残酷な描写あり
友との再会
「雲之介。私はどうも長益の策をやる気にはならないんだ」
愚痴る行雲さまの後を従者の格好をしてついて行く。僕は「同じ気持ちですけど、それしか覚慶殿を助ける策がないのです」となだめた。
「しかしだな。じっくり考えれば別の策が思い浮かぶかもしれんのに……」
「分かります。それでもやらねばいけません。安心してください。やるのは僕ですから」
「……仏罰が当たらんことを祈っているよ」
確かに罰当たりなことをすると思う。それでもやらないといけないんだ。
興福寺に入る際、見張りについていた兵士に止められた。
険しい顔のまま、槍で威嚇される。
「何者か!」
「僕たちは薬師寺の者でございます。興福寺の住職に用がありまして」
僕が答えたのは、僧である行雲さまに嘘を吐いてはいけないという決まり、不妄語があるからである。
「……薬師寺? 何故別の寺の者が? どんな用件だ?」
おそらく組頭であろう兵士が訊ねた。僕は背中の荷物を前に持ってきて、細川さまが考えてくれた理由を述べた。
「お借りしていた貴重な経典をお返しに上がりました。何でも数百年前の――」
「待て。だから何故、別の寺の者が経典の貸し借りをしているんだ?」
それには行雲さまが答えた。
「薬師寺と興福寺は法相宗という同じ宗派で、寺格も大本山と一緒でございます。本尊が薬師如来と釈迦如来で異なりますけど、交流はあります」
嘘は言っていない。行雲さまは事実を述べている。
組頭はしばらく考えて「寺の者に確認を取ってこい」と一人の兵士に言う。
やばいな……
「その必要はありません」
兵士が行く前にぴしゃりと言う僕。組頭が怪訝そうな顔をする。
「どういう意味だ? 必要があるかないかはこちらで判断することだが」
「おそらく話を聞いた僧はこう答えるでしょう。『そのような話は聞いていない』と。もしくは否定することでしょう」
「……ますます分からないが」
怪しむ兵士が徐々に近づいてくる。行雲さまが不安そうな顔でこっちを見る。
「では分かるように説明しましょう。貴重な経典をお返しするのに、あなた方のような部外者を介してしまったら、どのような事態が起こると思いますか?」
「……まさか、我々が奪うと考えているのか? だから僧は誤魔化すと?」
「松永さまはこれから起こる戦に備えて少しでも軍資金が欲しいはずです。貴重な経典は高く売れます。将軍を殺した松永さまでしたら僧の一人や二人、平気で殺すと世の人々は考えるでしょうね」
そして僕は最後に言い放った。
「もしも僕と行雲さまの身に何かあれば薬師寺だけではなく、南都七大寺、いえ大和国全体が松永さまの敵となります。さあ、お通しくださいませ」
これは賭けだった。前提として、僧は聞かれたことに嘘や誤魔化しで返すことはない。先ほど述べた不妄語があるからだ。
しかしあまり仏教に詳しくない組頭と周りの兵士たちは僕の言うことを信じたらしい。「……分かった通れ」と組頭は言って道を開けた。
僕は「ありがとうございます」と言って行雲さまを先頭に兵士たちの間を歩く。
「――っ! 待て!」
組頭が僕に向かって制止の声をかけた。
何か失言があったのだろうか?
