【閑話4】3
何となく気まずくなる。
アリアは俯いて僕の参考書で顔を隠す。隠しきれていない耳は赤い。
それを確認した後、僕は両手で両方のこめかみ辺りを押さえて、俯いた。
ちょっと前までは、マチルダさんが見かけから言動まで魅力的でたまらないとアリアが力説したり、トリオの羽が抜けた場合に人間に戻ったら何が抜けた状態になっているだろうと二人で考えたり、夕飯の焼き鳥が美味しかった話をしたり、ずっと雑談をしていたんだけど、この状況を突然互いに意識してしまった。
僕は今、夜に女の子と二人きりで起きているのだ。極めて話の合う女の子と。
間ができる。
アリアは身体の方向を少し変え、本を読み始める。僕も入学後のテストのための参考書を手に取って、しおりから頁を選ぶ。
開いたページは僕の得意分野である魔工具の一工程の範囲だけど、こんな空気の中では当然頭に入らない。
しばらくそんな感じだったけど、突然背後からきょるきょると鳴き声がした。びくりとする。
振り向いてみたが、トリオは就寝中だ。
彼は天幕の下でマチルダさんと二人で並んで寝ている
僕は手元に置いてあった剣を握ったけど、アリアが「大丈夫。あの鳴き声は魔物じゃない。夜行性の鳥だよ」と答える。
「……でも、鳴き声トリオに似てるね」
「本当だね」
「そもそも何でトリオはきょるきょる鳴くんだろう? 本当に人なんだよね?」
「そのはずだけど、たまに鳥に同情してるよね」
そこで何となく空気が緩んだ。
二人で顔を見合わせて、ちょっと笑い合って、またお互い本を読み始めた。今度は参考書が頭に入る。
そうしていると、アリアはぽつりと言った。
「あのさ、ユウ。私にも学校の記憶はあるんだ」
記憶。
その言葉を、僕は口の中で繰り返した。
僕は顔を上げる。アリアは本を閉じ、少し遠くの地面を見ていた。
彼女が持っている『記憶』を掘り起こしているのだろうか。
「うん。学校は少なくとも、好ましい存在ではなかったようだ。先生にも、学生にも、誰かに何かをされたわけでは全くないんだけど、ただひたすら居心地が悪かった。辛かった。だから、自分の世界に引きこもろうとしていた。自分が大好きな世界にね」
言い捨てるように言葉を吐く彼女は、それに気づいているのだろうか。それともそれについて無意識なのだろうか。
そう思いながら、僕はただ黙って彼女の話を聞いていた。
「でも、自分の世界ということは、自分でやらなきゃいけないんだ。どんなに似た考えの持ち主だとしても、似てるだけで別人なんだから、操り人形には成り得ない。自分以外が自分の思ったように動くわけないのだから」
アリアの言葉は少し怒気を含んでいる。
「理想を寸分違わぬ世界を作りたいなら根幹を人に任せてはいけないし、そうでないなら、相手の判断を許容しないといけない」
それは一体誰の話なんだろう。
そんな身勝手な存在は。彼女のことなんだろうか?
