【ヨーロッパの歴史】ハンバーグ論争はカタがついたの?【後編】
ひき肉を焼いただけだから多少はね?
「トマジャガ警察って言われてるけど、実際中世ヨーロッパの歴史あんま知らんなぁ」
こんなきっかけから調べ始めた中世ヨーロッパ史。かるい気持ちではじめてみたらまあイベント目白押しで文字数が書ききれず紹介できない部分が多すぎて困る。もともと『"中世"ヨーロッパは1000年間くらいある』ってのは知ってたけどその1000年間のイベントや政治形態などを調べるごとに「あ、これひとつひとつに3000文字くらい使うヤツや」と察して、苦し紛れに前中後編に分けたが案の定書ききれず後悔しているところです
言ってみればB-NOVELさんで物書きしてる方々に向けて「異世界ファンタジーを書く一助になれば」と思いはじめたこのシリーズ。あまり整理しきれないことばかりだけど、それでもアナタの創作にお役立ちいただければ幸いです。もし「役だったよ!」って方いたらぜひとも感想やらいいね的な何かをください
で、いよいよ今回後編になるわけですが、中世ヨーロッパの世界はこの期に及んで『トイレ』の文化がほぼ皆無という始末です。いまでこそ花の都と呼ばれるパリですらそんな感じだし、古代ローマ時代にあったらしい水洗トイレは見る影もなし。そりゃペストも大流行するよと――今では信じられないような世界が広がる中世ヨーロッパ。その終盤について書いていきましょう
:なぜ"中世"が終わったか:
中世ヨーロッパでも後期とされる時代は14世紀から15世紀末まで。人口爆発と各地への開墾が進んだ中世全盛期を越えたあたりから、民衆が「古典古代の思想や文化を復活させようぜ!」というルネサンス活動がはじまった時代までを指します
一説では、中世ヨーロッパは文明の進化というか開花というかそういう系が停滞した暗黒の時代だとも呼ばれてるようです。ってことで、ルネサンス以前が中世、それ以降が近世として区切られている感じですね。明確な区切りというか「〇〇年から近世ね!」というコンセンサスはありませんが、とりあえず16世紀あたりから近世になったとイメージしてください
中世の中期は盛期(High Medieval Ages)とも呼ばれています。土地の開墾、政治制度の一新、建築文化、修道院の存在などいろいろな要素が相まって開拓が進み人口が爆発的に増加しました。その流れでいけばさらに進化が進んで文明開化しそうなものですが、残念ながらそれに待ったをかける出来事が起こりました
飢餓「やあ、いつもすまないね」
ペスト「どうも、日本語で黒死病です」
飢餓はとくに[ Great Famine of 1315-1317 ]と呼ばれるほどの大飢餓でヨーロッパ全体、現在でいう東はポーランド、西はアルプス周辺までが被害を受けました。人類がいくら文明開化したところで天候を操作はできませんがな。いちおう『三圃式農業』と呼ばれる工夫などはこの時代からされてきましたがそんなささやかな努力も実らず、1315年の春から続く不作によって農作物は壊滅的なダメージを負うことになります。それだけでなく、黒死病や動物の感染症も重なり、羊や牛も壊滅的ダメージを負ったとされます
べつに飢餓自体はけっこーあるんですよ現代でも。農作物が育つかどうかはいつの時代も日差しと雨ちゃんの気分次第だし、科学が発展して肥料やらなにやらの技術が進化した現代でさえ「ここ連日の日照りで農作物が~」っていうニュースよく聞くでしょ? 中世の時代なんかより顕著です。じゃあなんで1315年からの飢餓がやべーかってとその他のイベントも重なったからです。当時は感染症や戦でかんたんに命が失われる時代ですから、たとえば『テオフィロ・F・ルイス』という方の著書によれば「1276年の出生時の平均余命(寿命)は35.28歳だった」とのことです。ペスト流行時は平均20歳行かなかったんだって。そのせいで、中世後期は逆に爆発的な人口減少が起こりました
これが中世を終わらせたのか? ってとまあ部分的正解です。どの世の中だって上級国民的立場にいる方々が好き勝手した結果崩壊するものです
:宗教的な問題:
英語で[ Crisis of the late Middle Ages ]――中世後期の危機と呼ばれる一連の出来事は、上記のような民衆の危機だけにとどまらず宗教や政治形態の崩壊もまとめて呼ばれています。それまでもそこそこあった、まああっちゃいけないんだけどそこそこあった宗教的分裂は、ここにきて当時のヨーロッパで多数派だったキリスト教カトリックの分裂という一大イベントを発生させます
現在のフランスという国、昔はフランク王国として中世ヨーロッパ初期から存在し途中で分解してカペー朝なる別の氏族によって統治されましたがフランスという形は保っていました。歴代の王はローマ・カトリック教皇によって「聖なるものである」と保証されてきたほど深い関係にあり、そりゃあもうねんごろな関係だったんだろうなぁと思いきやわりと摩擦があった模様
昔からキリスト教というかカトリックの中心は『イタリア、ローマ』でしたが、1309年から76年まで教皇が『フランス、アヴィニョン』という場所にいたことがあります。イタリア在住のカトリック信徒にとっては好ましい状況ではなく、けどフランス的には「あ? なんか問題あんの?」的な感じ。フランスにある最中、歴任した7人の教皇はみんなフランス人でした。わたしは日本史詳しくないですけど、日本でも歴史上天皇がどの立場にいるのかとかでいろいろあったと思います
そんななか『教皇グレゴリウス11世』って方がコンクラーベ(教皇を決める会議)で教皇になり、いよいよ激しくなってきたアヴィニョン vs ローマ情勢を受けて「アカン、これローマに教皇庁戻すわ」として1377年にローマへ移すのですが、彼はローマへ引っ越しした後すぐ崩御してしまいます。しかし彼の意志を継いで平和を願う人々の姿が! ――いたかもわかりませんが、とりあえず両者の仲がさらに悪くなったことだけは書いておきます。後継者ウルバヌス6世さんがうまくやれなかったのですね
上記の出来事により、カトリックは『教会大分裂(西方分裂)』と呼ばれる大混乱に陥ります。このヘンを中心に書くとそれだけで前中後編あわせて1万文字くらい書けそうなので、気になった方は各自ググっていただければ幸い。宗教的対立は創作の良いインスピレーションになりますよ?
