5.(5)
今日やることはさっきの話の通りだ。朝食から昼食まで眠ってから、マチルダさんとトリオはテービットさんの屋敷で使って消費したものや、他に必要そうなものの買い出しに行ったり、後は短槍の手入れもしてくるとのこと。
あとは、僕をベッドにしばりつけて、アリアに看病をさせるらしい。
夕飯までには帰ってくるってさ。
そうして今、部屋で二人きりだ。
僕はアリアに聞く。
「何でアリアは僕を看病しようと思ったの?」
「まあ、マチルダさんが未成年に手を出すのを止めないというのも色々後味悪いよなと」
「え」
表情の固まる僕に対して、アリアはにやりと笑う。
「冗談だよ。単純に具合の悪い君を見過ごせないだけだ」
「それはありがたくはあるんだけど……」
別に看病される必要はない気がして仕方ない。
僕の視線に気づいたアリアは苦笑した。
「まあ、君は旅慣れないでしょ。せっかくだからゆっくり休んでほしい」
冷たいタオルをくれたその言葉に従うことにして、かけ布団を引き上げた。
僕は布団の中で少しだけ寝た後、アリアと会話をした。
一つの部屋で女の子と二人きり。
特に親しい女性がいたことのない僕の人生についぞない経験だ。どうなるのかと息を呑む。
いや、トリオが言ってたような話ではなく、女の子と学校のグループ単位でならともかく、私的に二人きりで話した経験なんてほぼない。
それに見たことないくらいの美貌は緊張すると思ったし、それ以前に極めて胡散臭い彼女だ。
結果。
……正直な所、めちゃくちゃ話しやすかったです。はい。
アリアに問われ、僕は旅に出る経緯を説明した。彼女は「……災難だね」と苦笑した。僕としては初めて出会ったまともな反応で、何だか感動した。
その後、村の様子や、僕のことを質問してきたのでそれも答える。アリアはうんうん頷きながら聞いてきたり、向こうも話してきたりする。
具体的に何か特筆するような話をした訳じゃないんだけど、ものすごく話のテンポが合って、ものすごく盛り上がった。
この女の子と話すのはとても楽しい。
現金だとは思うけど、僕はアリアに対して、この短時間で結構な好印象を抱いた。話の合う女の子というものは、軽く五倍以上可愛く見えるものだということも知った。
いや、最初からとんでもなく可愛いけど。
あちらはどうかは知らないけど、様子から言うと、まあ多分嫌われてはいないんじゃないのかな。……嫌わないでほしい。
サイドテーブルに置いてある椅子に腰掛け、こちらに微笑みかけるアリアを見るとそう思う。
話は次第に、明日の話になってくる。
「アリアはコヨミ神殿に行ったことあるの?」
「手前までなら、知り合いがいるから行ったことあるよ。まあ、大した所だし、気をつけようね」
「うん」
お嬢様がそんな所になんで知り合いがいるかなんて思っちゃいけない。
話しすぎて疲れたのか、ピンク色に頬を染めたアリアと話しながら、僕は思う。
コヨミ神殿。
魔力がたくさんあるという場所。
トリオとニルレンが神からマグスを倒すための力を授かった場所。
どんなところかは分からないけど、トリオは元に戻ることが出来て、マチルダさんが記憶を取り戻す手掛かりになればいい。
そこで、僕は息を飲み込む。
ちょっと待て。
記憶を取り戻す?
今、頭に何か重要なことが浮かんだ。
背中にじわりと汗を感じた。
僕が今まで得てきた情報。
それを繋ぎ合わせたら、マチルダさんについて、簡単に思いついてしまう可能性が一つあった。
あまりの現実味のなさについては疑問もあるが、僕の仲間の鳥の状況を見ると、それでも納得出来てしまうわけで。
何で今まで思いつかなかったんだ?
