残酷な描写あり
共謀
「首謀者の名は――前左府、近衛前久と与一郎だ」
まったく知らぬ名と知っている名。そして出てこなかった明智さまの名。
はっきり言って動揺している――なんて言えばいいのか、分からない。
それでも――僕は問うことができた。
「近衛という方は、存じませんが、どうして細川さまが……」
「ふむ。与一郎が何故企みに加担したのか。それをまず説明しよう」
義昭殿は前置きしてから「信長殿はそなたから見て、どのような人物だ?」と逆に訊ねてきた。
以前、顕如から訊かれた問いと同じだった。
「それは――乱世を終わらせることのできる人だと」
「そうだ。まさしくそれだ。与一郎が裏切った理由は――乱世を終わらせたくないのだ」
……意味が分からない。
「いや。言い方が不味かったな。ではこう言い換えよう。足利の世を終わらせたくないのだ。与一郎は」
「えっと、つまりそれは――自分の権勢欲のためですか? 足利の世が終われば、足利家家老である自分は、用済みになると?」
「そのような欲の塊であれば、まだ良かったがな。しかし与一郎は違う。あいつは――足利家を武家の頂点として存続させたいのだ」
一緒――ではない。我欲ではなく、主家のために、働く。
しかしそれは一見度し難い気もする。
「雲之介。そなたには分かるまい。与一郎は足利家、いや兄上を敬愛しているからこそ、過激な行動を取ってしまった」
「十三代将軍の義輝公を敬愛? もう亡くなってしまった方ではないですか」
「死んでいるからこそ、だろうな。信仰というよりも盲信してしまっている」
「僕はそのようなところ、見たこと無いです」
「人に見せるものではないからな。与一郎はその辺は弁えている。それに誰しも隠したいことぐらいあるだろう」
義昭殿の言葉は――なんとなく分かる気がした。細川さまは苦言を呈することはあっても、感情的に何か物を言う人ではない。
「だからこそ、近衛前久と手を組んだのだろう。足利家を飲み込むほど強大になっていく織田家を滅ぼすためにな」
「……その近衛前久という方は何者なんですか?」
おそらく貴族であろうお方が、朝廷から認められている織田家を排除しようとは思えない。
「近衛前久の目的は足利家を滅ぼす……いや、この私を排除することが目的なのだ」
「……いい加減にしなさいよ」
僕が発言する前に、志乃がとうとう我慢できなくなって、義昭殿に詰め寄った。
「おい、志乃――」
「さっきからおかしいじゃない! 与一郎って人は足利家のために織田家を滅ぼそうとしているんでしょ! どうしてあなたを攻めようとする人と手を結ぶのよ!」
「奥方。その辺りも説明しなければいけないだろう。私にはその義務がある。落ち着いて聞いてほしい」
志乃はしばらく義昭殿を睨んでから「分かったわよ」と不承不承に頷いた。
「そもそも、近衛前久ってなんなのよ。武家を操るほどの偉い人なの?」
「ああ。五摂家の一つ、近衛家の十七代目当主だ」
「……五摂家ってなによ?」
まあ名主とはいえ百姓だった志乃が知らなくて当然だった。
「志乃。五摂家というのは藤原北家の嫡流でね。近衛、九条、二条、一条、鷹司の五つの公家を指すんだ」
「……そんなに偉いの?」
「ああ。この五つの家で上位の官位を独占しているんだ。摂政や関白、太政大臣とかね」
志乃は「家柄に恵まれているだけじゃない」と痛烈な批判をした。目の前に居る名門の出の義昭殿は困ったように頬を掻いた。
「それで義昭殿。その方がどうしてあなたの排除を?」
「そうだな。十四代目将軍の義栄を知っているか?」
「ええ。あの傀儡の」
義昭殿の前に三好三人衆や松永の手によって擁立された将軍である。
「その任官の手助けをしたのが近衛前久だ。その後、義栄が死んで私が入京し、将軍になったので、奴の面目が丸つぶれになってしまった。それと――二条晴良というお方を覚えているか?」
どこかで聞いたような……はっきり言って覚えていない。
「私の将軍任官を手助けしたお方だ。その方と近衛は対立してな。結局近衛前久は京から追放された。その件には私も関与している」
「その恨みで――細川さまと手を組んだと? しかし……」
「ああ。おかしな話だろう? だが足利家を守ることと足利家を滅ぼすこと。一見対立しているように見えるが『織田家を滅ぼす』ことに関しては目的が合致したのだ。まあ与一郎のことだ。いずれ近衛前久を排除するだろうが」
それは僕も同じ考えだったから、何も言わなかった。
「……それで、どうして雲之介が監禁されることになったの?」
志乃が恐ろしく底冷えするような声で訊ねた。背筋がぞっとする。
「……あの日、雲之介が城に訪れて私と話していたとき、与一郎が雲之介をいきなり気絶させた。覚えているか?」
「気絶したのは覚えていますが、まさか細川さまが……」
「驚く私に与一郎は全てを明かした」
暗い表情になる義昭殿。そしてとんでもないことを言う。
「浅井久政を殺したのは、与一郎だ」
「なっ――」
「本願寺を唆したのも、武田家を動かしたのも、与一郎と近衛前久の共謀の末だった。私には既に止められない状況に来ていた」
その久政さまを殺した犯人が、細川さま!?
