残酷な描写あり
149.開戦の狼煙2
「はあ、はあ、はあ…………」
大きく息を切らせながらノウエル伯爵は、なんとか自陣へと帰還していた。
重たい鎧を着たままの全力ダッシュは肥満体型のノウエル伯爵にとって想像を絶する苦行だったが、そんなことは気にならないほど必死だった。
夜襲の為に馬を使わなかったことがこんな仇になるとは、ノウエル伯爵自身思いもしていなかった。
だがしかし、無事に帰還することは出来た。
混乱の中で家臣ともはぐれ、頼るものが何もない一人きりになってしまったけど、それでも何事もなく帰還できたことはノウエル伯爵にとって幸運だった。
何度も荒い呼吸を繰り返し、かつて無いほど早い鼓動を奏でる心臓を徐々に落ち着かせる。
そうしている内に冷静になっていく思考は、“ある疑問”をノウエル伯爵に突き付けた。
「……何故、どうやって敵は、私の奇襲に気が付いたというのだ……?」
冷静に改めて考えれば妙な事だった。
敵は明らかにノウエル伯爵の夜襲部隊に気が付いていた。だからこそ反撃の準備を整えて待ち構えていたのだ。
しかし、だとすれば敵はどうやってノウエル伯爵達に気付いていたのだろうか?
今夜は月明かりがない真っ暗な夜だ。ノウエル伯爵達はその暗闇の中を灯りも持たず、音も立てずに行動していた。
普通に考えてノウエル伯爵達を発見することは不可能だ。
しかし実際は事前に発見され、一方的な反撃をされただけであった。
「おや? ノウエル伯爵、ご無事でしたか」
騒ぎを聞き付けてやって来たのか、ノウエル伯爵の周りにはいつの間にか人集りが出来ていた。
その中からヒョコリと現れて声を掛けてきたのはセリオだった。
「セ、セリオ殿……!?」
「この騒ぎは一体どういう事でしょうか、ノウエル伯爵?」
「そ、それは……」
ノウエル伯爵はセリオになんと説明すればいいのか言葉に迷った。
素直に「夜襲に失敗した」と言うべきだろうか?
それとも何か言い訳を言うべきだろうか?
「…………」
「…………」
二人の間にしばし沈黙が流れた。
そして意外にも先に口を開いたのはセリオの方だった。
「まあ、何か事情があったのでしょう。ノウエル伯爵、見たところかなりお疲れの様子ですね。事情は明日お聞きになるので、今は休んで下さい」
「えっ?」
「おい、ノウエル伯爵をお運びしろ!」
セリオの指示に従って、二人の兵士がノウエル伯爵を両側から担いで運んで行く。
「えっ、あっ、ちょっ!? セ、セリオ殿 !? こ、これは一体――」
あまりにも迅速な出来事に、ノウエル伯爵はセリオに何かを言う暇もなく運ばれて行ってしまった。
そして、ノウエル伯爵の姿が見えなくなった頃合いをみて、セリオは兵士達に命令を下す。
「見ての通り、どうも大変なことが起こったようだ。ノウエル伯爵以外の戻ってきた奴等も同様に休ませてやれ。……朝まで、丁重にな」
「「「「「はっ!!」」」」」
命令通りに兵士達が駆けて行く姿を見て、セリオは満足げに小さく頷く。
「しかし、敵はこの暗闇の中どうやってノウエル伯爵の夜襲に気が付いたのでしょうか?」
セリオの後ろで事のやり取りを見ていたダンが、素直な疑問を口にした。
そんなダンの疑問にセリオは満足げな様子のまま答えた。
「なに、そう難しいことじゃない。答えは実に簡単なことだぞダン」
「?」
「敵には暗闇の中でも私達の動きを正確に捉える事ができる者がいると言うことだ」
「まさかそんな……!?」
「これは副官であるお前にも知らせていない、教皇様や私を含めた教皇親衛隊しか知らないことだ。まあ良い機会だから、この言葉を覚えておけ。『植物はいつでもこちらを視ている』とな!」
そう言うとセリオは、足下に生えていた背の低い雑草を磨り潰すように力強く踏みつけた。
翌日、サピエル法国軍陣地の正面に奇妙な物が出来上がっていた。
それは沢山の木の杭だった。杭は背が高く太いもので、それらが横一列に並ぶように地面に垂直に突き刺さっている。
そしてその杭一本一本に一人ずつ、人が縄で縛られ磔にされていた。
「これは一体何の真似だセリオ殿!?」
声を荒げてそう叫んでいるのは、磔にされたノウエル伯爵だ。
昨日の夜、半ば強引に自分の天幕に連れて行かれたノウエル伯爵はそこで兵士達に縄で縛られ拘束された。
そして朝になると運び出されて今のように杭に磔にされたのだ。
周りを見ると、同じく磔にされているのは、昨日ノウエル伯爵と同様になんとか自陣に戻ってこれたノウエル伯爵の家臣や兵士達であった。
「何の真似だ? よくもまあそんな台詞が出てきますね……。それを言いたいのはこちらの方ですよノウエル伯爵」
「何だと!?」
激昂するノウエル伯爵の態度にセリオは大きく息を吐いて辟易した。
「――分からないなら教えてやろう」
