婚約
エワンリウム王国の国神セオス様と契約。凄い事なのだろうし、喜ばしい事なのだろうけれど、私は喜べなかった。
だって、聖女ではないのに国神様が守護神になったと言う事は⋯⋯私はまた聖女にされてしまうのではないか。
「──っ嫌! そんなの絶対嫌」
「アメディア!? 何が、嫌なんだい?」
「あっ⋯⋯」
いけない。今は婚約式の最中だった。
眼鏡を直しながら驚いた表情で私を覗き込んでいるのは婚約者になるバートル伯爵家のルセウス・バートル。
「な、何でもないの。ごめんなさい」
眉を寄せ、心配だとしながらも探るように揺れるルセウスの瞳が怖くなって私は顔を逸らしてしまった。
婚約を結ぶ前も結ばれてからも表向きルセウスは私の事をとても大切にしてくれていた。けれどそれは彼の本当の気持ちじゃない。彼の心の中には私じゃなくて別の人が居る。
今の私はそれを知っている。そう思うと胸の奥がきゅっと痛くなった。
「顔色が悪い。これが終わったら少し休もう。ほら、ここにアメディアの名前を書けば終わりだよ」
「ええ、ごめ、んなさい」
そこでまた私の身体が震えた。
ルセウスが指す先には婚約証明書。既にルセウスの名前が書かれていて私の名前を記入し貴族院へ提出すれば婚約が成立してしまう。ペンを手に取り名前を書こうとするのだけれど書きたくないと震える私の手にルセウスの手が重なった。
「アメディア⋯⋯怖がらないで。私が守るから。約束する。君を裏切らないと。だから、どうか泣かないで」
嘘吐き。貴方は大嘘吐きよ。貴方は私を裏切るの。なのに私はルセウスを嫌いになれない。それが苦しい。苦しくて悲しくて⋯⋯滲む婚約証明書に震える手で書いた私の名前。やり直せるのに、今度は私が選択権を掴むと決めたのに婚約を辞める選択が出来なかった。私はまたルセウスと婚約してしまった。
「アメディア、顔色が悪い少し庭を歩こうか? 外の空気を吸えば楽になるよ」
「ごめんなさい。だ、いじょうぶ。緊張してしまったのかも知れないわ」
「さっきからアメディアは謝ってばかりだ。謝らなくていい。私はいつもの元気に笑うアメディアが好きなんだ。笑ってもらえるなら何でもするよ」
微笑みながら私の手を取るルセウスに再び身体が強張った。
そうだ、あの時も私は泣いてしまった。今回のような悔しさからではなくて嬉しさからだったけど。
今と同じ様に手を取られ、指先まで優しく包まれて、そして告げられた言葉。
──愛している。誰よりも君を愛しているんだ──
その言葉を聞いた時は本当に幸せだった。でも、それは嘘の言葉。私への想いではなかった。
私は俯いたまま唇を引き結んだ。すると握られていた手に力が込められ引き寄せられる。突然の出来事に対応出来ずそのままルセウスの腕の中に収まってしまった。
抱きしめられている事に気付いて慌てて離れようとするけれどしっかりと腰を抱き込まれ身動きが取れなかった。
「ルセウス様! やはり婚約は無しにしましょう!」
「──っ! ⋯⋯は?」
沈黙。
やってしまった⋯⋯ルセウスの顔が見られない。
「⋯⋯ディア、自分が何を言ったのか分かっているのかい?」
愛称に変わったルセウスの声が低い。そりゃそうよね。この期に及んでこんな事を言われれば誰だって怒るだろう。
「わ、私達には政略はありません。だから、望まない婚約はしてはなりせん!」
「⋯⋯ディアは、私との婚約を望んでいない⋯⋯と言う事なのかな?」
ルセウスを盲目的に好きだった前の私なら違うと言えたけれど、今の私は望んでいない。それをちゃんと伝えないと。
「それに、今日は会った時から気になっていた。普段「様」なんて付けなかったのに、急になんだい?」
「それは、私が身の程を知らなかったから、ルセウス様には相応しい方がいらっしゃる⋯⋯と知らなかったからです」
