残酷な描写あり
R-15
魔剣の村(3)
魔剣に守られたレニウムでも、城壁に夜通しの見張りをする慣習は残っていた。
監視室は城壁の上階に位置し、交替で村人たちが番をする。今宵もランプで照らされた室内には二人の男がいた。
「ライネスのやつ、いつまでもつだろうな」
頬髭をたくわえた男が言った。
「さあな、そろそろくたばっちまうって話だが」
かぎ鼻の男が返した。
「とうとうおかしくなっちまって、ガキの次に嫁さんまでやっちまったってな。かわいそうになあ」
話す内容のわりに、かぎ鼻の口調に悲壮感はなかった。むしろ、面白がるような響きがあった。
「あいつぁ馬鹿だよ。魔剣に手を出しちまったうえに、ずっと手放さねぇなんて」
頬髭の男が煙草をくゆらせた。安い紙巻きを咥えた口角は、少しつり上がっていた。
「馬鹿だから、魔剣を押しつけられたのにも気付いてねぇし、狩ったモンスターを安く買い叩かれてもにこにこしてやがる。めでてぇことで」
「全く、能なしの使い方としちゃあ上等ってもんだ」
がははは、と狭い部屋の中で声が響いた。
「おっと、そろそろ奴が来る時間だ」
かぎ鼻の男が声を潜めた。
程なくして、かんかん、と軽い音が下から聞こえた。
「お、きたきた」
頬髭の男が村の方に開いた窓から下をのぞき込んだ。
城壁の通用口に、剣を背負った人影が立っていた。
おそらくライネスだろうと、頬髭はいつも通りにレバーを操作した。
金属が擦れ回転する音を立てて、細い跳ね橋が堀の上に渡された。橋の幅は人がすれ違える程度だが、踏み外せば真っ逆さまに落ちる場所で挑戦する輩はそういない。
架けられた橋に反応して、村の外の空気が少しざわついた。
外地の平原の遙か遠くで獣の吠える声が聞こえた。
「さてさて、今夜もお勤めご苦労さんっと……ん?」
安全な城壁の中でぬくぬくといつもの仕事をこなしたかぎ鼻の男が堀へと目を向け、そこでようやく異変に気付いた。
跳ね橋の上に人影は現れなかった。普段なら、とっくに渡ってモンスターを狩り始めているはずだった。
「よう」
突然かけられた声に、二人はびくっとして振り返った。
監視室の出入り口、階下へと続く石の階段の最上段より一つ下に、黒い影が立っていた。
ランプのゆらめく灯りに照らされてなお深く沈んだ闇色の外套姿、そして深くフードをかぶっていては正体に見当もつかない。
しかし、その背に負った両手剣は二人にとって見覚えがあるものだった。
「お前、何者だ」
「テメェらそんなの気にしたことあったかよ。今さら俺の名前なんて」
黒ずくめの人物は肩を竦めた。声は女のようにも、若い男のようにも聞こえた。吐く言葉には嘲り見下した雰囲気があり、差し向けた相手の心をざらりと毛羽立たせる。
同時に、とてつもなく嫌な予感をかぎ鼻の男は感じていた。
「なんで魔剣を持ってやがる」
「魔剣なんざ外地じゃ珍しくねぇだろ。別にコイツが一振り持ってよーがテメェに許可なんかいるか? ま、テメェが言いたいのはそういうことじゃねぇってのは、馬鹿でも分かるってか、馬鹿だからそれしか言えねぇよな」
だってテメェら俺の名前知らねぇもんな、と黒ずくめの口元がつり上がった。
「俺は今夜村を出ることにしたから挨拶に来ただけだぜ」
「やっぱりお前……っ! ライネスはどうした!」
頬髭の男が怒鳴った。黒ずくめに詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。黒ずくめの身体は見た目よりも細く、無抵抗でぐいと持ち上がった。
「死んだよ。俺らとテメェらが殺した」
フードの下から覗く目は宝石の色をしていた。底知れない新緑色に、人間らしい色は一切のっていなかった。
「ついでにテメェも死んどけ」
いつの間にか、頬髭の男の腹に黒い刃が刺さっていた。
刃は雑に斜めに背中を貫通し、捻りをつけて振り抜かれるだけで肩までばっくりと割れた。
天井まで届く血しぶきに、かぎ鼻の男は銃を手にしたまま呆気にとられた。ぽかんと口を開けたまま、額をすとんと血塗れの刃が通る。
二つの死体がべちゃりと崩れおちた。
「あ、やっべ汚しすぎた」
黒ずくめは服にべっとりと付着した血を見て渋い顔になった。
「やっぱノリと勢いでやると碌なことねぇな」
ぶつぶつ言いながら黒ずくめは村側の窓から身を乗り出した。
