残酷な描写あり
R-15
23話『魔術師と神位の剣士』
二人はケシェル山を抜け、エイル達の乗って来た地竜車に乗り込み、一度隣国エドムへと向かう。
「──色々あり過ぎて、なんか精神的に疲れたな……」
揺れる車内でアウラは手を顔に当て、ふと零した。
初の依頼でナーガと遭遇しただけでなく、魔力切れを引き起こす程の魔術──正確には、聖遺物に宿る異能の行使に加え、最高位の剣士との邂逅。
短期間で取得した情報量が多すぎて、流石に脳まで疲労してきたのだろう。
魔術行使の反動はだいぶ収まったが、その足取りは何処か重めであった。
「そうですね。正直、私も流石に疲れました……」
魔術の行使すらままならないアウラに比べれば幾分マシだが、クロノもクロノで多少は疲弊している様子だった。
その要因には、凡その検討は付く。
「クロノがナーガを拘束する時に使ったアレ、もしかして神言魔術ってヤツか?」
「……一応、術式の構築の仕方だけは教わっていたんです。まぁ正直言えば、成功するかは五分ってところでしたけどね。何せ、実践するのは初めてでしたから」
「って事はお前、ぶっつけ本番だったの!?」
「あの時は細かい事を気にする余裕も無かったですし、あれだけの魔獣を拘束できる魔術となると、アレしか無かったので。若干ヤケになってましたね」
笑いを交えながらクロノは言う。
穏やかな性格とは裏腹に、その勝負根性はかなりのものだった。基本的には堅実な彼女だが、時に見せる大胆さも、彼女の強さの要因のように感じる。
その話を聞いたのか、向かいに寄りかかるロアが反応した。
「神言魔術って……「熾天」の階級でも扱える術師は滅多にいないぞ?」
「彼女はラグナ・ヴォーダインの弟子です。それぐらい出来ても不思議じゃありませんよ。……ナーガを討伐せしめたのも頷けます」
答えると、エイルは二人の方を向く。
「疲労が溜まってるなら、エドムで一泊していっては? 我々のギルドの客室であれば貸し出す事も可能ですが」
「いえいえいえ!! あんな事をしでかしたのに、更にご迷惑をおかけする訳には……」
「もう気にしなくて良いですよ。仮に先程の件が問題になっていたとしても、私はロアに全責任を負わせるつもりでしたので」
「いやなんで俺なの!?」
思わず横でロアも突っ込む。
先程エイルから散々言われていたが、彼も彼で苦労しているのが見て取れた。
それでも彼女と共に行動出来ているのは、ロア本人も半ばそれを受け入れているからだろうか。
「それに、エドムに寄れば、エリュシオンへの安否確認と依頼達成の報告も行えます。件の魔術痕に関する情報共有も出来ますし」
「……どうしましょう?」
「折角だし、お言葉に甘えても良いんじゃないか? エイルさんもこう言ってくれてる訳だし」
旅は道連れ、という訳では無いが、エイルの申し出を断る理由は特にない。
アトラスに連絡だけ送ってもらえば、急いでエリュシオンに帰る必要も無くなるのだ。
アウラの意見を受け入れたのか、クロノは申し訳なさげにエイルの方を見る。
「承知しました。では、そのように伝えておきます」
「ところでエイル。今日俺らは調査の為に来たって事忘れて無いか?」
「忘れてませんよ。……というか、この様子なら当分は大丈夫でしょう」
アウラとクロノの二人が山を下っていた時、危険性のある魔獣を見た事は一度もない。正に平和そのものだった。
「調査を止めるまでにはいかないにしても、頻度を減らしてもそこまで問題は無い筈です。──それより、バチカル派の動向や魔獣の活発化の原因調査に人員を割いて欲しいですね。ギルドの上層部達は何を考えているのやら……」
そう言うエイルは不満げだ。
一介の冒険者ではあるが、彼女は己の依頼、利益の事ばかり考えている訳ではない。人々を護る最高位の剣士として、ギルドが優先すべき事についても目を向けていた。
「たとえ信徒を何人潰しても、肝心の「司教」たちを狩らなきゃ意味が……っ!?」
彼女が途中の言葉は、最後まで続く事は無かった。
さながら急ブレーキを踏んだかのように、地竜車が急停止したのだ。
一向は平地を進んでおり、障害になりうるオブジェクトは見当たらない。となれば、考え得る要因は──、
「御者さん、どうしたんです?」
