残酷な描写あり
第六話 星の光一つ
ガズルが苦い顔をしながら、そして楽しそうに自分たちの過去を話し始めた。どことなく寂しそうではあるが決して辛い事じゃないと言わんばかりに強がる少年がいた。
それは七ヶ月前。
特進を重ね、大学を驚異の早さで卒業したガズルはその若さから職が中々手に付かずにいた、そして等々自分が持ち合わせていた全財産を使い果たしたガズルは生まれて初めて食い逃げをする事にした。
入った食堂は「風潮歌月」という食事処だった、自慢じゃないがガズルは自分自身でよく食べる方だと理解していた、それを良い事に通常の人が食べる何倍もの食事を注文した。
隣に居合わせた客も同じ量を頼んだ、それがアデルだった。アデルはガズル同様持ち金を全て使い果たしていた。それも少ない中、ちまちまと使っていたアデルにしてみればこんな高そうな店にはいるのは初めてだった。
そして二人は年代が近い事から注文が来るまで自分が何者で、どこから来たのかを話し合った。
「へぇ、あんたみたいなのが法術剣士なんだ」
「おう、こう見えても結構腕には自信があるんだ。それでも俺の剣の師には到底敵う事が出来ないけどな」
ガズルは驚いていた、この世界に法術を操る剣士がいる事は以前から知っていた。だがその人物を実際の目で見た事はなかったからである。
「なぁなぁ、法術剣士って事はよ、どんな法術でも使えるって事か?」
「そうでもないな、主に法術ってのはその人にあった力を発揮する物なんだ。例えば俺なんかは攻撃型で炎を操る事しかできない。俺と一緒に剣の修行をしていた奴は風と氷が得意だったかな?」
「へぇ、俺も法術じゃないけど似たような事は出来るんだぜ?」
「似たような事?」
アデルは聞き返した、だが遮るように店の叔母さんが注文の品を全て持ってきた。
「はいよ、しっかしあんた達がたいが小さい割りによく食べるね。まぁ、育ち盛りだからかねぇ?」
冗談を交えながら笑う叔母さんを見ながらガズルは一礼する、外見はともかく意外と礼儀正しい少年だと感じさせてくれる。
「実はさ……俺この後食い逃げするんだ」「実はさ……俺この後食い逃げするんだ」
二人が同時に小声で言った、すると二人は同時に笑い出した。
「なんだお前もか」「んだよ、考える事は一緒か」
また同時に言う、アデルはその一瞬でガズルの事が気に入った。そして有る一つの話を持ちかける。
「なぁ、実は俺義賊のリーダーをしてるんだ、お前で良かったら俺の賊に入らないか?」
「義賊? 主に何をするんだ? 変な事だったら俺はやらないからな」
「なぁに、貴族や金持ち、王族なんかから金を巻き上げてそれを何処かの貧しい村に分け与える、その内十パーセントは俺達の儲け。それだけだ」
ガズルは取り敢えず近くにあったそばを一気に食べた、そして次ぎにカツ丼に手を出す。
「悪くないな、俺は元々暴れるのが好きな男だ。こんなちんけな街じゃ何も出来やしないしな、その話乗った!」
雪降る寒い夜の中ガズルは昔の事を喋った、誰にも話した事のない出来事やアデルと出会ったときの事を話し続けた。
真剣に喋るその表情は何処か寂しそうだった、それを察したアリスは問う。
「泣いてるの?」
不意に出た言葉がガズルに気付かせる、ガズルは知らず知らずのうちに自分が涙していた事に気付く、それは何故涙が出てくるのかが分かるまでしばらくの時間をようした。
そして自分自身で何故なのか気付く。
「いつもなんだ」
「何時も?」
「昔の事を思い出すだけで俺は、自分が情けなくなってくる」
「なぜ?」
「アデルと出会うまで、俺の目は死んだ魚みたいだった。自分自身で暮らしていけるだけの生活費は得られないし、育てて貰った教会も潰れて俺は世界でたった一人になっちまった。何時も誰かが助けてくれるはずの生活から誰も助けてはくれない生活へと転じたからかも知れない。そのことがきっかけで俺は腐った、教会から高い金を出して貰ってまで大学に入ったのに、それが全く役に立たずに俺は今まで生活してきているし。神父さんに悪いと思ってな。それでも、俺はアデル達と一緒に旅してるのが楽しんだ、レイは仲間を見つける旅、アデルはその付き添い。勿論俺もその付き添いだったんだけど、今はちょっと違うんだ」
ガズルは眼鏡を取って涙を拭いた、そしてまた眼鏡をかけ直す。
「俺は、これは俺の旅でもあるんだ、今は亡き神父さんが最後に残した言葉を見つける旅にしようと俺は考えてる」
「最後に残した言葉?」
「それだけは誰にも言えない、アデルだって知らない事さ」
「……」
ガズルは暫く俯いたまま喋らなかった、アリスも喋ろうとはしなかった。不意に顔を横に向けて幻聖石の光を見る、それは着実に先ほどより大きくなっていた、光の下に二人の人影らしき物が見えるほどまで近づいていた。
「アリス」
「え?」
ガズルが突然声を出す、自分が呼ばれた事に気付いたアリスはガズルの方を見る。
「結局、アデルの事はどうするんだ?」
「……」
「んじゃぁ、俺も一つだけ言わして貰って良いかな?」
「何?」
ガズルは眼鏡を取ってそれを右手で握りしめたままアリスの方を向いた、そして真剣な目をして
「俺もお前のこと、好みなんだ」
と言った。そしてアデルにすまないと心の中で呟いた。
「……」
幻聖石が光る下で二人は黙ったまま飛行を続けていた、レイは俯いたままメルを抱きしめメルも黙ったままレイを抱きしめていた、お互いに落ちないように。
「僕は」
レイはその一言を言ったまま次の言葉を出さなかった、頭の中では言葉が見つかっているのにそれが口に出せなかった、メルが悪い訳じゃない、自分の心の弱さに何時しか怒りの感情がわき上がってくる。
そしてまたしばらくの時間が過ぎた。
「そういえばねレイ君」
沈黙を破ったのはメルだった、思い出したかのようにゆっくりとだが話し始めた。
「前に会った時にお話ししたおとぎ話覚えてる?」
「あー、確か幻魔戦記とか幻魔大戦とかって名前の?」
「そうそう、あれって実話の可能性があるんだって。本当かどうか分からないけど」
幻魔大戦、それはおとぎ話として伝わる大昔の大戦の話。八人の魔族が古の王を倒す英雄記。まだ帝国がきちんと機能していた時代、魔物狩りや野獣討伐といった治安維持組織として活動が盛んだった当時の帝国。
魔族や人間とはお互いに干渉し物々交換や共存をしていた。
物語の始まりはこうだ、むかしむかしある所に。子供に聞かせるため緩和的に表現された絵本のようなもので、いつの時代も男の子は英雄記に憧れ、女の子は主人公に恋を寄せる。そんなよくありふれたおとぎ話。
「僕も昔師匠に聞かされたことはあったけど、あれって実在した証拠なんて殆どないんでしょ?」
「そう言われていたんだけれど、一年程前かな? 西大陸の北側に巨大な岸壁に囲まれた島があるじゃない、あそこでおとぎ話に出てきた大きな樹によく似たのが発見されたって帝国側の調査団が発表したの」
おとぎ話に登場する大きな巨木、話の中では幻魔樹(げんまじゅ)と呼ばれている。星のエーテルを吸い成長する大きな大きな巨木。長年星から吸い取ったエネルギーは膨大で、話の中ではそのエネルギーを使って異世界の魔王を召還し世界を滅亡させようと企んだ一人の学者が居た。
その学者については多くの謎があり、今でも幾つかの憶測が飛び交っている。これは帝国とは別の勢力がおとぎ話を伝承として語り継ぐための機関。詳細は分かっていない。
時々ギルドを通じて本が発行されるが、ギルド側は執筆者の事を公開しない。この本が影響を呼び帝国側でも正式な調査へと腰を上げている。だが帝国が調べているのは自分達に有利になる情報のみ、その例えが先ほどの幻魔樹である。膨大なエネルギーを蓄えている幻魔樹をどうにか利用できないかと研究をしているともっぱらの噂だ。
因みに、帝国とギルドは犬猿の仲である。それは先の執筆者非公開に至る。
ギルド側が隠しているその執筆者、いや研究機関の持っている情報を帝国も喉から手が出るほどほしいのである。理由は先に述べた通り。
