残酷な描写あり
4.神話に秘められし真実-2
「王の異色が、先天性白皮症!? そんな、まさか……」
この場で〈蝿〉が嘘を言う理由など、あろうはずもない。しかし、不意を衝かれたような衝撃の告白に、ルイフォンは叫ばずにはいられなかった。
「先天性白皮症なら、髪が真っ白で、目は赤だろ? 王は淡い金髪だし、目なんか暗い感じの青だ」
ルイフォンは、喰らいつくように言い放つ。だから、色が違う、と。
しかし、彼の耳に、鋭く息を呑む音が飛び込んできた。
振り返れば、発生源は少し離れたところに座るミンウェイだった。彼女は切れ長の目を大きく見開き、同じく大きく開かれた口元を両手で覆っている。医者である彼女には、思い当たる節があるのだ。
ルイフォンの直感を肯定するかのように、〈蝿〉の低い声が響いた。
「まぁ、多くの人間がそう思い込んでいるのは知っていましたがね」
底意地の悪い顔で、皆の様子を窺っていた〈蝿〉は、わざとらしいほどに大きな溜め息を落とす。
「先天性白皮症というのは、先天的に色素が欠乏した状態を指します。色素がほとんどなければ、確かに髪は白くなり、目は血管が透けるために赤くなります。しかし、王の一族の場合は色素が『少ない』だけですから、本来の黒髪黒目から色を減らした結果、あのような容姿になるわけです」
「――!」
「付け加えて言うのなら、王の一族の顔立ちは、どう見ても、この国の人間のものです。先祖に、白金の髪と青灰色の瞳の異国人がいて、時たま先祖返りが起こる――というのでは、説明がつかないでしょう?」
「じゃあ、本当に……、先天性白皮症……」
ルイフォンは愕然と呟く。
彼は勿論、天空神フェイレンの存在など信じていなかったし、王が神の代理人を名乗るのは、単に国を統治するのに都合がよいからだと考えていた。つまり、王に神聖など、まったく感じていなかった。
それでも。
名前のつけられる症状が、王の異色の正体とは、思ってもいなかったのだ……。
ルイフォンに限らず、誰もが呆気にとられていた。〈悪魔〉の〈蛇〉の記憶を持つメイシアだけが、周りに対して、いたたまれない気持ちなのか、眉を曇らせている。
――否。同じく〈悪魔〉である〈蝿〉も、困ったような苦い顔をしていた。
「そうですね、容姿に関してだけなら、単なる先天性白皮症です。しかし、この国の王の一族が『特別』であることもまた、事実なのですよ」
「どういうことだ?」
忌々しげに言う〈蝿〉に、ルイフォンは間髪を容れずに尋ねる。
「では、この国の王の起源をお話しいたしましょう」
そうして〈蝿〉は、語り始める。
王家と、王家を影で支える〈七つの大罪〉の〈悪魔〉たちのみが知る口伝。
創世神話の裏側に秘められた、もうひとつの――真の創世神話を。
神代と呼ぶべき遥かな昔。今の王朝が誕生する以前の、古の王の時代。
この国の片隅に、先天性白皮症の者が多く生まれる隠れ里があった。閉ざされた辺境の地では自然と近親婚が多くなるために、潜性遺伝である先天性白皮症が発症しやすかったのである。
あるとき、地方の視察に来た官吏が、この里の存在に気づいた。
黒髪黒目の人間しか見たことのなかった彼は、輝く白金の髪と澄んだ青灰色の瞳を持つ人々の美しさに目を奪われた。人とは思えぬ、神秘的な姿に魅せられた彼は、これは神の使いに違いないと、ひとりの娘を連れ帰り、王に献上した。
王もまた、異色の美しさにすっかり魅了された。
更に――。
奇しくも、その時分、王都では日照りが続いており、王は頭を悩ませていた。それが、どういう偶然か、娘が王宮に来た途端、雨が降り始めたのだ。そのため、王は、娘には神秘の力があるのだと信じ込んだ。まさに、神から遣わされし者である、と。
そして、王は考えた。
神秘の力を他の者に渡してはならぬ。王である我こそが、すべてを手に入れるにふさわしい。
「異色の者をすべて捕らえよ」
王は里を攻め滅ぼした。
黒髪黒目の者は殺され、異色の者は神殿に閉じ込められた。
「このとき捕らえられた先天性白皮症の者たちが、今の王家の起源となります」
〈蝿〉は、額の汗をすっと拭いながら告げた。
顔色が悪かった。体の中を『呪い』が駆け巡っているのだろう。しかし、きちんと伝えねばという意志の力なのか、揺るぎのない発音の、よく通る声だった。
