残酷な描写あり
7.岐路で選り抜く道しるべ-1
〈蠍〉の研究所跡に行っていたルイフォン、ミンウェイ、エルファンの三人が、鷹刀一族の屋敷に戻ったのは、彼らを出迎えてくれた料理長の食事が『早めの夕食』ではなく、かろうじて『遅い昼食』と呼べるくらいの時間帯であった。
駐車場から食堂に直行し、蟹炒飯と雲呑スープで手早く腹を満たす。
このあとは、いよいよリュイセンと話をつけるための作戦会議である。
ルイフォンの胸は、否が応でも高鳴った。イーレオへの報告は、あらかじめ帰りの車の中で済ませておいたため、会議の内容は、ほぼ段取りの確認となる。
心地の良い緊張をまとい、わずかに大股で廊下をゆく。そして、執務室の扉を開けた瞬間、ルイフォンは「え?」と、戸惑いに足を止めた。
予想外の人物が、さも当然とばかりにソファーでふんぞり返っていたのだ。
「よう、〈猫〉。――話は聞いた。お手柄だったそうだな」
「シュアン!? どうして、ここに!?」
警察隊の緋扇シュアン――。
今の時間は、勤務中なのではないだろうか?
疑問を浮かべるルイフォンに、しかしシュアンは、こともなげに「イーレオさんから連絡を貰ったのさ」と言って凶相を歪めた。どうやら、本人としては笑いかけたつもりらしい。
「いくら親父が連絡したからって……」
凶賊とは犬猿の仲であるはずの警察隊の彼が、鷹刀一族の屋敷に出入りしていること自体は、もはや日常と化しているのでどうでもいい。けれど、今回の会議は単なる確認だ。本業を投げ打つまでして来る必要はないはずだ。
今日はたまたま非番だった、ということはないだろう。何故なら、いつもなら私服に着替えてくるところが、制服のままだ。職場から駆けつけたとしか思えない。
「お前たちの到着を待っていたぜ?」
早く来いよ、とばかりにシュアンが顎をしゃくると、ぼさぼさ頭を押し込めていた制帽が、こらえきれずにずるりと落ちた。
メイシアも交えてのリモート会議とするため、彼女の携帯端末に連絡を入れて回線を繋いだ。
画質は今ひとつで、動きも滑らかではないが、テーブルに据え置かれたモニタに彼女の花の顔が映し出されると、ルイフォンの心が華やいだ。
彼女のほうの画面は、残念ながらルイフォンの顔の大写しではなく、天井カメラからの映像だ。会議なので、執務室全体の様子が分かるようにしたのだ。だから彼は、上を向いて口角を上げる。
モニタ画面のメイシアが喜色を浮かべたのを確認すると、ルイフォンは「準備できたぜ」とイーレオに合図をした。
ひとり掛けのソファーで、優雅に頬杖を付いていたイーレオが、組んでいた足を解く。長身を正すと、艷やかな黒髪がさらりと背中を流れた。
一族の総帥たる威厳を示すかのように一同を睥睨し、それから魅惑の低音を朗々と響かせる。
「それでは、会議を始める」
そのひとことで空気の色が変わった。
ちょうどよいはずの室温も、ひやりと引き締まる。
「〈猫〉」
イーレオの王者の瞳が、ルイフォンを捕らえた。
「この場は、お前に任せるべきだろう。――鷹刀は、お前の指揮に従う」
「親父……っ、いや、鷹刀の総帥……、感謝する」
ルイフォンは深く一礼する。
そして、再び頭を上げたとき、彼の顔は端正で無機質な〈猫〉のものとなった。
「――皆、聞いていると思うが、俺は、先ほど〈七つの大罪〉のデータベースに侵入して、『俺が求めていたような証拠はない』ということをはっきり知った。だが、ミンウェイが呼びかけることによって、リュイセンを〈蝿〉の束縛から解放することが可能だと判断した。――よって、ミンウェイの電話による、リュイセンとの接触を試みる」
ちらりとミンウェイを見やると、彼女は冴え渡った切れ長の目をルイフォンに向けた。
「任せてください」
綺麗に紅の引かれた唇を弓形に上げ、彼女は高らかに答える。
「頼んだ」
ぴんと背筋を伸ばして前を向くミンウェイの姿に、ルイフォンの胸が熱くなる。辛い思いをさせたはずなのに、彼女の瞳は彼への感謝でいっぱいだった。
「それで、いつリュイセンと接触を図るか――だが、リュイセンはメイシアの世話係として、食事を運んでくるのが日課になっている。だから、次にリュイセンが部屋に来る夕食のときに、メイシアは携帯端末をこの執務室に繋いで、強引にでもリュイセンを出してほしい」
『分かりました』
ルイフォンが天井に向かって告げると、鈴を振るように美しい、しかし凛とした声が、間髪を容れずに返ってきた。
「……ごめんな、メイシア」
『え?』
唐突に、〈猫〉ではなく、いつものルイフォンの顔になった彼に、メイシアが目を丸くする。
「〈蝿〉は、『また明日、お前と話をする』と言ったそうだが、奴はいつ何をしでかすか、予測もつかない。明日を待たずに、今この瞬間にも、お前のところに押しかけてくる可能性だってある。……不安だろ?」
『ルイフォン、そんな……』
