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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.白蓮華と黒装束-2
 招かれざる客の気配に、リュイセンはバルコニーから庭へと飛び降りた。

 小走りで門までやってきて、鉄格子越しに、相手の姿を認める。その瞬間、彼は固まった。

 ――なんだ、あれは?

 美麗な顔を歪め、リュイセンは眉間に皺を寄せる。

 顔を隠した、黒づくめの小柄な女だった。明らかに不審人物である。

 それにも関わらず、強面こわもての門衛たちが、彼女を囲んで和気あいあいと盛り上がっていたのだ。

 ……わけが分からない。

「何があった?」

 狼狽するリュイセンに、若い門衛が嬉しそうに答える。

「リュイセン様! 彼女はメイシアの貴族シャトーア時代の友達で、お忍びで会いにきてくれたそうっすよ」 

「は? メイシアの『友達』……?」

 友達の話なんて、聞いたことがない。

 もっとも、リュイセンにとってメイシアは身内ではあるが、あくまでも弟分のパートナー。彼女の個人的なことは、知らなくても不思議ではない。貴族シャトーア時代のことともなれば、なおさらだ。

 ……だが、いくらお忍びだからといって、その格好はないだろう?

 箱入り娘のメイシアは、確かに妙なところで世間知らずだが、貴族シャトーアであったころから常識人だった。その友達が、こんなおかしな女でよいのだろうか……?

「お前、本当に、メイシアの友達か?」

 困惑の面持ちで、リュイセンが問うたときだった。

「リュイセン!」

 まるで、天界の琴を、ぽん、と弾いたかのような、美しい音色。

 リュイセンは、自分の名前が天上の音楽となって、高らかに響き渡ったように聞こえた。

 感動にも似た衝撃は、しかし、その直後に、驚愕に取って代わられる。

「会いたかったわ!」

 巨漢の門衛たちの間をすり抜け、少女が門へと駆け寄った。ふたりを隔てる鉄格子を握りしめ、精いっぱいの爪先立つまさきだちで、リュイセンに詰め寄る。

「なっ……!?」

 千の敵を前にしても、決してひるむことのないリュイセンが、小柄な少女ひとりに狼狽うろたえた。

 それと同時に、得心したとばかりの、門衛たちの視線が突き刺さる。

「これは、これは……」

「そういうことっすかぁ」

「リュイセン様も、隅に置けませんなぁ」

 門衛たちは口々に好き勝手なことを言い、にやにやと目元を緩ませた。この少女とリュイセンは、メイシアを通して既に顔馴染みであり、かなり『親しい』間柄であるのだと、すっかり信じ込んでいる。

「お、おいっ!? お前らっ!」

 リュイセンは殺気をにじませ、焦りに眉を跳ね上げる。変な誤解をされては、たまったものではない。

 きちんと弁明を――と思ったとき、彼は自分を見上げている少女が、黒いパーカーにうずもれるように身を縮こめていることに気づいた。

 しまった……!

 リュイセンは、自分の体格ガタイのよさを自覚している。また、血族特有の低音で怒声を飛ばせば、必要以上の威圧を与えることも理解していた。

 そして、彼は生真面目で、礼儀正しい男だった。いついかなるときでも、か弱き少女を怖がらせてはならないのである。

「すまん!」

「ごめんなさい!」

 神速で発した魅惑の低音に、妙なる天界の音色が重なった。

 綺麗な和音となった、ふたつの謝罪。

 その響きに、リュイセンは虚をかれた。はっと気づいたときには、目の前の鉄格子から黒い手袋が離れており、少女が、くるりと身を翻している。

 理由は分からない。ただ、恐れを知らぬ猛者であるはずのリュイセンが後れを取った、という事実だけが残った。

 彼女は門衛たちへと走り寄り、「違うの!」と、訴えるように叫ぶ。黒づくめの服装の中で、唯一、色彩を持った青いスカートが、さざなみのように流れた。

「なんだぁ、嬢ちゃん。違うのか?」

 やや不満げに、門衛たちは拍子抜けした声を上げた。

 それでも、どことなく顔がにやけているのは、長年、想い続けてきたミンウェイを送り出したばかりのリュイセンには、その気はなくとも、彼女のほうは、まんざらでもないのだと期待しているためだろう。