次の瞬間、セリオの態度が一変し、周囲の空気が重たくなる。
「貴様は私の指揮下にありながら、作戦を無視して勝手な行動を起こし、その上で多大な被害を出した。これは明らかに軍法会議に掛けるまでもない重罪だ!」
「――ッ!?」
セリオの言葉には、聞いた者が震え上がる程の途轍もない怒りと殺意が込められていた。
セリオの明らかな態度の変化にノウエル伯爵は、まるで首を絞められたような息苦しさに襲われ息が上手くできなくなる。
セリオの殺意は凄まじかった。その迫力と威圧感を証明するかのように、同じく磔にされている他の家臣や兵士達は次々と殺意に飲まれて気を失っていく。
セリオの後ろにいて殺気を向けられていないサピエル法国軍の兵士達でさえも、その威圧感に顔面を蒼白させていた程だ。
「くぅっ……うぁ……!?」
ノウエル伯爵はただ呻き声をあげるしかできない。
セリオの殺気をもろに受けて気を失わなかった気力は誉められたものだったが、むしろ家臣達のようにすぐに気を失っていた方が余計な苦しみを味わわないで済んだかもしれない。
「私の命令を無視したことは、この際どうでもいい。……しかし、その所為で教皇様のご計画に支障が出るなら話は別だ! その罪はこの世のどんな大罪よりも重いと知れ!!」
「ひぅ――――」
セリオから怒号と共に発せられた濃縮された殺気は、今まで耐えていたノウエル伯爵の意識をあっという間に刈り取った。
セリオはその様子を見て、磔にされた全員の意識が無くなった事を確認すると、意外にもあっさりと殺気を納めた。
「……やっと静かになったか。これでようやく断罪を下せるというものだ」
セリオはそう言うと懐の剣を抜き、剣先を天に向けるようにして正面に構え、静かに目を閉じる。
『我は神に仕える剣聖。
神の手足となり、その剣を振るう代行者なり。
我が剣は神の力であり、慈悲であり、神託そのものである!』
セリオが呪文のような口上を並べると、セリオの構えた剣に大量の魔力が集まっていく。
集まった魔力は可視化できる程に圧縮され、剣を覆い、天に向かって更に積み重なる。
セリオはそこに更に魔力を込める。込めて込めて込める――。
「――これこそ私の奥義、『聖域』。神の代行者としての力だ!」
そうして出来上がったのは、元の剣の刀身より何倍も長くなった魔力で発光する巨大な剣だった。
身長が2メートルもあるセリオを軽く上回り天をも貫きそうな刀身は、まるで天から降る光の柱のようである。
「ノウエル伯爵、この聖剣をその目で見る機会がなかったのは非常に残念だろう。
……だが安心しろ。神の慈悲をその身で受けれる光栄は、この世の何においても名誉なことなのだ!」
意識の無いノウエル伯爵に向けたその眼差しは、子供に向ける慈愛のようであり、残念がる哀れみのようでもあり……そして、羨ましく思う羨望のようでもった。
「さあノウエル伯爵、審判の時だ! 神の意思に従い、我が聖剣を以て、貴様の罪を断罪する!!」
おおよそ人間が扱える限界を超えているはずの巨大な剣を、セリオはまるで重さを感じていないように軽々と扱い、眼前を凪払うように振り抜いた。
そしてその一振で横一列に並べられた杭を、一つも残さず真っ二つに両断する。磔にされた人間諸共。
断罪を完了したセリオは『聖域』を解く。剣に宿った魔力は四散して元の剣に戻った。
「断罪は済んだ。後片付けは任せる」
「了解しました」
剣を鞘に収めて踵を返したセリオは、副官のダンに後片付けを任せて悠々と自分の天幕へ戻って行く。
その様を見送る味方の視線は様々で、嬉々でもあり、驚嘆でもあり、そして畏怖でもあった。
大きく息を切らせながらノウエル伯爵は、なんとか自陣へと帰還していた。
重たい鎧を着たままの全力ダッシュは肥満体型のノウエル伯爵にとって想像を絶する苦行だったが、そんなことは気にならないほど必死だった。
夜襲の為に馬を使わなかったことがこんな仇になるとは、ノウエル伯爵自身思いもしていなかった。
だがしかし、無事に帰還することは出来た。
混乱の中で家臣ともはぐれ、頼るものが何もない一人きりになってしまったけど、それでも何事もなく帰還できたことはノウエル伯爵にとって幸運だった。
何度も荒い呼吸を繰り返し、かつて無いほど早い鼓動を奏でる心臓を徐々に落ち着かせる。
そうしている内に冷静になっていく思考は、“ある疑問”をノウエル伯爵に突き付けた。
「……何故、どうやって敵は、私の奇襲に気が付いたというのだ……?」
冷静に改めて考えれば妙な事だった。
敵は明らかにノウエル伯爵の夜襲部隊に気が付いていた。だからこそ反撃の準備を整えて待ち構えていたのだ。
しかし、だとすれば敵はどうやってノウエル伯爵達に気付いていたのだろうか?