「申し訳ありません冒険者さん方、アレを……!」
御者の男性はやや困惑していた。横から顔を出したクロノも、彼の指す方向を見やる。
視線の先にあったのは、地竜車の前方に広がる平原に開いた、幾つかの巨大な穴。
クロノが対峙したナーガ程ではないものの、人間を軽く凌駕するサイズだ。
「何だありゃ……」
「──ああ、そういえばこの近辺で、地中に棲む爬虫類型の魔獣の目撃情報がありましたね」
眼前の光景を見据えて、エイルが呟く。慣れているのか、彼女は全く動揺している様子はない。
ぽっかりと開いた穴から、その主たちが這い出る。
一言で形容するのであれば、巨躯を持つ蜥蜴のようだった。最早サイズで言えば恐竜に近い。
その不気味な四つの眼球は、確かにエイル達を捉えている。
「ここは私が──」
大鎌を顕現させ、クロノが地竜車の外に出ようとする。
こういう時のクロノは、スイッチを切り替えるのが速い。先ほどロアと交戦した時も、敵を視認した時点で臨戦態勢に入っていた。
だが、それはエイルによって遮られた。彼女はすっと飛び降りると、車内にいる三人に向けて
「私が出ますから、クロノさん達は中で待っていて下さい」
ただ一言、そう告げた。
アウラとクロノの二人が消耗している事もあり、自ら魔獣の討伐を買って出たのだ。彼女は更に加えて言う。
「それとロア、貴方は地竜車が汚れないように結界を」
「へいへい、分かりましたよ」
適当な返事をするも、ロアは即座に結界を壁のように展開し、その向こう側にエイル一人が立っている。
彼女の足取りは軽く、眼前の異形達を大した脅威とは見ていない。──せいぜい、邪魔な虫程度にしか見ていないだろう。
下手に戦闘を行って怪我人を出すよりも、自分一人の方が確実かつ迅速に排除できる。そう考えての事だった。
魔獣達からすれば、餌がのこのこと現れている様にも見えるだろう。食料の方から向かって来てくれるのならば、これほど楽な事は無い。
数にして3頭、怪物達は獲物目掛けて飛び掛かる。
己の身の程を知らぬ生物が、人間でありながら、その頂点に立つ者へと牙を剥く。
──その行為が、自分達の命を落とすとも知らずに。
エイルはやや姿勢を低くし、腰に差した剣の柄に手を掛ける。
そのまま刀身を抜き────、
「──────っ」
ただの一度、薙ぐように振り抜いて、刀身を再び鞘に宛がった。
その間にも、彼女と怪物の距離は縮まっていき、目と鼻の先にまで迫っている。
「……!」
アウラが、目を見張った。
ゆっくりと剣を鞘に戻していき、完全に収まるとほぼ同じタイミング。
──鮮血を迸らせながら、魔獣達の首と胴、四肢が弾けるように分断された。
ほんの一瞬の出来事。
たったの一閃で、己を大きく凌駕する体躯を持つ魔獣を同時に絶命させた。
斬撃が炸裂した衝撃で、エイルの白髪が揺れる。
それが収まると同時、車内にいたアウラが口を開く。
「────これが、「神位」の剣士……」
その光景を目の当たりにして、アウラは思わず感嘆する。
剣を振るうのは、師であるカレンも同じ。
だが、眼の前に佇む剣士は、あまりにも別格だった。彼女は本気の1割も出していないにも関わらず、これ程の技量を持ち合わせているのだから。
もし仮に全力を出そうものなら、比喩では無く大地すら割ってみせるだろう。
そう思わせる程に、エイルの剣技は卓越していた。
「開いた口が塞がらないって感じだな」
あまりの衝撃に言葉を失っている彼に、ロアが言った。
「一目見ただけですけど、なんというか……規格外、ですね」
今のアウラに、それ以上の感想は無い。全ての冒険者の頂点──「神位」の座を持つ者の片鱗を目に焼き付けたのだ。
寧ろ、余計な言葉は不要というもの。
「終わりました。……では、行きましょうか」
振り向き、穏やかな表情で言った。
何事も無かったかのように、何処までも平然と。
※※※※
地竜車に揺られる事、更に2時間。
エイルらが所属するギルドのある街へ繋がる道を進んでいき、一行はエドム王国に属する都市ティレスへと到着した。
目的地は勿論、今日一晩の寝床となるギルド施設。
アウラ達のいる街はエドム王国の主要都市の一つで、エリュシオン程ではないものの、異国からの旅行者や商人の出入りが多いらしい。