「……どうして貴重な経典を持ち運んでいるのに、粗末な青い布なのだ?」
しまった! どうせそこまでは問われないと高をくくって、適当に選んでしまったんだ。
「そ、それは――」
「兵士さま。か弱き僧が貴重なものをいかにも運んでいますという風に持ち運ぶのは無用心だと思いませんか?」
「…………」
行雲さまの返答に組頭は黙り込んでしまった。
一瞬でも納得してしまったら勝ちである。
僕たちは焦らぬように興福寺の門までゆっくりと歩いた。
「すみません! 薬師寺の者です!」
門を叩いて僧を呼ぶ。すると以前案内してくれた僧が現れて、不思議そうな顔で僕を見た。
「あれ? 以前どこかで――」
僕は兵士たちに見えない角度で唇に人差し指を当てた。黙ってほしいという意味の仕草である。
はっとした顔になった僧は頷いて僕たちを中に引き入れた。
ふう。これで一安心だ。
「もしかして覚慶さまをお助けに?」
扉が閉まるや否や、すぐにその僧は訊ねてきた。
「そうです……あなたにはいくつかの選択肢があります」
これは明智さまの策だった。最初に会った僧を味方にする策だ。
「選択肢……ですか?」
「ええ。あなたは松永の兵士に僕たちを差し出すなど僕たちの邪魔をすることもできます。逆に手伝うこともできます。つまり僕たちの生殺与奪はあなたに握られています。いかがなさいますか?」
それを聞いた僧は少しむっとして「あなた方を売るような真似はしません」と答えた。
「そのような邪な僧だと思われるのは心外ですな」
「すみません。いろいろと警戒しなければいけなくて」
「分かりますが……それで、さっそく覚慶さまに会いますか?」
僕たちは頷いた。その前に刀を預けようとすると「このような状況ですから」とやんわり許された。
寺の庭先に僧は一人も居なかった。全員部屋に閉じこもっているのだろうか。
以前に訪れた覚慶殿の部屋。僕は「御免」と言って障子を開けた。
覚慶殿は布団に包まって寝ていた――不貞寝していた。
「覚慶さま! 昼間から寝ていないでください!」
僧が喚くと覚慶殿はこっちを向いて「一覚……もう少しだけ……」と寝ぼけたことを言う。
僕は覚慶殿に近づいて「お久しぶりです」と声をかけた。
「うん? 誰だ……?」
目をこすってじっと僕を見る覚慶殿。そして僕だと分かると――
「おお? おお! 雲之介ではないか! 久しぶりだな!」
僕の手を取って喜ぶ覚慶殿。当然だけど前見たときよりもお年を召されたな……
「すっかり大人になったな! しかし面影はある! なんだ、あれから全然来てくれないじゃないか! 淋しかったぞ!」
「覚慶殿。お懐かしいですね」
ひとしきりはしゃいだ覚慶殿に一覚と呼ばれた若い僧が言う。
「この人たちは覚慶さまをお救いになるために来たそうです」
「なんと! おお友よ、ここから脱出させてくれるのか!」
にやりと笑う覚慶殿に僕はとりあえず行雲さまを紹介した。
「覚慶殿。こちらにいらっしゃるのは行雲さまです。このお方の兄、織田信長さまがあなたを保護してくださります」
「そうかそうか! 行雲とやら、世話をかけるな!」
「いえ。一乗院門跡の覚慶さまに拝謁できたことを光栄に――」
「堅苦しいのは良い。それよりいつ出る?」
僕は「今夜にも出ます」とはっきり言った。すると一覚殿が驚いたような顔をする。
「どのようにして脱出するのですか!?」
「それは――」
「まあ待て。それより雲之介の近況が知りたい。久しぶりに友と会ったのだ。聞いておきたい」
そんな悠長なことは言っていられないが、僕も覚慶殿と話したかったし、夜まで時間があるので話すことにした。
桶狭間のこと。美濃国攻めのこと。祝言を挙げたこと。墨俣一夜城のこと。そしてお市さまとの別れと長政さまとの喧嘩。最後に竹中半兵衛さんのことを順番に話した。
祝言のことを言うと覚慶殿は自分のことのように喜び、墨俣のことはわくわくしながら聞いてくれて、お市さまの別れのときは泣き、長政さまの喧嘩の話は興奮して、竹中半兵衛さんの女装癖には大笑いなされた。