僕の中で、ひたすら疑問が渦巻く。彼女は、記憶の話をし始めてからここまで一回も「私」と言っていない。
テービットの娘の話かもしれないし、違うかもしれない。知っている誰かの話なんじゃないかとも思うし、そうじゃなくて彼女の話かもしれないとも思う。
でも、正解は僕には分からない。
彼女の話す記憶は、僕の手が届く距離にはない遠い世界の話だとしか思えない。
向かい合わせのこの位置から一歩進んで腕を伸ばせば、彼女に触れることなんてたやすいはずなのに。
現実離れした美少女は、その見た目以上に僕とは遠く離れた場所にいる。
彼女には、おかしなところが多すぎる。
僕がここで一、二歩進んで手を伸ばそうとしても、彼女が話す内容には辿り着けない。
僕はただの普通の村人で、彼女は現実離れしたどこかの世界の住人だ。
今、ほんの一瞬だけ顔を見合わせた関係でしかない。
悔しくなって、唇を噛みしめ、下を向いた。
斜め上から照らしているランプが作る影を見つめる。 もう少しランプの角度を変えれば、影だけでも届いたのかな。少し伸びただけの僕の影は彼女に近づくことはできていない。
でも、それが動いた時、柔らかい空気を感じた。
アリアが立ち上がって伸びをしていた。身体をほぐすように、腕をぐるぐると回す。
「ユウ」
僕が手を届かせてみたい彼女はこちらを向く。
「今、凄く楽しいんだよね。色々と準備はしてきたけど、こんな風にみんなで旅をすることが出来るなんて思わなかった。初めてのことも多いし」
「……僕は、こんな旅になるとは思ってなかったよ」
「まあ、君はそうだよね。でも、気軽に話せる相手が、ユウがいるのは、私としてはとても有り難いことだよ」
微笑んだアリアは一歩僕に近づいて、屈む。一つに纏めた艷やかな髪がゆらりと揺れて、甘い匂いがふわっと鼻をくすぐる。
「ユウさ、こんな旅になったというのは、君にとって良いことかい? 悪いことかい?」
すっかり見慣れた、青く深い色合いをした大きい瞳が僕を見る。
旅に出て三週間ちょっと。アリアと出会って三週間弱。鳥とお姉さんと女の子と僕は多分、普通の村人はおろか、冒険者でもないような道のりを歩いている。
それについての気持ちはすっかり決まっている。
僕は迷わず答えた。
「良いことだよ」
大変だけど、嫌ではない。少なくともトリオ、マチルダさん、それからアリア。旅の仲間である彼らと出会えたことは、僕にとってとても良いことだと思う。
ほっとアリアは息を吐く。
「良かった」
「アリアが良かったなら、良かったよ」
「うん。ユウが良かったなら、良かった」
何となく笑い合う。
先のことは分からない。
でも、僕はとにかく今は旅の仲間と進もうと思っている。
「アリア」
「何だい? ユウ」
僕の呼びかけに、少し首を傾げた彼女に伝えた。
「これからも宜しく」
一瞬だけ目を大きく開いた後、アリアは微笑んだ。
「うん。宜しくね」
これから何が待ち受けているか分からない。
僕みたいなただの村人が、一生出会わないことに出くわすような気がしてたまらない。
でも、僕は今は彼女と笑い合うことに決めたのだった。
アリアは俯いて僕の参考書で顔を隠す。隠しきれていない耳は赤い。
それを確認した後、僕は両手で両方のこめかみ辺りを押さえて、俯いた。
ちょっと前までは、マチルダさんが見かけから言動まで魅力的でたまらないとアリアが力説したり、トリオの羽が抜けた場合に人間に戻ったら何が抜けた状態になっているだろうと二人で考えたり、夕飯の焼き鳥が美味しかった話をしたり、ずっと雑談をしていたんだけど、この状況を突然互いに意識してしまった。
僕は今、夜に女の子と二人きりで起きているのだ。極めて話の合う女の子と。
間ができる。
アリアは身体の方向を少し変え、本を読み始める。僕も入学後のテストのための参考書を手に取って、しおりから頁を選ぶ。
開いたページは僕の得意分野である魔工具の一工程の範囲だけど、こんな空気の中では当然頭に入らない。
しばらくそんな感じだったけど、突然背後からきょるきょると鳴き声がした。びくりとする。
振り向いてみたが、トリオは就寝中だ。
彼は天幕の下でマチルダさんと二人で並んで寝ている
僕は手元に置いてあった剣を握ったけど、アリアが「大丈夫。あの鳴き声は魔物じゃない。夜行性の鳥だよ」と答える。
「……でも、鳴き声トリオに似てるね」
「本当だね」
「そもそも何でトリオはきょるきょる鳴くんだろう? 本当に人なんだよね?」
「そのはずだけど、たまに鳥に同情してるよね」
そこで何となく空気が緩んだ。
二人で顔を見合わせて、ちょっと笑い合って、またお互い本を読み始めた。今度は参考書が頭に入る。
そうしていると、アリアはぽつりと言った。
「あのさ、ユウ。私にも学校の記憶はあるんだ」
記憶。
その言葉を、僕は口の中で繰り返した。
僕は顔を上げる。アリアは本を閉じ、少し遠くの地面を見ていた。
彼女が持っている『記憶』を掘り起こしているのだろうか。
「うん。学校は少なくとも、好ましい存在ではなかったようだ。先生にも、学生にも、誰かに何かをされたわけでは全くないんだけど、ただひたすら居心地が悪かった。辛かった。だから、自分の世界に引きこもろうとしていた。自分が大好きな世界にね」
言い捨てるように言葉を吐く彼女は、それに気づいているのだろうか。それともそれについて無意識なのだろうか。
そう思いながら、僕はただ黙って彼女の話を聞いていた。
「でも、自分の世界ということは、自分でやらなきゃいけないんだ。どんなに似た考えの持ち主だとしても、似てるだけで別人なんだから、操り人形には成り得ない。自分以外が自分の思ったように動くわけないのだから」
アリアの言葉は少し怒気を含んでいる。
「理想を寸分違わぬ世界を作りたいなら根幹を人に任せてはいけないし、そうでないなら、相手の判断を許容しないといけない」
それは一体誰の話なんだろう。
そんな身勝手な存在は。彼女のことなんだろうか?
