残酷な描写あり
扇動者
「人にものを頼むときには、武器を振りかざすのがミスティアの礼儀なのか?」
目に余るほどの非常識に、さすがのスクートも目を細めた。
「黙れ、よそ者。精査の済んでいないよそ者など、ただの人の形をした獣に過ぎん。これは脅しではなく、身を守るためのすべなのだよ。しかし、クロスフォードの小娘はよほど物好きと見える。わざわざこんな小汚い野良犬を拾ってくるとは。躾もなっていない。クク、貴様も哀れなものだ。狂人の気の迷いに振り回されるなど」
心底見下したような視線がリーシュとスクートを撫でまわす。
ふと横を見ると、リーシュは普段の彼女とは似ても似つかないほど冷めた表情をしていた。
対してスクートは表情こそ鉄のようだが、背筋に無数の虫が這いまわるような嫌悪感を覚えていた。
「スクート。この傲慢が服を着ているようなつまらない男は、ムヴィス・アルバトロス。剣も魔法もまるでぱっとしない。黒い噂の絶えないアルバトロス家という一門であり、彼はその三男坊にして現当主よ」
リーシュは酷く冷めた様子で、赤の貴人を紹介した。
自由奔放で好奇心の塊のような普段のリーシュとは一転し、その姿はあまりにかけ離れていた。
「ふん。古すぎてかびた掟を大事そうに掲げるお前にはそう映るのだろう。お前やベルングロッサの兄妹と比べられれば、誰だって凡人だ。霞むに決まっている」
ムヴィスの言葉の節々には、覆しようがない劣等感がにじみ出ていた。
「だが覚えておけ、この里にはお前らのような天才より、凡人のほうが圧倒的多数であるということを。支配者に必要なのは知略と変革だ。無名であったアルバトロス家をここ数年で三炎までのし上げた苦労がいかほどであったか、箱入りの令嬢には分かるまい!」
まるで革命家でも気取るかのように、ムヴィスは声を高らかにした。しかしリーシュの顔色は変わらない。
「そうね、わたしには分からないわ。姉と兄を謀殺して当主になりあがった苦労なんて。わたしは一人娘ですもの」
あまりに鋭い皮肉に、ムヴィスの顔はたちまち苦々しいものへと変わった。
「……人聞きの悪いことを。姉上らは流行病にて亡くなった。変な妄想でものを語るんじゃあない」
妄想と断ずる割にはムヴィスの言葉は歯切れが悪く、また周囲の顔色を伺うように見渡した。
だがリーシュの口撃は間髪を入れず、矢継ぎ早に繰り出される。
「変な妄想? 目障りな存在を謀殺することを知略と呼び、実現など到底不可能な外界との共存を変革と呼ぶほうが、よほど変な妄想よ。あなたのようなほら吹きに騙される愚か者がミスティアに何人もいることが、わたしは残念でならない」
リーシュは冷めた視線で周囲を一瞥した。彼女の言う愚か者であろう何人かが、堪らず顔をそらす。
「この……いや、勝手に吠えていろ。ミスティアが生まれてもう何千年たったと思う。我々の存在など、教会とやらも忘れているに決まっている。ありもしない脅威に怯え、いつまでこんな狭い殻に閉じこもっているつもりだ?」
「外の世界に好奇心をくすぐられるのはわかる。でもそれ以外には何一つ共感できないわね。言葉の節々から権力への欲望がにじみ出ているし、掲げる建前にすら中身もない。外界との共生を建前にするならば、初対面のスクートによそ者なんて蔑んだ言葉をどうして使えるのかしら?」
苦し紛れのムヴィスの反論も、リーシュにとってはそよ風のようなもの。リーシュとムヴィスでは、頭の回転の速さが天と地ほどに離れていた。
「……ふ、ふん。屋敷の中に閉じこもることしかできない愚かな娘に、私の崇高な話がわかるはずもない」
返答の代わりにリーシュが冷笑をムヴィスに返すと、彼は怒りで表情を歪め舌打ちした。
