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作者: 桐谷 碧
「どこにでもいるよね。人の悪口で盛り上がる人達って。なんなんだろ」
 真夏にエアコンを付けて、海鮮チゲ鍋を食べる。テレビではナイター中継が映し出されていて、海斗くんは冷えたビールで喉を鳴らす。いつもの風景。
「自分に特筆した能力がないからな、他人の欠点を探すしかない、なければ捏造する」
 エアコンは十八度に設定しているが、海斗くんの額からは汗が滲んでいた。
「なにが楽しいのかな」
「美波には分からないよ」
「海斗くんは分かるの?」
 子供扱いをされたようで少しムッとした。
「分からないね、分かりたくもない。馬鹿は嫌いなんだ。それに薄っぺらい奴らの言葉なんか響かないだろ」
 海斗くんは心底軽蔑している様子だ。
「心の声、なんじゃないかな」
 社会への不満、不平等への怒り、心の中に溜まった心痛は行き場をなくして無関係の第三者に向けられる。それは自己防衛に等しくて、ある意味では社会の平穏を保つために必要な悪意なのではないか。
「甘えだね」
 海斗くんはにべもない、もちろん自己防衛の為に赤の他人を犠牲にして良い道理はない。言い換えればそれは戦争だ。己の正義の為に戦うのであれば他人はどうなっても構わない。聖戦と言う名の暴力は、結局どちらにも不幸をもたらすのだから。
「この人達と話せないかな? 実際に合って」
「はああ、このしょうもないコメントを入れてくる奴とか?」
「うん、実際に合って話したら、また違うと思うの」
「無駄無駄、コイツラは安全な場所からしか攻撃できない、へっぽこの集まりだよ」  
 それからも動画の視聴回数はどんどん伸びていった。それに伴い悪口や誹謗中傷も増えていく。見なければ良いのに、ついつい画面をスクロールしてしまう。応援や称賛の中に混じる雑言は、まるでその文字だけ呪力を帯びたように画面の中に浮き出ていた。
「強引にとっ捕まえて話してみるか?」
 次の日の朝、そう言い出したのは海斗くんだった。少し落ち込んでいた美波を元気づけようとしているのだろう。やっぱり優しい。
「でも身元なんて、掴めるの?」
「まあやってみるよ」
 まずは誹謗中傷コメントする奴の中から、ユーチューブコメントのアカウント名と同じ名前、アイコンでツイッターをやっている奴を探して、その中から場所を特定出来そうな奴を絞る。豆にツイートしている人間なら、場所の特定や人物像、上手く行けば住んでいる駅まで特定できると海斗くんは言った。
「おっ! こいつはいいぞ、ハッシー」
 二時間以上パトロールしていた海斗くんが声を上げた。宿題をしていた私は手を止めて、ノートパソコンを覗き込む。
 