西方というよりは北方に近く、太古より魔術が盛んな地域であった事から質の良い魔術品が取引される事もあるのだという。
そういった理由もあってか、エイル達が拠点にしているギルドには魔術師が比較的多いらしかった。
「そういや君、そんな剣を持ってるのになんで魔術師やってるんだ?」
「え? あぁ、俺はなんというか……成り行きで魔術師になったっていうか……端的に言えば、一応の師匠の意向でこうなったんですよ」
「なんだそりゃ」
「俺が魔術を教わってるのが、エリュシオンのカレンって魔術師なんですけど、魔獣に襲われていた所を助けられたんです。そしたら「冒険者になってくれれば貸し借りナシ」って事になって、魔術師やる事になりました」
この世界で最初に彼女と出会い、既に数ヶ月の月日が経過している事を実感する。
振り返ってみれば、今までの人生で最も濃密な期間だったと言える。一つの事に必死になったのは、後にも先にも無いだろう。
そのお陰で、今こうして五体満足で生きる事が出来ているのだ。
「カレン……あぁ、「羅刹」の通り名のある魔術師の子だったか。アウラ君も大変だな」
「それはロアさんも同じじゃないですか? エイルさんから随分とボロクソに言われてましたけど」
「アイツは根っからの堅物だからな。思った事はきっぱり言うし、色々と容赦が無いんだわ。まぁ、あんな性格のせいで浮ついた話なんざ全く出て来ないんだけ────」
ロアがそう言い切る前に、その口は塞がれた。
行き交う人々の声に紛れて聞こえないと踏んでいたのだろうが、エイルの耳にはしっかり届いていた。
「────私が、何か?」
「いや? 特に何も」
ロアは平然と返すが、エイルの表情はやはり恐ろしい。
目が笑っていないだけではなく「余計な事を言うな」という圧が限界まで込められている。おまけに、彼女の右手は剣の柄を握っていた。
竜の逆鱗に触れてはならぬというが、ロアは逆鱗を平気で触れ、その度に生き永らえているようなものだ。
普段のエイルが温厚で良い人であるという点は間違いない。だが、優しい人ほどキレると怖いというのは何処の世界でも共通している。
「全く……」
苛立ちというよりも、最早呆れの領域に入っている。
エイルの方も、ロアの調子と言動には慣れた様子だった。彼女は再びギルドのある方角に向かって歩き出し、その後ろを二人もついていく。
「……ロアさん、怖くないんですか。俺は滅茶苦茶怖いです」
「いつもあんな調子だからなぁ。正直なところ、もう慣れたわ」
「えぇ……」
ロアは軽い調子を崩さない。
性格は正反対の二人だが、突き抜けた真面目さと不真面目さが奇跡的に釣り合っているのだろうと、アウラは感じた。
互いにその性分は変わらないし、曲げるつもりもない。であれば、それを受け入れた上で関わり合っていく事になる。その辺りの境界線を、二人は把握しているのだろう。
「エイルさんが本気で怒ったところ、見た事あるんですか?」
ふと疑問に思ったのか、クロノがロアに問いかけた。
もし本気で怒りを顕わにしているのならば、一々相手にする必要も無い。
「それは俺も無い。ただ、アイツには「神位」として……人を護る者としての矜持がある。その点で言うんなら、無益に人を殺すような外道はドンピシャで嫌いな人種だろうな」
それなりに付き合いが長いであろうロアですら、彼女が憤怒した姿を目にした事は無いのだという。
ロアの推測に、アウラとクロノは妙に納得してしまっていた。
「確かに、あのタイプの気質の人はそうでしょうね……」
「如何にも、正々堂々を好むって雰囲気だよな」
数多くの同業者の中でも、その精神性だけで言えば高潔な騎士に近しいものを感じる。
曲がった事を嫌い、不正を嫌い、邪悪を嫌う。その点で言えば、人々を守護する役を担う者の鏡とも言える性格の持ち主だ。
その歩く姿も凛々しく、堂々としている。
「アイツは、他人を最優先して動ける人間だ。その為なら、平気で命を懸ける事し、腕の一本持っていかれても途中で投げ出す事はないよ」
(他人の為……か)
冒険者としての、一つの極致。魔術師としての技量は神位の術師を目標とすべきだが、人の為に力を振るう者としては、エイルの在り方が何よりも倣うべきだろう。