:貴族の問題:
この時代、隆盛を極めていた神聖ローマ帝国も衰退していました。っていうか玉座が空位でした。日本語で言う『大空位時代』です
統治者がいないってことは「我こそは!」って輩が出てくるってことで、内乱による統合力の衰退によって、帝国は統一国家というよりも各地方の王朝がそれぞれ独自に統治していくほうが重要になった時代へ変貌していきます
上記で紹介した飢餓などにより民衆の反乱が頻発。だって自分たちは飢餓や貧困で苦しんでいるのに貴族はほんとーに貴族然とした生活ができてるんだもん、そりゃそうなるよ。なお、貴族も一部は貧乏貴族になり堂々と強盗をするようになった模様。このヘンは『強盗騎士』あたりでググるとおもしろいですよ
貴族A「いや決闘だから。負ける相手が悪いから」
貴族B「いや通行料だから。整地された道を通るなら通行料を払うの当然でしょ?」
犯罪行為的なことをしない貴族も家賃を上げたり税を引き上げたりするなど、とにかく自分の暮らしを維持するためいろいろした模様。それをイヤがった農民は反乱し以下負のループ。前回紹介したゲーム『キングダムカム・デリバランス』はこの神聖ローマ帝国時代に起こった『フス戦争』の直前、現在のチェコ、ボヘミア、ハンガリー周辺を舞台にしております。気になった方はぜひプレイしてみてね! なお難易度はフロムゲー以上の模様
中世後期の危機は以上の3点によって訪れたとされます
・飢餓や伝染病による人口の大変動
・政治的腐敗
・宗教的腐敗
まあ、いつの時代でも上級国民というか権力をもつ立場がより権力を集めようとして、その結果権力無き立場の方々がひぃひぃ言う立場になって耐えきれなくなり、反乱だけでなくいろんな方面で爆発することになった、的な感じです
で、この時代でも人間は戦争が大好きなんですね。内乱や民衆の反乱と並行して、フランスとイギリスの間ではかの有名な『百年戦争』がはじまりました。100年と名付けられていますが実際には『1337 ~ 1453年』まで続いたとされています
百年戦争は中世中期(盛期)に発展した戦争の技術により大きく変貌していました。いわゆる騎士道精神もなにそれおいしいの? って感じで衰退気味。いちおうガーター騎士団など著名な騎士団が設立されていますが、まあリアルに切った張ったの時代になるとそうも言ってらんないんだろうね。戦争の理由はイギリスとフランスの王室にある"起源"です。いろいろ書くと文字数がアレなので省略。イングランド王の起源はフランス人だからいろいろめんどくさいんだってことだけイメージしてください
フランスとイギリスは百年戦争以前から火花が散っていましたし、各国も情勢の悪化が仲の悪さを表面化させ戦争を勃発させたりしていたのでどの国もどこかしらと戦争状態にある始末。つまり国庫の資源は戦争に注ぎ込まれインフレを引き起こし、闇市は蔓延して強盗などの犯罪は起こり放題。もはや言うまでもなく闇の時代が訪れました。ペストだけじゃなく腸チフスに炭疽菌、警戒すべき感染症はたくさんあるんだぜ
:中世後期の戦争:
前回紹介したように、中世盛期はけっこう技術革新がありました。風車や糸車、あと足踏み式の機織り機などはすでに導入済みであり農具もけっこう進化していた感じです
戦場に立つ兵士たちはチェーンメイルをまとい、中世後期になるとプレートアーマーも登場します。さすがに全身プレートアーマーは金持ちじゃないと難しいようでしたが可能っちゃ可能。ただし、この時代はクロスボウの進化も甚だしく、ウマが鎧を身にまとっていても安全ではない時代に突入したと言えそうですね
大砲もすでに登場しており、移動式で手軽にあちこち攻城できる点で重宝されていました。さらに、アジアから伝わった火薬を武器として利用したのも中世ヨーロッパの妙技。古代にも『ギリシャの火』と呼ばれる火薬兵器はありましたが、中世ヨーロッパではさらに使われるようになったようです
攻城戦が行われるようになったので城を守るための戦術も求められるようになりました。その結果要塞のような城や同心円状の守りやすい城が続々と誕生。攻めるに難く守るに易い城こそ名城的な流れになったのでしょう。この時代は石壁で全身囲っちゃうスタイルの城が多いですね。また桟橋や跳ね橋などで侵入者を遮断する仕組みだったり、これによって攻城戦が長期的になることを見越して水を運ぶためのトンネルや雨水を溜め込むための貯水槽を用意するなど工夫がミッチリ。まあ攻城戦は日本もよくやってたことよ。だいたい水攻めが定番よね