「王族の先祖は、もとは被害者的な立場だったのか……」
吐息と共に、ルイフォンはそう漏らす。王族の祖は、異色を振りかざして支配者の座にのし上がったものだとばかり思っていたため、彼としては意外な事実だった。
「ええ。随分と非道な目に遭ったようですよ」
「非道? 古の王は、彼らを『神の使い』だと信じていたんだろ? ……言い方は悪いけど、愛玩動物みたいな扱いだったとしても、彼らのことは大切に……」
ルイフォンの言葉の途中で、〈蝿〉の口角が、ぐっと上がった。その『悪魔』然とした表情の意味を察したルイフォンは眉をひそめ、視線で〈蝿〉に発言を譲る。
「古の王は、やがて、あまりにも美しい彼らは『人』ではなく、神に捧げるための『供物』であると考えるようになりました。『神事』と称して一定期間ごとにひとりずつ、彼らの四肢を切り落とし、臓腑をえぐり……。自らが神と一体化するために、搾り取った生き血を飲んでいたとか」
「……っ」
人倫にもとる残虐な行為に、吐き気がこみ上げた。
顔をしかめたルイフォンに、〈蝿〉は同情のような目を向けつつも、淡々と付け加える。
「別に、古の王に限らず、現代でも先天性白皮症には不思議な力があると信じ、彼らの体を闇市場で高値で取り引きしている国もありますよ。そういった地域では、先天性白皮症の子供がさらわれるのは勿論、大人だって突然、切りつけられ、腕などを奪われることがあるそうです。古今東西を問わず、狂った人間の考えることは変わらないものですね」
「……ともかく。虐げられた彼らが古の王朝を斃し、新たな王朝の始祖となった。それが今の王族――というわけだな」
不快な話題を切り上げようと、ルイフォンは王族の話へと水を向けた。
それに、〈蝿〉の体は、いつまで保つのか分からないのだ。端的に話をまとめたほうが、彼の負担が減るだろう。――そう思ってのことだった。
だが、当の〈蝿〉の反応は芳しくなかった。
「結論からいえば、そうですけどね」
気の早い子供をたしなめるかのような〈蝿〉の口調に、ルイフォンは、むっと鼻に皺を寄せる。
「含みのある言い方だな」
「あなたの理解が早いのは、非常に結構。私としても有難いです。――ですが、今の場合は、どうして先天性白皮症の者たちが、古の王朝を滅亡に追い込むことができたのか。その過程が大事なのです。それこそが、王族の『秘密』なのですから」
「!」
『秘密』のひとことに、ルイフォンの顔色が変わる。現金なものだと、〈蝿〉が小さく苦笑したが、構うことはない。顎をしゃくって続きを促す。
「先天性白皮症は『弱者』なのですよ。基本的には普通の人間と、なんら変わりはありませんが、彼らは色素の欠乏に起因する、ふたつの困難を抱えています」
〈蝿〉はそこで言葉を切り、皆の注目を集めるかのように、こほんと咳払いをする。
「ひとつは『肌が弱いこと』。これは皮膚で紫外線を遮断できないためで、色白の人がうまく日焼けできないのと同じ理屈です。そして、もうひとつは――」
〈蝿〉の声が、一段、低くなった。
これから話すことこそが重要なのだという、暗黙の前置きだ。
「『視力が弱いこと』。色素不足のために、網膜が光を充分に受け取ることができません。先天性白皮症の者の多くが、視力障害に悩まされているのですが、王族の一族の場合は、それが特に顕著で……」
そのとき、〈蝿〉の体が、びくりと跳ねた。
胸を押さえ、身を震わせながら、うつむく。白髪混じりの髪が落ちてきて、苦痛に歪む顔を隠すことで、彼の矜持を保とうとした。
そして彼は、うめくような声で告げる。
「男子は……必ず、……盲目となります」
それまでの明瞭な発声が嘘のように、荒い呼吸に呑み込まれていた。それでも〈蝿〉は、紛うことなく断言し、……ソファーに倒れ込んだ。
「お父様!」
ミンウェイが駆け寄る。
涙を浮かべる彼女に、〈蝿〉は脂汗で貼り付く髪を掻き上げ、地の底から這い上がってきたような壮絶な微笑を向けた。
「まだ、……大丈夫だよ。……だから、私の終幕を……見守っていておくれ……」
こめかみに浮き立った血管が、青白く脈打つ。ルイフォンは、〈蝿〉の形相に圧倒されながらも、……首をかしげていた。
王が盲目だという情報は、確かに驚きである。だが、それは〈蝿〉にこれほどの苦痛を与えるような『秘密』だろうか?
