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作者: 風森愛
R-15
姐さん、襲来(後編)
 午後二時十四分

 打ち合わせであった玲緒奈さんから連絡事項は、休みが増えることと武村と交代でポンコツ野川が戻って来ることだった。
 玲緒奈さんは、背の高い自分と加藤は俺と葉梨とでペアを組み、小動物のポンコツ野川は相澤と本城とでペアを組めばいいと言ったが、加藤が意見を言った。

「その日の状況次第でペアを変えればいいと思います」
「でもさ、加藤はハイヒール履きたいって小猿に言ったんでしょ? そう聞いてるよ?」
「その時はそうだっただけです。私の個人的な都合で変えて頂くのは申し訳ないと思います」
「うーん……」

 ――小猿なんだ。チンパンジーじゃなくて。

 確かに背の高い俺と葉梨なら、同じく背の高い女性の方がバランスが取れる。ポンコツ野川のように身長が低いと真横にいるのに視界から消えてびっくりすることもあるし、何よりも歩幅が合わない。
 だが、ハイヒールを履く加藤とも歩幅が合わない時もある。それにハイヒールだと機動力も落ちる。その指摘に、以前加藤は『練習します』と答えていた。

 相澤は雪の日に加藤の家に行ったが、横長のリビングダイニングがトレーニングルームだったと言っていた。サンドバッグもあったと言う。
 家具は一人掛けソファ一つと小さいテーブルと大きなテレビしかなく、床にはケトルベルやダンベルが転がっていて、トレッドミルの横に高さの違うハイヒールと、十センチ以上あるピンヒールもあったそうだ。懸垂マシンにはストッキングがかけてあり、目の遣り場に困ったと言っていた。

 努力の方向性が合ってるとも合ってないとも俺が言うことではないが、努力しているのなら、実地で結果を出す必要もあるだろう。
 それに、隣の葉梨がテーブルの下でハンドサインを送っている。
 気が重いが、俺は玲緒奈さんに意見しなくてはならないようだ。

「あの、私からも、よろしいでしょうか」
「んっ? なにー?」
「背の低い野川だと、私も葉梨も困ります」
「だよね」
「はい。視界から消えますし、走った時に野川は追い付けません」
「だよねー」

 加藤の顔を見るが、表情の変化はない。だが、相澤の目が少しだけ、変わった。
 その相澤の顔を葉梨は見ていたが、玲緒奈さんに顔を向けた。玲緒奈さんは『暑い』と言い、着ていたウインドブレーカーを脱ごうとしていた。

「少し、換気しましょう」

 俺はそう言って席を立ち、加藤も席を立ってバルコニーに面した窓とリビングのドアを各々が開けたが、相澤が『あっ』と言い、何かと思って相澤を見ると、同じ視界にいる加藤が今にも倒れそうになっているのも見えた。俺はリビングのドアにいた加藤に走り寄って体を支えた。

「玲緒奈さんと俺、お揃いコーデですね!」
「あー! ホントだねー!」

 加藤を支えながら玲緒奈さんと相澤を見ると、黄色い看板のマッチョしかいないジムで売っているあのTシャツを、玲緒奈さんも着ていた。
 二人は笑顔で顔を見合わせている。

「ヤバいです、松永さん……」

 今にも消え入りそうな声で加藤が俺を呼んだ。何かと思って加藤を見たが、相澤の声に俺も倒れそうになった。

「これは加藤がお下がりでくれたんです!」
「……お下がり?」

 顔面蒼白となった加藤は、『マジもう無理』と言って、目を閉じた。

 加藤は雪の日に相澤を風呂に入らせたが、トランクスは仕方ないにせよ、汗ばんでいる肌着を風呂上がりに着せるのもどうかと思い、オーバーサイズで気に入っていたマッチョしかいないジムの黒いTシャツを相澤にあげた。それは襟ぐりがビロンビロンになっていたため、加藤は部屋着にしていたという。
 だが相澤は、カッコいいからと一軍として着ている。
 裕くんはそういうのをあんまり気にしないタイプだ。

「襟ぐりがデロンデロンじゃない、ダメよ、裕くん」
「そうですか?」

 玲緒奈さんが加藤に向き直すのが早かったのか、加藤の口が開くのが早かったのか、定かではないが、加藤の新人ばりの大きな声がリビングに響き渡った。

「隣の駅前にマッチョしかいないジムがあります! 私、今から買ってきます!」

 加藤がコートを着てカバンを持ち、リビングを出て玄関を出ていくまで、五秒もかからなかった。

 玲緒奈さんと俺以外の捜査員は呆気にとられている。

 ――優衣ちゃんの言う通り、部屋着にすればよかった。

 俺はウインドブレーカーのファスナーを顎までそっと上げた。


 ◇


 午後二時四十分

 打ち合わせが終わり、相澤、本城、武村の三人は昼を取りに外出した。
 捜査員用のマンションのリビングにいるのは俺と葉梨で、玲緒奈さんは女性捜査員用の仮眠室で荷物を解いている。加藤はまだ帰って来ない。多分、駅に行って電車に乗るより早いからとマッチョしかいないジムまで走って行ったと思う。

「姐さん、昔は容赦なく引っ叩いてたけど、もうアラフォーだし丸くなったのかな」
「えっと……あの、松永さんはご存知ないんですか?」
「何を?」
「姐さんが手を上げなくなった理由です」
「三人殴ったんだろ? 詳細は知らないけど」

