵に悟られない様に陣地の裏から出陣し、そこから大きく迂回して敵陣地の側面に静かに移動した。
 月明りが無く一寸先が闇なこの状況では、松明などの灯りを一切持っていないノウエル伯爵達の姿を見つける事は不可能に近い。
 しかし逆にノウエル伯爵は、敵陣地に灯る松明を目印にすれば、暗闇の中でも距離感を把握しながら容易に移動することができた。
 
「――よし、突撃だ!」
 
 そしてノウエル伯爵の静かな号令を合図に、夜襲部隊が一挙に敵陣へと突撃を開始した。
 夜襲部隊は夜の灯りに群がる虫の群れの如く、雪崩のような勢いで一直線に敵陣地目掛けて肉薄して行く。
 
 ノウエル伯爵の作戦はこうだ。
 まず夜襲による奇襲攻撃で、防御の薄い側面から敵陣地に突撃する。すると敵陣は瞬く間に混乱の渦に投げ落とされる。その隙に素早くルーカスを発見して確保して一目散に撤退する。
 ルーカスの身柄さえ確保してしまえば、後は全軍を以て敵を壊滅させればいいという訳だ。
 
 そしてこの作戦の肝は、もし万が一にもルーカスの確保に失敗したとしても特に問題がないという点にある。
 
 勿論ルーカスを確保出来たらそれに越したことはないのだが、失敗しても夜襲をしたという事実そのものが「我々は防衛に固執しておらず、何時でも攻勢を仕掛けることができるのだぞ!」という脅しになのだ。
 そうなれば敵は、現在の膠着状態を利用して王都攻略の準備をしている事が、敵に自由に先手を取らせる権利を与えるだけの愚策だと気付くことになる。
 すると敵は焦り、準備が整わない段階で動かざるを得ない状況に陥いることは間違いない。
 そうなれば戦場の主導権は十分な準備を整えているサピエル法国側が握ることとなり、戦いを自分達の有利なように進めやすくなる。
 
 そう、この作戦はルーカスを確保できようができまいが、サピエル法国側の有利な方に持っていけることが出来るのである。
 
「ノウエル伯爵様、突撃した部隊が敵陣地に到達した模様です!」
「うむ」
 
 部下からの報告を聞き、突撃せずに後方で様子を見ていたノウエル伯爵は満足そうに頷いた。
 
 (セリオ殿には釘を刺されたが、状況が我々の方に有利に好転さえすれば、あの保守的な考えも改まるだろう。そうなれば私の手柄は計り知れないものとなる! “公爵”……いやいや、“大公”の地位さえもあり得ない話ではないな!)
 
 戦後に手にするであろう欲望に夢を膨らませて口角が上がりっぱなしになっているノウエル伯爵の耳に、戦闘が始まった音が聞こえてきた。
 
 金属のぶつかる音、魔術が弾ける音、怒号、そして絶叫……。
 
 暗くてハッキリと様子を目視は出来ないが、風の無い静かな夜だったからこそ、その音は雑音に飲まれること無くノウエル伯爵の耳に届いた。
 ノウエル伯爵にはそれらの音がまるで耳元から聴こえてくるように感じ、戦場の様子は手に取るようだった。
 
「聴こえるかあの音が! 敵は私達の夜襲で大混乱だぞ!」
 
 ノウエル伯爵は近くにいる家臣に喜びを露にしながら声を掛ける。
 家臣達も遠くに見える光景と耳元に届く音を照らし合わせて敵陣の混乱具合を確認し、ノウエル伯爵同様に顔を綻ばせている。
 
 (ふんっ! どうだ見たか! 最初からこうしておればよかったのだ! これで敵はじっとしてることが出来なくなった。きっと翌日にでも攻めてくるだろう。そうなればこちらは待ち構えるなり、籠城戦に持ち込むなり自由に戦いをすることが出来る。……そう、戦の主導権を握るということは、それだけこちらが有利になるのだ! 教皇の作戦とやらがどんなものかは知らないが、いつ戻ってくるかも解らない援軍を頼りに防衛に徹するなど論外だ!)
 
