戻ったのは三年前
「そ、それで⋯⋯本当に時間が戻ったのですか?」
「そうだよー。今が「いつ」なのか、これから来る人に聞いてみれば良いよ」
セオス様がクルリと宙返りをしてポンっと毛玉に戻り、ベッドの上へ転がってすぐに扉がコンコンコンと鳴った。
「お嬢様、お目覚めになりましたか?」
ああ、この懐かしい声は⋯⋯これはメイの声。彼女は私よりずっと年上でリンと言う娘が居る。メイは家庭を持ってもリシア家の侍女の仕事を続けてくれてもう一人の姉や母親のように接してくれた。
私が神殿へと送られる時、メイとリンだけは私に付いて行くと泣いてくれたのよ。
「おはようございます。お嬢様!? どうされました!?」
「メイっ。本当に、本物のメイなのねっ」
また会えるなんて⋯⋯嬉しくて私はメイに抱きついて泣いてしまった。
一年ぶりの人の温もり、メイの温もり。
「怖い夢を見たのですか? リンもよく悪い夢を見たと言っては泣きついて来たものです。けれど、お嬢様、そんなに泣いては目が腫れますよ。今日は婚約式なのですからすぐに冷やしましょう」
「──こ、ん⋯⋯やく、しき」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に一人の男性が甦った。黒髪に金色の瞳。貴族らしい綺麗な顔を眼鏡でいつも隠していたあの人。
パーティーでディーテ様と二人、睦まじそうに踊っていたあの人。
そう、私とあの人が婚約したのは三年前の冬だった。
顔色が変わったのだろう私にメイは首を傾げたけれどすぐに水桶を用意してくれた。そして手拭いを濡らして絞ると優しく目に当ててくれる。
冷たい感触が私を冷静にしてくれた。
「あの方はずっとお嬢様をお慕いしていたとお聞きしてますし、お嬢様も想われていらっしゃいましたし相思相愛なんて素敵ですね」
「え⋯⋯ええ、そう、だったかしら」
私はあの人が好きだった。だから婚約を申し込まれた時、私は嬉しさに舞い上がり、あの人の瞳に私ではなくディーテ様が映るようになってからもそれに気が付かなかった。
「メイ、婚約を辞める事は⋯⋯出来ないわよね⋯⋯」
「まあまあ! なんて事を言うのですか。あんなに想われて、楽しみにしていらっしゃったのに」
「⋯⋯不安、なの、よ。それに、もし聖女に選ばれたら⋯⋯」
「あらあら、確かに昔は聖女に選ばれたら別れさせられたようですが、今回から聖女に選ばれても結婚は出来るのですよ」
この国に残っている聖女の文献は五百年分。過去約十人の聖女達の内、半分ほどが既婚や婚約者が居た女性だったけれど、国神様の花嫁になる事は名誉な事だと別れさせられたとか。
でも、時代が進み今でも多少は女性の意志が軽視される事はあっても人権意識が発展して聖女選定への不信感が出てくるようになり、危機感を覚えた神殿は「国神様は不幸を願わない」との声明を発表した。
それで今回から聖女が既婚者であったり婚約を結んでいたとしても国神様の許しを得れば共に神殿へと上がる事が出来るようにしたのだ。
その場合、聖女が出た家だけではなくその伴侶となる者の家も神の親族となり、エワンリウム王国で特別な待遇を受ける事になるのだ。
⋯⋯不謹慎な言い方になるけれど人間が国神様の名前を使って自分達に良いように変えたと言う事。
でも、私はディーテ様に結果をすり替えられ聖女となっても婚約は問題にならなかったはずなのに神殿に閉じ込められてから家族もあの人も来てくれなかった。手紙を送っても返事はなかった。
私は彼らに生贄に差し出されて捨てられた。
私を追い出したディーテ様とあの人は⋯⋯婚姻したのかも知れない。だから会いにも返事も来なかっただろう。
すっ⋯⋯と気持ちが冷えて行く。
この時点では起きていない事でも私にとっては起きた事。