ちなみに、攻城戦は火薬が登場するまでは防御側有利でしたが、ドンと投げられてバンと爆発する火薬が一般化してからはその限りではなくなってきます
:うーみーはーひろいーなーおーきーなー:
今まで紹介してこなかった海での戦いについて。アニメ『ワンピース』で描かれてるような船をイメージしガチですが、中世初期はまだ船の側面に大砲を載せちゃうなんてことはなく、もっぱらオールでせっせと漕いでいく『ガレー船』スタイル。しかし外敵の侵入を阻止するよう大型化され、海面から登っていくには難しいつくりになっていました。船が今っぽいというかワンピースの世界になっていいくのは15世紀以降、中世後期から『大航海時代』からの話です
ガレー船時代は船の上に投石機や弓兵を置き、遠距離射撃で攻防するスタイルでした。ヨーロッパの国々は、主に地中海を隔てて南の『オスマン帝国』から防衛するために活用していた感じです。偏西風の影響などもあり西側がやや有利だったんじゃないか? などとも言われてます
15世紀初頭になるとオールで漕ぐガレー船の代わりに帆を張って航海する帆船がメジャーになりつつありました。風の影響を受けやすい反面、帆船はより多くの備蓄を積み込むことができたのでより長い航行距離を確保することができ、ガレーのように漕ぐための穴から海水が入る心配もないため、結果的により効率的に戦うことができたのです。帆船は大砲を設置する余裕もあるため「これ帆船一択じゃね?」という雰囲気になったのでしょう。なお、ガレー船はまだ『陸戦をするための兵士を運送する』的な目的で活用されていました
上記の事情もあり、また船において衝撃が強い大砲は、バランスをとるため船の下部に取り付けられるようになりました。結果アニメ『ワンピース』で見るようなスタイルへ変貌していき、船の側面の木材をくり抜き"砲門"を設置することで運用していきます
:重装騎兵時代のおわり:
重装騎兵が重要視された中世の戦場。主に徴兵された訓練されてない兵士には凄まじい効力をもっていましたが、弓兵や密集した歩兵(ファランクスなど)には今ひとつ効果が薄い感じでした
密集した歩兵。これが中世後期のトレンドとなっていきます。これは『金拍車の戦い』で検索すれば理解だけでなく納得までしやすいでしょう。わたし個人としては「やっぱり"ラングリッサー"は正しかった!」と言いたくなる。ラング好きよ増えろ
イギリスが騎兵のチェーンメイルを貫通し、プレートアーマーさえもヘコませる強力な長弓を採用したことにより騎兵時代の終焉を強調してくれます。長弓は修練こそ必要なものの、熟練した弓兵はそりゃあもうアレよ。騎兵隊なんでもう蜂の巣にしちゃうくらいの威力を発揮するのですよ。フランス貴族の騎兵隊バンザイ時代は終わった
:銃は剣よりも強し、ンッン~名言だなコレは:
じゃあこれからは歩兵の時代? いんや、違うんだなぁコレが……キちゃったんだわ、銃が
大砲ではなく人が個人で扱える銃。最初期の銃は『カルヴァリン(Culverin)』と呼ばれ、主にブルゴーニュ軍の間で使われていました。日本に伝わった『火縄銃』のひと世代前のもので、鉛玉を打ち出す仕組み自体は同じように、火薬をタッチホールに差し込んで爆発させ、そのエネルギーで玉を打ち出す武器です。この時代はまだ銃としての活用が難しかったのか、どちらかというと大砲がより進化して小型化、量産化していったような感じですね
わたしたちに馴染み深い『火縄銃』は15世紀に誕生したとされます。引き金をもつ"銃"のご先祖様で、主にオスマン帝国が使い始めました。日本でも1575年、織田信長さんが『長篠の戦い』で火縄銃を使い、世界でも「織田信長が銃の一斉掃射戦術を開発した」ということで知られています。実際、銃による一斉掃射は効果的であり、オスマン帝国もいくつかの戦いで一斉掃射戦術を用いています(モハーチの戦い)
これを大型化したものが『マスケット銃』。なお、火薬で鉛玉的な何かを打ち出す的な技術は古代中国からあったとされていますが、武器として積極的に使い始めたのは中世ヨーロッパからのようです。オスマン帝国は銃の威力もあって勢力を拡大。上記のように情勢が悪化していたヨーロッパに進出し、最終的に神聖ローマ帝国を滅ぼすことに成功します。これをもって「中世はおわった」とするのがおおよそのコンセンサスのようです
