残酷な描写あり
R-15
24話『担い手は夢を見る』
「さて、事の流れで一泊しちゃったけど……」
仰向けになり、アウラは天井を見上げながら呟いた。
外はすっかり暗くなり、窓から見える市街地には街灯による明かりが幾つも点けられている。
アウラがいるのは、エドムの都市ティレスにあるギルド「アンスール」の一室だった。
クロノと彼は一泊するという事で部屋を各々与えられたのだが、一人、それも一泊するには少し広く、何処か落ち着かない。
今回は自分もクロノも疲弊していた事もあり、エイルの厚意に甘えさせて貰う事になった。
依頼の為にエリュシオンを出発してから、今日で二日目。その間は何の連絡も寄越していない。
「知らせが無いのは良い知らせ」とは言うものの、当事者が直接連絡しないというのは中々不安になるものであった。
「……つっても、ロアさんがやってくれたらしいし、大丈夫か」
ひと悶着こそあったが、エイルとロアの二人に偶然会えたのはかなり幸運だった。
エドムに来るにしても、徒歩では更に時間がかかっていただろう。アウラが戦力として機能しない今、途中で遭遇した魔獣を無傷で討伐するのはまず不可能だった。
アウラの顔は、何処か暗い。
依頼の達成こそ出来たが、それ以外の部分で自分の不甲斐無さを痛感させられた。
継戦能力の無さは確かに自覚はしている。だが、マナを取り込めず、オドが底を突いた時点で戦えなくなる事の意味を実感させられた。
(自分一人なら、俺一人死ぬだけ。だけど────)
仮に数名で動いている場合、アウラはただ周囲の足を引っ張るだけになる。
自分が原因で他者を危険に晒すというのは、アウラ本人のプライドが許さない部分だった。
加えて──単純に魔術師として、周囲との実力差を突き付けられた。
反動で動けなかったとはいえ、ロアの結界術に対して為す術は無く、ただ傍観する事しか出来なかったのだから。
「まだ駆け出しだから」「マナを扱えないから」などというのは結局のところ、ただの言い訳に過ぎない。人命が懸かっている以上、それを理由に逃げて良い理由にはならないのだ。
欠点があるのなら、それを別の何かで補っていくしかない。
目を背けず、向き合っていかなければ、今以上の位階に辿り着くなど不可能だ。
カレンと同じ土俵に立つというのも、ただの傲慢に成り下がる。
身体を起こし、テーブルに立て掛けたヴァジュラを手に取る。
心なしか、以前よりも手に馴染むような──安心するような感覚を覚えた。
(……神の武器、か)
己に与えられた、唯一の祝福。
彼らに立ちふさがった竜を塵一つ残さず屠り、その力の片鱗をまざまざとアウラに見せつけたモノ。
最初の頃に比べ、単純な武器としての扱いには慣れた方だ。鍛錬の中で、カレンと多少の鍔迫り合いになる程度には対人戦をこなせるようにもなった。
だが、その異能を御して扱うには程遠い。ほんの少し異能を引き出しただけでも動けなくなる始末だ。
魔術師としてではなく──ヴァジュラの担い手としても、あまりにも足りない部分が多すぎる。
「ダメだなぁ、まだまだ」
頭を掻きながら、そう零す。
それは、心の底から出た言葉だ。他にも今のアウラを表現する言葉はあったが、その一言で十分に言い表せる。
自滅覚悟の異能の行使は、そう何度も使えるものでもない。
「魔術だけじゃない。コイツの扱い方も考えなきゃならな」
自身に言い聞かせるように言う。
今はまだ自分の手に余るが、使いこなす為の手段も必要になってくる。
神の武器は確かに、人間が造り出した数々の武器を悉く凌駕している。
どれだけの切れ味、堅牢さを持っていようとも、神々の遺産とは天と地ほどの差が存在している。ソレはどう足掻いても埋めようのないものだ。
──だが、それが人間に扱い切れない道理はない。
如何に強大であろうとも、その腕で捩じ伏せる。それぐらいの気概が無ければ、これから戦っていける筈もない。
(少しずつでも良い。完全に使いこなせなくとも、制御できるようになれば──)
