残酷な描写あり
R-15
会議は踊る②
会議室の空気は、鉄の重みを持ったかのように沈殿していた。壁に貼られた古地図の端がわずかに揺れ、換気口から微かな風が流れ込む音だけが、静寂を優しくかき乱す。
ホワイトボードはもはや余白を失い、赤、青、黒のマーカーの線が絡み合い、複雑な作戦の網を織りなしていた。中央の長テーブルに座る三人は、それぞれの位置で静かに息を整え、互いの言葉を噛み締めている。
神祖スメラギは、ゆっくりと椅子に深く腰を沈めた。
蒼い髪が肩に落ち、寝癖の残る柔らかな毛先が、薄暗い照明の下で淡く輝いている。彼は懐中時計をそっと取り出し、蓋を開けて針の動きを確かめると、静かに閉じた。その仕草は、時を生きる者の余裕を、さりげなく示していた。
「理想的な対応策は……」
スメラギの声は、いつものように優しく、穏やかだった。それでいて、会議室全体を包み込むような響きがある。
「宗教的権威を重視する治安維持組織を中心に据えつつ、違法奴隷商人が他国から資金、情報、異能者、モンスター提供を受けている状況を、単なる犯罪組織の摘発ではなく、他国による宗教・国家主権への侵略行為と位置づけることだね。それにより、軍部・内部監視粛清機関との三者連携による総合的な対応戦略を構築できるのが理想だと思うかな」
彼はエメラルドグリーンの瞳を細め、わずかに微笑んだ。言葉の端に、決して断定しない柔らかさが残る。アロラ・バレンフラワーは、腕を組んだままゆっくりと頷いた。黒髪が肩から滑り落ち、赤い瞳がホワイトボードの文字を鋭く追う。
彼女の声は低く、冷静で、どこか冷徹な現実を突きつける響きを帯びていた。
「情報諜報段階では、内部監視粛清機関が主導するべき。奴隷商人の背後にある他国支援の証拠を確実に掴み、外交・軍事行動の正当性を確保する。それがなければ、どんな作戦もただの力押しになる」
ラスティ・ヴェスパーは、背筋をピンと伸ばしたまま、漆黒の瞳をホワイトボードに固定していた。
端正すぎる顔立ちに一切の乱れはなく、黒曜石のような瞳が静かに光を吸い込んでいる。彼は静かに息を吸い、理路整然とした声で言葉を継いだ。
「それを実現する戦術は、内部監視粛清機関の独自諜報網をフル活用し、奴隷商人組織内部への潜入捜査官を複数投入することです。捕縛した下部構成員を厳格な尋問で崩し、上層部への道筋を切り開く」
アロラが小さく口角を上げ、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「必要に応じて精神干渉系を使っても良いわね。腐った上層部や他国とのコネを、きれいに吐かせる。軍部の国境偵察部隊と連携すれば、他国からの密輸ルートを特定するのも難しくない」
ラスティの瞳がわずかに動いた。
「さらに、宗教的権威を逆手に取る。奴隷商人組織に改心を促す偽の赦免を餌に、内部崩壊を誘発できれば最高です。組織の流動性が高い分、裏切りと疑心暗鬼は広がりやすい」
スメラギは立ち上がり、ホワイトボードに「フェーズ2」と大きく書き加えた。マーカーの音が、静かな部屋に響く。
「基本原則としては、宗教的正義の執行と衆生への見せしめを最優先に据える。戦闘は可能な限り公開性が高く、治安維持組織の派手な活躍が目立つ形で進行するのが正道だろうね。信徒の目には、正義が悪を打ち砕く姿が焼き付くべきだ」
アロラが続ける。彼女の声に、わずかな熱が混じる。
「他国支援が明らかになった時点で、これは単独の治安維持組織作戦ではなく、国家総力戦の一環として位置づける。軍部の安定型異能者で正面戦を支え、治安維持組織の特化火力で決着をつけ、粛清機関で事後処理を行う。役割分担を明確にしなければ、組織間の摩擦が生まれるだけよ」
ラスティは静かに頷き、言葉を重ねた。
