残酷な描写あり
荷止め交渉
評定から翌日。
僕は家族に事情を話していた。
「というわけで、今から堺に行くことになった。留守を頼んだよ」
「……お前さまはすぐにどこかへ行ってしまうな」
口を尖らせて不満を言うはるに困ってしまう。
僕だってゆっくりしたいんだけどなあ。
「はるさん。わがまま言っちゃあいけませんよ。父さまは大事な勤めのために行くのですから」
「……分かっている。晴太郎殿の言うとおりだ」
晴太郎がはるを説得してくれた。ありがたい。
子どもが成長するのは早いものだ。晴太郎を見ていてそう思う。
背丈も僕と同じぐらいになっているし。
「お土産。買ってくるよ。何がいい?」
「……金平糖が良い」
こんふぇいとす? なんだろう?
おそらく南蛮のものだろうから、ロベルトに訊けば分かるかもしれない。
「分かった。その金平糖を買ってくる」
「約束だぞ。お前さま」
最後にはるの胸の中で寝ている雹の頬を触る。
くすぐったそうにして笑っていた。
「では行ってくるよ」
「お気をつけて」
短い言葉で出立する。
屋敷の門をくぐる前に、玄関で控えていた丈吉たち忍びの者八人に言う。
「家族を頼む」
「はっ!」
◆◇◆◇
「いやあ。相変わらず堺は栄えておるなあ!」
「……あんまり面白くないよ、秀吉」
「ははは。やっぱり気づいたか?」
くだらない洒落を言いつつ、堺の目抜き通りを歩く秀吉。
傍には僕と護衛のためについて来た清正と、交渉のため、算術に明るい三成が居る。
若い二人はいささか緊張しているようだ。
「こんな大勢の人、見たことねえな」
「ああ。まるで祭りでもやっているようだ」
ぼそりと話す二人に僕は「驚くのはまだ早い」と言う。
「堺には珍しいものが多く売られている。暇ができたら南蛮商館にでも行こう」
「お、俺は護衛だし、三成も忙しいし、そんな余裕ねえよ」
すると秀吉は「若いのう」と笑い出す。
「雲之介、言ってやれ」
「いいか清正、三成。余裕とはあるものを見つけるのではなく、ないものから作り出すものだ」
言われた二人は顔を見合わせて、それから三成が手を横に振って「ちょっと何を言っているのか分からないです」と呟いた。
まだまだ若いなあ。こずるいことを覚えないと、仕事なんてやってられないぞ?
「わしは天王寺屋の津田宗及殿に会ってくる。雲之介は今井宗久だ」
「委細承知。任せてくれ」
「……雲之介さん一人で大丈夫ですか?」
三成が心配と言うか気遣うように言う。しかし秀吉が「万事こやつに任せれば大事無い」と言ってくれた。なんだか気恥ずかしくなる。
「いえ。護衛の者が居なくて大丈夫なのかと」
「……三成。雲之介さんを護衛している奴なら居るぜ。さっきから視線を感じる」
おお。凄いな。なつめたち四人の気配を感じるなんて。
「やるな清正! 成長してくれて嬉しいよ!」
「頭を撫でるな! だああ! もう餓鬼じゃねえんだ!」
秀吉が「ああ。件の甲賀衆か」と退屈そうに欠伸をした。
「おぬしのことだからぬかりないと思っていたが。それでは、交渉が終わったら、東屋という宿屋で会おうぞ」
「それも承知した」
ということで、僕は今井宗久の店、納屋に入る。
納屋は他の商家よりも大きく、外観も小奇麗だった。
「御免。どなたか居られるか」
「はい。ただいま……って雨竜さまではないですか!」
奥から出てきたのは、助左衛門だった。
出世したようで着ている服が高価になっている。
「これはご機嫌よろしいようで」
「そっちも元気そうだね。さっそくだけど今井宗久殿は居るかな?」
「おります。今、客間へ案内いたします」
客間で茶を出されて、飲みながら待っていると、すっと襖が開く。
そこには今井宗久だけではなく、他にも居た。
――松永弾正だ。
「おお、これは雨竜殿。貴殿も堺に居るとは。奇遇というべきかな」
「ああ。奇遇だな」
松永は堂々と上座に座り、宗久はちょうど三角となるように座る。
「雨雲はどうだ? 大切に扱っているかな?」
「……真っ先に茶器のこととは。相変わらずの数寄者だな」
呆れるというか、そこまで来ると尊敬に値する。
「それで、何用でここに?」
「あなたが訊くべきことではないが、一応答えよう。今井宗久殿に、上杉家の荷止めを頼みに来たんだ」
僕が正直に言うと、松永は「少しおかしな話だな」と首を捻る。
