魔王
魔王。
私の祖父にあたるあの人とは、結局、今まで交わした会話はとても少ない。
厳しく、兄とはまた違った恐ろしさを持っていたが、同時に領民達には絶大なカリスマを誇っていたことは、当時の私でも感じ取れたことだった。
あの人は、私のこと、父のこと、そして兄のこと、どんな目で、どんな思いで見ていたのだろうか?
王族の親兄弟は、領土を巡って殺し合うことも珍しくないという。
私より遥かに長く生きていたであろうあの人は、親族の争いを、達観した目で割り切って見ていただけなのだろうか?
きっと私には、一生辿り着けない場所にいた人だろうと思う。
ベスフル城を離れてから数週間後。
私の姿は、薄暗い牢の中にあった。
ここは、レバス王国。
かつてベスフル王国とは同盟関係にあり、今は魔王軍に従属、ベスフルと最前線で戦わされている国だった。
国に着いた時も、街には活気がなく、どこか暗い雰囲気が漂っていた。
ここまでの道中と独房での生活で、私のドレスはすっかり薄汚れて、みすぼらしくなっていた。
元の生活に逆戻りしたようだったが、毎日食事が運ばれてくる分、兄と2人だった時よりはマシな気がした。
「俺はレバス軍に下る。お前は人質だ」
道中のガイの言葉を思い出す。
「元々、俺はベスフルの人間ではない。故郷を失った後、陛下に取り立てて頂いた身だ」
もうあの国に未練はない、と続けた。
「姫も他の指揮官も、日和見主義の臆病者しか残っていない。あの国に未来はない。ヴィレント殿がどれだけ頑張ったところで、周囲があれでは限界があるだろう」
ならばレバスに協力し、少しでも早く戦を終わらせた方が良い、と語る。
戦が長引くほど、犠牲は増えるのだ。
「今、あの国で唯一脅威となるのは、ヴィレント殿の存在だ。妹の貴様は人質として、最後の切り札になる」
貴様には気の毒だがな、と告げた。
その時は、兄が私などを気にかけて戦いをやめるわけがないことを、必死に訴えたが、聞き入れられるわけがなかった。
それが真実だとしても、ベスフルに引き返す選択肢があるわけがないのである。
これからどうなるのかは、まったくわからない。
牢に入れられて、数日が過ぎていた。
戦はまだ続いているのか? 兄達はどうなったのか?
牢屋にいる私には、何も情報は入ってこない。
ただ薄暗い壁と天井を見つめるだけの日々、時間だけが過ぎていった。
「出ろ」
さらに数日が過ぎたある日、私は牢から出された。
私に出るよう命じたのは、青い肌をした男だったことに、私は驚いた。
父も同じ色の肌をしていたことを思い出す。
魔王軍の人が、何の用で、私の元へ来るのか?
こちらから、何かを聞くことは、怖くてできなかった。
彼は、多くは語らず、付いてこい、と私に言った。
兄より少し小さく、スキルドより少し大きいその背を追って、私はゆっくり歩いた。
かつて、父は、裏切り者として、魔王軍に粛清されたのだ。
裏切り者の娘である私も、処刑されてしまうのかもと思うと、涙が出てくる。
だが、服を着替えさせられて、私が案内された先は、街の外だった。
「乗れ」
促された先には、大きめの馬車があった。
馬車といっても、それは、貴族が乗るような豪華なものではなく、商人が使うような荷物を運ぶものに、人が乗る狭いスペースが設けられていたものだった。
戸惑いながら乗り込む。彼もマントを羽織った旅装束姿で、私を監視するように、対面に座った。
馬車がゆっくり動き出す。
レバスの城下町が、少しずつ遠くなっていった。
どこに行くのだろう?
戦いの前線に連れて行き、兄達の前で人質として晒し物にされるのだろうか?
黙って考えていると、どんどん気が滅入ってくる。
彼の方も、一言も発さぬまま、じっと座っているだけだった。
耐えられなくなり、遂に私は口を開いた。
「あ、あの…… 私は、何処へ……?」
消え入りそうな声で、なんとか尋ねる。
「行先は、魔王領だ」
ぶっきらぼうに、彼は言った。
「魔王様は、孫のお前に一度会ってみたいとおっしゃっている。だから、これから魔王様の元へお前を連れて行くんだ」
魔王の元へ……?
