R-15
絵馬
今日はこの季節にしては比較的暖かい陽気のする天気だった。受験勉強に飽きてきていたあたしはお昼ご飯を食べた後ちょっと長めの散歩に出た。少しひとりになりたいという欲求があって。
最近、世間もあたしの身の回りも賑やかだ。クリスマスに年末にお正月。もちろんあたしの家族にとってはいつもとは違う雰囲気の年末年始だったけど。別に家族3人で話し合ってそうしたわけでもないけれど、いつもと違う雰囲気を出来るだけ毎年のそれに近いものにしようとお互いに気を使い合っていた気がする。あたしはちゃんとクリスマスプレゼントを受け取ったし、大晦日には3人で紅白を見て、元日には初詣に出かけた。訪れた神社であたしは初めて絵馬と言うものを書いた。家族3人それぞれで願い事を書いて互いに見せ合うことにした。さあ、まずはお父さんから。
「家族が仲良く幸せでいられますように。」
「あ、あたしと一緒だ。」
あたしも自分で書いた絵馬を両親に見せた。あたしとお父さんの願い事はその内容だけでなく言葉の使い方もほぼ同じだった。あたしは絵馬に
「家族が永遠に仲良しで幸せでありますように。」
と書き綴った。ふたりの絵馬にもしもちょっと違いがあるとすれば。あたしの言う家族には当然岳人のことも含まれていた。死んだ人間を家族として捉えて、しかも幸せでいたいとはどういうことなのかは知らないし説明も出来ないけれど。あたしはこれから先もずっと家族というものから岳人を差し引いて考えることは絶対に出来ない。
「ふたりとも揃っていい絵馬が書けたわね。」
お母さんはふたつの絵馬を見比べて笑った。そう言えば最近お母さんはうつの状態から少しずつ回復しているように感じられた。ちょっと前までは一日中リビングのソファに座ってボーッとしていることも多かった。医者から処方してもらった薬を飲むと眠気を伴いながら、頭が落ち着いてくると言っていた。薬の効き目が良くないときはご飯を作りながら、あるときは食べながら急に泣き出すことも多々あった。ときには電池が切れたみたいに動作が急にピタリと完全に止まってしまい、あたしやお父さんをドキドキさせることもよくあったわ。
外に出ることが怖い、車を運転することが怖いと言っていた。事故の当日岳人の運ばれた病院の傍には絶対に近寄れないと言って。斎場よりも病院の傍の方が怖いらしかった。だけども年末が近くなった頃から少しずつ表情を持たない時間が減って、その分笑顔を作っている時間が長くなってきたの。あたしはそのことがとても嬉しかったわ。
あたしは今でも岳人のことを一番愛しているのは自分であると自負している。だけれどもお母さんだって決してあたしに負けないくらいあの子のことを愛していたに違いない。昔からよく言っていた。
「お母さんの一番の幸せは優江と岳人が笑って元気にしていることだからね。」
と。愛していたからこそ失ったときの傷はとても深いのだろう。あたしもそうだけど、岳人はお母さんが自分のお腹を痛めて産んだ子だ。お腹に宿している時間も含めればお母さんが一番岳人と一緒の時間を過ごしてきたのだろう。ただ、一緒にいる時間と愛の分量は必ずしも比例するものだとは思わなかったけどね。
別にあたしの方がお母さんよりあの子のことを愛していたと主張したいわけではない。そもそも愛というものの本質が誰かと比較すべきものであるとは思えなかったし。あたしだってあの子のことを思い出して泣く夜もあるし、悲しさで異常に胸が痛くなったり苦しくなることもある。
今度は間違いなくあたしの順番だ。目の前には自分の死が見えている。
実に残されている時間はわずか1年数カ月程になっていた。今のあたしは死という単語が頭を過るだけで狂っていたいつかの自分とは全く違っていた。不安や恐怖があることは間違いないのだけれど、今から身や心を震わせていても仕方がないと開き直っている部分もあった。だってまだその日まで1年以上もあるのだからね。
「お母さんは絵馬に何て書いたの?」
お母さんは微笑んではいたもののその表情の中には若干の曇りも見て取れた。お母さんから手渡された絵馬を見てあたしはドキッとした。
「優江がいつまでも元気で幸せでありますように。」
正直、青ざめてしまったよ。お母さんは、自分の幸せはあたしと岳人の幸せだと言ってくれていたが、岳人は非常に残念ながら亡くなってしまって、お母さんの幸せは全てあたしの肩に乗っかっているのだ。ところがあたしもあと1年ちょっとでこの世の去ることになる。
あたしも死ぬのはもちろん嫌だけど、それ以上にお母さんにショックを与えるのが怖かった。あたしが死んだらお母さんの願いはなにになるんだろう。お母さんの願い事が無くなるのは悲しいこと。お母さんの願い事が叶わないこともさらに怖い。あたしは若干震えた手で絵馬をお母さんに返した。お母さん、願いが叶わなかったらそれはあたしのせいなの。決して自分を責めたりしないでね。自分の運命を呪ったりしないでね。あたしはあなたを悲しませる悪い子になってしまったの。
