残酷な描写あり
第十四話 剣聖結界 ―蒼い風と炎の厄災―
広く、どこまでも続く草原があった。ただ水平にどこまでも続く地平線、遠くのほうから流れてくる風は草を揺らしながらどこまでも吹いている。
そこに一人、草原のど真ん中に立つ少年がいる。レイだ。風が流れる音と草が揺れる音だけがそこに響く。辺りを見渡しても誰もいない。彼しかそこには存在していないかのように。
「何もない」
ぼそっと呟いた、首を振りあたりを見渡すがどこまでも続く地平線だけが彼の目に映っていた。
「自分との闘いって、先生は僕に何をさせるつもりだろう」
ゆっくりと歩き始めた、何処までも何処までも長く続いている道なき草原を歩く。もちろん彼には見た事のない場所である、記憶の中にも、人々の話でも聞いたことのないこの広い草原。空はよく晴れていて太陽の光が心地良い、風もおそらく南風か、どことなく暖かく感じる。四季でいえば春、ちょうど昼下がりのような感じだった。
歩き始めて数分、気が付いたことがある。進みながら後ろを振り返ると自分が歩いてきた場所に足跡がついていなかった。いくら軽いレイの体重とはいえ膝下まである草を踏めば茎は折れ曲がる。だが彼の歩いてきた場所は歩く前と変わらない状態になっている。
とても不思議な現象だった、ふと自分の足元を見る。そこには確かに折れ曲がった草がある、試しに足をどかしてみるが草は折れたままだった。一度首を傾げ腑に落ちないまままた歩き始める。
変化があったのは一時間ほど歩いた時だった。青空だった空は急に曇りだし、冷たい北風が突風となって彼の体を襲った。思わず目をつぶってしまうレイ、再び目を開けた時そこに草原はなかった。
黒く焦げた大地、辺り一面焦土と化した光景だった。彼はその景色を知っている、確かに彼はそこにいた。そこで育った。そこは跡形もなく消えたケルミナの村だった。
「ここは、ケルミナ?」
山の麓にある村、毎年のように山の洞窟では貴重な鉱石が発掘される。鋼のように固い鉱石は旅人達の武器や防具の素材となる。その中にはとても純度の高いダイヤモンドも発掘されてきた。それも昔の話。帝国がケルミナを襲った後鉱山は崩れ封鎖されてしまった。
レイは跡形もなく消えたケルミナを歩き回る、昔の思い出を頼りに家が建っていた場所。友達と遊んだ広場や牧場、そういった思い出の場所を回る。
「この前と何も変わらない、全く同じだ」
廃屋すら残っていない、まるで大爆発があったかのように焦げた土だけが残っている。村の中央部へと戻ってきたレイはもう一度ぐるっとあたりを見渡す。
「ん?」
入り口の近くに人影のようなものが見えた、揺ら揺らと揺れる黒い人影。しばらくした後ゆっくりと消えた。レイはとっさにそこへ走り出す、だが何もなかった。
「今確かに……」
そこまで言うと背中に違和感を覚えた、体ごと後ろへと振り返ると今度ははっきりとした姿をとらえる。人だ、人がレイのすぐ後ろに立っていた。
「っ!」
瞬間的に後方へと飛ぶ距離を取る。見た事のない男性がそこに立っていた。縮れた黒く長い髪の毛に炭のように黒い肌、背格好はレイより二回り大きい。全体を影に覆われているようだった。
「誰だ!?」
右手を腰にやるがポーチがない、霊剣を取り出そうとしたが右手はむなしく空をつかむ。舌打ちを一つして目の前の男を警戒する。
「やっと会えたな少年よ、心から待ちわびたぞ」
恐ろしく低い声が聞こえる、それもノイズが掛かったような声。不気味にも思えるその声に、レイは一歩後ろへと後ずさりする。
「こんなに早く会えるとは思わなんだ」
もう一度声が聞こえた、今度は直接脳内に大音量で響く。咄嗟のことにレイは両手で頭を押さえる、ひどい頭痛がするようにギンギンとエコーまで響く。
「お前、誰だ?」
あまりの痛さに片膝をつく、片目をつむり息を切らしながら睨む。この男はレイの事を知っているようだ、だがレイは目の前の男を見たこともない。しかしこの声は聞き覚えがあった。
「この声、時々夢の中で語りかけてくる奴か!?」
「あぁ、この瞬間をどれほど待ちわびたか。少年には感謝している、この声は聞き取り辛いか? まだ調整が上手くいかなくてね。少し我慢してほしい」
今度は穏やかに聞こえた、ノイズも次第に取れてクリアに聞こえてきた。脳内に響くのは相変わらずだが格段に良い、違和感までは取り除けないにしろ頭痛は取れた。両足でしっかりと地面に立つと警戒しながらもレイは語り掛ける。
「もう一度聞く、お前は誰だ」
「少年も知っているだろう。私がそう名乗り少年がそう名付けたのだから」
ドクン、心臓が一度大きく鳴った。右手で心臓付近の服を鷲掴みにする、心臓が痛い……握りつぶされるような痛みだ。同時に目の前の視界が霞む、チラチラと見た事のない景色が映し出される。真っ赤に燃える家々、逃げ惑う人々。次に嗅覚に異変があった。焦げた匂いがした、髪の毛が燃える匂いがする。
(なんだこれっ!)