舌戦では勝ち目がないと悟ったのか、ムヴィスの矛先は再びスクートへと向けられる。
「いまに見ていろ、人の形をした化け物め。いずれ報いを受けさせてやる。……さて、私とて栄えあるミスティアの三炎守。こんな低俗な娘とくだらん話をしている暇はないのだ。里の平和と、そして安全に尽力せねばならない」
ムヴィスはリーシュに向かって愚痴を吐き散らし終えると、次は薄気味悪い笑みを浮かべながらスクートに近付いた。
「おい、よそ者。外の世界から来たお前ならわかるだろう。ありもしない脅威に怯え、霧の中に閉じこもる我々の愚かさが。この場で声を高らかに宣言したまえ。かつて我ら魔法の一族を排した教会などという存在は、幾千の冬を越え塵と化したと!」
着飾った赤の貴族服に、聴衆へ訴えかけるような身振り手振りも合わさって、ムヴィスはまるで劇場に立つ演者のようであった。
目立つ服装に目立つ行動が合わさり、人々の視線は否が応にもムヴィスへと注がれる。
それなりに歳を取った者の視線は冷めたものがほとんどであったが、それとは対照的に若者の視線は輝いたものが多い。
よく見ればムヴィスが連れてきた取り巻きも、みな若者で構成されている。
「そうか、お前たちは」
きっと彼らは、外の世界に夢を見ているのだろう。霧の囲いより一歩でも出れば、そこは楽園であると信じているのかもしれない。
このミスティアの社会は、他に類を見ないほどに異質である。
この小さな狭い世界で生きていくと決めたのは遥か昔の先祖であり、いまを生きる彼らがそう決めた訳ではない。
リーシュも、スクート自身も、そして彼らであったとしても。人間である以上、生まれながらに課せられる運命というものが大なり小なり存在する。
運命は決して平等ではない。
不幸ながらミスティアの民に課せられた運命は、そびえる山を背負うかのごとく重い。
「……あいにくだが、教会はまだ存在している。命が惜しいならば、この霧の中で息を潜めているのが懸命だ。奴らは邪悪であり狡猾で、そして聡い。だから今日まで一国を統べるほどの力を持っている。教会とは、そういう連中だ」
スクートのそれは忠告ではなく、身を案じるゆえの親切心から来るものであった。
彼らの夢が悪夢であることを、外の世界より来たスクートは一番よくわかっていた。
しかしムヴィスにとっては釘を刺すかのような警告だと捉えられたのだろう。
威嚇がてらに、ムヴィスは剣で空を薙いで見せた。
「――――貴様。私がいま何を握っているか、よもや見えない訳ではあるまい? いまのお前は、七炎主によって正式に里へ迎えられた訳ではない部外者だ。つまり、この場で適当な理由をつけて斬り捨てても咎められることはない」
勇み足でムヴィスはスクートへ迫っていく。
「だが私は寛大だ、いま一度機会をやろう。さあ、言いたまえ。次はないぞ?」
猫撫で声でムヴィスは促す。貼り付けたような笑顔と共に。
「断る」
「……そうか、そうか。惜しいものだ、貴様の一声があればより多くの支持得られると思ったのだがな」
ムヴィスはわざとらしく首を何度も縦に振る。
そのとき周りを取り巻く空気の流れが、ほんの僅かに変わった。細微な変化を見逃さず、スクートは神経を尖らせる。
「もういい。邪魔だ、さっさと死ね」
ムヴィスがささやくようにぼそりと呟いた次の瞬間。
――――鋭い突きが、スクートの喉元へと繰り出される。
まさか白昼堂々、さらに大衆の面前でこのような暴挙に出ようとはいったい誰が思ったか。
しかしスクートはいとも容易く、突き出された剣先を掴んで見せた。
「なにっ――――!?」
剣速は確かであったが、常人の域に収まっている程度である。集中したスクートにとっては止まっているようなものだったのだろう。
