残酷な描写あり
危険すぎる策
清洲城から出発化して数日後。
大和国、奈良の興福寺――
数年前に訪れたきりだけど、寺の外観は変わっていない――いや、周りを数十名の兵士が囲んでいる。蔦紋の旗を立ててあるから、おそらく松永家の手の者だろうと行雲さまは言う。とてもじゃないけど、入り込む余地がない。
「流石は松永弾正。心得ているというわけだな。この状況で将軍の弟を手中に収める意味を分かっている」
「行雲さま。敵を褒めないでくださいよ」
僕と行雲さまは近くの宿屋の二階で窓から興福寺の様子を窺っていた。長益さまと森さまは別行動している。もっと近くで状況を知りたいらしい。危険だと思ったけど、遠くでこそこそ探るよりは効果的だろう。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。
「さて。たった四人でどう対処する?」
「なんとかお助けしたいのですが、難しいと判断するべきでしょうね」
「ならば引き下がるか?」
「それは嫌です……と言ってもどうしようもないです」
この場に同じくらいの兵士が居たら……ないものねだりになってしまう。
せめて半兵衛さんの半分だけでもいいから賢くなりたい。
「それにしても遅いな」
ぼそりと呟く行雲さま。二人が出て行って結構な時間が経つ。
まさか、捕まったりしてないよな……
「ちょっと心配だな。様子を見てくる」
「それなら僕も行きますよ。何かあったときのために――」
そう言いかけたときだった。腰を浮かした行雲さまが窓の外で何かを見つけた。
いや、見つけたというより見てしまったと表現したほうが正しい。
「……可成が誰かと戦っている」
「……えっ? 松永の兵士ですか?」
行雲さまは困った顔で首を横に振った。
「違う……町人風の男だ……」
「……騒ぎを起こしたら不味いって知っているのに?」
なんだか頭痛がしてきた。
「敵地に居て、重要な主命を遂行しようとしている、慎重にならねばいけない状況で、誰だか分からない武士と戦っているんですか?」
「……可成は強そうな人間を見ると喧嘩を売る悪癖があってな。敵地に居て、重要な主命を遂行しようとしている、慎重にならねばいけない状況でも、誰だか分からない者と戦うような男だ」
ああ。そういえば堺に向かう道中でもそういう場面があったな。
それもたくさんあった。
「とりあえず仲裁しなければ。相手を殺さなければいいが」
「せめて半殺し……で済んだらいいですね」
僕たちは急ぎ足で森さまが居る場所へ向かった。長益さまも一緒だけど、仲裁するどころか煽っているかもしれない。
急いで駆けつけると、そこには槍を振るう森さまが居た。離れて長益さまが興味深そうに見ている。
戦っている相手は町人風の身なりをしているけど、確実に武士だろう。何故なら森さまの槍を刀で見事に捌いているからだ。
武の心得があまりない僕でも分かる。あの森さまが押されている――
「よう。行兄と雲も見に来たのか」
気楽な声をかけてくる長益さま。僕は「何しているんですか!?」と詰め寄った。
「隠密に行動しないと駄目でしょう!」
「しょうがないだろう。俺が森殿を止められるわけがない」
「だからって――」
「それより見ろよ。もうすぐ決着が着く」
長益さまの言うとおりだった。相手の守りの堅さに焦れた森さまが突きを放った瞬間、男は回り込むように槍をかわして、森さまの喉元に刀を突きつけた。
文句なしに森さまの負けである。
「……くそっ」
「見事な腕だ。素晴らしい」
刀を引いて納める男――どこかで見たような――はそう褒め称えた。
すると男の後ろで手を叩く音がした。
「流石です。文武両道を真っ直ぐに行かれる方なだけありますね」
見るとこちらは見覚えがない痩せぎすの男だった。目の下の隈が酷い。髪の毛に白髪が混じっている。こちらは旅人風の装いだった。
その男に町人風の男は「君が言うと褒めているようには聞こえないな」と冷やかに言った。
「君は両道どころか王道を歩む者だろう」
「…………」
それには答えずにっこりと笑う旅人風の男。
二人が誰なのか分からないけど、とにかくここは収めるしかない。
「えっとすみません。どうかご容赦を……」
そう言って近づくと町人風の男は僕を見て不思議そうな顔をした。
「失礼だが、どこかで会ったことがないか?」
「僕もそう思います。はて、どこで……」
二人して腕組みをして考える――
「与一郎殿、知り合いですか?」
旅人風の男が名前を言った瞬間、思い出した。
「ああ! 与一郎さまだ! 茶器を持ってきた!」
僕の言葉に与一郎さまも同じく思い出したようだ。
「雲之介、と言ったか。そうかあのときの少年が……」
たった一度しか会っていないけど、懐かしさを感じる。
「君はどうしてここに?」
「与一郎さまこそ、どうして? まさか覚慶殿を?」
僕の指摘に反応したのは旅人風の男だった。素早く刀を抜く。
「何者です! 松永の配下ではないようですが……」
「十兵衛殿。この者は敵ではない。むしろ味方かもしれん」
与一郎さまが制すと十兵衛と呼ばれた男は止まった。しかし刀を納めない。
「味方? それはどのような意味ですかな?」
訊ねたのは行雲さまだった。続けて厳しい顔で問う。
「素性も分からぬ者を味方とするほど、拙僧は度量が大きくありません」
すると与一郎さまは「そうだな。まずは名乗ろうか」と背筋を正した。
「足利家家臣、細川与一郎藤孝でございます」
足利家――つまり弑逆された将軍の家臣か!