 ノウエル伯爵達が聞かされたセリオの作戦は、別行動を開始した教皇が戻って来るまで王都を死守することと、プアボム公国から来るであろう軍勢の足止めであった。
 そして教皇が戻り次第、全軍をもってプアボム公国へ全面攻勢を開始するというものだった。
 
 しかし、その作戦の要であるはずの教皇が戻ってくる時期は“未定”だとノウエル伯爵達は聞かされていた。
 教皇の別行動作戦がいつ終わって戻ってくるかは分からない。
 それが1週間程で戻ってくるならまだ良い。……だがそれが1ヶ月も掛かってしまったら話は別だ。
 
 それだけの長い時間をプアボム公国側に与えてしまえば、いくら防御に徹していたとしても、相手に十分な対策を取られて突破される危険性が高くなっていく。
 下手をすれば、教皇が戻る前に王都が陥落させられる事も十分にあり得ない話ではなくなるのだ。
 
「――ノウエル伯爵様、どうやら突撃した兵達が撤退を開始したようです」
 
 敵陣の様子を見ていた家臣の一人が、ノウエル伯爵にそう報告した。
 ノウエル伯爵も目を凝らして見れば、松明に照らされたいくつかの影がノウエル伯爵達のいる方向へ向かって来ているのが確認できた。
 
「……少し早くはないか?」
 
 突撃を開始してからまだ数分しか経っていないというのに、もう撤退を開始していることにノウエル伯爵は疑問を感じた。
 
「おそらくですが、敵が予想以上に体勢を立て直すのが早かったのではないかと思われます」
「つまり、ルーカス様の確保は失敗したとお前は言いたいのか?」
「はい。恐れながら、この短時間でルーカス様を探し出して確保したとは少し考えにくいです」
「ふむ……」
 
 ノウエル伯爵は考えるふりをしつつも、この家臣の言っていることはおそらく正しいだろうと考えていた。
 敵はいくつもの軍隊の寄せ集めとはいえ、それは雑兵ではなく国が保有する正規軍の連合軍なのだ。その統率は決して低くない。
 突然の奇襲でも迅速に対応できたとしても、まったく不思議ではないからだ。
 
「まあルーカス様の確保に失敗したのは残念だが、先手をこちらが取れたのだ。ここはそれで良しとしようではないか」
「そうですね。では、戻って来た兵達と合流して我々も撤退しましょうか?」
「うむ。迅速にな」
 
 ノウエル伯爵達がこの後の行動について意見を纏め終えた丁度その時、先頭を走って戻って来た兵士が一人合流した。
 相当急いで走ってきたようで兵士の息は上がっており、合流するや否や立ち止まって息を整えていた。
 
「ご苦労だった。首尾はどうであった?」
 
 ノウエル伯爵がそう訊ねると、兵士は息を急いで整えてこう言った。
 
「い、今すぐ撤退してくださいノウエル伯爵様! さ、作戦は……失敗ですッ!!」
 
 ノウエル伯爵は兵士が言っている意味を、一瞬理解できなかった。
 
「し、失敗だと……? 失敗とはどういうことだ!?」
「我々が敵陣に突入した時には、敵は既に反撃の準備を整えていました! 我々の夜襲作戦は、敵に見破られていたのです!」
「なっ!? そんなバカな!?」
 
 兵士の報告にノウエル伯爵も家臣達も驚愕に目を見開いた。
 
「ノウエル伯爵、今すぐに撤退を! 敵はすぐにでもこちらに向かって来ます!」
 
 兵士がそう言い終わるや否や、逃げて来た他の兵士達が悲鳴を上げながら脱兎のごとき勢いでノウエル伯爵達の横を通り過ぎていく。
 そしてそれを追うように、威勢の良い雄叫びと足音がだんだんと近づいていた。
 その様を見たノウエル伯爵の心の中を、恐怖が一気に支配した。
 
「ひっ!? てっ、撤退だああああ!!」
 
 そこから先は、優雅で気品のある貴族の軍隊とはとても言えないような惨状だった。
 パニックに陥った兵士達に統率は無く、まるで蜘蛛の子を散らすように四方八方へと逃げていく。夜襲の為に灯りを持ってこなかったのも災いし、自分達が何処にいるのかも分からなくなってしまったこともパニックに拍車を掛けてしまった。
 その結果、自陣へと帰還出来たノウエル伯爵の部隊は僅か一割にも満たない程度で、他は捕虜又は戦死するという惨敗を喫するのだった。
 
 
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