残酷な描写あり
聖花の神殿 1
巨大カマキリのような魔物を倒した私は、少しの間だけ地面に寝そべって休んでから、傷だらけの体をなんとか起こして、怪我した脚を引きずりながら歩き始めた。
しんどいけど、ここで眠ってしまったら、もう起き上がれない気がしたからだ。
私の体が持っているうちに、一歩でも前に進んで、この先の景色を見ておこうと思う。
「晴人……無事、かな……」
朦朧とする意識の中で、私は弟のことだけが気がかりだった。
歩いた道筋に、点々と血の跡が残る。
ああ、でも。
体はつらいけど、歩けば少しだけ、違う景色が見えてくる。
ずっと同じ場所で戦い続けてたから、なんだか感慨深い。やり遂げたんだという達成感があった。
「あれは……?」
前方に白い光が見える。
もう少し進んで近づいてみると、それが大きな白い花だということがわかった。
一瞬、私は「げっ」と心の中で声を上げた。またカマキリの魔物が化けているものだと思ったからだ。
しかし、何やら様子が違う。
魔物の化けていた花は、冷たくてどこか恐ろしい雰囲気だったが、その花は淡く発光していた。
美しい。それに温かい光。
「…………」
その花に目を奪われながら、無言で近づいていった。
私はおもむろに、白い花弁に手で触れてみる。
瞬間――。
視界がまばゆい光に包まれて――。
私の生前の記憶が、奔流のように蘇ってきた。
「愛里亜!」
トラックが急ブレーキをかける音が聞こえる。
私をかばって死んだお母さんの記憶だ。
「……姉ちゃん」
弟の、晴人の声。
「母さんが死んだの……姉ちゃんのせいだから」
私に向けられる憎しみ。
以来、私の心は罪の意識に苛まれている――。
「これ、やってみない?」
そんな弟が、ある日とつぜん、私にゲームを貸してくれた思い出。
「……いいの?」
「うん。オレはしばらくゲームやる予定ないし」
うれしかった。だから私は、夢中になってプレイしたんだ。
私という人物を、構成する要素。
生まれてから死ぬまでの、少し短い人生の記憶。
そのすべてが同時に湧き上がってきた。
「晴人……逃げて……」
下校中にいきなり魔物に襲われて、私は晴人をかばい死んだ。
最後の記憶。
すべての記憶を取り戻すと、その記憶たちは私の中に溶けていくようにスッと入っていった。
すべて、思い出した。
私の名前は大須愛里亜。
どこにでもいる、普通の女子高校生だ。
視界を覆う白い光に目が慣れてくると。
目の前に光と同じ色の花びらが舞っているのが、うっすらと見えた。
「私は……」
私こと愛里亜は、ふと自分の体を見る。
「……って、え、裸!?」
愛里亜は、一糸まとわぬ裸の姿になっていた。
さっきまでボロボロになった学生服を着ていたはずなのに。
そういえば、魔物にやられた傷も治っている。
どういうことだろう。不思議に思いながら自分の体を確かめていると、
「……アリア……」
――幼い女の子のような可愛らしい声が、かすかに耳元から聞こえてくる。
「オースアリア……聞こえますか?」
最初は自分の名前を呼ばれていることに気づかなかった。
少しだけニュアンスが違うような気がしたからだ。
「だれ? だれか、私を呼んでいるの?」
愛里亜ことアリアが呼びかけに応えると、安心したような声音が返ってきた。
「よかった……やっとあなたとコンタクトを取ることができました。わたくしはフローリア。あなたをこのファウンテールの世界に招いた者です」
「ファウンテール……?」
フローリアと名乗る声の言う、ファウンテールという単語がわからずアリアは首をかしげる。
「あなたたちのいた世界のことをアストリア。そして、わたくしたちのいる世界をファウンテールと呼びます」
「えっと……私のいたとこってことは、日本がアストリアで、今いる場所がファウンテールってこと?」
「理解が早くて助かります。正確には、あなたたちが地球と呼ぶ場所すべてを、わたくしたちはアストリアと呼んでいます」
現実世界がアストリアで、今アリアがいる場所、たぶん異世界と呼ばれるところがファウンテール。
昔読んでいた小説や漫画に、似たような設定の物語がいくつかあったから、アリアはフローリアの言うことをすんなりと理解できた。
それにしても、幼い女の子みたいな声に反して、フローリアの話し方はすごくしっかりしている。
いったい何者なのだろう。
そんなアリアの心を読んだかのように、フローリアは疑問に答える。