「終わったぜー」
地上に向かって声を投げると、物陰から人が現れた。
荷物を二つ抱え、さらに大口径の長銃を肩に掛けた女――リンだった。
黒ずくめがにっと笑い、窓枠にかろやかに跳びのる。さらに跳躍。
黒い外套をはためかせて、危なげなくリンの近くに降り立った。
着地の勢いでフードがぱさりと落ちた。
「細い割には結構丈夫じゃねぇか。しかもすげぇよく魂が馴染むいい身体だし。背がもう少し高けりゃ、言う事なしなんだけどなぁ」
リーフの顔で、満足そうに魔剣が笑った。
◇ ◆ ◇
――怪我させちまったし、未来の契約者に免じて手助けしてやろうじゃねぇか。ちょっと身体貸せよ。
城壁に近づいた辺りで、魔剣がリーフとリンを止めて言った。
魔剣の言葉はどこまでも横暴で、リーフは突然足下が抜けたような感覚に襲われた。
身体の感覚を剥ぎ取られ、水底に突き落とされたように全てが――切られた腕の痛みさえも鈍化した。
足掻くことなく落ちた先で、暗闇に完全に飲まれる前に引っかかって意識が宙ぶらりんになる。
寝ぼけて前後不覚のまま行動しているのに近かった。
リーフが目に見える抵抗をしなかったせいか、リンにはいつ魔剣が身体を乗っ取ったのかが分からなかった。
少なくとも、リーフが左腕を押さえて顔を歪めたときには、既に『リーフ』ではなくなっていた。
「いてて、思いっ切り斬り過ぎちまったな……ま、ほっときゃ治るか。そういうやつだし」
リーフが言ったその言葉を聞いて、リンは顔をぎょっとさせた。
間違いなくリーフの口から発せられたリーフの声である筈なのに、リンには別物に聞こえた。
リーフはそれ以上痛がる素振りをせず、リーフの身体を借りた魔剣は感触を確かめるように軽く腕を回したり、手を握ったり開いたりした。続いて身体の柔軟性を確かめるために前屈をし、大きく伸びた。
「動きは上々、後は……」
リーフは肩の高さまで右手を上げ、巡る力を指先まで通した。
握りしめる動作をすると同時に、手の中に黒い剣が現れた。刃渡りは指先から肘までの長さと同じくらいで、隠し持つ場所などどこにもなかった。
「神性の通りもいいな。さすが竜種」
普段は微笑むことすらしないリーフの顔が、口の左端を釣り上げて歯を剥きだし、笑顔を作った。リンはその醜悪さに顔をしかめた。
「ちょっと、何処からでてきたのよそれ」
文字通り、リンには剣が湧いて出てきたように見えた。
リーフは剣を目の前に翳した。
「俺の自前だ。そこいらのがらくた魔剣よりもよく切れるんだぜ、これ。この力が俺の本領ってわけよ。尤も、魔剣使いの身体で使うとすぐに発狂しちまうから、最近全然使えてねぇんだよな」
「ちょっと、リーフは大丈夫なんでしょうね!」
リンがまた魔剣に噛みつきそうな勢いで言った。
「安心しろ、混ざりもの――いや、今はさすらうものとか言うのが流行りだっけな。それならこの程度の行使で壊れたりしねぇよ」
リーフは言い終わるのと同時に剣を宙に投げた。空中でくるくると回転しながら、剣は粉々に砕けて消え失せた。
「『混ざりもの』?」
リーフの言葉に、リンは眉を潜めた。
「今はそう呼ばねぇのか、テメェらみたいな奴の事を。そんな事よりとっとと行こうぜ。早くマシな場所見つけて休まねぇとな」
リーフは一人で城壁に近づき、前の魔剣の持ち主のふりをしてまんまと跳ね橋を下ろさせた。
さらに口封じのために監視室に詰めていた村人を始末した。
これでもう、村の内部で二人の障害となるものは何もなくなった。
残りの問題は村の外で待ち構えていた。
跳ね橋の対岸に、熊のように大きい狼に似たモンスターの群れが待ち構えていた。
「野生のヤツハオオカミとか、最っ悪!」
リンが額に手を当てて唸った。
月明かりだけでは詳細な特徴を確認できないが、ヤツハオオカミであることは間違いなかった。数は八頭。
ヤツハオオカミはその名の通り牙を二対、つまり八本持った狼である。単独でも十分脅威だというのに、集団で狩りを行う社会性の高い肉食モンスターで、人間が群れ相手に正面から戦いを挑んで無傷で勝つことは不可能に近い。
正攻法は囮で誘導しながら銃で狙撃することだが、この場合、リン一人では荷が重すぎた。
「飼い慣らされてるやつは可愛いけど、野生はホントーにカワイクナイ……」
「まあ、任せとけって」
