残酷な描写あり
179.遺品
重たい気分を引き下げて客間に行くと、腕を組んでソファーに座るスぺチオさんが私を待ち構えていた。
「帰って来よったか」
「……いらっしゃい、スぺチオさん」
私はスぺチオさんの対面のソファーにドサッと腰掛け、エイミーにお茶を出すように言い付けた。
「随分と疲れておるようじゃな。その姿といい、それほどまでに苦労する相手であったか」
「まあね。誰かさんが来ないものだから、私一人でこんなになるまで苦労する羽目になったわ」
スペチオさんは世界を旅して回ってる。
理由は色々あるらしいが、その目的の一つが“強者”を見つけることだと以前聞いた。
見つけてどうするかまでは私の知るところではないが、ミューダや私はそうやってスペチオさんに見つけられて知り合った。
だから今回のサピエル7世の件も、何か接触したり干渉したりしてくるのではないかと予想してたけど、結局スペチオさんは姿を見せなかった。
「何を言うか、あの程度の相手ならワシがわざわざ出るまでもない。実際に一人だけでも何とかなっておるじゃないか」
「その為に私は一回死ぬことになったのよ。折角貯めた魔力も全て使っちゃったから、また貯め直さないといけないわ」
あの時はサピエル7世を倒すためには仕方なかったとはいえ、もしスペチオさんが来てくれていればもっと違う展開になっていたはずだ。
少なくとも、私が死なずに済んだのは間違いない。
「そう愚痴を言うな。セレスティアだってワシが何処かの陣営に荷担することの危険性くらいは理解しておるじゃろう?」
「それは、そうだけど……」
それを言われたら、私からは何も言えなくなってしまう。
スぺチオさんは生態系の頂点に君臨する『竜種』だ。つまり、この世界で誰も敵わない最強の存在で、最も影響力のある存在ということだ。
そんな存在が国同士の戦争に加担すれば最終的にどうなるか……考えるだけでも辟易してしまう。
スぺチオさんの言う通り、私が口にしたことは本当にただの愚痴でしかない。それも言ったところで答えが変わる事のないタイプのもので、つまり言うだけ無駄ということだ。
「はぁ、……変なこと言って悪かったわ。それで、スぺチオさんがここに来たってことは、私に何か用事があるんでしょ?」
「察しが良くて助かるぞ。なに、力をちょっと借りたいだけじゃ」
そう言ってスぺチオさんは懐から何かを取り出して机の上に置いた。
それは人形だった。可愛らしくデフォルメされた女性が一本の杖を握っている人形だ。
相当年季が入っていて所々ボロくなっているが、大切に保管されていたのか状態はそこまで悪くないようだ。
「スぺチオさんこれは?」
「この前、久しぶりに住家に帰って『ティンクの成長コレクション』を作ろうと倉庫を整理したらこれが出てきたのじゃ」
そう言えば、モランの家族が帰った時にそんなことを言っていたっけ。
まさか本当に作ろうとしていたとは……これはティンクには教えられないわね……。
「それで、この人形がどうしたの?」
「これにセレスティアの魔力を込めてほしいのじゃ」
「魔力を? どういうこと?」
「この人形には特殊な魔術術式が組まれておってな、魔力を込めることでその術式を起動させる事が出来るのじゃ。じゃが今これは完全に魔力が切れておっての、魔力を込めなおす必要があるのじゃ」
見た感じ、人形には特に変わったものは見当たらない。おそらく魔術術式は人形の中に刻まれているのだろうが、僅かな魔力の残滓すら感じない。
本当にスぺチオさんの言う通り完全に魔力が切れているのだろう。
「なら、スぺチオさんが魔力を込めればいいじゃない。わざわざ私が込める必要はないでしょ?」
魔力の扱いならスぺチオさんの方が私より遥かに長けているし、持っている魔力量も多い。
それに魔術術式の起動にどれだけの魔力が必要か分からない以上、魔力が残り少ない私よりもスぺチオさんの方がどう考えても適任のはずだ。
しかし、スペチオさんはそう思っていないらしい。
「それがそうもいかんのじゃ」
「どういうこと?」
「実はこの人形はセレスティアの母親、ノルンの遺品の一つなのじゃ」
「お母さんの遺品ですって……?!」
「そうじゃ。セレスティアが産まれる少し前くらいにノルンがこの人形をワシに渡してきたのじゃが、ノルン曰く、自分の血を持つ者の魔力でしか起動できない仕組みになっているらしい。だからワシが魔力をいくら込めても意味が無いのじゃ」