『令和のヤリマン女』
『こいつは、偏差値四十以下の馬鹿高校に通ってます』
『急にイメチェンしたのは男に媚びるため、笑』
『必死に整形&加工乙』
 
 中々の頻度でコメントをしているハッシーは、ツイッターも高頻度で更新していた。その内容から東京都豊島区の椎名町で毎晩ご飯を食べている事が分かる。場所は駅前の立ち食いそば屋が殆どで、乗せるかき揚げが毎回違う。
「ここの蕎麦屋ちょっと有名なんだよ。かき揚げの種類が豊富で、しかも美味い。俺も一度食ったことがある」
 おそらくハッシーは椎名町に住んでいる。わざわざ毎日、途中下車してまで蕎麦を食う奴がいるとは考えにくいし、会社や学校があるような駅じゃない。海斗くんは推察した。
「では、狩りに出掛けますかお嬢様」
 善は急げと、私たちはさっそくその日の夕方に椎名町に向かった。小さな駅舎には出口が二つ、蕎麦屋の反対側には小さなスーパーがある。しばらく味のある町並みをブラブラと散歩した。本当にハッシーに会えるのだろうか、会って自分は何を言うのか。少なくとも文句を言いたいわけではない。知りたいのだ、なぜそんな事をするのか。理由が、気持ちを知りたいだけだ。
『北天』の看板が目立つ立ち食い蕎麦屋は、扉も無いので店内が丸見えだ。店内と言っても駅の立ち食い蕎麦屋のように、カウンターがあるだけの小さなスペースは、五人も入れば満員になってしまう。道路にはみ出して木のテーブルが三つ並べてあり、そこで食べる事も可能なようだ。私たちはその向かいにある駅前のベンチに座り、自動車工場の部品のように流れていく客を眺めていた。
 二十時十三分。ハッシーのツイートが更新された。私たちが顔を上げると。北天のカウンターでスマートフォンを操作しているのは一人だけ。私たちは席を立ち、かけそばを二つ頼むと、ツイートされた春菊の天ぷらを乗せた蕎麦を啜っている、三十代と思しきサラリーマンの横に並んだ。私は、事前に言われた通りハッシーのツイッターにコメントする。
『春菊の天ぷら美味しそうですね』
 ハッシーらしき男のスマホが震えた。コメントが来たら通知が届くように設定しているようだ。男は蕎麦をすすりながらスマホをイジると、満足そうに頷いた。
「美波! つけるぞ」
 蕎麦屋を出ると海斗くんが足早に男を追っていく。なんだかすごく楽しそうだ。
「ねえ、本当にあの人なの?」
 私も小走りで横に並ぶ。
「ツイッターを確認した時のアイコンがハッシーだった」
 ピンクの丸に白抜きでハッシーと書かれたロゴは確かに目立つので、見間違うと言う事はないだろう。男は住宅街をどんどん進んでいった。暗い道を重い足取りで前に進む、私達は五メートル程距離を取っているが、後ろを振り向かれたらすぐにバレる。しかし、小太りの男はまるで気にする素振りがない。
「ハッシーさんこんにちは」
 急に海斗くんが声をかけた。男は肩がビクッと震えてこちらに振り返る。少し頭皮が薄いが、何の特徴もない普通の男性だった。この人からあんなコメントが発せられているとは想像ができない。
「だ、だれだあんた」
 狼狽しているハッシーの顔面を、海斗くんは無造作に掴んだ。あまり力を加えているように見えないが、ハッシーは両手を使って海斗くんの手を外そうとしている。
「ちょ、ちょっと、ちょっと海斗くん何してるの」
 私の言葉を無視して、海斗くんはハッシーに向かって囁いた。
「騒ぐな、騒いだら殺す、分かったな」
 ハッシーは無言でウンウンと頷いている。海斗くんがやっと手を離した、こんな強引な手段に出るとは聞いていない。
「一人暮らしか?」
「は、はいそうですけど、あなた一体」
「ここじゃ目立つ、お前の家に上げろ」
「はあ、嫌です――」 
 言い終える前に再び顔面を無造作に掴んでギリギリと締め上げている。ハッシーは言葉が出ないのか、右手でオッケーのサインを出した。
 
「この家は土足か?」
「ち、違いますよ、靴脱いでください」
 海斗くんの気持ちも分かる。古い木造アパートの二階にあるハッシーの部屋は、ホコリ一つ無い海斗くんの家とは真逆で、あらゆる汚れを一手に引き受けたような部屋だった。狭い三和土に靴を脱いでつま先歩きで部屋の中にお邪魔する。部屋と言っても六畳程のワンルームは、敷きっぱなしの布団と小さなテーブルが有るだけで、大人が三人入ると息が詰まりそうで、私は勝手に窓を開けた。
「俺たちが誰だか分からないのか?」 
 ハッシーは敷きっぱなしの布団の上に正座している。テーブルを挟んで私と海斗くんが向き合っていて、もはや汚れるのを覚悟したように胡座をかいた海斗くんの質問にハッシーが反応する。そこで初めて私と視線が合った。
「え、あれ、ホシミナ?」
 やっと気が付いてくれたようだ。しかしその顔は青ざめていて具合が悪そうだ。自分が隠れた所から誹謗中傷している相手が目の前に現れたら、みんなこんな感じの反応を示すのかも知れない。
「うちのお嬢が、貴様のような下民と話がしたいとおっしゃっている。正直に何でも答えろ。危害を加えるつもりはない」
 ハッシーのこめかみにはすっかり指の跡が付いているが、海斗くんは危害は加えないとシレっと言ってのけた。
「武士の情けだ、こいつを被れ」
 海斗くんがポケットから目出し帽を取り出すと、ハッシーに投げつけた。
「え、なんですかコレ?」
 その質問には答えずに、海斗くんはスマホを美波に向けた、短く深呼吸する。
「どーもー、ホシミナチャンネルのホシミナでーす。今日は初めてのライブ中継を、ゲストを交えてお送り致しまーす」
 ハッシーは状況が把握できていないのだろう、唖然としているが私は構わずに続ける。
「今日のゲストは、毎日欠かさず誹謗中傷のコメントをしてくれるハッシーさんでーす」
 ライブ中継の予告はしていたので、千人以上の視聴者がいる。コメントも次々に流れていて、全て読み上げるのは不可能だった。海斗くんがカメラをハッシーに向けた。
 
『うお、ハッシーキモッ』
『キモリーマン笑』
『ハッシーこめかみ何で赤いの?』
 
 視聴者がすぐに反応する、自分が置かれている状況にやっと気が付いたハッシーが急いで目出し帽を被った。
 
『ハッシーもう遅え笑』
『なんか喋れハッシー』
『ぜってーヤラセだろコレ』
 
 カメラが私に戻ってくる。
「それでは、これまでにハッシーさんから送られてきた誹謗中傷の数々を、一部紹介したいと思います。コイツはヤリマン女、偏差値四十以下、金の亡者、来週殺しに行きます、ソープのホームページに載っていた等、事実とは異なる内容や、殺害予告など様々なコメントが寄せられています」
 