『銃』の存在はこれからイッキに世界へ広がります。1500までにインドへ、1540年までに東南アジア、そして中国へ到達したあと1543年にポルトガルの貿易商が種子島へ上陸させ、あの織田信長が「これは使える」って感じで採用したわけですね
なお、当時の銃はコントロールに課題を残していたので弓ほどの正確性は無かったと思われます。長篠の戦いでも充分に惹きつけてからの射撃だったし、実際の戦術でもとりあえず近づいて、衝突するまえに銃の一斉掃射をして相手のライフや精神ポイントを削った上でバトル開始みたいな立場でした。まあ威力は凄まじいけどね――ポルナレフとホル・ホースがタイマンでやったらどっちが勝っただろうなぁ
ちなみに、当時は火を露出させてたので雨天時はほぼ運用不可です。また反動も大きいし火の取り扱いもデリケートなのでストレスがマッハだったことでしょう。暴発ダメ、ゼッタイ
:その他の分野:
ルネサンスとは『古典的な芸術文化を復活させようとする活動』です。古代ローマ帝国の優れた文化を(当時の人々にとっての)現代に復興しようとした活動で、その分野は芸術音楽建築など多岐にわたりました
中世後期の衰退があるとはいえこの活動は続いていました。ただ「いろんな絵画を描こうぜ!」とかじゃなくて、たとえば遠近法的な技法をふんだんに使ったデザインを盛り込むとか今までにない新しい具材を使うとかそんな感じ。イタリア、フィレンツェから広がったルネサンスの波はラファエロ、ミケランジェロ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチなど現代でも著名な芸術家を何人も生み出しています
音楽方面では14世紀に『鍵盤楽器としてのオルガン』が誕生します。それまでは筒を吹いて音を出す形式だったのが鍵盤を押して音を出せるようになりました。ルネサンス音楽は宗教的な響きのあるポリフォニー(複数のパートがある音楽)がメジャーになっていき、対位法など音楽的技法の幅も広がっていきました。現代のリズム・メロディー・ハーモニーが揃い多様性が広がっていった時代ですね。世俗音楽もその影響を受けヨーロッパ中に広がりを見せたようです。ド~ドの"モード"やドミソなどの"三和音(コード)"が定着したのもこの時代です
この時代最大の技術革新は『紙と印刷技術』です。中国から紙が輸入され、ドイツで印刷技術が誕生してからはヨーロッパの都市中に印刷機が設置されていきます。1500年ごろまでの話なので、異世界ファンタジー風の世界観で印刷技術を導入したい場合、この時代を参照すると良いですよ
演劇の世界でも、いわゆるプロの俳優が誕生していきます。これらルネサンスの技術革新は、上記のような国家間の問題的な意味とは別に『中世と近世の架け橋となった』という解釈をされているようです。印刷技術の発明により活字の普及と学習の重要性が増し、またみなさんおなじみコロンブスがアメリカ大陸を旅行するなど、1500年以降は大航海時代と呼ばれる海洋進出の時代に突入し、ヨーロッパは中世という言葉を捨て『近世』へと足を踏み入れることとなったのです
くぅ疲。調べすぎてナニをどう書けばいいのかわからんかったけどとりあえずまとめた。もし「〇〇が紹介されてないじゃん!」とか「ハンバーグっていつ生まれたの?」など感想ありましたら遠慮なく送ってください
この時代は人口減少によって『女性』も表に出てきた時代です。ジャンヌ・ダルクに限らず、商業学問宗教あらゆる分野で女性が台頭していきます。じれは同時に近世にあった魔女狩りの伏線が貼られていったとも言えますがそれはまた別の話ということで
神聖ローマ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされ、またルネサンスの波が世界に広がっていき、中世の時代はおわりを迎えました。これから近代、そして現代につながっていくのですが、異世界ファンタジー的な物語を考えるとそのヘンまで描写したら『異世界感』がなくなるので、まあこのヘンまでを参照すると良いかもしれませんね
人の想像力は無尽蔵。きっとアナタだけの物語がアナタの脳みその中に詰まっているはず。それらをインターネット上で発表して、たくさんの方から称賛の声を受けてみたくはないですか? ――もし、ほんのすこしでもその気持ちがあればぜひチャレンジしてみてください。ここで紹介したアレコレが、アナタのインスピレーションにすこしでもお役立ていただけたら幸いです
最後に、これを書くにいたりお役立ちだったサイトをご紹介。アナタの創作ライフに幸あれ!
