R-15
おうちデート
私は先輩を先導するように、日陰を選んで自転車で走り出す。
大きな通りは避けているので、多少並走になっても特に問題はない。この辺りはまだ昔ながらの家と曲がりくねった道が残っているけど、もう少し行くと、整然とした住宅街へと変わっていく。
私たちはその手前でコンビニに立ち寄った。
秋波市でのショッピングを途中で切り上げた分、私の家に寄って行きませんかと、提案したのだ。
店内に入ると冷房がよく効いていて気持ちいい。
先輩はポテトチップスやポッキーをカゴに入れ、私はシェアして食べるために、別の味を買う。そして飲み物のコーナーでは先輩は桃のフレーバーティーを、私はいつもの乳酸菌飲料を選ぶ。
会計を済ませ、店を出て走り始めると、後ろから先輩が声を掛けてくる。
「ねえ、あーちゃん」
「はい?」
「体調、大丈夫なんだよね?」
「はい。大丈夫ですけど。 ・・・あ、もしかして何か用事ありました?」
それなのに私のせいで付き合わせては、申し訳ない。
「あ、違うの。用事なんかはないんだけど、その・・・」
珍しく先輩が歯切れ悪く言う。
「私があーちゃんちに押し掛けていいのかなって・・・」
なんだ、駅で言ってたことと逆じゃないか・・・
「もうここまで来たんですから、せめて寄って行ってくださいよ」
「うん、ごめんね。 ・・・何か、あーちゃんちにお邪魔すると思うと、緊張してきたみたいで」
「意外ですね」
「何が?」
「だって先輩、友達多いでしょう? 友達の家に遊びに行くくらい普通かと思ってました」
「あーちゃんは友達じゃなくて恋人だから・・・」
先輩は嬉しくなるようなことをさらっと言うなぁ・・・
「でもお泊りもした仲じゃないですか」
普通の往来なので、そんなふうに言ったが、私たちはすでにラブホで一晩一緒に過ごしたこともある仲だ。
「その時と、あーちゃんちに行くのとはわけが違うよ」
何か先輩の中でこだわりがあるらしい。
「そういうものですか?」
そう言って、私は自宅の前で自転車を止める。
「ここです」
「へ、へぇ・・・」
同じように自転車を止めた先輩が、驚いたように目の前の建物を見上げる。
この辺は決して高級住宅街というわけではないけど、建売ではない大きな家もちらほらとある。
私の家はそれらの中でも大きな部類だ。しかも建てた父が一級建築士ということもあって、やけに凝ったデザインの三階建て。ここからは見えないけど地下室まである。とりあえず、一度見たら忘れることはないだろう。
「先輩の自転車もここに入れてください」
私はガレージのシャッターを開けると、ガランとした中に自転車を入れる。
そして玄関の鍵を開け、自分の部屋へと先輩を案内する。ドアを開けると、部屋の中はカーテン越しの太陽光がぼんやり差し込んでおり、クーラーをつけなくてもそれなりに涼しい。
私はウォークインクローゼットの前に秋波市での買い物袋を置くと、部屋の真ん中のテーブルにお菓子類の入ったマイバッグを置く。そして汗が引くまでと思い、クーラーを付ける。
「寒かったら言ってくださいね」
そうして振り返ると、先輩が目を丸くしていた。
「どうしました?」
「いや、えっと・・・ 広いなぁって」
「私には広すぎるくらいですけどね」
私は平然を装いながら、部屋の中に散乱していた通販の箱や、今日の予習用にと買ったファッション誌をさりげなく片隅に追いやる。
だらしないとか思われなかっただろうか・・・
「それにおっきい本棚。見てもいい?」
「え、いいですけど」
図書委員に立候補するだけのこともあって、本は好きなのだろう。私の部屋の一角を占める大きな本棚の中身を、覗き込むようにする。
半分ほどは漫画やライトノベルだけど、もう半分にはハードカバーや科学系の解説書や雑誌、辞書などが詰め込まれている。
「難しそうな本がいっぱいだね・・・ こういうの読むんだ」
「そうですね。読み切る前にどんどん新しいのを買ってしまうんですけどね」
「これがお気に入りなの?」
そう言って先輩はディスプレイされていた『ネビュラ通信』というSF雑誌のバックナンバーを手に取る。