続けて十兵衛と呼ばれた男も自己紹介する。
「私は明智十兵衛光秀と申します」
そしてにっこりと微笑みながら刀を納めた。
「しがない浪人にてございます。以後お見知りおきを」
これが細川藤孝さまと明智光秀さまとの出会いだった。
とりあえず僕たちは宿屋に戻った。怪しむ女将を誤魔化して、最善策を考える。
「正面突破は難しい。せめて裏手に回れればいいが、そこも兵士が見張っている」
与一郎――細川さまが興福寺周辺の地図を広げて説明をする。
「出入り口に二十人。裏手に十八人。東西に十二人と十六人。計六十六人だ」
「寺内に兵士は?」
行雲さまが訊ねると明智さまが「おそらく居ないと思われます」と答えた。
「興福寺という聖域に下賎な者を送り込めば民心を失うことは必定。大和国の領主である松永久秀ならばそのような下策は取らぬでしょう」
「将軍を殺した極悪人だぞ? 民心を失うのを恐れるか?」
確かにそのとおりだが明智さまは首を振る。
「もしそうであれば興福寺を焼き討ちするでしょう。それをせずに百に満たない兵士で囲んでいるのが、何よりの証拠です」
「だとしたら中途半端な気がするな。行動に一貫性がない」
長益さまの意見に皆が注目する。
「将軍を殺して興福寺も焼き討ちするのなら分かる。しかし――」
「逆賊の考えなど分からんよ。それよりも覚慶さまをお救いする策を考えねば」
本筋に戻す細川さま。しかし良い考えなんて急には思いつかない。
「騒ぎを起こして裏手から進入するのは?」
森さまらしい言葉だ。しかし細川さまは首を振る。
「騒ぎを起こしても場を離れない可能性が高い。見たところ何人かの組頭で統率されている」
くそ。どうにもならないな。
「なあ。行兄なら中に入れるんじゃないか?」
長益さまの言葉に行雲さまは「入れるかもしれないが、私一人では覚慶さまの奪還は無理だ」と答えた。対して長益さまは続けて言う。
「入れることは入れるだろう。それに従者として一人ぐらい入れるかもしれない」
「まあ一人が限度だろう……長益、何を企んでいる?」
長益さまは「これは罰当たりなやり方だがこれ以外ない」と言う。
「松永の兵士が居るからできる策だ」
「……聞かせてもらおうか」
細川さまの言葉を皮切りに長益さまは話し始めた。
それは――危険すぎる策だった。
「馬鹿なことを! お前正気なのか!?」
行雲さまが思わず怒鳴ってしまう。
僕は何も言えずに驚いたまま固まってしまった。
森さまは楽しそうににやにやしている。
明智さまの顔は引きつっていた。
「……よし、それで行こう」
細川さまの言葉に「あなたも正気ですか!?」と行雲さまは叫んだ。
「これしかあるまい。それに松永の逆賊に罪をなすりつけることも可能だ」
「し、しかし――」
「確かに上策ではないが下策でもないだろう」
細川さまはきっぱりと言った。
「それでは行雲殿の従者は誰がやるか決めよう」
その言葉に僕は手を挙げた。
「僕がやります」
「……つまり君が実行するわけだな。いいのか?」
「その代わり、事前に覚慶殿には説明します」
これは乗り気ではない行雲さまへの気遣いでもあった。
「……まあいいだろう。しかし覚慶さまに反対されてもやってくれるか?」
僕は黙って頷いた。その場合は仕方ないだろう。
「よし決まりだ。決行は半刻後とする。各々覚悟召されよ」
お屋形様が言ったとおり、長益さまは突飛な発想をする。
だから茶道でも創意工夫が凄いんだ。
「雲、覚悟しろよ」
長益さまが僕の肩に手を置いた。
僕はそれにも黙って頷いた。
大和国、奈良の興福寺――
数年前に訪れたきりだけど、寺の外観は変わっていない――いや、周りを数十名の兵士が囲んでいる。蔦紋の旗を立ててあるから、おそらく松永家の手の者だろうと行雲さまは言う。とてもじゃないけど、入り込む余地がない。
「流石は松永弾正。心得ているというわけだな。この状況で将軍の弟を手中に収める意味を分かっている」
「行雲さま。敵を褒めないでくださいよ」
僕と行雲さまは近くの宿屋の二階で窓から興福寺の様子を窺っていた。長益さまと森さまは別行動している。もっと近くで状況を知りたいらしい。危険だと思ったけど、遠くでこそこそ探るよりは効果的だろう。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。
「さて。たった四人でどう対処する?」
「なんとかお助けしたいのですが、難しいと判断するべきでしょうね」
