残酷な描写あり
R-15
8話『唯一にして最初の魔術』
集合場所である中央広場から歩く事約二時間。
カレンに案内されるまま連れていかれた先は森だった。
森と言えばあまり良い思い出の無いアウラだったが、今回は魔獣に襲われる心配はない。
もっとも、相手にするのは魔獣よりも恐ろしい者なのだが。
森の中を突き進むと、拓けた場所に到着した。
広さは下手な学校の校舎であればすっぽり入ってしまう程で、鍛錬をするには寧ろ十分すぎる。
これから自分はこの場所で彼女に幾度となく打ち倒されるのだろうと、そんな予感がアウラの頭を過った。
「確かに、こんだけ広いなら誰にも迷惑かからないな」
「でしょ? 静かだし、個人的に気に入ってるのよ。それで、これから何をするのかはもう分かってる?」
アウラはカレンの問いに頷きで返す。
実践形式で彼女とひたすら刃を交わし、兎に角経験を積み続ける。大気中のマナを取り込めず、オドを用いた魔術しか許されないアウラにとっての最適解だったのだ。
そして、彼が戦っていく為に確実に体得しなければならない魔術が、一つだけある。
「「強化」の魔術を行使しての実践形式、だろ? それぐらいは覚えてるさ」
片手を腰に手を当てて、アウラは答える。
最も単純にして明解、最終的な到達点は必然的に彼女である。
自らに内在する魔力でを身体能力を上昇させた上で、アウラが持ちうる唯一の得物であるヴァジュラを用いての白兵戦。
魔術師らしくない戦い方だが、この世界ではそう珍しいものでもないのだという。
ただ一つだけ、彼にはどうしても気になっていた部分があった様で。
「ただ、両刃の剣ってどう使えば良いんだ……?」
携えた武器を一度見てから、答えを求めるように彼女を見た。
ヴァジュラの扱い、という問題。
というのも、ヴァジュラは中心部分を柄とし、両端に刃が伸びているのだ。
剣や槍であれば比較的使い方のイメージが付くが、この手の得物の扱いに関しては少々難解な印象が付いて回る。
「あー……確かに、私も大方の武器は扱えるけど、刃が二つあるものは使った事無いわね……」
「下手をすれば自分を傷つけるかもしれないし、その辺もカレンに教えて貰いたかったんだよ」
一から十まで指南して貰おうとは思っていないが、アドバイスだけでもと思ってのことだった。
方向性や具体的なイメージが固まりさえすれば、あとは自分の試行錯誤と実践での中で身体に覚えさせて行くだけである。
「どうなんだろう……パッと思いつくのは刺突とかを軸にする感じだと思うけど、普通の剣のようにも槍にも扱えそうでもあるわよね……ん~……」
カレンですら腕を組み、返答に詰まるといった様子だった。
数多の視線を潜り抜け、その中で幾千の武具を見て来たであろう彼女ですら正しい扱い方が分からない。それ程に珍しいのだろう。
「つーか……こんなヘンテコなの、相当な物好きしか使わないよな」
「アンタがその物好きなんじゃないの?」
「いや、俺は紆余曲折合ってこの武器に落ち着いたっていうか……まぁ言っちゃえば割と不本意なところはあるけど、一応使わせて貰ってる立場だからさ。使うなら上手く扱えなきゃ元の持ち主に申し訳ない感じがしてね」
太古に地上に君臨した支配者。神の一柱だった者の武器を、こうして何の力も無いアウラが担い手となっている。
成り行きとは言え、大層な代物の担い手になったからには、それに相応しい技量を身に付けるよう精進しなければヴァジュラを又貸ししてくれた天使、そして天上に至った神に対して面目が立たない。
「アウラも色々と考えてるのね。そういうことなら、私も出来る限りで協力するわよ。でも、実際にソレを振るう前に覚えなきゃいけない事があるんだけどね」
「魔術……だよな。俺なんかに出来んのかなぁ……」
「何事も一歩踏み出す事が肝心よ。魔術に関しては前にも説明したから頭に入ってるだろうし、後は実践するだけだから」
神の御技を、人の力で再現した人為的な神秘。それがこの世界における魔術。
大気中の魔力源であるマナ、或いは、人体に内在するオドに意味を与える事で指向性を持たせ、変質させる行為。
人という矮小な存在が神の領域に踏み込んだ、人間の傲慢の結晶。
「因みに、コレが出来なきゃ話にならないからね?」
「大丈夫、分かってるよ」
「なら良し──じゃあ、上を脱いで」
大真面目も大真面目な顔で、カレンは言い放った。
「……はい?」