続いて聴覚、女性の悲鳴が聞こえる。女、子供と続いて男性の助けを求める叫び。遠くから聞こえる獣のような声、犬だろうか? いろんな音がすべて混ざりレイの耳に届く。
「僕に……僕に何をしたっ!」
「私の過去を見せているだけだ、少年に危害は加えない」
男はニッコリと笑う、目元は影に覆われていて見えないが口元だけははっきりと見える。不気味、その言葉が此処まで似合う者は早々居ないだろう。
一つ分かったことがある。この男、黒い影が覆っているように見えていたがそうではない。焦げている。全身真っ黒に焦げていた。それに気が付いたのは嗅覚に異常が出た時だ。目を凝らして男を見ると今も体全体が燻っているようだ。視界にはっきりと捉えたそれは、顔いっぱいに口が裂けたように広がって笑っていた。そしてレイは確信する。
「炎の厄災『イゴール・バスカヴィル』」
「後の世界ではそう呼ばれているのか、いい響きだ」
「過去の魔族……いや、魔人が僕に何の用だ」
「そう警戒しなくてもいい」
今から千年以上昔に起こった一つの厄災、世界の三分の一を焦土に変えた人類史最悪の大火災。それが炎の厄災である。記録として残っているものは数少なく一部は伝承として語り継がれてきた、西大陸の中央部に位置する当時の国家で異変は起きた。
街外れの犬小屋から突如出火し、巨大な爆発を起こす。その爆風は数千度に到達し衝撃波を伴い西大陸全土を襲った。爆心地から数十キロは爆発により吹き飛び、吹き飛ばされた瓦礫は中央大陸の東部に落下したと伝わる。被害は東大陸の一部でも確認されている。爆発時のきのこ雲は現在のケルヴィン領主が納めている地域でも目撃情報があった。
当時の帝国は異変を調べるべく調査団を西大陸へと派遣した。被害は大陸全土、山は吹き飛ばされ原型を保っていない。現在の西大陸に山がないのはその影響もある。爆心地からほど近い場所は瓦礫一つ残っておらず巨大なクレーターが出来ていた。その中央から突如として巨大な炎が巻き起こる。火柱というにはあまりにも巨大すぎるそれは調査団の一部を瞬間的に溶かした。灼熱、その言葉通りである。岩石は溶け溶岩となる、生き残った調査団からの報告で爆心地で何が起きたのかが判明する。
人だった、それも真っ黒に焦げた人間からいきなり炎が噴き出したのである。当時の帝国はそれを討伐するために軍を派遣したが二度失敗する。討伐どころか近づくことすらできないと分かった当時の帝国は、法術士による大規模な封印を決行する。クレーターの周りに五百人以上の法術士を並べ一斉に法術を唱える。永久に溶けることのない氷を一瞬にして生成し厄災の元凶を封じ込めたのだ。そしてソレを異次元空間に封印した。
「何故僕の中にいる!」
殺気はなかった、鼻につく焦げた匂いだけが異様なまでの不快感を示す。
「わからぬ、気が付いたら少年の中にいたのだ」
「僕をどうするつもりだ?」
「何も、この焦土の記憶の中で少年の瞳から世界を見ていた」
突然突風が吹いた、砂埃が舞い二人の間を駆け抜ける。レイは右腕で顔を守り砂嵐が収まるのを待った。視界が開けた時はまた別の景色が広がっていた。辺り一面真っ暗闇だが小さな無数の光がはるか遠くで光って見える。だがお互いの事はよく見えている。地面の感触は一切ない、浮いている感じがする。
「少年、力は欲しくないか?」
辺りを見渡していたレイはその言葉に振り向く、相変わらずニッコリと開いた口がそう言った。
「少年の目からあの世界を見てきたから分かる、力が欲しいのだろう少年」
「お前みたいな魔人の力なんていらない!」
すぐさま否定した。炎の厄災は肩を震わせ大声で笑いだした、上半身の後ろにのけ反り両手を広げ大いに笑う。
「結構! 期待通りの答えを言うじゃないか少年。だが一つ違うな」
厄災は上半身を戻すと姿勢よく立つ、両肘を少しだけ曲げて両腕を左右に少しだけ広げる。
「少年も魔人だ」
見えていた口の上に丸く白いものが二つ、突如として現れた。厄災の目なのだろう。
「私だけではない、少年も魔人である」
何を言っているのだろう、レイにはさっぱり理解できない。困惑した顔でレイは訴える。
「僕は人間だ、魔人なんかじゃない!」
「否、少年は魔人である。この膨大なエーテル量と禍々しいエレメントは人のそれにあらず!」
視界がぐにゃりと揺れる。無数の小さな光が一点に集中する、光の集まる先に黒い何かがあった。中心に近づく光は黒い何かの近くまで引き寄せられると円を描き消えていく。次第に吸い込まれる光の量が増え黒い物体の周りが輝きだす。
「違う、違う違う違う違う違う違う違う! 僕はっ!」
もう一度心臓がドクンと鳴った、先ほどのより格段に心臓が軋む。痛みが増し立つことがままならない。その場に蹲ると両手で心臓を押さえた、瞳孔は開き顔が歪む。
「あ……あが」
声にならなかった、経験したことのない痛みにレイがもがく。それを見ながら厄災は両手を下し例に近づく。
「受け入れよ少年。人間に固着することに何の意味がある」
悶絶するレイに厄災は問いかける、諭す様になだめる様にゆっくりと問いかける。それはまるで新しい宗教の誕生を見ているようだ。救世主が人々に救いの手を差し伸べるかのようなソレは、信仰にも捉えられる。
「見よ、人間がいかに愚かで浅ましい種族かを。人が私にしてきたソレを」
光り輝いていた場所から急激にまぶしいまでの閃光が広がる、辺り一面を照らし暗闇は真っ白な空間へと姿を変える。音もなく風もない、唯々真っ白な空間。レイは途切れそうな意識の中で厄災の言葉を聞いた。その瞬間心臓の痛みは止まり苦痛が消えた。顔を上げると厄災は右手で一つの場所を指さす。そこに扉が現れた。
「はぁはぁ……」
ゆっくりと立ち上がり呼吸を整える、右手はまだ心臓を押さえている。指さされた扉はとても古く、朽ち果てる寸前のように見える。
「あの扉は、何だ」
大きく深呼吸した後レイは尋ねた。厄災はずっと表情を変えず淡々と話す。
「私の記憶。少年が人であるというのならば見てみるがいい」
小さく心臓が波打つ、チクリとした痛みにレイが強く心臓を押さえる。そしてゆっくりと扉の元へと歩き出す。厄災はその後ろに続く。
「……」
扉の前に立つと左手でドアノブを握る、手の平に汗をかいているのがその時初めて分かった。とても嫌な予感がする、レイの感覚がそれを警告する。