「ならば引き下がるか?」
「それは嫌です……と言ってもどうしようもないです」
この場に同じくらいの兵士が居たら……ないものねだりになってしまう。
せめて半兵衛さんの半分だけでもいいから賢くなりたい。
「それにしても遅いな」
ぼそりと呟く行雲さま。二人が出て行って結構な時間が経つ。
まさか、捕まったりしてないよな……
「ちょっと心配だな。様子を見てくる」
「それなら僕も行きますよ。何かあったときのために――」
そう言いかけたときだった。腰を浮かした行雲さまが窓の外で何かを見つけた。
いや、見つけたというより見てしまったと表現したほうが正しい。
「……可成が誰かと戦っている」
「……えっ? 松永の兵士ですか?」
行雲さまは困った顔で首を横に振った。
「違う……町人風の男だ……」
「……騒ぎを起こしたら不味いって知っているのに?」
なんだか頭痛がしてきた。
「敵地に居て、重要な主命を遂行しようとしている、慎重にならねばいけない状況で、誰だか分からない武士と戦っているんですか?」
「……可成は強そうな人間を見ると喧嘩を売る悪癖があってな。敵地に居て、重要な主命を遂行しようとしている、慎重にならねばいけない状況でも、誰だか分からない者と戦うような男だ」
ああ。そういえば堺に向かう道中でもそういう場面があったな。
それもたくさんあった。
「とりあえず仲裁しなければ。相手を殺さなければいいが」
「せめて半殺し……で済んだらいいですね」
僕たちは急ぎ足で森さまが居る場所へ向かった。長益さまも一緒だけど、仲裁するどころか煽っているかもしれない。
急いで駆けつけると、そこには槍を振るう森さまが居た。離れて長益さまが興味深そうに見ている。
戦っている相手は町人風の身なりをしているけど、確実に武士だろう。何故なら森さまの槍を刀で見事に捌いているからだ。
武の心得があまりない僕でも分かる。あの森さまが押されている――
「よう。行兄と雲も見に来たのか」
気楽な声をかけてくる長益さま。僕は「何しているんですか!?」と詰め寄った。
「隠密に行動しないと駄目でしょう!」
「しょうがないだろう。俺が森殿を止められるわけがない」
「だからって――」
「それより見ろよ。もうすぐ決着が着く」
長益さまの言うとおりだった。相手の守りの堅さに焦れた森さまが突きを放った瞬間、男は回り込むように槍をかわして、森さまの喉元に刀を突きつけた。
文句なしに森さまの負けである。
「……くそっ」
「見事な腕だ。素晴らしい」
刀を引いて納める男――どこかで見たような――はそう褒め称えた。
すると男の後ろで手を叩く音がした。
「流石です。文武両道を真っ直ぐに行かれる方なだけありますね」
見るとこちらは見覚えがない痩せぎすの男だった。目の下の隈が酷い。髪の毛に白髪が混じっている。こちらは旅人風の装いだった。
その男に町人風の男は「君が言うと褒めているようには聞こえないな」と冷やかに言った。
「君は両道どころか王道を歩む者だろう」
「…………」
それには答えずにっこりと笑う旅人風の男。
二人が誰なのか分からないけど、とにかくここは収めるしかない。
「えっとすみません。どうかご容赦を……」
そう言って近づくと町人風の男は僕を見て不思議そうな顔をした。
「失礼だが、どこかで会ったことがないか?」
「僕もそう思います。はて、どこで……」
二人して腕組みをして考える――
「与一郎殿、知り合いですか?」
旅人風の男が名前を言った瞬間、思い出した。
「ああ! 与一郎さまだ! 茶器を持ってきた!」
僕の言葉に与一郎さまも同じく思い出したようだ。
「雲之介、と言ったか。そうかあのときの少年が……」
たった一度しか会っていないけど、懐かしさを感じる。
「君はどうしてここに?」
「与一郎さまこそ、どうして? まさか覚慶殿を?」
僕の指摘に反応したのは旅人風の男だった。素早く刀を抜く。
「何者です! 松永の配下ではないようですが……」
「十兵衛殿。この者は敵ではない。むしろ味方かもしれん」
与一郎さまが制すと十兵衛と呼ばれた男は止まった。しかし刀を納めない。
「味方? それはどのような意味ですかな?」
訊ねたのは行雲さまだった。続けて厳しい顔で問う。
「素性も分からぬ者を味方とするほど、拙僧は度量が大きくありません」
すると与一郎さまは「そうだな。まずは名乗ろうか」と背筋を正した。
「足利家家臣、細川与一郎藤孝でございます」
足利家――つまり弑逆された将軍の家臣か!