言われてみれば、馬車の向かう方向は、ここに来た時とは真逆であった。
今更ながら気づく。
魔王という言葉だけ聞くと、恐ろしい化け物を想像してしまうが、父と同じ人種であり、私にとっては祖父であった。
そういえば、私と兄の肌に、父と同じ青い色が出なかったのは、たまたまだろうか?
父が街に出る時に、服とマスクで、できるだけ肌を隠していたのを思い出す。
ベスフルの周辺で、父以外に、肌の青い人は見たことがない。
私達が青い肌で生まれてきたら、2人での生活は、さらに苦しいものになっていただろう。
今から向かうのは、祖父の元。私の……お爺ちゃん?
祖父の話など、父からまったく聞かされたことはなかった。
考えてみれば、渡された服は、質素だが清潔で動きやすいし、今も、馬車の中で手枷などは嵌められていない。
縄で縛られて連れてこられた時とは、大違いだった。
敵中にいたとはいえ、王様の孫ゆえの待遇なのかもしれないと思えた。
祖父とは、どんな人なのか、怖くもあり、少しだけ興味もわいてきていた。
気が付くと、レバスの城下町は、もう見えなくなっていた。
馬車は、途中、何度か宿場町を経由した。
その時には、1人部屋を与えられ、夜はベッドで眠ることができた。
一応、監視らしきものはついているようだったが、何やら、丁重に扱われている雰囲気は伝わってきた。
やがて、馬車は山道に入る。
ここから先は、もう宿場町はないようで、毛布を渡され、馬車の中で眠った。
馬車には屋根もついていて、ふかふかのベッドほどとはいかなくとも、充分快適に眠ることができた。
そして、山脈を越えたところで、馬車から見える景色の向こうに、遂に、岩山に囲まれた巨大な城が姿を現した。
「あの場所が……魔王の……?」
「そうだ」
戦の知識など皆無に等しい私だったが、それが、遠めに見ても、とても堅牢で、攻められにくい作りだということは、なんとなく理解できた。
大勢の兵士を率いたまま、この山を越え、あの城を攻め落とすなど、その時は、とても現実的とは思えなかった。
兄は、本当にあそこまで攻め上るつもりなのだろうか?
山道は、ここからの下りも険しい。
到着には、もうしばらくかかりそうだった。
下りの道に入ると、あちこちに小さな家や集落なども見え始めた。
この辺りから、もう魔王領の中なのだろう。
周辺は、夜でもないのに、人影は殆どなく、静まり返っていた。
「この辺りは、土地が痩せていて作物があまり育たない」
外を眺めている私に、彼が説明してくれた。
「いずれは、この土地を捨てて、他へ移住しないと、この国に未来はない。魔王様はそうおっしゃっていた」
見える山々は、殆ど岩肌で、土が少なかった。
彼らはこんな土地で、ずっと暮らしてきたのか。
事情を知ると、彼らはただの恐ろしい侵略者ではなく、私達と変わらない人々なのだと思える。
父がそうだったのだから、当たり前のことだった。
大きな金属の門が、音を立てて開かれる。
門を抜けると、石造りの街があり、住民たちが行き交っていた。
山の上から見えた巨大な城は、そのまま街も含んでいたのだ。
街を、丸ごと高い城壁が覆っている。城塞都市と言うらしい。
大通りの先に、目的の城が見えた。
街の方は、山で見た集落ほどではないが、こちらもあまり活気がなかった。
そういえば、レバスの城下町も似たようなものだったか。
城の前に着くと、馬車を下ろされ、彼の案内に従って、城の扉を潜った。
扉の左右に立つ衛兵は、ベスフル城の衛兵たちよりも一回り大きい。
街で見かけた人々も、皆、大柄だったことを考えると、生まれつき私達より大きな体を持っているのだろう。
父や、目の前を案内する彼は、魔王領の中では小柄な方にあたるようだった。
城の内装は、華やかだったベスフル城に比べると、どこか冷たく厳格な印象だった。