現在の技術では大樹に蓄積されている膨大なエネルギーを抽出する技法がない。帝国に従事する法術士達は研究者から転換した未熟者ばかり、鍛錬された法術士は世界にも数が数えられている程度の人数しかいない。さらに深く掘り下げれば、まだその大樹が幻魔樹であった証拠はない。外見やおとぎ話に登場する場所が一致しているだけである、しかし状況がとても酷似しているのも事実。
世界にはおとぎ話による大戦(以下、先の大戦)の傷跡が実は所々見受けられるのも事実、一説には昔の人々が先の大戦とよく似た戦争を元に書いた伝記とした仮説、もう一つは実際に先の大戦は存在していたとする仮説。現在はその二通りの解釈がある。どちらも信憑性はとても低い。
「ギルドが発行してる本でなら読んだことはあるけど、実在した大戦だなんて想像がつかないな。今だからこそってのもあるんだろうけど、人間と魔族の共存が僕にはとても信じられない」
「確かにそれはあるよね、でも伝承には確かに共存していた時代もあったって話だよ」
二人はゆっくりと滑空しながら子供のころに読んだおとぎ話を思い出しながら会話する、先ほどの緊張はどこへ行ったのやら。まだ子供の彼らには色恋沙汰より英雄が活躍するおとぎ話のほうが話題としては花が咲く。
「不思議といえばレイ君の持つ剣も不思議だよね」
メルが疑問に常に疑問に感じていた話題を振る、そういえばレイが持つ大剣について触れた事がないのでここで触れてみよう。
レイが持つ大剣、名を「霊剣:ゼロ」という。とても大きな大剣だ、柄の長さ四十センチ、刃で二百センチ程。刃の幅は三十センチ。文字通りの大剣、いや巨剣である。柄から刃の中心に沿って数センチの空洞が開いていて中央にクリスタルがはめ込まれている、クリスタルの中には透明な液体が七割ほど入っている。持ち主本人もこの霊剣については詳しく知らない。彼の父親ガルシスより託された遺品である。
特徴はその巨大さにあらず、不思議な力によって霊剣は現在レイしか扱うことができない。もしも他の者がこの剣を扱おうものなら途轍もなく重く構えることすら困難になってしまう。
だがレイはその剣を軽々と持ち上げる、いくらか法術によって筋力を増加しているとは言え大男が両手で持ち上げることも不可能な重さを誇るこの剣を、十二歳の少年が振るうことなど到底かなわない。だが彼は扱えてしまう。彼らの師匠、カルナック・コンチェルトをもってしてもこの霊剣を扱うことができなかった。
処で、どうして何も説明されず遺品としてレイに渡ったこの剣の名前が分かっているのかというと、柄の部分にその名が彫られていたからである。現代語ではなく古代文字で。
「その古代文字も二千年は昔の文字だよね、どうしてそんな剣が残っているんだろう?」
「わからない、父さんは骨董品を集める趣味もあったからどこかで購入したのかもしれない。でも父さんはこの剣を扱えていたんだよなぁ」
そう、ガルシスはこの剣を扱うことができた。なので正しくはレイ以外に扱えるのはガルシスただ一人だった。しかし五年前にガルシスはこの世を去っている。今現在この霊剣を使えるのはレイただ一人なのである。
「不思議だなぁ、レイ君以外は持つこともできないなんて信じられない」
滑空を続けていた二人は一度付近の山に着地する、滑空した距離はかなりのもので山を一つ越えたぐらいだった。この山を越えれば麓の街が見えてくるだろう。
「ねぇレイ君、一度でいいから私にも持たせて」
「いや、駄目だよ! メルの手がつぶれちゃうよ!」
右腕をブンブンと縦に振る、長距離の移動で疲れたのだろう。そこに隣で目を光らせてレイに頼みごとをするメル。だがレイには簡単に断られてしまった。
「大丈夫、持てないとわかったら直ぐに手を放すから」
「……そういうなら」
腰につけてるポーチから幻聖石を取り出すと霊剣の姿に変えた、そっと地面に霊剣を置くと手を放す。メルは暗い中でその刀身をマジマジと見つめる。
「本当に大きいんだね」
「僕もこれ以上の大剣は見たことがないかな、重たいから気を付けてね」
そういうとメルは小さく頷き、両手で霊剣を手に取った。
「え!?」
驚きのあまりレイは声を上げた、なんとメルは軽々と霊剣を持ち上げてしまった。今までどんなに怪力自慢でも持ち上げることのできなかった、自分以外にその剣を持ち上げて構える人を見たことがなかった。だが目の前で自分より年下の、それも華奢な女の子が霊剣を軽々と持ち上げてしまった。
「わぁ、なにこれすっごく軽い」
「え、え……えぇぇぇぇ!?」
「でもこんなに軽いと攻撃がとても軽そう……そうだ」
メルはブンブンといとも簡単に霊剣を振るう、そして何かを思いついたのか近くにあった木々に霊剣を構える。
「待って、そんな大きな木――」
レイの言葉が言い終わる前にメルは目の前の木に斬撃を入れる。一つ、二つ、三つ、四つ。そのスピードは並の剣士以上の速度だった、スッスッっと簡単に木を刻んでいく。
「すごいね、軽い上になんて切れ味。それに振るう時すっごく力が湧いてくる感じ」
レイは驚愕した。いや、この現場を目撃すれば誰でも驚くだろう。きれいな太刀筋にきれいな切れ目、すべての斬撃が終わると木は音もなく崩れ、倒れるときにメキメキとほかの木を巻き込んで倒れた。
「ありがとうレイ君、こんな面白い剣使ったことも見たこともないよ」
「……」
口がふさがらない、霊剣を受け取ったレイはしばらく固まったまま動けないでいた。メル本人も驚いた様子だったがそれ以上にレイの驚きように彼女は笑った。
「あははは、なんて顔してるのよレイ君」
笑った、ひたすら笑っていた。
場所は変わって先に合流現場へと到着していた彼ら三人。
ホテルの屋上、二人の少年と少女が雪降る夜の中立っていた。
少年は顔を真っ赤にして、少女は戸惑いながら手すりの方へと後ずさりをしていた。例えられない感情とどうして良いか解らない自分の中に有る不可思議な感覚。それが少女の中にはあった。
「……ガズル、君?」
戸惑いながらも目の前にいる少年の名前を呼んだ、すらりとした身体に黒い髪の毛、そこら辺にいる男よりはずっと格好いい少年は目をそらすことなくアリスを見つめていた。
「アデルには悪いと思ってる。でも、俺はっ!」
俺は、そこで言葉に詰まった、次ぎにどの言葉を出して良いのかを考えながら……そして戸惑っていた。
「……」
アリスは黙ったまま屋上を後にした、一人残されたガズルはただ呆然と立っていた。目をつむり親友にゴメンとなんども言葉に出して謝り続ける。それほど悩んだ事だったのだろう。だが、自分の気持ちに嘘は付けなかった。本来ならアデルの事を思い自分は身を引く彼だったが今回ばかりは正直になっていた。
「悪いな、アデル」
また同じ事を言って手すり越しに幻聖石の光を見た。
** ** ** ** ** **
ガズルが部屋に戻ったのはそれから大分経ってからの事だった、アデルがシャワーを浴びて浴そうから出てきたときだった。
「よう、何処に行ってたんだ」
「……」
ガズルは何も言わずにテーブルに腰掛けた、椅子ではなくテーブルにだ。
「なんだよ、ぶっきらぼうだな」
「お前に言われたくないぜ」
アデルはいつもの服に着替えて椅子に腰掛ける、そして目の前のパンに手を伸ばした。堅めできつね色をした美味しそうなパンだ。それをアデルは律儀にちぎって食べる。隣の牛乳にも手を出した。
「んで、どうだったよ?」
「何の話だ?」
「とぼけるなって、さっきまでアリスと一緒に屋上にいただろうが」
「何で知ってるんだ!」
とっさの事でガズルはテーブルから飛び降りて驚いた表情をした。アデルは悪気がなかったように淡々と喋る。
「俺の気配に気付かないなんてまだまだだな、悪いと思ったが盗み聞ぎさせて頂いた」
「盗み聞きって、どの辺りからだよ」
アデルは天井を向いてしばし考え、そして話を聞いていたときの事を思い出した。
「確か、俺達の過去話からかな?」