あまりに前後の会話が繋がっておらず、気の抜けた声しか出ない。
「ほら、脱いだ脱いだ。早くしないと1着しかないその、服引き千切るわよ」
「人の身の上を知った上でのピンポイントで困る脅しやめてくんない!?」
当然、今のアウラには服を買う程の余裕はない。
彼女の脅迫、もとい指示に従い、大人しく上着を脱いだ。年の近い女子に素肌を晒すというのは如何せん恥ずかしい。
カレンが「見て呉れだけ」ならトップクラスの美少女というのがそれを加速させる。
「……んで、具体的に何すんのさ」
「貴方の魔術属性を視る。ほら、魔術師個人にはそれぞれ決まった属性が具わっているって話したでしょう? 本来はそれ専門の魔術師にやってもらうんだけど、それだと余計にお金かかっちゃうから」
「念のため聞いとくけど、正確性の方はいかがなもので?」
「普段から得物振り回して戦ってるけど、一応「熾天」の魔術師よ? 全面的に信用して貰って構わないわ」
自信に満ちたドヤ顔と共に親指を立てる。
今の所彼女が魔術を行使している場面を見たのは森での一度きり。それにこれから指南を受ける「強化」のみだ。
しかし、魔術師として高位の位階を与えられてるのは単に実力や戦績だけでは無く、行使できる魔術の質も含まれているのであろう。
「ちょっと不安だけど……分かった、頼むよ」
「パパっと済ませるから、適当に座って頂戴」
彼女の言われた通り、その場で胡坐をかく形で座る。
羞恥心に耐えるアウラを余所に、カレンは彼の背後に立ち、膝立ちの状態でうなじの下辺りに掌を当てる。
「……そのまま目を瞑って、深呼吸して。出来るだけ雑念は取り払ってくれると助かるわ」
「お、おう……善処する」
とは言っているものの、上裸の状態で異性に見られているという状況だけで心臓は加速し続けている。可能な限り余分な思考を排除し、カレンに支障が出ないように意識を研ぎ澄ましていく。
彼女の手が、ゆっくりと背中に触れ────、
「ひゃっ!?」
カレンの手が存外に冷たく、思わず変な声が出てしまった。──そして間髪入れず、今度は背中に強い衝撃が加わる。
「────痛っ!」
パン!という甲高い音と共に、アウラの背中に掌が打ち付けられたのだ。
防ぐ物のない素肌であれば、その衝撃は緩和される事なくダイレクトに伝わる。証拠に、彼の背には綺麗な紅葉が咲いていた。
「ちょっとアウラ! 変な声出さないでよ!」
「……仕方ないだろ! 年上ならまだしも、同い年の女子に脅されて脱がされた挙句に身体を触られるとか慣れてないの!」
半泣きで、アウラは必至に弁明する。
痛みが治まったところで、カレンはハッキリと手形が残った背中に再び掌を当てた。
この世界における魔術属性は基本的には「火」「水」「地」「風」の四つ。
地上界を構成する要素に基づいて定められたモノ。
魔術師はいずれかの属性を宿し、その属性に対応した魔術の質の伸びしろに影響を及ぼす概念である。
掌を当て、その者の魔力の流れを汲み取り、そこから沸いたイメージから属性を判断する。魔術師としての知識、経験があるからこそ可能な芸当であった。
「…………」
「…………」
静寂が支配する。彼らの耳に入るのは森に棲む小鳥の声や草木が風で揺れる音といった自然音のみ。
彼らを邪魔する者は誰もいない。
わざわざ離れの森まで連れて来たというのは、刃を交わしても問題ない広さという点以外にも、人目に付かない場所である必要もあったのであろう。
カレンは魔力のイメージを掴み取る為に余程集中しているのか、頬に汗が伝っている。
アウラの方も最大限何も考えず、かといって寝てしまわない用に集中力を持続させる。
時間にして約一分程だった頃──暫く続いた沈黙の後、カレンの手がゆっくりと離れていく。
「……どうだった?」
振り返り、結果を伺う。
だが、彼女の表情はあまり芳しくない。
「ちょっと予想外な事が起きてね……」
「予想外って、何がよ」
「具体的なイメージが一切沸いてこないのよ、アウラの属性に関して」
自信満々に臨んだが、良い結果を得られなかった。
加えて未知の体験だったのか、顎に手を当てて考え込む仕草をしてしまう。彼女としても余程想定外のものだった事が伺える。
「流石に初めてよ。……ここまで不明瞭というか、澄み切っているというか、不思議な魔力を感じたのは」
「えらく抽象的な表現だな……」