『まじでハッシークズ』
『実在したクソ野郎』
『よく捕まえたホシミナ』
『ところで誰が撮影しているんだ』
『部屋きたねえー、ホシミナが汚れる。悲』
 
 ここで私は立ち上がると、ハッシーの横に正座した。画角には二人の姿が映し出されているはずだ。
「はじめまして、ハッシーさん、これらのコメントなんですが事実とは異なる内容が含まれています、どういう事なんでしょうか?」
 マイクを持っていないので、グーにした拳をハッシーの口元に持っていった。しかし何やらぶつぶつ呟いているだけで要領を得ない。
「ヤリマン女とありますが、情報源はなんでしょうか?」
「……」 
「偏差値が四十以下だという根拠は?」
「……」
「来週殺しに行くというのは、殺害予告と受け取ってよろしいですか?」
「――がう」
「え?」
「ちがうんです、すみませんでした、すみませんでした」
 急にカメラに向かって土下座を始めた。謝るならば自分にだろうと思ったが口にはしなかった。海斗くんは楽しそうにカメラを向けている。
「あの、謝罪して頂きたい訳じゃないんです。ハッシーさんがどうしてこういったコメントを上げて、会ったこともない人間を傷つけようとするのか、それが知りたいんです」
 ハッシーはその質問には答えずに、ひたすら土下座をしている。視聴者数はいつの間にか三千人を超えてコメントも次々に流れてくる、その殆どがハッシーへの誹謗中傷だった。
「残念ですがハッシーさんの体調が優れない様なので、初めてのライブ中継はここで終わらせて頂きます。ただ、この様なコメントをするのは彼だけではありません、次はあなたのお家に伺うかも知れませんので、その際は先程の答えを用意して貰えると助かります、それではサヨウナラー、イェイイェイ」
 海斗くんがスマホをテーブルの上に置いた。ハッシーの横から正面に移動すると啜り泣く声が聞こえてくる。
「ううう、なんで、俺が……」 
 ガシャーンと激しい衝撃音が響いたかと思うと、目の前にあった小さなテーブルがハッシーの後ろの壁に叩きつけられた。海斗くんが座ったまま足の裏で蹴っ飛ばしたようだ。
「自業自得だろうが、さっさと質問に答えろカス」
 本当に海斗くんは私以外の人間に厳しい、と言うより怖い。
「あのう、本当に怒ってる訳じゃなくて、理由を聞きたいんです、顔を上げてください」
 ハッシーが顔を上げると目出し帽の奥から潤んだ瞳をこちらに向けた。警察の取り調べでは怒り役と宥め役に分かれるらしいが、今まさにその状況が自然と出来上がっていた。
「無意識なんです……」
 蚊の鳴くような声で呟いた。   
「無意識……ですか?」
 意味が分からずに聞き返してしまった。
「願望かも知れません……」
 テレビで成功している芸能人、スポーツ選手、大企業の社長、最近では有名なユーチューバーなどに直接コンタクトを取れるのが、現代社会のメリットでありデメリットだ。ハッシーは自分よりも年下の人間が成功しているのを目の当たりにすると、何か欠点があるはずだ、完璧な人間などいるはずがない、もしもないのであればそれはあまりに不公平ではないか、と涙ながらに訴えだした。
「自分も成功するように頑張ろうって、発想にはならないんですか?」
 素朴な疑問だった。例えば自分よりもソフトボールが上手い選手がチームにいるとする、その選手を誹謗中傷した所で自分がレギュラーになれる訳じゃない。まったく意味のない行為に思えた。 
「だーかーらー、美波には分からないって言っただろ」
 海斗くんが口を挟んでくる、でも確かに分からなかった。 
「あなた達みたいに、容姿がいい人には分かりませんよ、人は生まれた瞬間から人生が決まっているんです……」
 海斗くんは腹を抱えて笑っているが、私には少しだけ理解が出来た。努力や根性では越えることの出来ない壁が人にはある。その高さはマチマチで、ある人は簡単に飛び越える事が出来るような低い壁も、ある人にとっては絶望的な高さになる。人はみんな自分の物差しを持っていて、それは長さも形もバラバラだから、他人の事は測れないし、測れないから理解もできない。
「もう行こうぜ、コイツと話しても時間の無駄だよ」
 立ち上がろうとする海斗くんを制して、思いつきのセリフを口にした。
「ハッシーと友達になろう」
 あ、これ、すごく良いアイデア。
「はあああ! 何でこんな奴と」
「海斗くん、お願い」
