第204話 ぼうせん
魔王城で睦美やつばめが奮闘していた頃、別の場所で別の戦いが繰り広げられていた。
「鍬形くん、この荷物重いの〜。隣の部屋まで運んでおいて〜」
「ねぇ甲、この高い所の板を打ち付けておいて」
「カブっち〜、お茶入れて〜」
「お、おぅ! 任せとけ!」
睦美や大豪院が出陣していった後の留守番を頼まれた野々村、鍬形、そして淫魔部隊5名の計7名。
「ここに人間がいると知れると近隣の魔族が襲いに来る可能性があるから、窓を封じてバリケードを作って要塞化しておきなさい」
アグエラからの指令を受けて、最初は全員が甲斐甲斐しく働いていたが、やがて淫魔部隊の動きが鈍り始め、次第に鍬形に『甘える』様になってきた。
男1人に対して女6人という、モテる男にとっては『ハーレム状態』となりうるのだが、今の鍬形の様に女子勢から『男』と見做されない個体は、不幸な事に『単なる労働ロボット』として扱われる事になる。
淫魔部隊は任務の為であれば、どんな男でも愛して見せるし堕として見せるプロ集団ではあるが、鍬形への対応は任務には含まれない。よって極めて自然に鍬形のヒエラルキーに応じた扱いになってくるわけだ。
要は鍬形を頼る振りをして自分らの担当する労働を鍬形に押し付けているだけなのだが、巧妙に『お願い』の形を取っている為に、頼まれると嫌とは言えない鍬形の性格も併せて、鍬形は断るどころか嬉々として雑用を引き受けていた。
「あ、あの… 鍬形くん大丈夫…? 手伝おうか?」
鍬形を気遣うのは野々村 千代美である。野々村は自身が女子であるが故にまた、女子のやり口は熟知している。人間も魔族も変わらない、傍から見ても鍬形は重大な労働搾取を受けている。
「お、おう! これくらい何でも無いぜ! 大豪院やアンドレが居ないんだ、男の俺がしっかりしないとな!」
しかも当の鍬形が『頼られて嬉しい』スイッチが入ってしまっているために、野々村もあまり強くツッコめないでいた。
加えて鍬形は仄かに野々村の事を好いている。男として好きな女の前で弱音など吐ける訳が無いではないか。
まぁその辺の機微も含めて淫魔部隊にはお見通しであり、鍬形の奮闘と狼狽する野々村の組み合わせは(仕事を鍬形に押し付けて)暇な淫魔部隊のささやかな娯楽となっていた。
☆
転機が訪れたのは魔王ギルが敗れて世界の崩壊が始まった時だった。異変を察知した屋敷の近隣に住む魔族達が一斉に屋敷に押し寄せたのだ。
実はその暴動を焚き付けた魔族がいる。魔王ギルの敗北を知って、我先に逃げ出さんと画策していた油小路の部下達である。つばめを狙っていた暴走ドライバーと言えば理解が早いだろうか?
その彼らが周辺の魔族を「あの屋敷ならば別の世界へ逃げ出せる《転移門》がある!」と扇動し、襲撃させていたのだった。
今の屋敷の中には《転移門》は無い。しかしつばめの世界に通じる《転移門》の座標は刻まれており、油小路の部下達であれば使用は可能だろう。
「何か大勢こっちに向かってきたよ!」
「あいつユニテソリの部下のアモンじゃん! イアンもいる。ここに攻めてきたんだ…」
「まさかユニテソリもいるとか?!」
異変に最初に気付いたのは淫魔部隊のアミとオワ、そしてウネだった。慌てて全員でバリケードを完成させ防御態勢に入るが、鍬形はもちろん、変態した野々村も淫魔部隊の面々も直接の戦闘には不向きである。大勢に攻め懸けられたら一溜りも無いだろう。
「どうしよう? 逃げる…?」
「戦っても勝てないよね…?」
「アグエラ様に念話が通じないよ。時空が乱れてるから?」
「くっ、どうすれば良いの…?」
「素直に明け渡せば許して貰えないかな…?」
「おめーらビビってんじゃねーよ! 俺らの仕事はここを守る事だろ? その為にバリケード作ってきたんだろーがよ!!」
敗戦濃厚でお通夜ムードの淫魔部隊を激励したのは誰あろう鍬形であった。
当然ながら鍬形も迫りくる魔族に恐怖している。だが、ここを失えば帰還の道は閉ざされ自分や女の子達は暴行の限りの果てに無惨に殺されてしまうだろう。
