残酷な描写あり
勝蔵
岐阜城への帰路、尾張国と三河国の境――
「雲之介ちゃんは本当に本当に本当にお人よしよね」
「まったくだ。呆れちまうぜ」
雪隆との顛末を話すと半兵衛さんと正勝はあからさまに呆れた顔になった。
ま、仕方のないことだけどね。
「それで、秀吉ちゃんはなんて言ったの?」
「えっと、『おぬしがそれで良いのなら良い』って言ってくれたよ」
「殿も甘い人間だな。いや、兄弟に甘いんだな」
甘いというか度量が大きいと評すれば正確だろう。実際、浜松城で報告したとき、豪快に笑っていたから。
「それにしても、今回は戦果なかったわね。信玄のおじいちゃんは退いてくれたけど」
「いや上々だろうよ。しばらくは攻めてこないんじゃねえか?」
「あたしとしては、三方ヶ原で討ち取りたかったわ。本当に残念。こっちは森さまが――」
そこまで言いかけて、黙ってしまう半兵衛さん。
見るとばつの悪い顔になっている。
「気を使わなくていいよ。僕の役目だから」
そう。浜松城を出立する前にお屋形様に命じられていたのだ。
森可成さまの死を、森家の人々に知らせること。
今まで受けた主命の中で最もやりたくなく、そして最もしなければいけなかったことだった。
「お屋形様も酷いわね。森さまを死に追いやったのは――」
「おい半兵衛。そんなこと言うなよ」
正勝が少しきつめに注意する。
そんな兄弟に僕は微笑む。
「大丈夫だよ、正勝の兄さん。既に覚悟はできている」
「…………」
「本当に、大丈夫だから」
志乃のときのように恨まれるべきか。
それとも生きる希望を与えるべきか。
まだ決断できないけども。
◆◇◆◇
岐阜城にある森家の屋敷に着いた。両隣には雪隆と島が居る。ついて来なくてもいいと言ったのに、どうしても聞かない。
「僕一人で十分――」
「それ以上言うな。雨竜殿は背負いすぎる」
島が最後まで言わずに遮って、はっきりと言う。
「雲之介さんを守るのが、俺の役目だから」
雪隆も頑として聞かない。
仕方ないなあと溜息を吐いて、僕は森家に入った。
「御免。どなたか居られるか?」
大きな声で呼ぶと小者らしき男が「へえ。どちらさまですか?」と訊ねる。
「織田家直臣、羽柴秀吉が家臣、雨竜雲之介秀昭である。森可成さまの奥方、えいさまは?」
「奥方さまならご子息さまと一緒に居られます」
「そうか。案内してくれ」
いずれ知ることだから、一度に知らせたほうがいい……
奥方と子供たちは庭先に居た。六男三女と聞いていたが、この場には二人の男の子しか居なかった。
「乱丸! それでは戦働きできねえぜ!」
稽古用の槍で小さな男の子を吹っ飛ばす大きい男の子。
小さい子は倒れてしまい、泣きそうになる。
「泣くな! 弱虫が!」
「な、泣いてないもん!」
その様子をはらはらしながら見ているおしとやかな女性。
あれがえいさまだろう。虫すら殺さなそうな優しげな女性。目尻が垂れていて、菩薩さまのような柔和な表情。
「えいさま。織田家の直臣、羽柴さまの家臣の方々です」
小者が声をかける。えいさまはハッとして僕を見る。
このとき、えいさまは何かを悟ったのだろう。
悲しそうな目をした――
「ああん? 羽柴? なんでそんなのがうちに来たんだ?」
「あ、兄上。失礼ですよ!」
ずかずかと近づいてくる大きな男の子。森さまとえいさまの面影はあるけど、少々、いやかなり目つきが悪い。
一方諌めた小さな男の子はえいさまに似てる。というより女の子のように可憐だった。
「君は、勝蔵かな?」
「あん? そうだけどよ」
そうか。この子の後見を頼まれたのか。
思わず頭を撫でる。
「ちょ、おいコラ! 何すんだ!」
「あはは。ごめん」
僕はえいさまに近づく。
えいさまは顔を蒼白にして、立っていた。
「お初にお目にかかります。雨竜雲之介秀昭と申します」
「森可成が妻、えいです。何の御用ですか?」
僕は覚悟を決めて言う。
「森可成さま、並びにご嫡男森可隆さま。三方ヶ原にて、討ち死になされました」
誰も何も言わなかった。いや、言えなかったと言うのが正しい。
えいさまは衝撃に耐えるのに必死で。
子供たちはあまりのことに呆然としていた。