「過去話って、ほとんどじゃねぇか!」
ガズルは顔を真っ赤にして怒った、アデルはなだめるように苦笑いをしながら
「怒りたいのはこっちだぜ、てめぇもなんだかんだ言ってアリスに惚れてんじゃねぇかよ! 大体なんだ、俺に謝りながら告白するってのはきたねぇぞ!」
ガミガミと怒鳴りだしたアデルを止める事は出来ず、ガズルは壁の方へと追い込まれていく、正論を叩き付けられると流石のガズルも言い返せないらしい。
「大体テメェはなぁ!」
「うるさいわよ、この黒帽子!」
突如後ろからはりせんで脳天を叩かれアデルはその場に蹲った、ガズルは目を点にしてアデルを殴った人間を見る。暫くしてアデルが背中からピコピコハンマーを取り出し殴った張本人に襲いかかろうとした。
「痛てぇ! なにしやが」
アデルの手はすぐに止まってガズルと同じく目を点にした。
「へぇ、私を殴れるのアデル君?」
アリスだった、アデル専用の大きなはりせんを右手に構えて二人の前に仁王立ちしている、アデルはすかさず壁の方へと避難しガズルの横に付く。
「い、いつから居たんだ」
「確か、大体テメェはの所から」
いつから自分の背後にいたのかを確認する、ガズルは慌てながら冷静に答える。
「はぁ、全くもぅ。何であんた達二人はこうも馬鹿なの?」
ため息をつきながら静かにそう言った、その言葉に二人は反論出来なかった。正論、そう言ってしまえば全てが終わってしまうが二人はどうしても言葉が出なかった。
思えばおかしな話でもある、今し方告白された彼女がこうして目の前で自分たちを説教している、何故そんな事が出来るのだろうか。とても気まずいに決まっている、それどころか会うのさえ恥ずかしいだろう。だが彼女はこうして二人の前に現れた。
「……ばか」
そう言い残して自分の部屋に戻っていった。
「焦った」
「同じく」
二人は同時にため息をついてその場にしゃがみ込んだ。そしてお互いを見て笑った、暫く二人は笑いながらお互いを馬鹿にし合い喧嘩寸前の所で止めた。
「あれ、幻聖石の光が消えてる」
「へ? 本当だ」
ガズルが言ってアデルがうなずいた、そして二人はもしかしてと思い部屋を飛び出した、アデルはそのままホテルの外へ、ガズルはアリスを呼びに隣の部屋に駆け込んだ。
「着いたよ、メル」
レイが幻聖石をしまうと二人はその場に落ちた、落ちると言うほど大げさな高さではなかった、街の入り口より少し入った所でレイはメルを抱いたまま着地した。
「……」
メルからは返事がなかった、あまりの寒さと睡魔、何より先ほど霊剣を振り回したあたりから体調不良を訴えていた。ただの疲労だろうと本人は言っていたが、疲れ果てて寝てしまったのだろう。そしてそれはレイにも言えた事だった。
「ははは、もう僕って言わなくても良いんだな。俺も眠いや」
レイはそう言うとメルを抱えたまま倒れた、エーテルの使い過ぎによる限界だった。
「ここまで来て行き倒れかな、ちきしょう……ついてないな」
倒れて尚意識はしっかりとしていた、だがそれもすぐに睡魔に襲われる。
雪が二人の身体に重くのし掛かるように積もっていく、身体は冷え切っていて冷たかった、とても人間の体温ではないぐらいに冷たかった。半袖で無茶をしすぎたからだ。
「ごめん……な……ア……デル…………」
そして深い眠りについた。
とても暖かいものがレイの上で寝ていた、レイは倒れてから二日も寝たきりで起きる様子すら伺えないほどの重傷だった。
身体のほとんどは凍傷と低体温症から来る体内組織の破壊、それは間違いなく死を意味していた、だが奇跡的にもレイは生きていた、その証拠にまだ息はある。脈もあった。
「眠り続けてから丸二日か……」
隣の部屋でアデルとガズル、アリスがそれぞれカップを手に持ってレイの事で心配していた、アデルは帽子をかぶったまま。ガズルは少し厚手の服を着て帽子は取っている。アリスはそのままの格好でそれぞれ椅子に座っていた。
「メルって子は無事だったけど、問題はレイだったなんて誰が想像したよ。でもメルもそろそろ体力の限界じゃないか? あれから丸二日寝ずの看病をしてるんだぜ、俺ならとっくにぶっ倒れてるよ。今は寝てるみたいだけどな。それにしてもレイは無茶をしてくれたぜ全く」
アデルが小言を連発する、気持ちは分かるが今それを言わなくても良いのではないかとガズルは口をとがらす。アリスは二人の意見とは別にメルの事を心配していた。
「レイ君は大丈夫でしょう、なんて言ったってあんた達の仲間なんだから。問題はあのメルって女の子よ、以前は中央大陸で見掛けた事はあったけど、あの子身体が弱かったはずよ?」
両手をあごのしたに組み目を細めながらメルを心配するアリスの顔があった、メルを起こさないように小さな声で呟きながら続ける。
「……あんた達ねぇ、その不思議そうな顔で私を見るの止めない? 私だって女の子だよ、それも年頃の。同じ年代の女の子が男の子を看病してるのよ? 何であなた達はレイ君の看病をしてやらないの? 何で全部あの子に押しつけたりしたのよ!」
「別に押しつけた訳じゃない、メルがそうしたいって言うから」
アデルが苦い顔をしながら言った、アリスが呆れた様子でため息をつく。そして席を立つ。
「私、メルの様子を見てくるね」
そう言って部屋を出た。
「……馬鹿奴等」
ほぼあきらめ顔で隣の元自分の部屋のドアを開けた、ゆっくり音を立てないように慎重に開ける。
(……メルさんはともかく、このままじゃレイ君が危ないわね)
近くにあった椅子に座り暫く考え込んだ、そして自分のバックの中をあさる。
「何か、薬は」
「……ん」
ベッドの方から突如声が聞こえた、後ろを振り返り声の主を確認しようとアリスが立ち上がる。メルだった。ゆっくりと身体を起こしてアリスの方に目をやる。
「アリスさん、何をしてるんですか?」
「え、薬とか無いか探してたんだけど……」
「そうだったんですか、ちょっとビックリしました」
慌てて笑顔を作るメル、だが何処か寂しそうな一面も見られた。
「ほら、あんたの分もあるから飲みなよ。二日間も寝ずの看病してたんだ、身体だってもうボロボロでしょう?」
「あ、有り難うございます」
鞄の中から薬を一つ取り出しそれをメルに差し出した、不器用に受け取るとそれを水も無しに一気に飲み干した。カプセル状の薬はするりと喉を通った。
「それにしてもタフだね、以前中央大陸で会ったときは全然弱っていたのにね」
「そうですか? これでも結構辛いんですよ」
笑いながら答えた、今度は本当の笑顔で笑った、以前に比べると少しは元気になっているかのようには見えるがそれも彼女が作り出す幻影だった。
「それにしてもレイ君は幸せだね」
「幸せ?」
「幸せだよ、こんなに可愛い女の子に看病して貰ってるんだからさ」
「ちょっと、止めて下さいよ。からかわないで下さい」
「からかってるつもりはさらさら無いよ、本当の事を言っただけだもん」
アハハと少し意地悪気味に笑った、ムスッと顔を歪ませて笑うアリスの顔を睨んだ。でもすぐにメルも笑い出した。
「もう、冗談が過ぎますよ……」
「冗談じゃないってば、何時になったら起きるんだろうね彼」
話を切り替えて方向を未だ眠り続けるレイの方を見た、苦しそうに眠るレイの顔は酷く歪んでいた。歯をがちがちと振るわせながら青ざめた表情で天井を向いたまま眠り続けている。
「このままじゃ、明日が峠だね」
「そんな!」
「辛いかも知れないけど、これが現実だよ。それに……」
アリスはそこで喋るのを止めた、彼女はなぜそれほどまでにメルが泣いているのか、身体が震えているのかを理解出来なかった。
理解したのは暫くしてからだった、最初は俯いたまま泣いていた彼女は次第に大声でレイの名前を呼びながら彼に抱きつくようにして泣いた。
「メル……あんた」
「えっぐ……え…………えっぐ」
泣き続けるメルからは何も言葉が返ってこなかった、ずっとレイの事を抱きながら突然声がと切れた。
「……メル?」