「あのっ、……ごめんなさい」

「そうかぁ、残念だなぁ」

 口では、そう言っていても、目元は楽しげに細められたままである。ミンウェイを失った傷心の今が好機チャンスだと、少女を応援しているのだ。

「いやぁ。てっきり、リュイセン様は……ああ、いえいえ!」

 なおも変わらぬ調子の門衛たちに、リュイセンは、ひと睨みする。すると、彼らは縮み上がるような素振りで、ぶるぶると首を振ってみせた。――勿論、演技おふざけであるが。

 ……まったく。

 苦虫を噛み潰したような顔で、リュイセンは改めて少女を見やる。

 よくよく観察してみれば、外見こそ不審者そのものであるが、彼女から悪意の類は感じられない。言動は謎であるが、とても素直で、まっすぐな気質が伝わってくる。

 ともあれ、これから、ゆっくり事情を聞かせてもらうか。

 リュイセンが「おい」と、少女に声を掛けたときだった。

「でも、リュイセンに会えて、本当に嬉しいわ!」

「……は?」

 声を弾ませる彼女に、リュイセンの思考が止まる。ほうけた視界の端に、門衛たちのしたり顔が映り込む。

 誓ってもいい。

 彼女とは、初対面だ。

 いくら顔を隠していても、気配にさといリュイセンが、知り合いに気づかないはずがない。――だが、彼女のほうは、知っている……?

 ――何者だ?

 門にたどり着く前、『ユイランさんに取り次いでもらおうと思った』と言う声を、風の中に聞いた。

『本当は『このお屋敷に、極秘に匿われている人』に会いにきたの!』――と。

 彼女が嘘をついているようには思えない。母の知り合いであるのは本当だろう。

 仕立て屋として、母は上流階級にも顔が広い。メイシアの友達かどうかはさておき、貴族シャトーアであることは信じてもいい。むしろ、この傍迷惑はためいわくなまでもの無邪気マイペースさは、平民バイスアというよりも貴族シャトーアだ。

 彼女は、誰に会いにきた?

 貴族シャトーアの少女が凶賊ダリジィンの屋敷に、いったい、なんの用がある?

 まるで、メイシアが鷹刀一族のもとへ舞い込んできたときのようだ。それは、すなわち、波乱の幕開けだ。

 リュイセンは渋面を作った。

 この少女自身は、無害な存在といえるだろう。まとう空気が、まるきり『素人』のそれだ。ならば、彼女はメイシアのように騙されて、陰謀を企む輩の駒にされているのか?

 彼は周囲の気配を探る。彼女を見張っている者がいないかと、警戒したのだ。

 ……いない、か。

 そう結論づけたときだった。

 不意に、リュイセンの耳が携帯端末の振動音を捕らえた。音の先では、最年長の門衛が、ふところから携帯端末を出しているところだった。

「あ、はい! 今、替わります」

 門衛は、かしこまった返事をすると、鉄格子越しにリュイセンに端末を差し出す。

「イーレオ様からです。リュイセン様に替わるようにと」

「祖父上が……?」

 門の様子は、常にモニタ監視室から目を光らせている。不穏な動きがあれば、すぐに総帥イーレオに報告されるので、門衛の携帯端末に連絡が来ても不思議ではない。

 しかし、どうして自分に?

 疑問に思いながら、リュイセンが端末を受け取ると、イーレオの低音が響いた。

『リュイセン、その子を執務室まで案内しろ。――丁重にな』

「は? こんな不審な者をどうし……」

 総帥の発言とも思えぬ指示に、リュイセンは反論し、その途中で、弾かれたような笑い声に遮られた。

「祖父上!?」

『彼女の言動に、俺が魅了されたからに決まっているだろう?』

 電話越しに、くつくつと喉を鳴らす音が続いている。それにかぶさるように、呆れ返ったような、冷ややかな低音が届いた。

『お前はまだ、その者が何者であるか、理解していないのか?』

 イーレオではない。父のエルファンだ。同じ声質でも、温度が違う。執務室から、ふたりでスピーカーを使って話しているのだろう。

「……」

 リュイセンは唇を噛みしめた。

 少女の正体を見抜けぬ自分は、聡明さに欠ける。不甲斐ないと思われている。――祖父にも、父にも。

「リュイセン……?」

 少女が遠慮がちに近づいてきて、気遣うような音色を奏でた。

「イーレオさんは、なんて言ったの? 怒られている?」

「あ、いや……」

「私のせいでしょう? 私が、いきなり押しかけてきたから。――ごめんなさい。リュイセンは、何も悪くないのに……」

 ぐっと背伸びして、サングラスの視線が心配そうに、リュイセンの顔を覗き込む。

 妙に親しげな距離感と、なのに決して不快ではないという矛盾。

 リュイセンは困惑し……、はっと現実に戻って、「違う」と首を振った。

「俺が未熟なだけだ」

「?」

 少女が、きょとんと首をかしげる。はずみで、目深まぶかかぶっていた黒いフードが、ふわりと風に浮き立った。



 ――――!