「……おい。ちょっと待てよ」
最初に声を発したのは、勝蔵だった。
「親父と兄貴が死んだって、今言ったのか? 冗談じゃねえのか?」
「冗談で言えることじゃない」
「な、なんで死んだんだ? あんなに強かったのに……」
「戦だ。死ぬときは死ぬ」
そのとき、背中がぞくりとして。
振り返ると勝蔵が僕に繰り出した槍を雪隆が掴んでいた。
「ふざけんな……ふざけんなああああ! 親父と兄貴が死ぬわけねえだろ!」
雪隆は決して槍を離さない。それを見て勝蔵は槍を手放して僕に直接向かってきた。勢い良く僕にぶつかったので、簡単に馬乗りされた。
「嘘だって言えよ!」
「雪隆。何もするな」
引き剥がそうとする雪隆を僕は止めた。
「しかし――」
「良いんだ。勝蔵、信じたくない気持ちはよく分かる」
「黙れよ!」
子供とは思えない力の拳が僕の顔面を襲う。
「親父と兄貴は強かったんだ! なんで死んだんだ!」
「ああそうだ。二人は死んだんだ」
「――っ! この野郎!」
振り上げられた拳がまた僕の顔に当たる前に、乱丸と呼ばれた小さな子が勝蔵の腕に飛びついた。
「何すんだ乱丸!」
「やめてください! もう、やめてください……」
ぼろぼろと泣き崩れてしまった乱丸を見て、勝蔵の力が弱まった。
えいさまに視線を移す。
うずくまって静かに泣いている……
◆◇◆◇
「ありがとうございます。お役目、ご苦労さまでした」
落ち着かれたえいさまに部屋へ招かれて、僕たち三人は座っていた。
勝蔵と乱丸はえいさまの後ろに座っている。
「それで、お屋形様さまは……」
「森家は、勝蔵が継ぐようにと。しかし歳若いため、元服までは控えろと仰せです」
さっきから睨みつけている勝蔵。分かっているのかどうか分からない。
「そうですか。分かりました」
「……何も聞かないんですね」
夫と息子の最期はどうだったのかとか。どうして死んだのかとか。
一切聞かないえいさまに疑問を覚えた。
「いつかこの日が来ると思っていました。武将の妻なら当然です」
「そうですか……」
「しかし私は弱いですね。覚悟しているとはいえ、先ほど取り乱してしまいましたから」
十分強い人だ。気丈に振舞っているのだから。
「それで勝蔵のことですが、後見人に僕と羽柴秀吉が指名されました」
「あなたさまですか……?」
「戦に臨む前に、森さまがお屋形様に頼んだそうです」
それを聞いた勝蔵は「あんたみたいに弱い人間が後見してもなあ」と皮肉を言った。
「雪隆。抑えるように」
刀に手をかけそうになった雪隆を制しつつ「よければ長浜に来ないか?」と勝蔵に言う。
「長浜? なんでだよ?」
「長浜で鍛えるべきだと思ってね。強くなりたいだろう?」
「はっ。そんなんいらねえよ。既に俺は強いからな」
「でもここに居る雪隆には負けるよ」
真実を述べると剣呑な目になった。
「ああん? 誰が負けるって?」
「君だよ。なんなら勝負してみるがいい」
「上等だよ! やってやんぞオラ!」
ここで戦わせないと、雪隆とわだかまりが生まれるからなあ。
雪隆もああ見えて根に持つから。
二人が出て行って、これからの森家について話していると、意外と早く雪隆が帰ってきた。
「早かったね。勝蔵は?」
「気絶している……雲之介さんを馬鹿にしすぎだ」
乱丸は信じられないという顔で雪隆を見ている。
えいさまは「あれで少しは懲りたでしょう」と笑った。
そして頭を深く下げた。
「勝蔵のこと、よろしくお願いします」
一晩、森家で泊まらせてもらった後、僕たちは出立した。
「いいか雪隆。負けたのは偶然だからな。いつか仕返ししてやる」
「雲之介さん。こいつ殺していいか?」
物騒なやりとりを聞き流しながら、僕は島に言う。
「これから伊賀国に向かう」
「伊賀国? どうしてだ?」
「徳川家の服部殿から忍びの里の紹介状をもらったんだ。それで忍びを雇おうと思って」
「忍びか……どういう風の吹き回しだ? 雨竜殿は内政官だろう?」
忍びなんて必要ないって言いたいのだろう。
「何があるか分からない戦国乱世だからね。雇っておいて損はないよ」
そういうわけで一路伊賀へと向かう。