呼んでも返事は帰ってこなかった、黙ったままレイの身体を抱いている。
「ちょっとメル!?」
「……」
「冗談はやめ」
メルの元に急いで駆けだし肩を揺らした、するとメルの身体は力が入っていないみたいにだらんとしていた、レイの頭の上に置かれた腕は顔のすぐそばに落ちた。
「メル……メル! メル!?」
力の入っていない身体はとても重かった、とても女の子の力だけでは持ち上げる事は出来なかった。
「メルーーーー!」
「先生、二人は」
「こっちの青年は彼女の看病のおかげかまだ希望はあるが、この子の方はそう長く持たないだろう」
「長くは持たないって、何で!」
突然の事で頭が混乱していたアデルが隣町から連れてきた医者の襟元をわしづかみにした。
「私だって分からん! だが、この大陸に居る医者の大半は私と同じかそれ以下ぐらいの知識しか持っては居ないだろう。身体の事をもっと詳しく知っている人間ならともかく……」
片手でアデルの手を振り払い鋭い形相でアデルの事を睨んだ、睨まれたアデルは自分から仕掛けた事だと自分の中で言い聞かせて何もしなかった。しばらくの沈黙が流れた後突然何かを思い出したかのように鞄に手を回した。
「ちょっと待ちたまえ、忘れていたよ、彼の事を。彼ならこの二人を直す方法を知っているかも知れない。ただ彼は少し特殊で、すぐにその状況を把握して力を貸してくれるかどうか」
「特殊だと?」
今度はガズルが食いかかる、帽子を右手に握りしめて医者の方へとつかつかと歩いていった。
「彼だ、最も東大陸で医学に詳しく身体の仕組みを知っているこの少年だ!」
「少年?」
博士とか教授とかそう言った名前を期待していたアリスが思わず素っ頓狂な声を上げた。
「そうだ、東大陸中部にあるケルヴィン領主の城下町に住んでいる少年だ、帝国から追われる身ではあるがそれをケルヴィン様が庇っているという噂だ。何でも彼に助けられた経験が有るそうでな、帝国から守っているらしい」
「大した奴じゃないか。名前は!?」
アデルが医者を急がす、また襟元を掴んで今度は上下に揺さぶった。
「離したまえ!」
またもや医者はアデルの腕をいとも簡単に片手で振り払い今度はネクタイを直した、そして少しむせた後にようやく口を動かした。
「全く、彼の名はギズー、“ギズー・ガンガゾン”」
アデルとガズルはその名前を聞いた瞬間目を大きく見開いてお互いを見た、その様子に訳が分からないアリスがキョトンとした様子で二人を見る。
「聞いたかアデル」
「あぁ、夢じゃないよな?」
二人は数秒後にお互いの顔を本気で殴った、アデルは身体をひねりながら壁まで吹き飛ばされガズルは少し後ろに飛ばされた。
「ちょっと二人とも何してんのよ!」
アリスが怒鳴りながら言った、二人はいたそうにお互い片方のほっぺたを押さえながら起きあがると同時に
「夢じゃない!」「夢じゃねぇ!」
とそろっていった。
「しかし、彼がそんな簡単に知らない人間の治療なんてするとは思えんがな」
ばつが悪そうに医者が三人に言った、だがアデルとガズルはニヤリと笑って互いに笑った。
「その辺は心配ないさ、ギズーなら絶対にやってくれる!」
「あぁその通りだ、奴はレイを直すだろうよ。こんなに簡単に見つける事が出来るなんてな、半分レイに感謝だ! 本人には悪いけど」
ははは、と笑いながらそう言った。だが医者は困った顔をしてさらに続ける。
「だが問題なのは彼じゃない、ケルヴィン領主様だ。あの人は人間を信じられない人でな、始めは彼の家の前に何人か人間を付けたらしいのだがそれもすぐに取りやめになった、最近じゃ城に招き入れているという噂だ。だから彼に会うのは至難の業だ」
「厄介ですねそれは」
アリスが事の状況をゆっくりと判断しながら冷静に考えた、どうすればいいのかを考え、どうしてアデルとガズルはそんなに楽観的に物事を考えられるのかを考えた。
「確かに厄介だな、流石にあのケルヴィンを敵に回すのは厄介だ」
「厄介でもどうにかしてやらないとな、話し合いで応じてくれないのならこの際、強行突破でもするしかないさ」
簡単に物事を考えすぎていたアデルが突然詰まりだした、ガズルもそう簡単にはいかないという事を学んで落ち込む。それを見ていたアリスと医者は同時にため息をついて呆れた。
だが、実際問題としてギズーをどうにかしてでも手に入れなければ二人は死んでしまうかもしれない、それどころかメルに残されている時間は後僅か。早く手を打たなければレイよりも先にメルの命に関わる。
「そうだ、ガズル! ついでだしアレを始動させられないか!?」
「アレって、もしかしてレイが考えついたアレの事か? 俺は構わんがリーダーのレイが決める事であって俺達にはどうする事も出来ないんじゃないか?」
「だから、レイを助ける為に俺達の独断でアレをやっちまおうって言うんじゃないか! レイもメルが絡んでたら絶対に反対は出来ないだろうからな!」
二人は互いに主語を伏せたままどんどん先の方向へ話を進めていた、全く理解出来ないアリスがアデルの後ろから大声で喋った。
「二人で何を納得してるのよ! 私には全然分からないよ!」
突然の事だったのでアデルは肩をビクつかせて驚いた、医者は何時しか近くにあった椅子に腰掛けている、そして首をかしげた。
「俺達がここに来るまでにレイが作り出した組織の事だよ、話さなかったっけ? 俺達は反帝国組織を作り出した、まだ名前は決まってないけどな」
「その組織をスタートさせて初めて仕事をしようという事だよ。あくまでも表向きは帝国への反発組織だけど内面的な者は全く別の物なんだ。今はまだ形だけだけど今後組織として動くようになれば後々ケルヴィン領主にだってわかってもらえると思う、多分だけど」
ガズルとアデルが楽しそうに語り出した、そして名前を決めてないという事を聞いて医者が面白い事を言い出した。
「なら、この大陸の英雄の頭文字を使ったらどうだろうか?」
「英雄?」
「そう、この大陸には他の大陸とは違ってちょっとした英雄伝があってな、昔この大陸にはそれは恐ろしい魔物が住み着いていた。その魔物を倒した英雄の名前だよ」
「面白いじゃないか、んで? その英雄の名前ってのは?」
アデルが興味深そうに笑顔で医者の顔を見つめた、医者も自分の大陸の自慢話だと楽しそうに喋る。
「“フォルトレス=O=シャルディフェルト”だ、その頭文字をもじって“FOS軍”ってのはどうだろうか?」
「FOS軍か、格好いいじゃん! FOSってのは“力”って意味だろ?」
医者が苦笑いしながらアデルの間違いを指摘する。
「力は“Force”だよ、勉強不足だな君は」
「何でもイイじゃねぇか! 名前の事はレイに任せようと思っていたけど奴には悪いがこれで決まりだな」
楽しそうにアデルが両手でガッツポーズを取った、隣ではガズルが呆れている、同じくアリスと医者もその単純さに呆れていた。
「ところで、君達の組織はクライアントは取るのかい?」
医者が椅子から立ち上がってアデルの前に歩いていった、そして笑顔でそう言った。
「もちろんだ、基本的にはどんな事でもやる。帝国がらみなら尚更だ」
アデルはまだ笑ったまま緊張もかけらもないその表情で目の前の医者に右手の親指を突き出した、すると医者は真面目な顔をして口を動かす。
「なら私が最初のクライアントになろう、ケルヴィン領主様からギズー君を奪還してきて欲しい。勿論ただとは言わん、それ相当の金を用意しよう」
三人は呆気に取られた、結局この医者はこの展開を利用してギズーを解放させようと考えていたのだろう。次第にアリスが笑い出してガズルも笑った。最後にアデルが笑って自分の中でうずいていた言葉を言う。
「この依頼、高く付くぜ?」
アリスが頭を抱えてため息をついた、そして目の前にいるバカ二人に
「高くついて払ってもらえなかったらそのギズーって子奪えないじゃない! その子が居ないと二人が助からないかも知れないっていうのに何を言ってるのバカ! クライアントが居なくても私達は動くの!」