……その話が本当なら、この人形の魔術術式を起動できるのは、お母さんの血縁者である私しかいないということになる。
「一応聞くけど、スペチオさんはこの人形の術式が起動しているのを見たことあるの?」
「ない。なにせ人形なんぞに興味が無くて、貰ってすぐに今まで倉庫に放り込んでおったからな。それにノルンも起動方法とその条件しか言わなかったから、どんな術式なのかも知らん」
当時のスぺチオさんが如何に無関心だったのかがよく分かる。私だったら気になってすぐ質問したり調べたりしていたはずだ。
まあ今それを言ったところで何かが解決する訳じゃない。
「分かったわ。とりあえずやってみましょう」
私自身、スペチオさんの話を聞いてこの人形に興味を持ち始めていた。
正直なところ不明な点はまだあって成功するか分からない。だけど物は試しとも言うし、試すだけ試してみることにした。
私は人形の上に手を翳して慎重に魔力を込める。
すると、変化はすぐに訪れた。
クラッ――。
私は突然、激しい目眩と眠気に襲われた。
魔力が私のコントロールを超えて人形に吸い込まれていく。
「な、なにがッ……!?」
魔力の流れが止められない!? 不味い、このままじゃすぐに魔力が切れ――。
「あっ――」
意識が……とぎ、れる――。
………………
…………
……
(…………ア)
……遠くから、声が聞こえる。
懐かしい声だ。
(よく、こ……でが……ったわね)
声がハッキリしてくる。
これは、お母さんの声だ。
(私はいつでも、あなたを――)
「おかあ、さん……」
意識が戻ってくる。
重い瞼を開く。
そこには、見慣れた天井があった。
「……今、のは……?」
なんだか変な夢でも見ていた気分だ。
重い体を起こして記憶を探る。
スぺチオさんの人形に魔力を込めた事までは、覚えている。
それから確か、魔力が一気に人形に吸い込まれて……。
「起きたか」
淡泊な声の方に顔を向けると、優雅にティーカップを持ってお茶を啜るスぺチオさんの姿があった。
「スぺチオ、さん? ……そうだ、確か私、魔力切れで気を……」
「そうじゃ。あの人形に魔力を予想以上に持っていかれてしまって気を失ったのじゃ」
スぺチオさんに言われて、一気に記憶が蘇る。
慌てて部屋の時計を確認すると、私が気を失っていたのは30分程だったようだ……。
「スぺチオさん、人形は?」
「そこにある」
スぺチオさんは机の上を指差した。
そこにはあの人形が、私が気を失う前と同じ位置に横たわっていた。
ただ一つ違う点があるとすれば、魔力がしっかり込められていることだろうか。
「これで、人形の術式を――」
「――残念だが、無駄じゃ」
人形を取ろうと手を伸ばした私の手は、スぺチオさんの言葉に止められた。
「セレスティアが気を失っている間に色々と調べてみたが、術式は起動しなかった。恐らく完全な起動には他にも条件があるのじゃろうな」
「ち、因みに、その条件って……?」
「分からん。魔力を込めたら勝手に起動するものだと思っていたからな」
「そんなぁ……」
じゃあ私は、ただ無駄に魔力を持って行かれただけの骨折り損ってことじゃない。そんなのって、あんまりだわ……。
あまりのショックで脱力した私は再びソファーに倒れ込んだ。
「どうやらセレスティアも限界のようじゃし、続きはワシが持ち帰って調べてみるとしよう」
スぺチオさんはそう言って人形を手に取って懐へと仕舞う。
そしてそのまま立ち上がって客間の扉を開けて、私の方へ振り返る。
「セレスティアよ、今回の騒動を解決してくれた事に礼を言う。今はゆっくり休め。それではな」
スぺチオさんはそう言い残して客間を出て行った。
「……あの変わり者のスぺチオさんが素直に礼を言っている姿なんて、初めて見たわ……」
どうやらスぺチオさんなりに今回の騒動、というよりサピエル7世の件には思うところがあったようだ。
そんな事を思っていると客間の扉が開いて、ニーナがやって来た。
「セレスティア様、スぺチオ様がお帰りになられました」
「ええ、これでようやく休めるわ。悪いんだけどニーナ、私の代わりにアインに連絡を入れておいてくれないかしら? 『私は屋敷に帰っているからみんな適当な所で切り上げて戻って来るように』ってね」
「かしこまりました」
ニーナが扉を閉めて遠ざかって行く足音を耳にしながら、私はゆっくりと目を閉じる。
思い返せば、今日は間違いなく今までの人生の中で最も大変な一日だった。体も心も、疲労のピークはとっくに過ぎている。