――答えは否、だ。
ならば、どういうことだろう?
そう考えたとき、はっと閃いた。
「『弱者』である先天性白皮症の彼らが、古の王を斃すなんて不可能だった。――でも、『盲目であることが原因で』、勝利を収めたんだな!?」
ルイフォンがそう言った瞬間、〈蝿〉は驚愕に目を見開き、やがてそれは破顔に変わった。
その顔を見れば、正解と決まったも同然。ルイフォンは勢いづいて言葉を重ねる。
「〈蝿〉、お前は、そう話を持っていきたかったんだな? 『盲目』に端を発する『何か』こそが、王族の『秘密』だ!」
「あなたは……理解が早く……、助かります……」
〈蝿〉は、ミンウェイに支えられるようにして起き上がった。
そして彼は、懸命に伝承を唱え、『神話』を紐解いていく――。
先天性白皮症の者たちの隠れ里を滅ぼした古の王は、神の力を手に入れた王として栄華を誇り、天寿を全うした。古の王朝は、ますます繁栄し、勢力を拡大していった。
一方、捕らえられた異色の者たちは、神殿に閉じ込められたまま世代を重ねた。
そんな、あるとき。
恐怖に震えながら『供物』となる日を待つしかない、ひとりの異色の少年は願った。
「せめて、この目が見えれば……!」
本懐は遂げられなくとも、不倶戴天の敵に一矢報いたい。
武器など手にしたこともない身の上だ。何ができるわけでもないだろう。
だからせめて、『供物』となるそのときに、憎き相手の首に食らいつきたい。同胞を食らったその肉体を、今度は自分が食らってやるのだ。――たとえ皮膚の一片しか、食いちぎることができなかったとしても。
けれど、目の見えない彼には、闇の世界の何処に敵がいるのかすらも分からない。
「我が身の周りは、どんな世界なのだ?」
彼は、『情報』を求めた。
盲目の身では、自らの力で『情報』を得ることは叶わない。
ならば、欲しい『情報』は他者から奪えばよい――。
「生物の体は不思議なものです。先天的でも後天的でも、何か足りない部位があれば、他の部位で必死に補おうとします。例えば、足が不自由なら、代わりに腕の力が鍛わったり、義足をうまく使いこなすために、本来ではない筋肉を発達させたり、とかですね」
しばらく荒い呼吸を繰り返していた〈蝿〉だが、次第に落ち着いてきた。いつもの高飛車な説明口調が戻ってきたことに、ルイフォンは安堵する。
「盲目の者は、一般の人よりも感覚が鋭敏になるといわれています。けれど、王族の祖先は、そんな程度では満足できませんでした。『正常な視覚を持つ者と、同じものを見たい』と願ったのです。だから――」
〈蝿〉は、思わせぶりに、ほんの少しの間を置いた。それから、ゆっくりと告げる。
「自分の脳を発達させて、他者の『視覚情報』を奪うことにしたんですよ」
「『視覚情報』を奪う!?」
突拍子もない〈蝿〉の発言に、ルイフォンは素っ頓狂な声を張り上げた。
すると、〈蝿〉は低く喉を鳴らし、してやったりと言わんばかりに口角を上げる。
「クラッカー〈猫〉の名を継いだあなたが、何を驚いているのです? 『欲しい情報は奪えばいい』――あなたがしていることと、まったく同じでしょう?」
〈蝿〉は愉悦に目を細め、白々しさにまみれた声色で肩をすくめた。
「はぁっ!? いや、まったく違うだろ!?」
ルイフォンは全力で反論するが、〈蝿〉は意に介さない。
それどころか、期待通りの反応に、こみ上げてくる笑いが止まらないといった素振りで小刻みに肩を揺らし始めた。先ほどまでは苦痛で体を震わせていたため、不安がよぎって心臓に悪い。
「人間の脳は、常に微弱な電気信号を発し続けています。つまり、その信号を感知できれば――要するに傍受できれば、相手が知覚した事柄の『情報』を得られます。自身は盲目でも、他人の目が見た『視覚情報』さえ手に入れば、『同じものを見た』ことになる、というわけです。だから、王族の祖先は、脳を『発達』というよりも、独自に『進化』させたのですよ」
「そんな馬鹿な! そんなことが人間にできるわけが……」