世界史の窓(世界史のありとあらゆる情報が掲載されてるよ!)
ttps://www.y-history.net/appendix/appendix-list.html
中世ヨーロッパのタイムライン・リファレンスサイト(英語)
ttps://www.timeref.com/
こんなきっかけから調べ始めた中世ヨーロッパ史。かるい気持ちではじめてみたらまあイベント目白押しで文字数が書ききれず紹介できない部分が多すぎて困る。もともと『"中世"ヨーロッパは1000年間くらいある』ってのは知ってたけどその1000年間のイベントや政治形態などを調べるごとに「あ、これひとつひとつに3000文字くらい使うヤツや」と察して、苦し紛れに前中後編に分けたが案の定書ききれず後悔しているところです
言ってみればB-NOVELさんで物書きしてる方々に向けて「異世界ファンタジーを書く一助になれば」と思いはじめたこのシリーズ。あまり整理しきれないことばかりだけど、それでもアナタの創作にお役立ちいただければ幸いです。もし「役だったよ!」って方いたらぜひとも感想やらいいね的な何かをください
で、いよいよ今回後編になるわけですが、中世ヨーロッパの世界はこの期に及んで『トイレ』の文化がほぼ皆無という始末です。いまでこそ花の都と呼ばれるパリですらそんな感じだし、古代ローマ時代にあったらしい水洗トイレは見る影もなし。そりゃペストも大流行するよと――今では信じられないような世界が広がる中世ヨーロッパ。その終盤について書いていきましょう
:なぜ"中世"が終わったか:
中世ヨーロッパでも後期とされる時代は14世紀から15世紀末まで。人口爆発と各地への開墾が進んだ中世全盛期を越えたあたりから、民衆が「古典古代の思想や文化を復活させようぜ!」というルネサンス活動がはじまった時代までを指します
一説では、中世ヨーロッパは文明の進化というか開花というかそういう系が停滞した暗黒の時代だとも呼ばれてるようです。ってことで、ルネサンス以前が中世、それ以降が近世として区切られている感じですね。明確な区切りというか「〇〇年から近世ね!」というコンセンサスはありませんが、とりあえず16世紀あたりから近世になったとイメージしてください
中世の中期は盛期(High Medieval Ages)とも呼ばれています。土地の開墾、政治制度の一新、建築文化、修道院の存在などいろいろな要素が相まって開拓が進み人口が爆発的に増加しました。その流れでいけばさらに進化が進んで文明開化しそうなものですが、残念ながらそれに待ったをかける出来事が起こりました
飢餓「やあ、いつもすまないね」
ペスト「どうも、日本語で黒死病です」
飢餓はとくに[ Great Famine of 1315-1317 ]と呼ばれるほどの大飢餓でヨーロッパ全体、現在でいう東はポーランド、西はアルプス周辺までが被害を受けました。人類がいくら文明開化したところで天候を操作はできませんがな。いちおう『三圃式農業』と呼ばれる工夫などはこの時代からされてきましたがそんなささやかな努力も実らず、1315年の春から続く不作によって農作物は壊滅的なダメージを負うことになります。それだけでなく、黒死病や動物の感染症も重なり、羊や牛も壊滅的ダメージを負ったとされます
べつに飢餓自体はけっこーあるんですよ現代でも。農作物が育つかどうかはいつの時代も日差しと雨ちゃんの気分次第だし、科学が発展して肥料やらなにやらの技術が進化した現代でさえ「ここ連日の日照りで農作物が~」っていうニュースよく聞くでしょ? 中世の時代なんかより顕著です。じゃあなんで1315年からの飢餓がやべーかってとその他のイベントも重なったからです。当時は感染症や戦でかんたんに命が失われる時代ですから、たとえば『テオフィロ・F・ルイス』という方の著書によれば「1276年の出生時の平均余命(寿命)は35.28歳だった」とのことです。ペスト流行時は平均20歳行かなかったんだって。そのせいで、中世後期は逆に爆発的な人口減少が起こりました
これが中世を終わらせたのか? ってとまあ部分的正解です。どの世の中だって上級国民的立場にいる方々が好き勝手した結果崩壊するものです
:宗教的な問題:
英語で[ Crisis of the late Middle Ages ]――中世後期の危機と呼ばれる一連の出来事は、上記のような民衆の危機だけにとどまらず宗教や政治形態の崩壊もまとめて呼ばれています。それまでもそこそこあった、まああっちゃいけないんだけどそこそこあった宗教的分裂は、ここにきて当時のヨーロッパで多数派だったキリスト教カトリックの分裂という一大イベントを発生させます
現在のフランスという国、昔はフランク王国として中世ヨーロッパ初期から存在し途中で分解してカペー朝なる別の氏族によって統治されましたがフランスという形は保っていました。歴代の王はローマ・カトリック教皇によって「聖なるものである」と保証されてきたほど深い関係にあり、そりゃあもうねんごろな関係だったんだろうなぁと思いきやわりと摩擦があった模様
昔からキリスト教というかカトリックの中心は『イタリア、ローマ』でしたが、1309年から76年まで教皇が『フランス、アヴィニョン』という場所にいたことがあります。イタリア在住のカトリック信徒にとっては好ましい状況ではなく、けどフランス的には「あ? なんか問題あんの?」的な感じ。フランスにある最中、歴任した7人の教皇はみんなフランス人でした。わたしは日本史詳しくないですけど、日本でも歴史上天皇がどの立場にいるのかとかでいろいろあったと思います
そんななか『教皇グレゴリウス11世』って方がコンクラーベ(教皇を決める会議)で教皇になり、いよいよ激しくなってきたアヴィニョン vs ローマ情勢を受けて「アカン、これローマに教皇庁戻すわ」として1377年にローマへ移すのですが、彼はローマへ引っ越しした後すぐ崩御してしまいます。しかし彼の意志を継いで平和を願う人々の姿が! ――いたかもわかりませんが、とりあえず両者の仲がさらに悪くなったことだけは書いておきます。後継者ウルバヌス6世さんがうまくやれなかったのですね
上記の出来事により、カトリックは『教会大分裂(西方分裂)』と呼ばれる大混乱に陥ります。このヘンを中心に書くとそれだけで前中後編あわせて1万文字くらい書けそうなので、気になった方は各自ググっていただければ幸い。宗教的対立は創作の良いインスピレーションになりますよ?
