残酷な描写あり
良い条件
捕らえた男の名は丈吉というらしい。織田家が六角家を攻め滅ぼしたときに、混乱に乗じて甲賀衆から抜けたと言う。理由は妻が子どもを宿したからだった。
「俺は忍びという生き方を自分で決められなかった。だけど子どもには別の生き方をしてほしかった」
だが現実は甘くない。土地を持たず、商売の基盤を持たない丈吉に銭を稼ぐことは難しかった。結局、同時期に抜けた忍び仲間と一緒に盗みをして生計を立てていたのだ。
自分が生きるために盗みをすることに抵抗はなかった。忍びとはそういうものだったから。
しかし子どもを人質に取られて心底思い知らされたらしい。人のものを盗んだり奪ったりすることは良くないことだと。被害を受けた者はこれほどまでに身を切られる思いだと。
「だから、子どもさえ無事なら、俺はどうなってもいいんだ」
「…………」
それを聞いた僕は同じ子を持つ親としては共感できたが、孤児として育った者としては、否定したくなってきた。
「……君の子どもは、心に癒えない傷を負うだろう」
ぼそりと言った言葉だけど、丈吉の耳にはしっかりと届いたようだ。
「……なんだと?」
「親が自分の命を賭して、自分の命を助けてくれた。それは美しいことだ。子どもは感謝するかもしれない。もしくは謝るかもしれない。でも絶対いずれ苦しむことになる」
「…………」
「自分が親を殺したんだとそう思うようになる」
晴太郎がそうだったように、塗炭の苦しみを味わうことになる。
「今、自分が生きていられるのは、君が命を落としたからだと、そう思い込んでしまう。普通の暮らしをしていても、ふとした瞬間に思い出してしまう。それは死ぬまで続く」
「…………」
「君は子どもに一生償えない重荷と癒えない傷を負わせるつもりなのか?」
「では、俺はどうすればいいんだ?」
丈吉は僕を不倶戴天の敵のように睨む。
「どうせお前は俺を殺すだろう。盗んだ罪で。白状してもしなくても同じだ。だけど白状しなかったら子どもは、佐助は死ぬ。だったら俺は――」
「僕は君を殺さない」
僕はじっと驚く丈吉を見つめた。
なるだけ誠実さを込めて、頼廉を示しながら言う。
「ここに居る僧――頼廉は寺院に顔が利く。もし望むのであれば、子どもを寺に預けて立派な僧になるまで育ててもいい。もしくは学問を身につけさせて、生きていくための知識を与えてもいい」
「……それに何の得があるんだ?」
「得はなくても徳を積むことはできるだろう?」
「ふざけるな! お前の目的はなんだ!」
僕はあっさりと言う。
「僕の配下の忍びは、なつめしか居なくてさ。そこで君を――じゃないな、君たちを配下に加えたい」
「……忍びとして働けと?」
「ああ。情報は必要だからね。それに僕の身を守ってほしいという狙いもある」
「……頭おかしいのか? 盗人を用心棒として雇うと、お前は言っているんだぞ?」
「もちろん正気さ。俸禄も支払うし、悪い話じゃないだろう?」
丈吉は何か裏があるんじゃないかと迷っているようだった。
僕が安心させようと口を開くと、なつめが「いろいろ迷っているようだけど」と口を挟んだ。
「この人、かなりお人よしなのよ。大した腕のないあたしを高額で雇っているんだから。だから頭の中でいろいろ考えているかもしれないけど、決して裏なんてないわよ」
「……信用していい保証があるのか?」
僕は「保証なんてないよ」と答えた。
「できる限りの厚意を示したつもりだよ。了承したら証言を元に軒猿から人質を奪い返すし、断ったらここで死んでもらう。その場合は子どもがどうなるか分からない」
「……俺に対して、条件が良すぎる気がするが」
「こっちだって条件良いよ。決して裏切らない忍び集団が手に入るんだもん」