信じられない思いだった。
「だから、どうして雲之介の監禁につながるのよ!」
志乃の怒りが爆発した。確かにどうして僕の監禁につながったんだろうか?
「――その場で殺されるはずだったのだ」
義昭殿の一言に、何も言えなくなる僕と志乃。
「それを私と一覚、そして明智殿が庇った」
義昭殿だけじゃなくて、一覚殿と明智さままで――
「与一郎は折れて、代わりに監禁することになった。それが真実だ」
「……雲之介が、そんなに邪魔だったの?」
志乃が震えながら義昭殿に問う。
「足利家の財政を立て直した! 二条城という立派な城を築いた! それ以前に興福寺に軟禁されていたあなたを救った! なのにどうして!」
「やりすぎたのだ、雲之介は」
激高する志乃に対して義昭殿はまったくの冷静だった。それは責められることを覚悟しているようだった。何を言われても仕方の無いと思っているようだった。
「内政官としての実力が抜きん出ていた。それに私の信頼も厚い。だからこそ、足利家家臣ではない雲之介の存在は危険すぎた。もしかすると雲之介の意見次第で、足利家の命運が変わるかもと、与一郎は恐れていたのかもしれん」
「そんなの、全部あなたたちの都合――」
僕は志乃の言葉を手で遮って、義昭殿に訊ねる。
「それで、義昭殿はどうしたいのですか?」
「どうしたい……とは?」
「足利家の天下にしたいのか、ですね」
義昭殿の返答次第によっては、僕の立ち位置も危ぶまれる。
だけど問わずに居られなかった。
対する義昭殿は――
「いや。足利の世は終わる。これからは織田家の時代だ」
そう答えた義昭殿。ホッとした。
「そうですか……ではこれからどうしますか?」
「与一郎を止めなければいかん。しかしあいつは聞く耳を持たない。すまないが織田家だけで切り抜けてほしい。私は――無力だ」
僕は義昭殿に深い同情を覚えた。
「頼む。どうか、どうにか切り抜けてくれ。こんな頼みはおかしいと思うが、足利の世を終わらせて、織田家による太平の世を作ってくれ」
そして再び深く頭を下げた義昭殿。
僕は義昭殿に近づいて、顔を起こして、手を握った。
「ええ。必ず。約束します」
◆◇◆◇
去り往く義昭殿の輿を見送って、僕と志乃は屋敷で話し合っていた。
「あなたは本当に優しいわね。雲之介」
「うん? ああ。簡単に許したこと? だって義昭殿は悪くないよ」
「家臣の暴走を止められない主君よ? 悪いに決まっているじゃない」
まあそれはそうなんだけど。それでも責める気にはならなかった。
「ねえ雲之介。また離れて暮らすの?」
「まあね。でもそんな長くないよ」
「本当? 雲之介は嘘を吐かないけど、予想は外れるから」
確かにそうだった。何も言えない僕に「でもまあ、いつまでも待ってるわ」とにっこりと微笑む志乃。
「晴太郎とかすみは任せてね。立派に育てるわ」
「ああ。頼んだよ、志乃」
◆◇◆◇
それからしばらく家族水入らずで過ごしてから、僕は北近江国の横山城に居る秀吉の元に向かった。
「おお。雲之介。もう大丈夫なのか?」
秀吉は優しく出迎えてくれた。秀長殿と正勝と半兵衛さんは主命で居なかった。
「ああ。もう大丈夫だ。それで、なにをすればいい?」
「それなんだがな。少し状況が変わった」
秀吉が複雑そうな顔で僕に言う。
「浅井家は織田家に併呑されることになった。つまり北近江国は織田家の領地になる」
まったく知らぬ名と知っている名。そして出てこなかった明智さまの名。
はっきり言って動揺している――なんて言えばいいのか、分からない。
それでも――僕は問うことができた。
「近衛という方は、存じませんが、どうして細川さまが……」
「ふむ。与一郎が何故企みに加担したのか。それをまず説明しよう」
義昭殿は前置きしてから「信長殿はそなたから見て、どのような人物だ?」と逆に訊ねてきた。
以前、顕如から訊かれた問いと同じだった。
「それは――乱世を終わらせることのできる人だと」
「そうだ。まさしくそれだ。与一郎が裏切った理由は――乱世を終わらせたくないのだ」
……意味が分からない。
「いや。言い方が不味かったな。ではこう言い換えよう。足利の世を終わらせたくないのだ。与一郎は」
