6.(10)
ここは一体どこなんだろう?
上も下も右も左も前も後も分からない。
真っ暗というわけではない。でも、明かりがあるわけでもない。暗闇の中で何かがうすぼんやりと見えるというわけでもない。
本当に分からないんだ。
本当に何にも感じることが出来ないんだ。
ぼんやりする頭で僕は考えた。これは一体どういうことなんだろうと。僕は一体どうしてしまっているんだろうと。
答えはすぐに分かった。
そうか。
ここはどこでもない。
どこでもないから、何があるわけでもない。
上も下も右も左も前も後もないし、暗闇も明かりも何もないんだ。そう、そういうことなんだ。
そうしたら僕は一体どうなるんだ? 僕は今、僕という存在を感じている。
でも、ロウソクは消える前が一番明るいというのと同じように、僕も自分の存在を一番強く感じているだけなのかもしれない。
つまり、これもすぐに消えてしまうのかもしれない。
消えてしまう。
……色々あったなぁ。
まだ何とか残っている記憶を引っ張り出してみる。旅に出てから、本当に色々なことがあった。
この旅は、僕の十五年の人生の中でのたった三週間弱の出来事だ。
そんな短い期間なのに、この記憶は僕の中でかなりの部分を占めることになった。
今までの平凡な僕の人生。それはそれで結構気に入っていた。少なくとも旅に出たくない程度には。
気付かれにくいとはいえ友達は普通にいたし、趣味もそれなりに楽しんでいたし、何よりも平和で穏やかだった。僕は長期休みをダラダラした後、中級学校に進学して、勉強して、卒業して、どこかに就職して、きっとこのままごく普通の人生を過ごすんだろうなと思っていたよ。
でも、この三週間弱の旅は僕にとって当たり前だったそんなものを、とんでもなく大きいハケでまとめてががっと塗り替えてしまった。
出来事も、出会った人々も。
大切な旅の仲間も出来た。
トリオ。
黄緑色の鳥。西の方言を喋る、妙に親切で面倒見の良い割にやたら卑屈で後ろ向きな性格の鳥。
本当は歴史の教科書にものるようなすごい魔法剣士で、本人は「大したことない」と言うけど、鳥になった今でもすごい魔法を使える。特に得意なのは聞いたことがないくらい珍しい雷魔法だ。
マチルダさん。
短槍使いのお姉さん。元気が良くて明るいかっこいい人。ごく狭い範囲だけど意外に頭脳派のところがある。トリオ曰く、外見はニルレンとそっくりらしい。
トリオとは飽きもせずにいつも口げんかしていた。最近はこのやりとりを結構楽しんでないかこの人? と思ってはいた。
記憶喪失で、自分の記憶を取り戻すために魔力の泉を求めて旅をしていた。彼女の正体は思った通りで間違いなさそうだ。
そして、アリア。
フミの町で出会った女の子。テービットさんの娘らしい? さらさらした長い金髪。大きな青い瞳。ふっくらとしたピンク色の頬。僕が今まであった中で一番の美少女だ。その美しさは、ケースに飾られている人形のようで現実味はない。
でも、見かけと中身は全く違う。ふんわりとした見かけから想像できない。よく片側だけ口角を上げて笑っている。鈴が転がるような可愛らしい声ではあるけれど、いつでも淡々とした口調で物事を喋ろうとしている。色々なことを知っている。
そう。色々なことを。
こんなことになってしまった僕について、彼女はどう思うだろうか。そりゃ、さすがに喜びはしないと思うけど。
呆れるのだろうか、悲しむのだろうか。僕に消えてほしくないと彼女は言っていたと思う。だから、多分悲しんでくれる。
でも、僕はアリアには笑ってほしい。喜んでいてほしい。アリアにはたまに見せる笑顔はとんでもなく可愛いし、人にとっては笑顔になれる状況の方がいいに決まっている。ただ、彼女が本当に笑顔になれる方法は僕には分からないけど。
たとえ、その方法が分かったとしても、もうじき多分消えてしまう僕にはどうこうすることはできないんだろうけど。
……消える。
それがどんなことなのか、はっきり分かった。
死ぬとは全然違う。僕という存在が世界のどこにもいないこと。記憶さえもないんだ。
最初から最後まで僕はいなくなるということだ。僕が今まで生きてきたはずの世界から僕という存在だけがきれいにいなくなる。
消しゴムで消すよりもきれいさっぱりと。煙のように跡を残して消えることもしないんだろう。
僕は一体どうすればいい?