:貴族の問題:
この時代、隆盛を極めていた神聖ローマ帝国も衰退していました。っていうか玉座が空位でした。日本語で言う『大空位時代』です
統治者がいないってことは「我こそは!」って輩が出てくるってことで、内乱による統合力の衰退によって、帝国は統一国家というよりも各地方の王朝がそれぞれ独自に統治していくほうが重要になった時代へ変貌していきます
上記で紹介した飢餓などにより民衆の反乱が頻発。だって自分たちは飢餓や貧困で苦しんでいるのに貴族はほんとーに貴族然とした生活ができてるんだもん、そりゃそうなるよ。なお、貴族も一部は貧乏貴族になり堂々と強盗をするようになった模様。このヘンは『強盗騎士』あたりでググるとおもしろいですよ
貴族A「いや決闘だから。負ける相手が悪いから」
貴族B「いや通行料だから。整地された道を通るなら通行料を払うの当然でしょ?」
犯罪行為的なことをしない貴族も家賃を上げたり税を引き上げたりするなど、とにかく自分の暮らしを維持するためいろいろした模様。それをイヤがった農民は反乱し以下負のループ。前回紹介したゲーム『キングダムカム・デリバランス』はこの神聖ローマ帝国時代に起こった『フス戦争』の直前、現在のチェコ、ボヘミア、ハンガリー周辺を舞台にしております。気になった方はぜひプレイしてみてね! なお難易度はフロムゲー以上の模様
中世後期の危機は以上の3点によって訪れたとされます
・飢餓や伝染病による人口の大変動
・政治的腐敗
・宗教的腐敗
まあ、いつの時代でも上級国民というか権力をもつ立場がより権力を集めようとして、その結果権力無き立場の方々がひぃひぃ言う立場になって耐えきれなくなり、反乱だけでなくいろんな方面で爆発することになった、的な感じです
で、この時代でも人間は戦争が大好きなんですね。内乱や民衆の反乱と並行して、フランスとイギリスの間ではかの有名な『百年戦争』がはじまりました。100年と名付けられていますが実際には『1337 ~ 1453年』まで続いたとされています
百年戦争は中世中期(盛期)に発展した戦争の技術により大きく変貌していました。いわゆる騎士道精神もなにそれおいしいの? って感じで衰退気味。いちおうガーター騎士団など著名な騎士団が設立されていますが、まあリアルに切った張ったの時代になるとそうも言ってらんないんだろうね。戦争の理由はイギリスとフランスの王室にある"起源"です。いろいろ書くと文字数がアレなので省略。イングランド王の起源はフランス人だからいろいろめんどくさいんだってことだけイメージしてください
フランスとイギリスは百年戦争以前から火花が散っていましたし、各国も情勢の悪化が仲の悪さを表面化させ戦争を勃発させたりしていたのでどの国もどこかしらと戦争状態にある始末。つまり国庫の資源は戦争に注ぎ込まれインフレを引き起こし、闇市は蔓延して強盗などの犯罪は起こり放題。もはや言うまでもなく闇の時代が訪れました。ペストだけじゃなく腸チフスに炭疽菌、警戒すべき感染症はたくさんあるんだぜ
:中世後期の戦争:
前回紹介したように、中世盛期はけっこう技術革新がありました。風車や糸車、あと足踏み式の機織り機などはすでに導入済みであり農具もけっこう進化していた感じです
戦場に立つ兵士たちはチェーンメイルをまとい、中世後期になるとプレートアーマーも登場します。さすがに全身プレートアーマーは金持ちじゃないと難しいようでしたが可能っちゃ可能。ただし、この時代はクロスボウの進化も甚だしく、ウマが鎧を身にまとっていても安全ではない時代に突入したと言えそうですね
大砲もすでに登場しており、移動式で手軽にあちこち攻城できる点で重宝されていました。さらに、アジアから伝わった火薬を武器として利用したのも中世ヨーロッパの妙技。古代にも『ギリシャの火』と呼ばれる火薬兵器はありましたが、中世ヨーロッパではさらに使われるようになったようです
攻城戦が行われるようになったので城を守るための戦術も求められるようになりました。その結果要塞のような城や同心円状の守りやすい城が続々と誕生。攻めるに難く守るに易い城こそ名城的な流れになったのでしょう。この時代は石壁で全身囲っちゃうスタイルの城が多いですね。また桟橋や跳ね橋などで侵入者を遮断する仕組みだったり、これによって攻城戦が長期的になることを見越して水を運ぶためのトンネルや雨水を溜め込むための貯水槽を用意するなど工夫がミッチリ。まあ攻城戦は日本もよくやってたことよ。だいたい水攻めが定番よね
ちなみに、攻城戦は火薬が登場するまでは防御側有利でしたが、ドンと投げられてバンと爆発する火薬が一般化してからはその限りではなくなってきます
