残酷な描写あり
再婚の条件
「父さま。今日から岐阜城に行くのですね」
晴太郎が僕に問いかけたので「ああ、そうだ。上様に呼ばれてね」と返事をする。
かすみが作った朝食を家族水入らずで食べていたときだった。目の前の晴太郎は志乃が亡くなって以来、背丈が伸びて、今ではすっかり若武者らしくなっている。親の贔屓目もあるけど、このまま育ってくれれば立派な武将になるだろう。武術も子飼いの虎之助や市松に習っているようだ。
「兄さま。それがどうかしたのですか?」
かすみが不思議そうに訊ねる。
かすみもここ一年ですっかり可愛らしく育った。子飼いたちの間でも人気があるらしい。もちろん色目を使う者は厳しく注意したが、万福丸などは好意を隠そうとしない。
しかしいつからだろうか。晴太郎のことを、にいにではなく兄さまと呼ぶようになったのは。
「いや。新しい母さまはどんな方かと思ってね」
「それは僕も知らない。なるべくお前たちと仲良くしてくれればいいが」
ご飯を一口食べる。うん、かすみの料理の腕も上がったなと感心する。
「そりゃあ無理ってものですよ、父さま。俺たちにとって母さまはあの人しかいないんですから」
「それは分かっているさ。それでも最低限、仲良くしてほしいんだ」
「新しい妻を迎えるのは――出世のためでしょう? だったら仲良くする必要はない」
やれやれ。反抗期とやらが来たのだろうか?
かすみは「ちょっと、兄さま!」と僕と晴太郎の顔を交互に見ている。
「そうだね。傍から見れば出世のためかもしれない。でも上様の厚意を無碍にはできない」
「上手い言い方ですね。本当に口だけは上手い」
「……何が言いたいのかな?」
晴太郎は茶碗を置いて姿勢を正して言う。
「父さまなら断ることもできたはずだ。それなのに、新しく妻を娶るのはどういう意図があるんですか? 本心は何ですか?」
なるほど、晴太郎は婚姻を断ってほしいのか。
もしくは僕を責めて自分の罪悪感を誤魔化したいのか。
「勘違いしてほしくないな。僕は志乃のことを愛している。死んでもそれは変わることはない。しかしそれと婚姻は別だ」
「別、ですか……?」
「ああ。晴太郎も大きくなれば分かるさ」
「子供扱いしないでください」
「まだ子供だよ。父親の婚姻に幼稚な理論で反対している時点でね」
嫌な言い方だった。確かに子供に口だけは上手いと指摘されることだけはある。
晴太郎は唇を噛み締めて、それ以上何も言わなかった。
かすみはおろおろして、目には涙が溜まっている。
「もう決まったことだ。雨竜家当主と羽柴家と織田家が決めたことをいくら嫡男と言っても覆せない」
立ち上がって、かすみに「美味しかったよ」と言う。
そして部屋を後にした。
居心地が少しだけ、悪かった。
◆◇◆◇
「若さま、落ち込んでいた。何かあったのか?」
長浜城を出て、岐阜城に向かう道中、雪隆が心配そうに僕に言ってきた。
「なんでもないよ。気にすることはない」
「しかし――」
「雪隆、あまり干渉するな」
島が叱ったのでそれ以上は雪隆も聞かなかった。
僕と雪隆と島の三人で向かっているのだけど、なんだか空気が重い。
「なんだ二人とも。一年前、婚姻には賛成だったじゃないか」
「それはそうだが。若さまと姫の気持ちが……」
雪隆は晴太郎を若さま、かすみを姫と呼ぶ。いや島もそうか。
「二人が反対なのは分かる。まだ志乃を慕っているから。でもそれじゃいけないと思うんだ」
「……どういうことだ? 殿」
「島。僕はね、子供たちに前へ進んでほしいんだ」
そう。いつまでも嘆き悲しんでいるのは良くない。
特に晴太郎は――
「よく分からんが、殿がそう思うのなら仕方ないな」
島は納得しなかったけど飲み込んでくれたようだった。
雪隆も腑に落ちないようだったけど、頷いてくれた。
本当に得難い家臣たちだな。
岐阜城に着くと、出迎えてくれたのは、勝蔵――いや、森長可だった。
「久しぶりだな、雲之介さん。雪隆も島も元気そうだな」
「ああ。君も元気そうだな。ところで長益さま知っているか?」
僕の怨みを晴らすことと長政の仇を取るため、憎き者の所在を訊ねた。
「長益さまなら、堺に居ると思うぜ。あ、そういえば、あんたに手紙預かっているんだ」