睡魔の甘い誘いに全く抵抗する事無く、私はすぐに意識を手放すのだった……。
「帰って来よったか」
「……いらっしゃい、スぺチオさん」
私はスぺチオさんの対面のソファーにドサッと腰掛け、エイミーにお茶を出すように言い付けた。
「随分と疲れておるようじゃな。その姿といい、それほどまでに苦労する相手であったか」
「まあね。誰かさんが来ないものだから、私一人でこんなになるまで苦労する羽目になったわ」
スペチオさんは世界を旅して回ってる。
理由は色々あるらしいが、その目的の一つが“強者”を見つけることだと以前聞いた。
見つけてどうするかまでは私の知るところではないが、ミューダや私はそうやってスペチオさんに見つけられて知り合った。
だから今回のサピエル7世の件も、何か接触したり干渉したりしてくるのではないかと予想してたけど、結局スペチオさんは姿を見せなかった。
「何を言うか、あの程度の相手ならワシがわざわざ出るまでもない。実際に一人だけでも何とかなっておるじゃないか」
「その為に私は一回死ぬことになったのよ。折角貯めた魔力も全て使っちゃったから、また貯め直さないといけないわ」
あの時はサピエル7世を倒すためには仕方なかったとはいえ、もしスペチオさんが来てくれていればもっと違う展開になっていたはずだ。
少なくとも、私が死なずに済んだのは間違いない。
「そう愚痴を言うな。セレスティアだってワシが何処かの陣営に荷担することの危険性くらいは理解しておるじゃろう?」
「それは、そうだけど……」
それを言われたら、私からは何も言えなくなってしまう。
スぺチオさんは生態系の頂点に君臨する『竜種』だ。つまり、この世界で誰も敵わない最強の存在で、最も影響力のある存在ということだ。
そんな存在が国同士の戦争に加担すれば最終的にどうなるか……考えるだけでも辟易してしまう。
スぺチオさんの言う通り、私が口にしたことは本当にただの愚痴でしかない。それも言ったところで答えが変わる事のないタイプのもので、つまり言うだけ無駄ということだ。
「はぁ、……変なこと言って悪かったわ。それで、スぺチオさんがここに来たってことは、私に何か用事があるんでしょ?」
「察しが良くて助かるぞ。なに、力をちょっと借りたいだけじゃ」
そう言ってスぺチオさんは懐から何かを取り出して机の上に置いた。
それは人形だった。可愛らしくデフォルメされた女性が一本の杖を握っている人形だ。
相当年季が入っていて所々ボロくなっているが、大切に保管されていたのか状態はそこまで悪くないようだ。
「スぺチオさんこれは?」
「この前、久しぶりに住家に帰って『ティンクの成長コレクション』を作ろうと倉庫を整理したらこれが出てきたのじゃ」
そう言えば、モランの家族が帰った時にそんなことを言っていたっけ。
まさか本当に作ろうとしていたとは……これはティンクには教えられないわね……。
「それで、この人形がどうしたの?」
「これにセレスティアの魔力を込めてほしいのじゃ」
「魔力を? どういうこと?」
「この人形には特殊な魔術術式が組まれておってな、魔力を込めることでその術式を起動させる事が出来るのじゃ。じゃが今これは完全に魔力が切れておっての、魔力を込めなおす必要があるのじゃ」
見た感じ、人形には特に変わったものは見当たらない。おそらく魔術術式は人形の中に刻まれているのだろうが、僅かな魔力の残滓すら感じない。
本当にスぺチオさんの言う通り完全に魔力が切れているのだろう。
「なら、スぺチオさんが魔力を込めればいいじゃない。わざわざ私が込める必要はないでしょ?」
魔力の扱いならスぺチオさんの方が私より遥かに長けているし、持っている魔力量も多い。
それに魔術術式の起動にどれだけの魔力が必要か分からない以上、魔力が残り少ない私よりもスぺチオさんの方がどう考えても適任のはずだ。
しかし、スペチオさんはそう思っていないらしい。
「それがそうもいかんのじゃ」
「どういうこと?」
「実はこの人形はセレスティアの母親、ノルンの遺品の一つなのじゃ」
「お母さんの遺品ですって……?!」
「そうじゃ。セレスティアが産まれる少し前くらいにノルンがこの人形をワシに渡してきたのじゃが、ノルン曰く、自分の血を持つ者の魔力でしか起動できない仕組みになっているらしい。だからワシが魔力をいくら込めても意味が無いのじゃ」
……その話が本当なら、この人形の魔術術式を起動できるのは、お母さんの血縁者である私しかいないということになる。
