残酷な描写あり
167.竜の末裔と神を目指す者3
絶体絶命のヒルデブランドを救ったのは、彼の主であるエヴァイアだった。
魔術師の攻撃を防いだエヴァイアは、ヒルデブランドを庇う様に魔術師とヒルデブランドの間に立つ。
「来るのが遅いですよ、陛下。危うく、殺されるところ、でしたよ……」
「全く、君主が来ることを前提で行動するなんて、家臣の風上にも置けないね。帰ったらお仕置きだ」
「勘弁してください陛下……。俺はこの通り、重症ですよ……」
実際にヒルデブランドは立ち上がる力どころか、首を動かすのが精一杯の力しか残っていなかった。
瀕死とまではいかなくても、すぐに治療が必要なほどの重症だ。
しかしそんなヒルデブランドの悲痛な訴えを、エヴァイアは鼻で笑ってあっさりと受け流した。
「だったら重症じゃなければ問題ないね。モージィ、ヒルデブランドに回復魔術を」
「はい!」
エヴァイアと一緒に来ていたモージィがヒルデブランドの隣に膝を下ろし、両手をかざして回復魔術を施す。
モージィの回復魔術によりヒルデブランドの身体は優しい光に包まれて、ゆっくりと傷が回復していく。
そしてその背後の少し離れた場所には、同じく一緒に来たセレスティアが静かに控えていた。
「モージィ……」
「無茶したものね。下手したら死んでたわよ?」
「へっ、愛する女を残して死ねるかよ……。俺のしぶとさは、知ってるだろ?」
「その愛する女に心配をさせたら元も子もないでしょ?」
そう言いながら、モージィはかざしていた左手でヒルデブランドのお腹を強く叩いた。
まだ回復しきっていない内蔵に衝撃が走ったことで、ヒルデブランドはあまりの激痛に叫んで涙ぐむ。
「痛ってええええ! 何すんだ!?」
「愛する女に心配掛けた罰よ。それくらいの痛みは受け取りなさい」
「やるならせめてもう少し優しくしてくれよ……」
「それくらい気合いで何とかしなさい。あなたの得意分野でしょ?」
「うぅ……」
モージィに言いくるめられたヒルデブランドは、不貞腐れるように大人しくなった。
そんな仲睦まじい夫婦のやり取りを横目に、エヴァイアはフッと笑みを漏らす。
そして目の前の魔術師に向き直り、敵意を込めた笑顔を放つ。
「やあ、随分と派手にやってくれたじゃないか。ここからは僕が相手してやろう」
「その姿……なるほど、お前がブロキュオン帝国の皇帝か」
「そうだ。こうして会うのは初めてだね。サピエル法国教皇、“サピエル7世”」
「ふっ……よくワシがサピエル7世だと気付いたな?」
「元々そうじゃないかと思ってたけど、確信に変わったのは君が大魔術を使った時さ。あの時一瞬だけ君を覆っていた膨大な魔力が薄れて、そのローブを見ることができた。白いローブに施されている、その装飾をね」
エヴァイアはサピエル7世のローブに施された綺麗な装飾を指差す。
白いローブには綺麗で特徴的な形をした紋章が、金色と緋色で装飾されていた。
「その装飾はサピエル教の紋章だ。そして紋章の色はその者の階級を表している。金と緋色は階級の頂点、つまり教皇を示している。違うかい?」
「これはこれは、よくご存じじゃ」
「なに、君の国にとっても詳しい人物がたまたま僕の手元に来ただけの事さ」
「……」
エヴァイアの言葉の意味か、そこに含まれた嫌味か、あるいはその両方の所為か……。サピエル7世の目付きが鋭くなり、威圧感が強くなる。
場の空気が一瞬で凍り付くような緊迫感に、セレスティアとモージィは堪らず冷や汗を流す。
だがエヴァイアには全く動じた様子はなく、依然として敵意を込めた笑顔を返していた。
「しかし僕が知る限りの情報では、サピエル7世の外見は中年に近いはずなんだが……どうしてそんなに若返っているんだい?」
エヴァイアがリチェから得た情報では、サピエル7世は白い髪色で中年のような外見をした男性だった。
髪色こそ同じだが、少なくとも青年のような若い見た目ではないはずだ。
洗脳されてエヴァイアに忠誠を誓っているリチェが嘘をつくとは考えられず、情報と現実との差異にエヴァイアが疑問を抱くのは当然だった。