叫びかけたルイフォンを遮るように、〈蝿〉が禍々しく昏い眼光を放った。闇をまとった威圧の力に、思わず言葉を呑み込む。
「発端は、他者の『視覚情報』を感知できるようにと、脳を進化させたことでした。けれど、他人の脳の電気信号を読み解けるということは、他者の『知覚情報』全般を、ひいては『記憶情報』までもを知ることができるようになった――ということです」
「!?」
ぞわりと。本能的な嫌悪を感じた。
戦慄にも近い感覚に困惑し、だからルイフォンは、〈蝿〉の顔から血の気が失せていることに気づかなかった。
「こうして、王族の祖先は『他者の脳から、情報を奪う』能力を得たのですよ。――まさに、あなたと同じ侵入者。他者の神経回路に――『脳』に、侵入する……ね」
「――!」
ルイフォンは息を呑み、そして――。
「〈天使〉……!」
かすれた声で呟いた。
その言葉を引き出せたことに、〈蝿〉は実に満足そうに嗤った。――紫色の唇で。
「ええ、そうです……。〈天使〉は……、近代になってから、王の脳の神経細胞をもとに……、王の能力を人工的に再現……、改良されたもの……。王は……手も触れずに、情報……得られますが……、〈天使〉は羽で接続……その代わり、使い勝手が……よい。無線接続と有線接続……違いはあれど……根源は同じ……」
「…………」
「〈天使〉を知るあなたなら……、王の能力が真実だと……、信じられましたね……?」
「……ああ」
「これが…………王族の『秘密』……。王は……、他者の……記憶を……読み取れます……。創世神話の通り……でしょう? 王は……『地上のあらゆることを見通す瞳』を……持つ……」
皮肉げにそう告げると、〈蝿〉の体は、ぐらりとかしいだ。
支えようとしたミンウェイの手よりも早く、前のめりに体がふたつに折れる。
「〈蝿〉!?」
「ルイフォン……。あなたにとって、〈天使〉は……特別。気になる……でしょう。……ですが、〈天使〉については、……あとで、セレイエの記憶を持つメイシアに……。ここまで私……話せば……大丈夫。それより……、私の口からは……、王族と鷹刀の関係について……話しておきたい……」
全身を痙攣させながら、〈蝿〉は地底から響くような声で告げた。
「お父様……!」
ミンウェイは床に膝を付き、下から〈蝿〉の顔を覗き込む。
〈蝿〉は、わずかに顔を上げ、震える手で彼女の頭を撫でた。そして、歯を食いしばり、よろよろと体を起こす。
「横になってください!」
悲鳴を上げるミンウェイに〈蝿〉は微笑み、白衣の内ポケットから注射器を取り出した。
「!?」
皆が困惑する中、彼は長袖の腕をまくろうとし……、急に、何かを閃いたかのように口の端を上げて、白衣を脱ぎ捨てた。
勢いよく放り投げられた白衣は、煌々としたシャンデリアの光を遮り、黒い影となる。
それはまるで、彼が悪魔の黒い翼を捨て去ったかのよう――。
〈蝿〉は改めて、下に着ていたシャツの腕をめくり、自分の腕に注射針を刺す。
「お父様、何を!?」
「鎮痛剤……だよ。……麻薬……ともいうけど……ね」
だらだらと額から汗を流しながらも、〈蝿〉は楽しそうに軽口を叩く。
「幸い、この『私』の体は、……オリジナルと違って、毒も薬もよく効く……。まさか、そんなことを有難いと……思う日が来るとは……」
顔色は戻らぬものの、痛みが収まってきたのか、〈蝿〉は大きく息を吐いた。ゆっくりとした呼吸を繰り返したのちに、彼は皆と正面から向き合う。
「鷹刀についてだけは、どうしても私の口から話しておきたいのですよ」
そして彼は、一点に向かって深く頭を垂れた。
彼が認めた次代の一族の担い手、リュイセンへと――。
「私は、鷹刀の者であるのだから」
この場で〈蝿〉が嘘を言う理由など、あろうはずもない。しかし、不意を衝かれたような衝撃の告白に、ルイフォンは叫ばずにはいられなかった。
「先天性白皮症なら、髪が真っ白で、目は赤だろ? 王は淡い金髪だし、目なんか暗い感じの青だ」
ルイフォンは、喰らいつくように言い放つ。だから、色が違う、と。
しかし、彼の耳に、鋭く息を呑む音が飛び込んできた。