「堺……? ちょっと手紙を見せてくれ」
手紙にはこう書かれていた。
『雲よ。俺は堺で遊んでくる。仕返しが怖いからな。それでは御免』
そして手紙の空いた隙間にはあっかんべえという顔が落書きされていた。
「…………」
手紙をぐしゃりと握り潰した。
「く、雲之介さん? どうかしたのか?」
「と、殿の顔が物凄く怖いぞ?」
「おいおい、なんて書かれてたんだ?」
三人の声が遠くに聞こえる。
こ、こんなに怒りを覚えたのは、産まれて初めてだ……
「……まあいい。さっそく上様のところへ案内してくれ」
「あ、ああ。その前に顔なんとかしろよ。二、三人殺してきたような顔しているぜ?」
怒りを何とか沈めて、岐阜城内に入る。
謁見の間に四人で待っていると、上様がやってきた。
僕たちが平伏すると「面を上げよ」と声をかけられる。
見事な南蛮風の装いをしている上様がそこに居た。
「息災そうで何よりだ、雨竜雲之介秀昭よ」
「上様もお変わりなく」
「うむ。それで婚姻のことだが、その前にやってもらいたいことがある」
上様は「本来ならすぐにでも一門衆に加えたいのだがな」と前置きをして小姓に合図をする。
小姓は地図を僕たちの前に広げた。
これは伊勢長島周辺の地図だ。
「かなり難しいが、これを乗り越えてほしい。そうでなければ家中の者が賛同しない」
「何の話でしょうか?」
上様は「貴様を一門衆に加えると決めたが、反対する者が居てな」と苦い顔で言う。
「佐久間と林だ。あいつらろくな仕事もしないくせに反対ばかりする」
「はあ……納得させるために、何かをやれと?」
「話が早いな。それでは主命を下す」
上様は真剣な表情で言う。
「三ヶ月以内に伊勢長島の一向宗を降伏させよ。お前なりのやり方でな」
とんでもない主命だった。
過去二回攻めているが、それでも落とせなかった伊勢長島を攻め落とせという。
「上様、それは――」
「俺はできると思った者しか命令を下さない」
過度な期待、過大評価だと思ったが、上様は本心からそう思っているらしい。
「何も攻め落とせというわけではない。降伏させるのだ」
「弁舌を以って、降伏させるというわけですね」
なるほど。力で落とすのではなく、心を動かす戦か。
「上様、一つ確認があります」
「なんだ? 言ってみろ」
僕は――はっきりと申し上げた。
「僕は猛将でも軍師でもない、ましてや君主でもありません」
「ああ、そうだな」
「ですから――僕は内政官として落としたいと思います」
上様は「何か策があるのか?」とにやりと笑った。
「漠然としていますけどね。それでもやってみます」
「兵はどのくらい必要だ?」
「兵は要りません」
流石の上様も予想外だったらしく、眉を顰めた。
「なんだと? 一兵も要らんのか?」
「僕に考えがございます」
内政官である僕でしかできないことだ。
「代わりに銭を三千貫ください。それで落としてみせます」
晴太郎が僕に問いかけたので「ああ、そうだ。上様に呼ばれてね」と返事をする。
かすみが作った朝食を家族水入らずで食べていたときだった。目の前の晴太郎は志乃が亡くなって以来、背丈が伸びて、今ではすっかり若武者らしくなっている。親の贔屓目もあるけど、このまま育ってくれれば立派な武将になるだろう。武術も子飼いの虎之助や市松に習っているようだ。
「兄さま。それがどうかしたのですか?」
かすみが不思議そうに訊ねる。
かすみもここ一年ですっかり可愛らしく育った。子飼いたちの間でも人気があるらしい。もちろん色目を使う者は厳しく注意したが、万福丸などは好意を隠そうとしない。
しかしいつからだろうか。晴太郎のことを、にいにではなく兄さまと呼ぶようになったのは。
「いや。新しい母さまはどんな方かと思ってね」
「それは僕も知らない。なるべくお前たちと仲良くしてくれればいいが」
ご飯を一口食べる。うん、かすみの料理の腕も上がったなと感心する。
「そりゃあ無理ってものですよ、父さま。俺たちにとって母さまはあの人しかいないんですから」
「それは分かっているさ。それでも最低限、仲良くしてほしいんだ」
「新しい妻を迎えるのは――出世のためでしょう? だったら仲良くする必要はない」
やれやれ。反抗期とやらが来たのだろうか?