背筋が冷える。
「あのさ、アリア」
たまらず、僕がアリアの方に身を乗り出すと、かけ布団が半分床に落ちた。さっきまで布団の上においていた左手は汗をかいている。突然の僕の行動のせいか、彼女は青くて大きい目を更に開いていた。
「どうしたんだい? 具合でも悪くなった?」
「アリア、あのさ、あのさ……」
「あのさ、じゃ分からないよ」
アリアは軽く息を吐いた。
「確かにそうだけど……、えーと、そうじゃなくてえーと」
「ユウ、ひとまず落ち着こう」
低い声で言うアリア。
僕だってそうしたい。
でも、何故か上手く言えない。とにかく僕は少しでも単語を出すことにした。
「えーと、そう、マチルダさん、マチルダさんって……」
アリアの目つきが変わった。
「マチルダさんがどうかしたの?」
「記憶喪失で……、それで……」
上手く言えない。
上手い言葉が思いつかない。
頭ではそれが全部出来上がっているはずなのに。いざ、口から言葉を発そうとしても、笑えないくらいに発せられない。
僕は額に右手を、口元に左手を添えた。どちらもぐっしょりだ。汗が出てすっかり冷えた右手で、頭を冷やすことは出来ないだろうか。冷まして、心を抑えたい。
この僕のたまらなくもどかしい様子を、アリアは理解してくれたらしい。
アリアは立ち上がり僕から見ると足側、彼女から見ると僕の左側のベッドに腰掛けた。そのつもりはないけど、手を伸ばせば彼女の手にかけられるぐらいの近距離だ。
細く息を吐いてから、彼女は僕を見つめ、ゆっくりと言った。
「マチルダさんの記憶喪失について、何か言いたいことがあるんだね」
「う、うん……」
「何か思いついたことがあるんだね」
僕は何回も頷いた。
アリアは目を伏せた。
「どうする? 今なら、助けることはできるから、言うの試してみる?」
「……そうする」
何とかここで言わないと。自分の中だけに閉まっておける考えじゃない。これは。
僕は右手を下ろし、恐る恐る口を開いた。
「えーと……、僕、思うんだけど、マチルダさんってに――」
次の言葉は言えなかった。
僕は両手で頭を押さえた。
「ユウ! ユウ!」
アリアの声が聞こえる。遠くからのように思えるけど。
いや、遠くからにしか思えない。
何もかもが遠くに思える。
分からない。
これ以上近づいてはいけない気がする。
そんなことをしてはいけない気がする。
アリアの声がどんどん小さくなっていく気がした。
僕の気はどんどん彼女から離れていく気がした。
「ユウ…………」
言いたかったことを、彼女に伝えられない。
何を伝えようと思ったのかも分からない。
僕はどうすればいいんだろう。
分からないままでいたら、全部が真っ白になってしまった。
辺り一面、雪とは違う、本当に何もない真っ白な世界。
僕はそこでただ佇んでいた。
どこからか追い出された。はっきりと考えたことじゃないけど、無意識にその言葉だけが浮かんできた。そんなことだけが頭の中にある。
「……ユウ、落ち着いて」
遠くから誰かの声がした。
「戻ってきて……」
鈴のように転がる甲高い声と、それとはあまり合わない、やたら淡々とした口調――アリアの声だ。
何か、温かいものが僕に触れた。
その拍子に僕は何かから、するりと抜けた気がした。
「ユウ!」
僕が目を開いた一番に聞こえたのはこの言葉だった。
目の前には、ピンク色の布地――
あ。
「ご、ゴメン!」
何を思うよりも先に、それが何なのかを認識した僕は大急ぎで起き上がろうとして派手にぶつかり、また元の位置へと戻った。
「痛たたた……」
頭上から聞こえたのはアリアのそんな言葉。
「……下方からの頭突きはなかなか辛いものがあるね」
「ゴメン、アリア」
またぶつけてはかなわないので、僕はとりあえずそのままの位置で答えた。アリアは体を傾けたらしい。もう起き上がっても大丈夫と言われた。しかし、大丈夫と言われても直前の痛みは確かなもので。僕はそろりそろりと起き上がることにする。
今度はぶつからないでアリアの顔を見ることが出来た。彼女は少し赤くなった顎をさすっている。
「そんな元気があるなら、もう平気かな」
「うん……。ゴメン、ありがと、アリア」
「いや、今回は私が悪い。見通しの甘さで苦しい目に合わせ、申し訳ない」
アリアは深く頭を下げた。
その後、ピンク色のワンピースを軽くひっぱり、しわを伸ばした。