……何だか、ぼんやりしてきた。本当に僕は消えてしまうんだ。何も残さずに、何も残せずに。
いやだ。こんなのはいやだ。
でも、どうにも出来ない。
何で、僕はこんなに無力なんだろう。
僕にもニルレンのような力があれば良かったのに。アリアは僕には何の力もないから気づかれなかったといったけど、結局自分のせいで気づかれたし。それなら、ニルレンのような力があれば良かったに決まっている。
そう。結局僕は最後まで普通なんだ。普通だから何にも出来ないんだ。
いやだ。こんなのはいやだ。
どうしよう。
どうすればいいんだろう?
どこからか、うすぼんやりとしたものがやって来る。
前から。そう。前だ。
いつの間にか、僕は方向を感じるようになってきた。僕はものを見ることも出来るようになってきた。
今まで失っていた方向感覚と視覚が戻ってきた。
音だ。音が聞こえる。聴覚も。
「……しっかりしろ」
人の声だ。おじいさんの声。
「おい」
あれ、どこかで聞いたことあるぞ? 僕は戻ってきた感覚を全て記憶の扉まで持っていて、この声の持ち主を捜し当てようとした。
えーと、どこかで聞いたことがある。
「大丈夫か?」
しかも結構最近に。
「君に頼みたいことがある。ここで消えてもらうわけにはいかないんだ」
思い出した。ついさっき話した人だ。
アルバートさん。
アリアの知り合いのおじいさん。優しい表情と恐ろしい雰囲気をもつ人だ。
「頼む。戻ってきてくれ」
……戻る。
どこに?
……ここに。
戻ってくる。そして。
気がついたら、僕は再び自分の存在を確認することが出来るようになっていた。
上も下も右も左も前も後も分からない。
真っ暗というわけではない。でも、明かりがあるわけでもない。暗闇の中で何かがうすぼんやりと見えるというわけでもない。
本当に分からないんだ。
本当に何にも感じることが出来ないんだ。
ぼんやりする頭で僕は考えた。これは一体どういうことなんだろうと。僕は一体どうしてしまっているんだろうと。
答えはすぐに分かった。
そうか。
ここはどこでもない。
どこでもないから、何があるわけでもない。
上も下も右も左も前も後もないし、暗闇も明かりも何もないんだ。そう、そういうことなんだ。
そうしたら僕は一体どうなるんだ? 僕は今、僕という存在を感じている。
でも、ロウソクは消える前が一番明るいというのと同じように、僕も自分の存在を一番強く感じているだけなのかもしれない。
つまり、これもすぐに消えてしまうのかもしれない。
消えてしまう。
……色々あったなぁ。
まだ何とか残っている記憶を引っ張り出してみる。旅に出てから、本当に色々なことがあった。
この旅は、僕の十五年の人生の中でのたった三週間弱の出来事だ。
そんな短い期間なのに、この記憶は僕の中でかなりの部分を占めることになった。
今までの平凡な僕の人生。それはそれで結構気に入っていた。少なくとも旅に出たくない程度には。
気付かれにくいとはいえ友達は普通にいたし、趣味もそれなりに楽しんでいたし、何よりも平和で穏やかだった。僕は長期休みをダラダラした後、中級学校に進学して、勉強して、卒業して、どこかに就職して、きっとこのままごく普通の人生を過ごすんだろうなと思っていたよ。
でも、この三週間弱の旅は僕にとって当たり前だったそんなものを、とんでもなく大きいハケでまとめてががっと塗り替えてしまった。
出来事も、出会った人々も。
大切な旅の仲間も出来た。
トリオ。
黄緑色の鳥。西の方言を喋る、妙に親切で面倒見の良い割にやたら卑屈で後ろ向きな性格の鳥。
本当は歴史の教科書にものるようなすごい魔法剣士で、本人は「大したことない」と言うけど、鳥になった今でもすごい魔法を使える。特に得意なのは聞いたことがないくらい珍しい雷魔法だ。
