残酷な描写あり
第7回 明日に備える 昨日を探る:4-1
「本当にいいの? 別にトシュに付き合わなくたっていいんだよ」
気遣わしげなことを言うジョイドに、セディカはいささか非難がましい目を向けた。
「ジョイドだって随分熱心だったじゃない」
錦鶏を意識した豪奢な巫女服をセディカは身にまとっていた。正面から見ればあざやかな紅だが、身頃の背中は孔雀色、スカートの後ろは向日葵色、たっぷりとした袖の先は瑠璃色だ。ベールは上が金色で、裾に近づくに従って火のようなオレンジ色になっていく。セディカが着ている服を、着ているまま直接、トシュが変えたのだ。
こうした巫女服がどこかの文化圏に存在しているわけではなくて、それらしいデザインを主にジョイドが考えたにすぎない。巫女服をイメージしたドレスと思った方がよさそうだ。あれだけ細々と口出ししておいて、トシュのことだけ言うのはいかがなものか。
とはいえ、恥ずかしくはあっても不快ではないのは、着せ替えで遊ばれているようには感じなかったからだろう。ジョイドの関心は明らかに、セディカに似合うかどうかという点にはなかった——錦鶏を髣髴とさせながら、見る者を圧倒するための派手さと、畏敬の念を起こさせるための厳かさとを、いかにバランスを取りつつ実現させるか、に集中していた。
「中途半端なことをやっても仕方ないからね」
何も疚しいところがない証明のように、ジョイドは至って軽く答えた。こちらはこちらで訳ありげな朱塗りの小箱を携えている。模様に凝ってはいないけれども、控えめにしておこうという意見はジョイドのものだ。
狩りをしている太子をみつけたとて、気軽に呼び止められるわけではあるまい。小さい国であるからといって、即ち王族と庶民の距離が近いというものではない。それに、太子は供を連れているだろうが、まずは他人の耳に入れずに太子だけに話したいところだ。偽の国王にうっかり伝わってしまっても面倒だし、真の国王の最期を太子は隠したいと思うかもしれない。素性の知れない方士を信用した結果、殺されてすり替わられた事実が、国内や国外や後世にまで知れ渡ってしまってはあまり嬉しくないだろう。
そうした懸念をつらつらと並べたトシュは、一芝居打つぞ、と最後に口の端を上げたのである。即ち、この巫女服は芝居のための衣装なのだ。太子に話を聞かせるため、それも余人を遠ざけて太子一人に聞かせるための。
「……罰が当たったりしない? 寺院で、その……」
嘘を吐くなんて、と口にしてしまうのは何だか怖くて途切れたものの、言わんとするところは伝わったのだろう。ジョイドはにこりとする。
「悪戯をしようっていうんじゃないからね。堂々としててよ」
昨夜の夢で故人からの呼びかけを聞いたので、死者の平安を祈って神琴の演奏を奉納したい——という風に話を持っていって、一行は寺院に留まっているのだった。誤魔化しがあるのは後ろめたいけれども、長居することになりそうだから、とも言えない。長居することになりそうな事情を、太子を差し置いて先に院主に話すわけにもいくまい。
午後から始めるということに自然と決まり、それまでは本堂で祈りを捧げていたいという希望も容れられ、儀式の後はもう一晩泊まらせてもらう約束がいつの間にか取りつけられていくのを横で聞きながら、セディカは段々、妖怪云々よりもこの舌先の方がよほど恐ろしいような気がしてきていた。一日がかりの大仕事というわけでもないのだから、午前中に終わらせて昼前に発つことも、本当はできそうなものなのだ。快く了承した院主も、神の使徒としての務めを果たしているというより、ひょっとしたら単にジョイドに乗せられているのではあるまいか。
ともあれ、そこまで話がつくと、トシュは太子を捜しに出ていった。セディカとジョイドは寺院の本堂で、その帰りを待っているところである。それは取りも直さず、太子の訪れを待っているということだ。小国とはいえ、一国の王位継承者の。……あまり考えないことにしよう、緊張が増すだけだ。
「それに、君は俺らに付き合わされてるだけだもの。もし怒られることになったって、責任があるのは俺らだから大丈夫」
ジョイドはおもむろに進み出ると、奥の壁に、向かって右に、向かって左にと、謝罪のつもりか順に礼をした。飾ってある神像は配祀神のものばかりで、中央は〈黄泉の君〉を拝する場としてぽっかりと空いている。恐るべき冥府の主神は、その姿を象られることはない。
「死者は等しく〈冥府の女王〉の臣下——でも、恨みや未練に引きずられてこの世に残っていたんじゃ、〈女王〉の庇護を受けられない。恨みを晴らして心が晴れて、王様がちゃんとあの世へ行けるようなら、〈女王〉の御心にも適うと思うよ。そのためならこのくらいの方便は大目に見てくれるんじゃないかな」
そこまで言って、ジョイドは扉へ目を向けた。顔つきが変わったことに気づいて、息を呑んでセディカも振り返る。心臓の鼓動が急に強まって、喉が詰まりそうになった。
さほど間を置かず、開いたままの扉から、一匹の鼠が駆け込んできた。
「いいぜ、始めろ」
鼠はほんの一秒ばかり人間の姿に戻ると、セディカの前でパチンと指を鳴らして、ジョイドが蓋をずらした小箱に吸い込まれるように消えた。