「この事象に対しての対処をしたいんだけど、君の今の体調では今すぐは辛い。今、君がやらなくてはいけないことは、休むこと」
「何か、ずっと休んでいるような気もするけど」
「気にしない。この事象に耐えるためには、休む、即ち眠ることが重要なんだ」
不服な僕の視線に対し、アリアは半眼になった。
「ほら、とっとと眠らないと、ピールス草のポーションを飲ませるよ。もちろん単独で」
ピールス草。寝付きを良くするポーションによく入っている。ただ、起きた直後は頭がガンガンしやすい。眠らない子への定番のお仕置きではある。
母さんがいつまでたっても寝ない僕に「夢の中でお化けが襲ってくるわよ!」といいながら無理やり飲ませたことがある。何回か。
ポーション工場の開発職というプロ中のプロである母さんの、ピールス草の使い方はなかなか恐ろしかった。
……お化けが苦手なのはそれかもしれない。
脅されたし、何だかんだ文句を言ってみても、結局、まだ頭がふらふらとすることもあり、僕はおとなしく眠ることにした。
トリオ達はいつ帰ってくるんだろうね。
あとは、僕をベッドにしばりつけて、アリアに看病をさせるらしい。
夕飯までには帰ってくるってさ。
そうして今、部屋で二人きりだ。
僕はアリアに聞く。
「何でアリアは僕を看病しようと思ったの?」
「まあ、マチルダさんが未成年に手を出すのを止めないというのも色々後味悪いよなと」
「え」
表情の固まる僕に対して、アリアはにやりと笑う。
「冗談だよ。単純に具合の悪い君を見過ごせないだけだ」
「それはありがたくはあるんだけど……」
別に看病される必要はない気がして仕方ない。
僕の視線に気づいたアリアは苦笑した。
「まあ、君は旅慣れないでしょ。せっかくだからゆっくり休んでほしい」
冷たいタオルをくれたその言葉に従うことにして、かけ布団を引き上げた。
僕は布団の中で少しだけ寝た後、アリアと会話をした。
一つの部屋で女の子と二人きり。
特に親しい女性がいたことのない僕の人生についぞない経験だ。どうなるのかと息を呑む。
いや、トリオが言ってたような話ではなく、女の子と学校のグループ単位でならともかく、私的に二人きりで話した経験なんてほぼない。
それに見たことないくらいの美貌は緊張すると思ったし、それ以前に極めて胡散臭い彼女だ。
結果。
……正直な所、めちゃくちゃ話しやすかったです。はい。
アリアに問われ、僕は旅に出る経緯を説明した。彼女は「……災難だね」と苦笑した。僕としては初めて出会ったまともな反応で、何だか感動した。
その後、村の様子や、僕のことを質問してきたのでそれも答える。アリアはうんうん頷きながら聞いてきたり、向こうも話してきたりする。
具体的に何か特筆するような話をした訳じゃないんだけど、ものすごく話のテンポが合って、ものすごく盛り上がった。
この女の子と話すのはとても楽しい。
現金だとは思うけど、僕はアリアに対して、この短時間で結構な好印象を抱いた。話の合う女の子というものは、軽く五倍以上可愛く見えるものだということも知った。
いや、最初からとんでもなく可愛いけど。
あちらはどうかは知らないけど、様子から言うと、まあ多分嫌われてはいないんじゃないのかな。……嫌わないでほしい。
サイドテーブルに置いてある椅子に腰掛け、こちらに微笑みかけるアリアを見るとそう思う。
話は次第に、明日の話になってくる。
「アリアはコヨミ神殿に行ったことあるの?」
「手前までなら、知り合いがいるから行ったことあるよ。まあ、大した所だし、気をつけようね」
「うん」
お嬢様がそんな所になんで知り合いがいるかなんて思っちゃいけない。
話しすぎて疲れたのか、ピンク色に頬を染めたアリアと話しながら、僕は思う。
コヨミ神殿。
魔力がたくさんあるという場所。
トリオとニルレンが神からマグスを倒すための力を授かった場所。
どんなところかは分からないけど、トリオは元に戻ることが出来て、マチルダさんが記憶を取り戻す手掛かりになればいい。
そこで、僕は息を飲み込む。
ちょっと待て。
記憶を取り戻す?
今、頭に何か重要なことが浮かんだ。
背中にじわりと汗を感じた。
僕が今まで得てきた情報。
それを繋ぎ合わせたら、マチルダさんについて、簡単に思いついてしまう可能性が一つあった。
あまりの現実味のなさについては疑問もあるが、僕の仲間の鳥の状況を見ると、それでも納得出来てしまうわけで。
何で今まで思いつかなかったんだ?