階段をいくつか上がり、扉を潜ると、ついに、謁見の間にたどり着いた。
そこは、ベスフル城のように絨毯などは敷かれていない。
石の床の上を、彼の後ろをついて歩いた。
その先には、玉座に腰かけた、魔王の姿があった。
傍らには、側近と思しき人間が、右に2人、左に1人立って、こちらをじっと睨んでいた。
魔王自身も、おそらく兄より大柄であったが、そのすぐ右隣に立っている鎧の男は、さらに大きかった。
側近たちの視線も鋭かったが、それ以上に、魔王の放っている威圧感が、私の心を締め付けていた。
案内の彼が跪くのを見て、慌てて私もそれに倣う。
「ただいま戻りました」
震える私とは対照的に、彼は落ち着いた声で言った。
「ご苦労だった。面を上げよ」
彼と魔王のやり取りなど、まるで頭に入ってこない。
早く休みたい。ベッドで横になりたい。
強く、そう思った。
「聞こえているのか。貴様もだ、顔を見せよ!」
「!?」
自分に言われているのだと気づいて、慌てて顔を上げる。
魔王がこちらを睨んでいた。
冷汗が止まらない。とても、まっすぐ視線を合わせられない。
「チェントと言ったな」
「は、はい……」
震えた声で答える。
「始めに言っておく。貴様の父、スーディは裏切り者として裁く必要があったが、娘の貴様にまで、罪を問うつもりはない」
魔王は、そう前置きした。
「だが、この魔王領に住む以上は、この国に貢献してもらう。それが私の血族であってもだ。ネモよ」
「はっ」
跪いていた彼が答えた。
「その娘は、貴様に任せる。戦場に立てるよう、戦士として鍛えてみせよ」
「承知いたしました」
そのやり取りは、私を戸惑わせるばかりだった。
「どうした、チェント? 自分が、戦場になど立てるわけがないと言いたげな顔だな」
魔王の言う、まさに通りだった。
自分は兄とは違う。剣を持っても、あんな風に戦えるわけがない。
「なら、貴様は何ができるのだ? 何か特技があるのなら、聞いてやろう」
そんなものあるわけがない。
兄のように戦うでもなく、自分で仕事を探すでもなく、ただ生きてきただけの私には、本当に何もなかった。
何も言えずに黙っていると、魔王が口を開いた。
「その男、ネモはな。他人の能力を見極めて伸ばすことにかけては、領内でも、突出しておる。事前に資質を見るという意味も含めて、貴様を迎えにやらせたのだ」
私の能力……? そんなものがあるだろうか?
「ネモに師事して、何の成果も上がらない時には、貴様の処遇も再検討してやろう」
これ以上話すことはない、と魔王は言葉を切った。
「では、失礼いたします。行くぞ」
彼──ネモは、立ち上がって一礼すると、出口に向かって歩き出した。
私は、戸惑いながら、慌てて彼の背を追った。
「ここがお前の部屋になる」
謁見の間を出て、案内された先は、城の一室だった。
「明日から訓練を始める。今日は体を休めておけ」
「あ、あのっ……」
言うだけ言って、立ち去ろうとする彼を思わず呼び止めた。
「なんだ?」
「わ、私に……あの……」
私に才能なんてあるのかな? と聞こうとして、
「……なんでもない。ごめんなさい」
聞けなかった。
お前に才能などない、お前には何もない。
そう言われるのが怖くて。
自分に何もないことは、充分、自覚しているつもりだった。
だが、あらためて、他人の口からそう聞かされるのは、怖かった。
彼は、黙って踵を返し、立ち去った。
部屋の中は、ベッドと小さなテーブルがあるだけの飾り気のない所だった。
ベスフル城にいたころとはかなり扱いは違うが、それでも城内の一室があてがわれるということは、やはり、王族として、それなりに特別扱いされているような気もした。
ベッドに横になり、石の天井を見て考える。
私は、これからどうなるのか?