「わたくしは、このファウンテールの世界で女神と呼ばれる存在です」
「女神様……!?」
あっさりと語られた事実に、アリアは驚きの声を上げた。
普通だったら信じがたいことだが、森の中をさまよっていたときからずっと不思議なことばかり起こっているし、神様が現れてもおかしくはないかもしれない。
「あの……私は一度、死んでいる……のですよね?」
なんとなく敬語になるアリア。
「そうですね」
答えるフローリア。
「じゃあ、私はファウンテールっていう異世界に転生させられたの……?」
「……」
何やら、フローリアは驚いているような息遣いの沈黙があった。
「……本当に、話が早くて助かります」
感心したように言ってから、女神フローリアは言葉を続ける。
「アリア、急にこちらの世界に呼び寄せてしまってごめんなさい。それに、途中で妨害までされてしまって……」
「妨害って、あのカマキリみたいなやつのこと?」
一瞬だけ敬語になってみたが、相手は女神とはいえ声は幼い女の子のものだから、アリアは自然と砕けた話し方になってしまう。
「はい。あれは『穢れの怪異』と呼ばれる魔物です。私の力が弱まっているせいで、霊域への魔物の侵入を許してしまいました」
「……どうして、魔物は私の邪魔をしていたの?」
なんとなく、アリアは気づいていた。
あれはただ無差別に人を襲っているだけの怪物ではない。
まるで、アリアに先へと行かせないよう妨害しているように感じた。
「それは、あなたが世界を救う可能性を持っているからです」
「世界を……救う?」
「そう。世界に蔓延する穢れを祓い、人々を救う力……それがアストリアの人間には、とくに王の血を受け継いでいるあなたには備わっているのです」
アストリアとは、つまり現実世界のこと。
でも、王の血とは何だろうか。
もしアリアの家系がそういう血を引いているとしたら、父か母のどちらか、それに弟の晴人も――。
「そうだ、晴人! 弟の晴人は無事なの?」
「……。そのことについて、これから説明いたします」
いても立ってもいられない気持ちのアリアは、息を呑みながらフローリアの話の続きを待った。
「まず最初に伝えるべきこととして、オースアリア……あなたの弟は生きています」
その言葉に、アリアはほっと胸をなで下ろした。
「よかった……」
「はい。……あなたが彼を守ってくれたおかげです」
ちゃんと守れたんだ。
そう思うと、アリアはなんだか誇らしくなった。
(私の人生にも、少しは意味があったんだ……)
十二年前に母が犠牲になって生きながらえた命。
それをこうして弟に繋ぐことができたのなら、いい。
「しかし、まだ脅威は去ってはいません」
「え……?」
アリアはドキリとして、うつむいていた顔を上げた。
「どういう……こと?」
「あなたの弟は『穢れの怪異』たちに狙われているのです。だから、彼を守らなければなりません」
「どうして……」
暗澹たる思いでアリアは女神フローリアに疑問を尋ねる。
「どうして、晴人が狙われるの? それにあなたは……すごい女神様なのに、どうして晴人を気にかけてくれるの?」
「……わたくしは、すごくなどありません……ちっぽけな女神です」
フローリアがささやくような細い声で言った。
ちっぽけな女神。
小さな巨人みたいな、なんだか不思議な表現だった。
「あなたの弟は、特別なのです」
「特別……さっき言ってた、王の血ってやつ?」
「はい。あなたの弟であるオースハルトは、王の魂を色濃く受け継いでいて、現在もっとも王としての素質が高い人物です」
「晴人が……」
あの弟が、そんなに大物だったなんて。
それにしても、大須晴人という名前をオースハルトというニュアンスで呼ぶのは、外国人みたいでちょっと変な感じだとアリアは思った。
「王の魂は大いなるアウラを有しています。よって、その力を穢れの魔物たちは狙っているのです」
「アウラって?」
「心持つ、すべての生命の力の源。精神光と呼ばれています」
ファンタジー世界で言うところの魔力のようなものだろうか。
アリアはそう納得することにした。
「アウラは魔物に大いなる力を与えます。だから……穢れの怪異たちは、あなたの弟を殺してアウラを奪おうとするでしょう」
「そんな……」
晴人は、この世界の魔物たちに命を狙われている――その事実にアリアが暗澹たる思いでいると、
「アリア」
「は、はい。なんでしょう?」
神妙な様子で名前を呼ばれて、アリアは思わず裸のまま姿勢を正した。