基本的な属性である四属性、「火」や「水」等はどれも自然界に偏在する、かなり身近な概念に由来しているのに対し、カレンの表現はかなり抽象的なものであった。
彼女の表現をそのまま受け止めるのなら、アウラに内在する魔力の属性もそういった、特定のカタチを持たないものに由来する事になる。
「となると、既存の属性のどれでもない事になるってことなのか?」
「可能性としてはあり得ると思う。そうね……少なくとも私より腕の良い魔術師に頼むのが手っ取り早いかも」
カレンとて、魔術師としては未完成という事。
アウラに流れる魔力が彼女ですら掴み取れないモノであれば、他の高位の術師であっても同じ結果に終わるだろう。
「それじゃ気を取り直して、魔術の実践に移りましょうか」
「質問なんだけど、魔術を使う際のデメリットとかあるのか?」
「それは使う魔術の体系にも依るわね。呪術なんかは一言で言ってしまえば他者に対する呪いだから、失敗すれば呪詛が自分に返って来る事もあるわ」
「呪詛返しってヤツか」
「そう──ただ、貴方に関係があるもので言うなら、やっぱりオドのことになるかしら」
「オド……人間に元からある魔力の事だったっけ」
自然界に無尽蔵にあるマナに対し、人間の中にある魔力。
マナを外部から取り入れる事の出来ないアウラにとっての唯一の魔力源である。
「オドは元々、その者の生命力を材料として作られるのよ」
「生命力……命をそのまま魔力に変換してるって事か? 使い過ぎると死ぬ……なんて事は無いよね?」
「生命力が全部そのままオドに変換される事は無いから、そこは心配しなくて大丈夫。だけど、オドの場合は本番じゃ変えが効かないのよ」
「あ──」
カレンの応答と、己の体質を照らし合わせる。
アウラは彼女の答えを聞くまでも無く、何故オドを扱う事がデメリットであるかを察した。
「……マナを取り込めるのならいくらでも保険になるけど、俺の場合は持ち前のオドしかないから、それが尽きたら終わりって訳か」
上から服を再び着直しながら、彼女の言葉を噛み砕いて理解する。
通常の魔術師、体外からマナを取り込む「孔」という器官が正常に機能している者であれば、オドが底を尽きたとしてもマナを魔力に変換してしまえば長期戦になろうとも大して問題は無い。基本的にマナを用いた魔術を扱うのにはそういった背景がある。
アウラの場合、それが出来ない。最初から彼が扱える残弾数が限られているのだ。
「そういうこと。持久戦になったりした時にオドが尽きたら戦えなくなる点が考えられるわね」
「俺の欠点の事考えたら、確かに色んな魔術に手を出すより一つに絞った方が消費が少なくて済みそうだな……」
「でしょう? 属性は分からず仕舞いだったけど、強化の魔術に関してはそこまで大きな差は出ないし、早速やってみましょうか」
彼女の言葉を皮切りに、アウラの表情に真剣さが宿る。
トラブルこそ起こってしまったが、進行に特に支障はない。
「緊張すんなぁ……」
「手順は至って簡単。強化したい部位にオドを集中させる。それから定められた文言を唱えて魔術を成立させる。ざっくり言えばこの二つだけよ」
深呼吸し、カレンは軽く握り拳を作る。
詠唱とは、自らの魔力を魔術へと変質させる術である。言葉というのは、同時に実体の無いモノにカタチを与える道具でもあるのだ。
彼女は暫くの沈黙の後、
「────アグラ」
文言──魔獣達と戦う際にも言い放った呪文を唱え、ただの純粋な魔力に意味を付与し、術式を成立させた。
直後、彼女の右腕を仄かに赤い光が覆うのを、アウラは目にした。
「赤い……」
「「強化」の魔術は属性に合わせるなら「火」の領域に属するからね。火は全てを焼き尽くすものだけど、武具を作るにしても料理をするにしても、人間とは切っても切り離せないもの。……言わば、火があった事で私達人間の文明は形作られたとも言えるでしょうね」
「その点で言えば、ゼウスを欺いたプロメテウスには感謝しなきゃだな」
「人類のために、全能神にすら抗う。まさに英雄と呼ぶに相応しい精神性よね」
彼女は光が収まりつつある腕を見つめ、淡々と説明していく。
神話において、地上に火をもたらした叛逆者・プロメテウス。かの知恵者の活躍が無ければ、人類の文化が発展することはなかった。
さらに奇しくも、アウラが身を寄せるギルドの名は、プロメテウスの兄弟の名を冠していた。