:うーみーはーひろいーなーおーきーなー:
今まで紹介してこなかった海での戦いについて。アニメ『ワンピース』で描かれてるような船をイメージしガチですが、中世初期はまだ船の側面に大砲を載せちゃうなんてことはなく、もっぱらオールでせっせと漕いでいく『ガレー船』スタイル。しかし外敵の侵入を阻止するよう大型化され、海面から登っていくには難しいつくりになっていました。船が今っぽいというかワンピースの世界になっていいくのは15世紀以降、中世後期から『大航海時代』からの話です
ガレー船時代は船の上に投石機や弓兵を置き、遠距離射撃で攻防するスタイルでした。ヨーロッパの国々は、主に地中海を隔てて南の『オスマン帝国』から防衛するために活用していた感じです。偏西風の影響などもあり西側がやや有利だったんじゃないか? などとも言われてます
15世紀初頭になるとオールで漕ぐガレー船の代わりに帆を張って航海する帆船がメジャーになりつつありました。風の影響を受けやすい反面、帆船はより多くの備蓄を積み込むことができたのでより長い航行距離を確保することができ、ガレーのように漕ぐための穴から海水が入る心配もないため、結果的により効率的に戦うことができたのです。帆船は大砲を設置する余裕もあるため「これ帆船一択じゃね?」という雰囲気になったのでしょう。なお、ガレー船はまだ『陸戦をするための兵士を運送する』的な目的で活用されていました
上記の事情もあり、また船において衝撃が強い大砲は、バランスをとるため船の下部に取り付けられるようになりました。結果アニメ『ワンピース』で見るようなスタイルへ変貌していき、船の側面の木材をくり抜き"砲門"を設置することで運用していきます
:重装騎兵時代のおわり:
重装騎兵が重要視された中世の戦場。主に徴兵された訓練されてない兵士には凄まじい効力をもっていましたが、弓兵や密集した歩兵(ファランクスなど)には今ひとつ効果が薄い感じでした
密集した歩兵。これが中世後期のトレンドとなっていきます。これは『金拍車の戦い』で検索すれば理解だけでなく納得までしやすいでしょう。わたし個人としては「やっぱり"ラングリッサー"は正しかった!」と言いたくなる。ラング好きよ増えろ
イギリスが騎兵のチェーンメイルを貫通し、プレートアーマーさえもヘコませる強力な長弓を採用したことにより騎兵時代の終焉を強調してくれます。長弓は修練こそ必要なものの、熟練した弓兵はそりゃあもうアレよ。騎兵隊なんでもう蜂の巣にしちゃうくらいの威力を発揮するのですよ。フランス貴族の騎兵隊バンザイ時代は終わった
:銃は剣よりも強し、ンッン~名言だなコレは:
じゃあこれからは歩兵の時代? いんや、違うんだなぁコレが……キちゃったんだわ、銃が
大砲ではなく人が個人で扱える銃。最初期の銃は『カルヴァリン(Culverin)』と呼ばれ、主にブルゴーニュ軍の間で使われていました。日本に伝わった『火縄銃』のひと世代前のもので、鉛玉を打ち出す仕組み自体は同じように、火薬をタッチホールに差し込んで爆発させ、そのエネルギーで玉を打ち出す武器です。この時代はまだ銃としての活用が難しかったのか、どちらかというと大砲がより進化して小型化、量産化していったような感じですね
わたしたちに馴染み深い『火縄銃』は15世紀に誕生したとされます。引き金をもつ"銃"のご先祖様で、主にオスマン帝国が使い始めました。日本でも1575年、織田信長さんが『長篠の戦い』で火縄銃を使い、世界でも「織田信長が銃の一斉掃射戦術を開発した」ということで知られています。実際、銃による一斉掃射は効果的であり、オスマン帝国もいくつかの戦いで一斉掃射戦術を用いています(モハーチの戦い)
これを大型化したものが『マスケット銃』。なお、火薬で鉛玉的な何かを打ち出す的な技術は古代中国からあったとされていますが、武器として積極的に使い始めたのは中世ヨーロッパからのようです。オスマン帝国は銃の威力もあって勢力を拡大。上記のように情勢が悪化していたヨーロッパに進出し、最終的に神聖ローマ帝国を滅ぼすことに成功します。これをもって「中世はおわった」とするのがおおよそのコンセンサスのようです
『銃』の存在はこれからイッキに世界へ広がります。1500までにインドへ、1540年までに東南アジア、そして中国へ到達したあと1543年にポルトガルの貿易商が種子島へ上陸させ、あの織田信長が「これは使える」って感じで採用したわけですね