多少の反動は仕方ないにしても、戦力としては十分に貢献できる。
アウラが扱える魔術はどれも基礎的な物ばかりだ。「強化」は勿論、簡単な魔力操作、それから初歩的な属性魔術。
多少の魔術は扱うにしても、基本的には「強化」を用いた上での短期決戦。
ヴァジュラの力を適度に引き出して扱う事が出来れば十分。
(当面の目標、だな)
刀身に、アウラの顔が反射する。その面持ちは何処までも真剣そのものだ。
一喜一憂している暇はない。
新たな課題が見つかったのなら、全力で打ち込むだけだ。
気持ちを入れ替えたところで、アウラは部屋の明かりを消して床に就いた。
※※※※
曰く、夢は無意識の産物だという。
人間の意識は、三つの層から構成される。個人意識、個人的無意識──そして、人類が共有する「集合的無意識」。
とある心理学者は、この意識の最下層に多くの神話的イメージの原型が存在し、それが作用する事で似た神話が形作られていったのだという。
────なら、今見ているものは一体何だ。
眠りという深い海の中で見る「夢」。
その多くは意識が曖昧で、現実では有り得ない事象が当たり前のように起こる。一人称視点で見るもの、それから第三者視点で見るものがあるとされるが、今見ているものは恐らく前者だろう。
だが、夢というには、あまりにもリアルだった。
周囲の風景の色彩、それから五感まで、人間に必要な感覚があまりにもハッキリしている。ただ一点、違和感があるとすれば──自分の意志で動いている訳では無かった。
言うなれば、自分が「誰か」に宿り、その「誰か」と視点を共有していた。
眼前には、人間を遥かに凌駕し、天地を覆い隠す程の体躯を持つ「蛇」の姿があった。
俗に言う大蛇、或いは竜とも言うべきモノだろう。その威容はナーガなど比較対象にならず、感覚を共有しているだけの彼ですら、一目見ただけで背筋を凍らせた。
自分が感覚を共有している「誰か」は、ソレを相手取っている様子だった。
自らの前に立ちふさがる「障害」。
竜の背後には山が高く聳え、大地はあらゆる水分が消え去ったように干からびている。僅かに残る植物さえ、その殆どが死に絶えていた。
常識の範囲外の怪物と相対する「誰か」は、全身を鎧で覆っているようにも見え、その手には武器が握られていた。
中心に柄があり、その両端に刀身が付いている武器。そのシルエットにはひどく見覚えがあった。
──ヴァジュラ?
竜は眼前に立つ「誰か」に容赦なく襲い掛かる。
その規格外の体躯を以て絞め殺す、強靭な顎で喰い殺す等、自分が持つあらゆる手段を用いて、敵対者の命を掠め取ろうとする。
向けられる敵意は本物。
決して己より下には見ておらず──己を殺しうる存在だからこそ、その竜は全力で相対していた。
大地は震え、雷は轟々と鳴り響く。
無限に広がる天が悲鳴を挙げ、今にも崩落しかねない。
二者の戦いは、それ程の規模に至っていた。決して個人的な恨みがあるだとか、そういったレベルの話ではない。
人間が定めた概念の外。大自然の化身たる超常の存在同士が、その権能を余す事なく振るい争う。
────神話の戦い。
その形容が、今目にしている光景に最も相応しい。
コンマ1秒も、両者の戦いの手が緩む事はない。互いが互いを殺す僅かな隙を探り合い、その刹那を待ち続ける。
永劫に続くかと思われたその拮抗は──存外に早く訪れる事となった。
竜が大口を開けて襲い来る。
相手の体躯に比べれば、「誰か」は小さく、丸呑みにするには十分の大きさだった。通常であれば、逃げる手段を選ぶのは頭で考えなくても理解できる。
だが、その「誰か」は一歩たりとも退こうとしない。
敗北を悟っているのかといえば────それは否だ。
武器を持つ腕を引き絞る。
「誰か」にとって、この機は千載一遇の好機だったのだろう。この瞬間に己の全てを注ぎ込み、確実にこの竜を屠ると決めていた。
ヴァジュラの姿が変わる。剣の形は徐々に失い、颶風を引き起こしながら、それは万象を焼き尽くす雷へと変貌していく。
