▼詳細検索を開く
作者: 桐谷 碧
「海斗くんて、ムラムラしないの?」
 その質問に海斗くんは、曖昧な返事しか返してこなかった。腑に落ちない、若い男女が一つ屋根の下で過ごしているのに、何も起きないのは異常ではないか。いや、別に私がムラムラしているとか、海斗くんとエロエロしたいとか、昨日の昼ドラで見たバックハグをちょっと試しにやってほしいとか思っているわけでは決してない。断じてない。きっとない。ない……はずだ。
 まさか、女として魅力がない?
 シャツの襟元からペタンコの胸を確認する。十八歳、これからの伸び代はあるのだろうか。そういえばママも胸がない。つまり遺伝。全身鏡の前でポーズをとる。寝癖がついてボサボサの頭、よれたTシャツにスウェットは海斗くんから借りた部屋着だった。
「はぁ……」
 これじゃあ色気もクソもない。私服はオーバーオールしか持ってきてないし。実家にも大した服はない。海斗くんに買ってもらったワンピースは可愛いけど少し子供っぽい。少し考えて、バックパックの中から財布を取り出した。ずっと貯金していたお年玉に、お婆ちゃんから貰ったお小遣いで財布はパンパンだ。よし、服を買おう。海斗くんがムラムラするようなセクシーな服だ。こうして佐藤海斗誘惑作戦は静かに開始された。
「海斗くーん、ちょっと出かけてくるねー」
 書斎の扉越しに声をかけると「ああ」と返事が返ってきた。次に会う時が楽しみね。心の中で一人ゴチるとまずは美容室に向かう。
 銀座、ガラス張り、外から丸見えなのは一体なぜだろう。頭にタオルを巻かれた羞恥な姿を大衆に晒して良いのか。私はショーウィンドウに飾られた、服を着ていないマネキンを想像した。店内には彼ら同様、自信たっぷり表情を崩さずに、一点を見つめている客たちが並んでいる。なるほど、人に見られる事で己の潜在的な美しさをさらに引き出そうと、その自信が見た目に反映されると、そう言う事ね。無理やり自分を納得させると私はその美容室に入った。
「今日はどうされますか?」
 毛先を遊ばせた美容師が鏡越しに話しかけてきた。少しチャラいけど年齢は三十前後か。
「お兄さんは、どんな髪型がセクシー、いや、ムラムラしますか?」
 単刀直入に尋ねると、茶色い毛先を遊ばせた美容師のお兄さんは顎に手を当てて悩んでいる。
「人それぞれかと思いますけど」
 何の解決にもならない答えが返ってきて落胆した。
「私って子供っぽくないですか?」
「そんな事ないと思いますけど、おいくつですか?」
 いくつか分からないのにそんな事ないってどうして言えるのだ。この美容師は失敗だったか。
「二十四歳です」
「え、二十四歳? 失礼しました十代かと、確かにお若いですね」
 まあ、本当は十八歳なんだから彼は何も悪くない。
「もう少し大人っぽく見えるようにしたいんですよ」
 せめて二十代に見えるように、と付け加えた。
「なるほど、お姉さんこの黒髪ロングでどうしてもアニメ美少女感がでちゃうんですよね、少し明るくしたり、黒髪だったら顎のラインでボブにしてシャープな感じにすると大人の女って感じになると思いますよ」
 なるほど、やっと実践的なアドバイスが出てきた事に満足した。協議の結果、思い切ってバッサリと切ることにした。髪なんてどうせ伸びる。
「こんな感じでどうでしょうか?」
 美容師のお兄さんは二面鏡を広げて後ろの出来上がりを見せてくれた。白いうなじが出ていて中々セクシーだ。思った以上の良い出来に満足してお店を出ると、その足で百貨店に向かった。ちょうど良く場所は銀座なので大人の服装にあり付けそうだ。
 目線の前で揺れる毛先が大人の様な色気を放っている、ような気がした。周りの視線もなんとなく気持ちいい。そうだ大きな輪っかのピアスをしよう、シルバーの。ボブカットに似合いそうだ。
「素敵な髪型ですね」
 さっそく店の店員さんに褒められた。ありがとうございますと、笑みを返してこの髪型に似合うようなセクシーな服を選んでもらった。ドレスのような赤いワンピース、いつも買う服の十倍くらいの金額だったが構わない、お金は使う為にあるのだ。
 家に帰ると海斗くんはまだ仕事中だった。しめしめ、今のうちに着替えて驚かせてしまおう、寝室に入って服を着替える。シルバーのピアスを両耳にすると、まるでこれからパーティーにでも出席するような出立になった。思った以上に似合っている。
 このまま部屋に突入するのも芸がない。いつもの様に振る舞っていて、海斗くんの反応を観察するほうが面白そうだ。時刻を見ると十四時前、そろそろお腹が空いて書斎から出てくる頃合いだろう。私はその格好のままカウンターキッチンに入ると、いつものように手際よく味噌汁を作り、フライパンで炒飯を炒め始めた。
「あー、首いてえ」
 ほどなくして、肩と首の中間あたりを揉みしだきながら海斗くんはリビングに入ってきた。
「何作って――」
 顔を上げて私を見ると海斗くんは固まった。珍獣を見るような目で見つめてくる。口は半開きだ。どうやら効果は絶大、このまま襲われてしまったらどうしよう。別に良いけど。
「美波、お前、どうしたんだその格好。パーティーでも行くのか?」
 気のせいだろうか、笑いを堪えているようにも見えるが、まさかそんな筈はない。きっと照れているのだろう。自分の彼女が一瞬でセクシーな大人の女に変身していることに。そう、女は魔術師。化粧や服装、髪型でこんなにも変わることができるのよ。さあ、いらっしゃい坊や。
「ちょっとだけ、気分転換」
「いや、髪もバッサリとまあ」
「邪魔だから、切っちゃったわ」
 感心したように全身を爪先から頭の天辺まで舐めるように見ている、そこまで凝視されるとさすがに恥ずかしい。照れていると、炒飯の焦げる匂いがして慌ててコンロの火を止めた。
「こけし、みたいだな……」 
「え?」
「いやなんか、シルエットがこけしみたいだなって」  
 炒飯を振るっていたフライパンを持つ手に力が入る。このまま投げつけてやろうか。せっかく思い切って髪を切り、銀座の百貨店くんだりでどこに金がかかっているか分からないテラテラの服を購入し、針金を丸めた様なピアスまでしたのは、全て海斗くんに褒められる為だと言うのに出てきた言葉が。
 こけしみたいだな――。
 なるほど、世の中の男女カップルが喧嘩になるのは男のデリカシーのなさが原因だと聞いたことがある。殆ど完璧に見えた海斗くんの欠点を垣間見た気がした。ところが。
「うそうそ、すごく可愛い」
 いつの間にか後ろに来たかと思うと、そのまま抱きしめられた。しまった、ツンデレだったのか。そして、まさかのバックハグ。
「海斗くん、フライパン、危ないから……」
「うん、あと五秒」
 五秒と言わず何時間でもいいわ。心臓のドキドキが止まらない、佐藤海斗、やはり侮れない。こけし発言は許してあげる。海斗くんはゆっくり五秒数えてから離れていき、私は背中の温もりと頬にかかる吐息の余韻を楽しんだ。味噌汁がグラグラと煮たっているけど気にしない。この先を想像して胸が高鳴る、もしかしたら今夜抱かれてしまうかも。ムフフ。と、想像した刹那、先日の海斗くんの言葉が蘇る。
 