リーフが跳ね橋を渡り始めた。
「あ、こらっ、待ちなさいよ」
「まだこっち来んなよ」
リーフは自由の利く右手をひらひらと振りながらヤツハオオカミに近づいていった。
ヤツハオオカミたちは獲物の到来に気づき、耳をピンと立てて待ち構えていた。
しかし、リーフが近づくにつれて、段々と様子がおかしくなっていった。
徐々に尻尾が下がり、耳も倒れた。警戒する唸り声がリンの元まで聞こえてきた。
明らかにリーフ一人を警戒し、怯えていた。
真正面から銃を向けても襲ってくるような凶暴なモンスターが、魔剣を持った人間一人に脅威を感じていた。
「とっとと失せろ、雑魚共がよぉ!」
リーフが一喝すると、狼に似たモンスターたちは追い立てられた犬のように逃げ出した。
ヤツハオオカミが戻ってくる様子がないことを確認してから、リーフはリンに向かって手で合図した。
「な、何が起こったのよ」
跳ね橋を渡りきり、リンは信じられないという顔でリーフを見た。
「俺がその気になりゃ、あの程度の弱小はこっちを避けてくれんだよ。なんてったって俺は最強だかんな。しばらくここには寄りつかねぇだろ」
リンが見たことのない自信満々な様子でリーフが言った。
「じゃあなんでモンスターを狩りに出てるのさ」
「稼ぎになるからだろ。モンスターがいねぇよりは、近づいた奴を狩った方が金になる」
「はあ? そんなんモンスターを避けて村を広げた方が長い目で見てずっと得じゃない。そっちの方が馬鹿じゃないの」
「俺に言うな、村人共に言え」
そこまでリーフが言ったところで、リーフの意識が引っ張り上げられる。
急速に感覚が鮮やかになり、左腕の痛みもよみがえった。
切られた直後のようにはしる激痛に、リーフは左腕を押さえて呻いた。
身体を折って痛みに耐えるリーフを、リンが支えた。
「今は『リーフ』、だよね……」
特に何か告げられた訳でもないのに、リンは中身の入れ替わりを敏感に察知していた。先程まで刺々しい態度を綺麗に引っ込めて、リーフを丁寧にいたわっていた。
「なーんか、ヤな奴……」
リンが唇をとがらせて呟いた。
いつも通りの感情の乗っていない冷めた目で、リーフがリンを見た。
「早く行こう、夜が明ける前に」
周囲に家はおろか人の姿すら見えない外地のど真ん中で、焚き火が静かに燃えていた。木々の少ない平原の中でも低木の生えた場所を探して火を燃やしていたが、遠目でも分かるくらい丸見えの状態だった。
夜の外地で野宿など正気の沙汰ではないが、二人がレニウム行きの馬車に乗った町はまだ遥か遠くであり、まだもう一日程度歩き続ける必要があった。
リンは既にリーフの横で荷物を抱えて寝息を立てていた。
リーフは左腕の痛みですっかり目が冴えてしまっていて、とてもではないが眠る気にはなれなかった。疲れは取れないが、火の番と見張りができるのでそれで良かったことにした。
夜が明ければ、怪我を理由にリンに荷物を押し付ければいい話だ。
「魔剣」
――何だよ。
リーフが呼ぶと、魔剣はすぐに返事をした。魔剣はリーフの傍の、リンがいる側の反対に横たえられていた。
「お前に銘はあるのか」
素朴な疑問をリーフは口にした。
魔剣とは総称であり、リーフが左腕の傷と引き換えに手に入れたこの魔剣を示す言葉が何かあったとしてもおかしくはないし、寧ろそれが自然なことだ。
――さあ、工房にいたときにはあったような気はするけど、何百年も前のことだし忘れた。
「なら、呼ぶとしたらお前の名前は何になる」
――え、あー、うん。俺の名前は……あー、何つったら良いのか……
リーフの問いに、魔剣は口篭った。
答えが無いのではなく、どう言うべきか悩んでいる沈黙だと察し、リーフは気長に返事を待ち続けた。
暫しの静かな時間に、焚き火の炎が数回弾けた。
――…………ル、だな。
「る?」
届くか届かないかくらいの小さな声で、魔剣が呟くように言った。上手く聞き取れず、リーフは聞き返した。
――違ぇよ、ギル、だ。ギルスムニル、それが俺の名前だ。
今度ははっきりと魔剣は名乗りを上げた。
「魔剣ギルスムニル、か」
――ああ。俺の名前は、ギルだ。
どこか感慨深そうに魔剣は繰り返した。
「どうかしたのか」
――こうやって名前を呼ばれるのは、三十年ぶりだって思うとちょっとなあ……で、テメェの名前は?
