侮蔑の魔女 4
自分がいま目にしている光景が信じられなかった。いつも優しいアレシアとレシファーが、あんなに殺意に満ちた表情で、迫りくる魔獣たちを蹴散らしていく。
最初にアレシアに会った時、なんて綺麗な人なんだろうと子供心に思った。その前に夢で見たというのもあるけれど、どこか懐かしい感じがして離れたくないと、純粋にそう願った。
それからの二年間は、毎週末が楽しみで仕方なかった。
アレシアとレシファーに会っていろいろ話したり、ご飯食べたりして過ごす。特に何かをしていたわけじゃない。
ごくごく普通で、それでいて僕にとっての非日常だった。
アレシアは魔女でレシファーは悪魔。それは前からぼんやりと分かってはいたけど、僕にとってはどうでも良かった。
僕にとって大事なのは、二人が二人であるという事実だけだった。
二年前から夢は見続けている。そのどれもがアレシアに関する夢。いつも夢の中の彼女は悲しそうで、それでも無理矢理笑っていた。
そんな彼女が今、膝から崩れ落ちた。そしてアレシアとレシファーに、敵の魔女が近づいてくる。
僕は小屋の窓からそれを見守るしかなかった。アレシアには、何があっても出てきてはいけないと言われていたから……
エステルが思いっきりアレシアを蹴っ飛ばした。
それを見た瞬間、頭に血が昇るのを感じた。動悸がして体中が熱くなるような感覚。
今すぐにでも飛び出して、あの女をボコボコにしてやろうと意気込んだ時、不意に頭の中に声がする。
「そのまま出て行って、何かできるのかい?」
それは頭の中に響く。そしてその声には聞き覚えがあった。
「貴方は……夢でいつも僕に語りかける声、ですよね?」
「そうだ。君にアレシアの夢を見せ続けたのは俺だよ」
夢を見せる男の声は、とても暖かく優しく僕の脳内に響く。
「俺はアレシアとは浅からぬ縁があってね、勿論君ともね。だから接触させようとしていたのさ」
声だけの男は夢の理由を説明してくれたが、今はそれじゃない。
今知りたいのはそれじゃない!
「僕はどうしたら良いですか?」
僕が今知りたいのは、どうしたらアレシアを護れるかということだけだった。
「簡単だよ、願えばそれで良い。他の人ではできないけれど、この場で唯一の人間である君なら、それでそれに応じた武器が見つかるさ」
「本当にそれだけで良いんですか?」
「ああ、それだけで良い。それとついでに君の勘違いを解いておこう」
頭の中の声はさっきより大きく響く。
「良いかい? 魔法は魔女の専売特許じゃないんだ、人間にだって魔法は使える。ただその機会を与えられていないだけだ。魔女と人間の明確な差は、魔法の回数とその機会の有無だけだ」
「どういう意味?」
「難しく考えなくていいよ。単純にこの世界は、想いがそのまま強さに変わる空間だと思えばいい。だから願え! その願いが君を救うだろう」
僕は男の声に素直に従って強く願う。アレシアを護り、この残酷な役目から解き放ちたいと強く願った。
「良い感じだ、これが魔法だよ。人間が使えるのは一生に一度だけどね」
男の声が頭の中でガラスを割るみたいに砕け散ったかと思うと、両手にはずっしりとした重さを感じた。
耳にアレシアを罵倒するあの女の声が聞こえ、顔を上げて窓から外を覗くと、倒れているアレシアに向かってナイフを振り被っていた。
「やめろ!」
僕は無意識に体が動き、ドアを蹴り開けて外に出る。そのままの勢いで両手に持った“盾”を思い切り振り被り、ナイフを構えたままのエステルを殴り飛ばした。
いつまで経ってもナイフが私に降りてこない。そしてさっきの声は……エリック?
「エリック!」
目を開け、首を動かして前を見ると、エステルは派手に吹っ飛んでいて、エリックの手には巨大な盾が握られていた。
あの盾はいったい……いや、それよりも!
