6.(11)
目を開けると、そこには白いものがあった。
最初霧がかって曖昧だった視界は、時が経つにつれて鮮明になってきた。
白いものは白いヒゲ。かなり長い。ほんの少しだけ色褪せた亜麻色の部分もあるけど、大体白い。
長いヒゲの後ろには布。濃い緑色の布。えーと、うん、そう、服だ服。随分とだぼだぼとしているからローブだな。
そういうことで、目に映るそれは、白いヒゲと濃い緑色のローブをもっている人だということは分かった。
それからその人が、つまり誰なのかということも分かった。
僕の近く座っているその人はゆっくりと動いているように見える。
自分の状態も確認してみよう。
僕はどうやら横になっているらしい。頭は少し高い位置にあって、首下から爪先までふんわりと柔らかい感触がした。
それはとても暖かくて心地よい。さっきまで全く感覚がなかったわけで、だからますますその暖かいという感覚は僕にとって重要に思えた。
僕はこの布団にもぐり込んでいる状況がとんでもなく愛しく思えた。
何だかいい匂いもする。
「起きたかい。ユウ君」
穏やかな優しい声。
もっとも、それを、彼とは違う人が同じ口調で言った場合限定なんだけど。
彼が口にしたというのを付け加えると、どうしても、背筋に走る恐怖感を消すことが出来ない。
寝たまま、僕はその人物の言葉にゆっくりと返答した。
「……はい。アルバートさん」
どうやら動いて見えたのは僕が原因のようだ。アルバートさんだけでなくて、他のものも、例えば天井も揺れて見える。
彼は少し僕から離れたあと、湯気のたつカップをベッドサイドに置いた。いい匂いの正体はこのお茶のようだ。
「どうだね? 調子は。さすがに快適とは言えないだろうが、言い訳させてもらうと、これでも努力はした」
「大丈夫、です。多分、もう起き上がれる」
僕はそれを行動で表そうと、体を起こした。一瞬くらりとしたけど、これはずっと横になっていたからだろう。
貧血とまではいかないんだろうけど、あの、休みの日に一日中寝ているときと同じような感覚だ。だから、これだけは、僕がこんな状況になった原因とは全然別物であることは分かった。
今の僕はとりあえず、動ける状態であるということだ。今、とりあえず。
とは言え、気分は最悪だ。めまい自体がずっとある。
キリキリとうずくこめかみを軽く押さえてから、僕は彼に言った。
「ありがとうございます。あなたがいなかったら、僕はここに戻ってくることは出来なかった」
「いや、頼みたいこともあるし、それ以上に君がどうにかなったら、アリア様が悲しむ。そんなあの方を見るのは耐えられない」
確かに、僕もアリアが辛そうな表情になるのは見たくない。
そう思ったが、ひとまずアルバートさんに確認する。
「そういうアリアは?」
彼女の性格だったら、多分ここにいるはず。彼女がこんな風になった僕を放っておけるとは思えない。
絶対とは言えないけど、前に僕が気を失ったときは自分から看病すると言ってた。その記憶はそんなに古くない。だから多分、何もなければそうすると思う。
「君の連れ二人が無理やり寝かせたよ。子供は寝る時間だと言ってな。アリア様は随分と抵抗されたがな」
なるほどね。
「僕の連れの『一羽と一人』は?」
わざとその単位を強調したら、アルバートさんは大きく息を吐いた。
「先ほど少し顔を合わせたがな。今はいては困るので、少々ここから離れてもらっている」
ここまで聞いて、この状況に納得した。
アリアがいない今、あの二人が僕とアルバートさんを二人きりにするというのは少し考えづらい。
特にトリオは。マチルダさんがアリアを部屋に連れて行くにせよ、わざわざ女性陣の部屋に行く必要のないトリオは残ってるだろう。
「魔力が全くないマチルダさんと、人間じゃなくて鳥の姿になってて、力全部をコントロールできるというわけではないトリオぐらいだったら、簡単に操れるってことですか?」