弱小と言っていいくらいの出版社の雑誌で、SFファンでも『そう言えばそんなのがあったような』程度の認識だろう。
「あ、いえ、飾ってあったのは表紙がきれいだったからで、その時の気分でちょくちょく変えるんですよ」
思わず誤魔化してしまうけど、先輩は何も気にしていないようだ。
「ふ~ん、このぐるぐるっとした星がきれいだもんね~ でもあーちゃんが買うくらいだから中身も面白いんだろうね」
先輩は丁寧にその雑誌を戻す。
「先輩も本とか読みます?」
「うん、読むよ。家では本読んだり、映画見たりだね。ラブコメとかミステリーとかが多いけど」
確かに先輩に似合いそうなジャンルだ。
「じゃあ、ジャンルは違いますね」
「でも丁度いいじゃない。お互いのお薦めを教え合おうよ」
先輩が楽しげに言う。
「そうですか? じゃあ、これなんか読んでみます?」
私はざっと本のタイトルを眺め、『路地裏の猫たち』という文庫本を取り出す。それはSF色は薄目で、どちらかというと恋愛ものに近い。
「ありがとう。帰ったらさっそく読んでみるね」
嬉しそうに先輩はそれをカバンにしまう。
「別に全部読み切らなくていいですからね」
私はそう断りを入れる。私に気を遣って、無理に読んでつまらない思いをさせては申し訳ない。
「大丈夫だよ。 ・・・ねぇ、あーちゃんはスマホのゲームとかしてる?」
「いえ、スマホ自体あまりいじらないですね・・・」
「そうなんだ。ちょっとお勧めがあってね」
そう言いながら先輩は自分のスマホを見せてくる。かわいい女の子がポーズを決めている、ゲームの開始画面だ。
「このゲーム知ってる? パソコンゲーム原作の育成ゲームなんだけど」
「あぁ、名前くらいなら聞いたことありますよ。ネットのCMでもやってたし、流行ってるみたいですね」
「ちょっとやってみない?」
「まぁ、先輩が教えてくれるなら・・・」
そうして私はスマホを手に取り、そのアプリをダウンロードした。
アプリゲームをしていないのは、別にゲームが嫌いだからではない。最初の操作方法ですぐに躓いてしまうのだ。それで、面白さが分かる前にやめてしまう。
ゲームを起動すると、女の子たちが次々に現れて、世界観などを説明していく。プレイヤーとトレーニングをして強化していくバトル物のようだ。
「それで、最初に無料ガチャがあるから、それで好きなキャラが出たら、その娘で始めればいいから」
先輩が私のスマホを覗き込みながら解説してくれる。
とりあえずガチャを回してみると、十人の女の子が次々と出てくる。でも、ピンとくるような娘はいない。やり直してもう一度回すが、やはりピンとこない。
もう次のガチャで出た娘で始めるかと思っていたところ、その十人の中に、見覚えのある絵柄の娘がいた。
「ん?」
これは、いつもお世話になってる神絵師の・・・
この頭身のバランス、瞳の描き方、そして荒ぶる乳。間違いない。こんな仕事もしていたのか・・・
「あ~、一応レアキャラだけど、その娘は難易度高めなんだよね」
「でも先輩が教えてくれるんですよね?」
私はその娘で決定ボタンを押す。
そしてゲーム序盤は、先輩の指導もあり、さくさくと進んでいく。もっとも、私はゲーム内容よりも、神絵師のイラストが画面内で動き回っているということに感動していたんだけど。
それでも、そんなに長くゲームをできるほどの集中力はない。
それに丁度、行動ポイントが切れて、回復が必要になったところだ。
一旦スマホは置いて、私たちはおやつに手を出す。
「そう言えば、あーちゃんっていつからあの迷路やってるの?」
禍で出来た迷路は、先輩と親しくなるきっかけでもあり、すでに何回か先輩と一緒に攻略している。
「六月上旬ですから、まだ一か月ちょっとですね」
「ふ~ん、私が心を読めるようになったのもそのくらいだから、やっぱり予め準備されていたものなのかな」
そうなのか。
私の幻覚を自称する私Bが出現したのも、私が相手の本心が聞こえるようになったのも、黒いモヤモヤが見えるようになったのも、全部同時期というわけだ。
私には世界の修復機構の一部として、増えすぎた禍を分解するという役目があるらしい。
そして、私自身にはそのための福の力が少ないんだけど、心を読む力のおかげで、膨大な福を持つ先輩から補充してもらえる。
