11.(6)
一昨日、僕がこちらに戻ってアルバートさんに助けられ、女性陣の部屋を訪れる前の出来事だ。
僕を助けてくれたアルバートさんは一冊のノートを渡してきた。言われるがまま開いてみると、何やら細かい文字が書かれていた。僕は寝台に腰掛けながら、ぺらぺらとめくった。
さっきまで倒れていた人間にはちょっと辛い。
それでも読み取れたことをアルバートさんに聞いてみる。
「これ、何かの手順ですか?」
僕にはそれだけしか分からない。アルバートさんは言う。
「時間もないため、結論だけ先に述べる。儂とニルレンはアリア様がやろうと考えている計画を潰そうとしている。協力して欲しい」
その言葉に息を飲む。
さっき汗を出し切ったと思っていたのに、僕の背中は再び冷えて、ぬるりとする。
「魔王だけでなく、勇者もですか? アリアがこの世界に害をなすということですか?」
「いや、違う」
恐る恐るした質問をすぐに否定してもらえて、僕はさっきのんだ息をほうっと吐いた。
うん。あくまで僕個人の感情としては、アリアがそんな存在には思えないし、思いたくない。
アルバートさんは聞いてくる。
「アリア様がこの世界の存在ではないことは理解できるな?」
「……そんなこと突然言われても」
病み上がり? の頭を働かせてみる。
「この世界や主役に干渉できる時点で、ただ者ではないんだろうなとは思いますけど。世界とかはちょっとよく分からないです」
世界の存在ではないとかは、ちょっと凡人の僕には今ひとつ分からない。ここが、どうやらトリオやマチルダさんが主要人物である世界らしいと言うことは見当がついているんだけど。
とにかく、言葉の意味と、アリアの動きを思い出して必死で考えてみる。舞台の主要人物でなく、干渉できるということは。
「……つまり、世界の上から舞台の主役を見て、それで操ってるってことですか?」
「大まかに言うと、そういうことだ。アリア様はこの世界を神が思い通りに動かすために、様々な準備をする存在だ」
彼女と僕の視点は何だか違うことは気付いていた。
僕が最近話していて楽しく感じる、少なくとも僕にとっては世界で一番魅力的な女の子は、なかなか想像のつかない存在のようだった。
「アリア様は、ニルレンやトリオルース、そして我々の世界を救う解決方法として、自分を犠牲にして世界を切り離そうとしている」
「……犠牲? 世界を救う? 切り離す? それはつまり?」
今のところ、自分が消えてしまいそうなのと、トリオが鳥なのと、マチルダさんが記憶喪失以外に困っていることはない。
そんな中で救う?
あれ、困っていること結構あるか?
情報量が多くて僕は混乱する。
「今現在は危機ではない。だが、このまま世界に流されていたら、危機が訪れる。アリア様はそれを防ごうとしている」
「えーと、危機を防ぐなら……それが何の問題なんですか?」
勇者と魔王は何をしようとしている?
アルバートさんの言葉に口を挟むと、彼は一呼吸おいてから口に出す。
「アリア様に会えなくなる」
僕は息を飲み込んだ。
「アリア様が考えていることを行うと、あの方は二度とこちらへ来れなくなる。それに、あの方はあちらで存在できる保証もない」
「こちらとあちらは分からないですけど……アリアに、会えなくなって、保証がない……」
具体的には何一つ分からない。
アルバートさんはニヤリと笑って僕を見る。
「君はアリア様と仲が良いだろう?」
「……まあ、よく話はしますけど」
否定はできない。
でも、助けてくれたとは言え、この、ほとんど話したこともない元魔王にそれを素直に言うのは気が進まない。
「アリア様も君のことは気に入っている。だから、協力してくれないか?」
「……アリアに何か危険があるのであれば、協力するのはそれはいいんですけど」
僕はノートを更にぱらぱらとめくった。
何かを規則的に押す。それから、何かが表示された瞬間に、決まった順序で魔法を撃つらしい。魔法を撃つ順番は、メモされていた。
「でも、こんな難しいもの、僕には出来ませんよ。これ、一体何に対するものなんですか?」
「コヨミ神殿にあるものだ。後ろに図を描いてある」
