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残酷な描写あり R-15
反逆同盟
(……このままでいいのか? 本当に私はタナカカクトに付き従うだけでいいのか?)

 戴冠式と婚姻式が終わり、真夜中、自室に戻ったティモンは激しい葛藤に悩まされていた。机の前で首を項垂れ、まだ残っている政務の仕事も手つかずにいる。

(あの式典はミチュアプリス王国で前例を見ない歴史の汚点だった。訳のわからぬ狂人が国を乗っ盗り、そして己が欲望がためだけに権勢を振るっている。私はそんな男に自らの保身のために国を差し出した。ミチュアプリスの政治も国民も歴史も、私自身が踏みにじったのだ……ッ!)

 ティモンは罪悪感で胸がいっぱいになる。だがそれでも己の自己保身の気持ちからは逃れられない。

(……ああ、逃げ出せるものなら逃げ出したい。だが、そんなことをしてもきっとあの男は私を『ワープホール』で追いかけてくるだろう。そして私の真意が知れれば、私もギラム将軍たちと同じように残忍に殺される。……いやだ。針で全身を刺されるのも、炎で全身を焼かれるのも嫌だ!)

 ティモンは頭を抱え激しく何度も振り動かす。だがいくら乱暴に揺すっても、いつまでもタナカカクトという悪夢は消えない。ティモンは苦悩の片隅に、縋るように先代王との記憶を思い出す。

(アルマデス陛下……あのお方は晩年こそ暴君となれど、疫病で王妃様とご子息様をお失いになるまでは名君中の名君だった。民を想い、国を想い、身を粉にして王務に身命をお賭しになった。貧民地区出身の者たちへの奨学金制度を設立したのもアルマデス陛下の功績だ。あのお方が貧しい者たちへも平等に手を差し伸べてくださったからこそ、私は王都学園にも入学でき、そしてミチュアプリス王国にも召し抱えていただけたのだ。それなのに、今の私ときたら……)

 懐かしさと悔恨を抱き、思わずティモンは涙する。そして懐に忍ばせた短剣を取り出した。それは自らがミチュアプリス王国の宰相として抜擢された時、アルマデス王から贈呈された護身用の剣だった。玉座の隣で帯剣を許すほど、アルマデス王はティモンのことを信頼していたのだ。

(もはや今となっては、そんな仁君であり私の恩人であるアルマデス陛下はもういない。国も救えず、貧民地区の者たちも救えず、一体私がこの国へ仕える意味などあるのだろうか? どうせ老い先短い希望もない未来。この国が蹂躙されるのを目の当たりにしながら死んでいくなど、もはや耐えられない……)

 ティモンは喉にそっと刃を突きつける。手がガタガタと震え、呼吸が荒くなる。だがやがて無理矢理柄を握る手に力を加えていき、天井をカッと見上げ、肉に刃を食い込ませる。

(このまま、押し込んでしまえ……押し込んでしまえ! そうすれば、そうすれば、私はもう楽になれる……ッ!)

 コンコン コンコン

 だがその時、突然部屋の扉がノックされた。ティモンはハッとなって振り返り、思わず短剣を手から滑り落とす。カラカラと音が鳴り、慌ててティモンは腰をかがめて拾い上げた。

「だ、誰だッ!?」

 思わず荒々しい声をティモンは上げる。あの男が自分を殺しに来たのかと思い、ガタガタと震える手で短剣を扉に突きつける。

「私ですぅ! 今日王妃さまになったレクリナちゃんですぅ!」

 何とも間の抜けた甘ったるい声が返ってきた。ティモンはそこで拍子抜けし、いくらか緊張が収まり、刃も懐に収める。だが今までその女が自分の部屋に尋ねて来たことは一度もなかったので、警戒心は緩めない。

 ガチャリ

 王妃を無視するわけにもいかなかったので、そのままティモンは扉を開ける。目の前にはすっかりきらびやかなロイヤルドレスに包まれたレクリナが立っていた。

「今お時間よろしくて? ティモン」

「は、はい……」

 レクリナはドレスの両側をつまみ礼をする。すっかり所作も、どこか気品があるように感じられた。だが所詮成り上がり。ところどころ洗練されていない部分が見受けられた。この女の意図を探るべく、ティモンは緩みかけた気持ちをまた引き締め直しながら問う。