ここまでそろえば、能力自体は予めセットになっていたというのは間違いないだろう。
「そうかもしれませんね。でも私が先輩のことを好きになったのは、そんな事とは関係ないと思いますけどね」
私がそう言うと、先輩は相好を崩して、脇腹をつついてくる。
「もう、あーちゃんってば、すぐそういうこと言う~」
いや、食べてるときに脇腹つつくのは止めて欲しいんだけど。
「私も、自分の役目とか関係なしに、あーちゃんのこと、好きだよ」
そう言って奇声をあげながら、背中をバンバン叩いてくる。おばちゃんじゃないんだから、そういう反応も止めて欲しいんだけど。
先輩は役目と言ったけど、先輩には禍福が見えるような力はないし、私にいろいろ説明してくれる私Bの存在も認識できない。
つまり先輩は、中途半端にしか知らない私の、さらに中途半端な説明だけを信じて、ついて来てくれているのだ。
「・・・先輩は迷路に入るの、嫌だとか、怖いとか思います?」
先輩は最初、迷路に取り込まれてしまった時には一時間以上もあの中を一人で彷徨ったらしい。
そんな経験をすれば、入りたくないと思っても無理はないと思うけど。
「今はあんまり、そういうのはないかな。あーちゃんと一緒だし。相変わらず変なところだとは思うけど」
確かに先輩には、私が壊して回っている黒い壁も、宙に浮いてる目玉も見えていない。先輩に見えているのは、ただ同じような景色が延々と続く迷路だけだ。
「あの迷路って、やっぱり危険な所なの?」
「普通の人にとっては、そうらしいです。でも私は別に影響は受けませんし、先輩も私と一緒にいれば安全なはずです。まぁ、今後は向こうから攻撃してくるかもとか言われましたけど」
「あーちゃんの幻覚に?」
「そうです」
「ふーん・・・ 私も何かできるようになった方がいいのかなぁ」
「何かできるんですかねぇ」
思案顔の先輩にそう返すと、先輩はわざと怒ったような顔をする。
「役立たずだって言いたいわけ? 私だって頑張れば何か・・・」
「いえいえ、そういう意味じゃなくて」
私は両手をあげて、先輩をなだめる。
「私は別に努力も練習もしてないですし、ただ勝手に出てくるハンマーで、目の前のものを壊してるだけなんで。だから、こういった力が成長するかどうかさえ分からないんですよ」
根本的に、迷路の中でやっていることは、自分の力という実感がない。
一般人には危険と言われても、私は一度も影響を受けたことがないわけだから、何がどの程度危険なのかも実感がない。
福が無くなるとヤバイ、というのは分かったけど、福さえあれば、今まで通りだ。
ゲームのように、経験値でレベルアップ、というのとは違うのかもしれない。
「実際のところ、先輩は私より体力もあるし、運動神経もいいじゃないですか。それだけで、何が起こるか分からない迷路の中では頼りになりますし、何より、先輩と一緒にいると勇気が出るんです」
そう言うと、先輩は照れたように俯く。
「え、そ、そうなの? じゃあ、私と会う前はどうしてたの?」
「前はもっと簡単だったんですよ。今は黒い壁だらけですけど、前はそんなのありませんでしたし。最初の迷路なんか、入って五分くらいでゴールしたんですよ」
それが今では、早くて二時間ほど掛かっている。
「迷路も進化してるってこと?」
「そうかもしれませんね。おかげで足腰は鍛えられてる気はしますけど」
「私も~」
先輩が足を伸ばしながら笑う。
「ところでさ、あーちゃんって誕生日いつ?」
唐突に先輩が聞いてくる。これは自分の誕生日を言いたい流れだな・・・
「私は9月ですよ。9月3日」
「へぇ~、そうなんだ」
先輩はニコニコとこちらを見ている。
「そうなんですよ」
私はわざと期待されていることを言わない。
だが先輩も何も言わずにニコニコしたままだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・先輩の誕生日はいつなんですか?」
しばらく二人で黙っていたけど、結局は先輩の可愛さに負けて、そう言ってしまう。
「え~、私~? 私は7月8日」
丁度、来週の日曜日だ。