だがその疑問にサピエル7世が素直に答える訳がない。
「ワシがそれを素直話すと思うか?」
「流石に僕もそこまで楽観主義じゃないさ。だから実力行使で聞き出すつもりだよ」
エヴァイアの言葉に、サピエル7世は鼻で笑って返す。
「ふん、どうやら先程の従者の愚かさは主人に似たようじゃな。相手の実力を測る目と知能すら持ち合わせていないようじゃ」
「ふっ、それは君も同じだろう……?」
「言ってくれるわ……」
……まさに一触即発。少しの切っ掛けでいつ大爆発が起きても不思議じゃない、気味の悪い静寂が流れる。
離れているセレスティアでさえも苦痛に感じるほどの圧が、エヴァイアとサピエル7世を中心にして巻き散らかされている。
今までこれほどの重苦しい空気に触れた機会が少ないセレスティアは、この場に連れて来られた事を酷く後悔した。
そして数十分にも錯覚してしまう僅か数秒の静寂を破ったのは、当事者の一人であるエヴァイアだった。
「モージィ、ヒルデブランドを連れて本陣に戻るんだ」
「陛下!? し、しかしそれでは……」
突然の撤退命令にモージィは驚く。
それもそうだ。近衛兵長であり皇室直属の護衛部隊の副隊長でもあるモージィにとって、一番の護衛対象はエヴァイアだ。
ヒルデブランドを連れて撤退などしてしまえば、エヴァイアを守ることができなくなってしまう。
いくらエヴァイアの命令でも、自分の仕える君主を最も危険な最前線にひとり置いて行くなんて出来る訳がなかった。
勿論エヴァイアもそんなモージィの心配は百も承知だ。だからエヴァイアは、モージィが安心して撤退できるようにこう言った。
「大丈夫だモージィ。この場には君の代わりにセレスティアが残ってくれる。だから安心して本陣へ戻るんだ」
「……えっ?」
「なるほど分かりました! ではセレスティア殿、陛下をよろしくお願いします」
「ええっ!?」
突然自分の名前を出されて困惑するセレスティアを他所に、モージィはヒルデブランドを抱えると足早に撤退して行ってしまう。
あまりの行動の早さに、セレスティアは呼び止めることすら出来なかった。
「ちょっ!?」
「そういう訳だセレスティア。もしもの時は頼むよ!」
エヴァイアは実に屈託の無い微笑みをセレスティアに向ける。
何か抗議でも言ってやろうと思ったセレスティアだったが、その顔を見た瞬間に無駄だと悟り、諦めの溜息を吐くしかなかった。
「……本当にいい性格してるわね。この借りは高くつくわよ?」
「ああ、たっぷりお礼をさせてもらうよ」
絞り出した嫌味をエヴァイアにあっさりと受け流されたセレスティアは再び大きくため息を吐き、エヴァイアから十分に離れた場所に移動して、様子を見守る態勢を取るのだった。
「わざわざ戦力を減らしてよいのか? あの女が何者か知らんが、ここに連れてきたのじゃから相当な実力者のはずじゃろう?」
「彼女はあれでいいのさ。一緒に戦うと邪魔になってしまうからね。それに心配しなくても、君の相手は僕一人で十分さ」
「随分と余裕じゃの? ワシを甘くみた事を後悔するぞ?」
「そうさせたいならやってみるといい」
お互いの挑発が最後の切っ掛けとなったようで、ついに闘いの火蓋が切って落とされた。
「――くらえ!」
先に動いたのはサピエル7世の方だった。三つの魔法陣を同時展開させ、一瞬の内に魔術を発動させる。
発動されたのは、何でも吸い込んで吹き飛ばす『トルネード』、高温の炎で焼き尽くす『フルフレイム』、大量の岩石を上空から降らせる『ロックレイン』の魔術だった。
どれもが上級に分類される攻撃魔術で、単発でも凄まじい威力を秘めている魔術である。
その三つの魔術が同時にエヴァイアに襲い掛かる。
まず、『トルネード』がエヴァイアの周囲を囲んで荒れ狂い逃げ場を奪う。そして『トルネード』はそのまま『フルフレイム』を巻き込んで、超高温の暴風へと成長して、更に上空から降ってきた『ロックレイン』をも巻き込んだ。
巻き込まれた『ロックレイン』は超高温の熱でドロドロに溶けて溶岩のようになり、数千度の灼熱の雨となって激しく地表に降り注ぐ。