「エリック! 危ない!」
エリックは私の声に反応して盾を構える。その直後、エステルが放った人の頭と同じ程度の大きさの火弾が盾に防がれる。
私達魔女であればあんなもの攻撃にもならないが、人間であるエリックは違う。
あんなサイズの火弾が当たればひとたまりもない。
肝が冷えた私は、自分の体が動かせることに気が付いた。どうして? あれからそんなに時間も経っていないはずなのに……
「酷いことするわね坊や。レディに向かってそんなもの振り回すなんて」
エステルは先ほどのダメージが残っているのか、緩慢に立ち上がる。それにあわせて私とレシファーも立ち上がってみせた。
「もう呪詛の拘束は無いわ。その魔法、強すぎると思ったけれどしっかりと欠点も存在するみたいね」
「ちっ! さっき咄嗟に魔法を使ってしまったから……」
エステルは自身の失態を呪うように顔を押さえる。
「さっきの呪詛、あれを発動している間は他の魔法は使えないのでしょう? だから自身が極力戦わなくても済むように、あれだけの数の魔獣に強化を施した。いま思い返せば、呪詛を発動させてからは、一度も魔法は使っていなかったものね……さっきまでは」
エステルにとってもエリックの参戦は完全に想定外、しかも咄嗟に魔法を使ってしまう程危険を感じたのだ。
死角からいきなりあんな重そうな盾で殴られたら、誰だって身の危険を感じて当然だ。
「それで……形勢逆転なのだけど、貴女はどうするつもりなのかしら? 侮蔑の魔女さん?」
私はゆっくりとした足取りで、しかし確実にエステルに向かって進んでいく。
「来るな!」
エステルは顔を醜く歪ませながら、エリックに飛ばした火弾を放つ。
そんなものが私に通用すると思っているのかしら?
火弾が届く一歩手前で、私の魔力が火弾をかき消す。
「さっき貴女が言ってたじゃない? 私が“追憶の魔女”だなんて呼ばれた所以。そんな私相手に、そんな低級魔法が本当に効くとでも思っているの?」
怯えた表情で後ずさるエステルとの距離を、徐々に縮めていく。後ろを振り返ると、レシファーがエリックの目と耳を覆っていた。
本当に気が利く悪魔ね、レシファーは。
「これでなんの気兼ねなく、貴女を殺せるわ! エステル」
私が右手をエステルに向けて魔力を込めると、木のツタ達が全方位からエステルを取り囲む。あとは私が合図すれば一斉に串刺しにするだろう。
「何か言い残すことは?」
私はエステルの目をじっくりと見つめると、あることに気が付いた。
先ほども感じた違和感、正気ではない気がした。
この結界の中では想いが強く影響する。キテラが自身の憎しみの最大化を図り、そういう要素をこの空間に取り入れたのは知っている。
要するに自分の中のもっとも強い感情を最大化する空間、それが彼女の場合は侮蔑、呪いだったのでしょう。だから……
「殺す殺す殺す殺す!」
エステルは時折奇声を混ぜながら、壊れた人形のように同じ呪詛を吐き続け、まともに会話もできない。
「もう……見てられないわ」
私が合図をすると、木のツタ達は一斉にエステルに襲い掛かり、彼女の全身を貫いた。
エステルの亡骸から大量の血が吹き出し、辺りを血の海に変える。
本当ならこの後、エステルが契約している悪魔を探さなければいけないのだけど、その必要はなさそうね。
彼女の扱う魔法は、せいぜい呪詛ぐらいのもの。呪詛は強力で下準備が大変だが、悪魔と契約して強化されるような魔法ではない。
それは魔獣の強化も同様だ。つまり彼女は悪魔と契約をしないで、キテラに見染められた魔女だ。ある意味他の魔女よりも優秀だったのでしょうね。
「レシファー、もう良いわよ離しても」
「はいアレシア様。私はかたずけでもしておくので、エリックとちゃんと話してください」