 その瞬間、リュイセンは、切れ長のまなこを大きく見開いた。

 神速の勢いで、携帯端末を持っていないほうの手を伸ばし、鉄格子の隙間から彼女のフードを乱暴に元に戻す。

 ――しかと見た。

 フードの下からこぼれかけた、白金の煌めきを。

 いくら鈍いリュイセンでも、少女の正体をはっきりと悟った。

 女王だ。

 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、この国の王。創世神話にうたわれし、天空神フェイレンの代理人。

 超大物じゃねぇか――!

 リュイセンの鼓動が、早鐘を打つ。

 フードがずれたのは、ほんの一瞬。背中を向けていた門衛たちには、間一髪、気づかれなかったはずだ。

 凶賊ダリジィンの屋敷に女王が現れたとなれば、ただごとでは済まない。部下たちに隠しごとをするのは心苦しいが、できるだけ内密に、そして、穏便に対処すべき案件だろう。

 黄金比の美貌が歪み、リュイセンの眉間に苦悩の皺が寄る。

 彼女が女王であるならば、異様な服装にも納得がいく。

 黒づくめは、ひと目で素性の分かる容姿を隠すのと同時に、極端に日光に弱いという、先天性白皮症アルビノの肌を守るためだ。

 祖父や父は、すぐに思い至ったのだろう。

 何しろ、つい最近、王宮に乗り込んでいったルイフォンの報告書の中で、女王は『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』に関わる重要人物として、名を挙げられていたのだから。

 王の威厳の欠片もなく、限りなく頼りないと評されていた彼女に、凶賊ダリジィンの屋敷を訪れる行動力があったことには驚きであるが、注視しておくべき相手だった。白金の髪を見るまで気づかぬとは、父たちに呆れられても仕方あるまい。赤面の至りだ。

 では、彼女はなんのために、鷹刀一族の屋敷を訪れた?

 門衛たちの言う通り、メイシアに会いにきたのか?

 違う。

 女王とメイシアは再従姉妹はとこの間柄にあるが、特に親しくはなかったと聞いている。



 ――『ライシェン』だ。



 リュイセンは、ごくりと唾を呑む。

 女王は、『ライシェン』に会いにきたんだ……。

「リュイセン?」

 フードを直したきり、押し黙ってしまったリュイセンを、女王が不思議そうに見上げた。身長差のために、ぐっと大きく、おとがいを上げて――。

「ば、馬鹿野郎!」

 再び脱げかけたフードに向かって、リュイセンは慌てて手を伸ばす。

 大きな掌で、しっかりと頭を押さえ込み、長い腕で、鉄格子越しに彼女を引き寄せる。

 ……その結果。

「きゃぁっ!?」

 リュイセンの胸元に抱きかかえられる形となった女王が悲鳴を上げ、門衛たちが「おおっ」と色めきだった。

「勘違いするな! こいつは、顔を見られるわけにはいかねぇんだ!」

 はっ、と我に返り、リュイセンは大声で怒鳴りつける。

 しかし、あとの祭りであった。

 門衛たちは「ああ、そうですか。そうですよねぇ」と、もっともらしく深々と頷くものの、その口ぶりから、リュイセンの言葉をまったく信じていないのは明らかだった。

 リュイセンは忌々いまいましげに舌打ちをすると、女王に告げる。

「総帥が、お前を呼んでいる。案内するから、ついてこい」

 乱暴に言い捨て、けれど、フードから手を離すときには、優しく慎重であるところが、如何いかにもリュイセンである。

 彼は鉄格子の門を開けた。携帯端末を門衛に返し、女王を招き入れる。

 総帥イーレオに呼ばれたと聞いて、女王は緊張しているようであった。顔は見えなくとも、リュイセンには息遣いで分かる。

 それでも彼女は、くるりと門衛たちを振り返り、明るい天上の音楽を奏でた。

「いろいろ、親切にありがとう! 詳しいことを言えなくて、ごめんなさい」

「嬢ちゃん、あんた、いい子だなぁ」

「頑張れよ!」

 門衛の意図する『頑張る』の意味を理解していない女王は、「はい!」と、無邪気に手を振って応えた。

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