そこには長方形を二つ組み合わせた図があった。下の長方形には、更に小さい正方形が詰め込まれていて、何か細かく書いてある。
顔を近づけて、それを睨んでいると、アルバートさんの声が降ってくる。
「君はまず、これとこの手紙を彼に渡すだけでいい」
顔を上げたら、色褪せた茶色の封筒を渡された。そこには見たことのある筆跡で、送り先と送り主の名前が書いてある。
「……ニルレン」
「手紙は彼に渡して欲しい」
僕は頷いた。
「こちらのノートは儂がまとめたものではあるが、元々は、神殿に隠されていたニルレンからの置き土産だ」
「置き土産……」
ページをめくると、細かいところはさっぱりだけど、実に細かく色々指示が書いてあることだけは分かる。
「ニルレンは儂がここの神官になることと、アリア様が儂に声をかけることを知っていた。ここに隠しておけば、いつか気付くと思ったのだろうな」
僕は、トリオが鳥になる数日前、ニルレンがしばらく家を不在にしていたという話を思い出した。
ここに来ていたのか。
「この内容は、勇者が作り、魔王が四十年かけてまとめた。知識のぶつけ合いだ。一回きりの一方通行で返信はないから、残念ながら、意見交換はできなかったが、求めているものは同じだし、知識としても有意義な時間ではあった」
かつて世界を滅ぼそうとする者と、救おうとした者。
世界を救った勇者は、滅ぼした相手に希望を託したと言うことか。
元魔王はゆっくりと言う。
「アリア様と出会ってから四十年余り。儂がしがない神官なのは変わらないが、その間に立場は変わった。出会った際には一人だった我が子は三人になった。そんな子供達もすっかりただの中年だ、それぞれ自立し、中には家庭を築いているものもいる。儂も妻と共白髪だ」
アルバートさんはするりと白髪を撫でた。
「その間、ずっとアリア様は変わらない。姿形はころころと変わるが、中身は変わらない。ただ十六歳の少女のままだ」
その言葉に僕は唇を噛んだ。
「最初は娘のような気持ちで接していたが、近頃は孫よりも若い」
僕の手元をアルバートさんは指した。色褪せた封筒がそこにある。
「置き土産によると、ニルレンも、彼女と年が離れていくことを恐れていたようだな。あの二人は仲が良かったようだ」
今は一応、僕の一つ上の年齢の少女ということになっている。
そんなアリアを、近い将来、僕が追い越してしまうということか。いや、その前に、世界を救うために会えなくなるって言っているんだっけ。
このままでは、僕は近い将来、彼女と同じ道は歩めなくなると言うことは分かる。
手元の封筒を見つめる僕に、アルバートさんはゆっくりと伝える。魔王としてのおどろおどろしい空気を持っているにも関わらず、この人の話し方は物凄く聞きやすくて柔らかい。
「ニルレンも、儂も望みは同じだ。アリア様がよければだが、この世界で暮らして欲しいと言うことだ。我々と同じく年を積み重ねられる存在として」
アルバートさんは言葉を続けていくけど、僕は自分がどこまで理解しているかが分からない。
ここまで聞いてきた感じ、情報量は多いのにも関わらず、説明が少なすぎる。
……まず、やらなきゃいけないことを確認だ。
「これ、僕にどうしろというんですか」
アルバートさんは袋にこのノートをしまい、寝台の近くに置いた。
「これはここに忘れていく。明日、彼に返しに来てくれるよう頼んでくれないか? トリオルースにしか出来ないものなのだ。やり方を教える」
ここで、僕はとりあえずこれだけ把握した。
アルバートさんとニルレンは、アリアのために彼女の計画を潰したい。
ニルレンは、トリオにこのノートの内容をやらせるために、コヨミ神殿に行くように伝えた。アルバートさんも僕たちを助けてくれた。
「分かりました。一応確認しますけど、アリアには気付かれちゃいけないんですよね?」
「そうだな。あの人は案外自己犠牲が好きだ。アリア様に気付かれると、必死で抵抗されたあげく、創造神にバレて全てを無にされるかもしれないな。アリア様が選ぶその時までは手段を隠しておきたい」
その言葉に僕は首を傾げる。
「……それ、アリアは望んでいないってことなんじゃないんですか?」
大変で、しかもアリアが望んでいないことを、僕たちがやる意味があるのか?
