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R-15
十二話 『わかんない』
「好きだ」

 前回は自分からちゃんと伝えることができなかった。

 だから今度は沙知の瞳を真っすぐに見つめて、しっかりと自分の口から伝えた。

 沙知は僕の言葉を聞いた途端、眼をぱちくりさせる。彼女はまるで信じられないものを見たように、しばらく驚いた顔で僕を見つめる。

 それからしばらくすると、彼女はニヤッと意地悪な笑みを浮かべると僕に顔を近づけてきた。そしてニヤニヤしながら口を開く。

「はいはい、どうせからかってるんでしょ?」

 沙知は僕の言葉を疑うようにそう言った後、悪戯っぽい笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「アハハ、恥ずかしがってウソを言うなんて君も可愛いね」

 沙知はからかうように笑みを浮かべながら、僕を見つめながら話し続ける。だけど僕は淡々と言葉を口にする。

「本気だ……」

 僕の言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳は大きく見開く。そして信じられないと言わんばかりにさらに眼を丸くさせた後、驚きと動揺が入り混じった表情をする。

 そんな沙知をまっすぐに見つめて、僕は再び口を開いた。

「前から伝えたかった……今度はちゃんと伝えられた……」

 僕の口から次々に出てくる言葉がよほど想定外だったらしく、彼女は驚きの表情のまま硬直していた。その表情は何を言ったの? と問いかけるような目だ。

「……ホントに好きなの?」

 やがて沙知はポツリと小さな声でそう呟いた。その問いに僕は何も言わずに真っ直ぐに彼女を見つめ返すと、沙知はまた口を開いた。

「そんな目……ウソを言ってるようには見えないね」

 沙知は僕の瞳をしばらく見つめた後、僕の顔から距離を取ると、諦めたように大きくため息を付いた。

「ふぅ……そうだね……まさか君があたしのことが好きだったとは思わなかったよ」

 沙知は真剣な表情でそう語り始める。だから僕も真剣な顔つきになる。

「人間ってウソつくとき視線が結構動いたりするんだけど、君の視線はずっと真っすぐだった、そしてさっきの言葉を聞いて、ウソ偽りのない気持ちだって分かったし」

 すると沙知は僕を見つめ直すと、ニッコリと笑顔を見せた。その笑みは儚く今にも消えてしまいそうなほど美しかった。

「でもさ、君ってばあたしがどれだけ面倒か知らないでしょ、だってあた──」

「知ってる……」

 沙知が言い切る前に僕がそう言葉を遮った。

「知ってる……君の身体が弱いことも、君が人でなしで、他人のことなんてすぐに忘れることだって……」

 僕の言葉に沙知は眉をピクッと動かした。そんな彼女に向かって僕は続けて口を開く。

「運動もできない、料理だってできない、一人でまともに校内を歩き回れない、人をからかうのが好きだし、勝手に実験のモルモットにしたり、正直まともじゃない人だって分かってる」

 僕がそう言うと、沙知はムッとした表情を浮かべて不満げに口を開いた。

「そこまで分かってるならあたしのこと好きにならないでしょ」

 僕はその言葉を聞いて首を横に振ると、沙知に向かって言葉を続ける。

「好きになるよ」

 僕の口から出た言葉に沙知は驚きの表情を浮かべ、僕から視線を逸らした。

「……わからない」

 沙知は戸惑いの混じった声でそう呟く。今までにない沙知の反応に僕は驚いた。

 知らないことに対して好奇心を向け、常に探求心のある沙知。そんな彼女が拒絶するかのような表情をしている。

 すると、沙知は何かに気付いたかのようにハッとした表情を浮かべる。

「もしかして同情? それともこんな子ならワンチャンイケるかも? みたいな理由かな?」

「違う!!」

 沙知の言葉を否定するように僕は叫んだ。すると彼女はビクッと身体を震わせ、驚いた表情になった。

 それからゆっくりと僕のことを見つめて口を開いた。

「……じゃあ……なんで……」

 沙知は小さな声で問いかける。それは疑問ではなく、むしろ理由を求めているような声だった。彼女は怯えにも似た表情を浮かべながら僕に向かって口を開いた。

「……なんで君はあたしなんかのこと好きになれるの?」

 その言葉と共に彼女の瞳は、まるで何かを確かめるかのように不安げに揺れているように見えるのだった。

 沙知は恐怖にも似た表情を浮かべて、声を震わせながら言葉を口にする。そんな彼女に僕は大きく頷き言葉を返した。

「ずっと君が気になっていた……初めて会った時から……そして、君と一度恋人同士になったときも」

「!!」

 沙知の表情が変わった。彼女は酷く驚いた表情になり、口に手を当てて身体を震わせる。だけど動揺しながらもなんとか冷静さを取り戻そうとしていた。

「あ、あたし……知らない……君と……恋人に……なったことなんて……」

 動揺して上手く喋れないのか、彼女はつっかえながらもそう言った。

「そうだよね……君が覚えてないのも僕は知っている」

 そんな沙知の言葉に僕は優しい口調と共にそっと話しかける。僕の言葉に対して沙知は首を横に振って答える。

「わかんない……わかんないよ……なんで……」

 本当に理由が分からないのか、沙知は激しく動揺していた。両手で頭を押さえながら、激しく顔を左右に振ったり髪を手でかき乱したりしている。

 そんな彼女に僕はゆっくりと近づいた。沙知はビクッと身体を震わせ僕から距離を取ろうと、立ち上がり後ろに下がろうとする。だけどイスが邪魔になって、彼女との距離は縮まるばかりだった。