メイシアの表情が、くるくると変わる。
心配をしてくれるのは嬉しいけれど、今は会議中なのにと、思っているのが手にとるように分かった。実際、この場にふさわしい台詞ではないだろう。だが、彼のメイシアが危険に晒されているのだ。このくらい言わせてもらっても、罰は当たるまい。
「本当は、リュイセンがお前の部屋に来る夕食時なんか待っていないで、今すぐタオロンに頼んで、リュイセンに会いに行ってもらおうかと考えた。タオロンの携帯端末で、リュイセンと執務室を繋ぐんだ。――けど、リュイセンとの接触は、確実に邪魔の入らない、落ち着いた場所で行いたい。そう思うと、お前のいる展望室が一番、適している。それに、お前にも立ち会ってほしいから……」
『ルイフォン。……ありがとう。私なら大丈夫』
力強く微笑むメイシアに、ルイフォンは「ごめんな」と繰り返し、それから「ありがとう」と言い直す。
「万一を考えて、タオロンとは既に連絡を取ってある」
『え、ええと……?』
「こちらの状況を説明して、〈蝿〉の監視を頼んだ。〈蝿〉が予想外の行動をとったら、すぐに知らせがくる」
『いつの間に……?』
「さっき。車の中で、だ」
ルイフォンは簡潔に答えたが、タオロンは常に見張られているということだったので、実のところ、連絡がつくまでは気が気でなかった。
とはいえ、タオロンに関しては幸運が続いた。
メイシアの策で〈蝿〉から外出許可を取った際、タオロンがやたら と『手柄』を主張したため、〈蝿〉の態度が変わったのだ。タオロンのことは、締めつけるよりも適度に緩めたほうが扱いやすいと判断されたらしく、今では、まるで凶賊でいうところの幹部待遇だそうだ。
それに加え、タオロンの主たる仕事がメイシアを手に入れることであったため、彼女が囚われて以降、彼は待機状態であり、現在、〈蝿〉に言いつけられている用事はなかった。すなわち、自由に行動できると、なんでも任せろと言ってくれた。
だからタオロンは、ふたつ返事で〈蝿〉の監視を引き受けてくれた。
「〈蝿〉が、普段通りに夜まで研究室に籠もっているようなら、それでいい。……だが、もしも、俺たちがリュイセンと話をつけるよりも先に、〈蝿〉がお前に危害を加えるようなことがあれば……」
ルイフォンは、そこで一度、言葉を切り、ごくりと唾を呑み込んだ。
そして、一気に言い放つ。
「そのときは、リュイセンには構わず、タオロンに〈蝿〉を討ってもらう!」
『ルイフォン――!?』
メイシアの困惑の叫び。
彼女の顔が、見る間に蒼白に染まっていく。
執務室の空気も一転し、緊張を帯びた。……だが、誰しもが、ルイフォンの言葉を認めていた。
「最も優先すべきことは、メイシアを無事に救出することだ。――これは、絶対だ。譲らない」
猫の目を煌めかせ、ルイフォンが宣言する。
『……っ』
不鮮明なモニタ画面でも、メイシアの顔が悲痛に歪んだのがはっきりと分かった。
「メイシア。これは確率の低い『もしも』の話だ。単に、はっきりさせておく必要があるから言ったまでだ。……大丈夫だ」
ルイフォンは、掌を握りしめる。
この手は、画面の向こうの遥かな彼女に触れることはできない。あの黒絹の髪を、くしゃりと指で梳くことは叶わない。――けれど、それは今だけだ。
「あと数時間。それで、すべてを終わらせる」
『分かった。……信じる』
黒曜石の瞳が真っ直ぐにルイフォンを見つめ、桜色の唇が凛と告げた。
「ああ。俺も、信じている」
覇気に満ちたテノールで、ルイフォンはメイシアに言葉を重ね、言葉で彼女を包み込む。
信じる。――すべてがうまくいくと。
「リュイセンが『鷹刀の後継者』として、今晩、〈蝿〉に引導を渡す!」
あらゆる障壁を打ち砕く、ルイフォンの鋭い声が、この先の取るべき道を指し示す……。
――そのとき。
「ごほん」
胡散臭いほどにわざとらしい咳払いが、高揚した雰囲気を間抜けに崩した。
「――!?」
皆が驚き、音の発生源へと視線を送る。
場の注目を集めた先にあったのは、咳払いと同じくらいに如何わしい、悪人面の凶相――。
「シュアン?」
ルイフォンが名を呟くと、シュアンは、くいっと口の端を上げた。
「〈猫〉さんよ。ちょいと確認したいんだが、『引導を渡す』ってのは、要するに『殺す』だな?」
「ああ。――それがどうした?」
突っかかるような言い方に反感を覚えながら、ルイフォンは尋ね返す。しかし、シュアンは彼の問いかけには答えずに、耳障りな甲高い声で、歌うように唱えた。
「あの庭園で、リュイセンが〈蝿〉を殺す。――先輩と、先輩の家族を不幸に陥れた〈蝿〉が死ぬ。ハオリュウと、メイシア嬢の家族の仇でもある、〈蝿〉が死ぬ……」
シュアンは、血走った三白眼をうっとりと細め、低く嗤う。そして彼は、隣に座るミンウェイの耳元に、そっと囁いた。
「俺の悲願が、ようやく叶うな」