その様はまさに『災害』。圧倒的な破壊力で、全てを燃やして焼き尽くしていく。
膨大な魔力と精密な魔術コントロールによって実現した『人工災害』とも呼べるものだった。
当然ながら、その破壊の中心は更に酷い惨状だ。
家屋すらもいとも簡単に粉微塵に出来る速度の暴風が、数千度を越える高温で吹き荒れ、液状に溶けて溶岩になった岩石が槍のような威力で触れた物全てを貫いて燃やし尽くす。
何者でもどんな物質でも、その圧倒的な破壊力の前には跡形もなく粉砕されて消し炭となるしか道は残されていない。
「エヴァイア!?」
見たこともないような破壊の嵐を前にして、セレスティアは思わずエヴァイアの名前を叫んだ。
しかし分厚く渦巻く暴風の所為で中の様子を見ることは出来ず、セレスティアはエヴァイアの安否を心配することしかできない。
……だがそれは、無用な心配だった。
「はぁッ!」
突如エヴァイアを中心として光の壁がドーム状で出現した。先程、ヒルデブランドを守ったものと同じものだ。
光の壁はそのまま大きさを広げていくと、渦巻く暴風さえ跳ね除けて、あっという間に消滅させてみせた。
先程までの破壊の轟音は嘘のように静まり返り、静寂を取り戻したそこには、無傷のエヴァイアが堂々と立っていた。
「なっ、無傷じゃと!?」
これにはサピエル7世も驚愕の表情を隠せなかった。そしてそれはセレスティアも同様だった。
あれ程の破壊の渦の中心にいながら無傷でいるなんて、普通ならあり得ない。
しかしエヴァイアだけは、無傷なのが当たり前だと言いたげな余裕の態度だった。
「くっ、これならどうじゃ!」
サピエル7世は続けて魔術を放つ。
今度は一度に10個の魔法陣を展開して、複数の魔術による全方位からの波状攻撃を仕掛けた。
ひとつひとつの威力は先程の魔術よりも劣るが、手数の多さは圧倒的だ。
数の暴力ほど恐ろしいものはないと思い知らすには、十分な威力と光景だった。
しかしこれでも、エヴァイアには届かなかった。
先程と同じ光の壁がエヴァイアを包み込んで守り、全ての魔術攻撃を受け止めて消滅させる。
「無駄だ。お前の攻撃で、この『竜の盾』を壊すことはできない」
エヴァイアの言葉通り、サピエル7世の攻撃は光の壁に傷一つ付けることすら出来ていなかった。
しかしそれでもサピエル7世は諦めない。
数でダメなら一撃の威力と考え、別の魔術を発動する。
サピエル7世が頭上にかざした手の上に大量の魔力と光が集まり、巨大な槍状の形へと変形した。
「これは光魔術の最上位、『聖光槍』じゃ! これでその奇妙な壁ごと貫いてくれるわッ!!」
サピエル7世が本当に槍を投げるような動作で腕を振るうと、『聖光槍』は音を置き去りにする速度まで一瞬で到達し、エヴァイアに向かって一直線に飛んでいく。
光魔術の最上位魔術は『聖光槍』と『聖なる光』の二つがある。
広範囲殲滅型の「聖なる光」とは異なり、『聖光槍』は一点破壊型の魔術で、堅牢な城壁さえも簡単に貫ける威力がある。
しかしサピエル7世の魔力が大量に込められたこの『聖光槍』は、その威力が更に跳ね上げられていて、城壁どころかディヴィデ大山脈の山肌をも貫けるほどの威力があった。
もしこれが人に直撃しようものなら、当たった瞬間に肉体は蒸発して消し飛ぶ。
つまり、これを正面から受け止めて無事で済むなんてことは不可能だ。
サピエル7世はこのとんでもない威力なら、どんな守りでも貫けると考えた。
普通ならその考えは間違っていなかった。
……だが相手がエヴァイアだったことが、サピエル7世にとって不運だったのだ。
サピエル7世の放った『聖光槍』は、エヴァイアの胴体の中心を正確に捉えた。
しかしエヴァイアが展開していた『竜の盾』に衝突すると、まるで『竜の盾』に吸い込まれていくように、他の魔術同様にこれまたあっさりと消滅していったのだ。
「そんな、馬鹿なぁぁああ……!?」
あまりにもあり得ない結果に、サピエル7世は顎が外れる勢いで驚愕する。