そんな事を想いながら、アウラは街の中を進んで行く。
「──色々あり過ぎて、なんか精神的に疲れたな……」
揺れる車内でアウラは手を顔に当て、ふと零した。
初の依頼でナーガと遭遇しただけでなく、魔力切れを引き起こす程の魔術──正確には、聖遺物に宿る異能の行使に加え、最高位の剣士との邂逅。
短期間で取得した情報量が多すぎて、流石に脳まで疲労してきたのだろう。
魔術行使の反動はだいぶ収まったが、その足取りは何処か重めであった。
「そうですね。正直、私も流石に疲れました……」
魔術の行使すらままならないアウラに比べれば幾分マシだが、クロノもクロノで多少は疲弊している様子だった。
その要因には、凡その検討は付く。
「クロノがナーガを拘束する時に使ったアレ、もしかして神言魔術ってヤツか?」
「……一応、術式の構築の仕方だけは教わっていたんです。まぁ正直言えば、成功するかは五分ってところでしたけどね。何せ、実践するのは初めてでしたから」
「って事はお前、ぶっつけ本番だったの!?」
「あの時は細かい事を気にする余裕も無かったですし、あれだけの魔獣を拘束できる魔術となると、アレしか無かったので。若干ヤケになってましたね」
笑いを交えながらクロノは言う。
穏やかな性格とは裏腹に、その勝負根性はかなりのものだった。基本的には堅実な彼女だが、時に見せる大胆さも、彼女の強さの要因のように感じる。
その話を聞いたのか、向かいに寄りかかるロアが反応した。
「神言魔術って……「熾天」の階級でも扱える術師は滅多にいないぞ?」
「彼女はラグナ・ヴォーダインの弟子です。それぐらい出来ても不思議じゃありませんよ。……ナーガを討伐せしめたのも頷けます」
答えると、エイルは二人の方を向く。
「疲労が溜まってるなら、エドムで一泊していっては? 我々のギルドの客室であれば貸し出す事も可能ですが」
「いえいえいえ!! あんな事をしでかしたのに、更にご迷惑をおかけする訳には……」
「もう気にしなくて良いですよ。仮に先程の件が問題になっていたとしても、私はロアに全責任を負わせるつもりでしたので」
「いやなんで俺なの!?」
思わず横でロアも突っ込む。
先程エイルから散々言われていたが、彼も彼で苦労しているのが見て取れた。
それでも彼女と共に行動出来ているのは、ロア本人も半ばそれを受け入れているからだろうか。
「それに、エドムに寄れば、エリュシオンへの安否確認と依頼達成の報告も行えます。件の魔術痕に関する情報共有も出来ますし」
「……どうしましょう?」
「折角だし、お言葉に甘えても良いんじゃないか? エイルさんもこう言ってくれてる訳だし」
旅は道連れ、という訳では無いが、エイルの申し出を断る理由は特にない。
アトラスに連絡だけ送ってもらえば、急いでエリュシオンに帰る必要も無くなるのだ。
アウラの意見を受け入れたのか、クロノは申し訳なさげにエイルの方を見る。
「承知しました。では、そのように伝えておきます」
「ところでエイル。今日俺らは調査の為に来たって事忘れて無いか?」
「忘れてませんよ。……というか、この様子なら当分は大丈夫でしょう」
アウラとクロノの二人が山を下っていた時、危険性のある魔獣を見た事は一度もない。正に平和そのものだった。
「調査を止めるまでにはいかないにしても、頻度を減らしてもそこまで問題は無い筈です。──それより、バチカル派の動向や魔獣の活発化の原因調査に人員を割いて欲しいですね。ギルドの上層部達は何を考えているのやら……」
そう言うエイルは不満げだ。
一介の冒険者ではあるが、彼女は己の依頼、利益の事ばかり考えている訳ではない。人々を護る最高位の剣士として、ギルドが優先すべき事についても目を向けていた。
「たとえ信徒を何人潰しても、肝心の「司教」たちを狩らなきゃ意味が……っ!?」
彼女が途中の言葉は、最後まで続く事は無かった。
さながら急ブレーキを踏んだかのように、地竜車が急停止したのだ。
一向は平地を進んでおり、障害になりうるオブジェクトは見当たらない。となれば、考え得る要因は──、
「御者さん、どうしたんです?」
「申し訳ありません冒険者さん方、アレを……!」