二度と繰り返したくはない。けれど、私はディーテ様に聖女を押し付けられたからと彼女が生贄になれば良いとも思っていない。
ディーテ様に対して、あの人に対して、家族に対して、神殿関係者に対して思うところはあるけれども今それを追求してもこの時点で起きていない事象は根拠が無いの。でも、だからと言って前回のように彼らを信用する事はもうしない。
私はセオス様の力で三年前に戻った。やり直しの機会を貰った。これからは私の選択次第で未来を変えられる。
あの時は他人にに選択権を握られた。今度は私が選択権を掴むのよ。
「さあ、お嬢様お着替えの前に湯を使いましょう。準備が出来ましたらお迎えに来ますね」
そう言ってメイは紅茶をテーブルに並べて部屋を出て行く。
パタリと扉が閉まると大人しく転がっていた毛玉⋯⋯セオス様がコロコロと身を捩り始めた。
「うーん。悪い事をしたなあ。本当、悪い事をした」
暫く「うーん、うーん」と悶えてピタリと止まったセオス様は私の顔に飛びついて来た。
「ちょ、顔はやめて下さいっ──むぐっ」
顔から引き剥がして両手でセオス様を包むと、ほのかに温かかった。
「ああっ! そうだそうだ、ごめんね。君の名前、教えて」
「え、はいっ、あの、アメディア。アメディア・リシアですっ」
「アメディアね、アメディア──はああぁ⋯⋯あぁっいぃっ! 契約完了!」
「え!?」
セオス様が白い毛をワサワサっと揺らして私の手から飛び出した。
⋯⋯ええ、また私は顔面でセオス様を受け止めたわ。
「うぐっ⋯⋯セオス様、契約、とは⋯⋯」
「そのまんまの意味だよ。ボク様はアメディアの守護神になったんだ」
「ええぇぇ⋯⋯」
なんて事でしょう。
時を戻してもらった上、エワンリウム王国の国神様が私の守護に就いてしまいました。
「ボク様はアメディアに手伝って欲しいことがあるんだ」
うまい話には裏がある。
やり直し早々、私は前途多難な予感に頭を抱えた。
「そうだよー。今が「いつ」なのか、これから来る人に聞いてみれば良いよ」
セオス様がクルリと宙返りをしてポンっと毛玉に戻り、ベッドの上へ転がってすぐに扉がコンコンコンと鳴った。
「お嬢様、お目覚めになりましたか?」
ああ、この懐かしい声は⋯⋯これはメイの声。彼女は私よりずっと年上でリンと言う娘が居る。メイは家庭を持ってもリシア家の侍女の仕事を続けてくれてもう一人の姉や母親のように接してくれた。
私が神殿へと送られる時、メイとリンだけは私に付いて行くと泣いてくれたのよ。
「おはようございます。お嬢様!? どうされました!?」
「メイっ。本当に、本物のメイなのねっ」
また会えるなんて⋯⋯嬉しくて私はメイに抱きついて泣いてしまった。
一年ぶりの人の温もり、メイの温もり。
「怖い夢を見たのですか? リンもよく悪い夢を見たと言っては泣きついて来たものです。けれど、お嬢様、そんなに泣いては目が腫れますよ。今日は婚約式なのですからすぐに冷やしましょう」
「──こ、ん⋯⋯やく、しき」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に一人の男性が甦った。黒髪に金色の瞳。貴族らしい綺麗な顔を眼鏡でいつも隠していたあの人。
パーティーでディーテ様と二人、睦まじそうに踊っていたあの人。
そう、私とあの人が婚約したのは三年前の冬だった。
顔色が変わったのだろう私にメイは首を傾げたけれどすぐに水桶を用意してくれた。そして手拭いを濡らして絞ると優しく目に当ててくれる。
冷たい感触が私を冷静にしてくれた。
「あの方はずっとお嬢様をお慕いしていたとお聞きしてますし、お嬢様も想われていらっしゃいましたし相思相愛なんて素敵ですね」
「え⋯⋯ええ、そう、だったかしら」