あからさまなプレゼント催促だけど、それで先輩の笑顔が見られるならお安いものだ。今日のお礼もかねて、先輩にぴったりのプレゼントを準備しておこう。
そうして先輩は笑いながら、私のスマホを覗き込んでくる。
「ねぇ、行動ポイント溜まった? そろそろ進化できるはずだけど」
先輩がそう言うのでゲームを起動してみると、行動できるようになっている。
確か、こうやって・・・
先輩に教わったことを繰り返していると、画面が派手に光り始める。
「先輩? これは?」
「あ~、進化の確定演出だよ。一発で引き当てるなんて、いいなぁ」
「へぇ~」
画面内ではお気に入りのキャラがくるくると踊っている。
キャラごとにこういう演出があるんだったら、面白いかも・・・
でも、そう思ったのも束の間、なぜか私のお気に入りキャラの衣装が弾け飛んでいく。一枚、二枚と剥がされ、ついにはほとんど下着状態になってしまう。もちろん大事な部分は隠されているけど、キャラが顔を赤くして笑顔を作っているのが、余計にエッチな感じがする。
「先輩・・・?」
「ん?」
先輩は何の気なしにスマホを覗き込み、慌てて画面を隠す。
「あ、ごめん、違うの。違う。全年齢版のつもりだったけど、ごめんね。それ、スキップできるから。違うの。今からでも全年齢版に変えられるから。大丈夫だから」
先輩は私のスマホをいじろうとして、横から抱き着き、スマホを持つ私の手に、自分の手を重ねてくる。
「いえ、私はこのままでもいいんですけど・・・」
「いや、ホント。わざとじゃないから」
そう言いながら、先輩はさらに体を密着させると、私の腕が柔らかい感触に包まれる。
先輩の顔がすぐ近くにある。先輩の声が耳元から聞こえる。先輩のいい匂いがする。
ここまでやっておきながら、本当にわざとじゃないんだろうなぁ。スマホも、この体勢も。
「先輩・・・?」
「え?」
私がスマホを置くと、先輩がこちらを振り向く。そこでようやく自分の近さに気付いたようだ。
私は先輩が体を離す前に、その肩を掴む。
そしてじっと先輩の瞳を見つめると、先輩は静かに目を閉じた。
先輩は少し頬を赤く染め、その小さな唇をわずかに開いている。薄く塗られたリップクリームが光っている。
「あーちゃん・・・」
先輩が私の名前を呼ぶ。
「先輩・・・」
私は返事をして、ゆっくりと顔を近づけた。
「・・・最後は私がするつもりだったのに」
「だって、あーちゃんが可愛いんだもん」
ベッドに寝転がったまま、私が不満げに漏らすと、先輩がそう言って苦笑いする。
「お詫びに、今度は私のこと好きにしていいから」
「先輩・・・ そんなこと言うと、酷いことするかもしれませんよ」
「いいよ、あーちゃんがしてくれるんだったら、何でも」
「もう、ホントに先輩はドMなんだから・・・」
私が先輩に体を寄せると、先輩は目を閉じてかわいらしく唇を突き出してくる。
私はそこにありったけの愛情を注いだキスをした。
そうして、ようやく二人で体を起こす。
「・・・ごめんね。ベッド、ぐちゃぐちゃにして」
「いえ、どうせシーツは替えるつもりでしたから。それより、シャワー浴びに行きましょう」
お風呂から出ると、私は準備してあったミントグリーンの下着を付けて、先輩にはセット売りで買って、まだ使っていなかったピンク色の物を渡した。
先輩の髪からいつもの私と同じ匂いがしてると思うと、なんというか征服欲が満たされる感じがする。
その後はキッチンにカップアイスを取りに行き、自室に戻る。
階段を登る時に後ろからカップアイスをお尻にチョンとつけると、『はぅんっ!』とおかしな声をあげて、口をとがらせていた。
先輩は反応がかわいいからいたずらしたくなるんだよなぁ・・・
でもいたずらはここまで。
その後は先輩に教えてもらいながらスマホゲームの続きをしたり、ファッションの話を聞いたりしながら、まったりと過ごした。
やっぱり私はこういうデートの方が性に合っているんだろう。
夕方になり、私が駅まで送っていくと言ったけど、先輩は『あーちゃんは病み上がりなんだから』と辞退した。
病み上がりの人間は、あんなことしないでしょ、と思うけど、ここは先輩に従っておく。