マチルダさん。
短槍使いのお姉さん。元気が良くて明るいかっこいい人。ごく狭い範囲だけど意外に頭脳派のところがある。トリオ曰く、外見はニルレンとそっくりらしい。
トリオとは飽きもせずにいつも口げんかしていた。最近はこのやりとりを結構楽しんでないかこの人? と思ってはいた。
記憶喪失で、自分の記憶を取り戻すために魔力の泉を求めて旅をしていた。彼女の正体は思った通りで間違いなさそうだ。
そして、アリア。
フミの町で出会った女の子。テービットさんの娘らしい? さらさらした長い金髪。大きな青い瞳。ふっくらとしたピンク色の頬。僕が今まであった中で一番の美少女だ。その美しさは、ケースに飾られている人形のようで現実味はない。
でも、見かけと中身は全く違う。ふんわりとした見かけから想像できない。よく片側だけ口角を上げて笑っている。鈴が転がるような可愛らしい声ではあるけれど、いつでも淡々とした口調で物事を喋ろうとしている。色々なことを知っている。
そう。色々なことを。
こんなことになってしまった僕について、彼女はどう思うだろうか。そりゃ、さすがに喜びはしないと思うけど。
呆れるのだろうか、悲しむのだろうか。僕に消えてほしくないと彼女は言っていたと思う。だから、多分悲しんでくれる。
でも、僕はアリアには笑ってほしい。喜んでいてほしい。アリアにはたまに見せる笑顔はとんでもなく可愛いし、人にとっては笑顔になれる状況の方がいいに決まっている。ただ、彼女が本当に笑顔になれる方法は僕には分からないけど。
たとえ、その方法が分かったとしても、もうじき多分消えてしまう僕にはどうこうすることはできないんだろうけど。
……消える。
それがどんなことなのか、はっきり分かった。
死ぬとは全然違う。僕という存在が世界のどこにもいないこと。記憶さえもないんだ。
最初から最後まで僕はいなくなるということだ。僕が今まで生きてきたはずの世界から僕という存在だけがきれいにいなくなる。
消しゴムで消すよりもきれいさっぱりと。煙のように跡を残して消えることもしないんだろう。
僕は一体どうすればいい?
……何だか、ぼんやりしてきた。本当に僕は消えてしまうんだ。何も残さずに、何も残せずに。
いやだ。こんなのはいやだ。
でも、どうにも出来ない。
何で、僕はこんなに無力なんだろう。
僕にもニルレンのような力があれば良かったのに。アリアは僕には何の力もないから気づかれなかったといったけど、結局自分のせいで気づかれたし。それなら、ニルレンのような力があれば良かったに決まっている。
そう。結局僕は最後まで普通なんだ。普通だから何にも出来ないんだ。
いやだ。こんなのはいやだ。
どうしよう。
どうすればいいんだろう?
どこからか、うすぼんやりとしたものがやって来る。
前から。そう。前だ。
いつの間にか、僕は方向を感じるようになってきた。僕はものを見ることも出来るようになってきた。
今まで失っていた方向感覚と視覚が戻ってきた。
音だ。音が聞こえる。聴覚も。
「……しっかりしろ」
人の声だ。おじいさんの声。
「おい」
あれ、どこかで聞いたことあるぞ? 僕は戻ってきた感覚を全て記憶の扉まで持っていて、この声の持ち主を捜し当てようとした。
えーと、どこかで聞いたことがある。
「大丈夫か?」
しかも結構最近に。
「君に頼みたいことがある。ここで消えてもらうわけにはいかないんだ」
思い出した。ついさっき話した人だ。
アルバートさん。
アリアの知り合いのおじいさん。優しい表情と恐ろしい雰囲気をもつ人だ。
「頼む。戻ってきてくれ」
……戻る。
どこに?
……ここに。
戻ってくる。そして。
気がついたら、僕は再び自分の存在を確認することが出来るようになっていた。