一方でエヴァイアは、そんなサピエル7世の様を嘲笑うかのように、不敵で余裕な笑みを見せつけるのだった。
魔術師の攻撃を防いだエヴァイアは、ヒルデブランドを庇う様に魔術師とヒルデブランドの間に立つ。
「来るのが遅いですよ、陛下。危うく、殺されるところ、でしたよ……」
「全く、君主が来ることを前提で行動するなんて、家臣の風上にも置けないね。帰ったらお仕置きだ」
「勘弁してください陛下……。俺はこの通り、重症ですよ……」
実際にヒルデブランドは立ち上がる力どころか、首を動かすのが精一杯の力しか残っていなかった。
瀕死とまではいかなくても、すぐに治療が必要なほどの重症だ。
しかしそんなヒルデブランドの悲痛な訴えを、エヴァイアは鼻で笑ってあっさりと受け流した。
「だったら重症じゃなければ問題ないね。モージィ、ヒルデブランドに回復魔術を」
「はい!」
エヴァイアと一緒に来ていたモージィがヒルデブランドの隣に膝を下ろし、両手をかざして回復魔術を施す。
モージィの回復魔術によりヒルデブランドの身体は優しい光に包まれて、ゆっくりと傷が回復していく。
そしてその背後の少し離れた場所には、同じく一緒に来たセレスティアが静かに控えていた。
「モージィ……」
「無茶したものね。下手したら死んでたわよ?」
「へっ、愛する女を残して死ねるかよ……。俺のしぶとさは、知ってるだろ?」
「その愛する女に心配をさせたら元も子もないでしょ?」
そう言いながら、モージィはかざしていた左手でヒルデブランドのお腹を強く叩いた。
まだ回復しきっていない内蔵に衝撃が走ったことで、ヒルデブランドはあまりの激痛に叫んで涙ぐむ。
「痛ってええええ! 何すんだ!?」
「愛する女に心配掛けた罰よ。それくらいの痛みは受け取りなさい」
「やるならせめてもう少し優しくしてくれよ……」
「それくらい気合いで何とかしなさい。あなたの得意分野でしょ?」
「うぅ……」
モージィに言いくるめられたヒルデブランドは、不貞腐れるように大人しくなった。
そんな仲睦まじい夫婦のやり取りを横目に、エヴァイアはフッと笑みを漏らす。
そして目の前の魔術師に向き直り、敵意を込めた笑顔を放つ。
「やあ、随分と派手にやってくれたじゃないか。ここからは僕が相手してやろう」
「その姿……なるほど、お前がブロキュオン帝国の皇帝か」
「そうだ。こうして会うのは初めてだね。サピエル法国教皇、“サピエル7世”」
「ふっ……よくワシがサピエル7世だと気付いたな?」
「元々そうじゃないかと思ってたけど、確信に変わったのは君が大魔術を使った時さ。あの時一瞬だけ君を覆っていた膨大な魔力が薄れて、そのローブを見ることができた。白いローブに施されている、その装飾をね」
エヴァイアはサピエル7世のローブに施された綺麗な装飾を指差す。
白いローブには綺麗で特徴的な形をした紋章が、金色と緋色で装飾されていた。
「その装飾はサピエル教の紋章だ。そして紋章の色はその者の階級を表している。金と緋色は階級の頂点、つまり教皇を示している。違うかい?」
「これはこれは、よくご存じじゃ」
「なに、君の国にとっても詳しい人物がたまたま僕の手元に来ただけの事さ」
「……」
エヴァイアの言葉の意味か、そこに含まれた嫌味か、あるいはその両方の所為か……。サピエル7世の目付きが鋭くなり、威圧感が強くなる。
場の空気が一瞬で凍り付くような緊迫感に、セレスティアとモージィは堪らず冷や汗を流す。
だがエヴァイアには全く動じた様子はなく、依然として敵意を込めた笑顔を返していた。
「しかし僕が知る限りの情報では、サピエル7世の外見は中年に近いはずなんだが……どうしてそんなに若返っているんだい?」
エヴァイアがリチェから得た情報では、サピエル7世は白い髪色で中年のような外見をした男性だった。
髪色こそ同じだが、少なくとも青年のような若い見た目ではないはずだ。
洗脳されてエヴァイアに忠誠を誓っているリチェが嘘をつくとは考えられず、情報と現実との差異にエヴァイアが疑問を抱くのは当然だった。
だがその疑問にサピエル7世が素直に答える訳がない。
