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作者: 2MeterScale
残酷な描写あり R-15
ダーク・ドーン・ドリーム・ゴーン
始めましての方は始めまして。そうでない方もここでは始めまして。どうも、2MeterScaleです。普段は別所で活動しておりますが、新しいことをしたいと思ってここに来ました。よろしくお願いします。
 夕日が仄暗く照らすレンガ造りの部屋に、男と女が居た。窓の外からは帝国最大の都市が一望できる。遊具めいて小さい家々が立ち並ぶ隙間に、巨大な闘技場や神殿が見える。もちろん、それらをすべて囲む城壁も。

──見たものに惑わされるな。

 男は魔術の師の言葉を思い出した。彼は窓辺に近寄ると、手を一振りする。きらびやかな大都市は消え去り、荒れ果てた農地が現れる。レンガ造りの壁は、壁紙めいて剥がれ、無造作な土造りの壁となった。すべては男がかけた幻術であったのだ。末期の足音に追いつかれる前に、少しだけ郷愁を感じていたかった。その思いも、だんだんと寂寥に変わっていく。
 既に夜半を過ぎているし、空に月もない。部屋の中は、どうしようもないほどに暗かった。それでも、男にはすべてが見えている。粗雑な作りの机の上には、両手持ちのブロードソードが二本と、短剣が数本。どれもが精巧に、かつ頑丈に作られている。床の上には異臭を放つ桶が七個。
 木の台に茣蓙を敷いただけのようなベッドには、全裸の女が寝そべっていた。彼女はオニキスめいた黒い肌をしっとりと湿らせて、夜闇の中でもなお自ずから光っているかの如き魅力がある。彼女の引き締まった肉体の上には薄い脂肪が乗っており、戦士の体であることがわかる。

「███さま、火はつけぬのですね?」
「追手に居場所がバレる」

 彼女は男──███の方を見ずに言った。彼はチラリと彼女のことを見る。編み込みにした髪の隙間から、女性らしい細い首が覗いている。今すぐ彼女の奥に己をぶちまけてやりたい欲望に駆られるが、███は頭を振ってその欲を追い出す。

──貴方様はいずれこの国の帝となられるお方ですから、あらゆる民の手本とならねばならぬのです。

 教育係の耳長野郎の言葉を思い出す。そうだ。私はかつてこの国の帝であった。改革を急ぎすぎたが故に配下に裏切られた末、今はこんな隠遁生活を送っているが。

「首を改めるぞ、██。あと服も着ておけ」
「仰せのままに」

 末期の足音はすぐそこまで迫っている。だからせめて、きれいな姿で死にたい。「その先」に向けた布石も既に打っている──

「貴方の叔父上である████殿、弟君の██殿、従兄弟の█████殿……ここまで家族に裏切られるというのも、珍しゅうございますね」
「……どうせこの国は私の代で終わりだ。せっかくだから、どこまでやれるか試してみたかった」

 死臭を放つ桶の蓋を開け閉めする傍ら、女──██は亜麻のシャツとズボンに魔術師めいたローブを羽織る。彼女はどこからか古めかしい杖を取り出した。███は質素な革鎧を装備し、左腰に剣を吊り下げ、左脇腹に短刀を帯びたあと、ベルトと鎧の間に何本か追加で差し込んだ。

「それも、すべて計画の内ですか」
「……ああ。お前も剣を持っておけ。一応な」

 ███は建物の壁に手を当てた。かすかに震えている。目を閉じて感覚を研ぎ澄ませると、遠くから馬が数頭駆けてきている気配を感じることができた。彼は██へと目配せをした。彼女は窓を魔術で塞ぐ。そして、ごく弱い魔導の光を宙に浮かべる。詠唱はない。それだけ有力な魔術師なのだ。

「屋根の上に登っておこう。閉所だとお前もやりにくいだろ」
「ええ。室内には『疑似餌』を」
「立派だな」

 二人は外に出て、壁の僅かなヒビや裂け目に手をかけ足をかけ、平屋根の上に身を隠す。冬の夜は肌寒い。二つの影が一つになった頃、あたりがにわかに明るくなる。松明や魔導の光を掲げた兵士が二十名ほど。その後ろには異様な気配を放つ男がいた。兵士が家に取り付き、扉を半ば殴るようにして叩く。

「出てこいオラー!」「観念しろコラー!」「早くせんかゴラー!」兵士たちの怒号が静寂を切り裂いた。「……私は元帝だぞ。連中、敬意の欠片も残っとらんな」「せめて、最期に大きい徒花を咲かせてやりましょう」二人は語る。幸い、兵士たちの位置はすべて把握できる。彼らが持つ松明などの明かりのおかげだ。

──戦場での理とは唯一つ。殺される前に殺すことです。

 武術の師の言葉が脳裏に蘇る。███は目を閉じて深呼吸をした。彼はブロードソードと短剣を抜くと、眼下の兵士に飛びかかる。
 短剣を扉を叩く兵士の鎖骨の間に突き刺し、それを見て一瞬腰を抜かした兵士の後ろに回る。そして、ブロードソードで斬りつける。ほぼ同時に鮮血を吹き出し、二人とも地べたに伏せる。これ見よがしに剣を肘の内側で挟み込み、血を拭う。もちろん、切ってしまわないように気をつけながら。その隙に飛びかかってきた兵士は、██が魔法で焼き殺した。消えぬ炎を払おうとして、不格好な踊りを踊る兵士を尻目に、███は駆けだす。道中で襲ってきた兵士は切り捨てる。それか、██の魔法が焼き殺す。