太古の人が畏れた、自然の暴力。
突き詰められた破壊の具現を、「誰か」は竜目掛けて投擲し──────。
※※※※
「──────っ!!」
意識が、強引に引っ張り上げられる。
尋常ではない汗と、チュンチュンと鳴く小鳥の声が、現実世界に戻された事を実感させる。
「……何だったんだよ、今の」
アウラが見た、不可思議極まりない夢。
夢である事を自覚し、意識を持っている状態を「明晰夢」と言う事もあるが、今回はまた微妙に違う。
厳密には夢というよりも、何者かの「記憶」を追憶させられているような、そんな感覚が彼にはあった。
数秒前まで自分が見ていた奇妙な映像に戸惑いながらも、アウラはベッドから立ち上がり軽い身支度を済ませる。
外から、コンコンとノックする音と共に
「アウラさん、入っても大丈夫ですか?」
「どうぞー!」
ドアを開けたのは、支度を済ませたクロノだった。
「準備は出来ました?」
「ああ、大丈夫。確か、エリュシオン行きの地竜車乗り場に行けば良いんだったっけ」
「ええ。一応エイルさんがギルド前で待ってくれているそうなので、行きましょう」
アウラは頷き、二人は各々の部屋を後にする。
階段を下って一階に降りると、受付で伸びをする職員の女性の姿があった。ギルド職員の朝はこれ程までに早いのかと、思わず関心してしまう。
「──二人とも、おはようございます」
ギルドを出て市街地の方向へ歩いていると、そこには甲冑を纏う白髪の騎士──エイルの姿があった。
彼女も今日は依頼があるのか、まだ朝にも関わらず装備は冒険者仕様だった。
「昨晩はよく休めましたか?」
「勿論! お風呂も広いしベッドはフカフカで、本当にありがとうございました」
「それは良かった。同業者とはいえ、客人にそう言って貰えると嬉しい限りです。アウラさんも、身体の調子は大丈夫ですか?」
その問いは、昨日の魔術行使の反動を見てのことだ。
短期間で酷使した状態の身体は魔術の使用を許さず、そのような状況が続けば活動にも支障をきたす事は目に見えている。
ヴァジュラを携えたアウラは笑顔で
「俺ももう大丈夫です。ところで、ロアさんはいないんですか?」
「ロアなら、今朝から別件で依頼に出ています。といっても、簡単な要人の護衛ですけどね」
「護衛任務かぁ、何か起こしたら責任ヤバそうだなぁ……」
カレンもかつて、護衛の依頼を引き受けた事があると言っていたのを思い出す。
護衛というからには、それなりに名前と実力が知られている必要がある。少なくとも、「熾天」の階級の魔術師であれば依頼する側もある程度は信頼できるだろうが。
まだ最低位の「原位」の階級にいるアウラとは、未だ縁遠い仕事だ。
「彼はああ見えて、請け負った仕事には手を抜きませんから、特に心配は無用でしょう」
言って、エイルは市街地の方を向く。
「私が手配した地竜車の場所まで案内しますので、着いてきて下さい」
穏やかな声と共に歩き出す。
エドムに来てからというものの、エイルとロアに世話になってばかりだった。いつかはその恩返しが出来ればと思いつつ、アウラもその後を追った。
朝早い市街地はまだ人が少なく、来た時のように人混みに紛れるような事は無かった。
エイルに案内されたのは、ティレスの入口付近にある地竜車の停留所だ。まだ仕事が始まる前なのか、御者が地竜たちを休ませ、餌を与えている姿もあった。
ここから街道を通り、半日ほどかけてエリュシオンへと帰る。
ようやく帰れるという安堵感と、異国をもう少し見て回りたかったという僅かな後悔が頭を過る。
「二人はこちらの地竜車へ。御者さん、よろしくお願いします」
御者を務める気の良さそうな中年の男性に軽く会釈する。
男性も笑顔で頷き、アウラとクロノは乗り込んだ。
「エイルさん、今回はお世話になりました」
「今後も顔を合わせる事があるでしょうから、その時はまた宜しくお願いします。──それでは、お気を付けて」
手を振りながら言い、エイルは彼らを送り出す。
御者が地竜に鞭を入れたのを合図に地竜車が動き出し、彼女はその姿が見えなくなるまで停留所に佇んでいた。