抗議の視線を向けた僕に対し、アルバートさんは首を振った。
「いや、あの方は自身を犠牲に簡単で確実な方法をとろうとしているだけだ。儂とニルレンは複雑ではあるけれど、それでも理論としては問題ない方法を、最近やっと組み立てあげることが出来たのだ。アリア様が選択できるようにしたいのだ」
選択できるように。
その言葉を聞いて、僕は黙って頷いた。
僕を助けてくれたアルバートさんは一冊のノートを渡してきた。言われるがまま開いてみると、何やら細かい文字が書かれていた。僕は寝台に腰掛けながら、ぺらぺらとめくった。
さっきまで倒れていた人間にはちょっと辛い。
それでも読み取れたことをアルバートさんに聞いてみる。
「これ、何かの手順ですか?」
僕にはそれだけしか分からない。アルバートさんは言う。
「時間もないため、結論だけ先に述べる。儂とニルレンはアリア様がやろうと考えている計画を潰そうとしている。協力して欲しい」
その言葉に息を飲む。
さっき汗を出し切ったと思っていたのに、僕の背中は再び冷えて、ぬるりとする。
「魔王だけでなく、勇者もですか? アリアがこの世界に害をなすということですか?」
「いや、違う」
恐る恐るした質問をすぐに否定してもらえて、僕はさっきのんだ息をほうっと吐いた。
うん。あくまで僕個人の感情としては、アリアがそんな存在には思えないし、思いたくない。
アルバートさんは聞いてくる。
「アリア様がこの世界の存在ではないことは理解できるな?」
「……そんなこと突然言われても」
病み上がり? の頭を働かせてみる。
「この世界や主役に干渉できる時点で、ただ者ではないんだろうなとは思いますけど。世界とかはちょっとよく分からないです」
世界の存在ではないとかは、ちょっと凡人の僕には今ひとつ分からない。ここが、どうやらトリオやマチルダさんが主要人物である世界らしいと言うことは見当がついているんだけど。
とにかく、言葉の意味と、アリアの動きを思い出して必死で考えてみる。舞台の主要人物でなく、干渉できるということは。
「……つまり、世界の上から舞台の主役を見て、それで操ってるってことですか?」
「大まかに言うと、そういうことだ。アリア様はこの世界を神が思い通りに動かすために、様々な準備をする存在だ」
彼女と僕の視点は何だか違うことは気付いていた。
僕が最近話していて楽しく感じる、少なくとも僕にとっては世界で一番魅力的な女の子は、なかなか想像のつかない存在のようだった。
「アリア様は、ニルレンやトリオルース、そして我々の世界を救う解決方法として、自分を犠牲にして世界を切り離そうとしている」
「……犠牲? 世界を救う? 切り離す? それはつまり?」
今のところ、自分が消えてしまいそうなのと、トリオが鳥なのと、マチルダさんが記憶喪失以外に困っていることはない。
そんな中で救う?
あれ、困っていること結構あるか?
情報量が多くて僕は混乱する。
「今現在は危機ではない。だが、このまま世界に流されていたら、危機が訪れる。アリア様はそれを防ごうとしている」
「えーと、危機を防ぐなら……それが何の問題なんですか?」
勇者と魔王は何をしようとしている?
アルバートさんの言葉に口を挟むと、彼は一呼吸おいてから口に出す。
「アリア様に会えなくなる」
僕は息を飲み込んだ。
「アリア様が考えていることを行うと、あの方は二度とこちらへ来れなくなる。それに、あの方はあちらで存在できる保証もない」
「こちらとあちらは分からないですけど……アリアに、会えなくなって、保証がない……」
具体的には何一つ分からない。
アルバートさんはニヤリと笑って僕を見る。
「君はアリア様と仲が良いだろう?」
「……まあ、よく話はしますけど」
否定はできない。
でも、助けてくれたとは言え、この、ほとんど話したこともない元魔王にそれを素直に言うのは気が進まない。
「アリア様も君のことは気に入っている。だから、協力してくれないか?」
「……アリアに何か危険があるのであれば、協力するのはそれはいいんですけど」
僕はノートを更にぱらぱらとめくった。
何かを規則的に押す。それから、何かが表示された瞬間に、決まった順序で魔法を撃つらしい。魔法を撃つ順番は、メモされていた。
「でも、こんな難しいもの、僕には出来ませんよ。これ、一体何に対するものなんですか?」
「コヨミ神殿にあるものだ。後ろに図を描いてある」
そこには長方形を二つ組み合わせた図があった。下の長方形には、更に小さい正方形が詰め込まれていて、何か細かく書いてある。