 沙知はそれでも僕と距離を保とうと後ろに下がろうとする。でもやがて窓際の壁まで追い込まれ、それ以上下がれなくなる。

 そして僕は距離を縮めて彼女の顔を間近で見つめた。

「わかんない……わかんない……わかんない……」

 まるで怯えた子供みたいに、沙知は首を横に振ってわかんないと繰り返す。その姿が酷く儚くて、今にも消えてしまいそうなほど弱々しいものに見えて、全てから拒絶しているようにも見えてた。

 それにどこか怖がっているようにも。

 そんな風に怯えた目をする彼女に、僕はゆっくり手を伸ばした。

 沙知は反射的に身体を強張らせる。僕は彼女の頭に手をのせて優しく撫でると、沙知は大きく目を見開いた後僕に向かって口を開く。

「なんで……」

 ただそれだけを呟く。彼女の言葉からは困惑が伺える。

 沙知は信じられないものを見るような目で僕のことを見つめて、震える声を振り絞るように言葉を続けた。

「なんで……あたしを好きになるの? 恋人だった……君のことを……忘れて……傷つけて……男ならこんな女いらないでしょ?」

 沙知は震える声でそう問いかける。彼女は身体だけじゃなくて心も震えていた。

 そんな彼女に僕は優しい口調で話しかける。

「そうだね、正直めちゃくちゃ傷付いた」

 僕の言葉に沙知は唇をきゅっとかみしめる。だけど僕は構わず言葉を続ける。

「だって沙知がいきなり僕のこと忘れるから、ショックで何もできなかったし」

 あのときのことは今でも思い出せる。まるで世界が終わったような絶望的な気持ちになったことを覚えている。

「それから沙々さんに沙知の体質のことも聞かされて、正直このまま何も無かったかのように沙知との関係を終わらせてもいいと思った」

「だったら……なんで……」

 沙知は信じられないものを見たような目で僕を見つめながら、震えた声でそう呟く。

 彼女からしたら僕は知らない間に傷つけて振った相手だ。普通ならこのまま関わり合いなんて持たないようにするだろう。

 ましてや自分が最大限の地雷だって認識しているようにも感じた。だから彼女が僕の言葉を理解できないのも分かる気がする。

 そんな僕が彼女が好きなのだと伝えるなんて普通では考えられないことだろうから。だけど……それでも僕はハッキリと告げた。

「君と一緒に過ごすのがとても楽しかったから」

 そう。それだけなのだ。

 好きな人と中身のない話をしたり、一緒に帰ったり遊んだりすることはすごく楽しくて、幸せなことなんだって初めて知った。

 それに沙知の魅力を知ることにもなった。今まで知らない彼女の新たな一面を見ることで、ますます彼女を好きになっていった。

 そして気付いたときには沙知のことばかり考えるようになっていたんだ。

「そんなあたし……ワガママで自分勝手な女なのに」

 自分の言葉に否定に近い反応を示す沙知に、僕はさらに続ける。

「知ってる、僕がいくら頑張ってもきっとそれは直らないだろうなって思っている」

 そんな僕の言葉に彼女は唇を嚙みしめながら俯く。そんな彼女に僕は静かに口を開く。

「でもいいんだ」

 沙知はハッと僕の方を見ると、信じられないと言いたげな表情を浮かべる。だから僕は言葉を続ける。

「君と関われば関わるほど君を知っていく、新しい君の一面を知るたびに余計に君を好きになっていくんだ、だからもっと君を知りたい」

 それが僕の素直な気持ちだった。今まで知らなかった彼女の一面を知るたびに、彼女を好きになっていったんだ。

 何かを知ることはとても素敵なことだ。それが好きな相手のことなら尚更。

 僕は沙知のことが好きだから、だからこそ彼女についてもっと知りたいって思うんだ。

 そして理解したいって思うんだ。だって知らないことがあるのは嫌だから……それに何より僕が彼女に対する想いの強さを証明したいという思いもあるのかもしれない。

「わかんないよ……」

 沙知は小さな声でそう呟くと、俯かせていた顔を上げた。その表情は今までにないぐらい弱々しく感じる。

 どうしてそこまで拒絶するのかは正直分からないけど、でも沙知がそんな表情をするのを見て心がズキっと痛んだ。

「他人を好きになる気持ちなんて……わからない」

 沙知は苦しそうに表情を歪ませながら、たどたどしく答えた。

 その反応はまるであのときとは逆だ。僕と付き合うときにあれだけ恋を知りたがった沙知が、今は拒絶して知ろうとしない。

「どうしたら信じてくれる?」

 僕がそう尋ねると、沙知は動揺したように目を丸くする。そして逃げるように眼を逸らすと、両手をきゅっと握って声を絞り出した。