今夜は月明かりがない真っ暗な夜だ。ノウエル伯爵達はその暗闇の中を灯りも持たず、音も立てずに行動していた。
普通に考えてノウエル伯爵達を発見することは不可能だ。
しかし実際は事前に発見され、一方的な反撃をされただけであった。
「おや? ノウエル伯爵、ご無事でしたか」
騒ぎを聞き付けてやって来たのか、ノウエル伯爵の周りにはいつの間にか人集りが出来ていた。
その中からヒョコリと現れて声を掛けてきたのはセリオだった。
「セ、セリオ殿……!?」
「この騒ぎは一体どういう事でしょうか、ノウエル伯爵?」
「そ、それは……」
ノウエル伯爵はセリオになんと説明すればいいのか言葉に迷った。
素直に「夜襲に失敗した」と言うべきだろうか?
それとも何か言い訳を言うべきだろうか?
「…………」
「…………」
二人の間にしばし沈黙が流れた。
そして意外にも先に口を開いたのはセリオの方だった。
「まあ、何か事情があったのでしょう。ノウエル伯爵、見たところかなりお疲れの様子ですね。事情は明日お聞きになるので、今は休んで下さい」
「えっ?」
「おい、ノウエル伯爵をお運びしろ!」
セリオの指示に従って、二人の兵士がノウエル伯爵を両側から担いで運んで行く。
「えっ、あっ、ちょっ!? セ、セリオ殿 !? こ、これは一体――」
あまりにも迅速な出来事に、ノウエル伯爵はセリオに何かを言う暇もなく運ばれて行ってしまった。
そして、ノウエル伯爵の姿が見えなくなった頃合いをみて、セリオは兵士達に命令を下す。
「見ての通り、どうも大変なことが起こったようだ。ノウエル伯爵以外の戻ってきた奴等も同様に休ませてやれ。……朝まで、丁重にな」
「「「「「はっ!!」」」」」
命令通りに兵士達が駆けて行く姿を見て、セリオは満足げに小さく頷く。
「しかし、敵はこの暗闇の中どうやってノウエル伯爵の夜襲に気が付いたのでしょうか?」
セリオの後ろで事のやり取りを見ていたダンが、素直な疑問を口にした。
そんなダンの疑問にセリオは満足げな様子のまま答えた。
「なに、そう難しいことじゃない。答えは実に簡単なことだぞダン」
「?」
「敵には暗闇の中でも私達の動きを正確に捉える事ができる者がいると言うことだ」
「まさかそんな……!?」
「これは副官であるお前にも知らせていない、教皇様や私を含めた教皇親衛隊しか知らないことだ。まあ良い機会だから、この言葉を覚えておけ。『植物はいつでもこちらを視ている』とな!」
そう言うとセリオは、足下に生えていた背の低い雑草を磨り潰すように力強く踏みつけた。
翌日、サピエル法国軍陣地の正面に奇妙な物が出来上がっていた。
それは沢山の木の杭だった。杭は背が高く太いもので、それらが横一列に並ぶように地面に垂直に突き刺さっている。
そしてその杭一本一本に一人ずつ、人が縄で縛られ磔にされていた。
「これは一体何の真似だセリオ殿!?」
声を荒げてそう叫んでいるのは、磔にされたノウエル伯爵だ。
昨日の夜、半ば強引に自分の天幕に連れて行かれたノウエル伯爵はそこで兵士達に縄で縛られ拘束された。
そして朝になると運び出されて今のように杭に磔にされたのだ。
周りを見ると、同じく磔にされているのは、昨日ノウエル伯爵と同様になんとか自陣に戻ってこれたノウエル伯爵の家臣や兵士達であった。
「何の真似だ? よくもまあそんな台詞が出てきますね……。それを言いたいのはこちらの方ですよノウエル伯爵」
「何だと!?」
激昂するノウエル伯爵の態度にセリオは大きく息を吐いて辟易した。
「――分からないなら教えてやろう」