振り返れば、発生源は少し離れたところに座るミンウェイだった。彼女は切れ長の目を大きく見開き、同じく大きく開かれた口元を両手で覆っている。医者である彼女には、思い当たる節があるのだ。
ルイフォンの直感を肯定するかのように、〈蝿〉の低い声が響いた。
「まぁ、多くの人間がそう思い込んでいるのは知っていましたがね」
底意地の悪い顔で、皆の様子を窺っていた〈蝿〉は、わざとらしいほどに大きな溜め息を落とす。
「先天性白皮症というのは、先天的に色素が欠乏した状態を指します。色素がほとんどなければ、確かに髪は白くなり、目は血管が透けるために赤くなります。しかし、王の一族の場合は色素が『少ない』だけですから、本来の黒髪黒目から色を減らした結果、あのような容姿になるわけです」
「――!」
「付け加えて言うのなら、王の一族の顔立ちは、どう見ても、この国の人間のものです。先祖に、白金の髪と青灰色の瞳の異国人がいて、時たま先祖返りが起こる――というのでは、説明がつかないでしょう?」
「じゃあ、本当に……、先天性白皮症……」
ルイフォンは愕然と呟く。
彼は勿論、天空神フェイレンの存在など信じていなかったし、王が神の代理人を名乗るのは、単に国を統治するのに都合がよいからだと考えていた。つまり、王に神聖など、まったく感じていなかった。
それでも。
名前のつけられる症状が、王の異色の正体とは、思ってもいなかったのだ……。
ルイフォンに限らず、誰もが呆気にとられていた。〈悪魔〉の〈蛇〉の記憶を持つメイシアだけが、周りに対して、いたたまれない気持ちなのか、眉を曇らせている。
――否。同じく〈悪魔〉である〈蝿〉も、困ったような苦い顔をしていた。
「そうですね、容姿に関してだけなら、単なる先天性白皮症です。しかし、この国の王の一族が『特別』であることもまた、事実なのですよ」
「どういうことだ?」
忌々しげに言う〈蝿〉に、ルイフォンは間髪を容れずに尋ねる。
「では、この国の王の起源をお話しいたしましょう」
そうして〈蝿〉は、語り始める。
王家と、王家を影で支える〈七つの大罪〉の〈悪魔〉たちのみが知る口伝。
創世神話の裏側に秘められた、もうひとつの――真の創世神話を。
神代と呼ぶべき遥かな昔。今の王朝が誕生する以前の、古の王の時代。
この国の片隅に、先天性白皮症の者が多く生まれる隠れ里があった。閉ざされた辺境の地では自然と近親婚が多くなるために、潜性遺伝である先天性白皮症が発症しやすかったのである。
あるとき、地方の視察に来た官吏が、この里の存在に気づいた。
黒髪黒目の人間しか見たことのなかった彼は、輝く白金の髪と澄んだ青灰色の瞳を持つ人々の美しさに目を奪われた。人とは思えぬ、神秘的な姿に魅せられた彼は、これは神の使いに違いないと、ひとりの娘を連れ帰り、王に献上した。
王もまた、異色の美しさにすっかり魅了された。
更に――。
奇しくも、その時分、王都では日照りが続いており、王は頭を悩ませていた。それが、どういう偶然か、娘が王宮に来た途端、雨が降り始めたのだ。そのため、王は、娘には神秘の力があるのだと信じ込んだ。まさに、神から遣わされし者である、と。
そして、王は考えた。
神秘の力を他の者に渡してはならぬ。王である我こそが、すべてを手に入れるにふさわしい。
「異色の者をすべて捕らえよ」
王は里を攻め滅ぼした。
黒髪黒目の者は殺され、異色の者は神殿に閉じ込められた。
「このとき捕らえられた先天性白皮症の者たちが、今の王家の起源となります」
〈蝿〉は、額の汗をすっと拭いながら告げた。
顔色が悪かった。体の中を『呪い』が駆け巡っているのだろう。しかし、きちんと伝えねばという意志の力なのか、揺るぎのない発音の、よく通る声だった。
「王族の先祖は、もとは被害者的な立場だったのか……」
吐息と共に、ルイフォンはそう漏らす。王族の祖は、異色を振りかざして支配者の座にのし上がったものだとばかり思っていたため、彼としては意外な事実だった。