「北陸方面軍の軍団長は柴田勝家殿だ。貴殿の仕える羽柴殿ではないはず」
「……あなたのことだから、知っているだろう。上杉の配下、軒猿が長浜で一騒動を起こしたんだ」
悪人に対して、誤魔化しなど効かない。
ただ真っ直ぐ伝えることのみ有効だ。
松永は顎に手を置いて、それからしばし考える。
「なるほど。上杉の力を削ぐために荷止めをするのか。まあ内政を軽視している上杉殿には効果は大だろうな。よく考えている」
少しの間でこちらの考えを読み切っている。
改めて恐ろしい……
「しかし遅かったな。たった今、直江津港と柏崎港への荷止めが決まった」
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間、理解する。
「……あなたが既に交渉していたのか?」
「いかにも。まあ上様の命令であったがな」
上様の? ということは松永を通じて、今井宗久と交渉したということか。
ならば津田宗及も同じ……
「無駄足ではない。むしろ貴殿が来たからこそ、交渉は成立したのだ」
「……意味が分からない」
今井宗久をちらりと見ると、彼はにこやかな表情で言う。
「流石に松永さまだけのお頼みでしたら、他の商家を説得することは難しいでしょうが、羽柴さまも同じお頼みでしたら、聞かざるを得ないでしょう」
「堺の豪商の中には、簡単に言うことを聞くものが少ない。まあそういうことだ」
まあつまり、多くの方面から圧力をかけられたという事実が必要なのだ。
それが理由となり、名分となる。商家らしい処世術だ。
「今井宗久殿。悪いが少し席を外してほしい」
「承知いたしました」
今井宗久が中座し、僕と松永の二人きりとなる。
「ふふふ。紀州平定、おめでとうと言っておこう」
「ありがたいとだけ答えておく」
「これでわしが、謀反を起こすことはなくなった」
そう言って笑う松永。
僕は笑わずに「これで従い続けるんだな」と念を押す。
「さあな。わしが素直に約束を守ると思うか?」
「思わない。いずれ起こすと思うが……近い将来ではないだろう?」
松永は「貴殿の言うとおりだ」と溜息を吐く。
「裏切り。それこそがわしの生き方だ。人生そのものだ。自分より弱き者をねじ伏せ、自分より強き者に背く。強弱関係なく、善悪関係なく、ただただ裏切り続けた」
裏切ることが快感になっているのか。それとも他の生き方ができないのか。
僕には判断できなかった。
「翻って雨竜殿はどうだ? 主君のために尽くし、裏切ることなく、忠義に生きる」
「そんな立派な生き方をしているわけではない」
「わしから見れば眩しくて真っ直ぐ見られない」
「あなたは暗がりで生きているようなものだからな」
皮肉を言うと、松永は「羨ましくはないが、恐ろしくある」と珍しく本音を話した。
「戦国乱世、下克上の時代。成り上がることが正義である中、貴殿は明るい道を歩んできている」
それは僕の内面を知らないからだ。
気を狂わせた母。狂わせた張本人の父。そして僕を殺そうとした祖父。
たった一人で生きてきた孤独。
そして志乃の死。
決して明るい道を歩んだわけじゃない。
「違う。僕だって戦国乱世を生きてきたんだ。明るく生きてきたわけじゃない」
「…………」
「志乃が……妻が悪僧に殺されたとき、胸が張り裂けそうだった。その悪僧諸共、比叡山を焼き討ちしたとき、僕は塗炭の苦しみを覚えた」
だから目の前の悪人に言ってやる。
「誰だって暗い道を歩んでいる。汚いことをしている。後ろめたいこともしている。松永殿だけじゃない」
最後に、松永に向かって嘲笑ってやった。
「長く生きているからって、なんでも分かった風で居るなよ。じいさん」
僕は家族に事情を話していた。
「というわけで、今から堺に行くことになった。留守を頼んだよ」
「……お前さまはすぐにどこかへ行ってしまうな」
口を尖らせて不満を言うはるに困ってしまう。
僕だってゆっくりしたいんだけどなあ。
「はるさん。わがまま言っちゃあいけませんよ。父さまは大事な勤めのために行くのですから」
「……分かっている。晴太郎殿の言うとおりだ」
晴太郎がはるを説得してくれた。ありがたい。
子どもが成長するのは早いものだ。晴太郎を見ていてそう思う。
背丈も僕と同じぐらいになっているし。
「お土産。買ってくるよ。何がいい?」
「……金平糖が良い」
こんふぇいとす? なんだろう?