「今はリーフと名乗っている。ただそれだけだ」
――なら俺もそう呼ばせてもらうぜ、これから契約する嬢ちゃんよう。
男の名を使う少女に、ギルは戯けて言ってみせた。
「ボクが女だと気付いていたのか」
――そりゃ気付くなってのが無理だろ、さっき『お前』だったんだからな。何年他人の身体間借りしてると思ってやがる。ま、全然女っ気がねぇから股の間に何もねぇことに気付いた時にはちょっと驚いたけどな。
下品な冗談を飛ばし、ケケケケとギルは笑った。
「あまり、モノに期待することではないけれど、品がないね」
口ではそう言ったが、リーフの顔には不快感も蔑みも表れていない。
――ここまで話してモノ扱いかよ。ま、俺もテメェのことをそれぐらいにしか思ってねぇからお互い様だな。
「さて、お互い名を名乗って道具程度にしか思っていないことを吐露したわけだけれど、そろそろ契約といこうじゃないか」
――今、契約するのか?
「ここなら誰にも聞かれない」
――仲間にも秘密にするのかよ。
ギルの言葉に、リーフはちらりとリンを見た。リンは熟睡したままで、ぴくりとも動かない。
「別に、リンは気紛れでボクに力を貸しているだけの奴だ」
――そうか……なら、別にいいけどよ。
リーフは焚き火を見つめながら軽く瞬きをした。再び足下が抜けるような感覚に襲われる。
目を開けたとき、リーフの目の前から焚き火が消えていた。隣にいたリンと魔剣もいなくなっていた。
よく周囲を観察してみれば、そこは野宿をしていた場所ではなかった。
元は大きな町であったのだろう――崩れた建物の群れ、砕けた石畳、火の手の上がった巨大な塔、そして無数に積み重なった屍たち。
空はどこまでも血の色で閉鎖されているのに、無残な光景をはっきりと見て取ることができた。
「ここは、一体」
状況が飲み込めないでいるリーフの目の前に、質量のある影が現れた。
姿を正確に掴むことはできず、人のようでもあり、モンスターのようでもあり、それ以外の何かであるような気もする。ただ、それが魔剣であることは何故か分かった。
――別に口約束でやってもいいんだが偶にはきちんと手順を踏んでもいいだろ、ってな。俺の世界にようこそ。此処なら本当に誰にも聞かれねぇし。
リーフの目に見えているのは、ギルの作り上げた幻影だった。リーフの精神を自分の中に引きずり込み、記憶の中の一風景を映し出しているのだ。
「この惨状は何だ?」
――俺との契約を裏切った町の末路だ。契約を破ればこれと同じだけの災いがテメェにも起こるってわけだ。で、テメェは俺に何をして欲しいんだ?
何を願ったのかは分からないが、この町の住民全てが魔剣と契約していたとは考えにくかった。
契約を破棄されたギルが行った報復が、結果として町を滅ぼすまでに至ったのだろうとリーフは推察した。
眼前の死屍累々の山は、契約者に対する警告と共に、ギルの持つ力の強大さを示していた。
ギルはリーフを脅しているつもりなのだろうが、むしろ望むところであった。
「ボクがお前に望むのは唯一つ、人を救うことだ。ある人達をお前の力で救い出したい。今、何人が生き残っているのかは分からないけど、ボクが出来得る限り助けたいんだ」
それは、普段のリーフからは想像できないような願いだった。
――その言い方だと、救いたい奴らはもういないかもしれねぇ、っていう風にも聞こえるぜ。
「確かにもう全員死んでいることもあり得る。その時には、お前は対価だけ受け取ればいい」
――対価?