それを防ぐには戦って撃退出来ないまでも、大豪院が来るまで持ち堪えるしかない。何より今、女達を守れるのは鍬形しか居ないのだ。たとえカラ元気であろうとも振り絞って周りを鼓舞するしか無い。
「まともに戦えば敗色濃厚だけど、助けはきっと来る。大豪院達は必ずここに戻って来る。それまで俺らで守り切ろうぜ!」
今まで鍬形の事を下僕の様に扱ってきた淫魔部隊だったが、彼の言葉に絶望しかけていた少女達も目の輝きを取り戻す。そうだ、逃げ出して得られる物など無いのだ。生き残るには、前に進むには戦って勝ち取るしか無い。
『鍬形くん…』
分不相応な男気を見せた鍬形であるが、確かに淫魔部隊の厭戦気分は吹き飛んだ。更に野々村の鍬形を見つめる表情には少し赤味が掛かっていた。
☆
ここから鍬形ら留守番部隊はよく戦った。さながらゾンビ映画やタワーディフェンスゲームのワンシーンの様に、窓や戸のバリケードを破られそうになりながらも撃退する。
だが第3ウェーブを凌いだ辺りで負傷者が続出、かつて《転移門》の開かれていた納戸に籠城させられるまでに追い詰められてしまう。
「…こうなったら俺が飛び出して隙を作る。その間にお前達はどこか遠くに逃げろ!」
鍬形が決死の覚悟を決める。淫魔部隊は逃げ出す気満々であったが、そんな鍬形を止める者がいた。野々村である。
「ダメだよ鍬形くん、自棄を起こさないで。それに逃げたってどうせ四方を囲まれているのに…」
野々村は何故か鍬形に死んで欲しくなかった。彼の男気を、拙いリーダーシップを、相手を殴ったら殴った手の方が痛そうだった薄い拳骨を、『失くしたくない』と思っていた。
狭い部屋に押し込められ、今にも扉は破られそうにガンガンと叩かれ続けている。とにかく何をするにも時間が無い。
「へっ、心配してくれてありがとうよ。俺みたいなシャバ僧にも優しい声を掛けてくれる女がいたとはな… これで笑って前に進めるぜ…!」
皮肉な事に鍬形は野々村の言葉で逆に決心出来た。自分の命で幾人かでも弱者を助けられたなら、それに勝る喜びは無い。
男は前のめりで死ぬ。それで良いのだ。もし泣いてくれる女が居るのなら、それはボーナスゲームに他ならない。
「じゃあちゃんと逃げてくれよ! 達者でな!!」
壊れかけた扉を自ら開け放って部屋の外に出た鍬形、周囲は血に狂った魔族達がひしめき合い、部屋の中の生贄を引きずり出そうと蠢いていた。
「うぉぉぉーっ!!」
魔族の群れに突撃しようと雄叫びを上げた鍬形の目の前を青い閃光が横切った。その閃光の通った跡には、鍬形を食い破ろうと身構えていた魔族らの影しか残っていなかった。
「リリィ、ストライーク!!」
閃光の第2射が別の魔物を灼く。その出処に目を向けユリや大豪院、睦美らの姿を確認した鍬形は、安心のあまりその場に腰を抜かして座り込んでしまった……。
☆
「…ふぅ、《転移門》は作ったわ。アグエラから高速呪法を習っておいて本当に良かった… それで、つばめ達は…?」
「まだですぅ。淫魔部隊の娘達もアグエラさんと繋がらないって言ってます…」
間一髪間に合った睦美達はその場の魔族らを駆逐、休む間もなく帰還用のゲートを作ったは良いが、今度はつばめ達が一向に帰ってこない。
淫魔部隊の言い分によると魔王の死によって既にこの世界が寸断されているらしい。なので元は同じ世界にあった魔王城と別の位相に入ってしまった可能性があるそうだ。
「それじゃつばめちゃん達は…?」
御影の質問にも静かに首を振る睦美。そもそもつばめ達がどこに居るのか今となっては知りようが無い。こちらから位置を発信する手段も無い。
「何とかここに辿り着きなさい、つばめ…」
もはや睦美ですら祈る気持ちでつばめを待つしか出来なかった……。
「芹沢さん、沖田くん、増田さん… 私達はここに居ます! お願い、この光に気付いて。《高架橋橋脚部》!!」
野々村が前に躍り出る。彼女の挙げた右手からレーザー光線の様な明るい光が伸びる。彼女の『光』の魔法は、まるで巨大な光の柱の様に廃墟と化した屋敷から立ちそびえていた。