丈吉は呆けた顔で「はあ?」とよく分からない顔をした。
「これだけ良くしたんだから、僕のことを裏切ろうとは思わないでしょ?」
「……まあそうだな」
「それが狙いだからね」
丈吉はしばらく悩んだ後、結局折れてくれた。
「分かった。お前に従うよ。軒猿の拠点と人質の場所を教える」
「ありがとう。でもよく人質の場所分かっていたね」
「拠点に居ることはなんとなく聞かされていたからな。まあ軒猿は俺たちを二人以上にしなかったから手出しできなかった」
丈吉の情報を聞いた後、彼の手当をするように言って牢屋を後にした。
そして雪隆と島に軒猿の拠点を知らせた。
兵を率いた二人は、軒猿を一掃し、見事人質を解放できた。
◆◇◆◇
翌日。評定の間。
僕は顛末を秀吉たちに説明していた。
「というわけで、軒猿が長浜の城下町に来ていた顛末なんだけど――」
「あん? それで解決したんじゃないのか?」
正勝がのん気なことを言う。すかさず半兵衛さんが「終わりじゃないわよ」と青い顔でビシッと指摘する。
「そうだな。軒猿がここまで潜入しているのは由々しき事態だ」
上座に居る秀吉の言うとおりだ。
傍に居る秀長殿も長政も無言で憂いていた。
僕はこの場に居る五人に「そこで疑問が生まれたんだけど」と話す。
「北ノ庄城の柴田さまの領地は大丈夫なのかな」
「うむ。柴田さまのところでも被害があるらしい。そのせいで北陸の進攻が遅れているとも聞く」
秀吉のところにはもう既に伝わっていたのか。
「やはり関所を設けるべきでは?」
「秀長殿。そうなると領地の物流や進軍が不自由になりますぞ」
長政の言うとおりだ。上様の方針で関所を撤廃しているのはそうした利点があるからだ。
「俺にはあんまり難しいことは分からねえけどよ」
正勝がそう言いつつはっきりとした口調で言う。
「忍びを雇っている上杉を倒すか従わせるかしねえと、軒猿が面倒なことするんだろ? だったら柴田さまに頑張ってもらうしかねえよ」
「……何気に答え言っているわね」
「うん? そうなのか?」
正勝の言うとおりだ。
要は僕たちにできることは自分の領土に忍び込んだ軒猿をいかにして防ぐかになるんだ。上杉と戦っているのは、柴田さまだから直接交戦することもない。
「雲之介。おぬし、上杉謙信をどう思う?」
秀吉が不意に僕に問う。
残りの四人も僕に注目してくる。
「僕に聞くってことは、内政官として聞いているってことだね」
「ああ。そうだ」
「軍略は凄いかもしれないけど、内政は大したことないよ」
前に顕如を説得したときと同じことを言う。
「しかし内政が凄くないのに、どうして戦に勝つんだ? いやどうやって戦を続けられるんだ?」
長政の疑問に僕は即答した。
「要所である港を持っていること。美田を多く持っていること。そして産出量の多い金山を持っていること。要は国が豊かだから内政に頼る必要はないんだ」
「それに付け加えるなら、兵に略奪を許しているのよ。奪わないと冬越せないしね。だから兵自体も強いわ」
半兵衛さんも答えてくれたことで長政は納得したようだった。
「だったらよ。それらの利点を生かせないようにすればいいだろ」
「正勝。どういう意味だい?」
秀長殿の問いに正勝は「荷止めして港使えないようにしちまおうぜ」ととんでもないことを言い出した。
「港からの収益をまず無くせば、儲けもくそもねえだろ?」
「正勝ちゃん。かなり冴えているわね。どうしたの?」
「へっ? そうか?」
流石、元山賊。奪うことに関しては一流だ。
すると秀吉が立ち上がって、僕たちに宣言した。
「よし。それで行こう。雲之介、一緒について参れ」
「一緒に? どこへ?」
秀吉はまるで一緒に厠に行こうとしているような気軽さで言う。