リーフは大きく息を吸い込んだ。
「ボクの全てを、命をくれてやる」
監視室は城壁の上階に位置し、交替で村人たちが番をする。今宵もランプで照らされた室内には二人の男がいた。
「ライネスのやつ、いつまでもつだろうな」
頬髭をたくわえた男が言った。
「さあな、そろそろくたばっちまうって話だが」
かぎ鼻の男が返した。
「とうとうおかしくなっちまって、ガキの次に嫁さんまでやっちまったってな。かわいそうになあ」
話す内容のわりに、かぎ鼻の口調に悲壮感はなかった。むしろ、面白がるような響きがあった。
「あいつぁ馬鹿だよ。魔剣に手を出しちまったうえに、ずっと手放さねぇなんて」
頬髭の男が煙草をくゆらせた。安い紙巻きを咥えた口角は、少しつり上がっていた。
「馬鹿だから、魔剣を押しつけられたのにも気付いてねぇし、狩ったモンスターを安く買い叩かれてもにこにこしてやがる。めでてぇことで」
「全く、能なしの使い方としちゃあ上等ってもんだ」
がははは、と狭い部屋の中で声が響いた。
「おっと、そろそろ奴が来る時間だ」
かぎ鼻の男が声を潜めた。
程なくして、かんかん、と軽い音が下から聞こえた。
「お、きたきた」
頬髭の男が村の方に開いた窓から下をのぞき込んだ。
城壁の通用口に、剣を背負った人影が立っていた。
おそらくライネスだろうと、頬髭はいつも通りにレバーを操作した。
金属が擦れ回転する音を立てて、細い跳ね橋が堀の上に渡された。橋の幅は人がすれ違える程度だが、踏み外せば真っ逆さまに落ちる場所で挑戦する輩はそういない。
架けられた橋に反応して、村の外の空気が少しざわついた。
外地の平原の遙か遠くで獣の吠える声が聞こえた。
「さてさて、今夜もお勤めご苦労さんっと……ん?」
安全な城壁の中でぬくぬくといつもの仕事をこなしたかぎ鼻の男が堀へと目を向け、そこでようやく異変に気付いた。
跳ね橋の上に人影は現れなかった。普段なら、とっくに渡ってモンスターを狩り始めているはずだった。
「よう」
突然かけられた声に、二人はびくっとして振り返った。
監視室の出入り口、階下へと続く石の階段の最上段より一つ下に、黒い影が立っていた。
ランプのゆらめく灯りに照らされてなお深く沈んだ闇色の外套姿、そして深くフードをかぶっていては正体に見当もつかない。
しかし、その背に負った両手剣は二人にとって見覚えがあるものだった。
「お前、何者だ」
「テメェらそんなの気にしたことあったかよ。今さら俺の名前なんて」
黒ずくめの人物は肩を竦めた。声は女のようにも、若い男のようにも聞こえた。吐く言葉には嘲り見下した雰囲気があり、差し向けた相手の心をざらりと毛羽立たせる。
同時に、とてつもなく嫌な予感をかぎ鼻の男は感じていた。
「なんで魔剣を持ってやがる」
「魔剣なんざ外地じゃ珍しくねぇだろ。別にコイツが一振り持ってよーがテメェに許可なんかいるか? ま、テメェが言いたいのはそういうことじゃねぇってのは、馬鹿でも分かるってか、馬鹿だからそれしか言えねぇよな」
だってテメェら俺の名前知らねぇもんな、と黒ずくめの口元がつり上がった。
「俺は今夜村を出ることにしたから挨拶に来ただけだぜ」
「やっぱりお前……っ! ライネスはどうした!」
頬髭の男が怒鳴った。黒ずくめに詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。黒ずくめの身体は見た目よりも細く、無抵抗でぐいと持ち上がった。
「死んだよ。俺らとテメェらが殺した」
フードの下から覗く目は宝石の色をしていた。底知れない新緑色に、人間らしい色は一切のっていなかった。
「ついでにテメェも死んどけ」
いつの間にか、頬髭の男の腹に黒い刃が刺さっていた。
刃は雑に斜めに背中を貫通し、捻りをつけて振り抜かれるだけで肩までばっくりと割れた。
天井まで届く血しぶきに、かぎ鼻の男は銃を手にしたまま呆気にとられた。ぽかんと口を開けたまま、額をすとんと血塗れの刃が通る。
二つの死体がべちゃりと崩れおちた。
「あ、やっべ汚しすぎた」
黒ずくめは服にべっとりと付着した血を見て渋い顔になった。
「やっぱノリと勢いでやると碌なことねぇな」
ぶつぶつ言いながら黒ずくめは村側の窓から身を乗り出した。
「終わったぜー」