ミンウェイが、びくりと肩を上げ、草の香りを撒き散らした。
けれど、シュアンは構わずに――否、彼女を逃すまいとでもするかのように、血色の悪い唇を彼女の耳朶に寄せる。
「俺は職業柄、死体を見飽きている。だから、〈蝿〉の糞野郎の屍なんざ、特に見たいとも思わねぇ。それに、リュイセンが殺したと言えば、疑う余地もないだろう。――だから俺は、死体の確認は不要と思うが……、ミンウェイはどう思う? やはり運んできてほしいか?」
「……っ!?」
「それとも何か? 〈蝿〉が命乞いをする様を見てみたいか?」
悪相を歪め、シュアンはへらへらと体を揺らした。しかし、胡乱な三白眼は、凍りつくように冷たい。
「――だったら、リュイセンに頼んで、〈蝿〉を生かしたまま連れてきてもらわないといけねぇなぁ。――面倒臭そうだが……」
そう言いながら、シュアンは思案をアピールするかのように腕を組み、「ふむ」と眉を寄せた。
「こちらのカードは、鷹刀リュイセンと斑目タオロンか……」
「緋扇さん……! ――あなたは、いったい何を……」
不気味な笑みを浮かべたシュアンに、ミンウェイは得体の知れない恐怖を覚える。
「鷹刀リュイセンに斑目タオロンといえば、凶賊の次世代を担う若い衆として、警察隊のブラックリストにも載っている超大物だ。極悪な凶賊の双璧、鷹刀と斑目それぞれ随一の猛者が手を組んで、中年男ひとり捕まえられないなんてお粗末なことはないだろう」
「…………!」
「まぁ、俺は〈蝿〉の野郎が確実に死ねば、他はどうでもいい。あの野郎の顔も見たくなければ、言葉を交わしたいとも思わない。――『俺は』な」
鼻で笑うような、軽薄なシュアンの声。
最後のひとことが、あまりに大きく聞こえたため、ミンウェイは狂犬の牙に噛み付かれたのかと錯覚した。弾かれたように耳を押さえ、絹を裂くような悲鳴を上げる。
「やめてください!」
しかし、シュアンが言葉を止めることはなかった。
「俺の記憶違いでなければ、あんたは『〈蝿〉と決着をつける』と言っていた。『何が決着になるのか分からないが、とりあえず〈蝿〉と話をしたい』ってな」
「やめて!」
脅えたように、ミンウェイが身を縮こめる。そんな彼女をいたぶるように「いいのか?」と、シュアンの揶揄が襲う。
嗜虐心に酔ったようなシュアンに、ルイフォンは制止の声を上げようと鋭く息を吸った。――だが、堪えた。
途中から、シュアンの意図に気づいてしまったのだ……。
甲高いくせに、妙に静かなシュアンの声が降りてくる。
「オリジナルの父親は何も言わずに、あんたを置いて勝手に死んだ。臆病だったあんたも、何も言えないまま――永久の別れを迎えた」
ミンウェイが激しく頭を振る。
シュアンの言葉を振り払おうとでもするかのように。
まるで、子供が駄々をこねるような仕草を、ルイフォンは黙って見つめる。
「本来なら、それで終わりだった。何故なら、世界は不可逆だからだ。……なのに、なんの因果か、あんたには機会が訪れた。――奇跡だ」
「……」
「あんた、何も言えないままでいいのか? 〈蝿〉の顔も見ないまま……。本当に、それでいいのか?」
「……、……なんで……っ」
艶めく美声が裏返り、引きつれて惨めにかすれた。
「……なんで、そんなことを言うのよ……! もう、作戦は決まったじゃない! リュイセンが、すべてを終わらせる……。それで……いいでしょう!」
ミンウェイはシュアンに詰め寄り、彼の制服を掴もうとして……ためらった。だから、持て余した指先を折り曲げ、握りこぶしの形にして震わせる。
「……それに、〈蝿〉は、お父様じゃない! ただの『作りもの』……よ!」
「ま、それもそうだな」
シュアンは肯定した。
同意して、――それだけだった。
ミンウェイの反論に納得したから、引き下がる。
もはや、〈蝿〉への興味は完全に消え失せたと言わんばかりに、「話の腰を折って悪かったな」などと、ルイフォンに詫びまで入れる。
刹那。
ミンウェイの肩が、しゃくりあげるように跳ねた。シュアンの弁を言い返そうと、待ち構えていた唇が、たたらを踏んだようにわなないた。
もしもシュアンが、あとひとこと何かを言い続けていれば、ミンウェイは強い口調で『〈蝿〉になんて、会いたくない』と口にできただろう。はっきりと声に出して言うことで、心の奥底に眠る、名前の分からない感情を断ち切れたはずだった。
けれど、シュアンは引いてしまった。
ミンウェイの中で渦巻く、矛盾した、不可思議な思いを暴いておきながら。
封じられた、支離滅裂な思いの存在を、彼女に自覚させておきながら……。
ルイフォンは、奥歯を噛み締めた。
シュアンは、ミンウェイに言葉を掛けつつ、この場にいる皆に問いかけたのだ。
――このままリュイセンに〈蝿〉を討たせれば、ミンウェイは一度も〈蝿〉と会うことなく終わりを迎える。
それでいいのか……?