その言葉に二人は声をそろえて「あっ」といった。それに呆れてアリスはもう一つ大きなため息をついた。
それは七ヶ月前。
特進を重ね、大学を驚異の早さで卒業したガズルはその若さから職が中々手に付かずにいた、そして等々自分が持ち合わせていた全財産を使い果たしたガズルは生まれて初めて食い逃げをする事にした。
入った食堂は「風潮歌月」という食事処だった、自慢じゃないがガズルは自分自身でよく食べる方だと理解していた、それを良い事に通常の人が食べる何倍もの食事を注文した。
隣に居合わせた客も同じ量を頼んだ、それがアデルだった。アデルはガズル同様持ち金を全て使い果たしていた。それも少ない中、ちまちまと使っていたアデルにしてみればこんな高そうな店にはいるのは初めてだった。
そして二人は年代が近い事から注文が来るまで自分が何者で、どこから来たのかを話し合った。
「へぇ、あんたみたいなのが法術剣士なんだ」
「おう、こう見えても結構腕には自信があるんだ。それでも俺の剣の師には到底敵う事が出来ないけどな」
ガズルは驚いていた、この世界に法術を操る剣士がいる事は以前から知っていた。だがその人物を実際の目で見た事はなかったからである。
「なぁなぁ、法術剣士って事はよ、どんな法術でも使えるって事か?」
「そうでもないな、主に法術ってのはその人にあった力を発揮する物なんだ。例えば俺なんかは攻撃型で炎を操る事しかできない。俺と一緒に剣の修行をしていた奴は風と氷が得意だったかな?」
「へぇ、俺も法術じゃないけど似たような事は出来るんだぜ?」
「似たような事?」
アデルは聞き返した、だが遮るように店の叔母さんが注文の品を全て持ってきた。
「はいよ、しっかしあんた達がたいが小さい割りによく食べるね。まぁ、育ち盛りだからかねぇ?」
冗談を交えながら笑う叔母さんを見ながらガズルは一礼する、外見はともかく意外と礼儀正しい少年だと感じさせてくれる。
「実はさ……俺この後食い逃げするんだ」「実はさ……俺この後食い逃げするんだ」
二人が同時に小声で言った、すると二人は同時に笑い出した。
「なんだお前もか」「んだよ、考える事は一緒か」
また同時に言う、アデルはその一瞬でガズルの事が気に入った。そして有る一つの話を持ちかける。
「なぁ、実は俺義賊のリーダーをしてるんだ、お前で良かったら俺の賊に入らないか?」
「義賊? 主に何をするんだ? 変な事だったら俺はやらないからな」
「なぁに、貴族や金持ち、王族なんかから金を巻き上げてそれを何処かの貧しい村に分け与える、その内十パーセントは俺達の儲け。それだけだ」
ガズルは取り敢えず近くにあったそばを一気に食べた、そして次ぎにカツ丼に手を出す。
「悪くないな、俺は元々暴れるのが好きな男だ。こんなちんけな街じゃ何も出来やしないしな、その話乗った!」
雪降る寒い夜の中ガズルは昔の事を喋った、誰にも話した事のない出来事やアデルと出会ったときの事を話し続けた。
真剣に喋るその表情は何処か寂しそうだった、それを察したアリスは問う。
「泣いてるの?」
不意に出た言葉がガズルに気付かせる、ガズルは知らず知らずのうちに自分が涙していた事に気付く、それは何故涙が出てくるのかが分かるまでしばらくの時間をようした。
そして自分自身で何故なのか気付く。
「いつもなんだ」
「何時も?」
「昔の事を思い出すだけで俺は、自分が情けなくなってくる」
「なぜ?」
「アデルと出会うまで、俺の目は死んだ魚みたいだった。自分自身で暮らしていけるだけの生活費は得られないし、育てて貰った教会も潰れて俺は世界でたった一人になっちまった。何時も誰かが助けてくれるはずの生活から誰も助けてはくれない生活へと転じたからかも知れない。そのことがきっかけで俺は腐った、教会から高い金を出して貰ってまで大学に入ったのに、それが全く役に立たずに俺は今まで生活してきているし。神父さんに悪いと思ってな。それでも、俺はアデル達と一緒に旅してるのが楽しんだ、レイは仲間を見つける旅、アデルはその付き添い。勿論俺もその付き添いだったんだけど、今はちょっと違うんだ」
ガズルは眼鏡を取って涙を拭いた、そしてまた眼鏡をかけ直す。
「俺は、これは俺の旅でもあるんだ、今は亡き神父さんが最後に残した言葉を見つける旅にしようと俺は考えてる」
「最後に残した言葉?」
「それだけは誰にも言えない、アデルだって知らない事さ」
「……」
ガズルは暫く俯いたまま喋らなかった、アリスも喋ろうとはしなかった。不意に顔を横に向けて幻聖石の光を見る、それは着実に先ほどより大きくなっていた、光の下に二人の人影らしき物が見えるほどまで近づいていた。
「アリス」
「え?」
ガズルが突然声を出す、自分が呼ばれた事に気付いたアリスはガズルの方を見る。
「結局、アデルの事はどうするんだ?」
「……」
「んじゃぁ、俺も一つだけ言わして貰って良いかな?」
「何?」
ガズルは眼鏡を取ってそれを右手で握りしめたままアリスの方を向いた、そして真剣な目をして
「俺もお前のこと、好みなんだ」
と言った。そしてアデルにすまないと心の中で呟いた。
「……」
幻聖石が光る下で二人は黙ったまま飛行を続けていた、レイは俯いたままメルを抱きしめメルも黙ったままレイを抱きしめていた、お互いに落ちないように。
「僕は」
レイはその一言を言ったまま次の言葉を出さなかった、頭の中では言葉が見つかっているのにそれが口に出せなかった、メルが悪い訳じゃない、自分の心の弱さに何時しか怒りの感情がわき上がってくる。
そしてまたしばらくの時間が過ぎた。
「そういえばねレイ君」
沈黙を破ったのはメルだった、思い出したかのようにゆっくりとだが話し始めた。
「前に会った時にお話ししたおとぎ話覚えてる?」
「あー、確か幻魔戦記とか幻魔大戦とかって名前の?」
「そうそう、あれって実話の可能性があるんだって。本当かどうか分からないけど」
幻魔大戦、それはおとぎ話として伝わる大昔の大戦の話。八人の魔族が古の王を倒す英雄記。まだ帝国がきちんと機能していた時代、魔物狩りや野獣討伐といった治安維持組織として活動が盛んだった当時の帝国。
魔族や人間とはお互いに干渉し物々交換や共存をしていた。
物語の始まりはこうだ、むかしむかしある所に。子供に聞かせるため緩和的に表現された絵本のようなもので、いつの時代も男の子は英雄記に憧れ、女の子は主人公に恋を寄せる。そんなよくありふれたおとぎ話。
「僕も昔師匠に聞かされたことはあったけど、あれって実在した証拠なんて殆どないんでしょ?」
「そう言われていたんだけれど、一年程前かな? 西大陸の北側に巨大な岸壁に囲まれた島があるじゃない、あそこでおとぎ話に出てきた大きな樹によく似たのが発見されたって帝国側の調査団が発表したの」
おとぎ話に登場する大きな巨木、話の中では幻魔樹(げんまじゅ)と呼ばれている。星のエーテルを吸い成長する大きな大きな巨木。長年星から吸い取ったエネルギーは膨大で、話の中ではそのエネルギーを使って異世界の魔王を召還し世界を滅亡させようと企んだ一人の学者が居た。
その学者については多くの謎があり、今でも幾つかの憶測が飛び交っている。これは帝国とは別の勢力がおとぎ話を伝承として語り継ぐための機関。詳細は分かっていない。
時々ギルドを通じて本が発行されるが、ギルド側は執筆者の事を公開しない。この本が影響を呼び帝国側でも正式な調査へと腰を上げている。だが帝国が調べているのは自分達に有利になる情報のみ、その例えが先ほどの幻魔樹である。膨大なエネルギーを蓄えている幻魔樹をどうにか利用できないかと研究をしているともっぱらの噂だ。
因みに、帝国とギルドは犬猿の仲である。それは先の執筆者非公開に至る。
ギルド側が隠しているその執筆者、いや研究機関の持っている情報を帝国も喉から手が出るほどほしいのである。理由は先に述べた通り。