「あなたの弟であるオースハルトを守るため。ひいては世界を守るために……どうかあなたに、力を貸してもらいたいのです」
なんとなく、そういう展開になるのはわかっていた。
女神様が、何の理由もなく人を転生させるわけがない。
でも……アリアの答えは決まっていた。
晴人を守る。そのためなら、なんだってやるつもりだった。
「わたくしは女神として、あなたに使命を授けようと思っています。これから、どんな道を選択するにしても、まずは、わたくしの話を聞いていただけますか?」
「……うん。わかった」
フローリアの言葉に、アリアは強くうなずいた。
白い光の中に、映像が映し出される。
神秘的な森の中。そこに咲く、枯れた白い大きな花。
花の中央の花柱の部分は、まるで宝石の結晶のようであったが、その結晶も濁っていた。
「アリア。見えますか?」
「うん。大きな花が……」
「あれが『神花』です。このファウンテールの中心に咲いていて、世界の穢れを浄化する役目を持つ、聖なる花」
「でも……枯れているね」
「はい。もう何年も前から神花は力を失っていて、世界に穢れが蔓延し、人々は苦しみ、魔物の脅威に怯えながら生活しています」
「そっか……」
枯れて朽ちかけている花。
それを見ると、アリアはなんだか懐かしいような、寂しいような気持ちになった。
「あなたに与える使命は、この神花を蘇らせることです」
「この花を……どうやって?」
「世界中に散らばった、五つの『アウラの花弁』を集めて、ここに持ってきてください」
「それだけでいいの?」
「はい。しかし、それは並大抵のことではありません」
幼い女の子のような可愛らしい声で、フローリアが説明をする。
「アウラの花弁」は、持つ者に大いなる力を与える。
それは人にも魔物にも分け隔てなく――。
「ただし、あなたのような『迷い人』には力をもたらしません」
「迷い人?」
「つまり……そう、異世界から来た人のことです」
代わりに迷い人は、アウラの花弁を集めることで神花を復活させる力があるという。
「しかし、アウラの花弁を持った者は、その大いなる力を手放したくないと考えるはずです。なので……」
「奪い合いになるかもしれない……」
「はい。戦いになることもあるでしょう」
どうして使命を果たすのが難しいかは理解した。
けど、それだけなのだろうか。
なんとなくフローリアの口振りだと、まだ何かあるとアリアは感じていたから、尋ねてみる。
「私の使命は、それだけじゃないんでしょ?」
「……はい。あなたに課せられた役目は、もう一つあります」
アリアに課せられた使命。
それは「神花」を復活させて世界の穢れを浄化すること。
そして、もう一つ――。
それからしばらくの時間、アリアはフローリアからの説明を聞いて過ごした。
フローリアから与えられた、もう一つの使命。
それはとても困難なもので、たとえ果たしたとしても、アリア自身は決して報われないものだった。
フローリアもそれをわかっているからか、アリアにこう告げる。
「オースアリア。あなたには、三つの道があります」
一つは、使命を受け入れて、過酷な旅をする道。
二つ目は、使命を忘れて、異世界で第二の人生を生きる道。
「そしてもう一つは、このまま眠りにつき、死という永遠の安寧を享受する道です。アリア、あなたがどんな選択をしても、私は決してあなたのことを責めることはしません」
「……わかった」
迷ったのは、ほんの少しの間だった。
「やるよ。私にできるかわからないけど……その使命を果たせるように頑張ってみる」
カマキリの魔物に襲われたときみたいに、また苦しい戦いが待っているのだろう。
その旅は決して救われないものだ。
だけど、
「そっちの……ファウンテールっていう世界がピンチなんでしょ? それに、晴人もいつまた穢れの怪異? っていう魔物に襲われるかわからないし。それなら――」
守らないと。
彼の、姉として。家族として。
アリアは自らの胸に手を当てて、そう心に決めた。
「このような過酷な運命をあなたに強いてしまい、申し訳ありません……」
「いいよ……どっちにしても私はもう死んじゃっているはずだったんだし、また家族を守れる機会をもらえただけでも、ありがたいよ」
「アリア……」
そうしてアリアが微笑んで見せると、フローリアは祈るように告げる。
「崇高な決意を秘め、悲しき穢れの道を行くあなたに、どうか幸せのあらんことを――」