顔を近づけて、それを睨んでいると、アルバートさんの声が降ってくる。
「君はまず、これとこの手紙を彼に渡すだけでいい」
顔を上げたら、色褪せた茶色の封筒を渡された。そこには見たことのある筆跡で、送り先と送り主の名前が書いてある。
「……ニルレン」
「手紙は彼に渡して欲しい」
僕は頷いた。
「こちらのノートは儂がまとめたものではあるが、元々は、神殿に隠されていたニルレンからの置き土産だ」
「置き土産……」
ページをめくると、細かいところはさっぱりだけど、実に細かく色々指示が書いてあることだけは分かる。
「ニルレンは儂がここの神官になることと、アリア様が儂に声をかけることを知っていた。ここに隠しておけば、いつか気付くと思ったのだろうな」
僕は、トリオが鳥になる数日前、ニルレンがしばらく家を不在にしていたという話を思い出した。
ここに来ていたのか。
「この内容は、勇者が作り、魔王が四十年かけてまとめた。知識のぶつけ合いだ。一回きりの一方通行で返信はないから、残念ながら、意見交換はできなかったが、求めているものは同じだし、知識としても有意義な時間ではあった」
かつて世界を滅ぼそうとする者と、救おうとした者。
世界を救った勇者は、滅ぼした相手に希望を託したと言うことか。
元魔王はゆっくりと言う。
「アリア様と出会ってから四十年余り。儂がしがない神官なのは変わらないが、その間に立場は変わった。出会った際には一人だった我が子は三人になった。そんな子供達もすっかりただの中年だ、それぞれ自立し、中には家庭を築いているものもいる。儂も妻と共白髪だ」
アルバートさんはするりと白髪を撫でた。
「その間、ずっとアリア様は変わらない。姿形はころころと変わるが、中身は変わらない。ただ十六歳の少女のままだ」
その言葉に僕は唇を噛んだ。
「最初は娘のような気持ちで接していたが、近頃は孫よりも若い」
僕の手元をアルバートさんは指した。色褪せた封筒がそこにある。
「置き土産によると、ニルレンも、彼女と年が離れていくことを恐れていたようだな。あの二人は仲が良かったようだ」
今は一応、僕の一つ上の年齢の少女ということになっている。
そんなアリアを、近い将来、僕が追い越してしまうということか。いや、その前に、世界を救うために会えなくなるって言っているんだっけ。
このままでは、僕は近い将来、彼女と同じ道は歩めなくなると言うことは分かる。
手元の封筒を見つめる僕に、アルバートさんはゆっくりと伝える。魔王としてのおどろおどろしい空気を持っているにも関わらず、この人の話し方は物凄く聞きやすくて柔らかい。
「ニルレンも、儂も望みは同じだ。アリア様がよければだが、この世界で暮らして欲しいと言うことだ。我々と同じく年を積み重ねられる存在として」
アルバートさんは言葉を続けていくけど、僕は自分がどこまで理解しているかが分からない。
ここまで聞いてきた感じ、情報量は多いのにも関わらず、説明が少なすぎる。
……まず、やらなきゃいけないことを確認だ。
「これ、僕にどうしろというんですか」
アルバートさんは袋にこのノートをしまい、寝台の近くに置いた。
「これはここに忘れていく。明日、彼に返しに来てくれるよう頼んでくれないか? トリオルースにしか出来ないものなのだ。やり方を教える」
ここで、僕はとりあえずこれだけ把握した。
アルバートさんとニルレンは、アリアのために彼女の計画を潰したい。
ニルレンは、トリオにこのノートの内容をやらせるために、コヨミ神殿に行くように伝えた。アルバートさんも僕たちを助けてくれた。
「分かりました。一応確認しますけど、アリアには気付かれちゃいけないんですよね?」
「そうだな。あの人は案外自己犠牲が好きだ。アリア様に気付かれると、必死で抵抗されたあげく、創造神にバレて全てを無にされるかもしれないな。アリア様が選ぶその時までは手段を隠しておきたい」
その言葉に僕は首を傾げる。
「……それ、アリアは望んでいないってことなんじゃないんですか?」
大変で、しかもアリアが望んでいないことを、僕たちがやる意味があるのか?
抗議の視線を向けた僕に対し、アルバートさんは首を振った。
「いや、あの方は自身を犠牲に簡単で確実な方法をとろうとしているだけだ。儂とニルレンは複雑ではあるけれど、それでも理論としては問題ない方法を、最近やっと組み立てあげることが出来たのだ。アリア様が選択できるようにしたいのだ」
選択できるように。
その言葉を聞いて、僕は黙って頷いた。