「僕は……人間だ」
ドアノブをゆっくりと回し扉を開いた。
美しい草木が生える森の奥、そこには人と魔族が小さな集落を作っていた。
その集落には俗世間で生きていくことが困難な人間が集まる場所でもあった、犯罪を犯したり人を殺したり。そういう類ではなく孤児や戦争に巻き込まれ家々を失った者等。最初は人が集まって暮らしていた、そこにやってきたのが戦争から逃れてやってきた魔族の一団である。初めこそ対立したものの、周囲の危険生物を退治したり食料を提供するなどして魔族側から共存を求めてきた。代わりに人は衣類や住居の提供等でお互いのバランスを保つようになった。
もともと魔族とは西大陸に生息していた原住民である。人々がかつて西大陸を魔大陸と呼び恐れていた時代、余りあるエーテル量から恐れられていた。一度戦争が始まると人々は魔族に対して抵抗する事無く敗北していく、そんな時代に終止符を打ったのが帝国であった。
当時の帝国は人々の安全を守る為、いずれ脅威となる魔族に対して戦争を仕掛ける。人々は魔族の魔法に対し法術を開発した。魔族同様エーテルを用いるが法術は世界に散らばるエレメントを利用し、体内のエーテルを起爆剤として使う。一方魔法は術者その者のエーテルを具現化する。エーテル貯蔵量が生まれつき少ない人間にとって魔法は使うことができないが、自然界に存在するエレメントを利用する法術であれば魔法に抵抗することができた。
戦争は魔族の一方的な戦いから均衡し始めた。だが人間は魔族より数が多く、最終的には物量で魔族側が敗退する。じわじわと人々が西大陸へと上陸し始めるころ、魔族は生き残りを連れて森の奥地へと散り散りに逃げていった。それから程なくして魔大陸最大の貿易都市は無抵抗で攻め込まれ人間の植民地へと変わった。同年、魔大陸の大部分を支配した帝国部隊は独立を宣言する。
中央大陸にある帝国本部はこれに激怒した、表向きは人々から脅威を取り除く戦争ではあったが魔大陸には膨大な資源が眠っている。半分はそれが狙いでもあった。しかし突如として独立を宣言した部隊は新たに国家を作り武装強化を行う。
翌年、独立国家と帝国との間で激しい戦争が始まる。その戦争から逃げ延びた人々が先の集落を始めて作り出した。魔族からすれば人間は突如として現れた敵である、だが彼らも馬鹿ではなかった。もとより仕掛けられた戦争ではあったがそれは軍人、一般市民となれば和解できると確信していた。その根拠は長年の貿易実績で得られた昔の信頼でもあった。
しかし、そう簡単に話は運ばなかった。魔族の知る貿易時代の人間はもう人々の記憶にはない、今の彼等は魔族イコール人間の脅威とだけ見られていた。そんな中、逃げ延びた人々の中に考古学に詳しい学者の姿があった。彼は人々を説得し共存の道を開く。お互いがお互いの事を尊重し、共に築き上げてきた物。それは新しい信頼関係であった。
共存が始まって数十年、人と魔族の間に子供が生まれ新しい種族が誕生していた。名を魔人という。外見、成長スピードは人と何ら変わりはないが貯蓄するエーテル量が人のそれを圧倒的に凌駕した。
そんな彼等にも集落以外の人の手が及ぶ、人々による魔族残党狩りである。独立国家と帝国との戦争は決着がつかず何十年と長引いている。休戦はあれど停戦などなかった。そして独立国家が目を付けたのが原住民である魔族達である。
魔族の強大なエーテルを求めこの大陸全土を探し回っていた。あの集落も見つかるまで時間の問題ではあった。独立国家は魔族と魔人を一度拠点へと集めた後戦場へと向かわせる、子供は貿易都市にて奴隷として酷使され動かなくなれば簡単に捨てていた。
彼もまた、そんな子供の一人である。
人と魔族との間に生まれた魔人の子、労働で酷使し使えなくなれば捨てられる。そんな景色を毎日のように見てきた。次々と倒れていく友達、次は自分の番かもしれない。そんなことを考えると夜も眠れなかった。彼にもやがて時はやってきた。不治の病に掛かった彼等は貿易都市から離れた郊外の犬小屋に集められると、一斉に火をつけられた。
熱い、熱い。同じ病に掛かった魔人の子達は灼熱の炎に焼かれ次々と絶命していく、それを一人の少年は怯えながら見ている。
「僕達が一体……何をした!」
少年は叫んだ。仲間たちが次々と死んでいくその光景の中で人間を恨んだ。あれほど仲の良かった人間全てを恨んだ、ついには少年の衣服にも火が付き体全体を焼く。耐え難い苦痛だろう、肌を焼かれ眼球は蒸発し血液が沸騰する。まさにこの世の地獄。少年は叫び続けた、人間を呪う言葉を叫び続けた。それが起爆剤となる。
少年の体から膨大なエーテルが暴走し、大爆発を引き起こした。
「これが――こんな事がっ」
レイはその歴史を見た、伝承にだけ語り継がれてきた炎の厄災をその目で見た。
おぞましいほどの憎悪、耐え難き苦痛。厄災の真実をその目に刻んだ。そして思い出す、爆風で家が燃え人が燃え犬が燃える。髪の毛と肌の焼ける匂い、助けてと叫ぶ人々の叫び声。厄災と対峙したときに見えたビジョンの数々。一つ一つ鮮明に思い出した。
「これが人の性だ」
厄災はレイの隣で語る、悲しき魔人が見せた過去の記憶。一体彼らが何をしたというのか、レイも同じことを考えていた。伝承に残るのはすべて人が優位に見せるための偶像。捻じ曲げられた真実、こんなもの……まともでいられるはずがない。
「もう一度問う。少年よ、これでも人間である事に固着するか?」
三度心臓が鳴りギュッと右手で胸を押さえる。すさまじいまでの激痛がレイを襲い一瞬だけ意識が飛びそうになった。歯を噛みしめ崩れそうな足に力を入れた。
「少年よ、……いや、我等が同胞よ。我ら魔人は決して人間を許してはならない」
踏みとどまった意識はゆっくりと刈り取られるように薄れていく、次第に膝から崩れ落ち項垂れる。もうレイの耳に魔人の言葉は届かない。
「私に身を委ねろ、力をくれてやる。その力で我らが願いを叶えよう」
大きく避けた口は終始そのままだった、厄災は崩れたレイの体に手をかけ顔を覗き込んだ。その眼は瞳孔を開いたまま、瞳から光が消えていた。
「さぁ、楽しい楽しい時間の始まりだ」
「剣聖結界」「剣聖結界」
カルナックとシトラは同時に叫ぶと体内のエーテルが弾け飛ぶように乱れた、先ほどまでの二人とはまるで別人の様なその後ろ姿にガズルとギズーは言葉を失う。