すっかり過去と決別し、まっすぐに未来を見つめるようになったミンウェイに、ルイフォンは安心しきっていた。けれど、今まで知らなかった『父親』の行動を知ったミンウェイが、『父親』の記憶を持つ〈蝿〉に対して、何も感じないはずがないのだ。
だが、『〈蝿〉に会ってみたい』『〈蝿〉を屋敷まで連れてきてほしい』とは、ミンウェイには言えない。
それは和を乱す我儘だと、彼女なら考える。他人に対してはお節介なほどに強引なくせに、自分のことは遠慮ばかりする彼女なら。
だからシュアンは、職場から駆けつけたのだ――。
「……作戦変更だ」
一音、一音に力を込め、ルイフォンは告げた。
「リュイセンには、〈蝿〉を捕獲――この屋敷まで連行してもらうことにする」
「ルイフォン!? 何を言っているの!」
シュアンによって気づかされてしまった感情を押し込め、ミンウェイは叫んだ。
反射的に睨みつけた相手の顔が、無機質な〈猫〉のそれであることに気づき、彼女は言い換える。
「それは、無駄に危険を増やす行為です! 私は反対です!」
しかし、ルイフォンは泰然と胸を張り、威圧的に足を組んだ。
「この場は〈猫〉の指揮下にあると、鷹刀の総帥に委ねられている。だから、俺の独断に従ってもらう。無論、何かあったときには俺の責任だ」
そしてルイフォンは、ぐっと顎を上げ、イーレオを見やる。
――文句はないよな?
目線だけで問いかけると、イーレオは麗しの美貌を頬杖で支え、優雅に姿勢を崩した。
――お前に任せたんだから、お前の好きなようにやれ。
そんな声が聞こえたかと思ったら、イーレオの背後に控える護衛のチャオラウが、小刻みに無精髭を揺らしていた。……笑いをこらえているのだ。どうせ、『本当に、そっくりですね』とでも思っているのだろう。
ルイフォンは鼻に皺を寄せ、しかし次の瞬間、はっと閃いた。
ひょっとして、この展開は、親父の計算通りだったということか――?
今回の作戦について、シュアンは先日、『鷹刀を支持する』と明言した。だから、勤務中と分かっている彼に、わざわざ会議を知らせる必要はなかったはずだ。なのに、イーレオは彼に連絡を入れた……。
そこまで考え、ルイフォンは思考を止めた。
いくらなんでも、うがち過ぎだろう。
それに、たとえ掌の上で踊っていたのだとしても、その振りつけはシュアンなり、ルイフォンなりが好き勝手に決めたものだ。指図されてのことではない。
ルイフォンは、いまだ柳眉を逆立て反対を訴えているミンウェイを見やり、それから、彼女の隣のシュアンへと視線を移す。ルイフォンの口から、狙い通りに『作戦変更』の文言を引き出したシュアンは、得意げな笑みを浮かべて……いなかった。
ルイフォンと目が合うと、シュアンはそっと三白眼を伏せ、深々と頭を垂れた。ぼさぼさ頭を押さえる制帽は、とうの昔にそのへんに放置してあり、ふわふわとした髪が、まるで彼自身を象徴するかのように自由気ままに跳ねる。
「ちょ、ちょっと……、皆、どうして……!」
ミンウェイは、切れ長の瞳をあちらこちらに巡らせ、恐慌に陥った。
「そ、それに、いったい、どうやって〈蝿〉を連れてくるつもりなのよ!? 確かに、リュイセンたちなら〈蝿〉を捕まえることはできると思うわ。でも、あの館には私兵がたくさんいて、門は近衛隊で固められているのよ!?」
「そんなの、俺とリュイセンがあの庭園に潜入したときの、初めの方法でいいだろ?」
結局、実行されなかった、あの作戦だ。
〈蝿〉は自分だけ、離れたところにある上等な部屋で寝る。だから、夜中を待って、ひとりになったところを襲う。――それだけだ。
「まぁ、以前の作戦では、用意していった薬で意識を奪って、シーツにくるんで車で運ぶ予定だったけど、今回は薬なんてないから、殴る蹴るで気絶させるしかないけどな」
あまりスマートな方法ではないが、そこは仕方ないだろう。
肩をすくめたルイフォンに、ミンウェイは眉を吊り上げた。
「あの庭園には、メイシアとタオロン氏のお嬢さんもいるのよ! 万が一、彼女たちを人質に取られたら、リュイセンたちは身動きを取れなくなるの! ――だから、お願い。無茶なことはやめて!」
「……っ」
メイシアの名に、ルイフォンの顔が陰った。
ミンウェイの言うことは、一理あった。
リュイセンとタオロンが揃っていれば、戦力的には容易に〈蝿〉を捕らえられる。
そして、ふたりのうちのどちらかが運転する車で、もう片方が〈蝿〉を監視しながら、近衛隊が守る門を通過するという流れになる。
だが、脱出のときは、メイシアとファンルゥも一緒なのだ。いつ気絶から目覚めるか分からない〈蝿〉と、彼女たちが近い距離にいることになる……。
考えたくもない想像が、ルイフォンの頭をよぎった。
彼はそれを否定し、しかし、否定しきれない可能性にたじろぐ。
そのときだった。
『〈猫〉、私に発言許可をください』
凛と響く、細く澄んだ声。
「メイシア!?」
執務室にいる皆の目が、一斉にテーブルに集まった。
モニタ画面の中で、彼女は緊張に顔を強張らせつつも、白い頬を薔薇色に上気させていた。
『私に提案があります。〈蝿〉をおとなしく連行するための方法です』
芯の強さを秘めた、聡明な黒曜石の瞳が、ルイフォンを導こうと懸命に輝く。
――彼の大切な戦乙女だ。
「ああ……」
ルイフォンの口元が自然にほころぶ。
「発言を許可する。――頼むぞ」
満面の笑みを浮かべた彼に、メイシアは表情を引き締めつつも、誇らしげに『ありがとうございます』と答えた。
駐車場から食堂に直行し、蟹炒飯と雲呑スープで手早く腹を満たす。
このあとは、いよいよリュイセンと話をつけるための作戦会議である。
ルイフォンの胸は、否が応でも高鳴った。イーレオへの報告は、あらかじめ帰りの車の中で済ませておいたため、会議の内容は、ほぼ段取りの確認となる。
心地の良い緊張をまとい、わずかに大股で廊下をゆく。そして、執務室の扉を開けた瞬間、ルイフォンは「え?」と、戸惑いに足を止めた。
予想外の人物が、さも当然とばかりにソファーでふんぞり返っていたのだ。
「よう、〈猫〉。――話は聞いた。お手柄だったそうだな」
「シュアン!? どうして、ここに!?」
警察隊の緋扇シュアン――。
今の時間は、勤務中なのではないだろうか?