「面白いな! そんな愉快な日常を送っているのは羨ましい!」
「ありがとうございます」
「それで、一つ訊ねることがある」
にこやかに聞いていた覚慶殿だったけど、急に真剣な顔になる。
「私は織田信長とやらに擁されていずれ将軍になるのか? そのために利用されるのか?」
「お屋形様のお考えは分かりませんが、おそらくそうなるでしょう」
「ではそのために雲之介は私を助けにきたのか?」
僕はまったくそんなことは考えていなかった。だから正直に言った。
「いえ。友が監禁されているから助けに来ただけです」
すると覚慶殿は一瞬黙ってから、大笑いした。
「あっはっは! やはりそなたは変わらぬな!」
そして覚慶殿は「では具体的な策を聞こう」と膝を叩いてから姿勢を整えた。
「どのような策を考えた?」
「僕が考えたのではないのですが、とんでもない策ですよ。覚悟はいいですか?」
「兄上が死んでから、とうに決まっておるわ」
僕は策を告げた。
「この興福寺を――焼きます」
愚痴る行雲さまの後を従者の格好をしてついて行く。僕は「同じ気持ちですけど、それしか覚慶殿を助ける策がないのです」となだめた。
「しかしだな。じっくり考えれば別の策が思い浮かぶかもしれんのに……」
「分かります。それでもやらねばいけません。安心してください。やるのは僕ですから」
「……仏罰が当たらんことを祈っているよ」
確かに罰当たりなことをすると思う。それでもやらないといけないんだ。
興福寺に入る際、見張りについていた兵士に止められた。
険しい顔のまま、槍で威嚇される。
「何者か!」
「僕たちは薬師寺の者でございます。興福寺の住職に用がありまして」
僕が答えたのは、僧である行雲さまに嘘を吐いてはいけないという決まり、不妄語があるからである。
「……薬師寺? 何故別の寺の者が? どんな用件だ?」
おそらく組頭であろう兵士が訊ねた。僕は背中の荷物を前に持ってきて、細川さまが考えてくれた理由を述べた。
「お借りしていた貴重な経典をお返しに上がりました。何でも数百年前の――」
「待て。だから何故、別の寺の者が経典の貸し借りをしているんだ?」
それには行雲さまが答えた。
「薬師寺と興福寺は法相宗という同じ宗派で、寺格も大本山と一緒でございます。本尊が薬師如来と釈迦如来で異なりますけど、交流はあります」
嘘は言っていない。行雲さまは事実を述べている。
組頭はしばらく考えて「寺の者に確認を取ってこい」と一人の兵士に言う。
やばいな……
「その必要はありません」
兵士が行く前にぴしゃりと言う僕。組頭が怪訝そうな顔をする。
「どういう意味だ? 必要があるかないかはこちらで判断することだが」
「おそらく話を聞いた僧はこう答えるでしょう。『そのような話は聞いていない』と。もしくは否定することでしょう」
「……ますます分からないが」
怪しむ兵士が徐々に近づいてくる。行雲さまが不安そうな顔でこっちを見る。
「では分かるように説明しましょう。貴重な経典をお返しするのに、あなた方のような部外者を介してしまったら、どのような事態が起こると思いますか?」
「……まさか、我々が奪うと考えているのか? だから僧は誤魔化すと?」
「松永さまはこれから起こる戦に備えて少しでも軍資金が欲しいはずです。貴重な経典は高く売れます。将軍を殺した松永さまでしたら僧の一人や二人、平気で殺すと世の人々は考えるでしょうね」
そして僕は最後に言い放った。
「もしも僕と行雲さまの身に何かあれば薬師寺だけではなく、南都七大寺、いえ大和国全体が松永さまの敵となります。さあ、お通しくださいませ」
これは賭けだった。前提として、僧は聞かれたことに嘘や誤魔化しで返すことはない。先ほど述べた不妄語があるからだ。
しかしあまり仏教に詳しくない組頭と周りの兵士たちは僕の言うことを信じたらしい。「……分かった通れ」と組頭は言って道を開けた。
僕は「ありがとうございます」と言って行雲さまを先頭に兵士たちの間を歩く。
「――っ! 待て!」
組頭が僕に向かって制止の声をかけた。
何か失言があったのだろうか?