なお、「アグラ」というのは強化の魔術を用いる時によく使われる言葉。即ち一種の定型句なのだという。
魔術の成功を意味する光が周囲に溶けていくのを見届けると、カレンはそのまま視線をアウラの方へと移す。
「一度成功して感覚を掴めば、その後は問題なく出来るようになると思う。まだオドの総量が少ないから何度も重ねて行使するのは難しいかもしれないけど……それじゃ、やってみて」
アウラの番が回って来る。
生まれて初めての魔術の行使。目の前で手本を見せられても、本当に出来るのか半信半疑な自分を抑え込み、カレンの言われた通りの手順を踏む事にする。
「────」
強化する対象は、自身の肉体。
自らの身体の中にあるであろう魔力を、右腕に通していく。最初は何の感覚もしなかったが、暫く腕に意識を集中させていると、ゆっくりと腕全体が熱を帯びていくのを感じた。
血液と同様、自らの体内を流れるモノの奔流である。
「熱を帯びて来たなら、その熱が最高潮に達した所で、私と同じ文言を唱えてみて」
「分かった」
目を逸らせばそちらに意識が向いてしまいそうになるので、カレンの方を向く事なく一言で返答する。
タイミングを逃さないよう、より一層意識を落とし、感覚を研ぎ澄ませる。
最初は仄かに温かかった程度だったが、徐々に温度を上昇させていくのをヒシヒシと感じていた。
身体の一部に急激に変化が起こるその様は今まで体験した事の無いものであった。
「──っ……」
歯を食いしばり、その違和感、そしてオドの熱さに耐える。
開始してからたった数十秒しか経っていないにも関わらず、その額には大量の汗が滲んでいた。
それは血液では無く、まるで超高温で沸騰した熱湯が流れているのかと錯覚させる。しかしその熱はまだ上昇していく。
(……アイツ、こんなのを顔色一つ変えずにやってのけたのか)
カレンが一度、森で。
二度目はつい数分前、何食わぬ顔でこの作業を行っていた事に心の底から驚愕する。
魔術師として、ひいては冒険者として過ごし、足りない筋力や動体視力を補完する為にも避けては通れない道だが、想像より遥かに苦行じみている。
しかし、その機は直ぐにやって来た。
腕どころか身体が溶けそうな程の熱。灼熱の鉛に腕を突っ込んだような感覚に達した瞬間──、
「────アグラ……っ!」
その刹那を捉え、文言を口にする。
ただ熱を帯びていただけのオドはその存在自体を術者、即ちアウラの言葉によって書き換えられる。
神々の力の影を振るう為の術。
この世界でない者にも、ソレを使う事は赦された。
右腕を、そしてアウラを苦しめていた焼け付くような感覚は急激に勢いを失い、術が布かれた事を告げる光が包み込んでいた。
「っはぁ……っ。出来た……のか?」
緊張が解け、大きく息を吐きながら確認する。
「最初にしては、及第点って言った所ね────」
言い終えるとほぼ同時。
彼女が見舞ったのは労いの言葉でもなんでもない。蹴りだった。アウラ右側からこめかみに向かって真っすぐに、そのすらりと伸びた左脚が襲いかかる。
魔獣の頭を容易く蹴り飛ばす程の凶刃。最早蹴りというよりも斧と形容すべきレベルだ。
あまりの咄嗟の出来事にアウラが取った行動は当然、防御な訳で。
「あっぶねぇ……急に何すんのさ!?」
「何って、確かめたいだろうなぁと思って」
奇跡的にもアウラはギリギリの所で反応し、直撃すれば必死の一撃を強化した右腕で受け止めていた。硬く土臭い靴の感覚、そして蹴りを受け止めた際に発生した衝撃波が草木を揺らし、彼の身体の芯にまで響く。
脚を下ろし、続いてアウラも腕を下ろしたところで、
「危うく生首になるところだった……」
「何言ってんの、戦ってる時に魔獣やら敵がいちいち「今からあなたを斬ります!いいですね!」なんて言わないでしょうに」
腰に手を当て、呆れたように言うカレン。
今まで類を見ないレベルで彼女には容赦が無い。
普段は割と理知的、年齢以上に落ち着いた、少々常人離れした美少女という印象があったというのに、アウラが抱いていたそんな印象は今この瞬間の中で覆された。
──人間戦車、とでも名付けようか。
「いや例えが極端!それぐらい分かってるって!」
カレンのズレた指摘を受け止めつつ言い返す。
一先ず魔術の成功に安堵する彼だったが、その安心感と、直後の一撃のインパクトのおかげで彼はこの時失念していた。
魔術を成功させるのは最低限のミッション。この後に控えるのはカレンとの実戦形式。