かすみは「ちょっと、兄さま!」と僕と晴太郎の顔を交互に見ている。
「そうだね。傍から見れば出世のためかもしれない。でも上様の厚意を無碍にはできない」
「上手い言い方ですね。本当に口だけは上手い」
「……何が言いたいのかな?」
晴太郎は茶碗を置いて姿勢を正して言う。
「父さまなら断ることもできたはずだ。それなのに、新しく妻を娶るのはどういう意図があるんですか? 本心は何ですか?」
なるほど、晴太郎は婚姻を断ってほしいのか。
もしくは僕を責めて自分の罪悪感を誤魔化したいのか。
「勘違いしてほしくないな。僕は志乃のことを愛している。死んでもそれは変わることはない。しかしそれと婚姻は別だ」
「別、ですか……?」
「ああ。晴太郎も大きくなれば分かるさ」
「子供扱いしないでください」
「まだ子供だよ。父親の婚姻に幼稚な理論で反対している時点でね」
嫌な言い方だった。確かに子供に口だけは上手いと指摘されることだけはある。
晴太郎は唇を噛み締めて、それ以上何も言わなかった。
かすみはおろおろして、目には涙が溜まっている。
「もう決まったことだ。雨竜家当主と羽柴家と織田家が決めたことをいくら嫡男と言っても覆せない」
立ち上がって、かすみに「美味しかったよ」と言う。
そして部屋を後にした。
居心地が少しだけ、悪かった。
◆◇◆◇
「若さま、落ち込んでいた。何かあったのか?」
長浜城を出て、岐阜城に向かう道中、雪隆が心配そうに僕に言ってきた。
「なんでもないよ。気にすることはない」
「しかし――」
「雪隆、あまり干渉するな」
島が叱ったのでそれ以上は雪隆も聞かなかった。
僕と雪隆と島の三人で向かっているのだけど、なんだか空気が重い。
「なんだ二人とも。一年前、婚姻には賛成だったじゃないか」
「それはそうだが。若さまと姫の気持ちが……」
雪隆は晴太郎を若さま、かすみを姫と呼ぶ。いや島もそうか。
「二人が反対なのは分かる。まだ志乃を慕っているから。でもそれじゃいけないと思うんだ」
「……どういうことだ? 殿」
「島。僕はね、子供たちに前へ進んでほしいんだ」
そう。いつまでも嘆き悲しんでいるのは良くない。
特に晴太郎は――
「よく分からんが、殿がそう思うのなら仕方ないな」
島は納得しなかったけど飲み込んでくれたようだった。
雪隆も腑に落ちないようだったけど、頷いてくれた。
本当に得難い家臣たちだな。
岐阜城に着くと、出迎えてくれたのは、勝蔵――いや、森長可だった。
「久しぶりだな、雲之介さん。雪隆も島も元気そうだな」
「ああ。君も元気そうだな。ところで長益さま知っているか?」
僕の怨みを晴らすことと長政の仇を取るため、憎き者の所在を訊ねた。
「長益さまなら、堺に居ると思うぜ。あ、そういえば、あんたに手紙預かっているんだ」
「堺……? ちょっと手紙を見せてくれ」
手紙にはこう書かれていた。
『雲よ。俺は堺で遊んでくる。仕返しが怖いからな。それでは御免』
そして手紙の空いた隙間にはあっかんべえという顔が落書きされていた。
「…………」
手紙をぐしゃりと握り潰した。
「く、雲之介さん? どうかしたのか?」
「と、殿の顔が物凄く怖いぞ?」
「おいおい、なんて書かれてたんだ?」
三人の声が遠くに聞こえる。
こ、こんなに怒りを覚えたのは、産まれて初めてだ……
「……まあいい。さっそく上様のところへ案内してくれ」
「あ、ああ。その前に顔なんとかしろよ。二、三人殺してきたような顔しているぜ?」
怒りを何とか沈めて、岐阜城内に入る。
謁見の間に四人で待っていると、上様がやってきた。
僕たちが平伏すると「面を上げよ」と声をかけられる。
見事な南蛮風の装いをしている上様がそこに居た。
「息災そうで何よりだ、雨竜雲之介秀昭よ」
「上様もお変わりなく」
「うむ。それで婚姻のことだが、その前にやってもらいたいことがある」
上様は「本来ならすぐにでも一門衆に加えたいのだがな」と前置きをして小姓に合図をする。
小姓は地図を僕たちの前に広げた。
これは伊勢長島周辺の地図だ。
「かなり難しいが、これを乗り越えてほしい。そうでなければ家中の者が賛同しない」
「何の話でしょうか?」
上様は「貴様を一門衆に加えると決めたが、反対する者が居てな」と苦い顔で言う。
「佐久間と林だ。あいつらろくな仕事もしないくせに反対ばかりする」
「はあ……納得させるために、何かをやれと?」
「話が早いな。それでは主命を下す」
上様は真剣な表情で言う。
「三ヶ月以内に伊勢長島の一向宗を降伏させよ。お前なりのやり方でな」
とんでもない主命だった。
過去二回攻めているが、それでも落とせなかった伊勢長島を攻め落とせという。
「上様、それは――」
「俺はできると思った者しか命令を下さない」
過度な期待、過大評価だと思ったが、上様は本心からそう思っているらしい。
「何も攻め落とせというわけではない。降伏させるのだ」
「弁舌を以って、降伏させるというわけですね」
なるほど。力で落とすのではなく、心を動かす戦か。
「上様、一つ確認があります」
「なんだ? 言ってみろ」
僕は――はっきりと申し上げた。
「僕は猛将でも軍師でもない、ましてや君主でもありません」
「ああ、そうだな」
「ですから――僕は内政官として落としたいと思います」
上様は「何か策があるのか?」とにやりと笑った。
「漠然としていますけどね。それでもやってみます」
「兵はどのくらい必要だ?」
「兵は要りません」
流石の上様も予想外だったらしく、眉を顰めた。
「なんだと? 一兵も要らんのか?」
「僕に考えがございます」
内政官である僕でしかできないことだ。
「代わりに銭を三千貫ください。それで落としてみせます」