「えっと、つまりそれは――自分の権勢欲のためですか? 足利の世が終われば、足利家家老である自分は、用済みになると?」
「そのような欲の塊であれば、まだ良かったがな。しかし与一郎は違う。あいつは――足利家を武家の頂点として存続させたいのだ」
一緒――ではない。我欲ではなく、主家のために、働く。
しかしそれは一見度し難い気もする。
「雲之介。そなたには分かるまい。与一郎は足利家、いや兄上を敬愛しているからこそ、過激な行動を取ってしまった」
「十三代将軍の義輝公を敬愛? もう亡くなってしまった方ではないですか」
「死んでいるからこそ、だろうな。信仰というよりも盲信してしまっている」
「僕はそのようなところ、見たこと無いです」
「人に見せるものではないからな。与一郎はその辺は弁えている。それに誰しも隠したいことぐらいあるだろう」
義昭殿の言葉は――なんとなく分かる気がした。細川さまは苦言を呈することはあっても、感情的に何か物を言う人ではない。
「だからこそ、近衛前久と手を組んだのだろう。足利家を飲み込むほど強大になっていく織田家を滅ぼすためにな」
「……その近衛前久という方は何者なんですか?」
おそらく貴族であろうお方が、朝廷から認められている織田家を排除しようとは思えない。
「近衛前久の目的は足利家を滅ぼす……いや、この私を排除することが目的なのだ」
「……いい加減にしなさいよ」
僕が発言する前に、志乃がとうとう我慢できなくなって、義昭殿に詰め寄った。
「おい、志乃――」
「さっきからおかしいじゃない! 与一郎って人は足利家のために織田家を滅ぼそうとしているんでしょ! どうしてあなたを攻めようとする人と手を結ぶのよ!」
「奥方。その辺りも説明しなければいけないだろう。私にはその義務がある。落ち着いて聞いてほしい」
志乃はしばらく義昭殿を睨んでから「分かったわよ」と不承不承に頷いた。
「そもそも、近衛前久ってなんなのよ。武家を操るほどの偉い人なの?」
「ああ。五摂家の一つ、近衛家の十七代目当主だ」
「……五摂家ってなによ?」
まあ名主とはいえ百姓だった志乃が知らなくて当然だった。
「志乃。五摂家というのは藤原北家の嫡流でね。近衛、九条、二条、一条、鷹司の五つの公家を指すんだ」
「……そんなに偉いの?」
「ああ。この五つの家で上位の官位を独占しているんだ。摂政や関白、太政大臣とかね」
志乃は「家柄に恵まれているだけじゃない」と痛烈な批判をした。目の前に居る名門の出の義昭殿は困ったように頬を掻いた。
「それで義昭殿。その方がどうしてあなたの排除を?」
「そうだな。十四代目将軍の義栄を知っているか?」
「ええ。あの傀儡の」
義昭殿の前に三好三人衆や松永の手によって擁立された将軍である。
「その任官の手助けをしたのが近衛前久だ。その後、義栄が死んで私が入京し、将軍になったので、奴の面目が丸つぶれになってしまった。それと――二条晴良というお方を覚えているか?」
どこかで聞いたような……はっきり言って覚えていない。
「私の将軍任官を手助けしたお方だ。その方と近衛は対立してな。結局近衛前久は京から追放された。その件には私も関与している」
「その恨みで――細川さまと手を組んだと? しかし……」
「ああ。おかしな話だろう? だが足利家を守ることと足利家を滅ぼすこと。一見対立しているように見えるが『織田家を滅ぼす』ことに関しては目的が合致したのだ。まあ与一郎のことだ。いずれ近衛前久を排除するだろうが」
それは僕も同じ考えだったから、何も言わなかった。
「……それで、どうして雲之介が監禁されることになったの?」
志乃が恐ろしく底冷えするような声で訊ねた。背筋がぞっとする。
「……あの日、雲之介が城に訪れて私と話していたとき、与一郎が雲之介をいきなり気絶させた。覚えているか?」
「気絶したのは覚えていますが、まさか細川さまが……」
「驚く私に与一郎は全てを明かした」
暗い表情になる義昭殿。そしてとんでもないことを言う。
「浅井久政を殺したのは、与一郎だ」
「なっ――」
「本願寺を唆したのも、武田家を動かしたのも、与一郎と近衛前久の共謀の末だった。私には既に止められない状況に来ていた」
その久政さまを殺した犯人が、細川さま!?