背筋が冷える。
「あのさ、アリア」
たまらず、僕がアリアの方に身を乗り出すと、かけ布団が半分床に落ちた。さっきまで布団の上においていた左手は汗をかいている。突然の僕の行動のせいか、彼女は青くて大きい目を更に開いていた。
「どうしたんだい? 具合でも悪くなった?」
「アリア、あのさ、あのさ……」
「あのさ、じゃ分からないよ」
アリアは軽く息を吐いた。
「確かにそうだけど……、えーと、そうじゃなくてえーと」
「ユウ、ひとまず落ち着こう」
低い声で言うアリア。
僕だってそうしたい。
でも、何故か上手く言えない。とにかく僕は少しでも単語を出すことにした。
「えーと、そう、マチルダさん、マチルダさんって……」
アリアの目つきが変わった。
「マチルダさんがどうかしたの?」
「記憶喪失で……、それで……」
上手く言えない。
上手い言葉が思いつかない。
頭ではそれが全部出来上がっているはずなのに。いざ、口から言葉を発そうとしても、笑えないくらいに発せられない。
僕は額に右手を、口元に左手を添えた。どちらもぐっしょりだ。汗が出てすっかり冷えた右手で、頭を冷やすことは出来ないだろうか。冷まして、心を抑えたい。
この僕のたまらなくもどかしい様子を、アリアは理解してくれたらしい。
アリアは立ち上がり僕から見ると足側、彼女から見ると僕の左側のベッドに腰掛けた。そのつもりはないけど、手を伸ばせば彼女の手にかけられるぐらいの近距離だ。
細く息を吐いてから、彼女は僕を見つめ、ゆっくりと言った。
「マチルダさんの記憶喪失について、何か言いたいことがあるんだね」
「う、うん……」
「何か思いついたことがあるんだね」
僕は何回も頷いた。
アリアは目を伏せた。
「どうする? 今なら、助けることはできるから、言うの試してみる?」
「……そうする」
何とかここで言わないと。自分の中だけに閉まっておける考えじゃない。これは。
僕は右手を下ろし、恐る恐る口を開いた。
「えーと……、僕、思うんだけど、マチルダさんってに――」
次の言葉は言えなかった。
僕は両手で頭を押さえた。
「ユウ! ユウ!」
アリアの声が聞こえる。遠くからのように思えるけど。
いや、遠くからにしか思えない。
何もかもが遠くに思える。
分からない。
これ以上近づいてはいけない気がする。
そんなことをしてはいけない気がする。
アリアの声がどんどん小さくなっていく気がした。
僕の気はどんどん彼女から離れていく気がした。
「ユウ…………」
言いたかったことを、彼女に伝えられない。
何を伝えようと思ったのかも分からない。
僕はどうすればいいんだろう。
分からないままでいたら、全部が真っ白になってしまった。
辺り一面、雪とは違う、本当に何もない真っ白な世界。
僕はそこでただ佇んでいた。
どこからか追い出された。はっきりと考えたことじゃないけど、無意識にその言葉だけが浮かんできた。そんなことだけが頭の中にある。
「……ユウ、落ち着いて」
遠くから誰かの声がした。
「戻ってきて……」
鈴のように転がる甲高い声と、それとはあまり合わない、やたら淡々とした口調――アリアの声だ。
何か、温かいものが僕に触れた。
その拍子に僕は何かから、するりと抜けた気がした。
「ユウ!」
僕が目を開いた一番に聞こえたのはこの言葉だった。
目の前には、ピンク色の布地――
あ。
「ご、ゴメン!」
何を思うよりも先に、それが何なのかを認識した僕は大急ぎで起き上がろうとして派手にぶつかり、また元の位置へと戻った。
「痛たたた……」
頭上から聞こえたのはアリアのそんな言葉。
「……下方からの頭突きはなかなか辛いものがあるね」
「ゴメン、アリア」
またぶつけてはかなわないので、僕はとりあえずそのままの位置で答えた。アリアは体を傾けたらしい。もう起き上がっても大丈夫と言われた。しかし、大丈夫と言われても直前の痛みは確かなもので。僕はそろりそろりと起き上がることにする。
今度はぶつからないでアリアの顔を見ることが出来た。彼女は少し赤くなった顎をさすっている。
「そんな元気があるなら、もう平気かな」
「うん……。ゴメン、ありがと、アリア」
「いや、今回は私が悪い。見通しの甘さで苦しい目に合わせ、申し訳ない」
アリアは深く頭を下げた。
その後、ピンク色のワンピースを軽くひっぱり、しわを伸ばした。
「この事象に対しての対処をしたいんだけど、君の今の体調では今すぐは辛い。今、君がやらなくてはいけないことは、休むこと」
「何か、ずっと休んでいるような気もするけど」
「気にしない。この事象に耐えるためには、休む、即ち眠ることが重要なんだ」
不服な僕の視線に対し、アリアは半眼になった。
「ほら、とっとと眠らないと、ピールス草のポーションを飲ませるよ。もちろん単独で」
ピールス草。寝付きを良くするポーションによく入っている。ただ、起きた直後は頭がガンガンしやすい。眠らない子への定番のお仕置きではある。
母さんがいつまでたっても寝ない僕に「夢の中でお化けが襲ってくるわよ!」といいながら無理やり飲ませたことがある。何回か。
ポーション工場の開発職というプロ中のプロである母さんの、ピールス草の使い方はなかなか恐ろしかった。
……お化けが苦手なのはそれかもしれない。
脅されたし、何だかんだ文句を言ってみても、結局、まだ頭がふらふらとすることもあり、僕はおとなしく眠ることにした。
トリオ達はいつ帰ってくるんだろうね。