「一応聞くけど、スペチオさんはこの人形の術式が起動しているのを見たことあるの?」
「ない。なにせ人形なんぞに興味が無くて、貰ってすぐに今まで倉庫に放り込んでおったからな。それにノルンも起動方法とその条件しか言わなかったから、どんな術式なのかも知らん」
当時のスぺチオさんが如何に無関心だったのかがよく分かる。私だったら気になってすぐ質問したり調べたりしていたはずだ。
まあ今それを言ったところで何かが解決する訳じゃない。
「分かったわ。とりあえずやってみましょう」
私自身、スペチオさんの話を聞いてこの人形に興味を持ち始めていた。
正直なところ不明な点はまだあって成功するか分からない。だけど物は試しとも言うし、試すだけ試してみることにした。
私は人形の上に手を翳して慎重に魔力を込める。
すると、変化はすぐに訪れた。
クラッ――。
私は突然、激しい目眩と眠気に襲われた。
魔力が私のコントロールを超えて人形に吸い込まれていく。
「な、なにがッ……!?」
魔力の流れが止められない!? 不味い、このままじゃすぐに魔力が切れ――。
「あっ――」
意識が……とぎ、れる――。
………………
…………
……
(…………ア)
……遠くから、声が聞こえる。
懐かしい声だ。
(よく、こ……でが……ったわね)
声がハッキリしてくる。
これは、お母さんの声だ。
(私はいつでも、あなたを――)
「おかあ、さん……」
意識が戻ってくる。
重い瞼を開く。
そこには、見慣れた天井があった。
「……今、のは……?」
なんだか変な夢でも見ていた気分だ。
重い体を起こして記憶を探る。
スぺチオさんの人形に魔力を込めた事までは、覚えている。
それから確か、魔力が一気に人形に吸い込まれて……。
「起きたか」
淡泊な声の方に顔を向けると、優雅にティーカップを持ってお茶を啜るスぺチオさんの姿があった。
「スぺチオ、さん? ……そうだ、確か私、魔力切れで気を……」
「そうじゃ。あの人形に魔力を予想以上に持っていかれてしまって気を失ったのじゃ」
スぺチオさんに言われて、一気に記憶が蘇る。
慌てて部屋の時計を確認すると、私が気を失っていたのは30分程だったようだ……。
「スぺチオさん、人形は?」
「そこにある」
スぺチオさんは机の上を指差した。
そこにはあの人形が、私が気を失う前と同じ位置に横たわっていた。
ただ一つ違う点があるとすれば、魔力がしっかり込められていることだろうか。
「これで、人形の術式を――」
「――残念だが、無駄じゃ」
人形を取ろうと手を伸ばした私の手は、スぺチオさんの言葉に止められた。
「セレスティアが気を失っている間に色々と調べてみたが、術式は起動しなかった。恐らく完全な起動には他にも条件があるのじゃろうな」
「ち、因みに、その条件って……?」
「分からん。魔力を込めたら勝手に起動するものだと思っていたからな」
「そんなぁ……」
じゃあ私は、ただ無駄に魔力を持って行かれただけの骨折り損ってことじゃない。そんなのって、あんまりだわ……。
あまりのショックで脱力した私は再びソファーに倒れ込んだ。
「どうやらセレスティアも限界のようじゃし、続きはワシが持ち帰って調べてみるとしよう」
スぺチオさんはそう言って人形を手に取って懐へと仕舞う。
そしてそのまま立ち上がって客間の扉を開けて、私の方へ振り返る。
「セレスティアよ、今回の騒動を解決してくれた事に礼を言う。今はゆっくり休め。それではな」
スぺチオさんはそう言い残して客間を出て行った。
「……あの変わり者のスぺチオさんが素直に礼を言っている姿なんて、初めて見たわ……」
どうやらスぺチオさんなりに今回の騒動、というよりサピエル7世の件には思うところがあったようだ。
そんな事を思っていると客間の扉が開いて、ニーナがやって来た。
「セレスティア様、スぺチオ様がお帰りになられました」
「ええ、これでようやく休めるわ。悪いんだけどニーナ、私の代わりにアインに連絡を入れておいてくれないかしら? 『私は屋敷に帰っているからみんな適当な所で切り上げて戻って来るように』ってね」
「かしこまりました」
ニーナが扉を閉めて遠ざかって行く足音を耳にしながら、私はゆっくりと目を閉じる。
思い返せば、今日は間違いなく今までの人生の中で最も大変な一日だった。体も心も、疲労のピークはとっくに過ぎている。
睡魔の甘い誘いに全く抵抗する事無く、私はすぐに意識を手放すのだった……。