仰向けになり、アウラは天井を見上げながら呟いた。
外はすっかり暗くなり、窓から見える市街地には街灯による明かりが幾つも点けられている。
アウラがいるのは、エドムの都市ティレスにあるギルド「アンスール」の一室だった。
クロノと彼は一泊するという事で部屋を各々与えられたのだが、一人、それも一泊するには少し広く、何処か落ち着かない。
今回は自分もクロノも疲弊していた事もあり、エイルの厚意に甘えさせて貰う事になった。
依頼の為にエリュシオンを出発してから、今日で二日目。その間は何の連絡も寄越していない。
「知らせが無いのは良い知らせ」とは言うものの、当事者が直接連絡しないというのは中々不安になるものであった。
「……つっても、ロアさんがやってくれたらしいし、大丈夫か」
ひと悶着こそあったが、エイルとロアの二人に偶然会えたのはかなり幸運だった。
エドムに来るにしても、徒歩では更に時間がかかっていただろう。アウラが戦力として機能しない今、途中で遭遇した魔獣を無傷で討伐するのはまず不可能だった。
アウラの顔は、何処か暗い。
依頼の達成こそ出来たが、それ以外の部分で自分の不甲斐無さを痛感させられた。
継戦能力の無さは確かに自覚はしている。だが、マナを取り込めず、オドが底を突いた時点で戦えなくなる事の意味を実感させられた。
(自分一人なら、俺一人死ぬだけ。だけど────)
仮に数名で動いている場合、アウラはただ周囲の足を引っ張るだけになる。
自分が原因で他者を危険に晒すというのは、アウラ本人のプライドが許さない部分だった。
加えて──単純に魔術師として、周囲との実力差を突き付けられた。
反動で動けなかったとはいえ、ロアの結界術に対して為す術は無く、ただ傍観する事しか出来なかったのだから。
「まだ駆け出しだから」「マナを扱えないから」などというのは結局のところ、ただの言い訳に過ぎない。人命が懸かっている以上、それを理由に逃げて良い理由にはならないのだ。
欠点があるのなら、それを別の何かで補っていくしかない。
目を背けず、向き合っていかなければ、今以上の位階に辿り着くなど不可能だ。
カレンと同じ土俵に立つというのも、ただの傲慢に成り下がる。
身体を起こし、テーブルに立て掛けたヴァジュラを手に取る。
心なしか、以前よりも手に馴染むような──安心するような感覚を覚えた。
(……神の武器、か)
己に与えられた、唯一の祝福。
彼らに立ちふさがった竜を塵一つ残さず屠り、その力の片鱗をまざまざとアウラに見せつけたモノ。
最初の頃に比べ、単純な武器としての扱いには慣れた方だ。鍛錬の中で、カレンと多少の鍔迫り合いになる程度には対人戦をこなせるようにもなった。
だが、その異能を御して扱うには程遠い。ほんの少し異能を引き出しただけでも動けなくなる始末だ。
魔術師としてではなく──ヴァジュラの担い手としても、あまりにも足りない部分が多すぎる。
「ダメだなぁ、まだまだ」
頭を掻きながら、そう零す。
それは、心の底から出た言葉だ。他にも今のアウラを表現する言葉はあったが、その一言で十分に言い表せる。
自滅覚悟の異能の行使は、そう何度も使えるものでもない。
「魔術だけじゃない。コイツの扱い方も考えなきゃならな」
自身に言い聞かせるように言う。
今はまだ自分の手に余るが、使いこなす為の手段も必要になってくる。
神の武器は確かに、人間が造り出した数々の武器を悉く凌駕している。
どれだけの切れ味、堅牢さを持っていようとも、神々の遺産とは天と地ほどの差が存在している。ソレはどう足掻いても埋めようのないものだ。
──だが、それが人間に扱い切れない道理はない。
如何に強大であろうとも、その腕で捩じ伏せる。それぐらいの気概が無ければ、これから戦っていける筈もない。
(少しずつでも良い。完全に使いこなせなくとも、制御できるようになれば──)
多少の反動は仕方ないにしても、戦力としては十分に貢献できる。