「雷光剣聖結界」
カルナックの白銀に輝く髪の毛が黄色に変わる。体全体が静電気を帯びたように青く光る、服と服の間に電流が流れている。
「氷雪剣聖結界」
シトラの黒い髪の毛が水色に染まる、左手に持ち替えていた杖を右手に移すと一瞬のうちに杖が凍りだした。それは形を形成し槍へと姿を変えた。
「先生、勝利条件は?」
シトラが横目でカルナックを見る、問いかけられた本人はレイから目を離さずに
「無力化、またはその生命活動の停止」
と短く答えた。
「待ってくれ剣聖、殺すことは――」
ギズーは聞こえた言葉に耳を疑った、とっさに出した言葉だったが言い終わる前に目の前の二人は瞬間的に跳躍する。目で追うことができないスピードだった、瞬きする瞬間に驚異的な跳躍力でレイへと近づいていた。二人の獲物が彼をとらえようと刃が交差しようとしていた。
「っ!」
シトラは目を丸くしていた、障壁を突き破りレイの心臓を氷の槍で一突きしようとしていたにも拘らずその刃は障壁によって妨げられている。
「これは困りましたね、並の障壁ではありませんよ」
カルナックの刀もその障壁に阻まれていた。もちろん二人が手を抜いているわけではない、被害が拡大する前にと全力で彼の生命活動を絶とうとしていたからである。しかし実際は二人が全力で襲い掛かったにもかかわらず障壁はびくともしなかった、ひび割れるという次元ではない。文字通り強固すぎる障壁が二人の攻撃を防いでいた。
「おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
レイが咆哮する、その声に後ろにいたガズルとギズーは思わず両手で耳をふさいだ。鼓膜が破れるかと思うほどの大声だった。
「忘レヌ……人間メ、贖罪ナリ……神罰ナリ……ニンゲン……ッ!」
突如としてレイの足元から炎が吹きあがる、カルナックとシトラは後ろへと飛び巻き上がる炎をよける。レイの体を炎が包み込み、一度体から弾かれるように離れると巨大な火柱を上げた。
「炎帝剣聖結界!?」
カルナックが声を上げた、それは戸惑いの声でもある。レイの適正には炎は含まれていない、元来持ち合わせているエレメント以外のインストールを使用することなど不可能なはず。しかし目の前のこの現象はなんだ、適正外のエレメントを使ってのインストール。そんなことカルナック本人にもできることはなかった。
「レイ君を封じ込めます、先生時間稼ぎを!」
氷の槍を地面に叩きつけ割ると両手で鉄の杖を頭の上でくるくると回し始めた、それを勢いよく杖の先端を地面へ振り下ろすと魔法陣が出現する。
法術の詠唱を一つ一つ丁寧に唱えながら魔法陣をさらなる強固なものに変えていく、これほど大きな物形成と維持にかなりのエーテル量を消費するだろう。
「わかりました、ガズル君、ギズー君。二人も彼の動きを止めるだけでいいのです! 協力してください」
「お、おう」「殺すんじゃなくて足止めってことなら!」
二人は同時に叫ぶ、先ほどから自信を治癒していたガズルはある程度動けるようになっていた。ギズーはもとより然程ダメージを負っていない。三人はシトラの正面に立つとガズルとカルナックが飛び出す、ギズーは胸ポケットから幻聖石を取り出し両手に収まらないほど大きなガトリングパーソル(銃火器を意味する、ガトリングパーソルは機関銃)をを出した。
「霊剣を吹き飛ばしてやる!」
ギズーが取り出したのは十二連装の銃口を持つ巨大なガトリングパーソルだった、トリガーを引くとシリンダーが回転し上段の部分から驚くような速度で弾丸が飛び出していく。しかしレイが展開する障壁に弾かれ続ける。だがその弾丸の圧力とあまりにも早い連続した弾丸に徐々にではあるが後ろへと後退し始める。
「ガズル!」
走り出してたガズルは対象者の少し前でジャンプする、両腕を頭上に回し両手の指を交差するように握る。握られた手の上には巨大な重力球が形成されていた。
「重力爆弾」
握られた両手をそのまま前に振りかぶると巨大な重力球はレイ目がけて急速落下した。だがそれは障壁によって塞がれレイがいる場所を残してその周辺の地形を凹ませた。
「グオオオオオォォォォォォォォ!」
再びレイが吠える、霊剣を振りかぶるとその刀身に炎を宿らせ力任せに縦に振るう。振り下ろされた剣からは剣圧と共に炎がすさまじいスピードで飛び出してきた。それをガズルは見逃さなかった。
握られていた両手を解き左手を迫りくる炎に向けて手の平を向ける、同時に重力球を作り出し炎を吸収し始める。右腕をすぐさま後ろに引くと一歩だけ右足を踏み込む。
「返すぜ炎!」
踏み出すと同時に右手を左手で構える重力球と一緒に貫く。吸収された炎は瞬間的に圧縮され高密度で超高温になり一直線に放たれる、まるで弾丸である。ガズルから放たれた炎はレイの障壁にぶつかると、一点だけを貫きレイの左腹部を貫通した。
「よくやりました!」
カルナックが突破された障壁へと間髪入れずに刀をねじ込む、剣先が数センチ入った程度でレイの体までは到達していない。しかしここからが早かった。いや、見えなかったが正しいだろう。剣先がねじ込まれたと思った瞬間レイの障壁は音を立てて粉々に破壊された。
ガズルとギズーには単純にその隙間からひびが入り破壊できたのだと見えていただろう。実際はかなり異なる。それを正確に見えていたのはシトラだけだった。
カルナックはこの時、ねじ込んだ刀を一度引き抜くともう一度差し込む。今度はさらに奥へと進んだ。次に刀を横に向け一閃、左半分に亀裂が入り一部が欠ける。同じように上、右、下と四発を目にも止まらないスピードで打ち込むと一度刀を鞘に納める。その次の瞬間だった。まさに神速、時間をゆっくりと再生できるのであればそこにはこう映っていただろう、抜刀した瞬間に六方から剣激を寸分の狂いもなく一か所へと叩きこむ、集まる剣閃を。
「シトラ君! まだですか!?」
三人の後方で詠唱を続けているシトラ、唱え続けていた詠唱を止めると三人に向かって叫ぶ。
「準備できました、みんな飛んで!」
その声と同時に三人は地面を同時に蹴った。高く飛び上がるのを確認したシトラは魔法陣を発動させる。
魔法陣が赤く光るとレイの周辺の気温が一気に下がる、十度、二十度と尋常では考えられないほどの速さで下がる。炎の勢いは弱まりやがて鎮火し始める。