最近、世間もあたしの身の回りも賑やかだ。クリスマスに年末にお正月。もちろんあたしの家族にとってはいつもとは違う雰囲気の年末年始だったけど。別に家族3人で話し合ってそうしたわけでもないけれど、いつもと違う雰囲気を出来るだけ毎年のそれに近いものにしようとお互いに気を使い合っていた気がする。あたしはちゃんとクリスマスプレゼントを受け取ったし、大晦日には3人で紅白を見て、元日には初詣に出かけた。訪れた神社であたしは初めて絵馬と言うものを書いた。家族3人それぞれで願い事を書いて互いに見せ合うことにした。さあ、まずはお父さんから。
「家族が仲良く幸せでいられますように。」
「あ、あたしと一緒だ。」
あたしも自分で書いた絵馬を両親に見せた。あたしとお父さんの願い事はその内容だけでなく言葉の使い方もほぼ同じだった。あたしは絵馬に
「家族が永遠に仲良しで幸せでありますように。」
と書き綴った。ふたりの絵馬にもしもちょっと違いがあるとすれば。あたしの言う家族には当然岳人のことも含まれていた。死んだ人間を家族として捉えて、しかも幸せでいたいとはどういうことなのかは知らないし説明も出来ないけれど。あたしはこれから先もずっと家族というものから岳人を差し引いて考えることは絶対に出来ない。
「ふたりとも揃っていい絵馬が書けたわね。」
お母さんはふたつの絵馬を見比べて笑った。そう言えば最近お母さんはうつの状態から少しずつ回復しているように感じられた。ちょっと前までは一日中リビングのソファに座ってボーッとしていることも多かった。医者から処方してもらった薬を飲むと眠気を伴いながら、頭が落ち着いてくると言っていた。薬の効き目が良くないときはご飯を作りながら、あるときは食べながら急に泣き出すことも多々あった。ときには電池が切れたみたいに動作が急にピタリと完全に止まってしまい、あたしやお父さんをドキドキさせることもよくあったわ。
外に出ることが怖い、車を運転することが怖いと言っていた。事故の当日岳人の運ばれた病院の傍には絶対に近寄れないと言って。斎場よりも病院の傍の方が怖いらしかった。だけども年末が近くなった頃から少しずつ表情を持たない時間が減って、その分笑顔を作っている時間が長くなってきたの。あたしはそのことがとても嬉しかったわ。
あたしは今でも岳人のことを一番愛しているのは自分であると自負している。だけれどもお母さんだって決してあたしに負けないくらいあの子のことを愛していたに違いない。昔からよく言っていた。
「お母さんの一番の幸せは優江と岳人が笑って元気にしていることだからね。」
と。愛していたからこそ失ったときの傷はとても深いのだろう。あたしもそうだけど、岳人はお母さんが自分のお腹を痛めて産んだ子だ。お腹に宿している時間も含めればお母さんが一番岳人と一緒の時間を過ごしてきたのだろう。ただ、一緒にいる時間と愛の分量は必ずしも比例するものだとは思わなかったけどね。
別にあたしの方がお母さんよりあの子のことを愛していたと主張したいわけではない。そもそも愛というものの本質が誰かと比較すべきものであるとは思えなかったし。あたしだってあの子のことを思い出して泣く夜もあるし、悲しさで異常に胸が痛くなったり苦しくなることもある。
今度は間違いなくあたしの順番だ。目の前には自分の死が見えている。
実に残されている時間はわずか1年数カ月程になっていた。今のあたしは死という単語が頭を過るだけで狂っていたいつかの自分とは全く違っていた。不安や恐怖があることは間違いないのだけれど、今から身や心を震わせていても仕方がないと開き直っている部分もあった。だってまだその日まで1年以上もあるのだからね。
「お母さんは絵馬に何て書いたの?」
お母さんは微笑んではいたもののその表情の中には若干の曇りも見て取れた。お母さんから手渡された絵馬を見てあたしはドキッとした。
「優江がいつまでも元気で幸せでありますように。」
正直、青ざめてしまったよ。お母さんは、自分の幸せはあたしと岳人の幸せだと言ってくれていたが、岳人は非常に残念ながら亡くなってしまって、お母さんの幸せは全てあたしの肩に乗っかっているのだ。ところがあたしもあと1年ちょっとでこの世の去ることになる。
あたしも死ぬのはもちろん嫌だけど、それ以上にお母さんにショックを与えるのが怖かった。あたしが死んだらお母さんの願いはなにになるんだろう。お母さんの願い事が無くなるのは悲しいこと。お母さんの願い事が叶わないこともさらに怖い。あたしは若干震えた手で絵馬をお母さんに返した。お母さん、願いが叶わなかったらそれはあたしのせいなの。決して自分を責めたりしないでね。自分の運命を呪ったりしないでね。あたしはあなたを悲しませる悪い子になってしまったの。