「兄上ェェェェ! たかが二〇ばかりの兵で、我らを殺せるとでも思ったか!」
「奴らは皆オマケよ」

 ███の兄。本来の帝位継承権第一位。弟が頭角を表したがゆえに、修道院に送られたかわいそうな兄。そして、今回の動乱の首謀者。この戦いでどちらが死のうと、大陸中に版図を広げたこの帝国はバラバラに壊れ、長い戦乱の世が訪れるだろう。だが、今となってはどうでもいいことだ。道を違えた男が二人いる。戦う理由は、それで十分だった。

「██、手出し無用ぞ! これは我が家族の問題ゆえ!」
「御意に」

 ███は剣を正眼に構えた。彼はジリジリとすり足で兄との距離を縮める。兄は己より頭半分ほど背が高いので、間合いを見誤れば死ぬ。兄はブロードソードを抜く。不利な戦いだ。しかし、楽しまねば損だ。
 切っ先を相手の急所から外さず、少しだけ剣を動かす。それに誘われて鋭い突きが飛んでくるが、███は体をずらしつつ剣の腹でそれをそらす。彼は拳闘のカウンターめいて突きを返した。兄は手甲でそれを防ぐ。███は膝蹴りを試みるも、片脚を上げたところを剣の柄で押しのけられる。

「███よ、そなたの改革が苦しみを生んでいたことがわからなかったほど、そなたは愚鈍ではないはずだ」
「すべてはより良き世のために。私は千年先の未来を見据えて……」
「人々は皆、今日と明日を生きているのだ! そなたのお為ごかしを聞く奴など、もはや居らぬ」

 流れるように斬撃を叩き込む。兄も███も魔法の達人ではあるが、この剣戟の間に差し込めるほどの技量はない。魔術を行使するためにはそれなりの集中力が必要だ。同時に独立した二つの思考ができない限り、魔術の入る余地はない。
 兄は███の斬撃のすべてをことごとく防ぎ、最後に甲高い音を立てながら、彼の剣を弾く。少しだけの空隙に、同じような流れる斬撃が差し込まれる。兄弟ふたりとも、修めている流派は同じなのだ。動きはわかる。だから、一つずつ丁寧に防いでいけば、少なくともすぐに死ぬことはない。しかし、体格も体力も向こうのほうが上だ。このままでは徐々に不利になっていく。███は腹の底から呼吸をして、気力を少しだけ取り戻す。
 こちらから攻め立てることはしない。兄の斬撃を防ぐのではなく、その衝撃力の一部を相手に返す。そうすると、少しずつ相手の姿勢が崩れていく。これは、███が戦場で見出した戦い方であった。

「ヌウーッ! 気持ちの悪い剣術よのう」

 崩れた姿勢を回復させるために、兄は███を一発殴って距離を取ろうとする。しかし、その破れかぶれの攻撃を見逃す男ではなかった。彼は拳の衝撃に耐えて一歩踏み込み、短刀を抜いて兄の首に突き刺した。しかし、彼は斃れない。意志の強い者は、一度殺しても死なないことがあるのだ。
 兄はその短刀ごと███の腕を掴む。開いている方の腕を横に広げ、彼は「我が槍よ!」と叫んだ。空気を切り裂く轟音とともに十字槍が飛んできて、彼の手中に収まる。そのまま兄は███の腕を極めて、体を翻しながら投げた。地面に仰向けに転がされたところに、槍の一撃が叩き込まれる。███は蛇めいて地面を転がり、回避した。そのまま立ち上がって、片腕で剣を掲げるように構えた。
 ふと、遠くで轟音が聞こえる。ちらりと後ろを振り返れば、地平線の彼方から数え切れないほどの光球が飛んできていた。オニキスの肌を持つ██は防御魔法を展開するも、彼女自身を守るので精一杯の様子だ。彼女は光の奔流に飲み込まれる。いつの間にか、███は完全に振り返ってしまった。戦場で敵に背中を見せてしまったのだ。

「魔術師協会もこちらについた。観念してここで自裁するか、首を切られるか選べ」

 もはや八方塞がりだ。███はブロードソードを地面に置き、胴当てを外して、亜麻のシャツを裂いた。彼は立ったまま腹に短刀を突き立てて切り裂いて内臓を露出させる。寒空の下、ぬらぬらと輝きながら湯気を放つそれを己の手で引きちぎり、彼は兄に投げつけた。剣とは己の運命を決める力であり、運命とはすなわち死に様のことなのだ。凄まじい痛みと吐き気。口から血を流しながら、███は己が笑っていると自覚した。既に手は打ってある。千年先の未来まで、世界を観続ける用意が──

 臓物と糞便に塗れた兄が、十字槍を振って、男の首を飛ばした。彼の人生には、ここでピリオドが打たれた。しかし、また新しい一文を書きはじめれば良いだけの話なのだ。
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