牢屋の中でも、同じような自問自答ばかりを繰り返していた気がする。
どうなるのか、ばかりで、どうするのか、と考えたことはない。
ただ、流されるまま生きてきた結果が、これだった。
不安は消えることはなかったが、長旅で疲れていたせいか、その日は、天井を見つめたまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
私の祖父にあたるあの人とは、結局、今まで交わした会話はとても少ない。
厳しく、兄とはまた違った恐ろしさを持っていたが、同時に領民達には絶大なカリスマを誇っていたことは、当時の私でも感じ取れたことだった。
あの人は、私のこと、父のこと、そして兄のこと、どんな目で、どんな思いで見ていたのだろうか?
王族の親兄弟は、領土を巡って殺し合うことも珍しくないという。
私より遥かに長く生きていたであろうあの人は、親族の争いを、達観した目で割り切って見ていただけなのだろうか?
きっと私には、一生辿り着けない場所にいた人だろうと思う。
ベスフル城を離れてから数週間後。
私の姿は、薄暗い牢の中にあった。
ここは、レバス王国。
かつてベスフル王国とは同盟関係にあり、今は魔王軍に従属、ベスフルと最前線で戦わされている国だった。
国に着いた時も、街には活気がなく、どこか暗い雰囲気が漂っていた。
ここまでの道中と独房での生活で、私のドレスはすっかり薄汚れて、みすぼらしくなっていた。
元の生活に逆戻りしたようだったが、毎日食事が運ばれてくる分、兄と2人だった時よりはマシな気がした。
「俺はレバス軍に下る。お前は人質だ」
道中のガイの言葉を思い出す。
「元々、俺はベスフルの人間ではない。故郷を失った後、陛下に取り立てて頂いた身だ」
もうあの国に未練はない、と続けた。
「姫も他の指揮官も、日和見主義の臆病者しか残っていない。あの国に未来はない。ヴィレント殿がどれだけ頑張ったところで、周囲があれでは限界があるだろう」
ならばレバスに協力し、少しでも早く戦を終わらせた方が良い、と語る。
戦が長引くほど、犠牲は増えるのだ。
「今、あの国で唯一脅威となるのは、ヴィレント殿の存在だ。妹の貴様は人質として、最後の切り札になる」
貴様には気の毒だがな、と告げた。
その時は、兄が私などを気にかけて戦いをやめるわけがないことを、必死に訴えたが、聞き入れられるわけがなかった。
それが真実だとしても、ベスフルに引き返す選択肢があるわけがないのである。
これからどうなるのかは、まったくわからない。
牢に入れられて、数日が過ぎていた。
戦はまだ続いているのか? 兄達はどうなったのか?
牢屋にいる私には、何も情報は入ってこない。
ただ薄暗い壁と天井を見つめるだけの日々、時間だけが過ぎていった。
「出ろ」
さらに数日が過ぎたある日、私は牢から出された。
私に出るよう命じたのは、青い肌をした男だったことに、私は驚いた。
父も同じ色の肌をしていたことを思い出す。
魔王軍の人が、何の用で、私の元へ来るのか?
こちらから、何かを聞くことは、怖くてできなかった。
彼は、多くは語らず、付いてこい、と私に言った。
兄より少し小さく、スキルドより少し大きいその背を追って、私はゆっくり歩いた。
かつて、父は、裏切り者として、魔王軍に粛清されたのだ。
裏切り者の娘である私も、処刑されてしまうのかもと思うと、涙が出てくる。
だが、服を着替えさせられて、私が案内された先は、街の外だった。
「乗れ」
促された先には、大きめの馬車があった。
馬車といっても、それは、貴族が乗るような豪華なものではなく、商人が使うような荷物を運ぶものに、人が乗る狭いスペースが設けられていたものだった。
戸惑いながら乗り込む。彼もマントを羽織った旅装束姿で、私を監視するように、対面に座った。
馬車がゆっくり動き出す。
レバスの城下町が、少しずつ遠くなっていった。
どこに行くのだろう?
戦いの前線に連れて行き、兄達の前で人質として晒し物にされるのだろうか?
黙って考えていると、どんどん気が滅入ってくる。
彼の方も、一言も発さぬまま、じっと座っているだけだった。
耐えられなくなり、遂に私は口を開いた。
「あ、あの…… 私は、何処へ……?」
消え入りそうな声で、なんとか尋ねる。
「行先は、魔王領だ」
ぶっきらぼうに、彼は言った。
「魔王様は、孫のお前に一度会ってみたいとおっしゃっている。だから、これから魔王様の元へお前を連れて行くんだ」
魔王の元へ……?