なお、当時の銃はコントロールに課題を残していたので弓ほどの正確性は無かったと思われます。長篠の戦いでも充分に惹きつけてからの射撃だったし、実際の戦術でもとりあえず近づいて、衝突するまえに銃の一斉掃射をして相手のライフや精神ポイントを削った上でバトル開始みたいな立場でした。まあ威力は凄まじいけどね――ポルナレフとホル・ホースがタイマンでやったらどっちが勝っただろうなぁ
ちなみに、当時は火を露出させてたので雨天時はほぼ運用不可です。また反動も大きいし火の取り扱いもデリケートなのでストレスがマッハだったことでしょう。暴発ダメ、ゼッタイ
:その他の分野:
ルネサンスとは『古典的な芸術文化を復活させようとする活動』です。古代ローマ帝国の優れた文化を(当時の人々にとっての)現代に復興しようとした活動で、その分野は芸術音楽建築など多岐にわたりました
中世後期の衰退があるとはいえこの活動は続いていました。ただ「いろんな絵画を描こうぜ!」とかじゃなくて、たとえば遠近法的な技法をふんだんに使ったデザインを盛り込むとか今までにない新しい具材を使うとかそんな感じ。イタリア、フィレンツェから広がったルネサンスの波はラファエロ、ミケランジェロ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチなど現代でも著名な芸術家を何人も生み出しています
音楽方面では14世紀に『鍵盤楽器としてのオルガン』が誕生します。それまでは筒を吹いて音を出す形式だったのが鍵盤を押して音を出せるようになりました。ルネサンス音楽は宗教的な響きのあるポリフォニー(複数のパートがある音楽)がメジャーになっていき、対位法など音楽的技法の幅も広がっていきました。現代のリズム・メロディー・ハーモニーが揃い多様性が広がっていった時代ですね。世俗音楽もその影響を受けヨーロッパ中に広がりを見せたようです。ド~ドの"モード"やドミソなどの"三和音(コード)"が定着したのもこの時代です
この時代最大の技術革新は『紙と印刷技術』です。中国から紙が輸入され、ドイツで印刷技術が誕生してからはヨーロッパの都市中に印刷機が設置されていきます。1500年ごろまでの話なので、異世界ファンタジー風の世界観で印刷技術を導入したい場合、この時代を参照すると良いですよ
演劇の世界でも、いわゆるプロの俳優が誕生していきます。これらルネサンスの技術革新は、上記のような国家間の問題的な意味とは別に『中世と近世の架け橋となった』という解釈をされているようです。印刷技術の発明により活字の普及と学習の重要性が増し、またみなさんおなじみコロンブスがアメリカ大陸を旅行するなど、1500年以降は大航海時代と呼ばれる海洋進出の時代に突入し、ヨーロッパは中世という言葉を捨て『近世』へと足を踏み入れることとなったのです
くぅ疲。調べすぎてナニをどう書けばいいのかわからんかったけどとりあえずまとめた。もし「〇〇が紹介されてないじゃん!」とか「ハンバーグっていつ生まれたの?」など感想ありましたら遠慮なく送ってください
この時代は人口減少によって『女性』も表に出てきた時代です。ジャンヌ・ダルクに限らず、商業学問宗教あらゆる分野で女性が台頭していきます。じれは同時に近世にあった魔女狩りの伏線が貼られていったとも言えますがそれはまた別の話ということで
神聖ローマ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされ、またルネサンスの波が世界に広がっていき、中世の時代はおわりを迎えました。これから近代、そして現代につながっていくのですが、異世界ファンタジー的な物語を考えるとそのヘンまで描写したら『異世界感』がなくなるので、まあこのヘンまでを参照すると良いかもしれませんね
人の想像力は無尽蔵。きっとアナタだけの物語がアナタの脳みその中に詰まっているはず。それらをインターネット上で発表して、たくさんの方から称賛の声を受けてみたくはないですか? ――もし、ほんのすこしでもその気持ちがあればぜひチャレンジしてみてください。ここで紹介したアレコレが、アナタのインスピレーションにすこしでもお役立ていただけたら幸いです
最後に、これを書くにいたりお役立ちだったサイトをご紹介。アナタの創作ライフに幸あれ!
世界史の窓(世界史のありとあらゆる情報が掲載されてるよ!)
ttps://www.y-history.net/appendix/appendix-list.html
中世ヨーロッパのタイムライン・リファレンスサイト(英語)
ttps://www.timeref.com/