「絶対零度」
突如としてレイを中心に巨大な氷が出現した、透明で不純物の一切無い氷だ。その上から雪が覆いかぶさりそれも一瞬で凍り付く。半径五メートル、高さ八メーテルの巨大な氷が出現した。
「レイ!」
ギズーが思いっきり叫んだ、自分が予想していたものとかなり違っていた為レイの安否を心配する。
「大丈夫だよギズー君、殺してはいない。ただ一時的に身動きを拘束し結界で氷漬けにしただけ」
そこまで言うとシトラは自身のインストールを解いた、スッと元の髪色に戻るとニッコリと笑顔を作る。それに安堵したギズーは着地するなり尻もちをついた。
「私が法術を解かない限りこの氷は解けることも無いから暫くは作戦を考える時間が――」
シトラが氷を背に振り返った時だった、発動したばかりの氷の結界に一筋の亀裂が入る。一つ、二つと亀裂が増えるとやがて全体にヒビが届いた。
「嘘……」
轟音を立てて氷の結界は粉々に砕かれた、小さな氷片がパラパラと崩れ白い氷の煙の中からゆっくりと人影が立ち上がる。フラフラとしているがその足は確実に地面に立ち上半身をのけ反らせると腕を左右いっぱいに開いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
三度咆哮が響き渡る。その声はレイの透き通った声ではなかった、まるで獣。人ならざる者、野獣の咆哮にもよく似ていた。その姿を見たカルナックは確信する。
「ここが、彼の旅の末路ですね」
誰にも聞こえない声で、そうつぶやいた。
そこに一人、草原のど真ん中に立つ少年がいる。レイだ。風が流れる音と草が揺れる音だけがそこに響く。辺りを見渡しても誰もいない。彼しかそこには存在していないかのように。
「何もない」
ぼそっと呟いた、首を振りあたりを見渡すがどこまでも続く地平線だけが彼の目に映っていた。
「自分との闘いって、先生は僕に何をさせるつもりだろう」
ゆっくりと歩き始めた、何処までも何処までも長く続いている道なき草原を歩く。もちろん彼には見た事のない場所である、記憶の中にも、人々の話でも聞いたことのないこの広い草原。空はよく晴れていて太陽の光が心地良い、風もおそらく南風か、どことなく暖かく感じる。四季でいえば春、ちょうど昼下がりのような感じだった。
歩き始めて数分、気が付いたことがある。進みながら後ろを振り返ると自分が歩いてきた場所に足跡がついていなかった。いくら軽いレイの体重とはいえ膝下まである草を踏めば茎は折れ曲がる。だが彼の歩いてきた場所は歩く前と変わらない状態になっている。
とても不思議な現象だった、ふと自分の足元を見る。そこには確かに折れ曲がった草がある、試しに足をどかしてみるが草は折れたままだった。一度首を傾げ腑に落ちないまままた歩き始める。
変化があったのは一時間ほど歩いた時だった。青空だった空は急に曇りだし、冷たい北風が突風となって彼の体を襲った。思わず目をつぶってしまうレイ、再び目を開けた時そこに草原はなかった。
黒く焦げた大地、辺り一面焦土と化した光景だった。彼はその景色を知っている、確かに彼はそこにいた。そこで育った。そこは跡形もなく消えたケルミナの村だった。
「ここは、ケルミナ?」
山の麓にある村、毎年のように山の洞窟では貴重な鉱石が発掘される。鋼のように固い鉱石は旅人達の武器や防具の素材となる。その中にはとても純度の高いダイヤモンドも発掘されてきた。それも昔の話。帝国がケルミナを襲った後鉱山は崩れ封鎖されてしまった。
レイは跡形もなく消えたケルミナを歩き回る、昔の思い出を頼りに家が建っていた場所。友達と遊んだ広場や牧場、そういった思い出の場所を回る。
「この前と何も変わらない、全く同じだ」
廃屋すら残っていない、まるで大爆発があったかのように焦げた土だけが残っている。村の中央部へと戻ってきたレイはもう一度ぐるっとあたりを見渡す。
「ん?」
入り口の近くに人影のようなものが見えた、揺ら揺らと揺れる黒い人影。しばらくした後ゆっくりと消えた。レイはとっさにそこへ走り出す、だが何もなかった。
「今確かに……」
そこまで言うと背中に違和感を覚えた、体ごと後ろへと振り返ると今度ははっきりとした姿をとらえる。人だ、人がレイのすぐ後ろに立っていた。
「っ!」
瞬間的に後方へと飛ぶ距離を取る。見た事のない男性がそこに立っていた。縮れた黒く長い髪の毛に炭のように黒い肌、背格好はレイより二回り大きい。全体を影に覆われているようだった。
「誰だ!?」
右手を腰にやるがポーチがない、霊剣を取り出そうとしたが右手はむなしく空をつかむ。舌打ちを一つして目の前の男を警戒する。
「やっと会えたな少年よ、心から待ちわびたぞ」
恐ろしく低い声が聞こえる、それもノイズが掛かったような声。不気味にも思えるその声に、レイは一歩後ろへと後ずさりする。
「こんなに早く会えるとは思わなんだ」
もう一度声が聞こえた、今度は直接脳内に大音量で響く。咄嗟のことにレイは両手で頭を押さえる、ひどい頭痛がするようにギンギンとエコーまで響く。
「お前、誰だ?」
あまりの痛さに片膝をつく、片目をつむり息を切らしながら睨む。この男はレイの事を知っているようだ、だがレイは目の前の男を見たこともない。しかしこの声は聞き覚えがあった。
「この声、時々夢の中で語りかけてくる奴か!?」
「あぁ、この瞬間をどれほど待ちわびたか。少年には感謝している、この声は聞き取り辛いか? まだ調整が上手くいかなくてね。少し我慢してほしい」
今度は穏やかに聞こえた、ノイズも次第に取れてクリアに聞こえてきた。脳内に響くのは相変わらずだが格段に良い、違和感までは取り除けないにしろ頭痛は取れた。両足でしっかりと地面に立つと警戒しながらもレイは語り掛ける。
「もう一度聞く、お前は誰だ」
「少年も知っているだろう。私がそう名乗り少年がそう名付けたのだから」
ドクン、心臓が一度大きく鳴った。右手で心臓付近の服を鷲掴みにする、心臓が痛い……握りつぶされるような痛みだ。同時に目の前の視界が霞む、チラチラと見た事のない景色が映し出される。真っ赤に燃える家々、逃げ惑う人々。次に嗅覚に異変があった。焦げた匂いがした、髪の毛が燃える匂いがする。
(なんだこれっ!)