私は名残惜しい気持ちで、ガレージから先輩を見送った。
大きな通りは避けているので、多少並走になっても特に問題はない。この辺りはまだ昔ながらの家と曲がりくねった道が残っているけど、もう少し行くと、整然とした住宅街へと変わっていく。
私たちはその手前でコンビニに立ち寄った。
秋波市でのショッピングを途中で切り上げた分、私の家に寄って行きませんかと、提案したのだ。
店内に入ると冷房がよく効いていて気持ちいい。
先輩はポテトチップスやポッキーをカゴに入れ、私はシェアして食べるために、別の味を買う。そして飲み物のコーナーでは先輩は桃のフレーバーティーを、私はいつもの乳酸菌飲料を選ぶ。
会計を済ませ、店を出て走り始めると、後ろから先輩が声を掛けてくる。
「ねえ、あーちゃん」
「はい?」
「体調、大丈夫なんだよね?」
「はい。大丈夫ですけど。 ・・・あ、もしかして何か用事ありました?」
それなのに私のせいで付き合わせては、申し訳ない。
「あ、違うの。用事なんかはないんだけど、その・・・」
珍しく先輩が歯切れ悪く言う。
「私があーちゃんちに押し掛けていいのかなって・・・」
なんだ、駅で言ってたことと逆じゃないか・・・
「もうここまで来たんですから、せめて寄って行ってくださいよ」
「うん、ごめんね。 ・・・何か、あーちゃんちにお邪魔すると思うと、緊張してきたみたいで」
「意外ですね」
「何が?」
「だって先輩、友達多いでしょう? 友達の家に遊びに行くくらい普通かと思ってました」
「あーちゃんは友達じゃなくて恋人だから・・・」
先輩は嬉しくなるようなことをさらっと言うなぁ・・・
「でもお泊りもした仲じゃないですか」
普通の往来なので、そんなふうに言ったが、私たちはすでにラブホで一晩一緒に過ごしたこともある仲だ。
「その時と、あーちゃんちに行くのとはわけが違うよ」
何か先輩の中でこだわりがあるらしい。
「そういうものですか?」
そう言って、私は自宅の前で自転車を止める。
「ここです」
「へ、へぇ・・・」
同じように自転車を止めた先輩が、驚いたように目の前の建物を見上げる。
この辺は決して高級住宅街というわけではないけど、建売ではない大きな家もちらほらとある。
私の家はそれらの中でも大きな部類だ。しかも建てた父が一級建築士ということもあって、やけに凝ったデザインの三階建て。ここからは見えないけど地下室まである。とりあえず、一度見たら忘れることはないだろう。
「先輩の自転車もここに入れてください」
私はガレージのシャッターを開けると、ガランとした中に自転車を入れる。
そして玄関の鍵を開け、自分の部屋へと先輩を案内する。ドアを開けると、部屋の中はカーテン越しの太陽光がぼんやり差し込んでおり、クーラーをつけなくてもそれなりに涼しい。
私はウォークインクローゼットの前に秋波市での買い物袋を置くと、部屋の真ん中のテーブルにお菓子類の入ったマイバッグを置く。そして汗が引くまでと思い、クーラーを付ける。
「寒かったら言ってくださいね」
そうして振り返ると、先輩が目を丸くしていた。
「どうしました?」
「いや、えっと・・・ 広いなぁって」
「私には広すぎるくらいですけどね」
私は平然を装いながら、部屋の中に散乱していた通販の箱や、今日の予習用にと買ったファッション誌をさりげなく片隅に追いやる。
だらしないとか思われなかっただろうか・・・
「それにおっきい本棚。見てもいい?」
「え、いいですけど」
図書委員に立候補するだけのこともあって、本は好きなのだろう。私の部屋の一角を占める大きな本棚の中身を、覗き込むようにする。
半分ほどは漫画やライトノベルだけど、もう半分にはハードカバーや科学系の解説書や雑誌、辞書などが詰め込まれている。
「難しそうな本がいっぱいだね・・・ こういうの読むんだ」
「そうですね。読み切る前にどんどん新しいのを買ってしまうんですけどね」
「これがお気に入りなの?」
そう言って先輩はディスプレイされていた『ネビュラ通信』というSF雑誌のバックナンバーを手に取る。
弱小と言っていいくらいの出版社の雑誌で、SFファンでも『そう言えばそんなのがあったような』程度の認識だろう。