私はあの人が好きだった。だから婚約を申し込まれた時、私は嬉しさに舞い上がり、あの人の瞳に私ではなくディーテ様が映るようになってからもそれに気が付かなかった。
「メイ、婚約を辞める事は⋯⋯出来ないわよね⋯⋯」
「まあまあ! なんて事を言うのですか。あんなに想われて、楽しみにしていらっしゃったのに」
「⋯⋯不安、なの、よ。それに、もし聖女に選ばれたら⋯⋯」
「あらあら、確かに昔は聖女に選ばれたら別れさせられたようですが、今回から聖女に選ばれても結婚は出来るのですよ」
この国に残っている聖女の文献は五百年分。過去約十人の聖女達の内、半分ほどが既婚や婚約者が居た女性だったけれど、国神様の花嫁になる事は名誉な事だと別れさせられたとか。
でも、時代が進み今でも多少は女性の意志が軽視される事はあっても人権意識が発展して聖女選定への不信感が出てくるようになり、危機感を覚えた神殿は「国神様は不幸を願わない」との声明を発表した。
それで今回から聖女が既婚者であったり婚約を結んでいたとしても国神様の許しを得れば共に神殿へと上がる事が出来るようにしたのだ。
その場合、聖女が出た家だけではなくその伴侶となる者の家も神の親族となり、エワンリウム王国で特別な待遇を受ける事になるのだ。
⋯⋯不謹慎な言い方になるけれど人間が国神様の名前を使って自分達に良いように変えたと言う事。
でも、私はディーテ様に結果をすり替えられ聖女となっても婚約は問題にならなかったはずなのに神殿に閉じ込められてから家族もあの人も来てくれなかった。手紙を送っても返事はなかった。
私は彼らに生贄に差し出されて捨てられた。
私を追い出したディーテ様とあの人は⋯⋯婚姻したのかも知れない。だから会いにも返事も来なかっただろう。
すっ⋯⋯と気持ちが冷えて行く。
この時点では起きていない事でも私にとっては起きた事。
二度と繰り返したくはない。けれど、私はディーテ様に聖女を押し付けられたからと彼女が生贄になれば良いとも思っていない。
ディーテ様に対して、あの人に対して、家族に対して、神殿関係者に対して思うところはあるけれども今それを追求してもこの時点で起きていない事象は根拠が無いの。でも、だからと言って前回のように彼らを信用する事はもうしない。
私はセオス様の力で三年前に戻った。やり直しの機会を貰った。これからは私の選択次第で未来を変えられる。
あの時は他人にに選択権を握られた。今度は私が選択権を掴むのよ。
「さあ、お嬢様お着替えの前に湯を使いましょう。準備が出来ましたらお迎えに来ますね」
そう言ってメイは紅茶をテーブルに並べて部屋を出て行く。
パタリと扉が閉まると大人しく転がっていた毛玉⋯⋯セオス様がコロコロと身を捩り始めた。
「うーん。悪い事をしたなあ。本当、悪い事をした」
暫く「うーん、うーん」と悶えてピタリと止まったセオス様は私の顔に飛びついて来た。
「ちょ、顔はやめて下さいっ──むぐっ」
顔から引き剥がして両手でセオス様を包むと、ほのかに温かかった。
「ああっ! そうだそうだ、ごめんね。君の名前、教えて」
「え、はいっ、あの、アメディア。アメディア・リシアですっ」
「アメディアね、アメディア──はああぁ⋯⋯あぁっいぃっ! 契約完了!」
「え!?」
セオス様が白い毛をワサワサっと揺らして私の手から飛び出した。
⋯⋯ええ、また私は顔面でセオス様を受け止めたわ。
「うぐっ⋯⋯セオス様、契約、とは⋯⋯」
「そのまんまの意味だよ。ボク様はアメディアの守護神になったんだ」
「ええぇぇ⋯⋯」
なんて事でしょう。
時を戻してもらった上、エワンリウム王国の国神様が私の守護に就いてしまいました。
「ボク様はアメディアに手伝って欲しいことがあるんだ」
うまい話には裏がある。
やり直し早々、私は前途多難な予感に頭を抱えた。