御者の男性はやや困惑していた。横から顔を出したクロノも、彼の指す方向を見やる。
視線の先にあったのは、地竜車の前方に広がる平原に開いた、幾つかの巨大な穴。
クロノが対峙したナーガ程ではないものの、人間を軽く凌駕するサイズだ。
「何だありゃ……」
「──ああ、そういえばこの近辺で、地中に棲む爬虫類型の魔獣の目撃情報がありましたね」
眼前の光景を見据えて、エイルが呟く。慣れているのか、彼女は全く動揺している様子はない。
ぽっかりと開いた穴から、その主たちが這い出る。
一言で形容するのであれば、巨躯を持つ蜥蜴のようだった。最早サイズで言えば恐竜に近い。
その不気味な四つの眼球は、確かにエイル達を捉えている。
「ここは私が──」
大鎌を顕現させ、クロノが地竜車の外に出ようとする。
こういう時のクロノは、スイッチを切り替えるのが速い。先ほどロアと交戦した時も、敵を視認した時点で臨戦態勢に入っていた。
だが、それはエイルによって遮られた。彼女はすっと飛び降りると、車内にいる三人に向けて
「私が出ますから、クロノさん達は中で待っていて下さい」
ただ一言、そう告げた。
アウラとクロノの二人が消耗している事もあり、自ら魔獣の討伐を買って出たのだ。彼女は更に加えて言う。
「それとロア、貴方は地竜車が汚れないように結界を」
「へいへい、分かりましたよ」
適当な返事をするも、ロアは即座に結界を壁のように展開し、その向こう側にエイル一人が立っている。
彼女の足取りは軽く、眼前の異形達を大した脅威とは見ていない。──せいぜい、邪魔な虫程度にしか見ていないだろう。
下手に戦闘を行って怪我人を出すよりも、自分一人の方が確実かつ迅速に排除できる。そう考えての事だった。
魔獣達からすれば、餌がのこのこと現れている様にも見えるだろう。食料の方から向かって来てくれるのならば、これほど楽な事は無い。
数にして3頭、怪物達は獲物目掛けて飛び掛かる。
己の身の程を知らぬ生物が、人間でありながら、その頂点に立つ者へと牙を剥く。
──その行為が、自分達の命を落とすとも知らずに。
エイルはやや姿勢を低くし、腰に差した剣の柄に手を掛ける。
そのまま刀身を抜き────、
「──────っ」
ただの一度、薙ぐように振り抜いて、刀身を再び鞘に宛がった。
その間にも、彼女と怪物の距離は縮まっていき、目と鼻の先にまで迫っている。
「……!」
アウラが、目を見張った。
ゆっくりと剣を鞘に戻していき、完全に収まるとほぼ同じタイミング。
──鮮血を迸らせながら、魔獣達の首と胴、四肢が弾けるように分断された。
ほんの一瞬の出来事。
たったの一閃で、己を大きく凌駕する体躯を持つ魔獣を同時に絶命させた。
斬撃が炸裂した衝撃で、エイルの白髪が揺れる。
それが収まると同時、車内にいたアウラが口を開く。
「────これが、「神位」の剣士……」
その光景を目の当たりにして、アウラは思わず感嘆する。
剣を振るうのは、師であるカレンも同じ。
だが、眼の前に佇む剣士は、あまりにも別格だった。彼女は本気の1割も出していないにも関わらず、これ程の技量を持ち合わせているのだから。
もし仮に全力を出そうものなら、比喩では無く大地すら割ってみせるだろう。
そう思わせる程に、エイルの剣技は卓越していた。
「開いた口が塞がらないって感じだな」
あまりの衝撃に言葉を失っている彼に、ロアが言った。
「一目見ただけですけど、なんというか……規格外、ですね」
今のアウラに、それ以上の感想は無い。全ての冒険者の頂点──「神位」の座を持つ者の片鱗を目に焼き付けたのだ。
寧ろ、余計な言葉は不要というもの。
「終わりました。……では、行きましょうか」
振り向き、穏やかな表情で言った。
何事も無かったかのように、何処までも平然と。
※※※※
地竜車に揺られる事、更に2時間。
エイルらが所属するギルドのある街へ繋がる道を進んでいき、一行はエドム王国に属する都市ティレスへと到着した。
目的地は勿論、今日一晩の寝床となるギルド施設。
アウラ達のいる街はエドム王国の主要都市の一つで、エリュシオン程ではないものの、異国からの旅行者や商人の出入りが多いらしい。