「ワシがそれを素直話すと思うか?」
「流石に僕もそこまで楽観主義じゃないさ。だから実力行使で聞き出すつもりだよ」
エヴァイアの言葉に、サピエル7世は鼻で笑って返す。
「ふん、どうやら先程の従者の愚かさは主人に似たようじゃな。相手の実力を測る目と知能すら持ち合わせていないようじゃ」
「ふっ、それは君も同じだろう……?」
「言ってくれるわ……」
……まさに一触即発。少しの切っ掛けでいつ大爆発が起きても不思議じゃない、気味の悪い静寂が流れる。
離れているセレスティアでさえも苦痛に感じるほどの圧が、エヴァイアとサピエル7世を中心にして巻き散らかされている。
今までこれほどの重苦しい空気に触れた機会が少ないセレスティアは、この場に連れて来られた事を酷く後悔した。
そして数十分にも錯覚してしまう僅か数秒の静寂を破ったのは、当事者の一人であるエヴァイアだった。
「モージィ、ヒルデブランドを連れて本陣に戻るんだ」
「陛下!? し、しかしそれでは……」
突然の撤退命令にモージィは驚く。
それもそうだ。近衛兵長であり皇室直属の護衛部隊の副隊長でもあるモージィにとって、一番の護衛対象はエヴァイアだ。
ヒルデブランドを連れて撤退などしてしまえば、エヴァイアを守ることができなくなってしまう。
いくらエヴァイアの命令でも、自分の仕える君主を最も危険な最前線にひとり置いて行くなんて出来る訳がなかった。
勿論エヴァイアもそんなモージィの心配は百も承知だ。だからエヴァイアは、モージィが安心して撤退できるようにこう言った。
「大丈夫だモージィ。この場には君の代わりにセレスティアが残ってくれる。だから安心して本陣へ戻るんだ」
「……えっ?」
「なるほど分かりました! ではセレスティア殿、陛下をよろしくお願いします」
「ええっ!?」
突然自分の名前を出されて困惑するセレスティアを他所に、モージィはヒルデブランドを抱えると足早に撤退して行ってしまう。
あまりの行動の早さに、セレスティアは呼び止めることすら出来なかった。
「ちょっ!?」
「そういう訳だセレスティア。もしもの時は頼むよ!」
エヴァイアは実に屈託の無い微笑みをセレスティアに向ける。
何か抗議でも言ってやろうと思ったセレスティアだったが、その顔を見た瞬間に無駄だと悟り、諦めの溜息を吐くしかなかった。
「……本当にいい性格してるわね。この借りは高くつくわよ?」
「ああ、たっぷりお礼をさせてもらうよ」
絞り出した嫌味をエヴァイアにあっさりと受け流されたセレスティアは再び大きくため息を吐き、エヴァイアから十分に離れた場所に移動して、様子を見守る態勢を取るのだった。
「わざわざ戦力を減らしてよいのか? あの女が何者か知らんが、ここに連れてきたのじゃから相当な実力者のはずじゃろう?」
「彼女はあれでいいのさ。一緒に戦うと邪魔になってしまうからね。それに心配しなくても、君の相手は僕一人で十分さ」
「随分と余裕じゃの? ワシを甘くみた事を後悔するぞ?」
「そうさせたいならやってみるといい」
お互いの挑発が最後の切っ掛けとなったようで、ついに闘いの火蓋が切って落とされた。
「――くらえ!」
先に動いたのはサピエル7世の方だった。三つの魔法陣を同時展開させ、一瞬の内に魔術を発動させる。
発動されたのは、何でも吸い込んで吹き飛ばす『トルネード』、高温の炎で焼き尽くす『フルフレイム』、大量の岩石を上空から降らせる『ロックレイン』の魔術だった。
どれもが上級に分類される攻撃魔術で、単発でも凄まじい威力を秘めている魔術である。
その三つの魔術が同時にエヴァイアに襲い掛かる。
まず、『トルネード』がエヴァイアの周囲を囲んで荒れ狂い逃げ場を奪う。そして『トルネード』はそのまま『フルフレイム』を巻き込んで、超高温の暴風へと成長して、更に上空から降ってきた『ロックレイン』をも巻き込んだ。
巻き込まれた『ロックレイン』は超高温の熱でドロドロに溶けて溶岩のようになり、数千度の灼熱の雨となって激しく地表に降り注ぐ。