続いて聴覚、女性の悲鳴が聞こえる。女、子供と続いて男性の助けを求める叫び。遠くから聞こえる獣のような声、犬だろうか? いろんな音がすべて混ざりレイの耳に届く。
「僕に……僕に何をしたっ!」
「私の過去を見せているだけだ、少年に危害は加えない」
男はニッコリと笑う、目元は影に覆われていて見えないが口元だけははっきりと見える。不気味、その言葉が此処まで似合う者は早々居ないだろう。
一つ分かったことがある。この男、黒い影が覆っているように見えていたがそうではない。焦げている。全身真っ黒に焦げていた。それに気が付いたのは嗅覚に異常が出た時だ。目を凝らして男を見ると今も体全体が燻っているようだ。視界にはっきりと捉えたそれは、顔いっぱいに口が裂けたように広がって笑っていた。そしてレイは確信する。
「炎の厄災『イゴール・バスカヴィル』」
「後の世界ではそう呼ばれているのか、いい響きだ」
「過去の魔族……いや、魔人が僕に何の用だ」
「そう警戒しなくてもいい」
今から千年以上昔に起こった一つの厄災、世界の三分の一を焦土に変えた人類史最悪の大火災。それが炎の厄災である。記録として残っているものは数少なく一部は伝承として語り継がれてきた、西大陸の中央部に位置する当時の国家で異変は起きた。
街外れの犬小屋から突如出火し、巨大な爆発を起こす。その爆風は数千度に到達し衝撃波を伴い西大陸全土を襲った。爆心地から数十キロは爆発により吹き飛び、吹き飛ばされた瓦礫は中央大陸の東部に落下したと伝わる。被害は東大陸の一部でも確認されている。爆発時のきのこ雲は現在のケルヴィン領主が納めている地域でも目撃情報があった。
当時の帝国は異変を調べるべく調査団を西大陸へと派遣した。被害は大陸全土、山は吹き飛ばされ原型を保っていない。現在の西大陸に山がないのはその影響もある。爆心地からほど近い場所は瓦礫一つ残っておらず巨大なクレーターが出来ていた。その中央から突如として巨大な炎が巻き起こる。火柱というにはあまりにも巨大すぎるそれは調査団の一部を瞬間的に溶かした。灼熱、その言葉通りである。岩石は溶け溶岩となる、生き残った調査団からの報告で爆心地で何が起きたのかが判明する。
人だった、それも真っ黒に焦げた人間からいきなり炎が噴き出したのである。当時の帝国はそれを討伐するために軍を派遣したが二度失敗する。討伐どころか近づくことすらできないと分かった当時の帝国は、法術士による大規模な封印を決行する。クレーターの周りに五百人以上の法術士を並べ一斉に法術を唱える。永久に溶けることのない氷を一瞬にして生成し厄災の元凶を封じ込めたのだ。そしてソレを異次元空間に封印した。
「何故僕の中にいる!」
殺気はなかった、鼻につく焦げた匂いだけが異様なまでの不快感を示す。
「わからぬ、気が付いたら少年の中にいたのだ」
「僕をどうするつもりだ?」
「何も、この焦土の記憶の中で少年の瞳から世界を見ていた」
突然突風が吹いた、砂埃が舞い二人の間を駆け抜ける。レイは右腕で顔を守り砂嵐が収まるのを待った。視界が開けた時はまた別の景色が広がっていた。辺り一面真っ暗闇だが小さな無数の光がはるか遠くで光って見える。だがお互いの事はよく見えている。地面の感触は一切ない、浮いている感じがする。
「少年、力は欲しくないか?」
辺りを見渡していたレイはその言葉に振り向く、相変わらずニッコリと開いた口がそう言った。
「少年の目からあの世界を見てきたから分かる、力が欲しいのだろう少年」
「お前みたいな魔人の力なんていらない!」
すぐさま否定した。炎の厄災は肩を震わせ大声で笑いだした、上半身の後ろにのけ反り両手を広げ大いに笑う。
「結構! 期待通りの答えを言うじゃないか少年。だが一つ違うな」
厄災は上半身を戻すと姿勢よく立つ、両肘を少しだけ曲げて両腕を左右に少しだけ広げる。
「少年も魔人だ」
見えていた口の上に丸く白いものが二つ、突如として現れた。厄災の目なのだろう。
「私だけではない、少年も魔人である」
何を言っているのだろう、レイにはさっぱり理解できない。困惑した顔でレイは訴える。
「僕は人間だ、魔人なんかじゃない!」
「否、少年は魔人である。この膨大なエーテル量と禍々しいエレメントは人のそれにあらず!」
視界がぐにゃりと揺れる。無数の小さな光が一点に集中する、光の集まる先に黒い何かがあった。中心に近づく光は黒い何かの近くまで引き寄せられると円を描き消えていく。次第に吸い込まれる光の量が増え黒い物体の周りが輝きだす。
「違う、違う違う違う違う違う違う違う! 僕はっ!」
もう一度心臓がドクンと鳴った、先ほどのより格段に心臓が軋む。痛みが増し立つことがままならない。その場に蹲ると両手で心臓を押さえた、瞳孔は開き顔が歪む。
「あ……あが」
声にならなかった、経験したことのない痛みにレイがもがく。それを見ながら厄災は両手を下し例に近づく。
「受け入れよ少年。人間に固着することに何の意味がある」
悶絶するレイに厄災は問いかける、諭す様になだめる様にゆっくりと問いかける。それはまるで新しい宗教の誕生を見ているようだ。救世主が人々に救いの手を差し伸べるかのようなソレは、信仰にも捉えられる。
「見よ、人間がいかに愚かで浅ましい種族かを。人が私にしてきたソレを」
光り輝いていた場所から急激にまぶしいまでの閃光が広がる、辺り一面を照らし暗闇は真っ白な空間へと姿を変える。音もなく風もない、唯々真っ白な空間。レイは途切れそうな意識の中で厄災の言葉を聞いた。その瞬間心臓の痛みは止まり苦痛が消えた。顔を上げると厄災は右手で一つの場所を指さす。そこに扉が現れた。
「はぁはぁ……」
ゆっくりと立ち上がり呼吸を整える、右手はまだ心臓を押さえている。指さされた扉はとても古く、朽ち果てる寸前のように見える。
「あの扉は、何だ」
大きく深呼吸した後レイは尋ねた。厄災はずっと表情を変えず淡々と話す。
「私の記憶。少年が人であるというのならば見てみるがいい」
小さく心臓が波打つ、チクリとした痛みにレイが強く心臓を押さえる。そしてゆっくりと扉の元へと歩き出す。厄災はその後ろに続く。
「……」
扉の前に立つと左手でドアノブを握る、手の平に汗をかいているのがその時初めて分かった。とても嫌な予感がする、レイの感覚がそれを警告する。
「僕は……人間だ」
ドアノブをゆっくりと回し扉を開いた。
美しい草木が生える森の奥、そこには人と魔族が小さな集落を作っていた。
その集落には俗世間で生きていくことが困難な人間が集まる場所でもあった、犯罪を犯したり人を殺したり。そういう類ではなく孤児や戦争に巻き込まれ家々を失った者等。最初は人が集まって暮らしていた、そこにやってきたのが戦争から逃れてやってきた魔族の一団である。初めこそ対立したものの、周囲の危険生物を退治したり食料を提供するなどして魔族側から共存を求めてきた。代わりに人は衣類や住居の提供等でお互いのバランスを保つようになった。