「……どうして貴重な経典を持ち運んでいるのに、粗末な青い布なのだ?」
しまった! どうせそこまでは問われないと高をくくって、適当に選んでしまったんだ。
「そ、それは――」
「兵士さま。か弱き僧が貴重なものをいかにも運んでいますという風に持ち運ぶのは無用心だと思いませんか?」
「…………」
行雲さまの返答に組頭は黙り込んでしまった。
一瞬でも納得してしまったら勝ちである。
僕たちは焦らぬように興福寺の門までゆっくりと歩いた。
「すみません! 薬師寺の者です!」
門を叩いて僧を呼ぶ。すると以前案内してくれた僧が現れて、不思議そうな顔で僕を見た。
「あれ? 以前どこかで――」
僕は兵士たちに見えない角度で唇に人差し指を当てた。黙ってほしいという意味の仕草である。
はっとした顔になった僧は頷いて僕たちを中に引き入れた。
ふう。これで一安心だ。
「もしかして覚慶さまをお助けに?」
扉が閉まるや否や、すぐにその僧は訊ねてきた。
「そうです……あなたにはいくつかの選択肢があります」
これは明智さまの策だった。最初に会った僧を味方にする策だ。
「選択肢……ですか?」
「ええ。あなたは松永の兵士に僕たちを差し出すなど僕たちの邪魔をすることもできます。逆に手伝うこともできます。つまり僕たちの生殺与奪はあなたに握られています。いかがなさいますか?」
それを聞いた僧は少しむっとして「あなた方を売るような真似はしません」と答えた。
「そのような邪な僧だと思われるのは心外ですな」
「すみません。いろいろと警戒しなければいけなくて」
「分かりますが……それで、さっそく覚慶さまに会いますか?」
僕たちは頷いた。その前に刀を預けようとすると「このような状況ですから」とやんわり許された。
寺の庭先に僧は一人も居なかった。全員部屋に閉じこもっているのだろうか。
以前に訪れた覚慶殿の部屋。僕は「御免」と言って障子を開けた。
覚慶殿は布団に包まって寝ていた――不貞寝していた。
「覚慶さま! 昼間から寝ていないでください!」
僧が喚くと覚慶殿はこっちを向いて「一覚……もう少しだけ……」と寝ぼけたことを言う。
僕は覚慶殿に近づいて「お久しぶりです」と声をかけた。
「うん? 誰だ……?」
目をこすってじっと僕を見る覚慶殿。そして僕だと分かると――
「おお? おお! 雲之介ではないか! 久しぶりだな!」
僕の手を取って喜ぶ覚慶殿。当然だけど前見たときよりもお年を召されたな……
「すっかり大人になったな! しかし面影はある! なんだ、あれから全然来てくれないじゃないか! 淋しかったぞ!」
「覚慶殿。お懐かしいですね」
ひとしきりはしゃいだ覚慶殿に一覚と呼ばれた若い僧が言う。
「この人たちは覚慶さまをお救いになるために来たそうです」
「なんと! おお友よ、ここから脱出させてくれるのか!」
にやりと笑う覚慶殿に僕はとりあえず行雲さまを紹介した。
「覚慶殿。こちらにいらっしゃるのは行雲さまです。このお方の兄、織田信長さまがあなたを保護してくださります」
「そうかそうか! 行雲とやら、世話をかけるな!」
「いえ。一乗院門跡の覚慶さまに拝謁できたことを光栄に――」
「堅苦しいのは良い。それよりいつ出る?」
僕は「今夜にも出ます」とはっきり言った。すると一覚殿が驚いたような顔をする。
「どのようにして脱出するのですか!?」
「それは――」
「まあ待て。それより雲之介の近況が知りたい。久しぶりに友と会ったのだ。聞いておきたい」
そんな悠長なことは言っていられないが、僕も覚慶殿と話したかったし、夜まで時間があるので話すことにした。
桶狭間のこと。美濃国攻めのこと。祝言を挙げたこと。墨俣一夜城のこと。そしてお市さまとの別れと長政さまとの喧嘩。最後に竹中半兵衛さんのことを順番に話した。
祝言のことを言うと覚慶殿は自分のことのように喜び、墨俣のことはわくわくしながら聞いてくれて、お市さまの別れのときは泣き、長政さまの喧嘩の話は興奮して、竹中半兵衛さんの女装癖には大笑いなされた。
「面白いな! そんな愉快な日常を送っているのは羨ましい!」
「ありがとうございます」
「それで、一つ訊ねることがある」
にこやかに聞いていた覚慶殿だったけど、急に真剣な顔になる。
「私は織田信長とやらに擁されていずれ将軍になるのか? そのために利用されるのか?」
「お屋形様のお考えは分かりませんが、おそらくそうなるでしょう」
「ではそのために雲之介は私を助けにきたのか?」
僕はまったくそんなことは考えていなかった。だから正直に言った。
「いえ。友が監禁されているから助けに来ただけです」
すると覚慶殿は一瞬黙ってから、大笑いした。
「あっはっは! やはりそなたは変わらぬな!」
そして覚慶殿は「では具体的な策を聞こう」と膝を叩いてから姿勢を整えた。
「どのような策を考えた?」
「僕が考えたのではないのですが、とんでもない策ですよ。覚悟はいいですか?」
「兄上が死んでから、とうに決まっておるわ」
僕は策を告げた。
「この興福寺を――焼きます」