「ええ。随分と非道な目に遭ったようですよ」
「非道? 古の王は、彼らを『神の使い』だと信じていたんだろ? ……言い方は悪いけど、愛玩動物みたいな扱いだったとしても、彼らのことは大切に……」
ルイフォンの言葉の途中で、〈蝿〉の口角が、ぐっと上がった。その『悪魔』然とした表情の意味を察したルイフォンは眉をひそめ、視線で〈蝿〉に発言を譲る。
「古の王は、やがて、あまりにも美しい彼らは『人』ではなく、神に捧げるための『供物』であると考えるようになりました。『神事』と称して一定期間ごとにひとりずつ、彼らの四肢を切り落とし、臓腑をえぐり……。自らが神と一体化するために、搾り取った生き血を飲んでいたとか」
「……っ」
人倫にもとる残虐な行為に、吐き気がこみ上げた。
顔をしかめたルイフォンに、〈蝿〉は同情のような目を向けつつも、淡々と付け加える。
「別に、古の王に限らず、現代でも先天性白皮症には不思議な力があると信じ、彼らの体を闇市場で高値で取り引きしている国もありますよ。そういった地域では、先天性白皮症の子供がさらわれるのは勿論、大人だって突然、切りつけられ、腕などを奪われることがあるそうです。古今東西を問わず、狂った人間の考えることは変わらないものですね」
「……ともかく。虐げられた彼らが古の王朝を斃し、新たな王朝の始祖となった。それが今の王族――というわけだな」
不快な話題を切り上げようと、ルイフォンは王族の話へと水を向けた。
それに、〈蝿〉の体は、いつまで保つのか分からないのだ。端的に話をまとめたほうが、彼の負担が減るだろう。――そう思ってのことだった。
だが、当の〈蝿〉の反応は芳しくなかった。
「結論からいえば、そうですけどね」
気の早い子供をたしなめるかのような〈蝿〉の口調に、ルイフォンは、むっと鼻に皺を寄せる。
「含みのある言い方だな」
「あなたの理解が早いのは、非常に結構。私としても有難いです。――ですが、今の場合は、どうして先天性白皮症の者たちが、古の王朝を滅亡に追い込むことができたのか。その過程が大事なのです。それこそが、王族の『秘密』なのですから」
「!」
『秘密』のひとことに、ルイフォンの顔色が変わる。現金なものだと、〈蝿〉が小さく苦笑したが、構うことはない。顎をしゃくって続きを促す。
「先天性白皮症は『弱者』なのですよ。基本的には普通の人間と、なんら変わりはありませんが、彼らは色素の欠乏に起因する、ふたつの困難を抱えています」
〈蝿〉はそこで言葉を切り、皆の注目を集めるかのように、こほんと咳払いをする。
「ひとつは『肌が弱いこと』。これは皮膚で紫外線を遮断できないためで、色白の人がうまく日焼けできないのと同じ理屈です。そして、もうひとつは――」
〈蝿〉の声が、一段、低くなった。
これから話すことこそが重要なのだという、暗黙の前置きだ。
「『視力が弱いこと』。色素不足のために、網膜が光を充分に受け取ることができません。先天性白皮症の者の多くが、視力障害に悩まされているのですが、王族の一族の場合は、それが特に顕著で……」
そのとき、〈蝿〉の体が、びくりと跳ねた。
胸を押さえ、身を震わせながら、うつむく。白髪混じりの髪が落ちてきて、苦痛に歪む顔を隠すことで、彼の矜持を保とうとした。
そして彼は、うめくような声で告げる。
「男子は……必ず、……盲目となります」
それまでの明瞭な発声が嘘のように、荒い呼吸に呑み込まれていた。それでも〈蝿〉は、紛うことなく断言し、……ソファーに倒れ込んだ。
「お父様!」
ミンウェイが駆け寄る。
涙を浮かべる彼女に、〈蝿〉は脂汗で貼り付く髪を掻き上げ、地の底から這い上がってきたような壮絶な微笑を向けた。
「まだ、……大丈夫だよ。……だから、私の終幕を……見守っていておくれ……」
こめかみに浮き立った血管が、青白く脈打つ。ルイフォンは、〈蝿〉の形相に圧倒されながらも、……首をかしげていた。
王が盲目だという情報は、確かに驚きである。だが、それは〈蝿〉にこれほどの苦痛を与えるような『秘密』だろうか?