本当に辛いのは、まだまだここからだという事を。
カレンに案内されるまま連れていかれた先は森だった。
森と言えばあまり良い思い出の無いアウラだったが、今回は魔獣に襲われる心配はない。
もっとも、相手にするのは魔獣よりも恐ろしい者なのだが。
森の中を突き進むと、拓けた場所に到着した。
広さは下手な学校の校舎であればすっぽり入ってしまう程で、鍛錬をするには寧ろ十分すぎる。
これから自分はこの場所で彼女に幾度となく打ち倒されるのだろうと、そんな予感がアウラの頭を過った。
「確かに、こんだけ広いなら誰にも迷惑かからないな」
「でしょ? 静かだし、個人的に気に入ってるのよ。それで、これから何をするのかはもう分かってる?」
アウラはカレンの問いに頷きで返す。
実践形式で彼女とひたすら刃を交わし、兎に角経験を積み続ける。大気中のマナを取り込めず、オドを用いた魔術しか許されないアウラにとっての最適解だったのだ。
そして、彼が戦っていく為に確実に体得しなければならない魔術が、一つだけある。
「「強化」の魔術を行使しての実践形式、だろ? それぐらいは覚えてるさ」
片手を腰に手を当てて、アウラは答える。
最も単純にして明解、最終的な到達点は必然的に彼女である。
自らに内在する魔力でを身体能力を上昇させた上で、アウラが持ちうる唯一の得物であるヴァジュラを用いての白兵戦。
魔術師らしくない戦い方だが、この世界ではそう珍しいものでもないのだという。
ただ一つだけ、彼にはどうしても気になっていた部分があった様で。
「ただ、両刃の剣ってどう使えば良いんだ……?」
携えた武器を一度見てから、答えを求めるように彼女を見た。
ヴァジュラの扱い、という問題。
というのも、ヴァジュラは中心部分を柄とし、両端に刃が伸びているのだ。
剣や槍であれば比較的使い方のイメージが付くが、この手の得物の扱いに関しては少々難解な印象が付いて回る。
「あー……確かに、私も大方の武器は扱えるけど、刃が二つあるものは使った事無いわね……」
「下手をすれば自分を傷つけるかもしれないし、その辺もカレンに教えて貰いたかったんだよ」
一から十まで指南して貰おうとは思っていないが、アドバイスだけでもと思ってのことだった。
方向性や具体的なイメージが固まりさえすれば、あとは自分の試行錯誤と実践での中で身体に覚えさせて行くだけである。
「どうなんだろう……パッと思いつくのは刺突とかを軸にする感じだと思うけど、普通の剣のようにも槍にも扱えそうでもあるわよね……ん~……」
カレンですら腕を組み、返答に詰まるといった様子だった。
数多の視線を潜り抜け、その中で幾千の武具を見て来たであろう彼女ですら正しい扱い方が分からない。それ程に珍しいのだろう。
「つーか……こんなヘンテコなの、相当な物好きしか使わないよな」
「アンタがその物好きなんじゃないの?」
「いや、俺は紆余曲折合ってこの武器に落ち着いたっていうか……まぁ言っちゃえば割と不本意なところはあるけど、一応使わせて貰ってる立場だからさ。使うなら上手く扱えなきゃ元の持ち主に申し訳ない感じがしてね」
太古に地上に君臨した支配者。神の一柱だった者の武器を、こうして何の力も無いアウラが担い手となっている。
成り行きとは言え、大層な代物の担い手になったからには、それに相応しい技量を身に付けるよう精進しなければヴァジュラを又貸ししてくれた天使、そして天上に至った神に対して面目が立たない。
「アウラも色々と考えてるのね。そういうことなら、私も出来る限りで協力するわよ。でも、実際にソレを振るう前に覚えなきゃいけない事があるんだけどね」
「魔術……だよな。俺なんかに出来んのかなぁ……」
「何事も一歩踏み出す事が肝心よ。魔術に関しては前にも説明したから頭に入ってるだろうし、後は実践するだけだから」
神の御技を、人の力で再現した人為的な神秘。それがこの世界における魔術。
大気中の魔力源であるマナ、或いは、人体に内在するオドに意味を与える事で指向性を持たせ、変質させる行為。
人という矮小な存在が神の領域に踏み込んだ、人間の傲慢の結晶。
「因みに、コレが出来なきゃ話にならないからね?」
「大丈夫、分かってるよ」
「なら良し──じゃあ、上を脱いで」
大真面目も大真面目な顔で、カレンは言い放った。
「……はい?」
あまりに前後の会話が繋がっておらず、気の抜けた声しか出ない。