続けて十兵衛と呼ばれた男も自己紹介する。
「私は明智十兵衛光秀と申します」
そしてにっこりと微笑みながら刀を納めた。
「しがない浪人にてございます。以後お見知りおきを」
これが細川藤孝さまと明智光秀さまとの出会いだった。
とりあえず僕たちは宿屋に戻った。怪しむ女将を誤魔化して、最善策を考える。
「正面突破は難しい。せめて裏手に回れればいいが、そこも兵士が見張っている」
与一郎――細川さまが興福寺周辺の地図を広げて説明をする。
「出入り口に二十人。裏手に十八人。東西に十二人と十六人。計六十六人だ」
「寺内に兵士は?」
行雲さまが訊ねると明智さまが「おそらく居ないと思われます」と答えた。
「興福寺という聖域に下賎な者を送り込めば民心を失うことは必定。大和国の領主である松永久秀ならばそのような下策は取らぬでしょう」
「将軍を殺した極悪人だぞ? 民心を失うのを恐れるか?」
確かにそのとおりだが明智さまは首を振る。
「もしそうであれば興福寺を焼き討ちするでしょう。それをせずに百に満たない兵士で囲んでいるのが、何よりの証拠です」
「だとしたら中途半端な気がするな。行動に一貫性がない」
長益さまの意見に皆が注目する。
「将軍を殺して興福寺も焼き討ちするのなら分かる。しかし――」
「逆賊の考えなど分からんよ。それよりも覚慶さまをお救いする策を考えねば」
本筋に戻す細川さま。しかし良い考えなんて急には思いつかない。
「騒ぎを起こして裏手から進入するのは?」
森さまらしい言葉だ。しかし細川さまは首を振る。
「騒ぎを起こしても場を離れない可能性が高い。見たところ何人かの組頭で統率されている」
くそ。どうにもならないな。
「なあ。行兄なら中に入れるんじゃないか?」
長益さまの言葉に行雲さまは「入れるかもしれないが、私一人では覚慶さまの奪還は無理だ」と答えた。対して長益さまは続けて言う。
「入れることは入れるだろう。それに従者として一人ぐらい入れるかもしれない」
「まあ一人が限度だろう……長益、何を企んでいる?」
長益さまは「これは罰当たりなやり方だがこれ以外ない」と言う。
「松永の兵士が居るからできる策だ」
「……聞かせてもらおうか」
細川さまの言葉を皮切りに長益さまは話し始めた。
それは――危険すぎる策だった。
「馬鹿なことを! お前正気なのか!?」
行雲さまが思わず怒鳴ってしまう。
僕は何も言えずに驚いたまま固まってしまった。
森さまは楽しそうににやにやしている。
明智さまの顔は引きつっていた。
「……よし、それで行こう」
細川さまの言葉に「あなたも正気ですか!?」と行雲さまは叫んだ。
「これしかあるまい。それに松永の逆賊に罪をなすりつけることも可能だ」
「し、しかし――」
「確かに上策ではないが下策でもないだろう」
細川さまはきっぱりと言った。
「それでは行雲殿の従者は誰がやるか決めよう」
その言葉に僕は手を挙げた。
「僕がやります」
「……つまり君が実行するわけだな。いいのか?」
「その代わり、事前に覚慶殿には説明します」
これは乗り気ではない行雲さまへの気遣いでもあった。
「……まあいいだろう。しかし覚慶さまに反対されてもやってくれるか?」
僕は黙って頷いた。その場合は仕方ないだろう。
「よし決まりだ。決行は半刻後とする。各々覚悟召されよ」
お屋形様が言ったとおり、長益さまは突飛な発想をする。
だから茶道でも創意工夫が凄いんだ。
「雲、覚悟しろよ」
長益さまが僕の肩に手を置いた。
僕はそれにも黙って頷いた。