「あ、いえ、飾ってあったのは表紙がきれいだったからで、その時の気分でちょくちょく変えるんですよ」
思わず誤魔化してしまうけど、先輩は何も気にしていないようだ。
「ふ~ん、このぐるぐるっとした星がきれいだもんね~ でもあーちゃんが買うくらいだから中身も面白いんだろうね」
先輩は丁寧にその雑誌を戻す。
「先輩も本とか読みます?」
「うん、読むよ。家では本読んだり、映画見たりだね。ラブコメとかミステリーとかが多いけど」
確かに先輩に似合いそうなジャンルだ。
「じゃあ、ジャンルは違いますね」
「でも丁度いいじゃない。お互いのお薦めを教え合おうよ」
先輩が楽しげに言う。
「そうですか? じゃあ、これなんか読んでみます?」
私はざっと本のタイトルを眺め、『路地裏の猫たち』という文庫本を取り出す。それはSF色は薄目で、どちらかというと恋愛ものに近い。
「ありがとう。帰ったらさっそく読んでみるね」
嬉しそうに先輩はそれをカバンにしまう。
「別に全部読み切らなくていいですからね」
私はそう断りを入れる。私に気を遣って、無理に読んでつまらない思いをさせては申し訳ない。
「大丈夫だよ。 ・・・ねぇ、あーちゃんはスマホのゲームとかしてる?」
「いえ、スマホ自体あまりいじらないですね・・・」
「そうなんだ。ちょっとお勧めがあってね」
そう言いながら先輩は自分のスマホを見せてくる。かわいい女の子がポーズを決めている、ゲームの開始画面だ。
「このゲーム知ってる? パソコンゲーム原作の育成ゲームなんだけど」
「あぁ、名前くらいなら聞いたことありますよ。ネットのCMでもやってたし、流行ってるみたいですね」
「ちょっとやってみない?」
「まぁ、先輩が教えてくれるなら・・・」
そうして私はスマホを手に取り、そのアプリをダウンロードした。
アプリゲームをしていないのは、別にゲームが嫌いだからではない。最初の操作方法ですぐに躓いてしまうのだ。それで、面白さが分かる前にやめてしまう。
ゲームを起動すると、女の子たちが次々に現れて、世界観などを説明していく。プレイヤーとトレーニングをして強化していくバトル物のようだ。
「それで、最初に無料ガチャがあるから、それで好きなキャラが出たら、その娘で始めればいいから」
先輩が私のスマホを覗き込みながら解説してくれる。
とりあえずガチャを回してみると、十人の女の子が次々と出てくる。でも、ピンとくるような娘はいない。やり直してもう一度回すが、やはりピンとこない。
もう次のガチャで出た娘で始めるかと思っていたところ、その十人の中に、見覚えのある絵柄の娘がいた。
「ん?」
これは、いつもお世話になってる神絵師の・・・
この頭身のバランス、瞳の描き方、そして荒ぶる乳。間違いない。こんな仕事もしていたのか・・・
「あ~、一応レアキャラだけど、その娘は難易度高めなんだよね」
「でも先輩が教えてくれるんですよね?」
私はその娘で決定ボタンを押す。
そしてゲーム序盤は、先輩の指導もあり、さくさくと進んでいく。もっとも、私はゲーム内容よりも、神絵師のイラストが画面内で動き回っているということに感動していたんだけど。
それでも、そんなに長くゲームをできるほどの集中力はない。
それに丁度、行動ポイントが切れて、回復が必要になったところだ。
一旦スマホは置いて、私たちはおやつに手を出す。
「そう言えば、あーちゃんっていつからあの迷路やってるの?」
禍で出来た迷路は、先輩と親しくなるきっかけでもあり、すでに何回か先輩と一緒に攻略している。
「六月上旬ですから、まだ一か月ちょっとですね」
「ふ~ん、私が心を読めるようになったのもそのくらいだから、やっぱり予め準備されていたものなのかな」
そうなのか。
私の幻覚を自称する私Bが出現したのも、私が相手の本心が聞こえるようになったのも、黒いモヤモヤが見えるようになったのも、全部同時期というわけだ。
私には世界の修復機構の一部として、増えすぎた禍を分解するという役目があるらしい。
そして、私自身にはそのための福の力が少ないんだけど、心を読む力のおかげで、膨大な福を持つ先輩から補充してもらえる。