 葉梨が話し始めた玲緒奈さんに関わることは四年前に起きたことで、優衣香の実家の事件が起きた後だった。俺はその時、情報を一切遮断されていて、何も知らなかった。

 玲緒奈さんの件はかなり問題になったが、直後に兄が本城を庇って公務中に怪我を負ったことで有耶無耶になった。というより、それで許された面もある。
 そこに俺が署で暴れて怪我人が出たことも重なり、玲緒奈さんの件は完全に無かったことになった。

 玲緒奈さんがしでかしたことというのは、葉梨に関わることだった。

 玲緒奈さんとペアを組んでいた葉梨は、その日寝坊した。葉梨は待ち合わせ場所に八分遅れたが、玲緒奈さんが笑顔で手を大きく振っていたことで葉梨は油断し、手を上げた玲緒奈さんを躱すことが出来ずに鼻にグーパンを食らった。

 人はここまで冷めた目を出来るのかと葉梨は思ったと言う。

 一般的に、女性が被害者で男性が加害者だと周囲の人間は助けに行くか通報をするが、これが反対だとそうでもない。
 だが、通行人が近くの交番に『男性が殴られて血が出ている』とだけ言い、交番から警察官が走ってきた。
 彼らが見たものは、仁王立ちする背の高い女と、その女に圧倒されて何も出来ないでいる鼻血が噴き出したままの体格のいい男だった。

 彼らは二人と面識もなく、運が悪いのか、玲緒奈さんに声をかけた方は対応が悪いタイプの警察官で、SNSや動画サイトで全世界に晒されるタイプの警察官だった。
 そこで手帳を見せれば済んだはずなのに、玲緒奈さんはその警察官を葉梨と同じようにグーパンした。
 それを見ていたペアの警察官は対応が丁寧なタイプだったようだが、玲緒奈さんはそいつもついでにグーパンした。連帯責任だったらしい。

 高身長で体格のいい葉梨と、制服警察官二人は鼻血を出していて、それを仁王立ちで眺める玲緒奈さんの元に、応援の警察官も緊走のパトカーも臨場し、大騒ぎとなった。

 後から走って臨場した警察官は玲緒奈さんと葉梨に面識があり、対応が悪いタイプの警察官が何かしでかしてグーパンされた上に、残り二人はついでにやられたのだと思い、玲緒奈さんの話を聞かずに制服警察官の頭を下げさせたと言う。

「なんだその地獄絵図は」
「俺のせいです」
「まあ、そうだけど……」

 その後、玲緒奈さんは副署長の前で正座して、『もうグーパンしません』と誓ったという。
 四年経った今はピコピコハンマーが活躍中だ。

「パワハラで訴えられればいいのに」
「ちょっ!! 義理のお姉さんですよ!?」

 そこに玲緒奈さんがリビングへ戻って来た。

「パワハラがなんだって?」
「ハハッ、聞こえてましたか」
「地獄絵図も」
「あらやだ」

 テーブルにあるピコピコハンマーを手に取った玲緒奈さんに俺は頭を叩かれた。

「敬志は本当に知らなかったの?」
「はい。初めて聞きました」
「あんたの情報源、構築し直した方がいいんじゃないの?」

 ――姐さん、この件はみんな気を遣ったんだと思いますよ。

 葉梨は玲緒奈さんの希望で冷蔵庫に冷たい飲み物を取りに行き、戻って来たところで玲緒奈さんは『二人に話がある』と言った。

「野川が相澤を好きなのは二人とも知ってるよね?」

 俺も葉梨も直接彼女から聞いたわけではないが、野川を見ていれば相澤が好きなことは明らかだった。

「あの子さ、私としては裕くんにいいかなって思うのよ」

 ――加藤とくっつけるのは止めたのかよ。

「あの子、私を利用しようとしてるんだけど、それがね、やり方が上手いんだよね。あの子、出世するわ」

 相澤は松永家にとって、血縁関係は無いが親戚の子のようなものだ。俺は弟だと思っているし、父を慕って警察官を志望した相澤は、父亡き今、松永家にとっては宝物でもある。
 だが、相澤は若干ポンコツだ。
 仕事は俺が補えばいいし、私生活は加藤が補えばいいと俺と玲緒奈さんは思っていたのだが、玲緒奈さんがポンコツ野川を推してきた。
 ポンコツ野川はポンコツだが、成長の余地はある。どちらかというと出世させた方がいいと思って、俺は彼女にそう言った。それは玲緒奈さんも同じ考えなようだ。

「ねえ、葉梨」
「はい」
「加藤はもう三十四歳だし、あんたがいいなら早く結婚してあげてよ」
「はっ!?」

 ――なんで知ってるんだよ。

「敬志が二人をくっつけたんでしょ?」
「……はい。そうです」
「よくやったね、褒めてあげる」
「はっ!?」

 玲緒奈さんは上品な笑みを浮かべて、『じゃ、相澤と野川の件、よろしくね』と言った。
 そこに昼飯から三人が帰って来た。

「玲緒奈さんもお昼、ご一緒に」
「いいね!」
「葉梨、行こう」
「はい!」

 玲緒奈さんは立ち上がり、帰って来た三人を出迎えて、それぞれに笑顔で声をかけていた。
 服装、髪型、髪と肌の調子、顔つき、目線、声の質を観察して、捜査員の心と体のコンディションを判断している。それを元に各人へ適切な対応をしていた。
 そこにいる微笑む玲緒奈さんは優しい女の人――。

 玲緒奈さんは、加藤が『優しい女の人』の一面を持つには、相澤ではだめだと見切りを付けたのだろう。そして、相手が葉梨なら加藤はそうなる、と見込んだのだろう。

 ――葉梨、頑張れよ。

 俺は、加藤から食らう裏拳や手の甲でフルスイングがピコピコハンマーで済むのなら、二人を全力で応援しようと思った。




 
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