「ほら、脱いだ脱いだ。早くしないと1着しかないその、服引き千切るわよ」
「人の身の上を知った上でのピンポイントで困る脅しやめてくんない!?」
当然、今のアウラには服を買う程の余裕はない。
彼女の脅迫、もとい指示に従い、大人しく上着を脱いだ。年の近い女子に素肌を晒すというのは如何せん恥ずかしい。
カレンが「見て呉れだけ」ならトップクラスの美少女というのがそれを加速させる。
「……んで、具体的に何すんのさ」
「貴方の魔術属性を視る。ほら、魔術師個人にはそれぞれ決まった属性が具わっているって話したでしょう? 本来はそれ専門の魔術師にやってもらうんだけど、それだと余計にお金かかっちゃうから」
「念のため聞いとくけど、正確性の方はいかがなもので?」
「普段から得物振り回して戦ってるけど、一応「熾天」の魔術師よ? 全面的に信用して貰って構わないわ」
自信に満ちたドヤ顔と共に親指を立てる。
今の所彼女が魔術を行使している場面を見たのは森での一度きり。それにこれから指南を受ける「強化」のみだ。
しかし、魔術師として高位の位階を与えられてるのは単に実力や戦績だけでは無く、行使できる魔術の質も含まれているのであろう。
「ちょっと不安だけど……分かった、頼むよ」
「パパっと済ませるから、適当に座って頂戴」
彼女の言われた通り、その場で胡坐をかく形で座る。
羞恥心に耐えるアウラを余所に、カレンは彼の背後に立ち、膝立ちの状態でうなじの下辺りに掌を当てる。
「……そのまま目を瞑って、深呼吸して。出来るだけ雑念は取り払ってくれると助かるわ」
「お、おう……善処する」
とは言っているものの、上裸の状態で異性に見られているという状況だけで心臓は加速し続けている。可能な限り余分な思考を排除し、カレンに支障が出ないように意識を研ぎ澄ましていく。
彼女の手が、ゆっくりと背中に触れ────、
「ひゃっ!?」
カレンの手が存外に冷たく、思わず変な声が出てしまった。──そして間髪入れず、今度は背中に強い衝撃が加わる。
「────痛っ!」
パン!という甲高い音と共に、アウラの背中に掌が打ち付けられたのだ。
防ぐ物のない素肌であれば、その衝撃は緩和される事なくダイレクトに伝わる。証拠に、彼の背には綺麗な紅葉が咲いていた。
「ちょっとアウラ! 変な声出さないでよ!」
「……仕方ないだろ! 年上ならまだしも、同い年の女子に脅されて脱がされた挙句に身体を触られるとか慣れてないの!」
半泣きで、アウラは必至に弁明する。
痛みが治まったところで、カレンはハッキリと手形が残った背中に再び掌を当てた。
この世界における魔術属性は基本的には「火」「水」「地」「風」の四つ。
地上界を構成する要素に基づいて定められたモノ。
魔術師はいずれかの属性を宿し、その属性に対応した魔術の質の伸びしろに影響を及ぼす概念である。
掌を当て、その者の魔力の流れを汲み取り、そこから沸いたイメージから属性を判断する。魔術師としての知識、経験があるからこそ可能な芸当であった。
「…………」
「…………」
静寂が支配する。彼らの耳に入るのは森に棲む小鳥の声や草木が風で揺れる音といった自然音のみ。
彼らを邪魔する者は誰もいない。
わざわざ離れの森まで連れて来たというのは、刃を交わしても問題ない広さという点以外にも、人目に付かない場所である必要もあったのであろう。
カレンは魔力のイメージを掴み取る為に余程集中しているのか、頬に汗が伝っている。
アウラの方も最大限何も考えず、かといって寝てしまわない用に集中力を持続させる。
時間にして約一分程だった頃──暫く続いた沈黙の後、カレンの手がゆっくりと離れていく。
「……どうだった?」
振り返り、結果を伺う。
だが、彼女の表情はあまり芳しくない。
「ちょっと予想外な事が起きてね……」
「予想外って、何がよ」
「具体的なイメージが一切沸いてこないのよ、アウラの属性に関して」
自信満々に臨んだが、良い結果を得られなかった。
加えて未知の体験だったのか、顎に手を当てて考え込む仕草をしてしまう。彼女としても余程想定外のものだった事が伺える。
「流石に初めてよ。……ここまで不明瞭というか、澄み切っているというか、不思議な魔力を感じたのは」
「えらく抽象的な表現だな……」
基本的な属性である四属性、「火」や「水」等はどれも自然界に偏在する、かなり身近な概念に由来しているのに対し、カレンの表現はかなり抽象的なものであった。