西方というよりは北方に近く、太古より魔術が盛んな地域であった事から質の良い魔術品が取引される事もあるのだという。
そういった理由もあってか、エイル達が拠点にしているギルドには魔術師が比較的多いらしかった。
「そういや君、そんな剣を持ってるのになんで魔術師やってるんだ?」
「え? あぁ、俺はなんというか……成り行きで魔術師になったっていうか……端的に言えば、一応の師匠の意向でこうなったんですよ」
「なんだそりゃ」
「俺が魔術を教わってるのが、エリュシオンのカレンって魔術師なんですけど、魔獣に襲われていた所を助けられたんです。そしたら「冒険者になってくれれば貸し借りナシ」って事になって、魔術師やる事になりました」
この世界で最初に彼女と出会い、既に数ヶ月の月日が経過している事を実感する。
振り返ってみれば、今までの人生で最も濃密な期間だったと言える。一つの事に必死になったのは、後にも先にも無いだろう。
そのお陰で、今こうして五体満足で生きる事が出来ているのだ。
「カレン……あぁ、「羅刹」の通り名のある魔術師の子だったか。アウラ君も大変だな」
「それはロアさんも同じじゃないですか? エイルさんから随分とボロクソに言われてましたけど」
「アイツは根っからの堅物だからな。思った事はきっぱり言うし、色々と容赦が無いんだわ。まぁ、あんな性格のせいで浮ついた話なんざ全く出て来ないんだけ────」
ロアがそう言い切る前に、その口は塞がれた。
行き交う人々の声に紛れて聞こえないと踏んでいたのだろうが、エイルの耳にはしっかり届いていた。
「────私が、何か?」
「いや? 特に何も」
ロアは平然と返すが、エイルの表情はやはり恐ろしい。
目が笑っていないだけではなく「余計な事を言うな」という圧が限界まで込められている。おまけに、彼女の右手は剣の柄を握っていた。
竜の逆鱗に触れてはならぬというが、ロアは逆鱗を平気で触れ、その度に生き永らえているようなものだ。
普段のエイルが温厚で良い人であるという点は間違いない。だが、優しい人ほどキレると怖いというのは何処の世界でも共通している。
「全く……」
苛立ちというよりも、最早呆れの領域に入っている。
エイルの方も、ロアの調子と言動には慣れた様子だった。彼女は再びギルドのある方角に向かって歩き出し、その後ろを二人もついていく。
「……ロアさん、怖くないんですか。俺は滅茶苦茶怖いです」
「いつもあんな調子だからなぁ。正直なところ、もう慣れたわ」
「えぇ……」
ロアは軽い調子を崩さない。
性格は正反対の二人だが、突き抜けた真面目さと不真面目さが奇跡的に釣り合っているのだろうと、アウラは感じた。
互いにその性分は変わらないし、曲げるつもりもない。であれば、それを受け入れた上で関わり合っていく事になる。その辺りの境界線を、二人は把握しているのだろう。
「エイルさんが本気で怒ったところ、見た事あるんですか?」
ふと疑問に思ったのか、クロノがロアに問いかけた。
もし本気で怒りを顕わにしているのならば、一々相手にする必要も無い。
「それは俺も無い。ただ、アイツには「神位」として……人を護る者としての矜持がある。その点で言うんなら、無益に人を殺すような外道はドンピシャで嫌いな人種だろうな」
それなりに付き合いが長いであろうロアですら、彼女が憤怒した姿を目にした事は無いのだという。
ロアの推測に、アウラとクロノは妙に納得してしまっていた。
「確かに、あのタイプの気質の人はそうでしょうね……」
「如何にも、正々堂々を好むって雰囲気だよな」
数多くの同業者の中でも、その精神性だけで言えば高潔な騎士に近しいものを感じる。
曲がった事を嫌い、不正を嫌い、邪悪を嫌う。その点で言えば、人々を守護する役を担う者の鏡とも言える性格の持ち主だ。
その歩く姿も凛々しく、堂々としている。
「アイツは、他人を最優先して動ける人間だ。その為なら、平気で命を懸ける事し、腕の一本持っていかれても途中で投げ出す事はないよ」
(他人の為……か)
冒険者としての、一つの極致。魔術師としての技量は神位の術師を目標とすべきだが、人の為に力を振るう者としては、エイルの在り方が何よりも倣うべきだろう。
そんな事を想いながら、アウラは街の中を進んで行く。