疑問を浮かべるルイフォンに、しかしシュアンは、こともなげに「イーレオさんから連絡を貰ったのさ」と言って凶相を歪めた。どうやら、本人としては笑いかけたつもりらしい。
「いくら親父が連絡したからって……」
凶賊とは犬猿の仲であるはずの警察隊の彼が、鷹刀一族の屋敷に出入りしていること自体は、もはや日常と化しているのでどうでもいい。けれど、今回の会議は単なる確認だ。本業を投げ打つまでして来る必要はないはずだ。
今日はたまたま非番だった、ということはないだろう。何故なら、いつもなら私服に着替えてくるところが、制服のままだ。職場から駆けつけたとしか思えない。
「お前たちの到着を待っていたぜ?」
早く来いよ、とばかりにシュアンが顎をしゃくると、ぼさぼさ頭を押し込めていた制帽が、こらえきれずにずるりと落ちた。
メイシアも交えてのリモート会議とするため、彼女の携帯端末に連絡を入れて回線を繋いだ。
画質は今ひとつで、動きも滑らかではないが、テーブルに据え置かれたモニタに彼女の花の顔が映し出されると、ルイフォンの心が華やいだ。
彼女のほうの画面は、残念ながらルイフォンの顔の大写しではなく、天井カメラからの映像だ。会議なので、執務室全体の様子が分かるようにしたのだ。だから彼は、上を向いて口角を上げる。
モニタ画面のメイシアが喜色を浮かべたのを確認すると、ルイフォンは「準備できたぜ」とイーレオに合図をした。
ひとり掛けのソファーで、優雅に頬杖を付いていたイーレオが、組んでいた足を解く。長身を正すと、艷やかな黒髪がさらりと背中を流れた。
一族の総帥たる威厳を示すかのように一同を睥睨し、それから魅惑の低音を朗々と響かせる。
「それでは、会議を始める」
そのひとことで空気の色が変わった。
ちょうどよいはずの室温も、ひやりと引き締まる。
「〈猫〉」
イーレオの王者の瞳が、ルイフォンを捕らえた。
「この場は、お前に任せるべきだろう。――鷹刀は、お前の指揮に従う」
「親父……っ、いや、鷹刀の総帥……、感謝する」
ルイフォンは深く一礼する。
そして、再び頭を上げたとき、彼の顔は端正で無機質な〈猫〉のものとなった。
「――皆、聞いていると思うが、俺は、先ほど〈七つの大罪〉のデータベースに侵入して、『俺が求めていたような証拠はない』ということをはっきり知った。だが、ミンウェイが呼びかけることによって、リュイセンを〈蝿〉の束縛から解放することが可能だと判断した。――よって、ミンウェイの電話による、リュイセンとの接触を試みる」
ちらりとミンウェイを見やると、彼女は冴え渡った切れ長の目をルイフォンに向けた。
「任せてください」
綺麗に紅の引かれた唇を弓形に上げ、彼女は高らかに答える。
「頼んだ」
ぴんと背筋を伸ばして前を向くミンウェイの姿に、ルイフォンの胸が熱くなる。辛い思いをさせたはずなのに、彼女の瞳は彼への感謝でいっぱいだった。
「それで、いつリュイセンと接触を図るか――だが、リュイセンはメイシアの世話係として、食事を運んでくるのが日課になっている。だから、次にリュイセンが部屋に来る夕食のときに、メイシアは携帯端末をこの執務室に繋いで、強引にでもリュイセンを出してほしい」
『分かりました』
ルイフォンが天井に向かって告げると、鈴を振るように美しい、しかし凛とした声が、間髪を容れずに返ってきた。
「……ごめんな、メイシア」
『え?』
唐突に、〈猫〉ではなく、いつものルイフォンの顔になった彼に、メイシアが目を丸くする。
「〈蝿〉は、『また明日、お前と話をする』と言ったそうだが、奴はいつ何をしでかすか、予測もつかない。明日を待たずに、今この瞬間にも、お前のところに押しかけてくる可能性だってある。……不安だろ?」
『ルイフォン、そんな……』
メイシアの表情が、くるくると変わる。
心配をしてくれるのは嬉しいけれど、今は会議中なのにと、思っているのが手にとるように分かった。実際、この場にふさわしい台詞ではないだろう。だが、彼のメイシアが危険に晒されているのだ。このくらい言わせてもらっても、罰は当たるまい。
「本当は、リュイセンがお前の部屋に来る夕食時なんか待っていないで、今すぐタオロンに頼んで、リュイセンに会いに行ってもらおうかと考えた。タオロンの携帯端末で、リュイセンと執務室を繋ぐんだ。――けど、リュイセンとの接触は、確実に邪魔の入らない、落ち着いた場所で行いたい。そう思うと、お前のいる展望室が一番、適している。それに、お前にも立ち会ってほしいから……」