アウラが扱える魔術はどれも基礎的な物ばかりだ。「強化」は勿論、簡単な魔力操作、それから初歩的な属性魔術。
多少の魔術は扱うにしても、基本的には「強化」を用いた上での短期決戦。
ヴァジュラの力を適度に引き出して扱う事が出来れば十分。
(当面の目標、だな)
刀身に、アウラの顔が反射する。その面持ちは何処までも真剣そのものだ。
一喜一憂している暇はない。
新たな課題が見つかったのなら、全力で打ち込むだけだ。
気持ちを入れ替えたところで、アウラは部屋の明かりを消して床に就いた。
※※※※
曰く、夢は無意識の産物だという。
人間の意識は、三つの層から構成される。個人意識、個人的無意識──そして、人類が共有する「集合的無意識」。
とある心理学者は、この意識の最下層に多くの神話的イメージの原型が存在し、それが作用する事で似た神話が形作られていったのだという。
────なら、今見ているものは一体何だ。
眠りという深い海の中で見る「夢」。
その多くは意識が曖昧で、現実では有り得ない事象が当たり前のように起こる。一人称視点で見るもの、それから第三者視点で見るものがあるとされるが、今見ているものは恐らく前者だろう。
だが、夢というには、あまりにもリアルだった。
周囲の風景の色彩、それから五感まで、人間に必要な感覚があまりにもハッキリしている。ただ一点、違和感があるとすれば──自分の意志で動いている訳では無かった。
言うなれば、自分が「誰か」に宿り、その「誰か」と視点を共有していた。
眼前には、人間を遥かに凌駕し、天地を覆い隠す程の体躯を持つ「蛇」の姿があった。
俗に言う大蛇、或いは竜とも言うべきモノだろう。その威容はナーガなど比較対象にならず、感覚を共有しているだけの彼ですら、一目見ただけで背筋を凍らせた。
自分が感覚を共有している「誰か」は、ソレを相手取っている様子だった。
自らの前に立ちふさがる「障害」。
竜の背後には山が高く聳え、大地はあらゆる水分が消え去ったように干からびている。僅かに残る植物さえ、その殆どが死に絶えていた。
常識の範囲外の怪物と相対する「誰か」は、全身を鎧で覆っているようにも見え、その手には武器が握られていた。
中心に柄があり、その両端に刀身が付いている武器。そのシルエットにはひどく見覚えがあった。
──ヴァジュラ?
竜は眼前に立つ「誰か」に容赦なく襲い掛かる。
その規格外の体躯を以て絞め殺す、強靭な顎で喰い殺す等、自分が持つあらゆる手段を用いて、敵対者の命を掠め取ろうとする。
向けられる敵意は本物。
決して己より下には見ておらず──己を殺しうる存在だからこそ、その竜は全力で相対していた。
大地は震え、雷は轟々と鳴り響く。
無限に広がる天が悲鳴を挙げ、今にも崩落しかねない。
二者の戦いは、それ程の規模に至っていた。決して個人的な恨みがあるだとか、そういったレベルの話ではない。
人間が定めた概念の外。大自然の化身たる超常の存在同士が、その権能を余す事なく振るい争う。
────神話の戦い。
その形容が、今目にしている光景に最も相応しい。
コンマ1秒も、両者の戦いの手が緩む事はない。互いが互いを殺す僅かな隙を探り合い、その刹那を待ち続ける。
永劫に続くかと思われたその拮抗は──存外に早く訪れる事となった。
竜が大口を開けて襲い来る。
相手の体躯に比べれば、「誰か」は小さく、丸呑みにするには十分の大きさだった。通常であれば、逃げる手段を選ぶのは頭で考えなくても理解できる。
だが、その「誰か」は一歩たりとも退こうとしない。
敗北を悟っているのかといえば────それは否だ。
武器を持つ腕を引き絞る。
「誰か」にとって、この機は千載一遇の好機だったのだろう。この瞬間に己の全てを注ぎ込み、確実にこの竜を屠ると決めていた。
ヴァジュラの姿が変わる。剣の形は徐々に失い、颶風を引き起こしながら、それは万象を焼き尽くす雷へと変貌していく。
太古の人が畏れた、自然の暴力。
