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6.(9)
 少し落ち着いたらしいマチルダさんはタオルを強く握りしめて呟いた。

「……会いたいな。誰か分からないけど」

 何度か励ますような言葉を言ったトリオだったけど、首を振り、翼を振った。翼からタオルに白いもやが出る。細かい氷かな。

「……ありがと」

 マチルダさんは短く礼の言葉を言い、タオルを目に当てた。

「ひとまず、ワレももうちょい元気だしい。そんなメソメソ泣いとってどうするんじゃい。そんな大切なやつ会うゆう時に、停滞前線女になっていたらどうしようもないじゃろ」
「……あんた、本当にわたしに対して優しくないわよね。わたしの会いたい人はあんたと違って優しいれっきとした立派な『人間』だろうから別にいいけどさ」
「はっ、ワシの優しさを解せんやつに、真の立派が分かるものかのう?」
「解せないから、分かるのよ」

 二人が静かに軽口を叩き合い始めたところに、ずっと黙っていたアリアが口を挟んだ。

「そろそろ、話に入っていいかな?」

 トリオとマチルダさんは、案外素直に同意した。アリアは軽く息を吐いてから、言う。

「あのさ、もう一人、連れに加えてほしい人がいるんだ。コヨミ神殿に行く上で、確実に手助けしてくれる人なんだけど」
「どんな人かしら?」
「説明するよりは会った方が早いや。その辺にいると思うから呼んでくる」

 後ろを振り向いたアリアを、僕は引き止めた。

「ね、ねえ……。さっきの人?」

 アリアは黙って頷いた。僕は今は痛くないこめかみを押さえた。

「あの人は本当に大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だいじょうぶ。ユウ、君は待ってて。すぐ戻るからさ」

 彼女は言い、さっと駆け出した。その勢いに押された僕は、思わず立ち止まってしまった。そうしている間にアリアは行ってしまった。
 僕はあの人にあったときの寒さを思い出した。背すじが丸まった。
 不安さが顔に出ていたらしい僕に、元気になったマチルダさんは軽く言う。

「その新しい仲間って人を連れてくるだけでしょ? すぐに戻ってくるわよ」
「まあ、泣き虫ベソかき串刺し女の言う通りじゃな」
「泣いてない!」
「嘘つけい!」

 トリオとマチルダさんはすっかりいつも通りだ。

 でも。

 僕は息を吐く。

 アルバートさんが、アリアとかなり親しいのは分かった。旧知らしいアリアだけでなく、僕に対してすら、見せる表情はとても柔らかくてやさしそうな人だった。

 ただ身にまとったあの雰囲気が得体が知れない。恐ろしい。
 あのおじいさんが、僕たちにとっていい存在なのか、悪い存在なのかは分からない。ただ一つだけ言えるのは、あのおじいさんは僕とは違い、ただ者ではないということだけだ。

 ただ者じゃないから、何が起こるのか全然想像がつかない。それに、もっと色々な要素も加わり、僕はますます不安になる。
 これは、僕のような人間が対処できるものではない。

 そうだ。僕のような、その辺のその他大勢である普通の村人には。

 僕は前を向いた。
 そこには軽く言い合っている一人と一羽がある。

 僕の今の旅の仲間である、記憶をなくした勇者とそのパートナー。大魔法使いニルレンと魔法剣士トリオルース・ナセル。

 彼らは僕と違う。僕と違ってああいう存在に対して何かしらの対処ができる存在だと思う。
 それなのに、対処できるであろうこの一人と一羽には気付いていない。分かっていない。

 その理由は恐らく僕の想像通りなんだろうけど、でも、やっぱり納得いかない。イライラする。

 すっかり元通りの二人に苛立った。

 だから僕は言ってしまった。

 アリアは、僕に消えて欲しくないと言ったのに。その言葉の具体的な意味は分からないけど、それでも僕も消えることが恐いのに。

 でも、何かが僕の背中を押しているように、あっさりと言葉が口から溢れた。

「何で、何で疑問に感じないんですか? 新しい仲間は何者なのかって」

 マチルダさんはきょとんとした顔で僕を見る。トリオも似たようなものだ。

「何者って、アリアちゃんの知り合いなんでしょ」

 やっぱりだ。

 マチルダさんとトリオだと、ここで終わってしまう。でも、僕の場合は違う。
 それは僕がその辺によくいる取るに足りない、いてもいなくてもいいような、存在を忘れられるようなごく普通の村人だからだろう。

 僕はそのまま一息に言葉を続けた。

「フミの町のお金持ちの娘であるアリアの知り合いが、何でフミの町から遠いこんなへんぴなところにいるのかとか、コヨミ神殿に行くのに役立つってどういうことなのかとか……」

 フミの町で覚えのある感覚を誤魔化すように、一回唇を噛みしめる。

「今のアリアの様子だけじゃない。今までだって、この旅はずっとずっと矛盾でおかしいことばかりなのに。何で……」

 僕は今朝ハヅに入る前に、彼女にぶつけた言葉を思い出す。

 テービット家へ入ってから出るまでの経緯。アリアの名前が途中で突然変わったこと。マチルダさんの同行の仕方。突然上手くいくようになった旅。
 他にもあるけど、これが僕が疑問に思う代表格だ。

 アリアが注意したことは覚えているけど、言わずにはいられなかった。何かに操られているようだ。思ったとおり、僕はまためまいがした。足元がふらつく。

 同時に、僕はここにいてはいけない。あの気持ちがまた胸の中へとやって来た。
 でも、口が動いてしまう。

「何で、主役はこの舞台の、物語の矛盾に気付けないんだよ」

 それから視界が閉ざされた。足元がゆれた。
 胸の辺りから聞こえたパチンという何かがはじけた音。

「ユウ!」
「ユウ君!」

 トリオの声、マチルダさんの声がしたと同時に、自分の体が温かい何かに受け止められたように感じた。……マチルダさんが受け止めてくれた?

「ねえ、大丈夫? 大丈夫なの? ユウ君」
「ユウ! ワレ、どうしたんじゃい!」

 ばっさばっさと翼の羽ばたく音。トリオも心配している。

 ……ゴメン。

 誰に対してか分からないけど、謝りたくなった。

 これはトリオとマチルダさんに言ってはいけないことなのは分かっていた。

 もしもこの一人と一羽が理解したら、彼らだって僕と同じ存在になってしまう。そう、『ここにいてはいけない存在』に。

 ……無意識に出た言葉だけど、多分そんなものだ。でなければ、ここまで誰かが僕をここから離れさせようとするはずがない。僕の意識は今、足場がない底無し沼のようにあやふやで、いつでも消えてしまえるようだった。

 でも、ここにいてはいけないのなら、僕は何処にいれば良かったのだろう?
 ずっとウヅキ村にいれば良かったのだろうか?
 分からない。

 でも――とにかく、僕はここにいてはいけなかった。
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