「そういうことだな。君をここに戻すためには、あの二人は邪魔な存在だからな。横で騒がれては集中できない」
無言の僕を、アルバートさんは不安になっていると判断したようだ。穏やかに言葉を続けた。
「なに、二人に直接魔法をかけたわけではないさ。ここを近づきにくいように感じさせる場所にしただけさ。もともと、儂は要件を済ませたいだけで、そこまで長居するつもりはないからな」
「ふーん。会いたくないんですね。あの『二人』に」
思ったよりは強気な言葉をはく僕に驚いたのかもしれない。アルバートさんは一つ息を吸ってから頷いた。
「そうだな」
それからちょっと間が空いた。僕はゆっくりとまだまだ揺れるように見える天井を見上げ、それからアルバートさんの白いヒゲを見た。アルバートさんは僕の頭に右手を置いて、何かごにょごにょ言い始めた。
そうしたら、天井の揺れが止まった。痛むこめかみも治まった。
僕は何回もまばたきをしてから、アルバートさんを見た。
「すごいですね。随分楽になりました。ありがとうございます」
「そのために来たからな」
そして彼は、さて、と言った。
「早速で悪いが、次の段階へと話を進ませてもらいたい。君はそれでいいかな」
来た。
無意識に背筋が伸びる。勢いのまま、そのまま口を開いた。
「いいですよ。想像つく部分も少しはありますけど、僕にはやっぱり情報が足りない。お話聞かせてもらいます」
僕は微笑んだ。
出来る限り不敵そうに。この、見ているだけで、声を聞いているだけで、震えてくる相手と出来る限り対等な位置で話せるように。
僕はこれから色々なものに逆らおうとするのだから。
普通の人間の僕が考える、ごく普通のありふれた幸せを得るために、普通の人間では辿り着けないようなところを目指しているのだから。
僕は大きく息を吸った。汗をかいた背中は冷たいし、頭はまだくらくらするけれど、悪くはなっていない。言いたいことを言えないほどではない。
よし、大丈夫だ。ちゃんとやれる。
僕はこぶしを強く握りしめた。
最初霧がかって曖昧だった視界は、時が経つにつれて鮮明になってきた。
白いものは白いヒゲ。かなり長い。ほんの少しだけ色褪せた亜麻色の部分もあるけど、大体白い。
長いヒゲの後ろには布。濃い緑色の布。えーと、うん、そう、服だ服。随分とだぼだぼとしているからローブだな。
そういうことで、目に映るそれは、白いヒゲと濃い緑色のローブをもっている人だということは分かった。
それからその人が、つまり誰なのかということも分かった。
僕の近く座っているその人はゆっくりと動いているように見える。
自分の状態も確認してみよう。
僕はどうやら横になっているらしい。頭は少し高い位置にあって、首下から爪先までふんわりと柔らかい感触がした。
それはとても暖かくて心地よい。さっきまで全く感覚がなかったわけで、だからますますその暖かいという感覚は僕にとって重要に思えた。
僕はこの布団にもぐり込んでいる状況がとんでもなく愛しく思えた。
何だかいい匂いもする。
「起きたかい。ユウ君」
穏やかな優しい声。
もっとも、それを、彼とは違う人が同じ口調で言った場合限定なんだけど。
彼が口にしたというのを付け加えると、どうしても、背筋に走る恐怖感を消すことが出来ない。
寝たまま、僕はその人物の言葉にゆっくりと返答した。
「……はい。アルバートさん」
どうやら動いて見えたのは僕が原因のようだ。アルバートさんだけでなくて、他のものも、例えば天井も揺れて見える。
彼は少し僕から離れたあと、湯気のたつカップをベッドサイドに置いた。いい匂いの正体はこのお茶のようだ。
「どうだね? 調子は。さすがに快適とは言えないだろうが、言い訳させてもらうと、これでも努力はした」
「大丈夫、です。多分、もう起き上がれる」
僕はそれを行動で表そうと、体を起こした。一瞬くらりとしたけど、これはずっと横になっていたからだろう。