「鍬形くん、この荷物重いの〜。隣の部屋まで運んでおいて〜」
「ねぇ甲、この高い所の板を打ち付けておいて」
「カブっち〜、お茶入れて〜」
「お、おぅ! 任せとけ!」
睦美や大豪院が出陣していった後の留守番を頼まれた野々村、鍬形、そして淫魔部隊5名の計7名。
「ここに人間がいると知れると近隣の魔族が襲いに来る可能性があるから、窓を封じてバリケードを作って要塞化しておきなさい」
アグエラからの指令を受けて、最初は全員が甲斐甲斐しく働いていたが、やがて淫魔部隊の動きが鈍り始め、次第に鍬形に『甘える』様になってきた。
男1人に対して女6人という、モテる男にとっては『ハーレム状態』となりうるのだが、今の鍬形の様に女子勢から『男』と見做されない個体は、不幸な事に『単なる労働ロボット』として扱われる事になる。
淫魔部隊は任務の為であれば、どんな男でも愛して見せるし堕として見せるプロ集団ではあるが、鍬形への対応は任務には含まれない。よって極めて自然に鍬形のヒエラルキーに応じた扱いになってくるわけだ。
要は鍬形を頼る振りをして自分らの担当する労働を鍬形に押し付けているだけなのだが、巧妙に『お願い』の形を取っている為に、頼まれると嫌とは言えない鍬形の性格も併せて、鍬形は断るどころか嬉々として雑用を引き受けていた。
「あ、あの… 鍬形くん大丈夫…? 手伝おうか?」
鍬形を気遣うのは野々村 千代美である。野々村は自身が女子であるが故にまた、女子のやり口は熟知している。人間も魔族も変わらない、傍から見ても鍬形は重大な労働搾取を受けている。
「お、おう! これくらい何でも無いぜ! 大豪院やアンドレが居ないんだ、男の俺がしっかりしないとな!」
しかも当の鍬形が『頼られて嬉しい』スイッチが入ってしまっているために、野々村もあまり強くツッコめないでいた。
加えて鍬形は仄かに野々村の事を好いている。男として好きな女の前で弱音など吐ける訳が無いではないか。
まぁその辺の機微も含めて淫魔部隊にはお見通しであり、鍬形の奮闘と狼狽する野々村の組み合わせは(仕事を鍬形に押し付けて)暇な淫魔部隊のささやかな娯楽となっていた。
☆
転機が訪れたのは魔王ギルが敗れて世界の崩壊が始まった時だった。異変を察知した屋敷の近隣に住む魔族達が一斉に屋敷に押し寄せたのだ。
実はその暴動を焚き付けた魔族がいる。魔王ギルの敗北を知って、我先に逃げ出さんと画策していた油小路の部下達である。つばめを狙っていた暴走ドライバーと言えば理解が早いだろうか?
その彼らが周辺の魔族を「あの屋敷ならば別の世界へ逃げ出せる《転移門》がある!」と扇動し、襲撃させていたのだった。
今の屋敷の中には《転移門》は無い。しかしつばめの世界に通じる《転移門》の座標は刻まれており、油小路の部下達であれば使用は可能だろう。
「何か大勢こっちに向かってきたよ!」
「あいつユニテソリの部下のアモンじゃん! イアンもいる。ここに攻めてきたんだ…」
「まさかユニテソリもいるとか?!」
異変に最初に気付いたのは淫魔部隊のアミとオワ、そしてウネだった。慌てて全員でバリケードを完成させ防御態勢に入るが、鍬形はもちろん、変態した野々村も淫魔部隊の面々も直接の戦闘には不向きである。大勢に攻め懸けられたら一溜りも無いだろう。
「どうしよう? 逃げる…?」
「戦っても勝てないよね…?」
「アグエラ様に念話が通じないよ。時空が乱れてるから?」
「くっ、どうすれば良いの…?」
「素直に明け渡せば許して貰えないかな…?」
「おめーらビビってんじゃねーよ! 俺らの仕事はここを守る事だろ? その為にバリケード作ってきたんだろーがよ!!」
敗戦濃厚でお通夜ムードの淫魔部隊を激励したのは誰あろう鍬形であった。
当然ながら鍬形も迫りくる魔族に恐怖している。だが、ここを失えば帰還の道は閉ざされ自分や女の子達は暴行の限りの果てに無惨に殺されてしまうだろう。