「具体的な戦術として、敵の特徴に対する対策が必須です。敵の強みはヴァンパイア、上位悪魔、サキュバスなどの属性耐性モンスターに加えて、精神操作とゲリラ戦法。これらを踏まえ、まず火力依存からの脱却を図る。多属性対応部隊の編成を急ぎ、軍部から闇、毒、雷、氷属性の安定型異能者を大量に借り受け、属性無効モンスター対策専門小隊を治安維持組織内に設置する。遺跡由来の旧時代兵器や対魔導榴弾などを軍部倉庫から緊急供出できれば、それに越したことはない」
アロラが腕を解き、テーブルに肘をついた。
「精神操作・魅了対策としては、軍部の精神防御特化型を各チームに配属。宗教儀式による集団加護を事前に複数回重ね、個人レベルの魅了耐性を組織的に向上させる。サキュバス対策には、精神干渉免疫を持つ異能者を前線に優先配置する」
ラスティの声が、さらに冷静に続く。
「継戦能力・機動性の欠如を補う戦術として、軍部の万能型異能者で前衛盾壁と後衛支援を構築。治安維持組織は火力投入タイミングのみ前進し、大型武装の機動性不足を補うため、軍部の輸送装甲車や浮遊型遺跡兵器を随伴させる。治安維持組織を、移動砲台として運用すれば理想です」
スメラギが静かに尋ねた。
「ヴァンパイア対策は?」
ラスティは即座に答える。声に迷いはない。
「軍部の日中強行作戦を主軸に据え、夜間戦闘は最小限に抑える。陽光再現型の遺跡兵器を重点配備。上位悪魔対策には、召喚逆流や契約強制解除が可能な軍部・粛清機関の封魔専門異能者を投入。アンデッド系には治安維持組織の火力が有効なので、下級を盾にする敵戦術に対しては、軍部の範囲物理攻撃で先に盾を粉砕する」
アロラが付け加えた。
「ゲリラ戦や奇襲への対抗として、粛清機関の情報で敵拠点を事前に特定したら、軍部の大規模包囲網で逃走経路を完全に封鎖した上で、治安維持組織が突入する」
スメラギは穏やかに微笑んだ。
「敵のヒットアンドランを逆手に取り、治安維持組織を囮に使い、軍部の安定型異能者で確実に仕留める囮狩り戦法が良いだろうね。敵は機動性を武器にするが、逃げ場を失えば脆い」
アロラは静かに息を吐き、視線をホワイトボードに移した。
「これで終わりとはいかないのよね。事後処理と外交戦略がなければ、勝利は半分で終わる。国家全体の勝利として完結させるには、宗教的権威の最大化が鍵。戦闘の全過程を魔法記録水晶で撮影・編集し、異邦の悪魔と他国が結託して帝国を汚そうとしたが、正義の聖騎士がそれを打ち砕いたという宣伝映像を、国内全土に流布する。信徒の心に火を灯すのよ」
ラスティが深く頷き、言葉を継いだ。「捕虜となったモンスター──ヴァンパイアやサキュバスを公開処刑式で浄化し、信徒増加に繋げる。他国への圧力としては、粛清機関が掴んだ他国支援の決定的証拠を基に、軍部主導で国境地帯に大規模演習を実施すれば、実質的な武力示威になる」スメラギが静かに締めくくった。
「外交ルートでは、奴隷商人支援は宗教戦争の宣戦布告とみなすと通告し、敵国の内部分裂を誘発する。それで敵は自ら足を引っ張るはずだ」
ラスティは最後に、静かだが確かな声で総括した。
「治安維持組織単独では、属性依存と継戦、機動性の弱点が致命的になりやすい。だからこそ、軍部の安定性、多属性戦力、大規模運用能力と、内部監視粛清機関の情報・封魔・尋問能力を徹底的に取り込み、治安維持組織の華々しい勝利を演出しつつ、実質的には軍部の磐石な戦力で敵を粉砕する戦略が最適です」
スメラギは穏やかに微笑み、静かに言った。
「これにより、単なる犯罪組織の摘発を超えて、他国による侵略を帝国全体で跳ね返した勝利として、国内結束を高められるね。って僕は思うかな」
長い沈黙が会議室を満たした。三人はそれぞれの思いを胸に、ホワイトボードに描かれた作戦図をじっと見つめていた。
外の世界では、帝国の黄金時代が続いている。だがここでは、すでに次の戦いの青写真が、静かに、しかし確実に形作られていた。
古びた懐中時計の針が、かすかに時を刻む音だけが、静かに響き続けている。