次の瞬間、セリオの態度が一変し、周囲の空気が重たくなる。
「貴様は私の指揮下にありながら、作戦を無視して勝手な行動を起こし、その上で多大な被害を出した。これは明らかに軍法会議に掛けるまでもない重罪だ!」
「――ッ!?」
セリオの言葉には、聞いた者が震え上がる程の途轍もない怒りと殺意が込められていた。
セリオの明らかな態度の変化にノウエル伯爵は、まるで首を絞められたような息苦しさに襲われ息が上手くできなくなる。
セリオの殺意は凄まじかった。その迫力と威圧感を証明するかのように、同じく磔にされている他の家臣や兵士達は次々と殺意に飲まれて気を失っていく。
セリオの後ろにいて殺気を向けられていないサピエル法国軍の兵士達でさえも、その威圧感に顔面を蒼白させていた程だ。
「くぅっ……うぁ……!?」
ノウエル伯爵はただ呻き声をあげるしかできない。
セリオの殺気をもろに受けて気を失わなかった気力は誉められたものだったが、むしろ家臣達のようにすぐに気を失っていた方が余計な苦しみを味わわないで済んだかもしれない。
「私の命令を無視したことは、この際どうでもいい。……しかし、その所為で教皇様のご計画に支障が出るなら話は別だ! その罪はこの世のどんな大罪よりも重いと知れ!!」
「ひぅ――――」
セリオから怒号と共に発せられた濃縮された殺気は、今まで耐えていたノウエル伯爵の意識をあっという間に刈り取った。
セリオはその様子を見て、磔にされた全員の意識が無くなった事を確認すると、意外にもあっさりと殺気を納めた。
「……やっと静かになったか。これでようやく断罪を下せるというものだ」
セリオはそう言うと懐の剣を抜き、剣先を天に向けるようにして正面に構え、静かに目を閉じる。
『我は神に仕える剣聖。
神の手足となり、その剣を振るう代行者なり。
我が剣は神の力であり、慈悲であり、神託そのものである!』
セリオが呪文のような口上を並べると、セリオの構えた剣に大量の魔力が集まっていく。
集まった魔力は可視化できる程に圧縮され、剣を覆い、天に向かって更に積み重なる。
セリオはそこに更に魔力を込める。込めて込めて込める――。
「――これこそ私の奥義、『聖域』。神の代行者としての力だ!」
そうして出来上がったのは、元の剣の刀身より何倍も長くなった魔力で発光する巨大な剣だった。
身長が2メートルもあるセリオを軽く上回り天をも貫きそうな刀身は、まるで天から降る光の柱のようである。
「ノウエル伯爵、この聖剣をその目で見る機会がなかったのは非常に残念だろう。
……だが安心しろ。神の慈悲をその身で受けれる光栄は、この世の何においても名誉なことなのだ!」
意識の無いノウエル伯爵に向けたその眼差しは、子供に向ける慈愛のようであり、残念がる哀れみのようでもあり……そして、羨ましく思う羨望のようでもった。
「さあノウエル伯爵、審判の時だ! 神の意思に従い、我が聖剣を以て、貴様の罪を断罪する!!」
おおよそ人間が扱える限界を超えているはずの巨大な剣を、セリオはまるで重さを感じていないように軽々と扱い、眼前を凪払うように振り抜いた。
そしてその一振で横一列に並べられた杭を、一つも残さず真っ二つに両断する。磔にされた人間諸共。
断罪を完了したセリオは『聖域』を解く。剣に宿った魔力は四散して元の剣に戻った。
「断罪は済んだ。後片付けは任せる」
「了解しました」
剣を鞘に収めて踵を返したセリオは、副官のダンに後片付けを任せて悠々と自分の天幕へ戻って行く。
その様を見送る味方の視線は様々で、嬉々でもあり、驚嘆でもあり、そして畏怖でもあった。