「歯を食いしばれ。骨の一本や二本はもらうぞ」
必殺の一撃を造作もなく防がれたムヴィスは驚く暇も与えられぬまま、胸に反撃の拳を叩き込まれる。
槌で殴打されたかのような衝撃を食らったムヴィスは、おおきくよろめき両膝を屈した。
「利用できない存在だと分かった途端にこれとはな。よほど外から来た人間というのが、目に余るほど都合の悪い存在らしい」
「ゲホッ、ゲホッ! ……ありえん! 不意打ちは完璧だったはず! それも避けるだけではなく、手で掴んで止めただと? 本当に人間か貴様は!?」
死に直面したはずなのにひどく冷静なスクートに対し、ムヴィスは胸を抑えわなわなと震え狼狽した。
「いいわね。この場に居合わせた者はみな、スクートの存在が脳裏に焼き付いたはずよ」
「……少しは従者の身を案じたりはしないのか?」
「お父様の不意打ちを防いだ剣士が、あんな見え透いた小細工にひっかかるわけがない」
リーシュもスクートが殺されるなどと微塵も思っていなかったのだろう。自身の目論見が功を成したことで声が弾んでいた。
「どうする? 白昼堂々このようなことを仕出かす男が、簡単に引き下がるとは思えない。なんらかの二の矢があるはず」
「二の矢、ね。ふふ、願ったり叶ったりよ」
不幸にも、スクートの読みは的中した。
ムヴィスが指を鳴らすと、周囲より刃と鞘が擦れる音が一斉に響く。
見ればただの傍観者であったはずの群衆より、剣と杖を持ったムヴィスの手勢が前へと進み出て、スクートとリーシュに向かって構えているのだ。
「これは……驚いたな。いつの間にこれほどの大舞台を用意しているとは。ただの小物かと思っていたが、存外に用意周到だ」
「ならばせめて、派手に舞ってあげましょうかスクート。数はおよそ三十人。死なない程度にひとりで十五人を倒せばいいだけ。あなたにはできる?」
「言うまでもない」
スクートとリーシュもまた、背中合わせに十字剣と杖を構えた。
「ふ、ふふ……。よそ者があろうことか三炎守の私を殴ろうとはな。しっかりと手綱を握っていないクロスフォードの小娘にも責任があるなぁ。幸い、ここには大勢の目撃者がいる。さしものベルングロッサの兄妹であっても、今回ばかりはクロスフォードの肩は持てんだろう……ん?」
自分勝手な口上を述べて、意気揚々と剣先を向けるムヴィスは、違和感を覚えた。
人の血は赤い。ならば先ほどよそ者が掴んだ箇所は赤くなっているのが道理だ。
しかしどういう訳か、赤い血の代わりに付着しているのは黒い泥のような何か。無意識のうちに、ムヴィスはそれに手を伸ばしていた。
「――――やめろ、それにさわるな!」
スクートの静止もすでに遅かった。ムヴィスの指先は呪われた黒い血に触れていた。
「痛っ!? 指先が焼けるように熱い……これは、毒か!? ぐっ、痺れまで……」
大量に浴びれば死さえありえる毒血。少しでも触れれば火傷したかのように爛れ、さらに痺れまでも催す。
得体のしれない恐怖がムヴィスの思考を塗りつぶす。
だが次の瞬間には、彼は笑っていた。権力への欲が恐怖を上回り、ムヴィスの脳は成り上がるための最適解をはじき出す。
「ハ……ハハハ! よそ者、まさか人間ですらないとはな! だがいい、実に都合がいい。毒の血を流す化け物を従者にするなど、もはやクロスフォードも同罪だ! 小娘もまとめて殺しても何の咎もないだろう! そしてやつが死ねば、クロスフォードにはかつて婿入りした老いぼれしかいない……血筋が途絶えれば滅んだも同然だ!!」
それは口角が上がり過ぎて裂けてしまいそうなほどの、邪悪なる満面の笑みであった。
「殺せ! 今日をクロスフォード家の命日にしてやれ!」
ムヴィスの合図と共に、戦いの火蓋は斬って落とされた。