現在の技術では大樹に蓄積されている膨大なエネルギーを抽出する技法がない。帝国に従事する法術士達は研究者から転換した未熟者ばかり、鍛錬された法術士は世界にも数が数えられている程度の人数しかいない。さらに深く掘り下げれば、まだその大樹が幻魔樹であった証拠はない。外見やおとぎ話に登場する場所が一致しているだけである、しかし状況がとても酷似しているのも事実。
世界にはおとぎ話による大戦(以下、先の大戦)の傷跡が実は所々見受けられるのも事実、一説には昔の人々が先の大戦とよく似た戦争を元に書いた伝記とした仮説、もう一つは実際に先の大戦は存在していたとする仮説。現在はその二通りの解釈がある。どちらも信憑性はとても低い。
「ギルドが発行してる本でなら読んだことはあるけど、実在した大戦だなんて想像がつかないな。今だからこそってのもあるんだろうけど、人間と魔族の共存が僕にはとても信じられない」
「確かにそれはあるよね、でも伝承には確かに共存していた時代もあったって話だよ」
二人はゆっくりと滑空しながら子供のころに読んだおとぎ話を思い出しながら会話する、先ほどの緊張はどこへ行ったのやら。まだ子供の彼らには色恋沙汰より英雄が活躍するおとぎ話のほうが話題としては花が咲く。
「不思議といえばレイ君の持つ剣も不思議だよね」
メルが疑問に常に疑問に感じていた話題を振る、そういえばレイが持つ大剣について触れた事がないのでここで触れてみよう。
レイが持つ大剣、名を「霊剣:ゼロ」という。とても大きな大剣だ、柄の長さ四十センチ、刃で二百センチ程。刃の幅は三十センチ。文字通りの大剣、いや巨剣である。柄から刃の中心に沿って数センチの空洞が開いていて中央にクリスタルがはめ込まれている、クリスタルの中には透明な液体が七割ほど入っている。持ち主本人もこの霊剣については詳しく知らない。彼の父親ガルシスより託された遺品である。
特徴はその巨大さにあらず、不思議な力によって霊剣は現在レイしか扱うことができない。もしも他の者がこの剣を扱おうものなら途轍もなく重く構えることすら困難になってしまう。
だがレイはその剣を軽々と持ち上げる、いくらか法術によって筋力を増加しているとは言え大男が両手で持ち上げることも不可能な重さを誇るこの剣を、十二歳の少年が振るうことなど到底かなわない。だが彼は扱えてしまう。彼らの師匠、カルナック・コンチェルトをもってしてもこの霊剣を扱うことができなかった。
処で、どうして何も説明されず遺品としてレイに渡ったこの剣の名前が分かっているのかというと、柄の部分にその名が彫られていたからである。現代語ではなく古代文字で。
「その古代文字も二千年は昔の文字だよね、どうしてそんな剣が残っているんだろう?」
「わからない、父さんは骨董品を集める趣味もあったからどこかで購入したのかもしれない。でも父さんはこの剣を扱えていたんだよなぁ」
そう、ガルシスはこの剣を扱うことができた。なので正しくはレイ以外に扱えるのはガルシスただ一人だった。しかし五年前にガルシスはこの世を去っている。今現在この霊剣を使えるのはレイただ一人なのである。
「不思議だなぁ、レイ君以外は持つこともできないなんて信じられない」
滑空を続けていた二人は一度付近の山に着地する、滑空した距離はかなりのもので山を一つ越えたぐらいだった。この山を越えれば麓の街が見えてくるだろう。
「ねぇレイ君、一度でいいから私にも持たせて」
「いや、駄目だよ! メルの手がつぶれちゃうよ!」
右腕をブンブンと縦に振る、長距離の移動で疲れたのだろう。そこに隣で目を光らせてレイに頼みごとをするメル。だがレイには簡単に断られてしまった。
「大丈夫、持てないとわかったら直ぐに手を放すから」
「……そういうなら」
腰につけてるポーチから幻聖石を取り出すと霊剣の姿に変えた、そっと地面に霊剣を置くと手を放す。メルは暗い中でその刀身をマジマジと見つめる。
「本当に大きいんだね」
「僕もこれ以上の大剣は見たことがないかな、重たいから気を付けてね」
そういうとメルは小さく頷き、両手で霊剣を手に取った。
「え!?」
驚きのあまりレイは声を上げた、なんとメルは軽々と霊剣を持ち上げてしまった。今までどんなに怪力自慢でも持ち上げることのできなかった、自分以外にその剣を持ち上げて構える人を見たことがなかった。だが目の前で自分より年下の、それも華奢な女の子が霊剣を軽々と持ち上げてしまった。
「わぁ、なにこれすっごく軽い」
「え、え……えぇぇぇぇ!?」
「でもこんなに軽いと攻撃がとても軽そう……そうだ」
メルはブンブンといとも簡単に霊剣を振るう、そして何かを思いついたのか近くにあった木々に霊剣を構える。
「待って、そんな大きな木――」
レイの言葉が言い終わる前にメルは目の前の木に斬撃を入れる。一つ、二つ、三つ、四つ。そのスピードは並の剣士以上の速度だった、スッスッっと簡単に木を刻んでいく。
「すごいね、軽い上になんて切れ味。それに振るう時すっごく力が湧いてくる感じ」
レイは驚愕した。いや、この現場を目撃すれば誰でも驚くだろう。きれいな太刀筋にきれいな切れ目、すべての斬撃が終わると木は音もなく崩れ、倒れるときにメキメキとほかの木を巻き込んで倒れた。
「ありがとうレイ君、こんな面白い剣使ったことも見たこともないよ」
「……」
口がふさがらない、霊剣を受け取ったレイはしばらく固まったまま動けないでいた。メル本人も驚いた様子だったがそれ以上にレイの驚きように彼女は笑った。
「あははは、なんて顔してるのよレイ君」
笑った、ひたすら笑っていた。
場所は変わって先に合流現場へと到着していた彼ら三人。
ホテルの屋上、二人の少年と少女が雪降る夜の中立っていた。
少年は顔を真っ赤にして、少女は戸惑いながら手すりの方へと後ずさりをしていた。例えられない感情とどうして良いか解らない自分の中に有る不可思議な感覚。それが少女の中にはあった。
「……ガズル、君?」
戸惑いながらも目の前にいる少年の名前を呼んだ、すらりとした身体に黒い髪の毛、そこら辺にいる男よりはずっと格好いい少年は目をそらすことなくアリスを見つめていた。
「アデルには悪いと思ってる。でも、俺はっ!」
俺は、そこで言葉に詰まった、次ぎにどの言葉を出して良いのかを考えながら……そして戸惑っていた。
「……」
アリスは黙ったまま屋上を後にした、一人残されたガズルはただ呆然と立っていた。目をつむり親友にゴメンとなんども言葉に出して謝り続ける。それほど悩んだ事だったのだろう。だが、自分の気持ちに嘘は付けなかった。本来ならアデルの事を思い自分は身を引く彼だったが今回ばかりは正直になっていた。
「悪いな、アデル」
また同じ事を言って手すり越しに幻聖石の光を見た。
** ** ** ** ** **
ガズルが部屋に戻ったのはそれから大分経ってからの事だった、アデルがシャワーを浴びて浴そうから出てきたときだった。
「よう、何処に行ってたんだ」
「……」
ガズルは何も言わずにテーブルに腰掛けた、椅子ではなくテーブルにだ。
「なんだよ、ぶっきらぼうだな」
「お前に言われたくないぜ」
アデルはいつもの服に着替えて椅子に腰掛ける、そして目の前のパンに手を伸ばした。堅めできつね色をした美味しそうなパンだ。それをアデルは律儀にちぎって食べる。隣の牛乳にも手を出した。
「んで、どうだったよ?」
「何の話だ?」
「とぼけるなって、さっきまでアリスと一緒に屋上にいただろうが」
「何で知ってるんだ!」
とっさの事でガズルはテーブルから飛び降りて驚いた表情をした。アデルは悪気がなかったように淡々と喋る。
「俺の気配に気付かないなんてまだまだだな、悪いと思ったが盗み聞ぎさせて頂いた」
「盗み聞きって、どの辺りからだよ」
アデルは天井を向いてしばし考え、そして話を聞いていたときの事を思い出した。
「確か、俺達の過去話からかな?」
「過去話って、ほとんどじゃねぇか!」
ガズルは顔を真っ赤にして怒った、アデルはなだめるように苦笑いをしながら
