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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
伊賀者
 僕たちは伊勢国から伊賀国を目指して山の中を歩いていた。獣道ばかりで疲労が増すが、僕以外の三人は健脚でつらそうな顔をしない。馬に乗れれば良かったけど、険しくて狭い道が多いので無理だと思い、途中の村に置いた。

「忍びなんて役に立つのか? よく分からないけどよ」
「分からないのなら口出しするな」
「お? 雪隆、てめえ喧嘩売っているのか? 買うぞコラ」

 どうも雪隆と勝蔵は水と油のように合わないらしい。いや、冷静であろうとする雪と直情的な炎のように性質が噛み合わないようだった。

「喧嘩しないでくれ。島、地図だとどの辺かな?」
「もうすぐのはずだが……この地図は正確なのか? そもそも忍び里の所在を書いてある地図など信じていいのか?」
「信じるしかない。服部殿が浜松城から出る前に、訪ねるように言った老人がくれた地図なのだから」

 とはいえ不安がないわけでもない。あの老人――周りから避けられているように村外れで住んでいた――はなんというか異質な感じがした。
 おそらく元忍びか今でも忍びなのかもしれないとぼんやり思った。

「ならば是非もないが――待て」

 島が僕の前に手を差し出して、止まるように合図を出した。言い争っていた雪隆と勝蔵も止まる。

「誰か知らんが、こちらの様子を窺っているな」
「……本当か?」
「雲之介さん。島の言うことは当たりだ。気配がする」

 雪隆も同じことを言い、勝蔵は槍を取り出した。
 どうやら僕以外はきちんと気配を感じ取れているようだ。

「山賊? それとも忍び?」
「おそらく、前者だな。殺気が篭もっている」

 島の言葉に少しがっかりした。忍びなら交渉できたのに。
 それに忍びなら気配も悟らせないか。

「さてどうする――」

 島が僕に訊ねようとして――

「やい山賊共! てめえら皆殺しにすんぞ! 出てこいや!」

 勝蔵が山中に響くぐらいの大声で怒鳴った。
 ……あ、今気づいた。この子、頭おかしい。

 勝蔵の挑発に乗ってぞろぞろと山賊たちが姿を現す。
 十数名ほど……

「威勢のいいガキが居ると思ったら、金目のもん持ってそうなお侍さんじゃねえか」
「へへ。こりゃあ期待できるな」

 下卑た声で値踏みする山賊を不快に思いながら「渡すような金目のものはないよ」と静かに言った。

「へっ。腰に大小の刀ぶら下げてるじゃねえか。それで十分だ」
「刀だけで命のやりとりをしろと?」

 さて。どうしたものか。ここは穏便に済ませたいところだけど……

「ひゃっは! 出てきたな、山賊が!」

 考えている最中に勝蔵が――山賊の一人に向かって、槍を繰り出した。その山賊は血飛沫と悲鳴をあげて倒れる。

「お、おい、勝蔵」
「なんだ。初めて人を殺したけど、何にも感じねえや」

 血ぶるいして勝蔵は次の山賊に狙いを付け始める。

「さあさあ、次はどいつだあ?」
「な、なんだこのガキ、いかれてやがる!」

 ああ、今は亡き森可成さま。あなたは分かっていたから勝蔵の後見を僕に頼んだのですね。
 いつか向こうに行ったら、絶対にあなたを殴ります。

「仕方ない。雪隆、島。勝蔵を死なせるな!」

 こうなってしまえば乱戦だった。
 島は刀を抜いて槍を持った山賊を一刀で斬り伏せて、その槍を奪い、勝蔵を援護するように後ろに控えた。雪隆は野太刀を八双に構えて僕を護衛している。
 勝蔵は槍を振り回して山賊たちを次々に殺めていく。味方としては頼もしかったけど、この状況になったのは彼のせいなので、やっぱり厄介だった。

「くそ! 退け!」

 山賊の半数が三人に斬られた頃、一人の山賊がそう言って逃げようとする――

「待て! 逃げるな!」
「勝蔵! 深追いするな!」

 山賊を追う勝蔵を止める。でも止まらない。
 しかし逃げていた山賊が足を止めた。

「最近、山で悪さをしていたのはお前らか」

 いつの間にか大勢の百姓に囲まれていた。それぞれ武器を持っている。

「ま、まさか。伊賀国の――」
「山賊は捕らえよ」

 山賊は抵抗したけど、百姓たちはまるで熟練の兵士のような動きで次々と捕縛していく。
 流石の勝蔵も不気味に思ったのか、僕たちの傍に寄る。

「……あなた方は何者ですか?」

 先ほどから指示を出していた百姓が僕に訊ねる。

「羽柴家家臣、雨竜雲之介秀昭だ」
「……羽柴? ああ、北近江国の大名ですね。それで、何のためにこの山に?」
「服部半蔵殿の紹介で伊賀国の忍びを雇いに来たのだ。案内してくれるか?」