地上に向かって声を投げると、物陰から人が現れた。
荷物を二つ抱え、さらに大口径の長銃を肩に掛けた女――リンだった。
黒ずくめがにっと笑い、窓枠にかろやかに跳びのる。さらに跳躍。
黒い外套をはためかせて、危なげなくリンの近くに降り立った。
着地の勢いでフードがぱさりと落ちた。
「細い割には結構丈夫じゃねぇか。しかもすげぇよく魂が馴染むいい身体だし。背がもう少し高けりゃ、言う事なしなんだけどなぁ」
リーフの顔で、満足そうに魔剣が笑った。
◇ ◆ ◇
――怪我させちまったし、未来の契約者に免じて手助けしてやろうじゃねぇか。ちょっと身体貸せよ。
城壁に近づいた辺りで、魔剣がリーフとリンを止めて言った。
魔剣の言葉はどこまでも横暴で、リーフは突然足下が抜けたような感覚に襲われた。
身体の感覚を剥ぎ取られ、水底に突き落とされたように全てが――切られた腕の痛みさえも鈍化した。
足掻くことなく落ちた先で、暗闇に完全に飲まれる前に引っかかって意識が宙ぶらりんになる。
寝ぼけて前後不覚のまま行動しているのに近かった。
リーフが目に見える抵抗をしなかったせいか、リンにはいつ魔剣が身体を乗っ取ったのかが分からなかった。
少なくとも、リーフが左腕を押さえて顔を歪めたときには、既に『リーフ』ではなくなっていた。
「いてて、思いっ切り斬り過ぎちまったな……ま、ほっときゃ治るか。そういうやつだし」
リーフが言ったその言葉を聞いて、リンは顔をぎょっとさせた。
間違いなくリーフの口から発せられたリーフの声である筈なのに、リンには別物に聞こえた。
リーフはそれ以上痛がる素振りをせず、リーフの身体を借りた魔剣は感触を確かめるように軽く腕を回したり、手を握ったり開いたりした。続いて身体の柔軟性を確かめるために前屈をし、大きく伸びた。
「動きは上々、後は……」
リーフは肩の高さまで右手を上げ、巡る力を指先まで通した。
握りしめる動作をすると同時に、手の中に黒い剣が現れた。刃渡りは指先から肘までの長さと同じくらいで、隠し持つ場所などどこにもなかった。
「神性の通りもいいな。さすが竜種」
普段は微笑むことすらしないリーフの顔が、口の左端を釣り上げて歯を剥きだし、笑顔を作った。リンはその醜悪さに顔をしかめた。
「ちょっと、何処からでてきたのよそれ」
文字通り、リンには剣が湧いて出てきたように見えた。
リーフは剣を目の前に翳した。
「俺の自前だ。そこいらのがらくた魔剣よりもよく切れるんだぜ、これ。この力が俺の本領ってわけよ。尤も、魔剣使いの身体で使うとすぐに発狂しちまうから、最近全然使えてねぇんだよな」
「ちょっと、リーフは大丈夫なんでしょうね!」
リンがまた魔剣に噛みつきそうな勢いで言った。
「安心しろ、混ざりもの――いや、今はさすらうものとか言うのが流行りだっけな。それならこの程度の行使で壊れたりしねぇよ」
リーフは言い終わるのと同時に剣を宙に投げた。空中でくるくると回転しながら、剣は粉々に砕けて消え失せた。
「『混ざりもの』?」
リーフの言葉に、リンは眉を潜めた。
「今はそう呼ばねぇのか、テメェらみたいな奴の事を。そんな事よりとっとと行こうぜ。早くマシな場所見つけて休まねぇとな」
リーフは一人で城壁に近づき、前の魔剣の持ち主のふりをしてまんまと跳ね橋を下ろさせた。
さらに口封じのために監視室に詰めていた村人を始末した。
これでもう、村の内部で二人の障害となるものは何もなくなった。
残りの問題は村の外で待ち構えていた。
跳ね橋の対岸に、熊のように大きい狼に似たモンスターの群れが待ち構えていた。
「野生のヤツハオオカミとか、最っ悪!」
リンが額に手を当てて唸った。
月明かりだけでは詳細な特徴を確認できないが、ヤツハオオカミであることは間違いなかった。数は八頭。
ヤツハオオカミはその名の通り牙を二対、つまり八本持った狼である。単独でも十分脅威だというのに、集団で狩りを行う社会性の高い肉食モンスターで、人間が群れ相手に正面から戦いを挑んで無傷で勝つことは不可能に近い。
正攻法は囮で誘導しながら銃で狙撃することだが、この場合、リン一人では荷が重すぎた。
「飼い慣らされてるやつは可愛いけど、野生はホントーにカワイクナイ……」
「まあ、任せとけって」