言われてみれば、馬車の向かう方向は、ここに来た時とは真逆であった。
今更ながら気づく。
魔王という言葉だけ聞くと、恐ろしい化け物を想像してしまうが、父と同じ人種であり、私にとっては祖父であった。
そういえば、私と兄の肌に、父と同じ青い色が出なかったのは、たまたまだろうか?
父が街に出る時に、服とマスクで、できるだけ肌を隠していたのを思い出す。
ベスフルの周辺で、父以外に、肌の青い人は見たことがない。
私達が青い肌で生まれてきたら、2人での生活は、さらに苦しいものになっていただろう。
今から向かうのは、祖父の元。私の……お爺ちゃん?
祖父の話など、父からまったく聞かされたことはなかった。
考えてみれば、渡された服は、質素だが清潔で動きやすいし、今も、馬車の中で手枷などは嵌められていない。
縄で縛られて連れてこられた時とは、大違いだった。
敵中にいたとはいえ、王様の孫ゆえの待遇なのかもしれないと思えた。
祖父とは、どんな人なのか、怖くもあり、少しだけ興味もわいてきていた。
気が付くと、レバスの城下町は、もう見えなくなっていた。
馬車は、途中、何度か宿場町を経由した。
その時には、1人部屋を与えられ、夜はベッドで眠ることができた。
一応、監視らしきものはついているようだったが、何やら、丁重に扱われている雰囲気は伝わってきた。
やがて、馬車は山道に入る。
ここから先は、もう宿場町はないようで、毛布を渡され、馬車の中で眠った。
馬車には屋根もついていて、ふかふかのベッドほどとはいかなくとも、充分快適に眠ることができた。
そして、山脈を越えたところで、馬車から見える景色の向こうに、遂に、岩山に囲まれた巨大な城が姿を現した。
「あの場所が……魔王の……?」
「そうだ」
戦の知識など皆無に等しい私だったが、それが、遠めに見ても、とても堅牢で、攻められにくい作りだということは、なんとなく理解できた。
大勢の兵士を率いたまま、この山を越え、あの城を攻め落とすなど、その時は、とても現実的とは思えなかった。
兄は、本当にあそこまで攻め上るつもりなのだろうか?
山道は、ここからの下りも険しい。
到着には、もうしばらくかかりそうだった。
下りの道に入ると、あちこちに小さな家や集落なども見え始めた。
この辺りから、もう魔王領の中なのだろう。
周辺は、夜でもないのに、人影は殆どなく、静まり返っていた。
「この辺りは、土地が痩せていて作物があまり育たない」
外を眺めている私に、彼が説明してくれた。
「いずれは、この土地を捨てて、他へ移住しないと、この国に未来はない。魔王様はそうおっしゃっていた」
見える山々は、殆ど岩肌で、土が少なかった。
彼らはこんな土地で、ずっと暮らしてきたのか。
事情を知ると、彼らはただの恐ろしい侵略者ではなく、私達と変わらない人々なのだと思える。
父がそうだったのだから、当たり前のことだった。
大きな金属の門が、音を立てて開かれる。
門を抜けると、石造りの街があり、住民たちが行き交っていた。
山の上から見えた巨大な城は、そのまま街も含んでいたのだ。
街を、丸ごと高い城壁が覆っている。城塞都市と言うらしい。
大通りの先に、目的の城が見えた。
街の方は、山で見た集落ほどではないが、こちらもあまり活気がなかった。
そういえば、レバスの城下町も似たようなものだったか。
城の前に着くと、馬車を下ろされ、彼の案内に従って、城の扉を潜った。
扉の左右に立つ衛兵は、ベスフル城の衛兵たちよりも一回り大きい。
街で見かけた人々も、皆、大柄だったことを考えると、生まれつき私達より大きな体を持っているのだろう。
父や、目の前を案内する彼は、魔王領の中では小柄な方にあたるようだった。
城の内装は、華やかだったベスフル城に比べると、どこか冷たく厳格な印象だった。
階段をいくつか上がり、扉を潜ると、ついに、謁見の間にたどり着いた。
そこは、ベスフル城のように絨毯などは敷かれていない。