レシファーはそう言って魔獣の死体を運び始めた。あの細腕で軽々と魔獣を抱える姿は違和感しかないが、悪魔である彼女にとっては余裕そうだった。
「エリック、ちょっと中で話をしましょう」
私は、震えるエリックの背中を押して部屋に連れて行った。
最初にアレシアに会った時、なんて綺麗な人なんだろうと子供心に思った。その前に夢で見たというのもあるけれど、どこか懐かしい感じがして離れたくないと、純粋にそう願った。
それからの二年間は、毎週末が楽しみで仕方なかった。
アレシアとレシファーに会っていろいろ話したり、ご飯食べたりして過ごす。特に何かをしていたわけじゃない。
ごくごく普通で、それでいて僕にとっての非日常だった。
アレシアは魔女でレシファーは悪魔。それは前からぼんやりと分かってはいたけど、僕にとってはどうでも良かった。
僕にとって大事なのは、二人が二人であるという事実だけだった。
二年前から夢は見続けている。そのどれもがアレシアに関する夢。いつも夢の中の彼女は悲しそうで、それでも無理矢理笑っていた。
そんな彼女が今、膝から崩れ落ちた。そしてアレシアとレシファーに、敵の魔女が近づいてくる。
僕は小屋の窓からそれを見守るしかなかった。アレシアには、何があっても出てきてはいけないと言われていたから……
エステルが思いっきりアレシアを蹴っ飛ばした。
それを見た瞬間、頭に血が昇るのを感じた。動悸がして体中が熱くなるような感覚。
今すぐにでも飛び出して、あの女をボコボコにしてやろうと意気込んだ時、不意に頭の中に声がする。
「そのまま出て行って、何かできるのかい?」
それは頭の中に響く。そしてその声には聞き覚えがあった。
「貴方は……夢でいつも僕に語りかける声、ですよね?」
「そうだ。君にアレシアの夢を見せ続けたのは俺だよ」
夢を見せる男の声は、とても暖かく優しく僕の脳内に響く。
「俺はアレシアとは浅からぬ縁があってね、勿論君ともね。だから接触させようとしていたのさ」
声だけの男は夢の理由を説明してくれたが、今はそれじゃない。
今知りたいのはそれじゃない!
「僕はどうしたら良いですか?」
僕が今知りたいのは、どうしたらアレシアを護れるかということだけだった。
「簡単だよ、願えばそれで良い。他の人ではできないけれど、この場で唯一の人間である君なら、それでそれに応じた武器が見つかるさ」
「本当にそれだけで良いんですか?」
「ああ、それだけで良い。それとついでに君の勘違いを解いておこう」
頭の中の声はさっきより大きく響く。
「良いかい? 魔法は魔女の専売特許じゃないんだ、人間にだって魔法は使える。ただその機会を与えられていないだけだ。魔女と人間の明確な差は、魔法の回数とその機会の有無だけだ」
「どういう意味?」
「難しく考えなくていいよ。単純にこの世界は、想いがそのまま強さに変わる空間だと思えばいい。だから願え! その願いが君を救うだろう」
僕は男の声に素直に従って強く願う。アレシアを護り、この残酷な役目から解き放ちたいと強く願った。
「良い感じだ、これが魔法だよ。人間が使えるのは一生に一度だけどね」
男の声が頭の中でガラスを割るみたいに砕け散ったかと思うと、両手にはずっしりとした重さを感じた。
耳にアレシアを罵倒するあの女の声が聞こえ、顔を上げて窓から外を覗くと、倒れているアレシアに向かってナイフを振り被っていた。
「やめろ!」
僕は無意識に体が動き、ドアを蹴り開けて外に出る。そのままの勢いで両手に持った“盾”を思い切り振り被り、ナイフを構えたままのエステルを殴り飛ばした。
いつまで経ってもナイフが私に降りてこない。そしてさっきの声は……エリック?
「エリック!」
目を開け、首を動かして前を見ると、エステルは派手に吹っ飛んでいて、エリックの手には巨大な盾が握られていた。
あの盾はいったい……いや、それよりも!