視界を覆う白い光がまた強まり、ふわりと体が浮き上がるような感覚がアリアを包んだ。
しんどいけど、ここで眠ってしまったら、もう起き上がれない気がしたからだ。
私の体が持っているうちに、一歩でも前に進んで、この先の景色を見ておこうと思う。
「晴人……無事、かな……」
朦朧とする意識の中で、私は弟のことだけが気がかりだった。
歩いた道筋に、点々と血の跡が残る。
ああ、でも。
体はつらいけど、歩けば少しだけ、違う景色が見えてくる。
ずっと同じ場所で戦い続けてたから、なんだか感慨深い。やり遂げたんだという達成感があった。
「あれは……?」
前方に白い光が見える。
もう少し進んで近づいてみると、それが大きな白い花だということがわかった。
一瞬、私は「げっ」と心の中で声を上げた。またカマキリの魔物が化けているものだと思ったからだ。
しかし、何やら様子が違う。
魔物の化けていた花は、冷たくてどこか恐ろしい雰囲気だったが、その花は淡く発光していた。
美しい。それに温かい光。
「…………」
その花に目を奪われながら、無言で近づいていった。
私はおもむろに、白い花弁に手で触れてみる。
瞬間――。
視界がまばゆい光に包まれて――。
私の生前の記憶が、奔流のように蘇ってきた。
「愛里亜!」
トラックが急ブレーキをかける音が聞こえる。
私をかばって死んだお母さんの記憶だ。
「……姉ちゃん」
弟の、晴人の声。
「母さんが死んだの……姉ちゃんのせいだから」
私に向けられる憎しみ。
以来、私の心は罪の意識に苛まれている――。
「これ、やってみない?」
そんな弟が、ある日とつぜん、私にゲームを貸してくれた思い出。
「……いいの?」
「うん。オレはしばらくゲームやる予定ないし」
うれしかった。だから私は、夢中になってプレイしたんだ。
私という人物を、構成する要素。
生まれてから死ぬまでの、少し短い人生の記憶。
そのすべてが同時に湧き上がってきた。
「晴人……逃げて……」
下校中にいきなり魔物に襲われて、私は晴人をかばい死んだ。
最後の記憶。
すべての記憶を取り戻すと、その記憶たちは私の中に溶けていくようにスッと入っていった。
すべて、思い出した。
私の名前は大須愛里亜。
どこにでもいる、普通の女子高校生だ。
視界を覆う白い光に目が慣れてくると。
目の前に光と同じ色の花びらが舞っているのが、うっすらと見えた。
「私は……」
私こと愛里亜は、ふと自分の体を見る。
「……って、え、裸!?」
愛里亜は、一糸まとわぬ裸の姿になっていた。
さっきまでボロボロになった学生服を着ていたはずなのに。
そういえば、魔物にやられた傷も治っている。
どういうことだろう。不思議に思いながら自分の体を確かめていると、
「……アリア……」
――幼い女の子のような可愛らしい声が、かすかに耳元から聞こえてくる。
「オースアリア……聞こえますか?」
最初は自分の名前を呼ばれていることに気づかなかった。
少しだけニュアンスが違うような気がしたからだ。
「だれ? だれか、私を呼んでいるの?」
愛里亜ことアリアが呼びかけに応えると、安心したような声音が返ってきた。
「よかった……やっとあなたとコンタクトを取ることができました。わたくしはフローリア。あなたをこのファウンテールの世界に招いた者です」
「ファウンテール……?」
フローリアと名乗る声の言う、ファウンテールという単語がわからずアリアは首をかしげる。
「あなたたちのいた世界のことをアストリア。そして、わたくしたちのいる世界をファウンテールと呼びます」
「えっと……私のいたとこってことは、日本がアストリアで、今いる場所がファウンテールってこと?」
「理解が早くて助かります。正確には、あなたたちが地球と呼ぶ場所すべてを、わたくしたちはアストリアと呼んでいます」
現実世界がアストリアで、今アリアがいる場所、たぶん異世界と呼ばれるところがファウンテール。
昔読んでいた小説や漫画に、似たような設定の物語がいくつかあったから、アリアはフローリアの言うことをすんなりと理解できた。
それにしても、幼い女の子みたいな声に反して、フローリアの話し方はすごくしっかりしている。
いったい何者なのだろう。
そんなアリアの心を読んだかのように、フローリアは疑問に答える。
「わたくしは、このファウンテールの世界で女神と呼ばれる存在です」
「女神様……!?」