「誰が、私に相応しいと言うのかな?」
眼鏡の奥が光り背中に回された腕の力が強まって息が詰まる。ああっ神様、国神様、セオス様! 背骨が、背骨が軋んでる気がする。このまま締め上げられたら背骨が折れる! そんな私の嘆きが届いたのか、少しだけ身体が離され呼吸が楽になった。けれど、目の前にあるルセウスの顔を見て、私は何も言えなくなってしまった。
微笑みなのだけれど目だけが笑っていない。怖い、怖すぎる。
「何をもって何を見て⋯⋯誰が相応しいと言うのかな? 私は君以外考えられない。それは何度も伝えたはずだよ。それでもディアは信じられないのかな」
ルセウスの手が頬に触れ、慈しむように撫でて来る。本当は信じたい。信じたいけれど⋯⋯私は忘れてはいない。ルセウスは会いに来てくれなかった。手紙の返事もくれなかった。たった独り。寂しさと空腹に絶望した未来を。
「信じられません」
私を見つめていたルセウスの目が大きく見開かれた。
今までの私は反抗も反発しなかったし、する必要が無かった。けれど私は決めたの。セオス様の力でやり直せるのだからあの時の選択とは違う選択をすると。
「でも、私達は婚約したんだ」
「いつでも破棄して下さい」
「ディア⋯⋯」
見つめ合うだけの時間が過ぎる。先に口を開いたのはルセウスだった。
「私は信じてもらえるよう誠実である事を誓う」
私の手の甲に口付けを落としたルセウスの手が震えている。悲しそうに細められたその瞳に胸が痛む。
確かにまだ起きていない事で不安になる必要は無いのかも知れない。ルセウスを信じてもいいのかも知れない。あの時、会いに来てくれなかった、返事もくれなかったのには理由があるのかも知れない。だけど、私は不信感をどうしても拭えないのだ。だから私は今度は自分から動く。
そう、その理由が私が思っている通りでも勘違いでもそれを知るまでは信じてはならない。
私は決意を新たにルセウスを真っ直ぐに見据えた。
だって、聖女ではないのに国神様が守護神になったと言う事は⋯⋯私はまた聖女にされてしまうのではないか。
「──っ嫌! そんなの絶対嫌」
「アメディア!? 何が、嫌なんだい?」
「あっ⋯⋯」
いけない。今は婚約式の最中だった。
眼鏡を直しながら驚いた表情で私を覗き込んでいるのは婚約者になるバートル伯爵家のルセウス・バートル。
「な、何でもないの。ごめんなさい」
眉を寄せ、心配だとしながらも探るように揺れるルセウスの瞳が怖くなって私は顔を逸らしてしまった。
婚約を結ぶ前も結ばれてからも表向きルセウスは私の事をとても大切にしてくれていた。けれどそれは彼の本当の気持ちじゃない。彼の心の中には私じゃなくて別の人が居る。
今の私はそれを知っている。そう思うと胸の奥がきゅっと痛くなった。
「顔色が悪い。これが終わったら少し休もう。ほら、ここにアメディアの名前を書けば終わりだよ」
「ええ、ごめ、んなさい」
そこでまた私の身体が震えた。
ルセウスが指す先には婚約証明書。既にルセウスの名前が書かれていて私の名前を記入し貴族院へ提出すれば婚約が成立してしまう。ペンを手に取り名前を書こうとするのだけれど書きたくないと震える私の手にルセウスの手が重なった。
「アメディア⋯⋯怖がらないで。私が守るから。約束する。君を裏切らないと。だから、どうか泣かないで」
嘘吐き。貴方は大嘘吐きよ。貴方は私を裏切るの。なのに私はルセウスを嫌いになれない。それが苦しい。苦しくて悲しくて⋯⋯滲む婚約証明書に震える手で書いた私の名前。やり直せるのに、今度は私が選択権を掴むと決めたのに婚約を辞める選択が出来なかった。私はまたルセウスと婚約してしまった。
「アメディア、顔色が悪い少し庭を歩こうか? 外の空気を吸えば楽になるよ」