 キスをしたら美波が成仏しちゃうかも――。
 
 なんでやねん! 言いたい事は分かる。分かるけど自分、それは深読みしすぎやでホンマ。と、謎に関西弁が出てしまうほど身悶えた。まったく、パパも余計な事をしてくれる。せっかく手帳は隠したのに。まあ、いざとなったら強引に奪ってやればいいか。私が不敵な笑みを海斗くんの背中に向けると、その背中がブルッと震えた。
「よし、今日はその格好で撮影しよう」
 海斗くんは炒飯を口に運びながら言った。そう言えば昨日の動画はどれくらい再生されたのだろうか。
「うん」
 返事をしながらスマートフォンを手に取り、自分のページを表示させる。
「あれ、再生数が凄い事になってる」
 何が起きたのか一瞬、理解できなかった。確かに昨日までは十回くらいしか見られてなくて、最新の動画もマニアックなプロ野球選手のモノマネを延々と披露するという、おおよそバズりそうもない内容だ。それが今日になって急に全ての動画が十万回を超えている。コメント欄には何百件と書き込みが溢れていた。
 
『圧倒的美少女降臨』
『ほしみなまじ可愛い』
『ワイルドピッチの動画はまじで草』
『イェイイェイ!』
『ほしみなはJK?』
 
 コメントの殆どが、動画の内容より美波が何者かと言う憶測だった。好意的な意見が殆どだったが、中には『うざい』や『ビッチ』など、謂れの無い誹謗中傷も混じっていて早急に心の警鐘が鳴らされる。これ以上は見ない方がいい。海斗くんに画面を見せた。
「ツイッターからの流入かな。誰か有名な奴が拡散して一気に広まったのかも」
 まずいな、と呟きスマホの画面を凝視している。
「なんかまずい?」
「ん? ああ。有名になり過ぎると、知り合いが見る可能性もあるだろ」
 知り合い、か。パパとママは間違いなくユーチューブなんて見ない。同級生、この場合は凪沙の同級生が見る可能性はあるけれど、見られた所で別に構わない。
「別にいいよ」
「いや、美波が良くても凪沙が迷惑だろ」
 私がポカンとしていると、ショックを受けたと勘違いした海斗くんは必死にフォローした。
「知らない間に有名人になってたら、びっくりするかなーって。凪沙って目立つの嫌いそうだし、いや、決して美波が迷惑とか、そんなんじゃなくてだな……」
 私は思わず吹き出した。そして嬉しかった。凪沙の事も考えてくれる事が、すごく嬉しかった。
「大丈夫、私たちもう八回目だよ。信頼関係で成り立ってますから」
「そ、そっか。まあ本名は出してないし、世界には似た奴が三人はいるって言うしな」
 海斗くんはバツが悪そうに残りの炒飯をかき込んだ。私は再び動画のコメント欄に目を落とす。
「悪口がすごいね……」
 十の褒め言葉よりも一個の悪口に反応してしまう。
「ああ、この世で最も低脳なやつらの批判コメントだろ? どうせ、性格も見た目も残念な奴らの集まりだ。相手にする必要なし」
 確認しなくても分かると海斗くんは言う。人生が充実している人間がこんな所に批判コメントはしない、誰にも相手にされないから構って欲しいだけだ、と。
「でも、やっぱりショックだな」
「この程度で落ち込んでたらSNSは出来ないぞ」
 やめるか、と海斗くんは確認してきたけれど、私は首を横に振った。なんか悔しい。結局その日も夕方六時、いつもの時間にいつもの下らない動画をアップした。
Twitter