あっさりと語られた事実に、アリアは驚きの声を上げた。
普通だったら信じがたいことだが、森の中をさまよっていたときからずっと不思議なことばかり起こっているし、神様が現れてもおかしくはないかもしれない。
「あの……私は一度、死んでいる……のですよね?」
なんとなく敬語になるアリア。
「そうですね」
答えるフローリア。
「じゃあ、私はファウンテールっていう異世界に転生させられたの……?」
「……」
何やら、フローリアは驚いているような息遣いの沈黙があった。
「……本当に、話が早くて助かります」
感心したように言ってから、女神フローリアは言葉を続ける。
「アリア、急にこちらの世界に呼び寄せてしまってごめんなさい。それに、途中で妨害までされてしまって……」
「妨害って、あのカマキリみたいなやつのこと?」
一瞬だけ敬語になってみたが、相手は女神とはいえ声は幼い女の子のものだから、アリアは自然と砕けた話し方になってしまう。
「はい。あれは『穢れの怪異』と呼ばれる魔物です。私の力が弱まっているせいで、霊域への魔物の侵入を許してしまいました」
「……どうして、魔物は私の邪魔をしていたの?」
なんとなく、アリアは気づいていた。
あれはただ無差別に人を襲っているだけの怪物ではない。
まるで、アリアに先へと行かせないよう妨害しているように感じた。
「それは、あなたが世界を救う可能性を持っているからです」
「世界を……救う?」
「そう。世界に蔓延する穢れを祓い、人々を救う力……それがアストリアの人間には、とくに王の血を受け継いでいるあなたには備わっているのです」
アストリアとは、つまり現実世界のこと。
でも、王の血とは何だろうか。
もしアリアの家系がそういう血を引いているとしたら、父か母のどちらか、それに弟の晴人も――。
「そうだ、晴人! 弟の晴人は無事なの?」
「……。そのことについて、これから説明いたします」
いても立ってもいられない気持ちのアリアは、息を呑みながらフローリアの話の続きを待った。
「まず最初に伝えるべきこととして、オースアリア……あなたの弟は生きています」
その言葉に、アリアはほっと胸をなで下ろした。
「よかった……」
「はい。……あなたが彼を守ってくれたおかげです」
ちゃんと守れたんだ。
そう思うと、アリアはなんだか誇らしくなった。
(私の人生にも、少しは意味があったんだ……)
十二年前に母が犠牲になって生きながらえた命。
それをこうして弟に繋ぐことができたのなら、いい。
「しかし、まだ脅威は去ってはいません」
「え……?」
アリアはドキリとして、うつむいていた顔を上げた。
「どういう……こと?」
「あなたの弟は『穢れの怪異』たちに狙われているのです。だから、彼を守らなければなりません」
「どうして……」
暗澹たる思いでアリアは女神フローリアに疑問を尋ねる。
「どうして、晴人が狙われるの? それにあなたは……すごい女神様なのに、どうして晴人を気にかけてくれるの?」
「……わたくしは、すごくなどありません……ちっぽけな女神です」
フローリアがささやくような細い声で言った。
ちっぽけな女神。
小さな巨人みたいな、なんだか不思議な表現だった。
「あなたの弟は、特別なのです」
「特別……さっき言ってた、王の血ってやつ?」
「はい。あなたの弟であるオースハルトは、王の魂を色濃く受け継いでいて、現在もっとも王としての素質が高い人物です」
「晴人が……」
あの弟が、そんなに大物だったなんて。
それにしても、大須晴人という名前をオースハルトというニュアンスで呼ぶのは、外国人みたいでちょっと変な感じだとアリアは思った。
「王の魂は大いなるアウラを有しています。よって、その力を穢れの魔物たちは狙っているのです」
「アウラって?」
「心持つ、すべての生命の力の源。精神光と呼ばれています」
ファンタジー世界で言うところの魔力のようなものだろうか。
アリアはそう納得することにした。
「アウラは魔物に大いなる力を与えます。だから……穢れの怪異たちは、あなたの弟を殺してアウラを奪おうとするでしょう」
「そんな……」
晴人は、この世界の魔物たちに命を狙われている――その事実にアリアが暗澹たる思いでいると、
「アリア」
「は、はい。なんでしょう?」
神妙な様子で名前を呼ばれて、アリアは思わず裸のまま姿勢を正した。
「あなたの弟であるオースハルトを守るため。ひいては世界を守るために……どうかあなたに、力を貸してもらいたいのです」