もともと魔族とは西大陸に生息していた原住民である。人々がかつて西大陸を魔大陸と呼び恐れていた時代、余りあるエーテル量から恐れられていた。一度戦争が始まると人々は魔族に対して抵抗する事無く敗北していく、そんな時代に終止符を打ったのが帝国であった。
当時の帝国は人々の安全を守る為、いずれ脅威となる魔族に対して戦争を仕掛ける。人々は魔族の魔法に対し法術を開発した。魔族同様エーテルを用いるが法術は世界に散らばるエレメントを利用し、体内のエーテルを起爆剤として使う。一方魔法は術者その者のエーテルを具現化する。エーテル貯蔵量が生まれつき少ない人間にとって魔法は使うことができないが、自然界に存在するエレメントを利用する法術であれば魔法に抵抗することができた。
戦争は魔族の一方的な戦いから均衡し始めた。だが人間は魔族より数が多く、最終的には物量で魔族側が敗退する。じわじわと人々が西大陸へと上陸し始めるころ、魔族は生き残りを連れて森の奥地へと散り散りに逃げていった。それから程なくして魔大陸最大の貿易都市は無抵抗で攻め込まれ人間の植民地へと変わった。同年、魔大陸の大部分を支配した帝国部隊は独立を宣言する。
中央大陸にある帝国本部はこれに激怒した、表向きは人々から脅威を取り除く戦争ではあったが魔大陸には膨大な資源が眠っている。半分はそれが狙いでもあった。しかし突如として独立を宣言した部隊は新たに国家を作り武装強化を行う。
翌年、独立国家と帝国との間で激しい戦争が始まる。その戦争から逃げ延びた人々が先の集落を始めて作り出した。魔族からすれば人間は突如として現れた敵である、だが彼らも馬鹿ではなかった。もとより仕掛けられた戦争ではあったがそれは軍人、一般市民となれば和解できると確信していた。その根拠は長年の貿易実績で得られた昔の信頼でもあった。
しかし、そう簡単に話は運ばなかった。魔族の知る貿易時代の人間はもう人々の記憶にはない、今の彼等は魔族イコール人間の脅威とだけ見られていた。そんな中、逃げ延びた人々の中に考古学に詳しい学者の姿があった。彼は人々を説得し共存の道を開く。お互いがお互いの事を尊重し、共に築き上げてきた物。それは新しい信頼関係であった。
共存が始まって数十年、人と魔族の間に子供が生まれ新しい種族が誕生していた。名を魔人という。外見、成長スピードは人と何ら変わりはないが貯蓄するエーテル量が人のそれを圧倒的に凌駕した。
そんな彼等にも集落以外の人の手が及ぶ、人々による魔族残党狩りである。独立国家と帝国との戦争は決着がつかず何十年と長引いている。休戦はあれど停戦などなかった。そして独立国家が目を付けたのが原住民である魔族達である。
魔族の強大なエーテルを求めこの大陸全土を探し回っていた。あの集落も見つかるまで時間の問題ではあった。独立国家は魔族と魔人を一度拠点へと集めた後戦場へと向かわせる、子供は貿易都市にて奴隷として酷使され動かなくなれば簡単に捨てていた。
彼もまた、そんな子供の一人である。
人と魔族との間に生まれた魔人の子、労働で酷使し使えなくなれば捨てられる。そんな景色を毎日のように見てきた。次々と倒れていく友達、次は自分の番かもしれない。そんなことを考えると夜も眠れなかった。彼にもやがて時はやってきた。不治の病に掛かった彼等は貿易都市から離れた郊外の犬小屋に集められると、一斉に火をつけられた。
熱い、熱い。同じ病に掛かった魔人の子達は灼熱の炎に焼かれ次々と絶命していく、それを一人の少年は怯えながら見ている。
「僕達が一体……何をした!」
少年は叫んだ。仲間たちが次々と死んでいくその光景の中で人間を恨んだ。あれほど仲の良かった人間全てを恨んだ、ついには少年の衣服にも火が付き体全体を焼く。耐え難い苦痛だろう、肌を焼かれ眼球は蒸発し血液が沸騰する。まさにこの世の地獄。少年は叫び続けた、人間を呪う言葉を叫び続けた。それが起爆剤となる。
少年の体から膨大なエーテルが暴走し、大爆発を引き起こした。
「これが――こんな事がっ」
レイはその歴史を見た、伝承にだけ語り継がれてきた炎の厄災をその目で見た。
おぞましいほどの憎悪、耐え難き苦痛。厄災の真実をその目に刻んだ。そして思い出す、爆風で家が燃え人が燃え犬が燃える。髪の毛と肌の焼ける匂い、助けてと叫ぶ人々の叫び声。厄災と対峙したときに見えたビジョンの数々。一つ一つ鮮明に思い出した。
「これが人の性だ」
厄災はレイの隣で語る、悲しき魔人が見せた過去の記憶。一体彼らが何をしたというのか、レイも同じことを考えていた。伝承に残るのはすべて人が優位に見せるための偶像。捻じ曲げられた真実、こんなもの……まともでいられるはずがない。
「もう一度問う。少年よ、これでも人間である事に固着するか?」
三度心臓が鳴りギュッと右手で胸を押さえる。すさまじいまでの激痛がレイを襲い一瞬だけ意識が飛びそうになった。歯を噛みしめ崩れそうな足に力を入れた。
「少年よ、……いや、我等が同胞よ。我ら魔人は決して人間を許してはならない」
踏みとどまった意識はゆっくりと刈り取られるように薄れていく、次第に膝から崩れ落ち項垂れる。もうレイの耳に魔人の言葉は届かない。
「私に身を委ねろ、力をくれてやる。その力で我らが願いを叶えよう」
大きく避けた口は終始そのままだった、厄災は崩れたレイの体に手をかけ顔を覗き込んだ。その眼は瞳孔を開いたまま、瞳から光が消えていた。
「さぁ、楽しい楽しい時間の始まりだ」
「剣聖結界」「剣聖結界」
カルナックとシトラは同時に叫ぶと体内のエーテルが弾け飛ぶように乱れた、先ほどまでの二人とはまるで別人の様なその後ろ姿にガズルとギズーは言葉を失う。
「雷光剣聖結界」
カルナックの白銀に輝く髪の毛が黄色に変わる。体全体が静電気を帯びたように青く光る、服と服の間に電流が流れている。
「氷雪剣聖結界」
シトラの黒い髪の毛が水色に染まる、左手に持ち替えていた杖を右手に移すと一瞬のうちに杖が凍りだした。それは形を形成し槍へと姿を変えた。
「先生、勝利条件は?」
シトラが横目でカルナックを見る、問いかけられた本人はレイから目を離さずに
「無力化、またはその生命活動の停止」
と短く答えた。
「待ってくれ剣聖、殺すことは――」
ギズーは聞こえた言葉に耳を疑った、とっさに出した言葉だったが言い終わる前に目の前の二人は瞬間的に跳躍する。目で追うことができないスピードだった、瞬きする瞬間に驚異的な跳躍力でレイへと近づいていた。二人の獲物が彼をとらえようと刃が交差しようとしていた。
「っ!」
シトラは目を丸くしていた、障壁を突き破りレイの心臓を氷の槍で一突きしようとしていたにも拘らずその刃は障壁によって妨げられている。