「怒りたいのはこっちだぜ、てめぇもなんだかんだ言ってアリスに惚れてんじゃねぇかよ! 大体なんだ、俺に謝りながら告白するってのはきたねぇぞ!」
ガミガミと怒鳴りだしたアデルを止める事は出来ず、ガズルは壁の方へと追い込まれていく、正論を叩き付けられると流石のガズルも言い返せないらしい。
「大体テメェはなぁ!」
「うるさいわよ、この黒帽子!」
突如後ろからはりせんで脳天を叩かれアデルはその場に蹲った、ガズルは目を点にしてアデルを殴った人間を見る。暫くしてアデルが背中からピコピコハンマーを取り出し殴った張本人に襲いかかろうとした。
「痛てぇ! なにしやが」
アデルの手はすぐに止まってガズルと同じく目を点にした。
「へぇ、私を殴れるのアデル君?」
アリスだった、アデル専用の大きなはりせんを右手に構えて二人の前に仁王立ちしている、アデルはすかさず壁の方へと避難しガズルの横に付く。
「い、いつから居たんだ」
「確か、大体テメェはの所から」
いつから自分の背後にいたのかを確認する、ガズルは慌てながら冷静に答える。
「はぁ、全くもぅ。何であんた達二人はこうも馬鹿なの?」
ため息をつきながら静かにそう言った、その言葉に二人は反論出来なかった。正論、そう言ってしまえば全てが終わってしまうが二人はどうしても言葉が出なかった。
思えばおかしな話でもある、今し方告白された彼女がこうして目の前で自分たちを説教している、何故そんな事が出来るのだろうか。とても気まずいに決まっている、それどころか会うのさえ恥ずかしいだろう。だが彼女はこうして二人の前に現れた。
「……ばか」
そう言い残して自分の部屋に戻っていった。
「焦った」
「同じく」
二人は同時にため息をついてその場にしゃがみ込んだ。そしてお互いを見て笑った、暫く二人は笑いながらお互いを馬鹿にし合い喧嘩寸前の所で止めた。
「あれ、幻聖石の光が消えてる」
「へ? 本当だ」
ガズルが言ってアデルがうなずいた、そして二人はもしかしてと思い部屋を飛び出した、アデルはそのままホテルの外へ、ガズルはアリスを呼びに隣の部屋に駆け込んだ。
「着いたよ、メル」
レイが幻聖石をしまうと二人はその場に落ちた、落ちると言うほど大げさな高さではなかった、街の入り口より少し入った所でレイはメルを抱いたまま着地した。
「……」
メルからは返事がなかった、あまりの寒さと睡魔、何より先ほど霊剣を振り回したあたりから体調不良を訴えていた。ただの疲労だろうと本人は言っていたが、疲れ果てて寝てしまったのだろう。そしてそれはレイにも言えた事だった。
「ははは、もう僕って言わなくても良いんだな。俺も眠いや」
レイはそう言うとメルを抱えたまま倒れた、エーテルの使い過ぎによる限界だった。
「ここまで来て行き倒れかな、ちきしょう……ついてないな」
倒れて尚意識はしっかりとしていた、だがそれもすぐに睡魔に襲われる。
雪が二人の身体に重くのし掛かるように積もっていく、身体は冷え切っていて冷たかった、とても人間の体温ではないぐらいに冷たかった。半袖で無茶をしすぎたからだ。
「ごめん……な……ア……デル…………」
そして深い眠りについた。
とても暖かいものがレイの上で寝ていた、レイは倒れてから二日も寝たきりで起きる様子すら伺えないほどの重傷だった。
身体のほとんどは凍傷と低体温症から来る体内組織の破壊、それは間違いなく死を意味していた、だが奇跡的にもレイは生きていた、その証拠にまだ息はある。脈もあった。
「眠り続けてから丸二日か……」
隣の部屋でアデルとガズル、アリスがそれぞれカップを手に持ってレイの事で心配していた、アデルは帽子をかぶったまま。ガズルは少し厚手の服を着て帽子は取っている。アリスはそのままの格好でそれぞれ椅子に座っていた。
「メルって子は無事だったけど、問題はレイだったなんて誰が想像したよ。でもメルもそろそろ体力の限界じゃないか? あれから丸二日寝ずの看病をしてるんだぜ、俺ならとっくにぶっ倒れてるよ。今は寝てるみたいだけどな。それにしてもレイは無茶をしてくれたぜ全く」
アデルが小言を連発する、気持ちは分かるが今それを言わなくても良いのではないかとガズルは口をとがらす。アリスは二人の意見とは別にメルの事を心配していた。
「レイ君は大丈夫でしょう、なんて言ったってあんた達の仲間なんだから。問題はあのメルって女の子よ、以前は中央大陸で見掛けた事はあったけど、あの子身体が弱かったはずよ?」
両手をあごのしたに組み目を細めながらメルを心配するアリスの顔があった、メルを起こさないように小さな声で呟きながら続ける。
「……あんた達ねぇ、その不思議そうな顔で私を見るの止めない? 私だって女の子だよ、それも年頃の。同じ年代の女の子が男の子を看病してるのよ? 何であなた達はレイ君の看病をしてやらないの? 何で全部あの子に押しつけたりしたのよ!」
「別に押しつけた訳じゃない、メルがそうしたいって言うから」
アデルが苦い顔をしながら言った、アリスが呆れた様子でため息をつく。そして席を立つ。
「私、メルの様子を見てくるね」
そう言って部屋を出た。
「……馬鹿奴等」
ほぼあきらめ顔で隣の元自分の部屋のドアを開けた、ゆっくり音を立てないように慎重に開ける。
(……メルさんはともかく、このままじゃレイ君が危ないわね)
近くにあった椅子に座り暫く考え込んだ、そして自分のバックの中をあさる。
「何か、薬は」
「……ん」
ベッドの方から突如声が聞こえた、後ろを振り返り声の主を確認しようとアリスが立ち上がる。メルだった。ゆっくりと身体を起こしてアリスの方に目をやる。
「アリスさん、何をしてるんですか?」
「え、薬とか無いか探してたんだけど……」
「そうだったんですか、ちょっとビックリしました」
慌てて笑顔を作るメル、だが何処か寂しそうな一面も見られた。
「ほら、あんたの分もあるから飲みなよ。二日間も寝ずの看病してたんだ、身体だってもうボロボロでしょう?」
「あ、有り難うございます」
鞄の中から薬を一つ取り出しそれをメルに差し出した、不器用に受け取るとそれを水も無しに一気に飲み干した。カプセル状の薬はするりと喉を通った。
「それにしてもタフだね、以前中央大陸で会ったときは全然弱っていたのにね」
「そうですか? これでも結構辛いんですよ」
笑いながら答えた、今度は本当の笑顔で笑った、以前に比べると少しは元気になっているかのようには見えるがそれも彼女が作り出す幻影だった。
「それにしてもレイ君は幸せだね」
「幸せ?」
「幸せだよ、こんなに可愛い女の子に看病して貰ってるんだからさ」
「ちょっと、止めて下さいよ。からかわないで下さい」
「からかってるつもりはさらさら無いよ、本当の事を言っただけだもん」
アハハと少し意地悪気味に笑った、ムスッと顔を歪ませて笑うアリスの顔を睨んだ。でもすぐにメルも笑い出した。
「もう、冗談が過ぎますよ……」
「冗談じゃないってば、何時になったら起きるんだろうね彼」
話を切り替えて方向を未だ眠り続けるレイの方を見た、苦しそうに眠るレイの顔は酷く歪んでいた。歯をがちがちと振るわせながら青ざめた表情で天井を向いたまま眠り続けている。
「このままじゃ、明日が峠だね」
「そんな!」
「辛いかも知れないけど、これが現実だよ。それに……」
アリスはそこで喋るのを止めた、彼女はなぜそれほどまでにメルが泣いているのか、身体が震えているのかを理解出来なかった。
理解したのは暫くしてからだった、最初は俯いたまま泣いていた彼女は次第に大声でレイの名前を呼びながら彼に抱きつくようにして泣いた。
「メル……あんた」
「えっぐ……え…………えっぐ」
泣き続けるメルからは何も言葉が返ってこなかった、ずっとレイの事を抱きながら突然声がと切れた。
「……メル?」
呼んでも返事は帰ってこなかった、黙ったままレイの身体を抱いている。
「ちょっとメル!?」
「……」
「冗談はやめ」