ここまでそろえば、能力自体は予めセットになっていたというのは間違いないだろう。
「そうかもしれませんね。でも私が先輩のことを好きになったのは、そんな事とは関係ないと思いますけどね」
私がそう言うと、先輩は相好を崩して、脇腹をつついてくる。
「もう、あーちゃんってば、すぐそういうこと言う~」
いや、食べてるときに脇腹つつくのは止めて欲しいんだけど。
「私も、自分の役目とか関係なしに、あーちゃんのこと、好きだよ」
そう言って奇声をあげながら、背中をバンバン叩いてくる。おばちゃんじゃないんだから、そういう反応も止めて欲しいんだけど。
先輩は役目と言ったけど、先輩には禍福が見えるような力はないし、私にいろいろ説明してくれる私Bの存在も認識できない。
つまり先輩は、中途半端にしか知らない私の、さらに中途半端な説明だけを信じて、ついて来てくれているのだ。
「・・・先輩は迷路に入るの、嫌だとか、怖いとか思います?」
先輩は最初、迷路に取り込まれてしまった時には一時間以上もあの中を一人で彷徨ったらしい。
そんな経験をすれば、入りたくないと思っても無理はないと思うけど。
「今はあんまり、そういうのはないかな。あーちゃんと一緒だし。相変わらず変なところだとは思うけど」
確かに先輩には、私が壊して回っている黒い壁も、宙に浮いてる目玉も見えていない。先輩に見えているのは、ただ同じような景色が延々と続く迷路だけだ。
「あの迷路って、やっぱり危険な所なの?」
「普通の人にとっては、そうらしいです。でも私は別に影響は受けませんし、先輩も私と一緒にいれば安全なはずです。まぁ、今後は向こうから攻撃してくるかもとか言われましたけど」
「あーちゃんの幻覚に?」
「そうです」
「ふーん・・・ 私も何かできるようになった方がいいのかなぁ」
「何かできるんですかねぇ」
思案顔の先輩にそう返すと、先輩はわざと怒ったような顔をする。
「役立たずだって言いたいわけ? 私だって頑張れば何か・・・」
「いえいえ、そういう意味じゃなくて」
私は両手をあげて、先輩をなだめる。
「私は別に努力も練習もしてないですし、ただ勝手に出てくるハンマーで、目の前のものを壊してるだけなんで。だから、こういった力が成長するかどうかさえ分からないんですよ」
根本的に、迷路の中でやっていることは、自分の力という実感がない。
一般人には危険と言われても、私は一度も影響を受けたことがないわけだから、何がどの程度危険なのかも実感がない。
福が無くなるとヤバイ、というのは分かったけど、福さえあれば、今まで通りだ。
ゲームのように、経験値でレベルアップ、というのとは違うのかもしれない。
「実際のところ、先輩は私より体力もあるし、運動神経もいいじゃないですか。それだけで、何が起こるか分からない迷路の中では頼りになりますし、何より、先輩と一緒にいると勇気が出るんです」
そう言うと、先輩は照れたように俯く。
「え、そ、そうなの? じゃあ、私と会う前はどうしてたの?」
「前はもっと簡単だったんですよ。今は黒い壁だらけですけど、前はそんなのありませんでしたし。最初の迷路なんか、入って五分くらいでゴールしたんですよ」
それが今では、早くて二時間ほど掛かっている。
「迷路も進化してるってこと?」
「そうかもしれませんね。おかげで足腰は鍛えられてる気はしますけど」
「私も~」
先輩が足を伸ばしながら笑う。
「ところでさ、あーちゃんって誕生日いつ?」
唐突に先輩が聞いてくる。これは自分の誕生日を言いたい流れだな・・・
「私は9月ですよ。9月3日」
「へぇ~、そうなんだ」
先輩はニコニコとこちらを見ている。
「そうなんですよ」
私はわざと期待されていることを言わない。
だが先輩も何も言わずにニコニコしたままだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・先輩の誕生日はいつなんですか?」
しばらく二人で黙っていたけど、結局は先輩の可愛さに負けて、そう言ってしまう。
「え~、私~? 私は7月8日」
丁度、来週の日曜日だ。