「おぬしが慣れ親しんだ堺だ。豪商の今井宗久殿と津田宗及殿に荷止めしてもらうように頼もうではないか」
「俺は忍びという生き方を自分で決められなかった。だけど子どもには別の生き方をしてほしかった」
だが現実は甘くない。土地を持たず、商売の基盤を持たない丈吉に銭を稼ぐことは難しかった。結局、同時期に抜けた忍び仲間と一緒に盗みをして生計を立てていたのだ。
自分が生きるために盗みをすることに抵抗はなかった。忍びとはそういうものだったから。
しかし子どもを人質に取られて心底思い知らされたらしい。人のものを盗んだり奪ったりすることは良くないことだと。被害を受けた者はこれほどまでに身を切られる思いだと。
「だから、子どもさえ無事なら、俺はどうなってもいいんだ」
「…………」
それを聞いた僕は同じ子を持つ親としては共感できたが、孤児として育った者としては、否定したくなってきた。
「……君の子どもは、心に癒えない傷を負うだろう」
ぼそりと言った言葉だけど、丈吉の耳にはしっかりと届いたようだ。
「……なんだと?」
「親が自分の命を賭して、自分の命を助けてくれた。それは美しいことだ。子どもは感謝するかもしれない。もしくは謝るかもしれない。でも絶対いずれ苦しむことになる」
「…………」
「自分が親を殺したんだとそう思うようになる」
晴太郎がそうだったように、塗炭の苦しみを味わうことになる。
「今、自分が生きていられるのは、君が命を落としたからだと、そう思い込んでしまう。普通の暮らしをしていても、ふとした瞬間に思い出してしまう。それは死ぬまで続く」
「…………」
「君は子どもに一生償えない重荷と癒えない傷を負わせるつもりなのか?」
「では、俺はどうすればいいんだ?」
丈吉は僕を不倶戴天の敵のように睨む。
「どうせお前は俺を殺すだろう。盗んだ罪で。白状してもしなくても同じだ。だけど白状しなかったら子どもは、佐助は死ぬ。だったら俺は――」
「僕は君を殺さない」
僕はじっと驚く丈吉を見つめた。
なるだけ誠実さを込めて、頼廉を示しながら言う。
「ここに居る僧――頼廉は寺院に顔が利く。もし望むのであれば、子どもを寺に預けて立派な僧になるまで育ててもいい。もしくは学問を身につけさせて、生きていくための知識を与えてもいい」
「……それに何の得があるんだ?」
「得はなくても徳を積むことはできるだろう?」
「ふざけるな! お前の目的はなんだ!」
僕はあっさりと言う。
「僕の配下の忍びは、なつめしか居なくてさ。そこで君を――じゃないな、君たちを配下に加えたい」
「……忍びとして働けと?」
「ああ。情報は必要だからね。それに僕の身を守ってほしいという狙いもある」
「……頭おかしいのか? 盗人を用心棒として雇うと、お前は言っているんだぞ?」
「もちろん正気さ。俸禄も支払うし、悪い話じゃないだろう?」
丈吉は何か裏があるんじゃないかと迷っているようだった。
僕が安心させようと口を開くと、なつめが「いろいろ迷っているようだけど」と口を挟んだ。
「この人、かなりお人よしなのよ。大した腕のないあたしを高額で雇っているんだから。だから頭の中でいろいろ考えているかもしれないけど、決して裏なんてないわよ」
「……信用していい保証があるのか?」
僕は「保証なんてないよ」と答えた。
「できる限りの厚意を示したつもりだよ。了承したら証言を元に軒猿から人質を奪い返すし、断ったらここで死んでもらう。その場合は子どもがどうなるか分からない」
「……俺に対して、条件が良すぎる気がするが」
「こっちだって条件良いよ。決して裏切らない忍び集団が手に入るんだもん」
丈吉は呆けた顔で「はあ?」とよく分からない顔をした。
「これだけ良くしたんだから、僕のことを裏切ろうとは思わないでしょ?」