どんな出会いが待っているのだろうか。
「雲之介ちゃんは本当に本当に本当にお人よしよね」
「まったくだ。呆れちまうぜ」
雪隆との顛末を話すと半兵衛さんと正勝はあからさまに呆れた顔になった。
ま、仕方のないことだけどね。
「それで、秀吉ちゃんはなんて言ったの?」
「えっと、『おぬしがそれで良いのなら良い』って言ってくれたよ」
「殿も甘い人間だな。いや、兄弟に甘いんだな」
甘いというか度量が大きいと評すれば正確だろう。実際、浜松城で報告したとき、豪快に笑っていたから。
「それにしても、今回は戦果なかったわね。信玄のおじいちゃんは退いてくれたけど」
「いや上々だろうよ。しばらくは攻めてこないんじゃねえか?」
「あたしとしては、三方ヶ原で討ち取りたかったわ。本当に残念。こっちは森さまが――」
そこまで言いかけて、黙ってしまう半兵衛さん。
見るとばつの悪い顔になっている。
「気を使わなくていいよ。僕の役目だから」
そう。浜松城を出立する前にお屋形様に命じられていたのだ。
森可成さまの死を、森家の人々に知らせること。
今まで受けた主命の中で最もやりたくなく、そして最もしなければいけなかったことだった。
「お屋形様も酷いわね。森さまを死に追いやったのは――」
「おい半兵衛。そんなこと言うなよ」
正勝が少しきつめに注意する。
そんな兄弟に僕は微笑む。
「大丈夫だよ、正勝の兄さん。既に覚悟はできている」
「…………」
「本当に、大丈夫だから」
志乃のときのように恨まれるべきか。
それとも生きる希望を与えるべきか。
まだ決断できないけども。
◆◇◆◇
岐阜城にある森家の屋敷に着いた。両隣には雪隆と島が居る。ついて来なくてもいいと言ったのに、どうしても聞かない。
「僕一人で十分――」
「それ以上言うな。雨竜殿は背負いすぎる」
島が最後まで言わずに遮って、はっきりと言う。
「雲之介さんを守るのが、俺の役目だから」
雪隆も頑として聞かない。
仕方ないなあと溜息を吐いて、僕は森家に入った。
「御免。どなたか居られるか?」
大きな声で呼ぶと小者らしき男が「へえ。どちらさまですか?」と訊ねる。
「織田家直臣、羽柴秀吉が家臣、雨竜雲之介秀昭である。森可成さまの奥方、えいさまは?」
「奥方さまならご子息さまと一緒に居られます」
「そうか。案内してくれ」
いずれ知ることだから、一度に知らせたほうがいい……
奥方と子供たちは庭先に居た。六男三女と聞いていたが、この場には二人の男の子しか居なかった。
「乱丸! それでは戦働きできねえぜ!」
稽古用の槍で小さな男の子を吹っ飛ばす大きい男の子。
小さい子は倒れてしまい、泣きそうになる。
「泣くな! 弱虫が!」
「な、泣いてないもん!」
その様子をはらはらしながら見ているおしとやかな女性。
あれがえいさまだろう。虫すら殺さなそうな優しげな女性。目尻が垂れていて、菩薩さまのような柔和な表情。
「えいさま。織田家の直臣、羽柴さまの家臣の方々です」
小者が声をかける。えいさまはハッとして僕を見る。
このとき、えいさまは何かを悟ったのだろう。
悲しそうな目をした――
「ああん? 羽柴? なんでそんなのがうちに来たんだ?」
「あ、兄上。失礼ですよ!」
ずかずかと近づいてくる大きな男の子。森さまとえいさまの面影はあるけど、少々、いやかなり目つきが悪い。
一方諌めた小さな男の子はえいさまに似てる。というより女の子のように可憐だった。
「君は、勝蔵かな?」
「あん? そうだけどよ」
そうか。この子の後見を頼まれたのか。
思わず頭を撫でる。
「ちょ、おいコラ! 何すんだ!」
「あはは。ごめん」
僕はえいさまに近づく。
えいさまは顔を蒼白にして、立っていた。
「お初にお目にかかります。雨竜雲之介秀昭と申します」
「森可成が妻、えいです。何の御用ですか?」
僕は覚悟を決めて言う。
「森可成さま、並びにご嫡男森可隆さま。三方ヶ原にて、討ち死になされました」
誰も何も言わなかった。いや、言えなかったと言うのが正しい。
えいさまは衝撃に耐えるのに必死で。
子供たちはあまりのことに呆然としていた。
「……おい。ちょっと待てよ」