リーフが跳ね橋を渡り始めた。
「あ、こらっ、待ちなさいよ」
「まだこっち来んなよ」
リーフは自由の利く右手をひらひらと振りながらヤツハオオカミに近づいていった。
ヤツハオオカミたちは獲物の到来に気づき、耳をピンと立てて待ち構えていた。
しかし、リーフが近づくにつれて、段々と様子がおかしくなっていった。
徐々に尻尾が下がり、耳も倒れた。警戒する唸り声がリンの元まで聞こえてきた。
明らかにリーフ一人を警戒し、怯えていた。
真正面から銃を向けても襲ってくるような凶暴なモンスターが、魔剣を持った人間一人に脅威を感じていた。
「とっとと失せろ、雑魚共がよぉ!」
リーフが一喝すると、狼に似たモンスターたちは追い立てられた犬のように逃げ出した。
ヤツハオオカミが戻ってくる様子がないことを確認してから、リーフはリンに向かって手で合図した。
「な、何が起こったのよ」
跳ね橋を渡りきり、リンは信じられないという顔でリーフを見た。
「俺がその気になりゃ、あの程度の弱小はこっちを避けてくれんだよ。なんてったって俺は最強だかんな。しばらくここには寄りつかねぇだろ」
リンが見たことのない自信満々な様子でリーフが言った。
「じゃあなんでモンスターを狩りに出てるのさ」
「稼ぎになるからだろ。モンスターがいねぇよりは、近づいた奴を狩った方が金になる」
「はあ? そんなんモンスターを避けて村を広げた方が長い目で見てずっと得じゃない。そっちの方が馬鹿じゃないの」
「俺に言うな、村人共に言え」
そこまでリーフが言ったところで、リーフの意識が引っ張り上げられる。
急速に感覚が鮮やかになり、左腕の痛みもよみがえった。
切られた直後のようにはしる激痛に、リーフは左腕を押さえて呻いた。
身体を折って痛みに耐えるリーフを、リンが支えた。
「今は『リーフ』、だよね……」
特に何か告げられた訳でもないのに、リンは中身の入れ替わりを敏感に察知していた。先程まで刺々しい態度を綺麗に引っ込めて、リーフを丁寧にいたわっていた。
「なーんか、ヤな奴……」
リンが唇をとがらせて呟いた。
いつも通りの感情の乗っていない冷めた目で、リーフがリンを見た。
「早く行こう、夜が明ける前に」
周囲に家はおろか人の姿すら見えない外地のど真ん中で、焚き火が静かに燃えていた。木々の少ない平原の中でも低木の生えた場所を探して火を燃やしていたが、遠目でも分かるくらい丸見えの状態だった。
夜の外地で野宿など正気の沙汰ではないが、二人がレニウム行きの馬車に乗った町はまだ遥か遠くであり、まだもう一日程度歩き続ける必要があった。
リンは既にリーフの横で荷物を抱えて寝息を立てていた。
リーフは左腕の痛みですっかり目が冴えてしまっていて、とてもではないが眠る気にはなれなかった。疲れは取れないが、火の番と見張りができるのでそれで良かったことにした。
夜が明ければ、怪我を理由にリンに荷物を押し付ければいい話だ。
「魔剣」
――何だよ。
リーフが呼ぶと、魔剣はすぐに返事をした。魔剣はリーフの傍の、リンがいる側の反対に横たえられていた。
「お前に銘はあるのか」
素朴な疑問をリーフは口にした。
魔剣とは総称であり、リーフが左腕の傷と引き換えに手に入れたこの魔剣を示す言葉が何かあったとしてもおかしくはないし、寧ろそれが自然なことだ。
――さあ、工房にいたときにはあったような気はするけど、何百年も前のことだし忘れた。
「なら、呼ぶとしたらお前の名前は何になる」
――え、あー、うん。俺の名前は……あー、何つったら良いのか……
リーフの問いに、魔剣は口篭った。
答えが無いのではなく、どう言うべきか悩んでいる沈黙だと察し、リーフは気長に返事を待ち続けた。
暫しの静かな時間に、焚き火の炎が数回弾けた。
――…………ル、だな。
「る?」
届くか届かないかくらいの小さな声で、魔剣が呟くように言った。上手く聞き取れず、リーフは聞き返した。
――違ぇよ、ギル、だ。ギルスムニル、それが俺の名前だ。
今度ははっきりと魔剣は名乗りを上げた。
「魔剣ギルスムニル、か」
――ああ。俺の名前は、ギルだ。
どこか感慨深そうに魔剣は繰り返した。
「どうかしたのか」
――こうやって名前を呼ばれるのは、三十年ぶりだって思うとちょっとなあ……で、テメェの名前は?