「一体何用でございましょうレクリナ様? 今はお休みになられる時間でしょうに」

「詩を書きたいのでございますわ。私、是非とも文字を習いたいんですの」

 予想とは斜め下の返事に、思わずティモンは脱力してしまう。やはり所詮元は奴隷の身。学などというものとは無縁だった。

「最近カクトさまってばヘラゲラスの話にばかり夢中なんですぅ。何でも彼ってば、王都学園を首席で卒業したんですって。凄く頭がいいんですわぁ。だからヘラゲラスに負けないぐらい、私も頭が良くなりたいんですぅ。そしてカクトさまに私の愛の詩を読み上げて、振り向いてほしいんですわぁ」

 やはり、この女は馬鹿だ。けっきょくこいつはただカクトに恋現を抜かし、カクトのことしか頭にない。まるで取るに足りない相手に警戒したことも馬鹿らしくなり、ティモンは皮肉を漏らす。

「詩など作らなくともカクト様はあなたに夢中でしょうに。あなたと同じように」

「私が本気であの男に惚れてるとでも思ってますの!?」

 突然刃物のような鋭い声が轟いた。思わずティモンはビクッと肩を震わせる。声の主を見下ろすと、その瞳は殺気に満ちていた。黒い獣の耳が逆立ち、黒い肌には鳥肌が立っていた。

「ああ忌々しい!! さっきもあの男とキスした時も、思わず身震いしすぎて全身の体温を失くしかけましたわ!! あんな汚らしい男とキスするぐらいなら、肥溜めとキスする方がマシです!!」

 口汚く罵り豹変したレクリナに、唖然とするティモン。それでも包み隠そうともしない剥き出しの憎悪に、まるで同胞を見つけたような心持ちとなる。

「あなたも、カクト様が憎いのですね」

「この国であの男のことが好きな人間などどこにいますの!? ベッドの傍らで『こいつの喉をいつか掻っ捌いてやる!』って100万回は唱えましたわ!! あの男を殺せる方法が見つかったなら、真っ先に私が殺してやります!!」

 その圧倒的な敵意を露わにするレクリナに、恐怖を抱きつつもティモンは感銘を受ける。少しずつ興味を惹かれていき、ティモンも己の心の内を見せた。

「この国で本気でタナカカクトを倒そうと考える者はあなたしか残されていないのですね。皆奴を恐れて誰も立ち向かおうともしないのに」

「いえ、これからもっと増えますわ。戴冠式であなたは臣下たちの顔を見ましたの? 全員私たちを殺したくてたまらないって剣柄つるぎがらに手が伸びそうになっておりましたわ。この国の王と王妃を殺したい人間なんて数えきれないほどいます」

 その勇ましくも的確な状況把握にティモンは舌を巻く。それほど大勢の殺意を察知しながら、顔色一つ変えず現を抜かした馬鹿な愛人を演じていたとは。やはりブラカイア族は蛮族なれど、その勇気だけは本物のようだった。

「それで、ティモン。本題はここからですわ。私もあなたから文字を習いたくてわざわざ夜中に訪れたわけではありません。カクトを殺す密約を交わすためにここへ来たのです」

「っ!!」

 ティモンは驚いて目をみはる。レクリナの殺意を打ち明けられてもなお、いざ実行に移す段階まで話が進むとは思いもしなかった。せいぜい王妃に同情を示し、互いに傷を舐め合うだけだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。本気でカクトを打倒しようとする決意から逃げていたのだ。

「い、いえ、ですが、その……」

 なおも恐怖心に縛られティモンは躊躇いを見せる。だがレクリナの眼は本気だった。ありありと青い瞳には、カクト打倒の意志が漲っている。

「もしここで私に協力しないなら、あなたが私を乱暴したとカクトに告げ口しますわ。この意味はもちろん理解できますわね?」

 すぐに脅迫だとわかり、ティモンは心臓を握りしめられたように閉口してしまう。もはやどちらの選択を取ったとしても、己の命が風前の灯火のように儚いものとなっていた。それでもティモンは、己が本当にやりたい意志に従う。

「……わかりました。どうせ老い先短い命。カクトを殺すためなら、何だってやりましょう」

 そしてティモンの眼は、生気を取り戻した。
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