「エリック! 危ない!」
エリックは私の声に反応して盾を構える。その直後、エステルが放った人の頭と同じ程度の大きさの火弾が盾に防がれる。
私達魔女であればあんなもの攻撃にもならないが、人間であるエリックは違う。
あんなサイズの火弾が当たればひとたまりもない。
肝が冷えた私は、自分の体が動かせることに気が付いた。どうして? あれからそんなに時間も経っていないはずなのに……
「酷いことするわね坊や。レディに向かってそんなもの振り回すなんて」
エステルは先ほどのダメージが残っているのか、緩慢に立ち上がる。それにあわせて私とレシファーも立ち上がってみせた。
「もう呪詛の拘束は無いわ。その魔法、強すぎると思ったけれどしっかりと欠点も存在するみたいね」
「ちっ! さっき咄嗟に魔法を使ってしまったから……」
エステルは自身の失態を呪うように顔を押さえる。
「さっきの呪詛、あれを発動している間は他の魔法は使えないのでしょう? だから自身が極力戦わなくても済むように、あれだけの数の魔獣に強化を施した。いま思い返せば、呪詛を発動させてからは、一度も魔法は使っていなかったものね……さっきまでは」
エステルにとってもエリックの参戦は完全に想定外、しかも咄嗟に魔法を使ってしまう程危険を感じたのだ。
死角からいきなりあんな重そうな盾で殴られたら、誰だって身の危険を感じて当然だ。
「それで……形勢逆転なのだけど、貴女はどうするつもりなのかしら? 侮蔑の魔女さん?」
私はゆっくりとした足取りで、しかし確実にエステルに向かって進んでいく。
「来るな!」
エステルは顔を醜く歪ませながら、エリックに飛ばした火弾を放つ。
そんなものが私に通用すると思っているのかしら?
火弾が届く一歩手前で、私の魔力が火弾をかき消す。
「さっき貴女が言ってたじゃない? 私が“追憶の魔女”だなんて呼ばれた所以。そんな私相手に、そんな低級魔法が本当に効くとでも思っているの?」
怯えた表情で後ずさるエステルとの距離を、徐々に縮めていく。後ろを振り返ると、レシファーがエリックの目と耳を覆っていた。
本当に気が利く悪魔ね、レシファーは。
「これでなんの気兼ねなく、貴女を殺せるわ! エステル」
私が右手をエステルに向けて魔力を込めると、木のツタ達が全方位からエステルを取り囲む。あとは私が合図すれば一斉に串刺しにするだろう。
「何か言い残すことは?」
私はエステルの目をじっくりと見つめると、あることに気が付いた。
先ほども感じた違和感、正気ではない気がした。
この結界の中では想いが強く影響する。キテラが自身の憎しみの最大化を図り、そういう要素をこの空間に取り入れたのは知っている。
要するに自分の中のもっとも強い感情を最大化する空間、それが彼女の場合は侮蔑、呪いだったのでしょう。だから……
「殺す殺す殺す殺す!」
エステルは時折奇声を混ぜながら、壊れた人形のように同じ呪詛を吐き続け、まともに会話もできない。
「もう……見てられないわ」
私が合図をすると、木のツタ達は一斉にエステルに襲い掛かり、彼女の全身を貫いた。
エステルの亡骸から大量の血が吹き出し、辺りを血の海に変える。
本当ならこの後、エステルが契約している悪魔を探さなければいけないのだけど、その必要はなさそうね。
彼女の扱う魔法は、せいぜい呪詛ぐらいのもの。呪詛は強力で下準備が大変だが、悪魔と契約して強化されるような魔法ではない。
それは魔獣の強化も同様だ。つまり彼女は悪魔と契約をしないで、キテラに見染められた魔女だ。ある意味他の魔女よりも優秀だったのでしょうね。
「レシファー、もう良いわよ離しても」
「はいアレシア様。私はかたずけでもしておくので、エリックとちゃんと話してください」
レシファーはそう言って魔獣の死体を運び始めた。あの細腕で軽々と魔獣を抱える姿は違和感しかないが、悪魔である彼女にとっては余裕そうだった。
「エリック、ちょっと中で話をしましょう」
私は、震えるエリックの背中を押して部屋に連れて行った。