石の床の上を、彼の後ろをついて歩いた。
その先には、玉座に腰かけた、魔王の姿があった。
傍らには、側近と思しき人間が、右に2人、左に1人立って、こちらをじっと睨んでいた。
魔王自身も、おそらく兄より大柄であったが、そのすぐ右隣に立っている鎧の男は、さらに大きかった。
側近たちの視線も鋭かったが、それ以上に、魔王の放っている威圧感が、私の心を締め付けていた。
案内の彼が跪くのを見て、慌てて私もそれに倣う。
「ただいま戻りました」
震える私とは対照的に、彼は落ち着いた声で言った。
「ご苦労だった。面を上げよ」
彼と魔王のやり取りなど、まるで頭に入ってこない。
早く休みたい。ベッドで横になりたい。
強く、そう思った。
「聞こえているのか。貴様もだ、顔を見せよ!」
「!?」
自分に言われているのだと気づいて、慌てて顔を上げる。
魔王がこちらを睨んでいた。
冷汗が止まらない。とても、まっすぐ視線を合わせられない。
「チェントと言ったな」
「は、はい……」
震えた声で答える。
「始めに言っておく。貴様の父、スーディは裏切り者として裁く必要があったが、娘の貴様にまで、罪を問うつもりはない」
魔王は、そう前置きした。
「だが、この魔王領に住む以上は、この国に貢献してもらう。それが私の血族であってもだ。ネモよ」
「はっ」
跪いていた彼が答えた。
「その娘は、貴様に任せる。戦場に立てるよう、戦士として鍛えてみせよ」
「承知いたしました」
そのやり取りは、私を戸惑わせるばかりだった。
「どうした、チェント? 自分が、戦場になど立てるわけがないと言いたげな顔だな」
魔王の言う、まさに通りだった。
自分は兄とは違う。剣を持っても、あんな風に戦えるわけがない。
「なら、貴様は何ができるのだ? 何か特技があるのなら、聞いてやろう」
そんなものあるわけがない。
兄のように戦うでもなく、自分で仕事を探すでもなく、ただ生きてきただけの私には、本当に何もなかった。
何も言えずに黙っていると、魔王が口を開いた。
「その男、ネモはな。他人の能力を見極めて伸ばすことにかけては、領内でも、突出しておる。事前に資質を見るという意味も含めて、貴様を迎えにやらせたのだ」
私の能力……? そんなものがあるだろうか?
「ネモに師事して、何の成果も上がらない時には、貴様の処遇も再検討してやろう」
これ以上話すことはない、と魔王は言葉を切った。
「では、失礼いたします。行くぞ」
彼──ネモは、立ち上がって一礼すると、出口に向かって歩き出した。
私は、戸惑いながら、慌てて彼の背を追った。
「ここがお前の部屋になる」
謁見の間を出て、案内された先は、城の一室だった。
「明日から訓練を始める。今日は体を休めておけ」
「あ、あのっ……」
言うだけ言って、立ち去ろうとする彼を思わず呼び止めた。
「なんだ?」
「わ、私に……あの……」
私に才能なんてあるのかな? と聞こうとして、
「……なんでもない。ごめんなさい」
聞けなかった。
お前に才能などない、お前には何もない。
そう言われるのが怖くて。
自分に何もないことは、充分、自覚しているつもりだった。
だが、あらためて、他人の口からそう聞かされるのは、怖かった。
彼は、黙って踵を返し、立ち去った。
部屋の中は、ベッドと小さなテーブルがあるだけの飾り気のない所だった。
ベスフル城にいたころとはかなり扱いは違うが、それでも城内の一室があてがわれるということは、やはり、王族として、それなりに特別扱いされているような気もした。
ベッドに横になり、石の天井を見て考える。
私は、これからどうなるのか?
牢屋の中でも、同じような自問自答ばかりを繰り返していた気がする。
どうなるのか、ばかりで、どうするのか、と考えたことはない。
ただ、流されるまま生きてきた結果が、これだった。
不安は消えることはなかったが、長旅で疲れていたせいか、その日は、天井を見つめたまま、いつの間にか眠りに落ちていた。