「ごめんなさい。だ、いじょうぶ。緊張してしまったのかも知れないわ」
「さっきからアメディアは謝ってばかりだ。謝らなくていい。私はいつもの元気に笑うアメディアが好きなんだ。笑ってもらえるなら何でもするよ」
微笑みながら私の手を取るルセウスに再び身体が強張った。
そうだ、あの時も私は泣いてしまった。今回のような悔しさからではなくて嬉しさからだったけど。
今と同じ様に手を取られ、指先まで優しく包まれて、そして告げられた言葉。
──愛している。誰よりも君を愛しているんだ──
その言葉を聞いた時は本当に幸せだった。でも、それは嘘の言葉。私への想いではなかった。
私は俯いたまま唇を引き結んだ。すると握られていた手に力が込められ引き寄せられる。突然の出来事に対応出来ずそのままルセウスの腕の中に収まってしまった。
抱きしめられている事に気付いて慌てて離れようとするけれどしっかりと腰を抱き込まれ身動きが取れなかった。
「ルセウス様! やはり婚約は無しにしましょう!」
「──っ! ⋯⋯は?」
沈黙。
やってしまった⋯⋯ルセウスの顔が見られない。
「⋯⋯ディア、自分が何を言ったのか分かっているのかい?」
愛称に変わったルセウスの声が低い。そりゃそうよね。この期に及んでこんな事を言われれば誰だって怒るだろう。
「わ、私達には政略はありません。だから、望まない婚約はしてはなりせん!」
「⋯⋯ディアは、私との婚約を望んでいない⋯⋯と言う事なのかな?」
ルセウスを盲目的に好きだった前の私なら違うと言えたけれど、今の私は望んでいない。それをちゃんと伝えないと。
「それに、今日は会った時から気になっていた。普段「様」なんて付けなかったのに、急になんだい?」
「それは、私が身の程を知らなかったから、ルセウス様には相応しい方がいらっしゃる⋯⋯と知らなかったからです」
「誰が、私に相応しいと言うのかな?」
眼鏡の奥が光り背中に回された腕の力が強まって息が詰まる。ああっ神様、国神様、セオス様! 背骨が、背骨が軋んでる気がする。このまま締め上げられたら背骨が折れる! そんな私の嘆きが届いたのか、少しだけ身体が離され呼吸が楽になった。けれど、目の前にあるルセウスの顔を見て、私は何も言えなくなってしまった。
微笑みなのだけれど目だけが笑っていない。怖い、怖すぎる。
「何をもって何を見て⋯⋯誰が相応しいと言うのかな? 私は君以外考えられない。それは何度も伝えたはずだよ。それでもディアは信じられないのかな」
ルセウスの手が頬に触れ、慈しむように撫でて来る。本当は信じたい。信じたいけれど⋯⋯私は忘れてはいない。ルセウスは会いに来てくれなかった。手紙の返事もくれなかった。たった独り。寂しさと空腹に絶望した未来を。
「信じられません」
私を見つめていたルセウスの目が大きく見開かれた。
今までの私は反抗も反発しなかったし、する必要が無かった。けれど私は決めたの。セオス様の力でやり直せるのだからあの時の選択とは違う選択をすると。
「でも、私達は婚約したんだ」
「いつでも破棄して下さい」
「ディア⋯⋯」
見つめ合うだけの時間が過ぎる。先に口を開いたのはルセウスだった。
「私は信じてもらえるよう誠実である事を誓う」
私の手の甲に口付けを落としたルセウスの手が震えている。悲しそうに細められたその瞳に胸が痛む。
確かにまだ起きていない事で不安になる必要は無いのかも知れない。ルセウスを信じてもいいのかも知れない。あの時、会いに来てくれなかった、返事もくれなかったのには理由があるのかも知れない。だけど、私は不信感をどうしても拭えないのだ。だから私は今度は自分から動く。
そう、その理由が私が思っている通りでも勘違いでもそれを知るまでは信じてはならない。
私は決意を新たにルセウスを真っ直ぐに見据えた。