指の音を聞いた瞬間からセディカはすっと落ち着いて、来るべき太子を待ち受けた。
気遣わしげなことを言うジョイドに、セディカはいささか非難がましい目を向けた。
「ジョイドだって随分熱心だったじゃない」
錦鶏を意識した豪奢な巫女服をセディカは身にまとっていた。正面から見ればあざやかな紅だが、身頃の背中は孔雀色、スカートの後ろは向日葵色、たっぷりとした袖の先は瑠璃色だ。ベールは上が金色で、裾に近づくに従って火のようなオレンジ色になっていく。セディカが着ている服を、着ているまま直接、トシュが変えたのだ。
こうした巫女服がどこかの文化圏に存在しているわけではなくて、それらしいデザインを主にジョイドが考えたにすぎない。巫女服をイメージしたドレスと思った方がよさそうだ。あれだけ細々と口出ししておいて、トシュのことだけ言うのはいかがなものか。
とはいえ、恥ずかしくはあっても不快ではないのは、着せ替えで遊ばれているようには感じなかったからだろう。ジョイドの関心は明らかに、セディカに似合うかどうかという点にはなかった——錦鶏を髣髴とさせながら、見る者を圧倒するための派手さと、畏敬の念を起こさせるための厳かさとを、いかにバランスを取りつつ実現させるか、に集中していた。
「中途半端なことをやっても仕方ないからね」
何も疚しいところがない証明のように、ジョイドは至って軽く答えた。こちらはこちらで訳ありげな朱塗りの小箱を携えている。模様に凝ってはいないけれども、控えめにしておこうという意見はジョイドのものだ。
狩りをしている太子をみつけたとて、気軽に呼び止められるわけではあるまい。小さい国であるからといって、即ち王族と庶民の距離が近いというものではない。それに、太子は供を連れているだろうが、まずは他人の耳に入れずに太子だけに話したいところだ。偽の国王にうっかり伝わってしまっても面倒だし、真の国王の最期を太子は隠したいと思うかもしれない。素性の知れない方士を信用した結果、殺されてすり替わられた事実が、国内や国外や後世にまで知れ渡ってしまってはあまり嬉しくないだろう。
そうした懸念をつらつらと並べたトシュは、一芝居打つぞ、と最後に口の端を上げたのである。即ち、この巫女服は芝居のための衣装なのだ。太子に話を聞かせるため、それも余人を遠ざけて太子一人に聞かせるための。
「……罰が当たったりしない? 寺院で、その……」
嘘を吐くなんて、と口にしてしまうのは何だか怖くて途切れたものの、言わんとするところは伝わったのだろう。ジョイドはにこりとする。
「悪戯をしようっていうんじゃないからね。堂々としててよ」
昨夜の夢で故人からの呼びかけを聞いたので、死者の平安を祈って神琴の演奏を奉納したい——という風に話を持っていって、一行は寺院に留まっているのだった。誤魔化しがあるのは後ろめたいけれども、長居することになりそうだから、とも言えない。長居することになりそうな事情を、太子を差し置いて先に院主に話すわけにもいくまい。
午後から始めるということに自然と決まり、それまでは本堂で祈りを捧げていたいという希望も容れられ、儀式の後はもう一晩泊まらせてもらう約束がいつの間にか取りつけられていくのを横で聞きながら、セディカは段々、妖怪云々よりもこの舌先の方がよほど恐ろしいような気がしてきていた。一日がかりの大仕事というわけでもないのだから、午前中に終わらせて昼前に発つことも、本当はできそうなものなのだ。快く了承した院主も、神の使徒としての務めを果たしているというより、ひょっとしたら単にジョイドに乗せられているのではあるまいか。
ともあれ、そこまで話がつくと、トシュは太子を捜しに出ていった。セディカとジョイドは寺院の本堂で、その帰りを待っているところである。それは取りも直さず、太子の訪れを待っているということだ。小国とはいえ、一国の王位継承者の。……あまり考えないことにしよう、緊張が増すだけだ。
「それに、君は俺らに付き合わされてるだけだもの。もし怒られることになったって、責任があるのは俺らだから大丈夫」
ジョイドはおもむろに進み出ると、奥の壁に、向かって右に、向かって左にと、謝罪のつもりか順に礼をした。飾ってある神像は配祀神のものばかりで、中央は〈黄泉の君〉を拝する場としてぽっかりと空いている。恐るべき冥府の主神は、その姿を象られることはない。
「死者は等しく〈冥府の女王〉の臣下——でも、恨みや未練に引きずられてこの世に残っていたんじゃ、〈女王〉の庇護を受けられない。恨みを晴らして心が晴れて、王様がちゃんとあの世へ行けるようなら、〈女王〉の御心にも適うと思うよ。そのためならこのくらいの方便は大目に見てくれるんじゃないかな」
そこまで言って、ジョイドは扉へ目を向けた。顔つきが変わったことに気づいて、息を呑んでセディカも振り返る。心臓の鼓動が急に強まって、喉が詰まりそうになった。
さほど間を置かず、開いたままの扉から、一匹の鼠が駆け込んできた。
「いいぜ、始めろ」
鼠はほんの一秒ばかり人間の姿に戻ると、セディカの前でパチンと指を鳴らして、ジョイドが蓋をずらした小箱に吸い込まれるように消えた。
指の音を聞いた瞬間からセディカはすっと落ち着いて、来るべき太子を待ち受けた。