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作者: 月緋ノア
残酷な描写あり R-15
アールセン
追われた先で白軍服の男と相対したリノア。二人の戦いの行く末は——
「よぉ、脳筋女。これはファル人間が持ち込んだ服でな、デザインが気に入ってるんだが、どうだろう?」

 救い出した狼男を下ろしてから、くるりと一回転しながら軍服を見せびらかす男。夜空と同じ深緑の髪が軍帽からわずかに覗いた。

「たくさんの奴がまとまった風が如く同じ服を着る風習があったらしいぜ? この世界じゃこんなのを着るのは俺だけだろうけどな」
「何の話を、してる……? 全く訳が――」
「油断しないでくださいっ」

 リノアの本能がそれを察知した時には、ほんの少し遅かった。
 髪を揺らす風と共に、肩に担いでいた女の感触が消えている。風の吹き抜けた先に振り返ると、女を見事に抱き抱えた軍服男がにやりと勝ち誇っていた。ゆっくりと女を下ろしながら、軍服男が頷く。

「へえ、こいつが。これはなかなか、目利きだな。才能アリだ、うんうん」
「誰だか知らんがでかしたぞ。その女のことは任せろ。この鬱憤は女で晴らすのが一番だ」
「おっ、と。そいつはいけないぜ旦那、俺にも守るべき流儀とルールがある。雇い主に睨まれるようなことはしてもらっちゃ困るな」
「ちっ……」

 狼男は機嫌悪く舌打ちを放ち、そしてやけに鼻につく男を睨め付けた。

「それだけ大口を叩くんだ、もちろんその生意気な女も手懐けられるんだろうなぁ?」
「当たり前だろう。仕事はきっちりとこなすさ。あんたみたいな半端者と違ってな」

 終始軽口を叩く男をじっと見つめながら、リノアは警戒を強くする。一瞬の隙を風に攫われたことを考えれば、身構えすぎても損はない。

「いい目だ嬢ちゃん。俺はアールセン、短い間だが見知りおき願おう。……いつかあんたが俺に依頼するかもしれないしな」
「わたしは、リノアだ」
「へえ、しっかり名前があるんじゃないか。惜しいねえ、もうすぐそれは奪われ、上書きされるんだぜ?」
「名前を奪われるなと、言われている」

 ライムグリーンの瞳が細くなり、男は薄く微笑んだ。どこか満足げなその顔にリノアは疑問を覚える。
 同時にどことなく感じた既視感を、リノアは思い出すことができなかった。

「それじゃあ、やるか。他の奴は手を出すなよ、俺の獲物だからな」

 アールセンがどこからともなく白銀のステッキを取り出した。傷一つない、アンウルの光をそのまま取り出したようなステッキだ。
 それをくるくると遊ぶように弄び、ぴんと空へと放ったかと思うとそれを見事にキャッチしてみせた。手の感触を確かめるようなその一連の仕草に、リノアはそう――見惚れた。

「気を取られるなよ?」
「――っ」

 リノアの反応がまたも一瞬遅れる。しかし、遅れなくとも反応することは不可能だったろう。
 とん、と鳩尾に触れる感触と共にリノアの身体が後ろへと浮かされた。それとほぼ同じタイミングで両の手と両の太腿にステッキの鈍い突きが入る。そして土手っ腹に入り込む、ブーツの一撃。

「かはっ……」

 まるで面で押し寄せる風の如き流麗な攻撃。それが突風のようにリノアを吹き飛ばし、大きく後退させる。
 だが、リノアは踏みとどまってみせた。崩れ落ちそうになる身体に神経を巡らせ、よろめきながらも立っている。

「そうこなくては」
「く……う」

 楽しげに口元を綻ばせるアールセン。それが追い風と共にリノアに近づき、しかし突如起こった旋風によって向かい風を受けた。ステッキに当たる重たい感触と共にわずかに後退り、目を丸くする。

「これは――お前さんはいったい何を隠している?」
「何の事……?」
「まあそれはいいか、今は」

 うねりをあげる空気の流れを読み、アールセンはリノアへと歩み寄る。敵意を滲ませる事なく、すり抜けるように接近し、彼女の目と鼻の先へ。そのまま抱きしめるようにして耳元へ口を近づけた。

「必ずお前さんを盗み出してみせる。あんたが見つけた、極上の宝石と一緒にな」
「お前はっ――うっ」

 腹部への重い一撃と共に、リノアの意識は奈落へと沈んでいった。思考する暇も、男の顔や気配を十全に感じ取る余裕すらもない。
 脱力したリノアを軽々と担ぎ上げたアールセンは狼男へと振り返る。

「依頼達成、といいたいところだが。さっきまでの言動から、あんたたちからもこの二人を安全に運ばないといけないだろうな。追加報酬期待しとくか」
「抜け目ない奴め」
「二人とも俺が連れて行く。道案内はよろしく頼むぜ?」

 狼男は発達した犬歯を剥き出しながらも、アールセンには到底敵わないことを理解し頷いた。自分の得意とする月の晩ですら、手も足も出ないだろうことを痛感したのだ。だから大人しく従い、彼を先導する。部下たちには他の拾われたがりを拾うように指示した。

「ほら、そっちのお嬢さんも行くぞ」

 アールセンが地面にへたり込んだままの女に手を貸し、立たせる。プラチナブロンドの髪が揺れ、琥珀色の瞳が丸くなった。その瞳にしげしげと見つめられ、アールセンは少しだけ困惑する。