 上目遣いでお願いする。最近気がついた事だが、海斗くんは私のお願いを断ったことがない。ブツブツ文句を言いながらも、最終的にはお願いを聞いてくれる。ハッシーはそのやり取りを呆然と眺めていた。
「別に良いけど、何すりゃ良いんだよ」
 海斗くんは再びその場に胡座をかいた。
「まずはハッシーの悩みを聞こう、ね、ハッシー」
「はぁ……」
 ハッシーは以外にもすんなりと私の提案を受け入れて、悩みを吐露しだした。今年で三十三歳のハッシーは入社十年目、印刷会社で営業をしているらしい。しかし話すことが苦手なハッシーの成績はいつもドベ、上司や社長から毎日の様に叱責される日々で、ストレスが限界に達していると言う。そんな中での発散方法が、赤の他人に対する誹謗中傷というわけだ。
「なんて会社だよ」
 海斗くんの質問にハッシーは名刺を渡して答えた。名刺を確認しながらスマホで何やら調べている。 
「なんだこりゃ、しがみつく様な会社じゃねーだろ」
 名刺をその場に投げ捨てた。
「お前なんかどこに行っても通用しない、給料泥棒を雇ってる会社に感謝しろって」
 そんな事を面と向かって言う人間が本当にいるのか、企業で働いた事がない私には分からなかった。
「ふん、部下が仕事できない事が、自分の無能さだと気がつかない典型的な馬鹿上司だな。辞めちまえよ、そんな会社」
「でも、辞めたら生活が出来ません」
 小さな世界で苦しむハッシーは、学校が全てだと思い込んで自殺する中高生と同じだった。
「もう会社にも行けません。ホシミナのライブで顔が出ちゃって……、うう、もうダメだ。終わりです、詰みました。なんで、なんでこんな事するんですか? あなた達どう見ても成功者じゃないですか、それなのにまだ、まだ奪い足りないんですか?」
「いや、私たちは別に……」
「良いじゃないですか! 悪口を書き込まれるくらい。見なければ、それで済むじゃないですか! 僕なんて、僕なんて、ずっと面と向かって悪口言われて。暴力振るわれて生きてきて。パシリにされて。それでもずっと我慢して、我慢して。やっと人並みの生活を手に入れたんですよ! それを奪って楽しいですか。あなた達みたいに恵まれた人が僕の気持ち? 分かるわけ無いでしょ! 帰ってください。もう、帰ってくださいよ……」
 ハッシーは布団に突っ伏して泣き出した。胸の奥がズキンと痛む。流石にライブ配信は軽率だったと反省する。
「分からねえよクズ。さ、帰ろうぜ美波」
 海斗くんは鋼のメンタルだった。
「そうだ! 雇ってあげなよ。海斗くんならハッシーを使いこなせるでしょ? うん、部下の能力は上司の力量だもんねー、ね?」
 名案を思いついた様に提案したけれど、海斗くんはあからさまに嫌そうな顔をしている。
「海斗くんならできるよね?」
 斜め下から上目遣いで見つめると、海斗くんは目を逸らす。
「ま、まあな」
「い、良いんですか? 兄貴」
 ハッシーの顔がパッと明るくなる、良かった。
「だれが兄貴だ」
 海斗くんはハッシーに会社を辞める際、残業代の未払い、パワハラの数々を労働基準監督署に訴えない条件として、会社都合の退社にするようアドバイスした。自己都合退社と違い雇用保険がすぐに入るらしい。九ヶ月はその保険で凌いで、その間に海斗くんの仕事に必要なスキルを学ばせると言う事だ。何度も頭を下げるハッシーの家を後にして、私たちは帰り道を二人並んで歩いた。今日は綺麗な満月だ。
「ねえねえ、海斗くん」
「ん?」
「ありがとう、いつも私の我儘聞いてくれて」
「まあ、今に始まった事じゃない」
「お礼したいな」
 与えてもらうばかりじゃ申し訳ない、自分も何か差し出せるものは無いのだろうか。思いつかないのが悲しい。
「もう、たくさん貰ってるよ」
 美波にだけ向ける、優しい眼差しで見つめられた。普通ならこんな時にキスして、抱きしめて、そして……。一人脳内妄想していても、海斗くんはどこ吹く風だ。大股でスタスタと駅に向かって歩いて行く。私はその背中をまた、小走りで追いかけていった。真横じゃなくて、少しだけ斜め後ろ。ここが私のお気に入り。
 
 ねえ、海斗くん。
 君を私だけのものにしたい。
 私だけを見て欲しい。
 そんな我儘を考えるようになったよ。
 でも、それは絶対に叶わない夢。
 君が美波を好きになるほど、私の夢は遠ざかる。 
 いくら手を伸ばしても届かない月のように。

 私の想いは届かない――。
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