貧血とまではいかないんだろうけど、あの、休みの日に一日中寝ているときと同じような感覚だ。だから、これだけは、僕がこんな状況になった原因とは全然別物であることは分かった。
今の僕はとりあえず、動ける状態であるということだ。今、とりあえず。
とは言え、気分は最悪だ。めまい自体がずっとある。
キリキリとうずくこめかみを軽く押さえてから、僕は彼に言った。
「ありがとうございます。あなたがいなかったら、僕はここに戻ってくることは出来なかった」
「いや、頼みたいこともあるし、それ以上に君がどうにかなったら、アリア様が悲しむ。そんなあの方を見るのは耐えられない」
確かに、僕もアリアが辛そうな表情になるのは見たくない。
そう思ったが、ひとまずアルバートさんに確認する。
「そういうアリアは?」
彼女の性格だったら、多分ここにいるはず。彼女がこんな風になった僕を放っておけるとは思えない。
絶対とは言えないけど、前に僕が気を失ったときは自分から看病すると言ってた。その記憶はそんなに古くない。だから多分、何もなければそうすると思う。
「君の連れ二人が無理やり寝かせたよ。子供は寝る時間だと言ってな。アリア様は随分と抵抗されたがな」
なるほどね。
「僕の連れの『一羽と一人』は?」
わざとその単位を強調したら、アルバートさんは大きく息を吐いた。
「先ほど少し顔を合わせたがな。今はいては困るので、少々ここから離れてもらっている」
ここまで聞いて、この状況に納得した。
アリアがいない今、あの二人が僕とアルバートさんを二人きりにするというのは少し考えづらい。
特にトリオは。マチルダさんがアリアを部屋に連れて行くにせよ、わざわざ女性陣の部屋に行く必要のないトリオは残ってるだろう。
「魔力が全くないマチルダさんと、人間じゃなくて鳥の姿になってて、力全部をコントロールできるというわけではないトリオぐらいだったら、簡単に操れるってことですか?」
「そういうことだな。君をここに戻すためには、あの二人は邪魔な存在だからな。横で騒がれては集中できない」
無言の僕を、アルバートさんは不安になっていると判断したようだ。穏やかに言葉を続けた。
「なに、二人に直接魔法をかけたわけではないさ。ここを近づきにくいように感じさせる場所にしただけさ。もともと、儂は要件を済ませたいだけで、そこまで長居するつもりはないからな」
「ふーん。会いたくないんですね。あの『二人』に」
思ったよりは強気な言葉をはく僕に驚いたのかもしれない。アルバートさんは一つ息を吸ってから頷いた。
「そうだな」
それからちょっと間が空いた。僕はゆっくりとまだまだ揺れるように見える天井を見上げ、それからアルバートさんの白いヒゲを見た。アルバートさんは僕の頭に右手を置いて、何かごにょごにょ言い始めた。
そうしたら、天井の揺れが止まった。痛むこめかみも治まった。
僕は何回もまばたきをしてから、アルバートさんを見た。
「すごいですね。随分楽になりました。ありがとうございます」
「そのために来たからな」
そして彼は、さて、と言った。
「早速で悪いが、次の段階へと話を進ませてもらいたい。君はそれでいいかな」
来た。
無意識に背筋が伸びる。勢いのまま、そのまま口を開いた。
「いいですよ。想像つく部分も少しはありますけど、僕にはやっぱり情報が足りない。お話聞かせてもらいます」
僕は微笑んだ。
出来る限り不敵そうに。この、見ているだけで、声を聞いているだけで、震えてくる相手と出来る限り対等な位置で話せるように。
僕はこれから色々なものに逆らおうとするのだから。
普通の人間の僕が考える、ごく普通のありふれた幸せを得るために、普通の人間では辿り着けないようなところを目指しているのだから。
僕は大きく息を吸った。汗をかいた背中は冷たいし、頭はまだくらくらするけれど、悪くはなっていない。言いたいことを言えないほどではない。
よし、大丈夫だ。ちゃんとやれる。
僕はこぶしを強く握りしめた。