それを防ぐには戦って撃退出来ないまでも、大豪院が来るまで持ち堪えるしかない。何より今、女達を守れるのは鍬形しか居ないのだ。たとえカラ元気であろうとも振り絞って周りを鼓舞するしか無い。
「まともに戦えば敗色濃厚だけど、助けはきっと来る。大豪院達は必ずここに戻って来る。それまで俺らで守り切ろうぜ!」
今まで鍬形の事を下僕の様に扱ってきた淫魔部隊だったが、彼の言葉に絶望しかけていた少女達も目の輝きを取り戻す。そうだ、逃げ出して得られる物など無いのだ。生き残るには、前に進むには戦って勝ち取るしか無い。
『鍬形くん…』
分不相応な男気を見せた鍬形であるが、確かに淫魔部隊の厭戦気分は吹き飛んだ。更に野々村の鍬形を見つめる表情には少し赤味が掛かっていた。
☆
ここから鍬形ら留守番部隊はよく戦った。さながらゾンビ映画やタワーディフェンスゲームのワンシーンの様に、窓や戸のバリケードを破られそうになりながらも撃退する。
だが第3ウェーブを凌いだ辺りで負傷者が続出、かつて《転移門》の開かれていた納戸に籠城させられるまでに追い詰められてしまう。
「…こうなったら俺が飛び出して隙を作る。その間にお前達はどこか遠くに逃げろ!」
鍬形が決死の覚悟を決める。淫魔部隊は逃げ出す気満々であったが、そんな鍬形を止める者がいた。野々村である。
「ダメだよ鍬形くん、自棄を起こさないで。それに逃げたってどうせ四方を囲まれているのに…」
野々村は何故か鍬形に死んで欲しくなかった。彼の男気を、拙いリーダーシップを、相手を殴ったら殴った手の方が痛そうだった薄い拳骨を、『失くしたくない』と思っていた。
狭い部屋に押し込められ、今にも扉は破られそうにガンガンと叩かれ続けている。とにかく何をするにも時間が無い。
「へっ、心配してくれてありがとうよ。俺みたいなシャバ僧にも優しい声を掛けてくれる女がいたとはな… これで笑って前に進めるぜ…!」
皮肉な事に鍬形は野々村の言葉で逆に決心出来た。自分の命で幾人かでも弱者を助けられたなら、それに勝る喜びは無い。
男は前のめりで死ぬ。それで良いのだ。もし泣いてくれる女が居るのなら、それはボーナスゲームに他ならない。
「じゃあちゃんと逃げてくれよ! 達者でな!!」
壊れかけた扉を自ら開け放って部屋の外に出た鍬形、周囲は血に狂った魔族達がひしめき合い、部屋の中の生贄を引きずり出そうと蠢いていた。
「うぉぉぉーっ!!」
魔族の群れに突撃しようと雄叫びを上げた鍬形の目の前を青い閃光が横切った。その閃光の通った跡には、鍬形を食い破ろうと身構えていた魔族らの影しか残っていなかった。
「リリィ、ストライーク!!」
閃光の第2射が別の魔物を灼く。その出処に目を向けユリや大豪院、睦美らの姿を確認した鍬形は、安心のあまりその場に腰を抜かして座り込んでしまった……。
☆
「…ふぅ、《転移門》は作ったわ。アグエラから高速呪法を習っておいて本当に良かった… それで、つばめ達は…?」
「まだですぅ。淫魔部隊の娘達もアグエラさんと繋がらないって言ってます…」
間一髪間に合った睦美達はその場の魔族らを駆逐、休む間もなく帰還用のゲートを作ったは良いが、今度はつばめ達が一向に帰ってこない。
淫魔部隊の言い分によると魔王の死によって既にこの世界が寸断されているらしい。なので元は同じ世界にあった魔王城と別の位相に入ってしまった可能性があるそうだ。
「それじゃつばめちゃん達は…?」
御影の質問にも静かに首を振る睦美。そもそもつばめ達がどこに居るのか今となっては知りようが無い。こちらから位置を発信する手段も無い。
「何とかここに辿り着きなさい、つばめ…」
もはや睦美ですら祈る気持ちでつばめを待つしか出来なかった……。
「芹沢さん、沖田くん、増田さん… 私達はここに居ます! お願い、この光に気付いて。《高架橋橋脚部》!!」
野々村が前に躍り出る。彼女の挙げた右手からレーザー光線の様な明るい光が伸びる。彼女の『光』の魔法は、まるで巨大な光の柱の様に廃墟と化した屋敷から立ちそびえていた。