彼女の表現をそのまま受け止めるのなら、アウラに内在する魔力の属性もそういった、特定のカタチを持たないものに由来する事になる。
「となると、既存の属性のどれでもない事になるってことなのか?」
「可能性としてはあり得ると思う。そうね……少なくとも私より腕の良い魔術師に頼むのが手っ取り早いかも」
カレンとて、魔術師としては未完成という事。
アウラに流れる魔力が彼女ですら掴み取れないモノであれば、他の高位の術師であっても同じ結果に終わるだろう。
「それじゃ気を取り直して、魔術の実践に移りましょうか」
「質問なんだけど、魔術を使う際のデメリットとかあるのか?」
「それは使う魔術の体系にも依るわね。呪術なんかは一言で言ってしまえば他者に対する呪いだから、失敗すれば呪詛が自分に返って来る事もあるわ」
「呪詛返しってヤツか」
「そう──ただ、貴方に関係があるもので言うなら、やっぱりオドのことになるかしら」
「オド……人間に元からある魔力の事だったっけ」
自然界に無尽蔵にあるマナに対し、人間の中にある魔力。
マナを外部から取り入れる事の出来ないアウラにとっての唯一の魔力源である。
「オドは元々、その者の生命力を材料として作られるのよ」
「生命力……命をそのまま魔力に変換してるって事か? 使い過ぎると死ぬ……なんて事は無いよね?」
「生命力が全部そのままオドに変換される事は無いから、そこは心配しなくて大丈夫。だけど、オドの場合は本番じゃ変えが効かないのよ」
「あ──」
カレンの応答と、己の体質を照らし合わせる。
アウラは彼女の答えを聞くまでも無く、何故オドを扱う事がデメリットであるかを察した。
「……マナを取り込めるのならいくらでも保険になるけど、俺の場合は持ち前のオドしかないから、それが尽きたら終わりって訳か」
上から服を再び着直しながら、彼女の言葉を噛み砕いて理解する。
通常の魔術師、体外からマナを取り込む「孔」という器官が正常に機能している者であれば、オドが底を尽きたとしてもマナを魔力に変換してしまえば長期戦になろうとも大して問題は無い。基本的にマナを用いた魔術を扱うのにはそういった背景がある。
アウラの場合、それが出来ない。最初から彼が扱える残弾数が限られているのだ。
「そういうこと。持久戦になったりした時にオドが尽きたら戦えなくなる点が考えられるわね」
「俺の欠点の事考えたら、確かに色んな魔術に手を出すより一つに絞った方が消費が少なくて済みそうだな……」
「でしょう? 属性は分からず仕舞いだったけど、強化の魔術に関してはそこまで大きな差は出ないし、早速やってみましょうか」
彼女の言葉を皮切りに、アウラの表情に真剣さが宿る。
トラブルこそ起こってしまったが、進行に特に支障はない。
「緊張すんなぁ……」
「手順は至って簡単。強化したい部位にオドを集中させる。それから定められた文言を唱えて魔術を成立させる。ざっくり言えばこの二つだけよ」
深呼吸し、カレンは軽く握り拳を作る。
詠唱とは、自らの魔力を魔術へと変質させる術である。言葉というのは、同時に実体の無いモノにカタチを与える道具でもあるのだ。
彼女は暫くの沈黙の後、
「────アグラ」
文言──魔獣達と戦う際にも言い放った呪文を唱え、ただの純粋な魔力に意味を付与し、術式を成立させた。
直後、彼女の右腕を仄かに赤い光が覆うのを、アウラは目にした。
「赤い……」
「「強化」の魔術は属性に合わせるなら「火」の領域に属するからね。火は全てを焼き尽くすものだけど、武具を作るにしても料理をするにしても、人間とは切っても切り離せないもの。……言わば、火があった事で私達人間の文明は形作られたとも言えるでしょうね」
「その点で言えば、ゼウスを欺いたプロメテウスには感謝しなきゃだな」
「人類のために、全能神にすら抗う。まさに英雄と呼ぶに相応しい精神性よね」
彼女は光が収まりつつある腕を見つめ、淡々と説明していく。
神話において、地上に火をもたらした叛逆者・プロメテウス。かの知恵者の活躍が無ければ、人類の文化が発展することはなかった。
さらに奇しくも、アウラが身を寄せるギルドの名は、プロメテウスの兄弟の名を冠していた。
なお、「アグラ」というのは強化の魔術を用いる時によく使われる言葉。即ち一種の定型句なのだという。