「あんたには災難だったな」
「え? いえ……」
「そういうことじゃないんだ」

 女が頭の上に大きな疑問符を浮かべ、アールセンを訝しげに見据える。

「そのうちわかるさ」

 まるで未来が見えているかのようなアールセンの口ぶりに、女は訳がわからなくなる一方だった。その悪意のない乾いた風のような気配に、女はさらに戸惑いを覚えるばかりだ。
 しかしそれ以降、アールセンが無駄口を叩くことはなかった。
 路地をくぐり抜け旧市街を抜ける頃には、大量の黒服たちが商品を集めてきたからである。狼男だけでないリーダー格の存在たちが集まってくるにつれ、アールセンは風通しの悪さを感じて吐き気を覚えながら、徐々に警戒を強めていった。
 長い長い黒服たちの行脚は、やがてディケムの街の歓楽街のさらに奥――中央に当たる場所へと吸い込まれていく。

「へえ、ここが例の会場か」
「なんだ、この仕事をしているからてっきり来たことがあると思っていたんだが」
「外回りまではな。中までは来たことがなかったんだよ。随分広いんだなあ」

 狼男は妙なにおいを感じて鼻を鳴らしたが、すぐに女子供たちの芳しい香りに惹かれた。彼にとってはこの瞬間こそが至福の時だった。
 それを横目に、アールセンは「会場」を見渡す。
 彼らがいるのはすでに中だが、まず外観は巨大なドーム状の建物だった。
 中には幾つもの仕切られた大きな空間が存在し、そのすべての中央を一本の太い道が通っている。その道は「観客席」からは何段も高く、中央にある一番大きな空間へと伸びているらしい。
 しかしアールセンにとってそんなことはとうに知っていたことである。問題があるとすれば、と考えを巡らせていたくらいだ。

「見惚れている場合じゃないぞ。受付はこっちだ、アールセン」
「あんただってしばらく動かなかっただろうがよ」

 数多いる黒服の中で、白の軍服は嫌でも目立つ。周囲から向けられる奇異の目をどこ吹く風で、アールセンは狼男の後ろを行く。右肩にはリノアを、左手には名前のない女を繋いで。
 会場を見渡すことができたのは最初の束の間だけで、アールセンたちは地下へと流れ込んでいった。
 アールセンも、地下まで入り込むのは初めての経験だった。階段を降りていくうちに目に飛び込んできた光景に、目を見開いた。

「こいつは、すごいな」
「だろう? 巨大な地下牢兼控室ってわけだ。用を足すにも、食事にも困らないし、出場前には身なりも整えてくれる――名無しどもにはもったいないぐらいに至れり尽くせりだ」

 これに驚いたのは名前のない女だった。噂程度に知るその光景が、想像だにしないほどの規模であることを見せつけられ恐ろしさが芽生えたのだ。その手の震えを感じ、アールセンは彼女を引き寄せ耳打ちする。

「あんたもいい飼い主が見つかるといいな」
「え、あ、はい……」

 アールセンにとっては励ましの言葉のつもりだったが、余計と彼女を萎縮させてしまったらしい。だがせめてと手を強く握り締め、離さないように引き連れる。
 地下空間には大精霊が入っていると思しき精霊光炉があり、煌々と全てを照らし出していた。山吹色の温かみのある光だ。

「中央にある階段は商品たちが外に出るための唯一の階段だ。あれが、晴れ舞台への入口ってわけだな。方々にある階段は見ての通り、商品の搬入を終えた俺たちが外へ出るためのものだ」
「……みたいだな」

 得意気に話す狼男に相槌を打ちながら、やがて彼らは受付へとたどり着いた。
 そこは開かれた場所で、黒服でひしめき合ってもいなかった。順序よく、スムーズに流れている。
 受付の男の肌は、黒い。その周囲で待機する者たちも皆、黒い。銀色に光るその瞳たちが感情の篭らない瞳で流れ作業を行なっている。

「おや、お一方はお眠りのようですね。まあよいでしょう。そこの椅子に座らせてもらえますか。ああ、そちらのお嬢さんもその隣へ」

 言われるがまま、アールセンがリノアを座らせる。隣に女が座った。
 その前に一人ずつ、黒の女たちが立つ。

「汝、名を失おうとも知恵と技術は失わず。新たな礎と共に歩む意志を持つ者よ、過去から汝を縛る鎖より解き放たん」

 銀の瞳が、ぬらりと艶めく。美しき女より放たれる妖艶なる声が――その視線が、こじ開けられた瞳からリノアへと侵入した。
 少なくとも、アールセンにはそう映ったのだった。

「よろしい。二人ともアルティムや富裕層が喜びそうな器です。目玉となるでしょう」
「目玉か、よしよし見込み通りだ。特別報酬まで望めそうじゃないか」
「ちゃんと俺にも分けろよ?」
「もちろんだ」

 受付の男の言葉にアールセンと狼男が互いに見つめ合い、拳をぶつける。そして商品となった二人を連れて控室へと向かう。
 そこは他の部屋と比べれば豪奢で、目玉という言葉に信ぴょう性を持たせることとなった。
 閉められた扉の前で満足そうに頷き続ける狼男の後ろ姿を見つめながら、アールセンはため息を漏らした。

「どうしたよ」
「いいや、もったいないなあと思ってな」
「はっ、今更だろう。明日の結果を待つとしようぜ。もしかしたら領主サマに貰われるかもしれねえ。そうしたら生涯安泰だぞ、こんな仕事しなくても欲望の限りに生きられるんだ」

 そうかい、とアールセンは嘲笑った。
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