おそらく南蛮のものだろうから、ロベルトに訊けば分かるかもしれない。
「分かった。その金平糖を買ってくる」
「約束だぞ。お前さま」
最後にはるの胸の中で寝ている雹の頬を触る。
くすぐったそうにして笑っていた。
「では行ってくるよ」
「お気をつけて」
短い言葉で出立する。
屋敷の門をくぐる前に、玄関で控えていた丈吉たち忍びの者八人に言う。
「家族を頼む」
「はっ!」
◆◇◆◇
「いやあ。相変わらず堺は栄えておるなあ!」
「……あんまり面白くないよ、秀吉」
「ははは。やっぱり気づいたか?」
くだらない洒落を言いつつ、堺の目抜き通りを歩く秀吉。
傍には僕と護衛のためについて来た清正と、交渉のため、算術に明るい三成が居る。
若い二人はいささか緊張しているようだ。
「こんな大勢の人、見たことねえな」
「ああ。まるで祭りでもやっているようだ」
ぼそりと話す二人に僕は「驚くのはまだ早い」と言う。
「堺には珍しいものが多く売られている。暇ができたら南蛮商館にでも行こう」
「お、俺は護衛だし、三成も忙しいし、そんな余裕ねえよ」
すると秀吉は「若いのう」と笑い出す。
「雲之介、言ってやれ」
「いいか清正、三成。余裕とはあるものを見つけるのではなく、ないものから作り出すものだ」
言われた二人は顔を見合わせて、それから三成が手を横に振って「ちょっと何を言っているのか分からないです」と呟いた。
まだまだ若いなあ。こずるいことを覚えないと、仕事なんてやってられないぞ?
「わしは天王寺屋の津田宗及殿に会ってくる。雲之介は今井宗久だ」
「委細承知。任せてくれ」
「……雲之介さん一人で大丈夫ですか?」
三成が心配と言うか気遣うように言う。しかし秀吉が「万事こやつに任せれば大事無い」と言ってくれた。なんだか気恥ずかしくなる。
「いえ。護衛の者が居なくて大丈夫なのかと」
「……三成。雲之介さんを護衛している奴なら居るぜ。さっきから視線を感じる」
おお。凄いな。なつめたち四人の気配を感じるなんて。
「やるな清正! 成長してくれて嬉しいよ!」
「頭を撫でるな! だああ! もう餓鬼じゃねえんだ!」
秀吉が「ああ。件の甲賀衆か」と退屈そうに欠伸をした。
「おぬしのことだからぬかりないと思っていたが。それでは、交渉が終わったら、東屋という宿屋で会おうぞ」
「それも承知した」
ということで、僕は今井宗久の店、納屋に入る。
納屋は他の商家よりも大きく、外観も小奇麗だった。
「御免。どなたか居られるか」
「はい。ただいま……って雨竜さまではないですか!」
奥から出てきたのは、助左衛門だった。
出世したようで着ている服が高価になっている。
「これはご機嫌よろしいようで」
「そっちも元気そうだね。さっそくだけど今井宗久殿は居るかな?」
「おります。今、客間へ案内いたします」
客間で茶を出されて、飲みながら待っていると、すっと襖が開く。
そこには今井宗久だけではなく、他にも居た。
――松永弾正だ。
「おお、これは雨竜殿。貴殿も堺に居るとは。奇遇というべきかな」
「ああ。奇遇だな」
松永は堂々と上座に座り、宗久はちょうど三角となるように座る。
「雨雲はどうだ? 大切に扱っているかな?」
「……真っ先に茶器のこととは。相変わらずの数寄者だな」
呆れるというか、そこまで来ると尊敬に値する。
「それで、何用でここに?」
「あなたが訊くべきことではないが、一応答えよう。今井宗久殿に、上杉家の荷止めを頼みに来たんだ」
僕が正直に言うと、松永は「少しおかしな話だな」と首を捻る。
「北陸方面軍の軍団長は柴田勝家殿だ。貴殿の仕える羽柴殿ではないはず」