魔術の成功を意味する光が周囲に溶けていくのを見届けると、カレンはそのまま視線をアウラの方へと移す。
「一度成功して感覚を掴めば、その後は問題なく出来るようになると思う。まだオドの総量が少ないから何度も重ねて行使するのは難しいかもしれないけど……それじゃ、やってみて」
アウラの番が回って来る。
生まれて初めての魔術の行使。目の前で手本を見せられても、本当に出来るのか半信半疑な自分を抑え込み、カレンの言われた通りの手順を踏む事にする。
「────」
強化する対象は、自身の肉体。
自らの身体の中にあるであろう魔力を、右腕に通していく。最初は何の感覚もしなかったが、暫く腕に意識を集中させていると、ゆっくりと腕全体が熱を帯びていくのを感じた。
血液と同様、自らの体内を流れるモノの奔流である。
「熱を帯びて来たなら、その熱が最高潮に達した所で、私と同じ文言を唱えてみて」
「分かった」
目を逸らせばそちらに意識が向いてしまいそうになるので、カレンの方を向く事なく一言で返答する。
タイミングを逃さないよう、より一層意識を落とし、感覚を研ぎ澄ませる。
最初は仄かに温かかった程度だったが、徐々に温度を上昇させていくのをヒシヒシと感じていた。
身体の一部に急激に変化が起こるその様は今まで体験した事の無いものであった。
「──っ……」
歯を食いしばり、その違和感、そしてオドの熱さに耐える。
開始してからたった数十秒しか経っていないにも関わらず、その額には大量の汗が滲んでいた。
それは血液では無く、まるで超高温で沸騰した熱湯が流れているのかと錯覚させる。しかしその熱はまだ上昇していく。
(……アイツ、こんなのを顔色一つ変えずにやってのけたのか)
カレンが一度、森で。
二度目はつい数分前、何食わぬ顔でこの作業を行っていた事に心の底から驚愕する。
魔術師として、ひいては冒険者として過ごし、足りない筋力や動体視力を補完する為にも避けては通れない道だが、想像より遥かに苦行じみている。
しかし、その機は直ぐにやって来た。
腕どころか身体が溶けそうな程の熱。灼熱の鉛に腕を突っ込んだような感覚に達した瞬間──、
「────アグラ……っ!」
その刹那を捉え、文言を口にする。
ただ熱を帯びていただけのオドはその存在自体を術者、即ちアウラの言葉によって書き換えられる。
神々の力の影を振るう為の術。
この世界でない者にも、ソレを使う事は赦された。
右腕を、そしてアウラを苦しめていた焼け付くような感覚は急激に勢いを失い、術が布かれた事を告げる光が包み込んでいた。
「っはぁ……っ。出来た……のか?」
緊張が解け、大きく息を吐きながら確認する。
「最初にしては、及第点って言った所ね────」
言い終えるとほぼ同時。
彼女が見舞ったのは労いの言葉でもなんでもない。蹴りだった。アウラ右側からこめかみに向かって真っすぐに、そのすらりと伸びた左脚が襲いかかる。
魔獣の頭を容易く蹴り飛ばす程の凶刃。最早蹴りというよりも斧と形容すべきレベルだ。
あまりの咄嗟の出来事にアウラが取った行動は当然、防御な訳で。
「あっぶねぇ……急に何すんのさ!?」
「何って、確かめたいだろうなぁと思って」
奇跡的にもアウラはギリギリの所で反応し、直撃すれば必死の一撃を強化した右腕で受け止めていた。硬く土臭い靴の感覚、そして蹴りを受け止めた際に発生した衝撃波が草木を揺らし、彼の身体の芯にまで響く。
脚を下ろし、続いてアウラも腕を下ろしたところで、
「危うく生首になるところだった……」
「何言ってんの、戦ってる時に魔獣やら敵がいちいち「今からあなたを斬ります!いいですね!」なんて言わないでしょうに」
腰に手を当て、呆れたように言うカレン。
今まで類を見ないレベルで彼女には容赦が無い。
普段は割と理知的、年齢以上に落ち着いた、少々常人離れした美少女という印象があったというのに、アウラが抱いていたそんな印象は今この瞬間の中で覆された。
──人間戦車、とでも名付けようか。
「いや例えが極端!それぐらい分かってるって!」
カレンのズレた指摘を受け止めつつ言い返す。
一先ず魔術の成功に安堵する彼だったが、その安心感と、直後の一撃のインパクトのおかげで彼はこの時失念していた。
魔術を成功させるのは最低限のミッション。この後に控えるのはカレンとの実戦形式。
本当に辛いのは、まだまだここからだという事を。