『ルイフォン。……ありがとう。私なら大丈夫』
力強く微笑むメイシアに、ルイフォンは「ごめんな」と繰り返し、それから「ありがとう」と言い直す。
「万一を考えて、タオロンとは既に連絡を取ってある」
『え、ええと……?』
「こちらの状況を説明して、〈蝿〉の監視を頼んだ。〈蝿〉が予想外の行動をとったら、すぐに知らせがくる」
『いつの間に……?』
「さっき。車の中で、だ」
ルイフォンは簡潔に答えたが、タオロンは常に見張られているということだったので、実のところ、連絡がつくまでは気が気でなかった。
とはいえ、タオロンに関しては幸運が続いた。
メイシアの策で〈蝿〉から外出許可を取った際、タオロンがやたら と『手柄』を主張したため、〈蝿〉の態度が変わったのだ。タオロンのことは、締めつけるよりも適度に緩めたほうが扱いやすいと判断されたらしく、今では、まるで凶賊でいうところの幹部待遇だそうだ。
それに加え、タオロンの主たる仕事がメイシアを手に入れることであったため、彼女が囚われて以降、彼は待機状態であり、現在、〈蝿〉に言いつけられている用事はなかった。すなわち、自由に行動できると、なんでも任せろと言ってくれた。
だからタオロンは、ふたつ返事で〈蝿〉の監視を引き受けてくれた。
「〈蝿〉が、普段通りに夜まで研究室に籠もっているようなら、それでいい。……だが、もしも、俺たちがリュイセンと話をつけるよりも先に、〈蝿〉がお前に危害を加えるようなことがあれば……」
ルイフォンは、そこで一度、言葉を切り、ごくりと唾を呑み込んだ。
そして、一気に言い放つ。
「そのときは、リュイセンには構わず、タオロンに〈蝿〉を討ってもらう!」
『ルイフォン――!?』
メイシアの困惑の叫び。
彼女の顔が、見る間に蒼白に染まっていく。
執務室の空気も一転し、緊張を帯びた。……だが、誰しもが、ルイフォンの言葉を認めていた。
「最も優先すべきことは、メイシアを無事に救出することだ。――これは、絶対だ。譲らない」
猫の目を煌めかせ、ルイフォンが宣言する。
『……っ』
不鮮明なモニタ画面でも、メイシアの顔が悲痛に歪んだのがはっきりと分かった。
「メイシア。これは確率の低い『もしも』の話だ。単に、はっきりさせておく必要があるから言ったまでだ。……大丈夫だ」
ルイフォンは、掌を握りしめる。
この手は、画面の向こうの遥かな彼女に触れることはできない。あの黒絹の髪を、くしゃりと指で梳くことは叶わない。――けれど、それは今だけだ。
「あと数時間。それで、すべてを終わらせる」
『分かった。……信じる』
黒曜石の瞳が真っ直ぐにルイフォンを見つめ、桜色の唇が凛と告げた。
「ああ。俺も、信じている」
覇気に満ちたテノールで、ルイフォンはメイシアに言葉を重ね、言葉で彼女を包み込む。
信じる。――すべてがうまくいくと。
「リュイセンが『鷹刀の後継者』として、今晩、〈蝿〉に引導を渡す!」
あらゆる障壁を打ち砕く、ルイフォンの鋭い声が、この先の取るべき道を指し示す……。
――そのとき。
「ごほん」
胡散臭いほどにわざとらしい咳払いが、高揚した雰囲気を間抜けに崩した。
「――!?」
皆が驚き、音の発生源へと視線を送る。
場の注目を集めた先にあったのは、咳払いと同じくらいに如何わしい、悪人面の凶相――。
「シュアン?」
ルイフォンが名を呟くと、シュアンは、くいっと口の端を上げた。
「〈猫〉さんよ。ちょいと確認したいんだが、『引導を渡す』ってのは、要するに『殺す』だな?」
「ああ。――それがどうした?」
突っかかるような言い方に反感を覚えながら、ルイフォンは尋ね返す。しかし、シュアンは彼の問いかけには答えずに、耳障りな甲高い声で、歌うように唱えた。
「あの庭園で、リュイセンが〈蝿〉を殺す。――先輩と、先輩の家族を不幸に陥れた〈蝿〉が死ぬ。ハオリュウと、メイシア嬢の家族の仇でもある、〈蝿〉が死ぬ……」
シュアンは、血走った三白眼をうっとりと細め、低く嗤う。そして彼は、隣に座るミンウェイの耳元に、そっと囁いた。
「俺の悲願が、ようやく叶うな」
ミンウェイが、びくりと肩を上げ、草の香りを撒き散らした。
けれど、シュアンは構わずに――否、彼女を逃すまいとでもするかのように、血色の悪い唇を彼女の耳朶に寄せる。
「俺は職業柄、死体を見飽きている。だから、〈蝿〉の糞野郎の屍なんざ、特に見たいとも思わねぇ。それに、リュイセンが殺したと言えば、疑う余地もないだろう。――だから俺は、死体の確認は不要と思うが……、ミンウェイはどう思う? やはり運んできてほしいか?」