「……まあそうだな」
「それが狙いだからね」
丈吉はしばらく悩んだ後、結局折れてくれた。
「分かった。お前に従うよ。軒猿の拠点と人質の場所を教える」
「ありがとう。でもよく人質の場所分かっていたね」
「拠点に居ることはなんとなく聞かされていたからな。まあ軒猿は俺たちを二人以上にしなかったから手出しできなかった」
丈吉の情報を聞いた後、彼の手当をするように言って牢屋を後にした。
そして雪隆と島に軒猿の拠点を知らせた。
兵を率いた二人は、軒猿を一掃し、見事人質を解放できた。
◆◇◆◇
翌日。評定の間。
僕は顛末を秀吉たちに説明していた。
「というわけで、軒猿が長浜の城下町に来ていた顛末なんだけど――」
「あん? それで解決したんじゃないのか?」
正勝がのん気なことを言う。すかさず半兵衛さんが「終わりじゃないわよ」と青い顔でビシッと指摘する。
「そうだな。軒猿がここまで潜入しているのは由々しき事態だ」
上座に居る秀吉の言うとおりだ。
傍に居る秀長殿も長政も無言で憂いていた。
僕はこの場に居る五人に「そこで疑問が生まれたんだけど」と話す。
「北ノ庄城の柴田さまの領地は大丈夫なのかな」
「うむ。柴田さまのところでも被害があるらしい。そのせいで北陸の進攻が遅れているとも聞く」
秀吉のところにはもう既に伝わっていたのか。
「やはり関所を設けるべきでは?」
「秀長殿。そうなると領地の物流や進軍が不自由になりますぞ」
長政の言うとおりだ。上様の方針で関所を撤廃しているのはそうした利点があるからだ。
「俺にはあんまり難しいことは分からねえけどよ」
正勝がそう言いつつはっきりとした口調で言う。
「忍びを雇っている上杉を倒すか従わせるかしねえと、軒猿が面倒なことするんだろ? だったら柴田さまに頑張ってもらうしかねえよ」
「……何気に答え言っているわね」
「うん? そうなのか?」
正勝の言うとおりだ。
要は僕たちにできることは自分の領土に忍び込んだ軒猿をいかにして防ぐかになるんだ。上杉と戦っているのは、柴田さまだから直接交戦することもない。
「雲之介。おぬし、上杉謙信をどう思う?」
秀吉が不意に僕に問う。
残りの四人も僕に注目してくる。
「僕に聞くってことは、内政官として聞いているってことだね」
「ああ。そうだ」
「軍略は凄いかもしれないけど、内政は大したことないよ」
前に顕如を説得したときと同じことを言う。
「しかし内政が凄くないのに、どうして戦に勝つんだ? いやどうやって戦を続けられるんだ?」
長政の疑問に僕は即答した。
「要所である港を持っていること。美田を多く持っていること。そして産出量の多い金山を持っていること。要は国が豊かだから内政に頼る必要はないんだ」
「それに付け加えるなら、兵に略奪を許しているのよ。奪わないと冬越せないしね。だから兵自体も強いわ」
半兵衛さんも答えてくれたことで長政は納得したようだった。
「だったらよ。それらの利点を生かせないようにすればいいだろ」
「正勝。どういう意味だい?」
秀長殿の問いに正勝は「荷止めして港使えないようにしちまおうぜ」ととんでもないことを言い出した。
「港からの収益をまず無くせば、儲けもくそもねえだろ?」
「正勝ちゃん。かなり冴えているわね。どうしたの?」
「へっ? そうか?」
流石、元山賊。奪うことに関しては一流だ。
すると秀吉が立ち上がって、僕たちに宣言した。
「よし。それで行こう。雲之介、一緒について参れ」
「一緒に? どこへ?」
秀吉はまるで一緒に厠に行こうとしているような気軽さで言う。
「おぬしが慣れ親しんだ堺だ。豪商の今井宗久殿と津田宗及殿に荷止めしてもらうように頼もうではないか」