最初に声を発したのは、勝蔵だった。
「親父と兄貴が死んだって、今言ったのか? 冗談じゃねえのか?」
「冗談で言えることじゃない」
「な、なんで死んだんだ? あんなに強かったのに……」
「戦だ。死ぬときは死ぬ」
そのとき、背中がぞくりとして。
振り返ると勝蔵が僕に繰り出した槍を雪隆が掴んでいた。
「ふざけんな……ふざけんなああああ! 親父と兄貴が死ぬわけねえだろ!」
雪隆は決して槍を離さない。それを見て勝蔵は槍を手放して僕に直接向かってきた。勢い良く僕にぶつかったので、簡単に馬乗りされた。
「嘘だって言えよ!」
「雪隆。何もするな」
引き剥がそうとする雪隆を僕は止めた。
「しかし――」
「良いんだ。勝蔵、信じたくない気持ちはよく分かる」
「黙れよ!」
子供とは思えない力の拳が僕の顔面を襲う。
「親父と兄貴は強かったんだ! なんで死んだんだ!」
「ああそうだ。二人は死んだんだ」
「――っ! この野郎!」
振り上げられた拳がまた僕の顔に当たる前に、乱丸と呼ばれた小さな子が勝蔵の腕に飛びついた。
「何すんだ乱丸!」
「やめてください! もう、やめてください……」
ぼろぼろと泣き崩れてしまった乱丸を見て、勝蔵の力が弱まった。
えいさまに視線を移す。
うずくまって静かに泣いている……
◆◇◆◇
「ありがとうございます。お役目、ご苦労さまでした」
落ち着かれたえいさまに部屋へ招かれて、僕たち三人は座っていた。
勝蔵と乱丸はえいさまの後ろに座っている。
「それで、お屋形様さまは……」
「森家は、勝蔵が継ぐようにと。しかし歳若いため、元服までは控えろと仰せです」
さっきから睨みつけている勝蔵。分かっているのかどうか分からない。
「そうですか。分かりました」
「……何も聞かないんですね」
夫と息子の最期はどうだったのかとか。どうして死んだのかとか。
一切聞かないえいさまに疑問を覚えた。
「いつかこの日が来ると思っていました。武将の妻なら当然です」
「そうですか……」
「しかし私は弱いですね。覚悟しているとはいえ、先ほど取り乱してしまいましたから」
十分強い人だ。気丈に振舞っているのだから。
「それで勝蔵のことですが、後見人に僕と羽柴秀吉が指名されました」
「あなたさまですか……?」
「戦に臨む前に、森さまがお屋形様に頼んだそうです」
それを聞いた勝蔵は「あんたみたいに弱い人間が後見してもなあ」と皮肉を言った。
「雪隆。抑えるように」
刀に手をかけそうになった雪隆を制しつつ「よければ長浜に来ないか?」と勝蔵に言う。
「長浜? なんでだよ?」
「長浜で鍛えるべきだと思ってね。強くなりたいだろう?」
「はっ。そんなんいらねえよ。既に俺は強いからな」
「でもここに居る雪隆には負けるよ」
真実を述べると剣呑な目になった。
「ああん? 誰が負けるって?」
「君だよ。なんなら勝負してみるがいい」
「上等だよ! やってやんぞオラ!」
ここで戦わせないと、雪隆とわだかまりが生まれるからなあ。
雪隆もああ見えて根に持つから。
二人が出て行って、これからの森家について話していると、意外と早く雪隆が帰ってきた。
「早かったね。勝蔵は?」
「気絶している……雲之介さんを馬鹿にしすぎだ」
乱丸は信じられないという顔で雪隆を見ている。
えいさまは「あれで少しは懲りたでしょう」と笑った。
そして頭を深く下げた。
「勝蔵のこと、よろしくお願いします」
一晩、森家で泊まらせてもらった後、僕たちは出立した。
「いいか雪隆。負けたのは偶然だからな。いつか仕返ししてやる」
「雲之介さん。こいつ殺していいか?」
物騒なやりとりを聞き流しながら、僕は島に言う。
「これから伊賀国に向かう」
「伊賀国? どうしてだ?」
「徳川家の服部殿から忍びの里の紹介状をもらったんだ。それで忍びを雇おうと思って」
「忍びか……どういう風の吹き回しだ? 雨竜殿は内政官だろう?」
忍びなんて必要ないって言いたいのだろう。
「何があるか分からない戦国乱世だからね。雇っておいて損はないよ」
そういうわけで一路伊賀へと向かう。
どんな出会いが待っているのだろうか。