「これは困りましたね、並の障壁ではありませんよ」
カルナックの刀もその障壁に阻まれていた。もちろん二人が手を抜いているわけではない、被害が拡大する前にと全力で彼の生命活動を絶とうとしていたからである。しかし実際は二人が全力で襲い掛かったにもかかわらず障壁はびくともしなかった、ひび割れるという次元ではない。文字通り強固すぎる障壁が二人の攻撃を防いでいた。
「おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
レイが咆哮する、その声に後ろにいたガズルとギズーは思わず両手で耳をふさいだ。鼓膜が破れるかと思うほどの大声だった。
「忘レヌ……人間メ、贖罪ナリ……神罰ナリ……ニンゲン……ッ!」
突如としてレイの足元から炎が吹きあがる、カルナックとシトラは後ろへと飛び巻き上がる炎をよける。レイの体を炎が包み込み、一度体から弾かれるように離れると巨大な火柱を上げた。
「炎帝剣聖結界!?」
カルナックが声を上げた、それは戸惑いの声でもある。レイの適正には炎は含まれていない、元来持ち合わせているエレメント以外のインストールを使用することなど不可能なはず。しかし目の前のこの現象はなんだ、適正外のエレメントを使ってのインストール。そんなことカルナック本人にもできることはなかった。
「レイ君を封じ込めます、先生時間稼ぎを!」
氷の槍を地面に叩きつけ割ると両手で鉄の杖を頭の上でくるくると回し始めた、それを勢いよく杖の先端を地面へ振り下ろすと魔法陣が出現する。
法術の詠唱を一つ一つ丁寧に唱えながら魔法陣をさらなる強固なものに変えていく、これほど大きな物形成と維持にかなりのエーテル量を消費するだろう。
「わかりました、ガズル君、ギズー君。二人も彼の動きを止めるだけでいいのです! 協力してください」
「お、おう」「殺すんじゃなくて足止めってことなら!」
二人は同時に叫ぶ、先ほどから自信を治癒していたガズルはある程度動けるようになっていた。ギズーはもとより然程ダメージを負っていない。三人はシトラの正面に立つとガズルとカルナックが飛び出す、ギズーは胸ポケットから幻聖石を取り出し両手に収まらないほど大きなガトリングパーソル(銃火器を意味する、ガトリングパーソルは機関銃)をを出した。
「霊剣を吹き飛ばしてやる!」
ギズーが取り出したのは十二連装の銃口を持つ巨大なガトリングパーソルだった、トリガーを引くとシリンダーが回転し上段の部分から驚くような速度で弾丸が飛び出していく。しかしレイが展開する障壁に弾かれ続ける。だがその弾丸の圧力とあまりにも早い連続した弾丸に徐々にではあるが後ろへと後退し始める。
「ガズル!」
走り出してたガズルは対象者の少し前でジャンプする、両腕を頭上に回し両手の指を交差するように握る。握られた手の上には巨大な重力球が形成されていた。
「重力爆弾」
握られた両手をそのまま前に振りかぶると巨大な重力球はレイ目がけて急速落下した。だがそれは障壁によって塞がれレイがいる場所を残してその周辺の地形を凹ませた。
「グオオオオオォォォォォォォォ!」
再びレイが吠える、霊剣を振りかぶるとその刀身に炎を宿らせ力任せに縦に振るう。振り下ろされた剣からは剣圧と共に炎がすさまじいスピードで飛び出してきた。それをガズルは見逃さなかった。
握られていた両手を解き左手を迫りくる炎に向けて手の平を向ける、同時に重力球を作り出し炎を吸収し始める。右腕をすぐさま後ろに引くと一歩だけ右足を踏み込む。
「返すぜ炎!」
踏み出すと同時に右手を左手で構える重力球と一緒に貫く。吸収された炎は瞬間的に圧縮され高密度で超高温になり一直線に放たれる、まるで弾丸である。ガズルから放たれた炎はレイの障壁にぶつかると、一点だけを貫きレイの左腹部を貫通した。
「よくやりました!」
カルナックが突破された障壁へと間髪入れずに刀をねじ込む、剣先が数センチ入った程度でレイの体までは到達していない。しかしここからが早かった。いや、見えなかったが正しいだろう。剣先がねじ込まれたと思った瞬間レイの障壁は音を立てて粉々に破壊された。
ガズルとギズーには単純にその隙間からひびが入り破壊できたのだと見えていただろう。実際はかなり異なる。それを正確に見えていたのはシトラだけだった。
カルナックはこの時、ねじ込んだ刀を一度引き抜くともう一度差し込む。今度はさらに奥へと進んだ。次に刀を横に向け一閃、左半分に亀裂が入り一部が欠ける。同じように上、右、下と四発を目にも止まらないスピードで打ち込むと一度刀を鞘に納める。その次の瞬間だった。まさに神速、時間をゆっくりと再生できるのであればそこにはこう映っていただろう、抜刀した瞬間に六方から剣激を寸分の狂いもなく一か所へと叩きこむ、集まる剣閃を。
「シトラ君! まだですか!?」
三人の後方で詠唱を続けているシトラ、唱え続けていた詠唱を止めると三人に向かって叫ぶ。
「準備できました、みんな飛んで!」
その声と同時に三人は地面を同時に蹴った。高く飛び上がるのを確認したシトラは魔法陣を発動させる。
魔法陣が赤く光るとレイの周辺の気温が一気に下がる、十度、二十度と尋常では考えられないほどの速さで下がる。炎の勢いは弱まりやがて鎮火し始める。
「絶対零度」
突如としてレイを中心に巨大な氷が出現した、透明で不純物の一切無い氷だ。その上から雪が覆いかぶさりそれも一瞬で凍り付く。半径五メートル、高さ八メーテルの巨大な氷が出現した。
「レイ!」
ギズーが思いっきり叫んだ、自分が予想していたものとかなり違っていた為レイの安否を心配する。
「大丈夫だよギズー君、殺してはいない。ただ一時的に身動きを拘束し結界で氷漬けにしただけ」
そこまで言うとシトラは自身のインストールを解いた、スッと元の髪色に戻るとニッコリと笑顔を作る。それに安堵したギズーは着地するなり尻もちをついた。
「私が法術を解かない限りこの氷は解けることも無いから暫くは作戦を考える時間が――」
シトラが氷を背に振り返った時だった、発動したばかりの氷の結界に一筋の亀裂が入る。一つ、二つと亀裂が増えるとやがて全体にヒビが届いた。
「嘘……」
轟音を立てて氷の結界は粉々に砕かれた、小さな氷片がパラパラと崩れ白い氷の煙の中からゆっくりと人影が立ち上がる。フラフラとしているがその足は確実に地面に立ち上半身をのけ反らせると腕を左右いっぱいに開いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
三度咆哮が響き渡る。その声はレイの透き通った声ではなかった、まるで獣。人ならざる者、野獣の咆哮にもよく似ていた。その姿を見たカルナックは確信する。
「ここが、彼の旅の末路ですね」
誰にも聞こえない声で、そうつぶやいた。