その様はまさに『災害』。圧倒的な破壊力で、全てを燃やして焼き尽くしていく。
膨大な魔力と精密な魔術コントロールによって実現した『人工災害』とも呼べるものだった。
当然ながら、その破壊の中心は更に酷い惨状だ。
家屋すらもいとも簡単に粉微塵に出来る速度の暴風が、数千度を越える高温で吹き荒れ、液状に溶けて溶岩になった岩石が槍のような威力で触れた物全てを貫いて燃やし尽くす。
何者でもどんな物質でも、その圧倒的な破壊力の前には跡形もなく粉砕されて消し炭となるしか道は残されていない。
「エヴァイア!?」
見たこともないような破壊の嵐を前にして、セレスティアは思わずエヴァイアの名前を叫んだ。
しかし分厚く渦巻く暴風の所為で中の様子を見ることは出来ず、セレスティアはエヴァイアの安否を心配することしかできない。
……だがそれは、無用な心配だった。
「はぁッ!」
突如エヴァイアを中心として光の壁がドーム状で出現した。先程、ヒルデブランドを守ったものと同じものだ。
光の壁はそのまま大きさを広げていくと、渦巻く暴風さえ跳ね除けて、あっという間に消滅させてみせた。
先程までの破壊の轟音は嘘のように静まり返り、静寂を取り戻したそこには、無傷のエヴァイアが堂々と立っていた。
「なっ、無傷じゃと!?」
これにはサピエル7世も驚愕の表情を隠せなかった。そしてそれはセレスティアも同様だった。
あれ程の破壊の渦の中心にいながら無傷でいるなんて、普通ならあり得ない。
しかしエヴァイアだけは、無傷なのが当たり前だと言いたげな余裕の態度だった。
「くっ、これならどうじゃ!」
サピエル7世は続けて魔術を放つ。
今度は一度に10個の魔法陣を展開して、複数の魔術による全方位からの波状攻撃を仕掛けた。
ひとつひとつの威力は先程の魔術よりも劣るが、手数の多さは圧倒的だ。
数の暴力ほど恐ろしいものはないと思い知らすには、十分な威力と光景だった。
しかしこれでも、エヴァイアには届かなかった。
先程と同じ光の壁がエヴァイアを包み込んで守り、全ての魔術攻撃を受け止めて消滅させる。
「無駄だ。お前の攻撃で、この『竜の盾』を壊すことはできない」
エヴァイアの言葉通り、サピエル7世の攻撃は光の壁に傷一つ付けることすら出来ていなかった。
しかしそれでもサピエル7世は諦めない。
数でダメなら一撃の威力と考え、別の魔術を発動する。
サピエル7世が頭上にかざした手の上に大量の魔力と光が集まり、巨大な槍状の形へと変形した。
「これは光魔術の最上位、『聖光槍』じゃ! これでその奇妙な壁ごと貫いてくれるわッ!!」
サピエル7世が本当に槍を投げるような動作で腕を振るうと、『聖光槍』は音を置き去りにする速度まで一瞬で到達し、エヴァイアに向かって一直線に飛んでいく。
光魔術の最上位魔術は『聖光槍』と『聖なる光』の二つがある。
広範囲殲滅型の「聖なる光」とは異なり、『聖光槍』は一点破壊型の魔術で、堅牢な城壁さえも簡単に貫ける威力がある。
しかしサピエル7世の魔力が大量に込められたこの『聖光槍』は、その威力が更に跳ね上げられていて、城壁どころかディヴィデ大山脈の山肌をも貫けるほどの威力があった。
もしこれが人に直撃しようものなら、当たった瞬間に肉体は蒸発して消し飛ぶ。
つまり、これを正面から受け止めて無事で済むなんてことは不可能だ。
サピエル7世はこのとんでもない威力なら、どんな守りでも貫けると考えた。
普通ならその考えは間違っていなかった。
……だが相手がエヴァイアだったことが、サピエル7世にとって不運だったのだ。
サピエル7世の放った『聖光槍』は、エヴァイアの胴体の中心を正確に捉えた。
しかしエヴァイアが展開していた『竜の盾』に衝突すると、まるで『竜の盾』に吸い込まれていくように、他の魔術同様にこれまたあっさりと消滅していったのだ。
「そんな、馬鹿なぁぁああ……!?」
あまりにもあり得ない結果に、サピエル7世は顎が外れる勢いで驚愕する。
一方でエヴァイアは、そんなサピエル7世の様を嘲笑うかのように、不敵で余裕な笑みを見せつけるのだった。