――答えは否、だ。
ならば、どういうことだろう?
そう考えたとき、はっと閃いた。
「『弱者』である先天性白皮症の彼らが、古の王を斃すなんて不可能だった。――でも、『盲目であることが原因で』、勝利を収めたんだな!?」
ルイフォンがそう言った瞬間、〈蝿〉は驚愕に目を見開き、やがてそれは破顔に変わった。
その顔を見れば、正解と決まったも同然。ルイフォンは勢いづいて言葉を重ねる。
「〈蝿〉、お前は、そう話を持っていきたかったんだな? 『盲目』に端を発する『何か』こそが、王族の『秘密』だ!」
「あなたは……理解が早く……、助かります……」
〈蝿〉は、ミンウェイに支えられるようにして起き上がった。
そして彼は、懸命に伝承を唱え、『神話』を紐解いていく――。
先天性白皮症の者たちの隠れ里を滅ぼした古の王は、神の力を手に入れた王として栄華を誇り、天寿を全うした。古の王朝は、ますます繁栄し、勢力を拡大していった。
一方、捕らえられた異色の者たちは、神殿に閉じ込められたまま世代を重ねた。
そんな、あるとき。
恐怖に震えながら『供物』となる日を待つしかない、ひとりの異色の少年は願った。
「せめて、この目が見えれば……!」
本懐は遂げられなくとも、不倶戴天の敵に一矢報いたい。
武器など手にしたこともない身の上だ。何ができるわけでもないだろう。
だからせめて、『供物』となるそのときに、憎き相手の首に食らいつきたい。同胞を食らったその肉体を、今度は自分が食らってやるのだ。――たとえ皮膚の一片しか、食いちぎることができなかったとしても。
けれど、目の見えない彼には、闇の世界の何処に敵がいるのかすらも分からない。
「我が身の周りは、どんな世界なのだ?」
彼は、『情報』を求めた。
盲目の身では、自らの力で『情報』を得ることは叶わない。
ならば、欲しい『情報』は他者から奪えばよい――。
「生物の体は不思議なものです。先天的でも後天的でも、何か足りない部位があれば、他の部位で必死に補おうとします。例えば、足が不自由なら、代わりに腕の力が鍛わったり、義足をうまく使いこなすために、本来ではない筋肉を発達させたり、とかですね」
しばらく荒い呼吸を繰り返していた〈蝿〉だが、次第に落ち着いてきた。いつもの高飛車な説明口調が戻ってきたことに、ルイフォンは安堵する。
「盲目の者は、一般の人よりも感覚が鋭敏になるといわれています。けれど、王族の祖先は、そんな程度では満足できませんでした。『正常な視覚を持つ者と、同じものを見たい』と願ったのです。だから――」
〈蝿〉は、思わせぶりに、ほんの少しの間を置いた。それから、ゆっくりと告げる。
「自分の脳を発達させて、他者の『視覚情報』を奪うことにしたんですよ」
「『視覚情報』を奪う!?」
突拍子もない〈蝿〉の発言に、ルイフォンは素っ頓狂な声を張り上げた。
すると、〈蝿〉は低く喉を鳴らし、してやったりと言わんばかりに口角を上げる。
「クラッカー〈猫〉の名を継いだあなたが、何を驚いているのです? 『欲しい情報は奪えばいい』――あなたがしていることと、まったく同じでしょう?」
〈蝿〉は愉悦に目を細め、白々しさにまみれた声色で肩をすくめた。
「はぁっ!? いや、まったく違うだろ!?」
ルイフォンは全力で反論するが、〈蝿〉は意に介さない。
それどころか、期待通りの反応に、こみ上げてくる笑いが止まらないといった素振りで小刻みに肩を揺らし始めた。先ほどまでは苦痛で体を震わせていたため、不安がよぎって心臓に悪い。
「人間の脳は、常に微弱な電気信号を発し続けています。つまり、その信号を感知できれば――要するに傍受できれば、相手が知覚した事柄の『情報』を得られます。自身は盲目でも、他人の目が見た『視覚情報』さえ手に入れば、『同じものを見た』ことになる、というわけです。だから、王族の祖先は、脳を『発達』というよりも、独自に『進化』させたのですよ」