メルの元に急いで駆けだし肩を揺らした、するとメルの身体は力が入っていないみたいにだらんとしていた、レイの頭の上に置かれた腕は顔のすぐそばに落ちた。
「メル……メル! メル!?」
力の入っていない身体はとても重かった、とても女の子の力だけでは持ち上げる事は出来なかった。
「メルーーーー!」
「先生、二人は」
「こっちの青年は彼女の看病のおかげかまだ希望はあるが、この子の方はそう長く持たないだろう」
「長くは持たないって、何で!」
突然の事で頭が混乱していたアデルが隣町から連れてきた医者の襟元をわしづかみにした。
「私だって分からん! だが、この大陸に居る医者の大半は私と同じかそれ以下ぐらいの知識しか持っては居ないだろう。身体の事をもっと詳しく知っている人間ならともかく……」
片手でアデルの手を振り払い鋭い形相でアデルの事を睨んだ、睨まれたアデルは自分から仕掛けた事だと自分の中で言い聞かせて何もしなかった。しばらくの沈黙が流れた後突然何かを思い出したかのように鞄に手を回した。
「ちょっと待ちたまえ、忘れていたよ、彼の事を。彼ならこの二人を直す方法を知っているかも知れない。ただ彼は少し特殊で、すぐにその状況を把握して力を貸してくれるかどうか」
「特殊だと?」
今度はガズルが食いかかる、帽子を右手に握りしめて医者の方へとつかつかと歩いていった。
「彼だ、最も東大陸で医学に詳しく身体の仕組みを知っているこの少年だ!」
「少年?」
博士とか教授とかそう言った名前を期待していたアリスが思わず素っ頓狂な声を上げた。
「そうだ、東大陸中部にあるケルヴィン領主の城下町に住んでいる少年だ、帝国から追われる身ではあるがそれをケルヴィン様が庇っているという噂だ。何でも彼に助けられた経験が有るそうでな、帝国から守っているらしい」
「大した奴じゃないか。名前は!?」
アデルが医者を急がす、また襟元を掴んで今度は上下に揺さぶった。
「離したまえ!」
またもや医者はアデルの腕をいとも簡単に片手で振り払い今度はネクタイを直した、そして少しむせた後にようやく口を動かした。
「全く、彼の名はギズー、“ギズー・ガンガゾン”」
アデルとガズルはその名前を聞いた瞬間目を大きく見開いてお互いを見た、その様子に訳が分からないアリスがキョトンとした様子で二人を見る。
「聞いたかアデル」
「あぁ、夢じゃないよな?」
二人は数秒後にお互いの顔を本気で殴った、アデルは身体をひねりながら壁まで吹き飛ばされガズルは少し後ろに飛ばされた。
「ちょっと二人とも何してんのよ!」
アリスが怒鳴りながら言った、二人はいたそうにお互い片方のほっぺたを押さえながら起きあがると同時に
「夢じゃない!」「夢じゃねぇ!」
とそろっていった。
「しかし、彼がそんな簡単に知らない人間の治療なんてするとは思えんがな」
ばつが悪そうに医者が三人に言った、だがアデルとガズルはニヤリと笑って互いに笑った。
「その辺は心配ないさ、ギズーなら絶対にやってくれる!」
「あぁその通りだ、奴はレイを直すだろうよ。こんなに簡単に見つける事が出来るなんてな、半分レイに感謝だ! 本人には悪いけど」
ははは、と笑いながらそう言った。だが医者は困った顔をしてさらに続ける。
「だが問題なのは彼じゃない、ケルヴィン領主様だ。あの人は人間を信じられない人でな、始めは彼の家の前に何人か人間を付けたらしいのだがそれもすぐに取りやめになった、最近じゃ城に招き入れているという噂だ。だから彼に会うのは至難の業だ」
「厄介ですねそれは」
アリスが事の状況をゆっくりと判断しながら冷静に考えた、どうすればいいのかを考え、どうしてアデルとガズルはそんなに楽観的に物事を考えられるのかを考えた。
「確かに厄介だな、流石にあのケルヴィンを敵に回すのは厄介だ」
「厄介でもどうにかしてやらないとな、話し合いで応じてくれないのならこの際、強行突破でもするしかないさ」
簡単に物事を考えすぎていたアデルが突然詰まりだした、ガズルもそう簡単にはいかないという事を学んで落ち込む。それを見ていたアリスと医者は同時にため息をついて呆れた。
だが、実際問題としてギズーをどうにかしてでも手に入れなければ二人は死んでしまうかもしれない、それどころかメルに残されている時間は後僅か。早く手を打たなければレイよりも先にメルの命に関わる。
「そうだ、ガズル! ついでだしアレを始動させられないか!?」
「アレって、もしかしてレイが考えついたアレの事か? 俺は構わんがリーダーのレイが決める事であって俺達にはどうする事も出来ないんじゃないか?」
「だから、レイを助ける為に俺達の独断でアレをやっちまおうって言うんじゃないか! レイもメルが絡んでたら絶対に反対は出来ないだろうからな!」
二人は互いに主語を伏せたままどんどん先の方向へ話を進めていた、全く理解出来ないアリスがアデルの後ろから大声で喋った。
「二人で何を納得してるのよ! 私には全然分からないよ!」
突然の事だったのでアデルは肩をビクつかせて驚いた、医者は何時しか近くにあった椅子に腰掛けている、そして首をかしげた。
「俺達がここに来るまでにレイが作り出した組織の事だよ、話さなかったっけ? 俺達は反帝国組織を作り出した、まだ名前は決まってないけどな」
「その組織をスタートさせて初めて仕事をしようという事だよ。あくまでも表向きは帝国への反発組織だけど内面的な者は全く別の物なんだ。今はまだ形だけだけど今後組織として動くようになれば後々ケルヴィン領主にだってわかってもらえると思う、多分だけど」
ガズルとアデルが楽しそうに語り出した、そして名前を決めてないという事を聞いて医者が面白い事を言い出した。
「なら、この大陸の英雄の頭文字を使ったらどうだろうか?」
「英雄?」
「そう、この大陸には他の大陸とは違ってちょっとした英雄伝があってな、昔この大陸にはそれは恐ろしい魔物が住み着いていた。その魔物を倒した英雄の名前だよ」
「面白いじゃないか、んで? その英雄の名前ってのは?」
アデルが興味深そうに笑顔で医者の顔を見つめた、医者も自分の大陸の自慢話だと楽しそうに喋る。
「“フォルトレス=O=シャルディフェルト”だ、その頭文字をもじって“FOS軍”ってのはどうだろうか?」
「FOS軍か、格好いいじゃん! FOSってのは“力”って意味だろ?」
医者が苦笑いしながらアデルの間違いを指摘する。
「力は“Force”だよ、勉強不足だな君は」
「何でもイイじゃねぇか! 名前の事はレイに任せようと思っていたけど奴には悪いがこれで決まりだな」
楽しそうにアデルが両手でガッツポーズを取った、隣ではガズルが呆れている、同じくアリスと医者もその単純さに呆れていた。
「ところで、君達の組織はクライアントは取るのかい?」
医者が椅子から立ち上がってアデルの前に歩いていった、そして笑顔でそう言った。
「もちろんだ、基本的にはどんな事でもやる。帝国がらみなら尚更だ」
アデルはまだ笑ったまま緊張もかけらもないその表情で目の前の医者に右手の親指を突き出した、すると医者は真面目な顔をして口を動かす。
「なら私が最初のクライアントになろう、ケルヴィン領主様からギズー君を奪還してきて欲しい。勿論ただとは言わん、それ相当の金を用意しよう」
三人は呆気に取られた、結局この医者はこの展開を利用してギズーを解放させようと考えていたのだろう。次第にアリスが笑い出してガズルも笑った。最後にアデルが笑って自分の中でうずいていた言葉を言う。
「この依頼、高く付くぜ?」
アリスが頭を抱えてため息をついた、そして目の前にいるバカ二人に
「高くついて払ってもらえなかったらそのギズーって子奪えないじゃない! その子が居ないと二人が助からないかも知れないっていうのに何を言ってるのバカ! クライアントが居なくても私達は動くの!」
その言葉に二人は声をそろえて「あっ」といった。それに呆れてアリスはもう一つ大きなため息をついた。