あからさまなプレゼント催促だけど、それで先輩の笑顔が見られるならお安いものだ。今日のお礼もかねて、先輩にぴったりのプレゼントを準備しておこう。
そうして先輩は笑いながら、私のスマホを覗き込んでくる。
「ねぇ、行動ポイント溜まった? そろそろ進化できるはずだけど」
先輩がそう言うのでゲームを起動してみると、行動できるようになっている。
確か、こうやって・・・
先輩に教わったことを繰り返していると、画面が派手に光り始める。
「先輩? これは?」
「あ~、進化の確定演出だよ。一発で引き当てるなんて、いいなぁ」
「へぇ~」
画面内ではお気に入りのキャラがくるくると踊っている。
キャラごとにこういう演出があるんだったら、面白いかも・・・
でも、そう思ったのも束の間、なぜか私のお気に入りキャラの衣装が弾け飛んでいく。一枚、二枚と剥がされ、ついにはほとんど下着状態になってしまう。もちろん大事な部分は隠されているけど、キャラが顔を赤くして笑顔を作っているのが、余計にエッチな感じがする。
「先輩・・・?」
「ん?」
先輩は何の気なしにスマホを覗き込み、慌てて画面を隠す。
「あ、ごめん、違うの。違う。全年齢版のつもりだったけど、ごめんね。それ、スキップできるから。違うの。今からでも全年齢版に変えられるから。大丈夫だから」
先輩は私のスマホをいじろうとして、横から抱き着き、スマホを持つ私の手に、自分の手を重ねてくる。
「いえ、私はこのままでもいいんですけど・・・」
「いや、ホント。わざとじゃないから」
そう言いながら、先輩はさらに体を密着させると、私の腕が柔らかい感触に包まれる。
先輩の顔がすぐ近くにある。先輩の声が耳元から聞こえる。先輩のいい匂いがする。
ここまでやっておきながら、本当にわざとじゃないんだろうなぁ。スマホも、この体勢も。
「先輩・・・?」
「え?」
私がスマホを置くと、先輩がこちらを振り向く。そこでようやく自分の近さに気付いたようだ。
私は先輩が体を離す前に、その肩を掴む。
そしてじっと先輩の瞳を見つめると、先輩は静かに目を閉じた。
先輩は少し頬を赤く染め、その小さな唇をわずかに開いている。薄く塗られたリップクリームが光っている。
「あーちゃん・・・」
先輩が私の名前を呼ぶ。
「先輩・・・」
私は返事をして、ゆっくりと顔を近づけた。
「・・・最後は私がするつもりだったのに」
「だって、あーちゃんが可愛いんだもん」
ベッドに寝転がったまま、私が不満げに漏らすと、先輩がそう言って苦笑いする。
「お詫びに、今度は私のこと好きにしていいから」
「先輩・・・ そんなこと言うと、酷いことするかもしれませんよ」
「いいよ、あーちゃんがしてくれるんだったら、何でも」
「もう、ホントに先輩はドMなんだから・・・」
私が先輩に体を寄せると、先輩は目を閉じてかわいらしく唇を突き出してくる。
私はそこにありったけの愛情を注いだキスをした。
そうして、ようやく二人で体を起こす。
「・・・ごめんね。ベッド、ぐちゃぐちゃにして」
「いえ、どうせシーツは替えるつもりでしたから。それより、シャワー浴びに行きましょう」
お風呂から出ると、私は準備してあったミントグリーンの下着を付けて、先輩にはセット売りで買って、まだ使っていなかったピンク色の物を渡した。
先輩の髪からいつもの私と同じ匂いがしてると思うと、なんというか征服欲が満たされる感じがする。
その後はキッチンにカップアイスを取りに行き、自室に戻る。
階段を登る時に後ろからカップアイスをお尻にチョンとつけると、『はぅんっ!』とおかしな声をあげて、口をとがらせていた。
先輩は反応がかわいいからいたずらしたくなるんだよなぁ・・・
でもいたずらはここまで。
その後は先輩に教えてもらいながらスマホゲームの続きをしたり、ファッションの話を聞いたりしながら、まったりと過ごした。
やっぱり私はこういうデートの方が性に合っているんだろう。
夕方になり、私が駅まで送っていくと言ったけど、先輩は『あーちゃんは病み上がりなんだから』と辞退した。
病み上がりの人間は、あんなことしないでしょ、と思うけど、ここは先輩に従っておく。
私は名残惜しい気持ちで、ガレージから先輩を見送った。