突き詰められた破壊の具現を、「誰か」は竜目掛けて投擲し──────。
※※※※
「──────っ!!」
意識が、強引に引っ張り上げられる。
尋常ではない汗と、チュンチュンと鳴く小鳥の声が、現実世界に戻された事を実感させる。
「……何だったんだよ、今の」
アウラが見た、不可思議極まりない夢。
夢である事を自覚し、意識を持っている状態を「明晰夢」と言う事もあるが、今回はまた微妙に違う。
厳密には夢というよりも、何者かの「記憶」を追憶させられているような、そんな感覚が彼にはあった。
数秒前まで自分が見ていた奇妙な映像に戸惑いながらも、アウラはベッドから立ち上がり軽い身支度を済ませる。
外から、コンコンとノックする音と共に
「アウラさん、入っても大丈夫ですか?」
「どうぞー!」
ドアを開けたのは、支度を済ませたクロノだった。
「準備は出来ました?」
「ああ、大丈夫。確か、エリュシオン行きの地竜車乗り場に行けば良いんだったっけ」
「ええ。一応エイルさんがギルド前で待ってくれているそうなので、行きましょう」
アウラは頷き、二人は各々の部屋を後にする。
階段を下って一階に降りると、受付で伸びをする職員の女性の姿があった。ギルド職員の朝はこれ程までに早いのかと、思わず関心してしまう。
「──二人とも、おはようございます」
ギルドを出て市街地の方向へ歩いていると、そこには甲冑を纏う白髪の騎士──エイルの姿があった。
彼女も今日は依頼があるのか、まだ朝にも関わらず装備は冒険者仕様だった。
「昨晩はよく休めましたか?」
「勿論! お風呂も広いしベッドはフカフカで、本当にありがとうございました」
「それは良かった。同業者とはいえ、客人にそう言って貰えると嬉しい限りです。アウラさんも、身体の調子は大丈夫ですか?」
その問いは、昨日の魔術行使の反動を見てのことだ。
短期間で酷使した状態の身体は魔術の使用を許さず、そのような状況が続けば活動にも支障をきたす事は目に見えている。
ヴァジュラを携えたアウラは笑顔で
「俺ももう大丈夫です。ところで、ロアさんはいないんですか?」
「ロアなら、今朝から別件で依頼に出ています。といっても、簡単な要人の護衛ですけどね」
「護衛任務かぁ、何か起こしたら責任ヤバそうだなぁ……」
カレンもかつて、護衛の依頼を引き受けた事があると言っていたのを思い出す。
護衛というからには、それなりに名前と実力が知られている必要がある。少なくとも、「熾天」の階級の魔術師であれば依頼する側もある程度は信頼できるだろうが。
まだ最低位の「原位」の階級にいるアウラとは、未だ縁遠い仕事だ。
「彼はああ見えて、請け負った仕事には手を抜きませんから、特に心配は無用でしょう」
言って、エイルは市街地の方を向く。
「私が手配した地竜車の場所まで案内しますので、着いてきて下さい」
穏やかな声と共に歩き出す。
エドムに来てからというものの、エイルとロアに世話になってばかりだった。いつかはその恩返しが出来ればと思いつつ、アウラもその後を追った。
朝早い市街地はまだ人が少なく、来た時のように人混みに紛れるような事は無かった。
エイルに案内されたのは、ティレスの入口付近にある地竜車の停留所だ。まだ仕事が始まる前なのか、御者が地竜たちを休ませ、餌を与えている姿もあった。
ここから街道を通り、半日ほどかけてエリュシオンへと帰る。
ようやく帰れるという安堵感と、異国をもう少し見て回りたかったという僅かな後悔が頭を過る。
「二人はこちらの地竜車へ。御者さん、よろしくお願いします」
御者を務める気の良さそうな中年の男性に軽く会釈する。
男性も笑顔で頷き、アウラとクロノは乗り込んだ。
「エイルさん、今回はお世話になりました」
「今後も顔を合わせる事があるでしょうから、その時はまた宜しくお願いします。──それでは、お気を付けて」
手を振りながら言い、エイルは彼らを送り出す。
御者が地竜に鞭を入れたのを合図に地竜車が動き出し、彼女はその姿が見えなくなるまで停留所に佇んでいた。