「……あなたのことだから、知っているだろう。上杉の配下、軒猿が長浜で一騒動を起こしたんだ」
悪人に対して、誤魔化しなど効かない。
ただ真っ直ぐ伝えることのみ有効だ。
松永は顎に手を置いて、それからしばし考える。
「なるほど。上杉の力を削ぐために荷止めをするのか。まあ内政を軽視している上杉殿には効果は大だろうな。よく考えている」
少しの間でこちらの考えを読み切っている。
改めて恐ろしい……
「しかし遅かったな。たった今、直江津港と柏崎港への荷止めが決まった」
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間、理解する。
「……あなたが既に交渉していたのか?」
「いかにも。まあ上様の命令であったがな」
上様の? ということは松永を通じて、今井宗久と交渉したということか。
ならば津田宗及も同じ……
「無駄足ではない。むしろ貴殿が来たからこそ、交渉は成立したのだ」
「……意味が分からない」
今井宗久をちらりと見ると、彼はにこやかな表情で言う。
「流石に松永さまだけのお頼みでしたら、他の商家を説得することは難しいでしょうが、羽柴さまも同じお頼みでしたら、聞かざるを得ないでしょう」
「堺の豪商の中には、簡単に言うことを聞くものが少ない。まあそういうことだ」
まあつまり、多くの方面から圧力をかけられたという事実が必要なのだ。
それが理由となり、名分となる。商家らしい処世術だ。
「今井宗久殿。悪いが少し席を外してほしい」
「承知いたしました」
今井宗久が中座し、僕と松永の二人きりとなる。
「ふふふ。紀州平定、おめでとうと言っておこう」
「ありがたいとだけ答えておく」
「これでわしが、謀反を起こすことはなくなった」
そう言って笑う松永。
僕は笑わずに「これで従い続けるんだな」と念を押す。
「さあな。わしが素直に約束を守ると思うか?」
「思わない。いずれ起こすと思うが……近い将来ではないだろう?」
松永は「貴殿の言うとおりだ」と溜息を吐く。
「裏切り。それこそがわしの生き方だ。人生そのものだ。自分より弱き者をねじ伏せ、自分より強き者に背く。強弱関係なく、善悪関係なく、ただただ裏切り続けた」
裏切ることが快感になっているのか。それとも他の生き方ができないのか。
僕には判断できなかった。
「翻って雨竜殿はどうだ? 主君のために尽くし、裏切ることなく、忠義に生きる」
「そんな立派な生き方をしているわけではない」
「わしから見れば眩しくて真っ直ぐ見られない」
「あなたは暗がりで生きているようなものだからな」
皮肉を言うと、松永は「羨ましくはないが、恐ろしくある」と珍しく本音を話した。
「戦国乱世、下克上の時代。成り上がることが正義である中、貴殿は明るい道を歩んできている」
それは僕の内面を知らないからだ。
気を狂わせた母。狂わせた張本人の父。そして僕を殺そうとした祖父。
たった一人で生きてきた孤独。
そして志乃の死。
決して明るい道を歩んだわけじゃない。
「違う。僕だって戦国乱世を生きてきたんだ。明るく生きてきたわけじゃない」
「…………」
「志乃が……妻が悪僧に殺されたとき、胸が張り裂けそうだった。その悪僧諸共、比叡山を焼き討ちしたとき、僕は塗炭の苦しみを覚えた」
だから目の前の悪人に言ってやる。
「誰だって暗い道を歩んでいる。汚いことをしている。後ろめたいこともしている。松永殿だけじゃない」
最後に、松永に向かって嘲笑ってやった。
「長く生きているからって、なんでも分かった風で居るなよ。じいさん」