「じゃあ証明してよ……」

 沙知の答えに僕は思わず驚いてしまう。今まで拒絶することはあってもこういう反応をするのは初めてだった。

 沙知自身も戸惑っているようで、取り乱した様子で僕と視線を合わせるとまた俯いてしまう。

「あたしが好きだったら……あたしの言うことをやって見せてよ……」

「なにを?」

「じゃ、じゃあ……今度の……テストで……あたしより上位に入りなよ……そうしたら……信じてあげる……」

 そう言って彼女は弱々しく笑う。まるで無理だと決めつけているように。沙知がそう思うのは当然だ。

 なぜなら彼女は入学試験を首席で入学するほどの成績の持ち主なのだから。だから今度のテストで僕が学年トップになれば信じてあげるなんて、沙知にしてみれば無茶振りもいいところだ。

 だけどそれでも……僕は。

「わかった」

 迷いはなかった。それで彼女が信じてくれるなら、僕は全力でやるだけだ。

「えっ? き、君……ほ、本気でいってるの? あたしの言ったことわかってる?」

 彼女は信じられないと言いたげな顔で僕に問いかける。自分が無茶振りをしたのに僕が即答したことに驚いている様子だ。

「わかっている、君が学年でトップだって知ってる」

「じゃあ……なんで?」

 信じられないという顔で沙知は僕に問いかける。そんな彼女に僕は口を開く。

「君に信じてもらえるならなんだってする、だから、僕が君に勝ったら僕のことを信じてほしい」

 噓偽りのない気持ちを彼女にぶつけた。別に付き合えとは言わない。ただただ信じてほしかった。僕の想いを、君のことを好きだっていうことを分かってほしいだけなのだと。

 そんな僕に沙知は顔を下に向けてボソッと口を開く。

「バカだよ……君……」

 沙知はそう呟くと、顔をあげて僕の瞳をじっと見つめ返した。

「いいよ……君が勝ったら……君の言葉を信じてあげる」

 そう言って彼女は僕の身体に触れると、少し押して退いてほしいとアピールをする。それにしたがって僕が後ろに下がると、彼女は自分の席まで歩いていきカバンを手に取って、中をゴソゴソと探り始める。

「なにをするの?」

 僕がそう問いかけると、沙知は取り出したものをそっと机の上に置いて僕の方に目を向けた。置かれているのは一冊のノートだ。

 彼女はノートを開くと、ポケットに入れていたペンを使って何かを書き始めた。

「ごめん……君の名前……なんだっけ……」

「島田頼那」

 僕は名前を彼女に教えてあげた。すると沙知はまたペンを走らせる。

 書き終わるとノートを見せてくるので、横から覗き込むようにページを見てみる。そこにはこう書いてあった。

『テストで島田くんに負けたら彼の言葉を信じる』

 どうやらそのページは僕との約束を書いてあるみたいだ。

「あたしが君との約束を忘れないようにするため」

 彼女はそう呟くと、ノートを閉じて自分のカバンの中に戻した。

「こうすれば……絶対に忘れないよ」

 沙知は今まで聞いたことない真面目なトーンで僕にそう告げる。だけどそれ以上に僕に対して真面目に向き合おうとしているように思えた。

 そして彼女はカバンを机の上に置くと、僕の目の前にやってくる。そんな沙知に思わず緊張してしまうが、できるだけ表情には出さないようにした。

 そんな僕に向かって彼女口を開く。

「ホントに君があたしに勝ったら君の言葉を信じる……その上でもう一度……あたし伝えて……今日言ったこと……」

「わかったよ、君に勝ってもう一度告白する」

 僕がハッキリとそう告げる。それを聞いて沙知は僕から離れると自分の席に向かって歩いていく。そして机の上に置いてあったカバンを手に取って肩にかけると、僕の方へ振り向いた。

「じゃあね、また今度……」

 それだけ言うと彼女は教室から出ようとする。その背中がいつもより小さく見えた。

「沙知」

 僕が彼女の名前を呼ぶと彼女は立ち止まって振り返る。

 そんな彼女に僕は一言伝えた。

「絶対勝つよ」

 そんな僕の言葉に彼女は何も反応はせず、そのまま教室から出ていった。

 沙知が出ていきガラリと静かになった教室で僕はゆっくりと机に向き直る。

 そして渇をいれるように自分の頬を叩く。

「よし!!」

 これからが正念場だ。テストで沙知に勝たなければならないのだから。僕は決意を固めるように大きく頷くのだった。
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