なんとなく、そういう展開になるのはわかっていた。
女神様が、何の理由もなく人を転生させるわけがない。
でも……アリアの答えは決まっていた。
晴人を守る。そのためなら、なんだってやるつもりだった。
「わたくしは女神として、あなたに使命を授けようと思っています。これから、どんな道を選択するにしても、まずは、わたくしの話を聞いていただけますか?」
「……うん。わかった」
フローリアの言葉に、アリアは強くうなずいた。
白い光の中に、映像が映し出される。
神秘的な森の中。そこに咲く、枯れた白い大きな花。
花の中央の花柱の部分は、まるで宝石の結晶のようであったが、その結晶も濁っていた。
「アリア。見えますか?」
「うん。大きな花が……」
「あれが『神花』です。このファウンテールの中心に咲いていて、世界の穢れを浄化する役目を持つ、聖なる花」
「でも……枯れているね」
「はい。もう何年も前から神花は力を失っていて、世界に穢れが蔓延し、人々は苦しみ、魔物の脅威に怯えながら生活しています」
「そっか……」
枯れて朽ちかけている花。
それを見ると、アリアはなんだか懐かしいような、寂しいような気持ちになった。
「あなたに与える使命は、この神花を蘇らせることです」
「この花を……どうやって?」
「世界中に散らばった、五つの『アウラの花弁』を集めて、ここに持ってきてください」
「それだけでいいの?」
「はい。しかし、それは並大抵のことではありません」
幼い女の子のような可愛らしい声で、フローリアが説明をする。
「アウラの花弁」は、持つ者に大いなる力を与える。
それは人にも魔物にも分け隔てなく――。
「ただし、あなたのような『迷い人』には力をもたらしません」
「迷い人?」
「つまり……そう、異世界から来た人のことです」
代わりに迷い人は、アウラの花弁を集めることで神花を復活させる力があるという。
「しかし、アウラの花弁を持った者は、その大いなる力を手放したくないと考えるはずです。なので……」
「奪い合いになるかもしれない……」
「はい。戦いになることもあるでしょう」
どうして使命を果たすのが難しいかは理解した。
けど、それだけなのだろうか。
なんとなくフローリアの口振りだと、まだ何かあるとアリアは感じていたから、尋ねてみる。
「私の使命は、それだけじゃないんでしょ?」
「……はい。あなたに課せられた役目は、もう一つあります」
アリアに課せられた使命。
それは「神花」を復活させて世界の穢れを浄化すること。
そして、もう一つ――。
それからしばらくの時間、アリアはフローリアからの説明を聞いて過ごした。
フローリアから与えられた、もう一つの使命。
それはとても困難なもので、たとえ果たしたとしても、アリア自身は決して報われないものだった。
フローリアもそれをわかっているからか、アリアにこう告げる。
「オースアリア。あなたには、三つの道があります」
一つは、使命を受け入れて、過酷な旅をする道。
二つ目は、使命を忘れて、異世界で第二の人生を生きる道。
「そしてもう一つは、このまま眠りにつき、死という永遠の安寧を享受する道です。アリア、あなたがどんな選択をしても、私は決してあなたのことを責めることはしません」
「……わかった」
迷ったのは、ほんの少しの間だった。
「やるよ。私にできるかわからないけど……その使命を果たせるように頑張ってみる」
カマキリの魔物に襲われたときみたいに、また苦しい戦いが待っているのだろう。
その旅は決して救われないものだ。
だけど、
「そっちの……ファウンテールっていう世界がピンチなんでしょ? それに、晴人もいつまた穢れの怪異? っていう魔物に襲われるかわからないし。それなら――」
守らないと。
彼の、姉として。家族として。
アリアは自らの胸に手を当てて、そう心に決めた。
「このような過酷な運命をあなたに強いてしまい、申し訳ありません……」
「いいよ……どっちにしても私はもう死んじゃっているはずだったんだし、また家族を守れる機会をもらえただけでも、ありがたいよ」
「アリア……」
そうしてアリアが微笑んで見せると、フローリアは祈るように告げる。
「崇高な決意を秘め、悲しき穢れの道を行くあなたに、どうか幸せのあらんことを――」
視界を覆う白い光がまた強まり、ふわりと体が浮き上がるような感覚がアリアを包んだ。