「今はリーフと名乗っている。ただそれだけだ」
――なら俺もそう呼ばせてもらうぜ、これから契約する嬢ちゃんよう。
男の名を使う少女に、ギルは戯けて言ってみせた。
「ボクが女だと気付いていたのか」
――そりゃ気付くなってのが無理だろ、さっき『お前』だったんだからな。何年他人の身体間借りしてると思ってやがる。ま、全然女っ気がねぇから股の間に何もねぇことに気付いた時にはちょっと驚いたけどな。
下品な冗談を飛ばし、ケケケケとギルは笑った。
「あまり、モノに期待することではないけれど、品がないね」
口ではそう言ったが、リーフの顔には不快感も蔑みも表れていない。
――ここまで話してモノ扱いかよ。ま、俺もテメェのことをそれぐらいにしか思ってねぇからお互い様だな。
「さて、お互い名を名乗って道具程度にしか思っていないことを吐露したわけだけれど、そろそろ契約といこうじゃないか」
――今、契約するのか?
「ここなら誰にも聞かれない」
――仲間にも秘密にするのかよ。
ギルの言葉に、リーフはちらりとリンを見た。リンは熟睡したままで、ぴくりとも動かない。
「別に、リンは気紛れでボクに力を貸しているだけの奴だ」
――そうか……なら、別にいいけどよ。
リーフは焚き火を見つめながら軽く瞬きをした。再び足下が抜けるような感覚に襲われる。
目を開けたとき、リーフの目の前から焚き火が消えていた。隣にいたリンと魔剣もいなくなっていた。
よく周囲を観察してみれば、そこは野宿をしていた場所ではなかった。
元は大きな町であったのだろう――崩れた建物の群れ、砕けた石畳、火の手の上がった巨大な塔、そして無数に積み重なった屍たち。
空はどこまでも血の色で閉鎖されているのに、無残な光景をはっきりと見て取ることができた。
「ここは、一体」
状況が飲み込めないでいるリーフの目の前に、質量のある影が現れた。
姿を正確に掴むことはできず、人のようでもあり、モンスターのようでもあり、それ以外の何かであるような気もする。ただ、それが魔剣であることは何故か分かった。
――別に口約束でやってもいいんだが偶にはきちんと手順を踏んでもいいだろ、ってな。俺の世界にようこそ。此処なら本当に誰にも聞かれねぇし。
リーフの目に見えているのは、ギルの作り上げた幻影だった。リーフの精神を自分の中に引きずり込み、記憶の中の一風景を映し出しているのだ。
「この惨状は何だ?」
――俺との契約を裏切った町の末路だ。契約を破ればこれと同じだけの災いがテメェにも起こるってわけだ。で、テメェは俺に何をして欲しいんだ?
何を願ったのかは分からないが、この町の住民全てが魔剣と契約していたとは考えにくかった。
契約を破棄されたギルが行った報復が、結果として町を滅ぼすまでに至ったのだろうとリーフは推察した。
眼前の死屍累々の山は、契約者に対する警告と共に、ギルの持つ力の強大さを示していた。
ギルはリーフを脅しているつもりなのだろうが、むしろ望むところであった。
「ボクがお前に望むのは唯一つ、人を救うことだ。ある人達をお前の力で救い出したい。今、何人が生き残っているのかは分からないけど、ボクが出来得る限り助けたいんだ」
それは、普段のリーフからは想像できないような願いだった。
――その言い方だと、救いたい奴らはもういないかもしれねぇ、っていう風にも聞こえるぜ。
「確かにもう全員死んでいることもあり得る。その時には、お前は対価だけ受け取ればいい」
――対価?
リーフは大きく息を吸い込んだ。
「ボクの全てを、命をくれてやる」