 彼らの訓練された動きからして、おそらく忍びかそれに類する者だろう。
 そう予想したがどうやら的中したらしい。

「……案内いたします」

 
◆◇◆◇

 
 伊賀国の忍び里は普通の農村と変わりない。どこにでもある光景が広がっていた。

「忍び里か。なかなか特殊なところだ」

 しかし普通と思っていたのは僕だけらしい。島は少しだけ警戒している。
 雪隆はいつでも野太刀が抜けるようにしているし、勝蔵は目をギラギラしている。
 揉め事起こさないでくれよ……

「忍び頭の百地丹波さまの屋敷にございます。中にてお待ちください」

 他の家よりも少し大きい屋敷の中に入る。草鞋を脱いで掛け軸と囲炉裏のある部屋に通されて、座ると使用人らしき若者に白湯を置かれる。飲めということだろうか。

「勝蔵。先に飲んでいいぞ」
「どういう風の吹き回しだ雪隆? まあいい……うむ、普通だ」
「雲之介さん、毒はないみたいです」
「てめえ!」

 あわや乱闘になりかけたとき「血気盛んな若者ですなあ」と笑いながら老人が奥の襖からやってきた。
 どこからどう見ても老人だ。しかし髪は黒々としている。腰は曲がっていない。柔和そうな顔だが、えいさまと違って目が鋭い。一見隙だらけに思われる。なんというか老成した中年の男性と言えば適当だろう。

「百地丹波と申します」
「雨竜雲之介秀昭と言います」

 自己紹介すると「ああ、猿の内政官殿ですな」という。忍びだからか、それともこんな山奥まで知られるくらい有名なのだろうか。

「服部さまの紹介と聞きましたが、証のものはございますか?」
「ああ。これです」

 僕は服部殿にもらった紹介状のようなものを渡した。
 一瞥して、本物らしいと知ると「どのような忍びをお探しですか?」とさっそく聞かられる。

「そうだな。ある程度腕が立って、情報収集が上手い忍びがいい」
「……殺しが上手な者ではなくてよろしいですか?」

 物騒なことを言う。伊賀者らしいと言えばらしい。

「知ってのとおり僕は内政官だ。殺しはあまりしたくない」
「そうですか……分かり申した。これ、なつめを呼びなさい」

 なつめという忍びが来るまで時間はかからなかった。

「頭、何用ですか?」

 入ってきたのは、小柄で髪の短い女性だった。おそらく十八か二十くらい。小麦色の素肌で左の目元に泣きぼくろがあった。動きやすいように袖や裾が短い紺色の服を着ている。はっきり言えば美しい女性だった。

「なつめ。この方は織田家直臣、羽柴秀吉さまが家臣、雨竜雲之介秀昭さまだ。忍びを用立てて欲しいとのこと。この方に仕えよ」
「えー、この人にですか?」

 小馬鹿にするように僕の顔を覗きこむなつめさん。
 雪隆が「無礼だぞ!」と怒った。

「うーん。顔はそこそこ良いけど、なんだか頼りなさそうねえ」
「――っ! この無礼者!」

 雪隆が立ち上がるのを僕は手で制した。

「なつめさん。値踏みは済んだかな?」
「……あら、よく分かったわね。いいわ、あなたなら仕えてあげてもいい」

 そして悪戯っぽく笑って言った。

「なつめでいいわ。さんなんて遠慮しないでね?」
「分かった。なつめ、これからよろしく」

 そして百地殿に「雇い料はいくらですか?」と訊ねる。

「年に五十貫ほどくだされば。そしてなつめには月に十貫渡してくだされ」
「女を雇うのに、そんなに払えというのか?」

 島が不愉快そうに文句を言った。するとなつめが「安い女じゃないのよ? 私は」とけらけら笑う。

「雨竜殿。ここは素直に頷かないほうが……」
「いや、島の忠告はありがたいけど、言い値で雇うよ」

 それに驚いたのは島ではなく百地殿となつめだった。

「……これは驚きですな。てっきり値切られると思ったのですが」
「百地殿を信用してのことです。意味は分かりますね?」

 もしもなつめが使えないと分かれば……ま、みなまで言うことではない。
 百地殿は冷静だったけど、なつめは冷や汗をかいている。
 五十貫をこの場では用意できないので、後日払うことを約束した。

「それでは、契約は済みましたね。失礼します」

 僕は立ち上がって屋敷を出ようとする。それに続いて雪隆と島、勝蔵も続く。

「あ、少しだけ待ってもらえる? 弟に会ってくるから」
「うん。いいよ」
「なんなら私の家に泊まる? もう日が暮れるし」

 見ると日がだいぶ暮れだしている。宿屋があるように見えないし、厚意に甘えることにした。
 なつめの弟はまだ十才くらいで、姉との別れを惜しんでいた。それでも早朝の出立では泣かずに居た。強い子だなと思う。

「さてと。長浜に帰るか」

 こうして全ての用事が済み、一路長浜城へと向かった。
 戦の後の内政は大事なのだ。急がないと。
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