僕の中で、ひたすら疑問が渦巻く。彼女は、記憶の話をし始めてからここまで一回も「私」と言っていない。
テービットの娘の話かもしれないし、違うかもしれない。知っている誰かの話なんじゃないかとも思うし、そうじゃなくて彼女の話かもしれないとも思う。
でも、正解は僕には分からない。
彼女の話す記憶は、僕の手が届く距離にはない遠い世界の話だとしか思えない。
向かい合わせのこの位置から一歩進んで腕を伸ばせば、彼女に触れることなんてたやすいはずなのに。
現実離れした美少女は、その見た目以上に僕とは遠く離れた場所にいる。
彼女には、おかしなところが多すぎる。
僕がここで一、二歩進んで手を伸ばそうとしても、彼女が話す内容には辿り着けない。
僕はただの普通の村人で、彼女は現実離れしたどこかの世界の住人だ。
今、ほんの一瞬だけ顔を見合わせた関係でしかない。
悔しくなって、唇を噛みしめ、下を向いた。
斜め上から照らしているランプが作る影を見つめる。 もう少しランプの角度を変えれば、影だけでも届いたのかな。少し伸びただけの僕の影は彼女に近づくことはできていない。
でも、それが動いた時、柔らかい空気を感じた。
アリアが立ち上がって伸びをしていた。身体をほぐすように、腕をぐるぐると回す。
「ユウ」
僕が手を届かせてみたい彼女はこちらを向く。
「今、凄く楽しいんだよね。色々と準備はしてきたけど、こんな風にみんなで旅をすることが出来るなんて思わなかった。初めてのことも多いし」
「……僕は、こんな旅になるとは思ってなかったよ」
「まあ、君はそうだよね。でも、気軽に話せる相手が、ユウがいるのは、私としてはとても有り難いことだよ」
微笑んだアリアは一歩僕に近づいて、屈む。一つに纏めた艷やかな髪がゆらりと揺れて、甘い匂いがふわっと鼻をくすぐる。
「ユウさ、こんな旅になったというのは、君にとって良いことかい? 悪いことかい?」
すっかり見慣れた、青く深い色合いをした大きい瞳が僕を見る。
旅に出て三週間ちょっと。アリアと出会って三週間弱。鳥とお姉さんと女の子と僕は多分、普通の村人はおろか、冒険者でもないような道のりを歩いている。
それについての気持ちはすっかり決まっている。
僕は迷わず答えた。
「良いことだよ」
大変だけど、嫌ではない。少なくともトリオ、マチルダさん、それからアリア。旅の仲間である彼らと出会えたことは、僕にとってとても良いことだと思う。
ほっとアリアは息を吐く。
「良かった」
「アリアが良かったなら、良かったよ」
「うん。ユウが良かったなら、良かった」
何となく笑い合う。
先のことは分からない。
でも、僕はとにかく今は旅の仲間と進もうと思っている。
「アリア」
「何だい? ユウ」
僕の呼びかけに、少し首を傾げた彼女に伝えた。
「これからも宜しく」
一瞬だけ目を大きく開いた後、アリアは微笑んだ。
「うん。宜しくね」
これから何が待ち受けているか分からない。
僕みたいなただの村人が、一生出会わないことに出くわすような気がしてたまらない。
でも、僕は今は彼女と笑い合うことに決めたのだった。
閑話終了です。
次から本編に戻って話がぐぐっと動く予定です。
気に入ってくださった方はコメントや何かを下さると喜んでうれしょんします。
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