信じられない思いだった。
「だから、どうして雲之介の監禁につながるのよ!」
志乃の怒りが爆発した。確かにどうして僕の監禁につながったんだろうか?
「――その場で殺されるはずだったのだ」
義昭殿の一言に、何も言えなくなる僕と志乃。
「それを私と一覚、そして明智殿が庇った」
義昭殿だけじゃなくて、一覚殿と明智さままで――
「与一郎は折れて、代わりに監禁することになった。それが真実だ」
「……雲之介が、そんなに邪魔だったの?」
志乃が震えながら義昭殿に問う。
「足利家の財政を立て直した! 二条城という立派な城を築いた! それ以前に興福寺に軟禁されていたあなたを救った! なのにどうして!」
「やりすぎたのだ、雲之介は」
激高する志乃に対して義昭殿はまったくの冷静だった。それは責められることを覚悟しているようだった。何を言われても仕方の無いと思っているようだった。
「内政官としての実力が抜きん出ていた。それに私の信頼も厚い。だからこそ、足利家家臣ではない雲之介の存在は危険すぎた。もしかすると雲之介の意見次第で、足利家の命運が変わるかもと、与一郎は恐れていたのかもしれん」
「そんなの、全部あなたたちの都合――」
僕は志乃の言葉を手で遮って、義昭殿に訊ねる。
「それで、義昭殿はどうしたいのですか?」
「どうしたい……とは?」
「足利家の天下にしたいのか、ですね」
義昭殿の返答次第によっては、僕の立ち位置も危ぶまれる。
だけど問わずに居られなかった。
対する義昭殿は――
「いや。足利の世は終わる。これからは織田家の時代だ」
そう答えた義昭殿。ホッとした。
「そうですか……ではこれからどうしますか?」
「与一郎を止めなければいかん。しかしあいつは聞く耳を持たない。すまないが織田家だけで切り抜けてほしい。私は――無力だ」
僕は義昭殿に深い同情を覚えた。
「頼む。どうか、どうにか切り抜けてくれ。こんな頼みはおかしいと思うが、足利の世を終わらせて、織田家による太平の世を作ってくれ」
そして再び深く頭を下げた義昭殿。
僕は義昭殿に近づいて、顔を起こして、手を握った。
「ええ。必ず。約束します」
◆◇◆◇
去り往く義昭殿の輿を見送って、僕と志乃は屋敷で話し合っていた。
「あなたは本当に優しいわね。雲之介」
「うん? ああ。簡単に許したこと? だって義昭殿は悪くないよ」
「家臣の暴走を止められない主君よ? 悪いに決まっているじゃない」
まあそれはそうなんだけど。それでも責める気にはならなかった。
「ねえ雲之介。また離れて暮らすの?」
「まあね。でもそんな長くないよ」
「本当? 雲之介は嘘を吐かないけど、予想は外れるから」
確かにそうだった。何も言えない僕に「でもまあ、いつまでも待ってるわ」とにっこりと微笑む志乃。
「晴太郎とかすみは任せてね。立派に育てるわ」
「ああ。頼んだよ、志乃」
◆◇◆◇
それからしばらく家族水入らずで過ごしてから、僕は北近江国の横山城に居る秀吉の元に向かった。
「おお。雲之介。もう大丈夫なのか?」
秀吉は優しく出迎えてくれた。秀長殿と正勝と半兵衛さんは主命で居なかった。
「ああ。もう大丈夫だ。それで、なにをすればいい?」
「それなんだがな。少し状況が変わった」
秀吉が複雑そうな顔で僕に言う。
「浅井家は織田家に併呑されることになった。つまり北近江国は織田家の領地になる」