「……っ!?」
「それとも何か? 〈蝿〉が命乞いをする様を見てみたいか?」
悪相を歪め、シュアンはへらへらと体を揺らした。しかし、胡乱な三白眼は、凍りつくように冷たい。
「――だったら、リュイセンに頼んで、〈蝿〉を生かしたまま連れてきてもらわないといけねぇなぁ。――面倒臭そうだが……」
そう言いながら、シュアンは思案をアピールするかのように腕を組み、「ふむ」と眉を寄せた。
「こちらのカードは、鷹刀リュイセンと斑目タオロンか……」
「緋扇さん……! ――あなたは、いったい何を……」
不気味な笑みを浮かべたシュアンに、ミンウェイは得体の知れない恐怖を覚える。
「鷹刀リュイセンに斑目タオロンといえば、凶賊の次世代を担う若い衆として、警察隊のブラックリストにも載っている超大物だ。極悪な凶賊の双璧、鷹刀と斑目それぞれ随一の猛者が手を組んで、中年男ひとり捕まえられないなんてお粗末なことはないだろう」
「…………!」
「まぁ、俺は〈蝿〉の野郎が確実に死ねば、他はどうでもいい。あの野郎の顔も見たくなければ、言葉を交わしたいとも思わない。――『俺は』な」
鼻で笑うような、軽薄なシュアンの声。
最後のひとことが、あまりに大きく聞こえたため、ミンウェイは狂犬の牙に噛み付かれたのかと錯覚した。弾かれたように耳を押さえ、絹を裂くような悲鳴を上げる。
「やめてください!」
しかし、シュアンが言葉を止めることはなかった。
「俺の記憶違いでなければ、あんたは『〈蝿〉と決着をつける』と言っていた。『何が決着になるのか分からないが、とりあえず〈蝿〉と話をしたい』ってな」
「やめて!」
脅えたように、ミンウェイが身を縮こめる。そんな彼女をいたぶるように「いいのか?」と、シュアンの揶揄が襲う。
嗜虐心に酔ったようなシュアンに、ルイフォンは制止の声を上げようと鋭く息を吸った。――だが、堪えた。
途中から、シュアンの意図に気づいてしまったのだ……。
甲高いくせに、妙に静かなシュアンの声が降りてくる。
「オリジナルの父親は何も言わずに、あんたを置いて勝手に死んだ。臆病だったあんたも、何も言えないまま――永久の別れを迎えた」
ミンウェイが激しく頭を振る。
シュアンの言葉を振り払おうとでもするかのように。
まるで、子供が駄々をこねるような仕草を、ルイフォンは黙って見つめる。
「本来なら、それで終わりだった。何故なら、世界は不可逆だからだ。……なのに、なんの因果か、あんたには機会が訪れた。――奇跡だ」
「……」
「あんた、何も言えないままでいいのか? 〈蝿〉の顔も見ないまま……。本当に、それでいいのか?」
「……、……なんで……っ」
艶めく美声が裏返り、引きつれて惨めにかすれた。
「……なんで、そんなことを言うのよ……! もう、作戦は決まったじゃない! リュイセンが、すべてを終わらせる……。それで……いいでしょう!」
ミンウェイはシュアンに詰め寄り、彼の制服を掴もうとして……ためらった。だから、持て余した指先を折り曲げ、握りこぶしの形にして震わせる。
「……それに、〈蝿〉は、お父様じゃない! ただの『作りもの』……よ!」
「ま、それもそうだな」
シュアンは肯定した。
同意して、――それだけだった。
ミンウェイの反論に納得したから、引き下がる。
もはや、〈蝿〉への興味は完全に消え失せたと言わんばかりに、「話の腰を折って悪かったな」などと、ルイフォンに詫びまで入れる。
刹那。
ミンウェイの肩が、しゃくりあげるように跳ねた。シュアンの弁を言い返そうと、待ち構えていた唇が、たたらを踏んだようにわなないた。
もしもシュアンが、あとひとこと何かを言い続けていれば、ミンウェイは強い口調で『〈蝿〉になんて、会いたくない』と口にできただろう。はっきりと声に出して言うことで、心の奥底に眠る、名前の分からない感情を断ち切れたはずだった。
けれど、シュアンは引いてしまった。
ミンウェイの中で渦巻く、矛盾した、不可思議な思いを暴いておきながら。
封じられた、支離滅裂な思いの存在を、彼女に自覚させておきながら……。
ルイフォンは、奥歯を噛み締めた。
シュアンは、ミンウェイに言葉を掛けつつ、この場にいる皆に問いかけたのだ。
――このままリュイセンに〈蝿〉を討たせれば、ミンウェイは一度も〈蝿〉と会うことなく終わりを迎える。
それでいいのか……?