「そんな馬鹿な! そんなことが人間にできるわけが……」
叫びかけたルイフォンを遮るように、〈蝿〉が禍々しく昏い眼光を放った。闇をまとった威圧の力に、思わず言葉を呑み込む。
「発端は、他者の『視覚情報』を感知できるようにと、脳を進化させたことでした。けれど、他人の脳の電気信号を読み解けるということは、他者の『知覚情報』全般を、ひいては『記憶情報』までもを知ることができるようになった――ということです」
「!?」
ぞわりと。本能的な嫌悪を感じた。
戦慄にも近い感覚に困惑し、だからルイフォンは、〈蝿〉の顔から血の気が失せていることに気づかなかった。
「こうして、王族の祖先は『他者の脳から、情報を奪う』能力を得たのですよ。――まさに、あなたと同じ侵入者。他者の神経回路に――『脳』に、侵入する……ね」
「――!」
ルイフォンは息を呑み、そして――。
「〈天使〉……!」
かすれた声で呟いた。
その言葉を引き出せたことに、〈蝿〉は実に満足そうに嗤った。――紫色の唇で。
「ええ、そうです……。〈天使〉は……、近代になってから、王の脳の神経細胞をもとに……、王の能力を人工的に再現……、改良されたもの……。王は……手も触れずに、情報……得られますが……、〈天使〉は羽で接続……その代わり、使い勝手が……よい。無線接続と有線接続……違いはあれど……根源は同じ……」
「…………」
「〈天使〉を知るあなたなら……、王の能力が真実だと……、信じられましたね……?」
「……ああ」
「これが…………王族の『秘密』……。王は……、他者の……記憶を……読み取れます……。創世神話の通り……でしょう? 王は……『地上のあらゆることを見通す瞳』を……持つ……」
皮肉げにそう告げると、〈蝿〉の体は、ぐらりとかしいだ。
支えようとしたミンウェイの手よりも早く、前のめりに体がふたつに折れる。
「〈蝿〉!?」
「ルイフォン……。あなたにとって、〈天使〉は……特別。気になる……でしょう。……ですが、〈天使〉については、……あとで、セレイエの記憶を持つメイシアに……。ここまで私……話せば……大丈夫。それより……、私の口からは……、王族と鷹刀の関係について……話しておきたい……」
全身を痙攣させながら、〈蝿〉は地底から響くような声で告げた。
「お父様……!」
ミンウェイは床に膝を付き、下から〈蝿〉の顔を覗き込む。
〈蝿〉は、わずかに顔を上げ、震える手で彼女の頭を撫でた。そして、歯を食いしばり、よろよろと体を起こす。
「横になってください!」
悲鳴を上げるミンウェイに〈蝿〉は微笑み、白衣の内ポケットから注射器を取り出した。
「!?」
皆が困惑する中、彼は長袖の腕をまくろうとし……、急に、何かを閃いたかのように口の端を上げて、白衣を脱ぎ捨てた。
勢いよく放り投げられた白衣は、煌々としたシャンデリアの光を遮り、黒い影となる。
それはまるで、彼が悪魔の黒い翼を捨て去ったかのよう――。
〈蝿〉は改めて、下に着ていたシャツの腕をめくり、自分の腕に注射針を刺す。
「お父様、何を!?」
「鎮痛剤……だよ。……麻薬……ともいうけど……ね」
だらだらと額から汗を流しながらも、〈蝿〉は楽しそうに軽口を叩く。
「幸い、この『私』の体は、……オリジナルと違って、毒も薬もよく効く……。まさか、そんなことを有難いと……思う日が来るとは……」
顔色は戻らぬものの、痛みが収まってきたのか、〈蝿〉は大きく息を吐いた。ゆっくりとした呼吸を繰り返したのちに、彼は皆と正面から向き合う。
「鷹刀についてだけは、どうしても私の口から話しておきたいのですよ」
そして彼は、一点に向かって深く頭を垂れた。
彼が認めた次代の一族の担い手、リュイセンへと――。
「私は、鷹刀の者であるのだから」