すっかり過去と決別し、まっすぐに未来を見つめるようになったミンウェイに、ルイフォンは安心しきっていた。けれど、今まで知らなかった『父親』の行動を知ったミンウェイが、『父親』の記憶を持つ〈蝿〉に対して、何も感じないはずがないのだ。
だが、『〈蝿〉に会ってみたい』『〈蝿〉を屋敷まで連れてきてほしい』とは、ミンウェイには言えない。
それは和を乱す我儘だと、彼女なら考える。他人に対してはお節介なほどに強引なくせに、自分のことは遠慮ばかりする彼女なら。
だからシュアンは、職場から駆けつけたのだ――。
「……作戦変更だ」
一音、一音に力を込め、ルイフォンは告げた。
「リュイセンには、〈蝿〉を捕獲――この屋敷まで連行してもらうことにする」
「ルイフォン!? 何を言っているの!」
シュアンによって気づかされてしまった感情を押し込め、ミンウェイは叫んだ。
反射的に睨みつけた相手の顔が、無機質な〈猫〉のそれであることに気づき、彼女は言い換える。
「それは、無駄に危険を増やす行為です! 私は反対です!」
しかし、ルイフォンは泰然と胸を張り、威圧的に足を組んだ。
「この場は〈猫〉の指揮下にあると、鷹刀の総帥に委ねられている。だから、俺の独断に従ってもらう。無論、何かあったときには俺の責任だ」
そしてルイフォンは、ぐっと顎を上げ、イーレオを見やる。
――文句はないよな?
目線だけで問いかけると、イーレオは麗しの美貌を頬杖で支え、優雅に姿勢を崩した。
――お前に任せたんだから、お前の好きなようにやれ。
そんな声が聞こえたかと思ったら、イーレオの背後に控える護衛のチャオラウが、小刻みに無精髭を揺らしていた。……笑いをこらえているのだ。どうせ、『本当に、そっくりですね』とでも思っているのだろう。
ルイフォンは鼻に皺を寄せ、しかし次の瞬間、はっと閃いた。
ひょっとして、この展開は、親父の計算通りだったということか――?
今回の作戦について、シュアンは先日、『鷹刀を支持する』と明言した。だから、勤務中と分かっている彼に、わざわざ会議を知らせる必要はなかったはずだ。なのに、イーレオは彼に連絡を入れた……。
そこまで考え、ルイフォンは思考を止めた。
いくらなんでも、うがち過ぎだろう。
それに、たとえ掌の上で踊っていたのだとしても、その振りつけはシュアンなり、ルイフォンなりが好き勝手に決めたものだ。指図されてのことではない。
ルイフォンは、いまだ柳眉を逆立て反対を訴えているミンウェイを見やり、それから、彼女の隣のシュアンへと視線を移す。ルイフォンの口から、狙い通りに『作戦変更』の文言を引き出したシュアンは、得意げな笑みを浮かべて……いなかった。
ルイフォンと目が合うと、シュアンはそっと三白眼を伏せ、深々と頭を垂れた。ぼさぼさ頭を押さえる制帽は、とうの昔にそのへんに放置してあり、ふわふわとした髪が、まるで彼自身を象徴するかのように自由気ままに跳ねる。
「ちょ、ちょっと……、皆、どうして……!」
ミンウェイは、切れ長の瞳をあちらこちらに巡らせ、恐慌に陥った。
「そ、それに、いったい、どうやって〈蝿〉を連れてくるつもりなのよ!? 確かに、リュイセンたちなら〈蝿〉を捕まえることはできると思うわ。でも、あの館には私兵がたくさんいて、門は近衛隊で固められているのよ!?」
「そんなの、俺とリュイセンがあの庭園に潜入したときの、初めの方法でいいだろ?」
結局、実行されなかった、あの作戦だ。
〈蝿〉は自分だけ、離れたところにある上等な部屋で寝る。だから、夜中を待って、ひとりになったところを襲う。――それだけだ。
「まぁ、以前の作戦では、用意していった薬で意識を奪って、シーツにくるんで車で運ぶ予定だったけど、今回は薬なんてないから、殴る蹴るで気絶させるしかないけどな」
あまりスマートな方法ではないが、そこは仕方ないだろう。
肩をすくめたルイフォンに、ミンウェイは眉を吊り上げた。
「あの庭園には、メイシアとタオロン氏のお嬢さんもいるのよ! 万が一、彼女たちを人質に取られたら、リュイセンたちは身動きを取れなくなるの! ――だから、お願い。無茶なことはやめて!」
「……っ」
メイシアの名に、ルイフォンの顔が陰った。
ミンウェイの言うことは、一理あった。
リュイセンとタオロンが揃っていれば、戦力的には容易に〈蝿〉を捕らえられる。
そして、ふたりのうちのどちらかが運転する車で、もう片方が〈蝿〉を監視しながら、近衛隊が守る門を通過するという流れになる。
だが、脱出のときは、メイシアとファンルゥも一緒なのだ。いつ気絶から目覚めるか分からない〈蝿〉と、彼女たちが近い距離にいることになる……。
考えたくもない想像が、ルイフォンの頭をよぎった。
彼はそれを否定し、しかし、否定しきれない可能性にたじろぐ。
そのときだった。
『〈猫〉、私に発言許可をください』
凛と響く、細く澄んだ声。
「メイシア!?」
執務室にいる皆の目が、一斉にテーブルに集まった。
モニタ画面の中で、彼女は緊張に顔を強張らせつつも、白い頬を薔薇色に上気させていた。
『私に提案があります。〈蝿〉をおとなしく連行するための方法です』
芯の強さを秘めた、聡明な黒曜石の瞳が、ルイフォンを導こうと懸命に輝く。
――彼の大切な戦乙女だ。
「ああ……」
ルイフォンの口元が自然にほころぶ。
「発言を許可する。――頼むぞ」
満面の笑みを浮かべた彼に、メイシアは表情を引き締めつつも、誇らしげに『ありがとうございます』と答えた。